東浩紀「観光客の哲学」では、現在の日本は、インバウンド需要の喚起として観光客の増加が話題にされている。しかし、西欧では昔から観光客経済が浸透している。だが、実学としての観光客論は、手掛かりにならないと記している。しかし、現象的には次のように記す。「21世紀は観光の時代になるかも知れない。だとすれば、哲学は観光について考えるべきであろう。本書の出発点には、まずはそんな当たり前の感覚がある。
では、観光の時代はどのような時代になるのだろうか。」――と問いかけている。
経済学的な観光客は、欧州の人口の少なく、領土も広くない国々の生活を支えている。ギリシャやスペインなどの国の収入は観光業による比率が高い。国民の収入もサービス業への就職で成り立っている。
 ところが、これまでの日本や米国、ドイツはものを造って売るのが主な収入である。就職先も工場関係勤務が多かった。
 しかし、資本主義による世界的なグローバリズムが浸透し、モノ作り資本は人件費の安い海外に移転し、本国での工場はなくなり、モノ作りの空洞化が起きた。
米国のトランプ大統領が、アメリカファーストで、工場を米国に移すように政策を打ち出している。もともと自国の高い人件費で作るものを、海外の賃金で製造したものを安く輸入しているので、物価が安くて済む。その分、デフレが続くのである。トランプの政策が実現したら、アメリカは物価の高さで、今の値段で者が買えなくなり、消費は減るであろう。
 日本も同じで、量産品モノ作りの技術を海外に移転させ、人件費の安いもの海外に創らせ、安くなった品物を消費しており、その分、国内のモノづくり産業は成長しない。
 そこで、欧州の小国のように、観光客の需要を取り込んで、よその国の人々から収入を得るビジネスが脚光を浴び始めたのである。いままで自国の金まわりだけのせいで成長するものが止まってしまったが、これは増えれば成長産業になる。アベノミクスで不成功の多かった政策のかで、唯一偶然にせいこうしそうな経済である。
 それを実学から離れ、哲学的に考えると、観光客サービス業の増減の時代の流れの偶然性は、モノ作りの需要と供給のバランスが、アダム・スミスの「神の見えざる手」という偶然性のバランスの説明と類似している。それが、モダンとポストモダンの時代の標識のちがいといえよう。
  同時に、観光客産業が機械産業と並ぶようになったのは、地球規模の人口増加の結果であることを忘れてはならない。
《地球規模の人口の歴史》
1600年(5・5億人)/1650年(同)/1700年(6.1億人)/1750年(7.2億人)/1800年(9億人)/1850年(12億人)/1900年(16.3億人)/1950年(25.6億人)/2000年(60.9億人)2015年(推定71.5億人)。
 20世紀後半、世界の人口は2.4倍に増加した。
世界の実質GDP(1990年の米ドル価格換算)
1600年〜1700年=増加1.12倍(年率成長0.11%)
1700年〜1820年=増加1.87倍(同0.52%)
1820年〜1870年=増加1.60倍(0.94%)
1870年〜1900年=増加1.93倍(1.93%)
1900年〜1950年=増加2.71倍(2.01%)
1950年〜2000年=増加6.88倍(3.93%)
  1870年には1.11兆ドルであったGDPが1900年には1.97兆ドル。1950年には5.34超どるとなり、2000年には36.69兆ドルになる。
  Angus Maddison(1926〜2010年イギリス経済学者)のデータから野口文高(株)DZFフィナンシャルリサーチ・アナリストによる。
 20世紀後半、世界経済は年率3.93%の高成長を遂げた。このような高度経済成長が株価高騰の背景にある。高度成長は20世紀後半に特徴的な現象である。アメリカの名目GDPは、右肩上がりで下がったことはない。
 日本の人口からみると、江戸時代の後半150年間、人口が3千万人で横ばいが続いていた。飢饉と豊作のはざまで、3千万人が適正な人口であったと見られている。現在の人口は1億2千万人強である。敗戦時の人口が7〜8千万人だったが、その当時が、衣食住の平等性があって、最適な人口構造であったと、みることができる。
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