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文芸と思想

放射能情報もある「自然公園生態系レポート3植物編」鈴木清美

IMG_20181015_0001_1<文芸同人誌「澪」第12号。表紙写真:鈴木清美。題字:加賀山義子>
  ここでは、文芸誌「澪」第12号(横浜市)のドキュメント記事の概要を説明しよう。
 本誌は、すでに日本のリトルマガジン的な性質を持ち始めている。注目すべきその一部を紹介する。
【「大池こども自然公園生態系レポート3植物編」鈴木清美】
 横浜市旭区にある溜池「大池」の生態系の筆者の写真付きレポートである。石渡均編集長が、鎌倉時代からの大池の歴史を序文にしている。なかで、カメラマンでもある筆者が、「やまゆり」や「きんらん」などの貴重植種の盗掘の現場を撮影している。
 さらに特筆すべきは、東電福島第一原発による放射性物質の飛散の影響が、ここでも読みとれることである。「むらさきつゆくさ」は、通常は紫色の花を咲かすのだが、放射能に被ばくに敏感に反応し、突然変異によって「ピンク色」になることを、「むらさきつゆ草の会」で知った作者は、生活道路を観察していたところ、藤沢市と平塚市でみつけたというのだ。
 このことは、放射能汚染の洗礼を福島から遠い地区でも受けているということである。それは東日本大震災による福島県の瓦礫を受け入れたような日本の地域も同じである。したがって、どの地域でも、福島の避難民と同じであること、それをもって差別することは無意味であることを意味している。それは都内でも同じであろう。いずれにしても、本レポートはダイナミックに日本の現状を伝えている。
 また、同時掲載の【「映画評・カツライス・アゲイン!『ある殺し屋』」石渡均】は、森一生監督、市川雷蔵主演の大映映画の解説をしながら、映画芸術論と文学芸術論を組み込みながら、市川雷蔵の映画論などを取り上げ、面白く読ませる啓蒙評論の秀作である。
 なかでも、シーンと時制の組み合わせに映画が苦心する話があり、文学作品の表現と比較している。映画に限らず、コミック漫画でも、必ずシーンから始まる。舞台劇もそうであるが、それと小説における時制、つまり、描かれたシーンがどの時点でのものかということを分かりやすく示す技術が重要になってくる。生前の伊藤桂一氏は、小説の時制について、話を「大過去」「中過去」「小過去」に分類し、その並べ方を詳しく説いていたものだ。
 そういうものに興味がなくても、小説らしきものは書けるが、精密な芸術性を持たせるためには、その知識は必要であろう。それが映画でも工夫のしどころというのは、興味深いところだ。

三島由紀夫「潮騒」の新資料発見記(安芸宏子)=「樹林」

IMG_20180928_0001_1<安芸宏子「三島由紀夫『潮騒』の新資料発見などについての報告」が掲載された文芸誌「樹林」2018年8月号(大阪文学学校・発行)>
 文芸誌「樹林」秋号2018・8月(大阪文学学校発行)に、安芸宏子「三島由紀夫『潮騒』の新資料発見などについての報告」が掲載された。同時に新発見された三島の書簡資料が掲載されている。
 これを新資料である根拠として、その経緯が記されている。それは、大阪文学学校に在籍している山本悦夫氏が著書「海の挽歌」(銀河書籍、2015年刊)のなかで、三島由紀夫と出会ったという実名表記の部分があったという。たまたま作者の山本氏が筆者・安芸宏子のクラスに転入してきたので、その事実的な関係を問うたところ、作品のその部分は、フィクションであるが、三島由紀夫に会ったのは事実だとわかった。
 それというのも、三島由紀夫が小説『潮騒』取材のために、神島の灯台を訪れた。その時に、悦夫氏の父親の山本四郎氏が当時の灯台長をしていたからだという。そして、それだけでなく、三島からもらった手紙やオルゴール、本、写真などが自宅に現存しれているとわかったのである。
 そこで、その事実を筆者安芸宏子と山本悦夫氏が、次のような手順で公開している。
☆2017年7月12日、「大阪文学学校ブログ」にてオルゴールの写真とともに本件を発表。
☆1018年5月15日〜10月14日。三島由紀夫文学館にて本件の品々を「『潮騒』の人々」として展示。
☆2018年5月25日刊行『三島由紀夫と渋澤龍彦――三島由紀夫研究18(鼎書房)において山本悦夫「新資料 小説『潮騒』の灯台長夫妻と娘―手紙にみる三島由紀夫と私の家族」というタイトルで、これらの品々と当時の山下家の状況を記している。
 そして、この新資料によって、既刊本『決定版三島由紀夫全集4』の口絵写真に付けられた説明に誤りがあることが分かった、とする。
 写真は、三島を中心に男女がその左右に並ぶもので、下部に「昭和28年3月、神島で灯台守夫妻と」説明されている。
 しかし、左端の胸の前で腕を組む着物姿の女性は當重さんだが、右端の眼鏡をかけたセーター姿の男性は灯台長の山下四郎氏ではないという。悦夫氏と妹の文代氏も面識がなく、たまたまやって来ていた郵便配達人ではないか、と推測している。
 筆者の安芸宏子氏は、三島の「潮騒」は、ギリシャ神話の世界を和風に創作したもので、風物を別にして、物語はフクションとされていたが、実際は灯台長をしていた山本四郎家がモデルとして、現実性を付加していたのではないか、という感想も述べている。
 また、三島由紀夫の「手紙」新資料には、取材した人々と、小説の登場人物とのフクションン関係のズレに、事実と受けと誤解されないように、心を砕いている様子が読んでとれ、興味深い。
■関連情報=「北川荘平没後十年」(安芸宏子)が「樹林」2016・5月号に
 なお、その後7月になって、元灯台関係者からも三島由紀夫の手紙が発見されている。《参照:日本経済新聞2018年7月=三島由紀夫の書簡9通発見 親交の男性に「懐かしい」

