岐阜県美濃加茂市の雨水浄化設備導入をめぐり現金30万円を受け取ったとして、受託収賄罪などに問われた市長の藤井浩人被告(32)の控訴審判決で、名古屋高裁(村山浩昭裁判長)が、一審判決を破棄し、懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金30万円を言い渡した。《参照:郷原信郎が切る
 この裁判の争点は、賄賂を受け取ったとする中林受刑者の証言と、その事実はないとする藤井市長の言い分のどちらが事実であるかという、2者択一の単純な問題である。どちらかが、嘘をついていることになる。
 その見分け方は、簡単である。嘘をついた方は、それが本当であると思わせるためにもっともらしい嘘を並べる。その反対に、事実を述べる方は、記憶をたどるのだが、もっともらしいかどうか、考えないので、もっともらしくないことも述べざるを得ない。
 これは、小説家は作り話を本当らしく思わせための嘘を細部にわたって、描写し読者を納得させないと、商売にならない。事実をそのまま描いたものでも、物語を自然に見せるために虚構をはさむ。
 その視点でこの事件をみてみると、村山裁判長は、現金授受があったとされる日に中林受刑者が出金していたことや設備導入の経緯が証言と合致すると指摘。
 中林受刑者が逮捕前に知人に「30万円を渡した」と話したことを挙げ「証言の虚偽性を排除する有力な証拠」と述べたという。
 一審判決が問題視していた捜査段階の供述の変遷は、記憶の減退で説明できるとし、「証言は具体的かつ詳細で不合理な点は見当たらない」と判断。
 捜査段階で供述を始めた動機では一審に続き「詐欺事件の余罪捜査に手心を加えてもらおうとした可能性を否定できない」とした。
 藤井市長に対しては真摯に証言しているか疑問という。(毎日新聞11月29日、朝刊)
  ここでわかるのは、一番もっともらしいことを述べているのが、中村受刑者である。具体的に詳細に述べているのは、事実でないから話をいくらでも細部にわたって作れる。詐欺師であるから、当然である。
  とくに、30万円を藤井市長に渡したことを、第3者話したというところは、贈賄の犯行の公開であるから。通常はやらない。それをやったとしたら、何か市長を貶める目的か、正常な神経でないか、のどちらかであろう。
 その反対に話がぎこちなくなるのは市長である。よからぬ仕掛けがあるとは思っても居ない時期のことを、詳しく覚えている必要はないからである。
どちらが作り話であるであるか? それを文芸的な視点で考察すれば、中林受刑者の証言である。その理由は、前述のように、作家が物語を創作するのに工夫する要素に満ちているからである。
 フランスの作家モーパッサンは、貴族の作家志望者に小説作法教えていたという。その時に、物語が不自然で、創作効果を台無しにしている文章に出会うと「これは、さぞかし本当に合ったことを書いたのでこうしたのでしょうな」と言ったという。