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カテゴリ: 文芸同志会のひろば

 〜「無名作家の日記」について〜  ☆

 この終わり方は、今で言えばニヒリズム、負け惜しみのような感じを受けるかも知れない。菊池寛の作家凡庸論はこうした経験を通じて得た教訓から、ニヒリズムを克服するものとして、論じたものであろう。
 それにしても、文壇への実質的デビュー作となった、この作品に宇宙論として、地球の未来に向けての科学者の予言を持ち出すこと。彼の啓蒙家として総合的教養力の秀逸さを示すものである。
 ともかく、作家修業をしても、職業作家になれる人となれない人がいるのであるから、その競争社会から距離を置いて、「平凡人としての平和な生活」の道を生きるのが健全な人生「本当の人生」があると説くのである。
 これは資本主義的な個人の自由な能力競争社会に入った近代社会への警告とも読める。同時に、近代(モダン)社会と個人存在意識の問題提起になっているのである。
 時代は日本社会の近代化の急激な変化があり、夏目漱石に代表されるように、西欧文化の消化が最大の課題であったろう。それまでの伝統文化と言葉があるために、近代社会への転換に西洋思想の翻訳や翻案がしきりに行われた。
 日本語に翻訳された西洋思想で、日本の思想というものが試練を受けた時代であった。
 また、社会の近代化の象徴は、西欧の発達した自然科学であった。ダーウィンの「進化論」では人間の特権階級の意識を変えた。
 これは動物と人間の差別だけでなく、人間社会の階級制度にも影響したであろう。
 大衆の無意識のなかに、「上流階級の人間は生まれながらのものではなく、下層階級とされる人間でも、進化すれば上流階級になってもおかしくない」という思想をもたらした。
 相対性理論のアインシュタインも出現した。自然科学の進歩と成果に刺激されて社会科学思想というジャンルが強化された。マルクスの「資本論」、フロイドの「精神分析論」など、どういうわけかユダヤ系の人が多い。このことによって、近代(モダン)社会は、物事に客観的な真理というものがあり、人間の英知によって社会は進歩し繁栄する方向に向っているという意識が生まれた時代であった。人間の存在論が、自然や人間同士の関係性について、分析研究が進んだ時代であった。
 マルクス主義思想には「資本主義は本質的に根本的な矛盾を内在させており、生産関係や社会制度を変えていけば人間社会はきっとよくなる」という考えがある。菊池寛はこの時代の空気に敏感であった。そして、社会制度を超えたものとして、その精神の基盤を「真・善・美」という命題に置いた。
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。 

         ☆
 「無名作家の日記」という作品には、菊池寛が文芸同人誌に作品を発表して作家を目指した時代の経験が題材に使用されているだけで、当時においてどのような解釈がされたかは知らないが、現在読めばテーマは社会的な立身出世の意欲と個人の能力の葛藤であろう。
 当時は、同人誌に作品を発表し、それが大学教授や編集者の眼にとまれば、大部数を発行する雑誌に採用されたのである。
 当時、夏目漱石の亡き後、門下生である久米正雄たちについて、作家同士の反目や誹謗中傷があったそうである。
 「無名作家の日記」で、その結末はどうなっているか見てみよう。

