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伊藤昭一ジャーナル★運営「文芸同志会」「文芸同志会通信」&「詩人回廊」運営。  

カテゴリ: 文芸と思想

 文学というと、言葉による物語作品が主だが、現代時勢は、視覚の世界でのアニメ、ネット配信の情報として文化力が強くなっている。そのなかで、文芸作品の幅が広くなっている。文芸誌が「身体性」に関わるのは、物語の描写をする立場の人の表象としてであろう。言葉による現象表現であることに対する行き詰まりを示しているのかも知れない。特に、文芸評論の喪失は著しい。
 しかし、この「身体性」を阻害している分野に「哲学」がある。そこには、大前提に人間の身体性はまるで同じであるとするシステムのうえに成立している。この特性を生かした「文芸評論」に新しい道がないのだろうか。
 2月の文芸時評(毎日新聞2/28夕刊)で伊藤氏貴・明治大学文学部専任教授が、「身体性を考えるタイトルタイトルで、文体について「スタイル」とする由来を解説。
 「文学界」誌3月号で「身体がいちばんわからない」という特集記事で、評論、インタビュー記事、エッセイ、ブックガイドの各種による作品を掲載。また、「文芸」誌・春号で「バルクアップ!プロデザイン文学」という身体にまつわる創作特集について紹介している。
 「文学界」の特集で、「今のあなたの”身体の状態”を教えてください」と寄稿者たちにエッセーを依頼する。良い問いかけだと思う。と評価する。覆面作家の年森瑛が、自身の姿世間に晒さなければならなくなる日が来ることのへの恐れを語っていたという。〜一般論でなく、あくまで各人の個別の「身体」から考えるのでなければ、文芸誌でなく医学雑誌になってしまう。ーーとする。
 他方、「文芸」誌の春号では、身体にまつわる創作を載せている。そのなかで、李龍徳「反男性」について、身体そのもとというより、男性という身体を持つがゆえに暗黙の裡に強いられる立ち居振る舞いについて書いているという。
 「すばる」誌3月号では、井戸川射子「印象」など4編からなる連作だが、一貫するテーマは、好意の表現としての言葉と身体接触だ。ーーと紹介している。

 文学愛好者の文学作品フリマーケットを展開する般社団法人「文学フリマ」。大塚英志氏が、文芸雑誌を日本文学の数少ない発表の場であることを憂慮。そのため先行きの不透明さと出版社の文芸雑誌経営赤字化を防止してみる試みを行なった。それが、純文学雑誌の赤字部門である出版社の不良債権化を改善する手立てとして、本来の広い文学市場を見える化してみようと、プロもアマ同じ市場で参加するフリーマーケットを開催した。
 大塚氏は一度だけの試みとしてであったが、その熱意に共感したのが、継続を強く臨んで実行したのが望月倫彦氏である。
 その地道で手堅い運営力によって、ついに東京ビッグサイトを会場にするまで育て上げた。それまでの経緯と展望を明らかにしたのが、「FINDERS」のインタビュー記事である。
☆参照: 20年の歴史を経て来場者急増、次はビッグサイトで開催へ 「文学フリマ」主催者に訊く インディペンデントなイベントの続け方=サムネイル画像は2023年11月11日開催「文学フリマ東京37」の模様(撮影・山本純)ー・ 聞き手・構成・写真:神保勇揮(FINDERS編集部)。
 ☆文芸同志会は、文学フリマに参加の過程で、フリライターの立場から社会的な視点で、いつかの報道記事を作成してきたので、参考資料とし、下記に記事のリンクを張っておきます。
■関連情報=文学フリマと「ラノベ・ブロードウェイ」
■関連情報=「『超文学フリマ』に観た日本文学の潜在力への挑戦」の概要
■関連情報=「超文学フリマ」幕張メッセ「ニコニコ超会議2」風景から(6)

