
詩人・評論家の勝畑耕一氏の経営する「文治堂書店」から、文芸誌「トンボ」第十六号(6月10日)が発行された。
本号には、作家で評論家、翻訳家として文壇で活躍した伊藤整(1905年 - 1969年)の次男で作家・エッセイストの伊藤礼氏が、自ら編集した「伊藤整日記」全八巻(平凡社)について,その意義と自費出版をせざるを得なかった事情を記している。題は「三月に五枚ー『伊藤整日記』全ハ巻について」。
「伊藤整日記」は、「昭和28年から没した昭和44年まで十六年間几帳面に書き続けられた日記で、彼の死後五十年間、彼の書斎に寝ていたものであり、私はこの父の日記を読んでみてなかなか興味深い日記であると思ったのである。」としている。
礼氏は、父の没後まもなく、その存在に気づいていたが、公表するには没後すぐは早すぎると、思っているうちに五十年経ってしまったという。
そして遅すぎるにしても、世に出すことは役に立つのではないか、と考えた。「たとえば昭和四十年頃、伊藤整氏が高見順氏とともにスタートした日本近代文学館運動、これについてもその成立、成り行きがわかる資料である。また昭和中頃の日本の文壇の動きについてのよい資料でもある。」と礼氏はその意義を評価。そのまま近代文学館に資料として置くことより、もっと広く人々の目にふれる出版物にするのがよいであろうと思ったのである。
そして、父との縁の深っかかった、講談社や新潮社に出版の意向を尋ねたが、生前の伊藤整氏への対応とは異なり、芳しい返事がもらえなかった。出版も事業であるから、損失の出るようなことはしたくないのであろう、と礼氏は理解した。
この二大出版社がだめなら他もだめであろうと思い、かつて礼氏の書物を手がけてくれていた平凡社から自費出版することにしたのだという。全八巻が完結したのは、昨年であったという。
宣伝も十分でなく、世の中の反応は勝畑耕一「『伊藤整日記』全八巻を読む」(「風の森」・JCA出版)以外にほとんどなかったという。その縁で、「とんぼ」第十六号に寄稿したもののようだ。
作家・伊藤整といえば純文学派の重鎮でロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳での裁判沙汰や、ジョイス論など活躍したものだが、亡くなってしまうとその名声も時代の波間に浮沈するものになるようだ。
なお、「伊藤整日記1〜4 伊藤整著、伊藤礼編」については、読売オンラインに書評がある。《「人間観察・鋭いまなざし」評・苅部 直 政治学者 東京大教授》
ちなみに伊藤礼氏は、「詩人碁会」合宿で優勝したことがある。《参照:伊藤礼氏が「詩人碁会」2019春の奥多摩合宿で優勝》
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