暮らしのノートITO

伊藤昭一ジャーナル★運営「文芸同志会」「文芸同志会通信」&「詩人回廊」運営。  

カテゴリ: 文芸同志会のひろば

 難聴になったので、過去の出会いで、詩人・坂上清が難聴であったことを思い起こしたのである。彼は故人となったが、なぜか、自分も遠くなく故人になる段階を歩んでいることへの実感がでてきたわけである。
 坂上さんは、ある時、「コスモス」忌の集まりがあることを教えてくれた。さらに「たしか、長谷川龍生氏が大阪からくるときいたな」という。
 アナーキズム精神の詩人・秋山清「コスモス忌」には、さざまな縁にふれた詩人・評論家がコスモスの季節がくると、この詩人を偲んで集うのである。
 龍生氏には、新日本文学の講師をしていたとき、自分は受講生だった。当然ながら、小野十三郎の話が出た。その話がききたくて、受講生になったのである。その後、当然ながら「長谷川龍生・詩集」も読んだ。その時期の龍生氏は学校の校長をしているとかで、知人が多く大変にぎやだったという記憶がある。そこから「コスモス忌」という集いに参加するようになった。
 なにしろ、時代が進むので、みな老いていく。かつて参加者が、次々と故人となっていく過程でもある。
■2011年「第23回コスモス忌」で、佐々木幹郎氏の話を聴く: 文芸同志会通信
■2013年「第25回コスモス忌」小沢信男氏が秋山清を語る : 「詩人回廊」
■2017年バー「風紋」の林聖子氏が森まゆみ氏に父と文壇人を語る(上)
バー「風紋」の林聖子氏が森まゆみ氏に父と文壇人を語る(中)
バー「風紋」の林聖子氏が森まゆみ氏に父と文壇人を語る(下)
 今年は、それが休むことになったそうである。 -----
~~じつは、文芸同志会では、先日、郵便振込口座と銀行口座を止めました。活動機能の低下によるものです。

申し訳ありませんが、パソコンのを変えたところ「詩人回廊」本編には応答ができなくなりました。

第54回農民文学賞の贈呈式に詩人の谷本州子さんと臼井澄江さん」にコメント。
よろしければ、本ブログに投稿をーーー。

 沖縄では23日、沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎えた。多くの一般住民を巻き込み、悲惨な地上戦になり住民は、軍国主義のなか日本軍人に虐待され、さらに米軍の日本兵攻撃によて虐殺された。あれから79年。激戦地となった沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎(いしじ)」をはじめ、沖縄県内各地の慰霊塔や戦跡にはこの日、多くの人々が訪れ、世界の恒久平和への誓いを新たにするーーと、しれっと報道がされるが、人間の凶悪野獣性は、現代も世界各地で発揮されている。
 1942年2月18日に都内で生を受けたある男は、母親から「おまえが生まれた日は、町では提灯行列ができていて、大騒ぎだったよ」と聞かされた。何を言っているか、意味がわからず、妄言だと思っていた。また、名前が昭和元年生まれと同じような名前なのか、と友人に尋ねられた。だが、「さあ?」と男には分からなかった。それが、友人があるイベント(新聞の日だったか?)で、当時の新聞のその日の新聞のコピーを入手した。「出来事だあったよ。昭南島陥落の祝いとある。−−
 男は敗戦直前の独立国「日本」の時代の人間だったのだ。そのため沖縄の独立運動に強い興味をもってきた。
 玉城知事の活動に共感していた。ところが、今回の県議選には13選挙区に75人が立候補。反知事派のうち、改選前に18議席だった自民は公認した20人全員が、2議席だった公明は4人全員がそれぞれ当選したという。知事派では、7議席だった共産党が4議席に減らすなど大きく後退した。自民は約2年後の知事選に向けて攻勢を強める構えだ。
 玉城氏は知事派の過半数を背景に、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について政府と法廷闘争を続けてきたが、記者団に「移設反対(の考え)は揺るぎない」と強調した。また、政府が進める防衛力の「南西諸島シフト」を巡っても、県管理の空港・港湾の自衛隊利用に慎重姿勢を取っている。時代の変遷というものに、逆らうことはできない。
《参照:安部公 房が発表詩の署名を消した時代、羽田は軍事基地だった(上)伊藤昭一
《参照:安部公房が発表詩の署名を消した時代、羽田は軍事基地だった(下)伊藤昭一
《参照:安部公房が発表詩の署名を消した時代、羽田は軍事基地だった(追記)伊藤昭一
関連情報=沖縄戦最大の組織的な激戦地だったと言われる浦添城跡前田高地を巡り、平和の大切さを考えてみませんか