IMG_20231124_0001〈J・W・ゲーテの古典の新訳「ファウスト」第局堯柄亜法疹“耕一訳・文治堂書店刊行。表紙絵、J・k・シュティーラー「ゲーテの肖像」より。〉
 詩人・勝畑耕一のライフワークとなったゲーテの「ファウスト」の新訳の第局瑤刊行された.「文治堂書店」。第一部は、〉2016年に刊行している。
 勝畑氏の後書きによると、第2部は全五巻からなるのだが、今回は前半として1、2幕を刊行。分量もちょうど半分で、2冊に分けたのは、翻訳の速度と資金面の都合だとある。
 また、表紙絵は、J・k・シュティーラー「ゲーテの肖像」であるが、本文頁の挿絵は、第一部に続いて画家・種川とみ子氏の筆によるものだという。種川氏は、今年の12月3日(日)〜8日(金)に第19回種川とみ子個展を、東京の「ミューゼ サ マルシェ」画廊(新橋6−7−9、080−6151−8462)(地図)にて、版画の一部を展示する予定であるという。
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■関連記事=種川とみ子個展(下)勝畑・新訳「ファースト」第1部の画も

IMG_20231119_00021700368649397〈詩人・思想家の秋山清を偲ぶ第34回「コスモス忌」で、「秋山清の孤独」(関東大震災100年)を語った竹内栄美子氏とそのレジュメ。都内にて11月18日〉
  アナーキズム系詩人で思想家の秋山清(1904〜 1988)を偲ぶ34回「コスモス忌」が、11月18日、都内で開催された。2019年に開催以来、4年ぶりのことになる。
  講師は竹内栄美子氏で、戦前・戦後の社会運動と文学を主な研究テーマとして、お茶の水大学や明治大学教授のキャリアを持つ。
  今回は「秋山清の孤独ー関東大震災100年の年にー」を焦点を当てた講演を行った。「コスモ忌」事務局・世話人の坂井てい氏は今回のテーマについて語る。「百年前の1923年9月1日、秋山清は19歳、東京・京橋のビルでエレベーターボーイをしていました。自伝『眼の記憶』(1979年刊)の終わりの近い部分に次のような記述があります」と、秋山が地震災害を天罰ととらえる風潮と、権力者側と共謀した民衆の行動のなかで「それらの民衆の中から少しずつはみ出していく自分であることの不安に戸惑ったが、その戸惑いの下から、怒りと反抗のようなものが私を支えるようになった。ーー」。それはほかの誰にも示されたようなものではなく、過ぎてゆく毎日の連続が、反抗的な思いの方押しやっていったーーという。
 この坂井世話人の問題提起に対応するように、竹内栄美子講師は、秋山清の精神に世情の流れから乖離した孤高な自意識の流れを内蔵しつづけた彼の「孤独」を取り上げ、解説を行った。現在、関東大震災100年。朝鮮人虐殺、中国人虐殺、大杉事件等々、歴史を顧みることを軽視する世情にひたることで、人間としての自己認識力の衰退をさせる風潮を、秋山清の思想を前面にだして、強調していたように思う。
 秋山清とのきっかけは、中野重治とその周囲人物の研究をする過程で、秋山清の存在をを知ったそうで、1985年の「中野重治没後5年研究と講演会」で同じ会場にきていたらしい。
 そして中野重治と秋山清は、詩風も文章の表現の仕方が異なるにもかかわらず、どこか似通ったを雰囲気を感じさせると述懐する。
 そして、人間の優しくも美しき精神の側面と、権力と暴力の側面のせめぎ合いの部分を凝視したと思える「秋山清の文法:アナキズム思想の理論、原理的な部分を突き詰めて考える」ことの重要性を強調する。
  そのことは、すなわち「ガザのハマスとイスラエル」、「沖縄辺野古の大桎梏執行」、「ガザと沖縄が重なって見える。このことを、秋山清のアナーキーな精神を取り出して強調したものになった。
■関連記事=「第25回コスモス忌」小沢信男氏が秋山清を語る
■関連記事=黒川創氏が「私の秋山清」を語る!第31回コスモス忌
■関連記事=俳人「金子兜太の戦争」を語る=詩人・原満三寿氏

