<上野不忍池にある長谷川利行の碑。熊谷守一揮毫によるという。年譜の末尾に、長谷川が5月31日付で、友人矢野文夫にあてた葉書の文言が記されている。「養育院第五病室ニ胃ノ手術デ居リマス。午前中ニ一度見二来テ下サイ。詩集一冊下サイ。午後三時頃デモ何時デモヨロシイノデス.(至急来テクレナイト死亡スル、動ヶナイノデス)。市電板橋終点ヨリ二丁ホドノ処デス。何力見学ニナルデシヤウ。氷サトウ、ゴマ塩一ケ忘レズニ持ッテ来テ下ザイ。オ願ヒシマス。何力甘イ菓子折一折下サイ。死別トシテ。板橋区板橋町東京市養育院第五病陳内、長谷川利行」ーーまた、その次に、有島生馬揮毫による利行の二つの短歌が彫られている
人知れず朽ちも果つべき身一つの いまがいとほし涙拭わず
己が身の影もとどめず水すまし 河の流れを光りてすべるーーー>
コロナ禍のなかで、上野不忍池の弁天堂境内にある画家・長谷川利行の碑をみた。放浪の画家ー日本のゴッホという碑文がある。
<誰も注目しない市井の流れを長谷川利行碑が黙して眺めているようだ。>
長谷川利行は、文学的なセンスにも優れていて、次のような歌も詠んでいる。
―― 河原蓬小石のみちの花茨こごしく咲けば君を忘れず
――子を抱きものいふわれの唇に幼な手をやりむづかりてやまず
――魂にとぢこもりつつ落涙す松山の庭鴉鳴き過ぐ
■関連情報=不忍池の“日本のゴッホ”長谷川利行の碑=東京
矢野文夫箸「落日放水路=長谷川利行晩年」には、作中に長谷川の次のような文章が、抜粋されている。
長谷川利行「獣人録」――
「三河島、蚤の市、そこで三十銭を投ずれば柱八角時計が得られる。時闘は正確である.子供をおんぶした家婦は極めて喧騒である。人生の血は豚臭のようだ。猥雑は明色に拡がる。黒須馬術団のサーカス小屋がかかり、馬馴らしの二十二三歳歳の女の身振りが痛快である.彼女はアソシャンツウルな朱唇を持っている。大人二十銭が入場料である。お湯屋のように高い足場でいろいろ曲芸をみせ、レヴュウ女十数人が現れる。動物臭は熱帯の原香料を思わす。こ場所での宝焼酎の酔ひは、琥珀のジンや火酒に優る。けだし強烈で.ある….」
――ある美術雑誌に書いた断片。
ー「死は供養物なり、赤い寒晴計の温度があり、.天七の店さきには緋鯉が泳いでいる。カオリヨキハマキノケムリ。未開人(バルバル)には超現実主義画集を繙ける」
ー「世界は亡者の如く動いている。微粒子のようなものである。祝福すべき『もにうまん』は建設すべし。愛妻はもらえるなり。福神漬は干大根、紫蘇なた豆の類いである。熱誠に油絵を描く」
ー「純真なる新感性の服装を着用する。白、グリ系のグリ、青き黄、緑金色、ネズミ、淡きバーミリオン、ゴールドと赤、遅ぎ紅、褐黒色、浅ぎグラジオラス、藍に速き茶、或は紫、或はクロームイエロー、三色スミレ、おそらくカドミウムの草……」
ー「両手を上げ両手を下げ、両足を開き、両足を伸ばす、所有慾がある。身辺の所有慾によりて行住する、組識、人体、飲食、健康、病気等がある」
ー「寝言、狂人の叫び、ラジオのような『声』『声』……ハルレキン、カーニバル、妖鬼的なる」
ー「プベ(人形)は怠惰である。菫花は新しい」
ー「判断力を喪失せる。何事もよくないし、また何事もよくなろうとはしずにある」
矢野文夫は、これらの奇体な文章は長谷川としては、別に奇を衒っているいるわけではない。失語症的な話しぶりが、そのまま文章の上にそのまま表現されてるだけーーとしている。確かに、現代詩に通じるイメージの言語化とも読める。
■関連情報=コロナ禍の上野不忍池の逍遥=大多数の感染を前提に
人知れず朽ちも果つべき身一つの いまがいとほし涙拭わず
己が身の影もとどめず水すまし 河の流れを光りてすべるーーー>
コロナ禍のなかで、上野不忍池の弁天堂境内にある画家・長谷川利行の碑をみた。放浪の画家ー日本のゴッホという碑文がある。
<誰も注目しない市井の流れを長谷川利行碑が黙して眺めているようだ。>
長谷川利行は、文学的なセンスにも優れていて、次のような歌も詠んでいる。
―― 河原蓬小石のみちの花茨こごしく咲けば君を忘れず
――子を抱きものいふわれの唇に幼な手をやりむづかりてやまず
――魂にとぢこもりつつ落涙す松山の庭鴉鳴き過ぐ
■関連情報=不忍池の“日本のゴッホ”長谷川利行の碑=東京
矢野文夫箸「落日放水路=長谷川利行晩年」には、作中に長谷川の次のような文章が、抜粋されている。
長谷川利行「獣人録」――
「三河島、蚤の市、そこで三十銭を投ずれば柱八角時計が得られる。時闘は正確である.子供をおんぶした家婦は極めて喧騒である。人生の血は豚臭のようだ。猥雑は明色に拡がる。黒須馬術団のサーカス小屋がかかり、馬馴らしの二十二三歳歳の女の身振りが痛快である.彼女はアソシャンツウルな朱唇を持っている。大人二十銭が入場料である。お湯屋のように高い足場でいろいろ曲芸をみせ、レヴュウ女十数人が現れる。動物臭は熱帯の原香料を思わす。こ場所での宝焼酎の酔ひは、琥珀のジンや火酒に優る。けだし強烈で.ある….」
――ある美術雑誌に書いた断片。
ー「死は供養物なり、赤い寒晴計の温度があり、.天七の店さきには緋鯉が泳いでいる。カオリヨキハマキノケムリ。未開人(バルバル)には超現実主義画集を繙ける」
ー「世界は亡者の如く動いている。微粒子のようなものである。祝福すべき『もにうまん』は建設すべし。愛妻はもらえるなり。福神漬は干大根、紫蘇なた豆の類いである。熱誠に油絵を描く」
ー「純真なる新感性の服装を着用する。白、グリ系のグリ、青き黄、緑金色、ネズミ、淡きバーミリオン、ゴールドと赤、遅ぎ紅、褐黒色、浅ぎグラジオラス、藍に速き茶、或は紫、或はクロームイエロー、三色スミレ、おそらくカドミウムの草……」
ー「両手を上げ両手を下げ、両足を開き、両足を伸ばす、所有慾がある。身辺の所有慾によりて行住する、組識、人体、飲食、健康、病気等がある」
ー「寝言、狂人の叫び、ラジオのような『声』『声』……ハルレキン、カーニバル、妖鬼的なる」
ー「プベ(人形)は怠惰である。菫花は新しい」
ー「判断力を喪失せる。何事もよくないし、また何事もよくなろうとはしずにある」
矢野文夫は、これらの奇体な文章は長谷川としては、別に奇を衒っているいるわけではない。失語症的な話しぶりが、そのまま文章の上にそのまま表現されてるだけーーとしている。確かに、現代詩に通じるイメージの言語化とも読める。
■関連情報=コロナ禍の上野不忍池の逍遥=大多数の感染を前提に
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