 文学愛好者の文学作品フリマーケットを展開する(一社)「文学フリマ」。大塚英志氏が、文芸雑誌を日本文学の数少ない発表の場であることを憂慮。そのため先行きの不透明さと出版社の文芸雑誌経営赤字化を防止してみる試みを行なった。それが、純文学雑誌の赤字部門である出版社の不良債権化を改善する手立てとして、本来の広い文学市場を見える化してみようと、プロもアマ同じ市場で参加するフリーマーケットを開催した。
 大塚氏は一度だけの試みとしてであったが、その熱意に共感したのが、継続を強く臨んで実行したのが望月倫彦氏である。
 その地道で手堅い運営力によって、ついに東京ビッグサイトを会場にするまで育て上げた。それまでの経緯と展望を明らかにしたのが、「FINDERS」のインタビュー記事である。
☆参照: 20年の歴史を経て来場者急増、次はビッグサイトで開催へ 「文学フリマ」主催者に訊く インディペンデントなイベントの続け方=サムネイル画像は2023年11月11日開催「文学フリマ東京37」の模様(撮影・山本純)ー・ 聞き手・構成・写真:神保勇揮(FINDERS編集部)。
 ☆文芸同志会は、文学フリマに参加の過程で、フリーライターの立場から社会的な視点で、いつかの報道記事を作成してきたので、参考資料とし、下記に記事のリンクを張っておきます。
■関連情報=文学フリマと「ラノベ・ブロードウェイ」
■関連情報=「『超文学フリマ』に観た日本文学の潜在力への挑戦」の概要
■関連情報=「超文学フリマ」幕張メッセ「ニコニコ超会議2」風景から(6)

 コロナ禍が始まるころから、主催者が脊椎狭窄症とかで、歩行が不自由になり、杖を使うようになりました。医師によると、治療法は、人それぞれで、決まっていないそうです。自由がきかなくなったことで、会の運営の規約を変えました。そして12月30日の土曜日には、有力会員の献身的な援助支援により、都内で「詩人回廊プラス」のメンバーのうち四人が集いまして忘年会を行ないました。今年の活動の締めとしました。参加したみなさんは、これからも文章表現の発表に意欲的で、活動をつづけることで、一致しました。活動支援をして頂いた会員の方に感謝いたします。
 また、寄贈頂いた文芸本や同人誌には、なんの御礼のご挨拶もせず、申し訳ありません。
 医師から、脚の不自由さが今後さらに悪化する可能性を指摘され、お金がかかることがわかった。そこで、遅ればせながら、投資でお金を増やすことをしている。以前に兜町の投資顧問をよく取材し、雑誌に記事を書いていた。そのころに証券会社に実体験をしろといわれ、市場動向を知るため株式を持っていました。当時は、1000株が1単位で、放置していたものを、継続していたものの過去の記録などはなくなっていた。証券会社にその話をした。すると、変更事項があると自分に連絡をしていて、それについては、対応しているので、問題ありませんーーとのことだった。
 考えてみれば、フリライター現役のころ事務所を貸してくれていた家主さんが、いつもパソコンの前に座って、アドバイスをしてくれたこともあった。そのころは、企業のマーケティング支援の仕事がメインで、株のことは頭になかった。
 そこで、去年からパソコンで情報収集してみると、かつて自分の株の話の原稿を買ってくれていた雑誌の常連の株投資評論家の二人が、動画で活躍し、地方講演などをしている。時代の変化に対応するのがすごい。それに対し、投資顧問業をしていた人たちは、誰もみあたらない。これも時代の流れであろうか。
 自分は、幸いに去年今年と、いくらか投資金額が増えた。事務所の大家さんは、年収2千万だといっていたが、自分は2千万円もあれば、投資などしないで、それを使って生活する。ーー読者のみなさん、良いお年を〜〜(北一郎)