IMG_20231109_0001.jpgNY〈「父と暮せば」〈The Face of Jizo〉井上ひさしのニューヨーク公演の報告資料より〉
 「父と暮せば」〈The Face of Jizo〉井上ひさしのニューヨーク公演(The Face of Jizo制作委員会)の実行報告資料が北村隆志氏など制作委員からのものを見た。
 ニューヨーク平和ファンディーション主催・インターインターフェイス平和の集い30周年記念イベントだという。
 「インターフェイス(超宗教)」とは、宗教の違いを超えて思いを思いをひとつにするという意味。
仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教…信仰は異なれど同じ思いを持つ方が参加し、ともに平和を祈る」
 井上ひさしさん原作「父と暮らせば」の舞台は、広島の被爆で父を亡くした娘が、亡霊となって戻ってきた父と葛藤する姿を描く。自分ばかりが幸せになっていいのか?と、生き残ったことに対する後悔は被爆者だけにとどまらず、いろいろな災害で生き残った人たちにも共通する葛藤を表現する。
■関連情報=「父と暮せば」The Face of Jizoアメリカ公演、これまでのことについてお話しします!
■関連記事=「父と暮せば」NY公演第一歩!プロモーション動画を作成したい!
 ロシアとウクライナに続いて、イスラエルとハマスの凄惨な虐殺に、憂鬱な現在。平和を訴えて何かをすることの大切さを思う。

81EmqHMUXEL._SY522_.jpganekouji〈穂高健一の新著「妻女たちの幕末」(南々社)を刊行。〉
 穂高健一の歴史小説観は、現代性を強くおびている。「まず英雄史観の通説は疑ってみる。私は純文学で世に出てきた作家である。「人間って、こんなことはやらないな」という疑問をあぶりだす。
 歴史は勝者がつくる。国内の史料はかなりねつ造や隠ぺいがなされている。そこで外国の関連資料から疑問をひも解いてみる。」とする。
 さらに「IT時代でAIがすすむ現代、百六十年前の海外新聞が瞬時に日本語に変換できる。これは先輩たち大作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏などにはできなかった芸当だ。かれらは明治の薩長閥の御用学者の術に乗せられている、とわかった。」
 「面白いほどに、新たな発見があった。国立国会図書館も、デジタルで著作権のおよばない幕末関連の資料は面白いほどに難なく入手できた。『井伊家史料』などもネットで古本として安く入手できる。先輩諸氏が足で神田古本屋をまわったものだが、雲泥の差になった。次つぎに通説をくつがえす傍証が容易にさせてくれた。
 「妻女たちの幕末」は単行本として11月1日1日に発行。作者の史実追及は、「多くの読者が通説の嘘に気づくだろう。」としている。
 以下、「穂高健一ワールド」より抜粋〜〜
 明治時代に入ると、薩長閥の政治家たちが幕末史の編纂に号令をかけた。下級藩士から成りあがった自分たちを、徳川幕府を見下し、自分たちを大きく見せるための手段でもあった。
 「妻女たちの幕末」はより多くの史料・資料から、真実に迫ろう、という執筆精神でのぞんでいる。事実をあからさまにわい曲すれば、嘘だとばれやすい。だから、教えない、伝えない、隠すことで、歴史的事実が消えてしまう。
 連載小説では、隠された事実をほりおこす、という信条でのぞんでいる。ーー「読者の投稿欄に、
 堺市の木村功さんは、「連載小説を楽しみにしている」と前置きしてから、そのきっかけを書いてくださっている。
「天保の改革を断行した幕府の老中首座・水野忠邦が、黒船来航よりも10年早く、蒸気機関車と蒸気船の導入計画をし、長崎のオランダ商館に働きかけていたという衝撃の事実が、この小説で明かされたことであった。
 明治5年に新橋〜横浜間の鉄道が開通したことが引き合いに出されるが、そのむ29年も前に検討が始まっていたのである」
 このように、ペリー以前を伏せる、教えないことで、近代化は明治政府からだと、薩長閥の政治家たちは義務教育のはじまった少年・少女たちにすり込んだのだ。
 私たちの世代が教科書で習った有名な狂歌がある、『泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず』は明治10年に町人がつくられた創作であり、当時の史実とはちがうと、いまでは教科書から削除されています。
 「妻女たちの幕末」の作品のなかでも、私はあえてそれを指摘している。手元にある「新しい社会 歴史」(東京書籍・令和4年2月10日発行)がある。広島県・志和中学校で講演するために、入手した『日本人がえがいたペリー』(神奈川県立歴史博物館蔵)が掲載されている。誰もが知る鬼の顔をした鼻が高いペリーである。
 同館の学芸員にだれが描いた絵ですか、と問合せすれば、「作者は不明です。ただ、アメリカ人の嫌悪・憎悪を書き立てるもので攘夷派の可能性が高いですし、それを利用したのは明治政府以降のプロパガンダですよ。まだ教科書に載っているんでか」と応えてくれた。
 このように歴史は時の政権に都合よく利用される、という側面がある。太平洋戦争の軍国主義のときにできた「官営・維新史」から、私たちは解放されるときにきた。