菊池寛の小説「無名作家の日記」より
 ×月×日
 「もう「×××」がでてから、二カ年半になる。「×××」はもうとっくに廃刊してしまった。が、山野や桑田や岡本や杉野は作家として立派に登録を済まして「×××」同人として文壇を闊歩している。ことに、山野は一作ごとに文壇を騒がして、今では押しも押されぬ位置を占めてしまった。
 俺と彼らとの距離は、もう絶対的に広がってしまった。かえって、こうなると、もう競争心も、嫉妬も起らない。俺は彼らが流行作家として、持てはやされる事実を、平静に眺めていることができる。一人の天才が生れるために、百の凡才が苦しむことが必要だ。山野や桑田などが、持てはやされる陰には、俺一人ぐらいの犠牲はむしろ当然かも知れない。が、永久に無名作家として終る者は、俺一人ではあるまい。千五百枚の長篇が完成したかどうかは、きいてみないからわからないが、佐竹君は相変らず暗い顔をしている。そうして、文壇に新進作家が出るごとに、猛烈にけなしつけている。同人雑誌をけなしつけた吉野君も、相変らず健在である。が、あの人の創作が、相当な文芸雑誌に載ったことはまだ一度もない。
 文壇においても、運がある点まで、重要な働きをしているのだ。そうでも思って、俺は諦めているのだ。が、俺はもう文壇について、考えることはよそう。作家としての生活以外に意義のある生活がないように思っていたのは、俺の迷妄だ。
 俺はこの間、ヴェルレーヌの伝記を読んでいると、あのデカダンの詩人が晩年に「平凡人としての平和な生活」を痛切に望んだという事実を知って、俺はかなり心を打たれた。俺のように天分の薄いものは「平凡人としての平和な生活」が、格好の安住地だ。学校を出れば、田舎の教師でもして、平和な生活に入るのだ。
 流行作家! 新進作家! 俺は、そんな空虚の名称に憧れていたのが、この頃では、少し恥かしい。明治、大正の文壇で名作(クラシックス)として残るものが、一体いくらあると思うのだ。俺は、いつかアナトール・フランスの作品を読んでいると、こんなことを書いてあるのを見出した。
(太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいる蚯蚓(みみず)は、案外生き延びるかも知れない。そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻は蚯蚓にわらわれるかも知れない)なんという痛快な皮肉だろう。天才の作品だっていつかは蚯蚓にわらわれるのだ。まして山野なんかの作品は今十年もすれば、蚯蚓にだってわらわれなくなるんだ。ー完ー(「青空文庫」より)  
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。 

 まさに、この時代の空気がここにある。作家になるのは才能のある選ばれた人であるという概念が示されている。
 現代の同人誌の仲間でこのような疑問を持っている人は、どれだけいるであろうか。おそらく皆無であろう。菊池寛の作家凡庸主義が、現代において埋もれているのは、それが当然の理で、いまでは当たり前のこととなっているからだと解釈できる。この小説には、同人誌作家で市販の雑誌に採用されないのを不満に思い、それらの商業雑誌をくだらないとけなす男が登場している。今もそういう同人誌作家も少なくないのではないか。
 菊池寛が「無名作家の日記」で、無名のまま世間に埋もれる作家志望者の心理を描いて作家として文壇に認められたのは皮肉である。当初、この作品を読んだ編集者は、菊池寛の友人である芥川龍之介との関係を描いたのではないか、と心配したそうである。
 次のような部分がそれであろう。

菊池寛の小説「無名作家の日記」より
 「俺は、今日東京の山野から、不快きわまる手紙を受け取った。それは、俺に挑戦し、俺を侮辱し、俺の感情をめちゃくちゃに傷つけてやろうという悪意にみちた手紙だ。文句はこうだった。
(どうだい! ばかに黙っているね。京都にも、少しは文学らしいものがあるかい。僕たちこっちにいる連中は、もう今までのように、ただぼんやり外国文学の本などを、弄(いじ)り回すことに飽いてしまったのだ。僕たちが、高等学校時代に神聖視していた「文学研究」なども、考えてみればくだらないことじゃないか。僕たちは自分で創作しなければ嘘だ。創作は黄金だ。ほかのすべては銀だ。否、それ以下の銅か鉛かだ。僕たちは、もうじっとしてはおられないのだ。高等学校時代のように、いつまでも呑気に構えられてはおられないのだ。僕たちの計画は、もうすっかり決っている。僕たちは、来年の三月から、同人雑誌を出すのだ。同人の顔ぶれは、桑田、岡本、杉野、川瀬、それに僕、このほかに僕たちより一年上の井上君、芳島君が加わる。雑誌の名は多分「×××」と付くだろう。三月の一日に初号を出す。出版元は日本橋の文耕堂だ。もう、皆は初号の原稿に忙しい。締切は一月三十日限だ。まあ刮目して、僕たちの活動ぶりを見てくれ給え。僕たちは本当に黎明が来たという気がする)
 おしまいまで読み終った俺は、烈しい嫉妬と憤とを感ずると同時に、突き放されたような深い淋しさを、感ぜずにはおられなかった。
 この手紙のどこにも、君も同人になってはどうかとか、君も書いてはどうかというような文句は、破片さえも入っていないのだ。すべては山野の遊戯的な悪意から出た手紙だ。同人雑誌の発行を、凱旋的(トライアンファント)に報じて孤独に苦しんでいる俺を、あくまで傷つけてやろうという彼の性質(たち)の悪い悪戯だ。同人に加えない俺には、少しも必要のない初号の締切期日などを報じて、俺を苛だたしてやろうというあいつの悪意が、歴然と見え透いている。(中略)
 同人雑誌の出版! それはどんなに華々しいことであろう。文壇に時めいている我々の先輩たる川崎も、矢部も、辻田も、初めは雑誌「×××」の同人としてその若々しい名を、文壇に認められていったのだ。山野や桑田が認められる順番も、もう決して遠き未来ではない。山野、桑田はもちろん、俺とは天分において、あまり相違はないと思われる岡本や川瀬や杉野でさえ、これでもう的確に、文壇に打って出る第一歩を踏み出しているのだ。しかるに俺は、山野が手紙の中にあれほど軽蔑した「文学研究」を唯一の本領として、独りぼっちで、捨てられているのだ。」(「青空文庫」より抜粋)

