IMG_20160616_0001_1<安芸宏子講師《参照:大阪文学学校講師プロフィール>が「北川荘平没後十年」を寄稿した大阪文学学校の「樹林」2016・5月号>
 同人誌「雑木林」(雑木林の会)の主宰者として、創作を指導していた作家・北川荘平の没後十年。「雑木林」への師の想いを承継していた大阪文学学校講師である安芸宏子氏が、雑誌「樹林」2016・5月号(大阪文学学校・葦書房)に表記のエッセイを発表した。同人誌「雑木林」は、休刊となっているが、その後の情報として、本欄にて紹介する。
 作家・北川荘平(1930〜2006)は、京都大学経済学部卒業。高橋和巳ら とともに京大文芸同人会(のちの京大作家集団)結成に参加。卒業後は大阪ガスに勤務 。そのかたわら同人誌で創作を始める。
 作品「水の壁」が、第39回直木賞候補(昭和33年/1958年上期)、 第39回芥川賞(昭和33年/1958年上期)の候補となる。1960年より『VIKING』同人。昭和38年/1963年〜昭和44年/1969年には同誌編集人を務めた。その間、第43回直木賞候補(昭和35年/1960年上期)「企業の伝説」、第54回直木賞候補(昭和40年/1965年下期)「企業の過去帳」、第55回直木賞(昭和41年/1966年上期)「白い塔」などの実績をあげた。
 エッセイ「北川荘平没後十年」によると、安芸氏は織田作之助賞の下読みをしていたことがあって、たまたま同賞の選者に北川荘平がいたことから知り合ったのだという。
 その後、北川が大阪文学学校の講師をしていることを知り、受講することになったということだ。北川荘平の「水の壁」が芥川賞候補になった時に、受賞したのが大江健三郎「飼育」であったという。「文芸春秋」に作品が同時掲載されたらしい。
 このエッセイによると――それが「名誉なことにおもえるが、北川には堪えがたい事情があった。自己や自作についてしゃべらない北川が一度だけ例会で話したことがある。
併載するから削ってくれと編集部から『水の壁』が戻ってきた、枚数制限があったのだ。削って送ったところ、すぐに返されてもっと削れという、しかたなく赤で線を引いて消していったが、途中であほらしくなって、部屋の隅に放りなげた……。――とある。
 書き手と編集者とのよくあることだが、「飼育」は大江健三郎の出世作として知られるが、北川荘平のことを記憶している人は少ないであろう。
 その後、雑文・雑記を書く方に転向し、指導、批評の道を歩んだとある。純文学の世界において、若手のホープで売れっ子であったはずの大江健三郎ですら、職業作家への意志をもって、その方向性が定まるのに時間を要している。
 職業とする作家的姿勢と、生活者の視点での文学生活の対照的な側面を、このエッセイは具体的に見せてくれている。