 文学愛好家のフリーマーケット【文学フリマ東京39】を来年(12月1日)新会場として「東京ビッグサイト」で開催することを(一社)文学フリマ事務局が発表した。
 また、来年5/19(日)「文学フリマ東京38」から一般入場が有料になるという。料金は1,000 (税込)とする予定。
 事務局の説明では「文学フリマは【文学のための開かれた『場』でありたい】という理念のもと、第一回から一貫して入場料を無料としてきた。またスポンサーさまの支援などもあり、これまで無料を維持することができ。しかし、諸経費の増大や、近年の来場者数の増加への対応のため、これまでのような入場無料の維持が文学フリマ東京では困難となった」という。
■参照《3分でわかる文学フリマの歴史 – 純文学論争から百都市構想まで》
■関連記事=「文学フリマ東京36」会場風景から(2)入場者1万人越え

IMG_20231017_0001〈東京新聞10月14日の「大森静佳の短歌連絡船」で文学作品フリーマーケット「大阪文学フリマ」で短歌誌の評論を記す。〉
  文芸のジャンルでの詩歌は、同人雑誌を小規模な展示会で、公開することが多かったが、「文学フリマ」の各地開催が広まって、さらなる発表の場広げている。東京新聞でのコラムなどで、知名度もあげる効果が発揮されている。
  SNSやツイッターへの投稿もひろまっているようだ。小説・評論などのジャンルが多かったフリーマーケットに勢いをつけている。
  マンガやアニメは、「コミケ」が大規模で賑わうが、それに比べ小規模で静かなる活気を見せるのが「文学フリマ」である。
  ネットやSNSの活用で様々な関連表現ができている。しかし、基本的に「18禁」に抵触するものや、性差別に関するモノは、監視が厳しく削除されるということもある。
  「小説家になろう」などのサイトでは、自由に投稿できるが、表現チェックに制限されてしまうことがある。文学性からすると、純文学的な表現には、際どい手法が必要なものは適さない。
  ところが、創作文芸の「文芸同人誌」では、自費負担の会員制が基本なので、内容を細かく読むような人しか知られない。やがて、商業文芸誌など向けに、その存在が再認識される可能性がある。
■関連記事=詩人・川口晴美氏の「第24回文学フリマ東京」参加体験記
■関連記事=第二十四回文学フリマ東京に出店!コミック評論が好調
■関連記事=文学フリマ東京2017年5月から見たデジタル化傾向