吉村萬壱論を横尾・佐々木・伊藤3氏が記す=「季刊文科」75号

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<文芸誌「季刊文科」75号(鳥影社)の特集・吉村萬壱「グロテスクの力と根っこ」の勝又浩氏と対談の頁>
  文芸誌「季刊文科」75号は、特集「吉村萬壱」を編んでいる。そのなかで、対談・吉村萬壱×勝又浩「グロテスクの力と根っこ」を掲載。
 同時に、文芸評論家の横尾和博、佐々木義登、伊藤氏貴の各氏の試論・小評論を掲載している。
 勝又氏との対談では、2017年に徳島県立文学書道館の特別展「吉村萬壱ー意味のない美しい世界」を開催し、絵やオブジェなど幅広い表現を披露していることや、地球人類スプラッタジャンルでハリウッド映画の先をta行ったのが京都大学新聞社新人文学賞を受賞した「国営巨大浴場の午後」であること。米国の軍需産業国としての本質を語ったりしている。
 読みどころは、3人の文芸評論家の吉村萬壱論が短くまとめられていることであろう。
 横尾和博氏は「正しさの根拠ー吉村萬壱試論」として、−−「吉村萬壱に初めて会った人はみな驚く。その人柄が作品世界と異なるふつうの社会人だからである。ソーシャルスキルがあり、真面目な人だ。なぜ「ふつう」で驚くのか。それは吉村作品の世界や登場人物が異様な不条理世界を表現しているからであり、私小説が文学だと思っている多くの読者にはこの落差は信じ難いのだ。また作家はみな変人だとの先入観や偏見を持っている人には驚愕なのである。」ーーとして、そのグロテスクな作風が、常識人的な人柄から生れていることの理由を述べる。ーー「結論を急げば、彼にとって現実は仮想の世界であり、作品に登場する不可思議な場所の代名詞だ。そしてまたその奇妙きてれつな非現実、劇画のような世界こそが、彼の現実なのである。」−−とする。
佐々木義登氏は「人聞」の描き方」と題してーー「氏の描写が緊張感に満ちているのはなぜなのか。吉村氏が繰り出す「言葉」は常人の想像を超えた力をもっている。翻って言えば「強力な言葉」を使うということで、書き手に返ってくる力も強くなるということだ。吉村氏は、描くことによって登場人物たちを深く傷つければ傷つけるほど、自分に翻ってくる刃もまた鋭くなることを熟知している。読者が読んでいて気分が悪くなる部分を、自身も身悶えしながら書いているに違いない。抜き差しならない緊張感はこうした危険な業の上に成り立っているのではないか。ーー」とする。
 伊藤氏貴氏は、「恐怖する想像ー吉村萬壱小論」として、ーー「京都大学新聞新人文学賞を得たデビュー作『国営巨大浴場の午後』(一九九七年)からして、異星人の襲来によって地球人が虐殺されてゆくという、下手をすれば陳腐なSF映画になってしまいそうな物語世界を描きながら、しかしそこにリアルを忍び込ませる。異星人を食べる地球人に生じた「痒み」という身体性が一つの要だ。
  リアリティとはもちろん現実性のことであるが、現実をただ写しただけでリアリティが生まれるわけではないから難しい。なまの手触りのようなものは、むしろ現実離れしたところにこそ強く感じとられることがある。たとえば「家族の崩壊」といえば既に書き尽くされた感のあるテーマだが、吉村萬壱からすれぼまだまだ手ぬるい。ーー」としている。
 純文学は、人間性の追求という主題をもつが、近代文学では、自己探求によるエゴイズムの表現をしつくしたとも、見られないわけでもない。また、小説を読んで人間の暗黒心理を暴露して、暗い気持ちにさせ、絶望を広めるのは、良くなという世相に反するという見方もできる。
 そのなかで、吉村萬壱の作風をどうとらえるかが、論じられていて面白い。
《参照:作家の読書道・吉村萬壱さん