ーー無名作家が文壇への登竜門とした同人雑誌ーー
 当時は有志の文学仲間と同人雑誌を作って、大学教授や評論家、雑誌社に送ってそこから編集者が新人を拾い上げるということが作家になる道だったようだ。『無名作家の日記』ではそれを次のように描く。

菊池寛の小説「無名作家の日記」より
(前略)「が、俺はこの頃、つくづくある不安に襲われかけている。それはほかでもない。俺は将来作家としてたっていくに十分な天分があるかどうかという不安だ。少しの自惚(うぬぼれ)も交えずに考えると、俺にはそんなものが、ちょっとありそうにも思われない。東京にいる頃は、山野や桑田や杉野などに対する競争心から、俺でも十分な自信があるような顔をしていた。が、今すべての成心を去って、公平に自分自身を考えると、俺は創作家として、なんらの素質も持っていないように思われる。
 俺は、文学に志す青年が、ややもすれば犯しやすい天分の誤算を、やったのではあるまいかと、心配をしている。このことを考えると嫌になるが、青年時代に文学に対する熱烈な志望を語り合い、文壇に対する野心に燃えていた男が、いつが来ても、世に現れないことほど、淋しいことはない。俺も彼らの一人ではあるまいかと思う。」
さらに、
 「昔から今まで、天分の誤算のために、身を誤った無名の芸術家が幾人いたことだろう。一人のシェークスピアが栄えた背後に、幾人の群小戯曲家が、無価値な、滅ぶるにきまっている戯曲を、書き続けたことだろう。一人のゲーテが、ドイツ全土の賞賛に浸っている脚下に、幾人の無名詩人が、平凡な詩作に耽(ふけ)ったことだろう。無名に終った芸術家は、作曲家にもあっただろう。俳優にも無数にあっただろう。一人の天才が選ばれるためには、多くの無名の芸術家が、その足下に埋草となっているのだ。
 無
名の芸術家でも、その芸術的向上心において、芸術的良心において、決して天才の士に劣っているわけはないのだ。彼らの欠点はただひとつである。それは彼らの天分が、どんなに磨きを掛けても輝かない鉛か銅であることだ。
 こう考えてくると、俺は堪らなく自分が嫌になる。俺は、どうして創作家になることを志したのだろうか。どうして文学を志したのだろう。それを考えると、俺はいつも、自分のばからしさに愛想が尽きる。」(「青空文庫」より抜粋)(この項つづく)
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。 

