IMG_20161220_0001_1IMG_20161223_0001_1<小川国男の新資料原稿が掲載された文芸同人誌「奏」2016冬。表紙・勝呂浩美(三軌会会友)>
 純文学作家・小川国男(1927ー 2008)が執筆した静岡県・藤枝教会史(合計24枚)が教会の信者仲間であった小林元氏の遺品の中から発見されたという。未完であるらしいが、「新資料・小川国男『藤枝教会史』」(解題/勝呂奏)として第一部と第二部が文芸同人誌「奏」2016冬号に掲載されている。
 発行編集人である勝呂奏氏の「解題」によると、小林元氏は1978(昭和53)年11月刊行の藤枝カトリック教会の「聖アンナ教会百年史」の編集責任者であった。その「編集後記」に小川の(綿密な助言)を得たと記していて、同じ「協会の信者として親密な交際を重ねていた」と、ある。
 勝呂氏の解題によると、小川が洗礼を受けたのが1947年。この教会史を執筆したのは、それ以前であったろうとしている。
 藤枝教会というのは、知人の話では、クリスチャンには全国的に有名で牧師たち信仰者の研修教室として活用されているという。文中に歴史上の人物が、神父となっているのは、それなりの歴史があるのであろう。
 勝呂氏の解題にはこの藤枝教会史における形式の独自性というか、歴史書としての偏りを指摘している。
 ただ、考慮すべきは、宗教的知識人の研究的知見の深さと、信者としての意識の壁は厚く高いということである。知識人の研究者は信者と同等の立場にない。信者は知識や理論を超えて、全てを肯定する世界にそのまま精神を飛翔させなければならない。
 仏教には理屈を超えて信心生活に入ることを横超と称したりする。自分は作家が宗教者を描くときに、その人が信者であるかどうかを気にする方なので、その意味で第一部と第二部の文体の差が大きいことに注目したが、それは、単なる史実の羅列から、作家精神をもって説話化に向けて描こうと試みたように読めた。ただこの時点で、作者が洗礼を受けいなかったとしても、内心ではすでに信者としての精神をもっていたと思えるものである。