文芸誌「中部ぺん」第25号を読み文学を語る!9/23開催

IMG_20180812_0001_1_1<「中部ペンクラブ」発行の文芸誌「中部ぺん」第25号(2018)。表紙・木戸順子> 
 中部ペンクラブ(三田村博史会長)の機関文芸誌「中部ぺん」第25号が8月に発行された。本号の掲載作品を対象に、公開文学シンポジウム「『中部ぺん』第25号を読み文学を語る」を、9月23日(日)午後2時より、愛知芸術文化センター(名古屋市東区)の12階アートスペースで開く。
  文芸誌「中部ぺん」25号には、第31回中部ペンクラブ文学賞受賞作・弥栄菫「誰かが誰かのS]を掲載、選者である吉田知子、清水良典、三田村博史たち各氏による選評がある。
IMG_20180813_0001IMG_2018081302<「中部ぺん」25号のグラビアが親しみやすく、6月17日の中上紀氏の講演、第33回中部ペンクラブ総会。第31回中部ペンクラブ文学賞表彰式のスナップがある。>
  文学講演での中上紀「父 中上健次の熊野ごもり」の書き起し録もあり、これらを含めて、全作品を通じて5人のパネラーが、文学を掘り下げる議論をする。司会を竹中忍。パネラーに朝岡明美・寺田茂・中島公男・山名恭子・松嶋節の各氏。会場への来場者を交えて、意見交換も行う予定。参加費500円。テキスト購入などの問い合わせは事務局(052・752・3033)へ。

文学フリマの広まりと同人誌イメージとの関係を考える

IMG_20180724_0001<「文学フリマ岩手」第3回(2018年7月8日開催)のカタログ。表4の広告は「しまや出版」>
 文学作品の展示即売会「文学フリマ」は、既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれずに、誰もが文学作品を発表し販売できる場として、各地に市場が拡大してきている。
 発足当時(2002年)は、東京を中心に開催されてきたが、「文学フリマ百都市構想」を打ち出してからの実現スピードは早く、来年には、通算15都市になろうとしている。
  とくに、豪雨災害の被害地となった広島において、文学フリマの企画を発想する文化力に、驚かされるものがある。
〜〜 【第一回文学フリマ広島】開催決定の言葉!〜〜
  2019年2/24(日)に【第一回文学フリマ広島】が開催となります!
  今回の第一回文学フリマ広島は、文学フリマ百都市構想が始まって以来初の中四国地域での開催になります。
  開催地となる広島県広島市は児童文学誌「赤い鳥」の創刊に携わった鈴木三重吉氏をはじめとする多数の文学者ゆかりの地であり、文学フリマのマスコットキャラクターである文学パンダをデザインされた西島大介氏のゆかりの地でもあります。
  また、広島県は嚴島神社と広島原爆ドームという二つの世界遺産を有している国外からの関心も高い都市であり、平和や文化を重んじる歴史ある地です。
  そのような地で新たな文化の発展に繋げるべく、今回広島で文学フリマを開催することとなりました。
   「なぜこのタイミングで発表?」というお声もあるかと思いますが、私自身も中国地方に住む者として、ささやかでも目標や希望を生み出せればと願い、当初の予定通り、本日の発表といたしました。(文学フリマ広島事務局代表・広永こずえ)ーー
  ところで、東京でのみ開催していた時点では、「文芸同人誌のフリーマーケット」というイメージがあり、実際にそのようにキャッチフレーズ的に表現されていた。また、現在も伝統的な文芸同人誌もフリーマーケットに参加していたし、現在も参加している。
sappporo_1<「文学フリマ札幌」第3回(7月8日開催)のカタログ。表4の広告は「さっぽろテレビ塔」>
  内実からすると、文学フリマの提唱者の大塚英志氏が、評論家で漫画原作者であったことから、フリーマーケットには「コミケ」を意識した同人誌という受け取り方をした人も少なくなかったはずだ。とくに当時の若者層にはそうであった。そこに合評会を前提にした伝統的な文芸同人誌と微妙なズレが存在する。
  そうしたなかで、現在では文学作品総体のフリーマーケットという呼びかけに変わってきている。それだけ、文学フリマのジャンルが多彩になったことを示している。合評会のない文芸同人誌が多くなっている。
 同時に、商業ベースにのらないジャンルのスキマを縫うような、少数者向けの専門性をもった評論や作品が登場してきた。それらは、大まかにいえば、自己表現を超えた、文化的な啓蒙精神が存在する。
   こうしたことから、文学フリマにおける文学作品の社会性反映力と、伝統的な文芸誌同人誌における自己表現中心になりつつある作品の動向と大局的にみれば、小差であるが、すこしづつその違いができている、或いは出てくるであろう、という予測も出来そうだ。
   