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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。ーー 
 自由競争によって、勝ち残り選ばれたものと、敗者となって選ばれなかった普通人の立場に視線が及んでいる。
 ここでの「作家凡庸主義」の現代的な意味を整理してみよう。ここに三つの人間的欲望を混交させて論じているために、相互矛盾を内包している。
 まず、他人の作品を読むより、自ら書いた方が楽しいーーという主張は、当然である。人間は言葉と文字を発明した。現在進行中の自分の行為を文字によって定着し、自己認識をすることは、人間的欲求の根源である。人間が日記を書くのは、他人のためでなく自分のためである。
 この原則をもって書くことの楽しみは読むことより優れていると、単純比較するのは、適当ではない。多くの作家は優れた作品読むことで、創作精神に目覚めていることを語る。また、自ら書くことで、優れた作品の読解力を高め、人間的な認識を深めることが出来る。読むことと書くこととは、対立することではなく、連係関係にある。
 さらに、菊池寛の「作家凡庸主義」の根底には、人間社会の歴史は、自由を求める精神が社会を段階的に発展させる過程であるという思想がある。人間は新たな経験を積むことで、意識がより高次な世界観を獲得していくという過程を前提としている。人類は進化し変化するというダーウイン進化論や、哲学者ヘーゲルの思想の影響が見て取れるのだ。
 そこに、文学の有効性みている。そして、人間は「価値ある私でありたい」という自我の欲望をもっていること――。同時に自分をそうしたものとして他者か承認してもらいたいという「承認への欲望」を持つ。この二点を統合する価値感として「真」「善」「美」の原則への限りなき接近を求めているのである。
 その観点から、文芸におけるカラオケ化現象をどう見るのか、そこを考えてみよう。
 菊池寛は出世作『無名作家の日記』で、作家になる人となれない人の違いを天性の才能が大いに関係していることを題材にしている。
 この時代は現在のように文学賞がたくさんあって、誰でも応募する機会があるような環境にはなかった。菊池寛が後年に芥川賞・直木賞を創設して、作家への登竜門としたほどである。

菊池寛の文学論【人生案内】
 社会が複雑になって行くにつれて、社会文化が微細になり、多岐になってゆく。社会が分化(ディフェレンシエート)して、職業が分業的になり、部分的な狭い分野に限られてくると、ますます社会とか人生とかに対する人々の視野は狭められて、認識不足が出来てくる。また分化作用が激烈になって、会社を経営する才能はあるが、人生についての認識なり、理解が零の人間や、人間の心理の動きにはまるで無関心な男が殖えてくる。技術とか技能万能主義になってしまって、世はますます偏向者に満ち溢れる。
 然るに文芸の世界ではあらゆる人生が描かれている。現代ばかりでなくあらゆる人生、社会が描かれているから、文芸によって人生を研究するのが、一番正しく、一番簡単な方法である。人々の生活は如上のように非常に狭くなっているが、文芸の世界に一歩踏み出せば、どんな人生でも総てのことが出ているから人生の本当のことが解かる。
 文芸を研究すれば、自然に自分の生き方がはっきりしていくと思う。所謂文学的な見方、感じ方で人生を見たのでは、本当の人生は解からず、同時に本当の文学も解からぬのである。(「日本文学案内」より―目次「第一・文学とは何ぞや」の「一、人生案内」の項を抜粋)

