1月1日16時10分頃に発生したM7.6の地震(令和6年能登半島地震)では地盤の隆起と陥没が、被害対応を難しくしている。災害はこれ終わったわけでなく、9日にもM6以上の地震が発生し、まだ災害が継続されている。一連の活動の中では、佐渡付近で発生した地震としてはこれが最大だという。
特 に危険なのは、“地盤が隆起”していることで、全国の原発施設が危険にさらされれいる。
特に事例をあげれば、女川原発が幾度も危機をくぐりぬけてきた。2005年の 宮城県沖地震では、女川原発の立地していることから、8月16日に発生した宮城県沖地震で構造設計の想定外の揺れを記録した。
だが、国や県の調査で最終的には安全性に問題は無いとされたのである。ところが、この地震発生直後、発電所から煙が立ち昇るのが幾日にも続いた。報道では、その煙は非常用のディーゼル発電機が起動した際に発生した煙であった。
しかし、それにしてはそれの対応は遅いことから、なにか起きているのであろが、隠蔽しているのであろうと国民は推測するしかなかった。発電所施設内の環境放射能測定センター屋上にある希硫酸タンクが破損し、希硫酸約45リットルが流出したためと説明された。
そして、それから数年で、東電福島原発自の事故の3月11日14時46分に発生の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きた。
女川原発の震度計は震度6弱を観測した。地震計は9地点で当時の国の最新基準である2006年の国の新指針を上回っていた。1号機から最大加速度が1号機で540ガル(想定512ガル)、2号機で607ガル(想定532ガル)、3号機で573ガル(想定594ガル)を記録。1号機の外部電源が変圧器の故障の為使用不能となり、外部電源の復旧までの間、非常用ディーゼル発電機で11時間冷却を行った。2号機・3号機の外部電源が喪失することはなかったのは、危機一髪の幸運であった。
これらの出来事を顧みるだけで、災害は地域を限定せず、そこにある原発施設を危機に追いやるものであることを、あらためて認識する。《参照:【能登半島地震】“地盤が隆起” 新たな砂浜も出現 船打ち上げられ…海底あらわに》
■関連情報=志賀原発外部電源停止の説明(北陸電力)
特 に危険なのは、“地盤が隆起”していることで、全国の原発施設が危険にさらされれいる。
特に事例をあげれば、女川原発が幾度も危機をくぐりぬけてきた。2005年の 宮城県沖地震では、女川原発の立地していることから、8月16日に発生した宮城県沖地震で構造設計の想定外の揺れを記録した。
だが、国や県の調査で最終的には安全性に問題は無いとされたのである。ところが、この地震発生直後、発電所から煙が立ち昇るのが幾日にも続いた。報道では、その煙は非常用のディーゼル発電機が起動した際に発生した煙であった。
しかし、それにしてはそれの対応は遅いことから、なにか起きているのであろが、隠蔽しているのであろうと国民は推測するしかなかった。発電所施設内の環境放射能測定センター屋上にある希硫酸タンクが破損し、希硫酸約45リットルが流出したためと説明された。
そして、それから数年で、東電福島原発自の事故の3月11日14時46分に発生の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きた。
女川原発の震度計は震度6弱を観測した。地震計は9地点で当時の国の最新基準である2006年の国の新指針を上回っていた。1号機から最大加速度が1号機で540ガル(想定512ガル)、2号機で607ガル(想定532ガル)、3号機で573ガル(想定594ガル)を記録。1号機の外部電源が変圧器の故障の為使用不能となり、外部電源の復旧までの間、非常用ディーゼル発電機で11時間冷却を行った。2号機・3号機の外部電源が喪失することはなかったのは、危機一髪の幸運であった。
これらの出来事を顧みるだけで、災害は地域を限定せず、そこにある原発施設を危機に追いやるものであることを、あらためて認識する。《参照:【能登半島地震】“地盤が隆起” 新たな砂浜も出現 船打ち上げられ…海底あらわに》
■関連情報=志賀原発外部電源停止の説明(北陸電力)