IMG_20160627_0001_1<文芸同人誌「奏」」(32号・2016 夏)。表紙・勝呂浩美(三軌会会友)>
  「水俣病公式確認60年記念 特別講演会」(水俣フォーラム主催)が2016年5月3〜5日まで、東京大学安田講堂で開催された。
 この講演に参加した田代尚路氏が、「水俣ーひとつのルーツを求めて」を文芸同人誌「奏」(32号・2016 夏)(発行所〒静岡市葵区北安東1−9−12)に執筆している。
 田代氏は、これは「単なる60周年記念というよりは、慰霊・追悼の色が濃く、生者と死者の間を取り結ぼうという主催者の意図が明確な会だった」と位置づけている。
 会の様子はメディアで少なからず、報道されたが、必ずしも、それがひとりの人間としての精神によっているとは限らず、形式化してることも否めない。
 そうしたなかで、田代氏の加者のひとりとしての現場からのレポートは、肌合いの異なるもうひとつの伝え方として、ここにその概略として以下に一部を転載する。内容は4章からなっている。
 1、現在のチッソの位置(小宮悦子氏の話より)
 有機水銀を含んだ工業廃水を不知火海に垂れ流したチッソや、高度経済成長の旗印のもと、全体のために少数の犠牲に目をつぶった国家を「加害者」とし、甚大な身体的,心理的被害.を受けた水俣の漁民を「被害者」とするという図式自体は誤ってはいないが、それだけでは問題の本質を見失いかねない。
  私は残念ながら行けなかったが、今回の特別講演会の三日目に登壇した緒方正人氏(水俣病患者・漁師)のように、被害者でありながらも、もし当時自分がチッソ側の立場にあったなら結局は同じことをしただろうという思いから「チッソは私だった」と発言している人もいる。
 (緒方氏の発一言・活動内容については高峰武『水俣病を知っていますか』(岩波ブックレット・2016を参照した)。
 ましてや、私を含めてその多くが都市住民であり、日々の生活の中で工業製品の恩恵を受けているこの日の聴衆に、チッソを声高に非難する資格などあるというのだろうか。
  ただ、そうはいうものの、いまだにチッソが地元の優良企業の一つであり、小宮氏から「チッソマン」は合コン相手として人気が高い状況が続いていると聞いて、唖然とした。60年を経てもチッソを中心とする水俣の権力の構図がほとんど変化していないのだ。
 また、これも小宮氏情報であるが、熊本市でも水俣出身だと公言するとアルバイトの面接などにおいて不利
になることがいまだにあり、水俣生まれの人の中で、あえて実家は出水市(水俣市の南に位置する)だといって故郷とのつながりを隠す人もいるのだという。
  水俣に生を受けたというだけで差別的な対応を受けるのだとしたら、水俣病に罹患しなかった非漁民層の水俣市民は迷惑に思うだろうし、その怒りの矛先が被害者に向かうこともあるに違いない。被害者が肩身の狭い思いをして暮らしていかなくてはいけないような状況は、今後いつまで続くのだろう。(第2章省略)
            ☆ 〜 〜 ☆
  ここでの報告は、人間を傷つけ、打ちのめすのは、同じ悪意なき人間であること。同時に大資本の力、金の力のもたらす豊かさに、人間が無自覚に悪魔的な部分を拡大させるという事実が示されている。誰もが、あって当然と考えるこの資本主義社会が、人間を抑圧し、民主主義を破壊する場合もあるということの認識をもちたいものだ。
  なお、「奏」32号には、本作品のほか研究論文など、下記のものが掲載されている。
詩・Finis―他3編
小川国ーー夫「海からの光」論ー勝呂奏
小説の中の絵画(第四回)ー野溝七生子『女獣心理』(続)裸のレダ=中村ともえ
堀辰雄をめぐる本たちぁ蕊山修三訳・ポォル・ヴァレリィ『海辺の墓』戸塚学
ぷらていあー遠藤周作「善魔」ノートーー小説『父親』に触れて
創作「枝垂れ梅」小森新
堀辰雄旧蔵洋書の調査(九)ープルースト8幼由