 なかなか騒がしい世相で、岸田首相が襲撃されたりしている。実行犯の情報がすくないので、しばらく時間が必要であろう。話は,そこにはない。これまで行っていたブログ「文芸同志会通信」で、文芸同人誌紹介を活動停止したので、不思議に思う人もいるようだ。当会は、物を書いて収入にするために、クライアントをを捜したり情報を交換しようと、2000年の11月3日に結成。月刊「文芸研究月報」を発行。主宰のITOはコピーライターをしていた。会員に作家志望のひとがいたので、同人誌に発表した文芸作品についてその感想を書いていた。そのうちに、フリライターの仕事が多くなった。そこで、有料であった月報の発行ができなくなり、代わりにブログ通信にした。すると、会員でないひとでない人が、同人誌を送ってくるようになった。たまたま自分は直木賞作家(故人)で詩人の伊藤桂一氏の門下生であった。そこで、師に同人誌が送られ来る事情を説明したら、「いいことじゃないか。続けたまえよ。」というので、そんなに良いことなのか、と思い直し、継続していた経緯がある。
 そうしたなかで、堀江貴文氏が社長をしていた「ライブドア」が、新聞を発行するという情報を得て、ライブドアのHPを見ると、新聞を発行する前の段階で、ネットニュースの記者を募集しているとあった。試験の受験料は8千円前払い、とあった。面接日の通知があったので、そこでテストを受け、後日外部記者サイト「PJニュース」の記者になった。《参照:PJニュース・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
 活動の中で、PJニュース記者として自己の取材記事を、ブログを作ってアピールすること、という規定ができた。そのため「暮らしのノートPJ・ITO」というサイトを作った。その後「PJニュース」サイトがなくなった。そこで、文芸同志会の活動の中に組み入れたものです。
■関連情報=作家・穂高健一《出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 (承前)しかし、文學が文學以外の目的のために、奉仕するころはその意図からして邪道であるからいい文學ができる筈がなく、同一の目的のために常に同型の主題や人物が描かれるために、一般読者の興味を失い、それに国家の弾圧もあって、今は見る影もなく衰えた。現在では、日本文學は欧州からの新しい刺激もなく、新しい才能のある作家も輩出せず、ただ技巧的に新奇を追っている位で、どちらかと云えば停滞状態にある。
 要するに、日本の現代文學は、欧州の近代文學の圧倒的な影響を受け、それと日本の傳統とが結びついて生まれたものである。
 その中で、日本文學の特色と云うのは、私小説乃至は、身辺小説と云われるものである。
 これは日本の俳句に現れているアキラメに似た静かな気持ちで、非社交的な自己中心の世界に於ける生活を描いた小説である。社会小説とは、凡そ縁遠いもので、自個の日常生活に於ける生き方、心持、もしくは道徳的態度を報告しやとうな小説である。事件は、非常にtrivialである。しかしそこに現れた心持は、可なり深いものである。だから心境小説とも云われている。これは、俳句に現われているような日本人の心持が、近代丈學のRealismの手法や物の見方を借りて、小説に現れたのである。
 こう云う小説では、主入公は、作者の假名に過ぎない。そこには、テーマもなければplotもない、むろん、何のnoveltyもなけれromanceもない。ただ日常生活に起るような事件があるだけである。しかし、その事件を廻って現はされている主人公(すなわち作家)の生き方、心境に深いものがあるのである。現實的な人間の本當の姿が感ぜられるのだ。
 こうした小読は世界申独特なものである。さうして、到底外國の讃者に依つて、その債値が理解されることは、至難であろうと思う。
 しかし、自分は芸術の神様の眼からみれば、相当高く価値されるものだと思っているのである。
 前に、申した通り日本文學は、その要素として、世界のあらゆる文學を受け入れている。フランス文學の傑作は、世界各国のなかで、一番目か二番目には日本へ訳される。英国文學に就いても、ドイツ文學に就いても同じである。
 日本くらい他国の文學を貪食する国民はないのである。しかし、悲しいかな日本の作品は、少しも紹介されていない。それは日本語が至難であるからだ。
 日本には第一人称を現す言葉が、二、三十ある。しかも、その一つ一つが、それを使う人の階級や性格をことになっている。それが一つのI若しくはIchに訳されることは不可能事である。また、雨と云う言葉でも、日本は四季によって、二十いくつの名前がある。そして、その名前の一つ一つがみな文學的伝伝統を持っている。
 春雨はspring rain であるが、しかし「春雨」と云い言葉の中には、日本入は、無限の夢と詩とを感じているのである。
 その言葉そのものが、一つの文學的言葉である。
 あらゆる言葉に就ついて、同じ事を云いえるのである。だから我々は日本文學の翻訳に就いては、絶望している。我々は、この萬里の長城のような日本語を越えて、我々の文學が欧米に理解されるとは思はない。だから、何時が來ても、バーナアド・シヨウは、日本に就いて「圓と武士」としか知らず、我はシヨウの作品を全部読んでいるという悲しい矛盾がつづくものと思っている。(「日本文学案内」、「第三・日本の現代文学概観」を抜粋―)
        ☆
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。
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伊藤昭一=法政大学経済学部卒。フリーライター。直木賞作家・伊藤桂一氏に師事。文芸評論執筆のほか、2013年、北一郎詩集「有情無情、東京風景」(土曜美術社出版販売)

