IMG_20180302_0001<グループ「この子は、沖縄だ…」のサイトから。写真:嬉野京子氏ーの話。「1965年4月。沖縄宜野座村で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺された。手に通園用のバッグを持ったまま。死んだ女の子の側に立っているだけのアメリカ兵。しかし、驚いたのは、駆け付けた日本の警察です。米兵を逮捕するでもなく、なんと軍用車がスムーズに走れるように交通整理をはじたのです」>
  アメリカがないと、日本の国家は存続しえない。従属の条約。これが日米安保条約である。自民党は利権で仕方がないが、政府に弾圧された宗教団体の政治政党ですら、これを認めているようだ。議員は教祖の教えなど知らないらしい。
  しかし、沖縄の歴史では、国家の存続と、国民の平和的な生活とは別のものであることがわかる。とくに、沖縄は琉球王国として、中国と日本と交流していた王国であった。比屋根照夫琉球大学名誉教授のよると、政府は「明治維新から150年」を日本の近代化を進化させたと、自賛している。しかし、沖縄にしてみると、明治維新は、琉球大国を解体させられた、受難のはじまり、だという。
IMG_20180302_0001_1<This kid is the statue of okinawa!>
   昔の思想では、国家としてまとまっている民族は、個々の人間、あるいは人格と同じように判断されてよい(カント)とされてきたが、すでにその時代はとうの昔に終わった。国家の指針に人間的感情を左右されないでいることはできないのか。オリンピック騒動に、妙な違和感を感じる人はいないのか。
 差別思想やヘイト精神にこだわれない人々の、思うがままの自由で無責任な発想のできる時代になっている。マルチチュード(Multitude)の人たちが「郵便的」誤配によって、いままでになかった認識を得ること。
  東裕紀は「観光客の哲学」で、こう説く。「郵便的とはここでは、あるものをある場所にきちんと届けるシステムを指すのではなく、むしろ、誤配すなわち配達の失敗や予期しないコミュニケーションの可能性を多く含む状態という意味で使われている。(現実の郵便事業の関係者は嫌がる用法かも知れないが。)観光は、まさにこの意味で「郵便的である。ぼくたちは観光でさまざまな事物に出会う。なかには本国ではけっして出会わないはずの事物もある」(第4章「郵便的マルチチュードへ」)。
  「この子は、沖縄だ」サイトより=
 替え歌「それでいいのか、いいわきゃないさ」(スーダラ節のメロディで)
1. 戦場(いくさば)沖縄大きな犠牲
  土地を奪われ基地だらけ
  頼りの政府はアメリカ大事
  それでいいのか、いいわきゃないさ
  わかっている奴ぁ、立ち上がれ

2. ヤバい普天間代わりの辺野古
  いつまでたっても基地だらけ
  本土の私ら見て見ぬふりさ
  (繰り返し)
アホレ、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ
スイスイスーダララッタ、スラスラ、スイスイ スイス〜イ

3. 海の沖縄、世界の宝
  海が壊れりゃジュゴンも棲めぬ
  人の心も壊れていくよ
  それでいいのか、いいわきゃないさ
  わかっている奴ぁ 立ち上がれ
  わかってない奴ぁ 考えろ

アホレ 立ち上がれ
アホレ 考えろー
   (作詞 田中美津)
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