井上武彦の作品「死の武器」が直木賞候補になったとこで、有名な逸話があるという。『文藝』の元編集長、佐佐木幸綱さんが寄せた「三島由紀夫さんの手紙」を読めば、三島が『東海文学』の「死の武器」を読み、絶賛の手紙を佐佐木さんに送った様子がわかるという。
引用ーーこんな手紙です。
「昭和四十三年二月十六日
(引用者中略)読後、しばらく打ちのめされて、仕事が手につかなくなつてしまひました。その全部が文学的感動だった、とは敢て言ひません。しかし、小生が戦争中美と考へたものの精髄が、ここには全く肉体的に描かれてゐます。もしかすると、小生が文学でやりたいと思つてきたことの全部が、ここで語られてしまつたかもしれない、といふ痛恨の思ひです。
(引用者中略)この間日沼倫太郎氏に会つたら「F104」をほめてくれました。うれしかつたが、この「死の武器」を読んだら、とてもいけません。」(『決定版三島由紀夫全集38 書簡』平成16年/2004年3月・新潮社刊 ―佐佐木幸綱著『手紙歳時記』昭和55年/1980年2月・ティービーエス・ブリタニカ刊より)
 打ちのめされただの痛恨だのと、三島さん尋常じゃありません。
 佐佐木さんいわく、「新人の作に関して、わざわざ手紙を下さったのは、このとき一度だけだった。」
 そして「なぜこの作品が直木賞をとらなかったのか」といえば、おそらく直木賞が、「いい小説に賞をあげる」性格のものじゃないからです。ほら、海音寺潮五郎さんだって「死の武器」の選評で言っているじゃないですか。ーー《引用元:スラムダンクほど有名じゃなくても、隠れたとこに眠っている傑作もあります。第59回候補 井上武彦「死の武器」 
 こうした経歴をもつ作家が、晩年には「死」と神の救済に関する作品を、文芸同人誌「文芸中部」74号に書いている。おそらく、井上武彦の精神は一貫して死と生とキリスト教の競技について思想を深めていたのではないか。とくに、三島が語るうべきものが、すべて語られているとしたほどで、語りつくした思いがあったのであろう。《井上武彦・発表作品履歴
 ーー以下、文芸同志会通信・作品紹介より(2007年3月 7日 )ーー
文芸同人誌「文芸中部」74号【「交換ノート」井上武彦】
小説を趣味で書いている主人公が、クリスチャンの教会仲間と信仰に関する交換ノートつくってまわす話。それを提案した早川氏は、浄土真宗であったが妻をなくしてクリスチャンになった人。これに同調した上田老人は、自衛隊海軍にいたひと。海軍さんで、いまだに太平洋戦争を起こした日本軍人を批判し、反省をしている。
 主人公は、文学と宗教は本来、相反するものだと思っており、文芸評論家の佐古純一郎が牧師であることを知り驚く。
 読者としては、なぜ、文学と宗教が相反するのか、その辺の追求が物足りない。宮沢賢治をはじめ、椎名燐三、遠藤周作など宗教と文学を合流させているのでは。神と自分、仏と自分という関係において文学と相反するものはないように思える。ただ、教会という組織とは相容れないことがあるかもしれない。
 こういう私自身、お寺が浄土真宗である。蓮如聖人の御文章(白骨章)「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり、されば、いまだに万歳の人身をうけたりという事をきかず、一生すぎやすし・・・」と聞くと反射反応的に悲しくなる。お葬式になると必ず聞かされてきたからである。
 その割には、岩波文庫の旧約と新約の聖書は一通り、読んだ。作家の柴田錬三郎が生前、聖書を読まないようでは、作家にもなれない、とかなんとか書いてあったのを記憶していて、20代にたまたま新幹線で関西と東京を幾度も往復する時期があり、車中で読むことにしたのである。
 今でも記憶があるのは「ヨブ記」でヨブの嘆きが正しいと思ったことだ。では、なぜこのヨブ記が存在するかといえば、「理屈はない。信じよ。とにかく、飛び越えよ。信じて祈れよ」という過程を示し、祈るという過程が信仰であると主張しているように思えた。
 その点では、この作品の後半に異論はないのだが、納得したからよいというものでもないような気がする。作中の上田氏85歳、早川氏75歳、裕73歳とある。上田氏と早川氏のノートは普通に読める。そこで主人公裕氏の思索・思弁の展開がもう少し欲しかった。そのわけは、信仰における精神の完結と文芸という表現型式が求めるものとは異なるものがあるという、私の考えによる。絵画用の画布の上に彫刻作品を乗せた芸術作品は、形式破りであり、絵は平面という制約の上に描く。音楽は時間の制約をもって表現する。文学は文字のイメージで持って表現する。信仰は祈りで完結する。ーーー
  巷間の出来事では、2月に民主党・小沢代表、事務所費詳細を公表。日銀が金融政策決定会合で0・25%利上げ決定 日銀、政策金利0・5%に。皇太子さま47歳に。三遊亭円楽(先代)さん落語家引退表明している。