 菊池寛「日本の現代文學概観」
 日本の文壇は、文芸的な坩堝だと思う。ここには、世界各国の文學が投げ込まれて、新しい文学が作られ、また将来においても作られると信ずる。
 ロシア文學は、トルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲェネフ、チェホフをその代表的作家として、日本の読書界を風靡した。
 北欧の文學は、イプセン、ストリンドベリイ、ビョルンソンなど代表的作家として、日本文壇に紹介された。ストリンドベリイのものなどは、一作として翻訳されないでいるものはないだろう。
 独墺文学も、古きゲーテを初めとして、近代のハウプトマン、シュニッツレル、ホフンスタールなど、悉く読まれてまれている。
 佛文學では、モゥバッサンなどは、露西亜のトルストイと匹敵するほど、日本ではファミリアな名前でモウパツサンに対して(モウ澤山?)と云う洒落が生まれた位、日本では読まれた。フロオベルの「マダム・ボヴァリイ」などは、日本の文學青年は誰でも、その名前を知っている。
 ロマン・ローランの「ジヤン・クリストフ」などに就いても同じことが云える。最近では、アンドレ・ジイドが、日本では流行している。
 先年来朝したバーナァド・ショウは、日本に就いては、「圓と武士(さむらい)」と云う二つのことばしか知らないと豪語していたが、我々はバーナァド・ショウの作品は二十年前から読んでいる。その他、オスカー・ワイルドや、ジヨージ・メレヂスや、ジョン・ゴールズワァジイ、最近ではジエイムス・ジヨイスなどは、日本では、随分読まれている。
 米国に就いても、ボォや最近のドライザーやアブトン。シンクレァなどは、可なり読まれ。このように西洋の多くの作家と作品は、無数に日本の文學的坩堝に投げ込まれた。この坩堝はあらゆるもの
 米国に就いても、ボォや最近のドライザーやアブトン。シンクレァなどは、可なり読まれ。このように西洋の多くの作家と作品は、無数に日本の文學的坩堝に投げ込まれた。この坩堝はあらゆるものを貪り喰った。
 しかし、元来この坩堝は、空しい坩堝ではない。そこには、日本の伝統的文學が、可なりの高熱でたぎつていたのである。だから、当然欧州の文學的要素とこの伝統の文學的要素とが、結合したわけである。日本の文學的伝統には、支那から来たものと佛教に依って印度から来たものとがある。だから、現代日本文学位、世界各国の文學的要素を持っているものはないと、私達は信じている。
 欧州文學は日本文學の伝統が加わっている。そこに、日本独特の新しい文學があると思う。それについては、跡で論ずることにする。
 以上述べた作家を通じて欧州の近代文学が、日本にもたらしたものは、
一、Realism(Naturalism)
一、人類愛の思想。
一、新しい小説殊に短編小説の手法。
 その中、自然主義は、ゾラ、モウパツサン、フロオベルなどの作品に依って、日本に紹介され、日露戦争後明治四十年頃に、自然主義の全盛時代を現出した。
 田山花袋、国木田独歩などが、この自然主義が、人生をあるがままに観て、その暗黒面ばかりを見るのに対して、反抗して立ったのが、白樺派の作家である。貴族学校である学習院の出身者の多い彼等は、トルストイの影響を受け、人道主義的理想を以って、人生を描こうとした。
 この中には、武者小路實篤、有島武郎などがいる。
 このほかに、小説の構成、手法などの点に於いて、自然主義に封抗して立った作家がいる。これが新技巧派と呼ばれ、帝大の出身者が多かつた。自分なども、その一員である。自然主義が、人生をありのままに描くため、プロツトやテエマを排斥することにあきたらずらず、プロツトもあり、テーマもある作品を書こうとしだのである。
 これは、いずれも今から二十年前位の出來ごとで、この二つの派の作家は、今でも活躍している人が多い。
 その後に出たのが、ブロレタリヤ文學である。これは、ロシアの共産主義の影響を受けて、入生を階級闘争的に見て、それを描き出すことに依って、社会革命をもたらすことに協力しようとしたのである。(つづく)
        ☆
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。