IMG_20230927_0001.jpg1〈原満三寿・句集「俳鴉」(深夜叢書)。自ら「俳鴉」という新造語を披露した句集。〉
 詩人で俳人の原満三寿氏は、かつて『評伝金子光短詩晴』(北浜社)で、第二回山本健吉文学賞(評論部門)を受賞している。その後は、俳句の世界に新境地を見いだした句集が多い。ベースは詩人であるためか、作風は「短詩」のようなものに近い。
 そうした詩精神に満ちた雰囲気を、磨き上げるなかで「俳鴉」という造語をするに至ったらしい。本句集には、
 はじめての八十二歳に星ふりぬ
と、「俳鴉」のない句があり、これまでの時空の世界内での生と死の意識を表現してきた。
 それが「俳鴉」という存在を作り出すことで、
 俳鴉 やはり逝くのかちびた下駄
 俳鴉 夜明けの晩に行方不明
 俳鴉 鬼籍とベンチをシェアする
 このように、年齢と生死の意識の外に飛翔するための造語であるように思える。
■関連記事=俳人「金子兜太の戦争」を語る=詩人・原満三寿氏

伊藤礼.jpgkaoo〈伊藤礼氏(2019年4月14日、北一郎撮影)〉
 詩人・評論家の勝畑耕一氏の経営する「文治堂書店」から、文芸誌「トンボ」第十六号(6月10日)が発行された。
 本号には、作家で評論家、翻訳家として文壇で活躍した伊藤整(1905年 - 1969年)の次男で作家・エッセイストの伊藤礼氏が、自ら編集した「伊藤整日記」全八巻(平凡社)について,その意義と自費出版をせざるを得なかった事情を記している。題は「三月に五枚ー『伊藤整日記』全ハ巻について」。
 「伊藤整日記」は、「昭和28年から没した昭和44年まで十六年間几帳面に書き続けられた日記で、彼の死後五十年間、彼の書斎に寝ていたものであり、私はこの父の日記を読んでみてなかなか興味深い日記であると思ったのである。」としている。
 礼氏は、父の没後まもなく、その存在に気づいていたが、公表するには没後すぐは早すぎると、思っているうちに五十年経ってしまったという。
 そして遅すぎるにしても、世に出すことは役に立つのではないか、と考えた。「たとえば昭和四十年頃、伊藤整氏が高見順氏とともにスタートした日本近代文学館運動、これについてもその成立、成り行きがわかる資料である。また昭和中頃の日本の文壇の動きについてのよい資料でもある。」と礼氏はその意義を評価。そのまま近代文学館に資料として置くことより、もっと広く人々の目にふれる出版物にするのがよいであろうと思ったのである。
 そして、父との縁の深っかかった、講談社や新潮社に出版の意向を尋ねたが、生前の伊藤整氏への対応とは異なり、芳しい返事がもらえなかった。出版も事業であるから、損失の出るようなことはしたくないのであろう、と礼氏は理解した。
 この二大出版社がだめなら他もだめであろうと思い、かつて礼氏の書物を手がけてくれていた平凡社から自費出版することにしたのだという。全八巻が完結したのは、昨年であったという。
 宣伝も十分でなく、世の中の反応は勝畑耕一「『伊藤整日記』全八巻を読む」(「風の森」・JCA出版)以外にほとんどなかったという。その縁で、「とんぼ」第十六号に寄稿したもののようだ。
 作家・伊藤整といえば純文学派の重鎮でロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳での裁判沙汰や、ジョイス論など活躍したものだが、亡くなってしまうとその名声も時代の波間に浮沈するものになるようだ。
 なお、「伊藤整日記1〜4 伊藤整著、伊藤礼編」については、読売オンラインに書評がある。《「人間観察・鋭いまなざし」評・苅部 直 政治学者 東京大教授
 ちなみに伊藤礼氏は、「詩人碁会」合宿で優勝したことがある。《参照:伊藤礼氏が「詩人碁会」2019春の奥多摩合宿で優勝

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