「北方文学」第77号に読むH・ジェイムス論と柴野毅実論

 「北方文学」は毎号、専門的な本邦初訳海外作品や、高度な評論が多い。77号の概要はブログ「玄文社主人の書斎」にある。
  このなかで、ごく大衆的という文学愛好家に啓蒙になるものとして、 坪井裕俊「米山敏保論(1)―地方主義の止揚をめぐって」と、柴野毅実の「ヘンリー・ジェイムズの知ったこと(一)」について、現代文学への問題提起として、読むことができた。米山敏保という作家は、本誌の同人だそうで、昭和43年の第11回新潟県同人雑誌連盟小説賞を受賞した「笹沢部落」を論じている。
   この作品は、中央文壇に抗う姿勢を明確に打ち出した作品だそうである。今となっては、そういうギルド的な文壇はなくなっているが、この作品の一部引用を読むと、冒頭から語られている主人公が、村という群れからひとつ距離を置いた存在であるということが示されている。同時に作者そのもが、孤独を自覚して執筆していることが、推察される。
 現在の文芸同人誌の多くは、ごく少ない同人仲間に向けて書いているのだが、その読者がいるがゆえに、孤独ではない。当然、作品にも孤独感のにじんだものは少ない。まさに、同人の読者に向けて、安心感に寄りかかり、真の孤独とは距離ができている。
坪井は、こうした孤独を背負った文学性と、第158回芥川賞受賞若竹千佐子の「おらおらでひとりいぐも」などと比較してる批判しているが、時代のズレを越えて、考えるきっかけになりそうである。
  また、その一方で柴野毅実の「ヘンリー・ジェイムズの知ったこと(一)」では、難解で退屈と言われるヘンリー・ジェイムズの小説に、新しい視点を導入している。
本編では、作品「メイジーの知ったこと」を対象にし、ーーメイジーという少女を主人公にし、大人たちの色恋沙汰や情愛についてさえも、何でも知っていると描くこと。だからメイジーは無垢ではあり得ないこと。しかし一見彼女は大人たちに対して自己主張しない(特に父と母に対して)受け身の立場にあるように見える。それは作者が次のように言うときの、メイジーの位置の問題に帰着する。ーーとしながら、必ずしも少女の視点と同一でない作品の特徴を解説する。
  そして、ヘンリー・ジェームズの意図するところを引用で、伝えている。
ーーところでヘンリi・ジェイムズは「序文」の中で、次のようにも書いている。
「わが主人公の魅力とは)この主人公の生来の本質となっているある強さ、ある持続的な抵抗力である。抵
抗し抜くこと(つまり見聞と経験の攻撃に耐えること)とは、こんな年若い者にとっては、ただ瑞々しく、なお一層瑞々しくあり続けること、さらには人に頒ち得るような瑞々しさを持つこと以外にあり得ようか。」
  「序文」の最後の方では、次のように書いて『メイジーの知ったこと』の特性に触れている。
「本当に良く見、良く表現することは混濁を助長する不断の力を前にしては、容易な仕事ではない。ただ素晴らしいことに、混濁した状態もまた、もっとも痛切な現実の一つであり、色と形と性格を有し、それどころか、しばしば豊かな喜劇性、玩味に値するものの持つしるしと価値の多くを有している。従って、例えばメイジーの魅力の本質、彼女の何物も害ない得ぬ瑞々しさ、換言すれば、汚染した大気の中で彼女に脈動を与え、不倫不徳の世界の中で彼女に華やぎを与える知性の活発さが、不毛な無感覚なもの、あるいはせいぜいとるに足らぬものと受け取られるかも知れぬ場合も起こり得たのだと思う。」
  現代文学が、ポピュリズムカルチャーのなかで、真の文学性の一部が秘境し、同社層を限定していくなかで、もう一度文学的な表現法の再検討を促す問題提起を含んでいるようの読めた。
 その他、大橋土百「井月やーい」では、俳人・井月を紹介。路通や山頭火などと並べて解説しているのが面白い。  
 さらに、鎌田陵人の「アギーレ――回帰する神の怒り」はヴェルナー・ヘルツォーク監督の「アギーレ――神の怒り」について論じた映画論。コンラッドの「闇の奥」のクルツ大佐をコッポラが映画化した「地獄の黙示録」に対応させて、さらに「アギーレ」の独自性を解説している。
  このほか、さまざまな資料性に満ちて言うので、その一部を紹介した。
《参照:雑誌「北方文学」(新潟県柏崎市)の最新(第74号)から》 