           ☆

 菊池はここで、近代資本主義の本質を見抜き、その社会と人間心理を文学で学べば、生きがいを失うことはない――と説くのである。
 社会の多様性への対応課題が意識され、芽生えていることを指摘している。まさにモダニズムのなかのポストモダン的な要素である。こうした発想のもとに、菊池寛の「真・善・美」という価値観が反映されている。文学で「人生の本当のことがわかる」というのであるが、この「本当の文学」や「本当の人生」というものが、どのようなものなのか、現代ではそうたやすく示せる時代ではなくなっている。そこに現代社会における文学の混迷があるといっても良い。
 菊池寛の作家凡庸主義の主張は、ある矛盾をはらんでいる。だれでも考えることだが、作者の表現意欲の発揮、つまり創作過程のよろこびと、その作品の完成度とは関係がないということだ。
 私たちは、お金を出して本を読むのなら良い作品を読みたい。つまらない作品は読みたくない。それは映画でも音楽でも同じだ。平凡な作品よりも名画や名曲を鑑賞することに価値を感じる。
 であるから、作家凡庸主義を前提としての作品の鑑賞には一向に同調できない。そこには、素人のカラオケの歌唱力を重視し、自己満足的な欲求をもって善とする前提がある。これはたしかに、その人にとって「本当のこと」である。
 しかし、天性の美声をもった歌の巧いプロの表現力を味わうよろこびと、同等に評価するというのは間違いであろう。才能があるひとの優れた作品もまた読者を満足させる。よいものは良いというのも「本当のこと」なのである。
 そのことを菊池寛が感じない筈はない。実は作家凡庸主義には、彼の天性の才能にたいするこだわりがある。
 それは「それかと云って自分は、凡ての人間に作家たれと言うのではない。文芸の仕事が、特殊の選ばれたる少数者の仕事であると云ったような謬見を打破したい為である。創作のよろこびを享くる事が、凡ての人の特権であり得ることを言いたいのである。芸術が人類一般に開かれたる仕事であって、天才だとか才子だとか云う者の、占有物でないことを力説したいのである。」という主張にも表されている。
 これは封建主義社会から近代社会になって、階級社会から脱却し、平等主義の思想が広まった時代であることに関係があると思う。貴族的な選民主義への反発心と重ねられている。
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。 

 ー文芸創作のカラオケ化とネット情報時代ー              
 ここに見えるのは文学のカラオケ化への肯定的な思想である。とくに、才能のある者だけが文学的な創作をするということは「そうあってはならないこと」と、断言していることに信念の強さが表れている。それだけでなく、小説は才能に関係なく、誰にでも書くことができると、説いている。現代に至って、商業ベースに乗った作家の世界、いわゆる文壇と自らの費用で発行する文芸同人誌作家の棲み分けを予言している。
 また「天才なり大家なりの作品を読んで、自分自身を見出すよりも、どんなに貧しくても、自分自身を核心として、自分自身の作品を生み出す方が、どれほどやり甲斐のあることだか分からない」としている。
 彼の文学の観賞と創作の思想がある。創作によって自分自身を見いだすことに価値を置いている。
 ただし、これは創作の「過程の喜び」について述べており作家が凡庸でも良いとするような論理とは別ものであろう。
 スポーツでも見物する楽しみと、自らプレイする楽しみは両立する。
 文学至上主義、芸術が特別才能がある人だけのもの、という印象をもっていた時代であるための論理である。
 菊池寛は、二〇世紀のはじまりにいた。だから、その文学観というものが、十九世紀的そのものであろうと断定するのは、大いなる誤りがある。
 「変わった感覚や突飛な感情や、数奇な生活などが作品の題材として珍重された時代は過ぎかけている。芸術は平凡人が平凡に観、平凡に生活した記録であって一向差し支えがない。平凡な一般の読者にとって、一番心を動かすものは、自分と同じく平凡な人間の姿ではあるまいか」と説くところに、すでに現代文学の行く先を見通した思想が見えるのである。
 この傾向への指摘は、純文学世界の読者層が、微細な感覚をもって個人の内面を読みとれる能力を持つという前提にした作品評価への傾向を示唆している。文学作品の正しく読み継ぐことを重視する世界である。こうしたミニマム化文学への方向性を見ると、今に通じるのである。
 現代のインターネット時代におけるウェブログやツィッターなどの普及は、人間的欲望の実現のツールとして活用されている。いまやウェブサイトでは、職業的な評論家や作家と同じ情報空間において、自由に主張や世界観が論じられている。
 菊池寛は、現代のコミニュケーション技術は予見していなかったにしても、人間の普遍的な欲望そのものをしっかり見据えて揺るぎなかったのである。
 ここで、菊池寛の活躍した時代を考えてみよう。それは日本が前近代的(プレ・モダン)な社会から近代的(モダン)な社会に変貌する時代であった。思想でいえばヘーゲルからマルクス主義、ニーチェ哲学などの知見が導入され、その後にポスト・モダン思想が現代日本に入ってきたことになる。

