040910「有鄰」【吉本ばななの文学/若者の話し言葉的文体の開拓者】《金田一秀穂》
日本語研究の金田一秀穂・杏林大学外国語学部教授が、現代の小説の文体が話し言葉に一致してきているかどうかを、吉本ばななの文体で検証する論「ばななの日本語」を寄稿。なかで、伝統的な文章作法では、擬音語や擬態語を頻繁に使うことは、文章を安っぽくさせ、品位を落とすと、否定的であった。井伏鱒二の作品には、ほとんど使われていないと指摘。
しかし、吉本ばななの文体を「キッチン」で見ると、「冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。」「まず、台所へ続く今にどかんとある巨大なソファーに目がいった。」「濡れて光る小路が虹色に映る中を、ばしゃばしゃ歩いていった。」
など、擬音語をひらがな化して躊躇することなく使用している。
これは、自己の感覚をそのまま言語音に変換させたもの。分節性、理論性をもたない、意味性を説明しにくい事柄。
文章家であれば、そのような得たいの知れない感覚を無理やりにでも言語化するのが、技の見せ所であり、それこそが小説言語の成すべきことと考えられていて、擬音語、擬態語でなにかを表すことは、幼稚な方法であるとされてきた。その他、「よく」という話し言葉で使用される言語の文体への多用、縦書きのアラビア数字の使用、同じ言葉を繰り返すこと、文体の突然の変化など、伝統的な文章作法でタブーとされていたものを、気にかけないことで、現代若者の日本語感覚と思考方法の特徴を示しているとする。 ―「文芸研究月報」2004年10月号(通巻46号)より―
日本語研究の金田一秀穂・杏林大学外国語学部教授が、現代の小説の文体が話し言葉に一致してきているかどうかを、吉本ばななの文体で検証する論「ばななの日本語」を寄稿。なかで、伝統的な文章作法では、擬音語や擬態語を頻繁に使うことは、文章を安っぽくさせ、品位を落とすと、否定的であった。井伏鱒二の作品には、ほとんど使われていないと指摘。
しかし、吉本ばななの文体を「キッチン」で見ると、「冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。」「まず、台所へ続く今にどかんとある巨大なソファーに目がいった。」「濡れて光る小路が虹色に映る中を、ばしゃばしゃ歩いていった。」
など、擬音語をひらがな化して躊躇することなく使用している。
これは、自己の感覚をそのまま言語音に変換させたもの。分節性、理論性をもたない、意味性を説明しにくい事柄。
文章家であれば、そのような得たいの知れない感覚を無理やりにでも言語化するのが、技の見せ所であり、それこそが小説言語の成すべきことと考えられていて、擬音語、擬態語でなにかを表すことは、幼稚な方法であるとされてきた。その他、「よく」という話し言葉で使用される言語の文体への多用、縦書きのアラビア数字の使用、同じ言葉を繰り返すこと、文体の突然の変化など、伝統的な文章作法でタブーとされていたものを、気にかけないことで、現代若者の日本語感覚と思考方法の特徴を示しているとする。 ―「文芸研究月報」2004年10月号(通巻46号)より―