全作家協会が「文学フリマ東京」に出店した意義

IMG_1710<第26回文学フリマ東京にも出店した「全作家協会」のブース。5月6日、東京流通センターにて>
  文芸同人誌作家たちが全国的な展開をする団体に「全作家協会」がある。その前身は、近代文学の最盛期に、文壇という職業作家の職能集団として、さまざまな作家、評論家が活動していた時代のもである。文壇のリーダー的な存在であった純文学派流行作家・丹羽文夫が、新人作家をその文壇に登場させるための登竜門として、全国同人誌作家協会という団体の会長になって、新人作家養成機能を持たせたものであるらしい。文壇という文学職能集団へ登りつめる梯子段を作ったわけだ。
 しかし、文壇という社会は、原稿料で生活する職業作家がつながる機能を弱めるにつれて、存在意義を失った。そこから、同人誌作家も作家であるという視点をもって、職業作家も非職業作家の分類の壁を取り払うという発想があって、作家として活動する全国的な組織として「全作家協会」教会と名称を変えたのであろう。
 文芸同人誌やその作家たちは、雑誌に発表した自分たちの作品批評をするために、顔を合わせて合評会というのを行う。そのために、地域が狭い団体になるのが伝統的な形態である。また、読者は同人仲間がほとんどである。
 その中で、そうした地域性を克服しているのが「全作家協会」の特性である。しかし、全国の伝統的な同人誌仲間が読者層となり、切磋琢磨するという特性は地域の文学愛好団体と大きく変わることはない。そこには、不特定読者に文学作品を売るという、ことに弱さがある。
 そうした弱点というべきところを解消する可能性があるのが、文学フリマという市場である。全作家のネットでのHPも、文芸時評からニュースまで優れたものがある。材料は揃った。あとは、その素材をジャーナリズム的な話題性を作り出し、マーケティング力を強化することであろう。今後の活動での可能性が期待できる。
■関連情報=見本誌コーナー(A・B)にみる第25回文学フリマ東京 

