P7130007_1<公益社団法人自由報道協会の副代表を辞任した上杉隆氏が、協会のスタッフと記念撮影。協会のボード制作には16万円かかったと語る。7月13日。>
   安倍晋三事務所が最も恐れるジャーナリスト(参照:「上杉隆氏の嘘 動かぬ証拠ー安倍晋三事務所公式サイト」)の上杉隆氏が12日、東京都知事選への出馬表明した。その告示前に、単独記者を都内で行い、自身の自由報道協会副代表の辞任したことと、同協会の創設に至った経緯とその後の活動について語った。亡くなった鳩山邦夫議員の秘書として、政界通からジャーナリストなった上杉氏であるが、彼の一風変わった性格からくる、歯に衣をきせぬ直言ぶりで、それを敵対視する人たちも多い。
その象徴が安倍晋三事務所のホームページである。これは、安倍事務所が彼の言動を恐れ、同様の発言をしようとする者が現れないように、見せしめの意味にもとれる。そのことに関連しているかどうかは不明だが、報道の読売記事盗用疑惑などの裁判沙汰で、他のジャーナリストとの葛藤など、敵対的な対応にさらされる立場にある。
  そうしたなかで、公益社団法人自由報道協会は創設5年目を迎えたが、当時に比べネット環境が変わり、現在は転換点に来たと思う、と述べた。途中から会員になった人には、設立当初における出来事などを知らないと思うので、ここでそれを振り返ってみたいと、設立にかかわった人たちとのエピソードを語った。
  協会は、日本の大手メディアの古臭い記者クラブ制度によって、報道の自由が束縛され、偏向していることを、憂慮する人たちが集まって創設した。そのため、自由な言論空間ができれば、目的を達成により、解散するという前提であったという。
  ところが、社団法人にするにあたり、解散を前提としたものは、認められないというので、自由な言論空間の場を広げるという目的をもって公益社団法人として設立に至っていると述べた。
  自民党政権時代から、日本の記者クラブを自由な言論空間として、門戸を開くことへの働きかけを行ってきた。2009年の民主党政権が誕生した時期に、健全な言論空間を作ろうという話合いを、国会議員たちとするようになった。そのなかで、最も協力的で賛同してくれたのが、小沢一郎氏であった。その気運が盛り上がったのが、小沢氏を囲んで、岩上安身氏、寺澤有氏など、30人近くのフリージャーナリストたちが居酒屋で、自由な話合いが行われたことだったという。
上杉氏は、小沢一郎氏としの側近のひとたちの協力なしには、自由報道協会の創設はなかった、という。そのご、小沢氏との交流をめぐり、江川紹子氏との間に齟齬が生まれたのではないか、と受け止めている。
 その他、故人なった日隅一雄氏(弁護士・ジャーナリスト)との出会い。
 週刊ダイアイモンドの2012年6月14日号にこう記す。
「2011年、自由報道協会の法人設立の際の連帯保証人のなり手がなく、筆者は途方に暮れていた。フリーランスジャーナリスト等の集まりである自由報道協会の特性として、保証人になれる人物は限られている。経済的な事情や社会的な信用からも「保証人なし」の状態になり、事務所すら借りることができなくなるという危機的状況に、手を差し伸べてくれたのが日隅さんだったのだ。
 当時、日隅さんは協会メンバーではなかった。だが、筆者のなんとしても日本の言論空間を健全なものに変えたいという訴えに真剣に耳を傾けてくれていたのだ。そして、こう言ってくれたのだ。」
 そして別れ際の約束などに言及。多くの人たちの協力を得て現在に至ったことを感謝をこめて語った。