 日本は西欧の産業革命が進展し、それを導入した時代であった。紡績業など工業生産で、輸入より輸出が上回るようになった。日清戦争の賠償金と遼東半島還付の代償として清国から三億六千万円を獲得し、軍事力の強化に充てたのである。
 その後の第二次世界大戦では、日本は連合軍に敗北。その時、戦勝国側であった中国は日本からの賠償金を放棄した。空襲と原爆投下で壊滅的な打撃を受けた日本が、奇跡の復興を遂げるなどということは、考えもしなかったのかも知れない。
 その時の中国側の論理は、戦争を起こしたのは軍部の指導者であり、日本民衆はその被害者であった、というものであったようだ。現在の日本の指導者の靖国神社参拝を問題にする一因であろう。
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菊池寛の文学論【作家凡庸主義】
(承前) 自分以外のどんな天才が作った広大壮麗な芸苑の中に、はいって行くよりも、自分自身で(他人から見ればどんなに貧しくても)自分自身の花苑を作るほうがどんなに楽しいか。自分はどう考えて見ても、享受するよりも、創造する方が、どれほどよろこばしくやり甲斐のある仕事であるか分からないと思う。
 何人も自分の作品が活字になった場合、それと同じ誌上にどんな天才者や、大家や、流行作家の物が載せられて居ようとも、まず第一に読み始めるものは自分自身の作品ではなかろうか。それが一句の俳句であり、歌であっても自分の作った物の方がどれほど我々の心を躍らすか分からない。
 天才なり大家なりの作品を読んで、自分自身を見出すよりも、どんなに貧しくても、自分自身を核心として、自分自身の作品を生み出す方が、どれほどやり甲斐のあることだか分からない。
 だが然し創作をするのには、特殊な天分が要ると戒められている。凡庸に生まれついた者は、ただ享受鑑賞だけで辛抱せよと戒められている。が、創作には果たして特殊な天分などがいるだろうか。
 主観的に創作のよろこびをもつためには、特殊の天分などのいらないことは、明らかだ。天才詩人が、詩を考えて居る時の心持と、凡庸作家が詩を考えている心持とは、その主観的部分では、そう変わっているとは思われない。芭蕉が一句を得た時のよろこびと、名もない市井の俳人が、一句を得た時の欣びと何等の相違があるとは思われない。まして、職業的な作家が創作するよろこびなどよりも、無名作家なり、文学青年なりが、創作の時に感ずるよろこびのほうが、どれほど純で大きいか分からないと思う。
 創作のよろこびは、どんな貧しい天分の者にでも、享け得られるよろこびだと自分は思って居る。が、然し、そうして主観的に創作のよろこびを享くると同時に、客観的にも他人を動かすような作品を創る事、換言すれば作家として文壇に立つ為には、特殊な天分がいるだろうか。自分は、そうするためにも、特殊な天分が入用だとは思わない。どんな凡庸な人間でも作家になれないことはないと思う。
 天才や非凡の機智や才気煥発たる才人の作品を珍しき宝玉のように、持てはやす時代は過ぎている。少数の天才や才人だけが、創作の権利を壟断(高い丘の、たちきったようにそびえた所の意から、権利や利益をひとりじめにすること)した文芸の貴族趣味は過去のことだ。天才がその非凡な空想を縦横に描き出すと同時に、凡人がその平凡な、然しながら平凡なる万人に共通な空想を、コツコツと描くことが許される時代なのだ。
 変わった感覚や突飛な感情や、数奇な生活などが作品の題材として珍重された時代は過ぎかけている。
 芸術は平凡人が平凡に観、平凡に生活した記録であって一向差し支えがない。平凡な一般の読者にとって、一番心を動かすものは、自分と同じく平凡な人間の姿ではあるまいか。そうすれば小説が誰にでも書けるか書けないかということが問題になってきて来るが、前述の如く今は人間が素直で謙虚な心を持ち、人生を正しく観、それを正しく表現する位の技能は、普通の人間は少し努力すれば出来ることと思う。
 それかと云って自分は、凡ての人間に作家たれと言うのではない。
 文芸の仕事が、特殊の選ばれたる少数者の仕事であると云ったような謬見を打破したい為である。創作のよろこびを享くる事が、凡ての人の特権であり得ることを言いたいのである。芸術が人類一般に開かれたる仕事であって、天才だとか才子だとか云う者の、占有物でないことを力説したいのである。(「日本文学案内」―本編は目次上、「第一・文学とは何ぞや」の「三、作家凡庸主義」の項を抜粋)
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。