成熟化で埋没感はない「第26回文学フリマ東京」の出店感想

IMG_1712IMG_1709IMG_1708<第26回「文学フリマ東京」では、どのブースでも売り手と買い手の交流が、盛んで埋没感をグループは、なようであった。5月6日、東京流通センターにて>
IMG_20180507_0001_1IMG_20180507_0001_2<第26回「文学フリマ東京」のカタログ(無料)と中ページの対談掲載のページ。対談の記事のロングバージョンは、「シミルボン」というサイトにあるという。あちらこちらのサイトで手がかかるが興味のある人は、どうぞ。>
  2018年第26回「文学フリマ東京」は5月6日、TRCで開催された。
 カタログも、売り場ガイド的な要素に加え、対談などを読むカタログになった。巻頭言には、望月倫彦代表の「ひとりの織物師」に執筆がある。800ブースのある配置図を自分で決めている心境が語られている。
 展示場が1階と2階にあるため、分野別の配分の工夫があるのだ。800ブースのうち、500ブースが小説である。詩歌がその次。そこで、評論とノンフィクションを2階にしたという。
  ほぼ、毎回のように出店している文芸同志会だが、2018年5月の「文学フリマ東京」では、このところ合同出店していた雑誌「砂」が、担当者の都合でやらなかったので、「砂」の会員でもある伊藤昭一が雑誌を並べた。
 何年も前だが、同じようなことがあったが、その当時は時代の風俗を追いかけるということで、会場風景の取材をブログのニュース化に力を入れたものだ。
 その時は、自分のブースの販売状況は、完全に会場のなかに埋没していたはずだ。だが、現場の流れを把握したいと、見聞を広めていた。「文学フリマ」は、まだ黎明期という意識があった。
 しかし、現在のように文学作品のフリーマーケットの存在は当然視されるようになると、出店者側も入場者側も何を求めるか、何が売れるのかを、肌で感じ取り、期待するものと、期待されるのものとの趣向のすり合わせが出来てきた。円熟期に差し掛かっていると、感じた。
IMG_1702<2018年第24回文学フリマ東京に出店した文芸同志会>
  当会も午後から会員が販売支援に参加してくれた。なかなjか、上手に売り込んでくれて、雑誌「砂」や伊藤昭一の「文学が人生に役立つとき」も、販売数が伸びた。

「悲運の戦闘機」(下八十五)に読むモノ造り(2)=「弦」103号

IMG_20180428_0002_1<「悲運の戦闘機」(1)(下八十五)の連載がある文芸誌「弦」103号。表紙絵・岡部寛治(発行事務局=〒463−0013名古屋市守山区小幡中3−4−27、「弦」の会)>
 本作には、工場における職員階級の段階が示されている。工員は別であったらしい。
ーー当時の川崎航空機工業株式会社の技術系の職員は、上から技師、技手(ぎて)、技手補(ぎてほ)、雇員見習の四階級。
  事務系は同じく上から主事、書記、書記補、雇員見習の四階級で、その上は双方とも副参事である。そして、それぞれが白地に黒の線の入った腕章を巻いている。
 下から説明すると、雇員見習は、幅十二、三センチほどの黒の線が一本入っているだけだ。
  その上の技手補、書記補は同じ幅十二、三センチほどの黒の線が二本入っていて、その上の技手、書記は同じ太さの線が三本入っている。
  その上の技師、主事は、幅二十五、六センチほどの太い線を真ん中に引き、その両側に十二、三センチほどの線を二本引いている。
  その上の副参事は、幅二十二、三センチほどの黒の線を三本引いている。副参事の上は重役だから、重役の模様は忘れたが赤か茶色の腕章を巻いていた。
  改めて眼の前の榊原技手補の腕章を見ると、確かに白地に黒の線が二本入っているし、私は入社早々の雇員見習だから、黒の細い線が一本入っているだけだ。ーー
 と記されている。
 川崎航空の機体工場は岐阜だけでなく、明石本社にもあって、二式複座戦闘機(キ四五)や三式戦闘機(キ六一)を組み立てていた。
  材料は、特殊鋼で、鉄に添加する炭素以外の元素の種類や量に応じて、熱に対する強さ、硬さ、強靭さ、
さびにくさ、摩擦・摩耗への強さ、加工しやすさなど、それぞれの用途に向けた特殊な性質のものである。しかし、本作品によると、用途に必要な合金の一部が入手でないものもあったようだ。戦争がはじまって、間もなくでこの様子であるから、いかに見込みのない戦争であったかがわかる。
 精神主義というか、実情をしらない計算のできないリーダーのもとでの戦争に多くの兵士が犠牲になったのである。
 それを加工する機械は、当時は国内メーカーのものは、性能が悪く、ドイツ製などを輸入した機械が主役だったという。それを日本でコピーしたものもあったという。
 そのなかでも、国産品では、大隈鉄工所、池貝鉄工所、新潟鐵工所、不二越、日立精機、若山鉄工所などが使われたという。 また、意外なのは愛知時計電機までが、エンジン製作に動員されたというのである。
  現在も存続する企業や、すでになくなった会社もある。作者含めて、それぞれの立場から、国家のための国民という集団的な、価値観に手の打ちようもなく機能させられる姿が浮き彫りにされている。

