IMG_20161217_0001_1<文学同人誌「北方文学」(玄文社)第74号>
 雑誌「北方文学」(玄文社)は、柴野穀実編集長による詩と文芸評論の専門雑誌である。なんでも1961年に数名の同人によって生み出された文学同人雑誌だという。《参照:玄文社主人の書斎
 評論に重点を置いた質の高い内容で、まさに文学同人誌という名にふさわしものである。
 2016年12月10日発行の第74号では、詩作品のほか、南川隆雄「『郷土詩』は北園克衛にとってなんであったか」、霜田文子「未完の夢、あるいは欠損の美ーアントニ・ガウディに寄せて」などが読み切り評論である。
 連載物では大木邦雄訳述「優秀な劇作家から偉大な劇作家へ(3)――シェイクスピアの一大転換点のありかはどこか――ハーリー・グランヴィル=バーカー」 と、鈴木良一「新潟県戦後五十年詩史 隣人としての詩人たち−〈8〉」が独自の評論研究として注目される。
IMG_20160616_0002_1<文学同人誌「北方文学」(玄文社)第73号>
 前述のモダン・シュールリズム詩人・北園克衛(本名・橋本健吉1902〜1978)は、大田区大森「馬込文士村」といわれる地域の住民で、近隣に住む城昌幸、岩佐東一郎が(昭和21年、北園と「近代詩苑」を創刊。山本周五郎と親交した足跡があり、郷土詩としての言葉の発想の思想をさぐることができる。大田区の住民であるこの記事の筆者(北一郎)の立ち位置からすると、筆者の南川氏は、相模原市からの参加だそうで、その地域的なつながりも興味をそそる。
  アントニ・ガウディの評論では、もっぱら現在も未完のサグラダ・ファミリアの塔が有名だが、その他のユニークな作品の数々の知識を得ることができる。
  第73号を振り返ると 長編の研究、評論の連載が続き、評論鎌田陵人「三島由紀夫の二重性」。21世紀の世界的潮流としての「多文化主義」と「原理主義」との相剋について、三島の作品群を通して論評している。
IMG_20151113_0001_1<文学同人誌「北方文学」(玄文社)第72号>
  この評論は、第72号の板坂剛の「三島由紀夫は、何故昭和天皇を殺さなかったのか」という、意表つくタイトルの評論と比較すると、現代における天皇制への意志の変化が読み取れる。板坂氏は、ある反権力の雑誌で、鈴木邦男氏と対談をしたことがあり、そこでの議論や、三島の作品から見える皇国史観のさまざま感情の多面性と三島思想と作者のアンビバレンツ性をを指摘している。
 文中に――「革命に道義もへったくれもあるか!」というのが、1970年代に若者だった我々の言い分であったが、そこは「天皇の赤子」であるという自覚を強要された世代の悲しい性(さが)と笑って聞き流すべきなのだろう。――とある。まさにその通りで、否定するも肯定するも、文学的な思想としての、皇国史観の底流に存在する思想である。これがすでに平成天皇の問題提起との現代性を維持できているのか、時代精神の歴史的現象への言及の範囲になっている認識の位置づけがが、問われるのではないか。
 同じ視点でみると、柴野編集長は、鎌田陵人の「沈黙のK」は夏目漱石の『こころ』を、ジャック・デリダとキルケゴールを援用して論じたものとしているが、その「こころ」の解釈と、共通性をもった読まれ方を現在もされているか、が意識に上ってくるのである。
 以上、ランダムな紹介になってしまったが、「町田文芸交流会」から紹介されて以来、以前から注目していたので、ここにまとめてみた。(「詩人回廊」北 一郎)