 ポストモダン思想からからの発想の影響を受けた作家・批評家・哲学者である東浩紀は「観光客の哲学」(ゲンロン ゼロ)の第四章「郵便的マルチチュード」の冒頭で次のように述べている。
――ぼくたちがいま「リベラリズム」と呼んでいるもの、それは要は普遍主義のプログラムである。あらゆる人間にあらゆる権利が等しく認められるべきであり、あらゆる人間のあらゆる尊厳が尊重されるべきだという寛容のプログラムである。ぼくたちは、自分を尊重するのと同じように、あらゆる人間を尊重しなければならない。その論理の起源はカントに遡る。彼は『実践理論批判』で、「君の意思の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という有名な命法を書き記した。――ということなのである。
 こうした無意識の価値観による無言の規律を維持する様相が変化してきたのではないか。
―子供時代に、社会への生産的活動に参加させられた経験を持つ親世代――それに対し、――まず消費的生活から社会参加した子供世代の若者たちーー。
 この世代における価値観は、まず自己存在の社会的承認の形が全く異なっていた。それがまさに「旧人類」と「新人類」の世代断絶のもとであったのではなかろうか。
 同時に一九六〇年代は、マルクス主義思想による、社会の発展段階における階級社会意識を重んじた思想構造があった。
 それが資本主義社会の高度化によって、実感に沿わないものになってきている。
その流れに乗って、人間のものの見方が「所属する社会に全面的に影響されるもので、別の社会構造になれば別の見方をするものだ」という相対的な視点での、構造主義思想が西欧から入ってきた。
 さらにそれがポスト構造主義やポストモダンという、複雑化細分化した思想体系が生まれてきた時代の境目にあったと、考えられる。
ちなみに、この世代間分離の発想は、内田樹「下流志向―学ばない子どもたち働かない若者たち」(講談社)と、岩村暢子「日本人には二種類いる」(新潮新書)に記された現象事例を、思想論風に合成したものである。
 このように現代社会は、「旧人類世代」と「新人類世代」の同居する時代であるという認識の上で、次の項において菊池寛「日本文学案内」の各章を、必要に応じて編集し、現代的テーマにそって、順不同で紹介し、解説をしていきたい。
ーー菊池寛はこう説く。;
 菊池寛の文学論【作家凡庸主義】
 芸術――この場合特に文芸――に携わるためには、特殊の天分が必要であるように言われている。気質なり感覚なり感情なりに、特殊の天分がなければ、文芸は携われないように言われている。そして多くの人達が、天分がなくして文芸に携わることの誤ちを警告し、またそうしたために起こった凡庸作家の悲哀を語っている。
 しかし、果たして、そんなものだろうか。文芸とは選ばれたる少数の人のみが携わるべき仕事だろうか。凡庸に生まれついている人間は、ただそうした少数者の仕事を指をくわえて見物し、彼らの作品を有難く拝見していなければならないものだろうか。
 自分はそう思いたくない。また、そうあってはならないものだと思う。
 選ばれた少数者のみが、創作のよろこびを享受することが出来、取り残されたる多数は、ただその少数者の作品を、鑑賞することしか、許されていないとすれば、芸術が人生に存在している有難さの過半は、台無しになっていると思う。
 自分は思う。芸術的の気質がどんなに乏しい者でも、感覚が鉛の如く鈍重である者でも、感情が豚の如く痴愚である者でも、どんなに心の貧しい者でも創作に興って一向差し支えないものだと思う。創作の欣びと、鑑賞の欣びとを比べて見れば、陰と日向のようなものだ。どんなに天分の貧しい者でも、遠慮して陰にのみ座って居る必要はないと思う。
 どんな天才の作品を読むよりも、――ゲーテだとか、ダンテだとか、シェイクスピアだとか、近代の色々な天才を束にして挙げてもいいが――自分で一句の発句を作り、一首の歌を詠む方がどんなに楽しいか。どんなに、その作品が、他人から貧弱であっても、自分の物を、一行でも書くほうがどんなに楽しいか。
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。