「悲運の戦闘機」(下八十五)に読むモノ造り(1)=「弦」103号

IMG_20180428_0001_1<文芸誌「弦」103号(名古屋市)の下八十五の連載「悲劇の戦闘機」(1)は、日本の戦時下の戦闘機の生産の実情を具体的に明らかにする点で貴重である>
太平洋戦争での戦闘状況や日米の軍事対応の様子、広島・長崎原爆などは、各種の情報が伝えられてきたが、日本の戦時下でのモノづくりの実態を明らかにされることは少ない。そうした角度からみた場合、文芸誌「弦」(発行「弦」の会。名古屋市)103号に掲載の下八十五「悲運の戦闘機 廚任蓮日本の戦時下のモノづくりの実態の戦闘機生産現場から、その事情を詳細に知ることのできる貴重な証言の一つとして読むことができる。
 その内容の一部を紹介する。まず、筆者の下八十五(おそらく年齢と関連のあるペンネームと推測される)
 は、昭和18年(1943)1月4日、私は明石市和阪(かにがさか)大坪一〇〇番地にあった川崎航空機工業株式会社に入社した。ーーとある。
ーー所属は発動機工場製作部生産技術課で、川崎が生産していた陸軍の三式戦闘機(開発記号キ六一)に搭載するハ四〇と呼ばれる水冷エンジンと、二式複座戦闘機(開発記号キ四五)に搭載するハ=五と呼ばれる空冷エンジンの治具を設計する職場。
  治具とは英語のJIGの当て字で、機械加工や組み立ての際、部晶や工具の作業位置を指示、誘導するために用いる器具である。特に同一製品を数多く生産する加工、組立、検査など、同じ作業を繰り返し行う場合は、安全で精度よく、バラツキが少なく、早く作業ができるようにする機能を持った器具である。
  戦時中の当時は、年季が入った熟練工の多くが次々と兵隊に引っ張られて、その補充に機械加工の経験の全くない徴用工や、うら若い女子挺身隊員や、学徒動員された中学生などが慣れない機械を操作したのだから、満足な製品ができるはずがない。その時に、この治具が重要な働きをするのである。現在のNC制御の機械ほどではないが、全くの素人工でも簡単に取付けただけで、むずかしい機械操作をしなくとも互換性のある満足な製品が作れるのである。
 生産技術課は、そんな治具を設計する部署で、水冷生産技術係、空冷生産技術係、作業研究係、工務係の四つの係に別れている。
 水冷生産技術係は水冷エンジンハ四〇の治具の設計をする係。空冷生産技術課は空冷エンジンハ一一五の治具の設計をする係。作業研究係とは現場に密着して生産性を高める調査と、不具合の治具が無いかを調べる係。工務係とは、設計された図面を製作現場に回して、治具製作の一切の管理をする係である。
 私は当初は作業研究係の曲軸連接積班に配属された。曲軸とはクランクシャフトのことであり、連接積とはピストンとクランクシャフトを繋ぐロッドのことである。当時はカタカナ語は敵性語だとして使えず、おかしな漢字で表現した。エンジンは発動機であり、シリンダーは気筒であり、バルブは弁であり、カムのことを歪輪軸と称した。しかし現場では、曲軸なんて呼ばずにクランクシャフト、連接積はピストンロッドと呼び、漢字表現は図面の上だけだった。ーー
IMG_20180428_0002_1<文芸誌「弦」103号(発行事務局=〒463−0013名古屋市守山区小幡中3−4−27、「弦」の会)>
  この時代に、製造現場で設計を担当していたということは、筆者がかなり高齢であることが推定される。これほど、詳細に語られる記憶力は大変なもので、工学部ならでは優れた能力である。
  こでは、戦闘機にしろ何にしろ、モノづくりには、そのための機器の開発が必要なのである。また、用機具の日本式表現では、どれだけ不便であったか、当時の日本人の感情主義の、不合理性を証明している。
  合理性を無視した日本人の精神感情主義は、現在でもヘイト的な意見発信に使われている。歴史に学ばないことは、将来をも危うくするものである。
 同時に、敗戦にもかかわらず、多くの腕利き職人たち、生き残ったため、空襲で生産設備を破壊されても、用器具から生産する技術力が復興の原動力となったことが、推測できる。
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