〜〜 子どもの社会参加における労働生産者とはじめてのお使いの時代差 〜〜
 農民たちが都会に移行していた当時、菊池寛の時代感覚の細部まで受け入れられるのは、1960年代までに少年少女時代を過ごした世代までであろう。
 私自身、1942(昭和17)年生まれである。少年時代の家業が東京湾での漁師であったため、中学時代に漁の最盛期には、休日などは、父親とともに漁船に乗って出漁し、仕事を手伝わされていたのである。
 また、中学校時代の同級生であった花屋の息子は、学校の授業が終わると、夜に親と一緒に銀座に連れていかれた。そこで通勤帰りの若い女性をみつけ、すぐさま駆け寄って、「花をかってくれませんか」と声をかけることを親に命じられ、売り上げに協力したという。学校ではいかつい体格をした悪ガキ大将だった男が、「それが恥ずかしくて、恥ずかしくて、あんな辛いことはなかった」と後のちまで、語っている。
 また、文学活動を通じて知り合った同い年の友人は、親が満州からの引揚者で、仙台に住み、中学卒業後、15歳で親から親類に近かった商店に丁稚奉公をさせられている。
 これは当時多かった敗戦による資産喪失に直面していた家庭の場合だが、例え裕福であっても、何らかの家事の手伝いはさせられていた筈である。
 その時代の子供たちは、「なぜ、自分がそれをしなければならないか?」と親に問うことはなかったはずである。それは社会的な構造のなかで自明の理であったからである。
 しかし、1960年代以降、経済成長と人口増により、第一次産業の農業地帯から労働者が移住し、働く人の50%がサラリーマンとなっていった。
 1975年には、75%がサラリーマンになる。封建主義の時代小説には、武士や侍や農民がサラリーマン化して登場しても、違和感を訴える声は出ない。それは、すでに家族にとって役立つ、子供の存在感は、労働による家庭への貢献ではなくなった。家庭での存在感が変化していた。
 こうした家庭の子供たちに、家業を手伝う機会はない。また就業規則がない丁稚奉公という制度も消滅していった。つまり、この年代以降の子供たちは、社会の生産的活動に参加できなかったし、しなかった。そのかわりに家事手伝いはできたかもしれない。それはしかし、母親の台所の手伝いや、頼まれた「お使い」くらいであったろう。「はじめてのお使い」というテレビ番組がヒットしたのも、この時代だからこそである。
 これは、とりもなおさず、生産活動で労働力として社会参加した親のもと、その子供たちは、消費者であるお客様としての社会的待遇を受けているということだ。彼らは、商品選びにあたって、価格に比較してどちらが、役立つか目利き能力を鍛えられるようになる。
 販売者側のおもてなしを受けて育つた子どもたちは、金を持つことは、自分の存在承認感覚を肥大させることだと学ぶ。学校へは授業料を払う消費者意識を持ちこむ。おもてなしを受けるべきという意識。そうして大人になってきた。
 社会の変化が、子供たちの生活意識に影響し、学校でも「この勉強をすると何の役に立つのか」や「なぜ人を殺してはいけないのか」という直接的功利意識にそぐわない物事に疑問を呈するような発想を抱かせるようになった。
 人間社会で、人として、やってよいことの基本は、「全員がそれと同じことをしても、社会が成立する場合のみである」という真善美の原理を実感として理解できなくなったということを示している。交通信号を誰も守らなくなったら、社会は混乱する。行列を無視すれば争いが起きる。
 カントにしても、サルトルにしても、この原理を前提に理論を構築している。現代の親たちが、これに対するきちんとした回答ができないということは、現代は、大人でない親が存在する時代になったということだ。
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。

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