菊池寛【内容的価値】
 芸術作品を構成している要素は実に沢山あって、それを一々数え挙げることは出来ない。若し仮に幾つかが挙げられるとしたら、それを備えているから、この作品は芸術だと矢張り断言出来ぬだろう。芸術は生命の如きもので、解剖によっても、組成要素の組合わせによっても、到底作り得られるものでも、理解せられるものでもない。だから文学学者の芸術論などはどんなに綿密に論理的に出来ていても一向にぴんと来ないのみならず、面白くないのである。
 だが、芸術家が自分の芸術論とか、一家言を吐くと、仮令(たとえ)それが片寄った議論でも、論理的に間違って居るところがあっても、生き々としたものが感じられ、面白く傾聴してしまう。
 名匠の作はどんなに未完成なものでも、またどんなに粗削りなものでも、神韻縹渺たるものを覚えるのが常だ。然し日本では余りに名匠気質を重んじ過ぎはしないか。本当に名匠ならば、確かに専門家が見ても立派だろうし、素人が見ても心を打つものがあるだろう。だが封建時代の残骸たる名匠気質だけを担っている人を芸術家として尊敬するのはちと如何かと思う。幾ら上手に書いてあっても一向に読者の胸に迫って来ない作品は矢張り作品としての価値は少ないのではないかと思う。
 文壇有数の名家の作品を読んで、うまいと感心する。が、心は動かない。投書家程度の人の書いたまづい短編を読んで、つい心を打たれることがある。
 こんなことは誰でも経験することだろう。描写がうまいとか、文章が巧みだとか、性格がよく出ているとか以外に、文芸作品にはまた別個な価値が存在するのだ。新聞の記事を読んでいても、感動することがある。事実そのものが人を動かすのだ。この人を動かす力は既に一つの価値だと思う。
 自分の「恩讐の彼方に」という小説、あの筋書きは、ちゃんと耶馬溪案内記に載っているのであるが、案内記を読んでも、既に或る感動に打たれるだろうと思う。文藝作品の題材の中には、作家がその芸術的表現の魔杖を触れない裡に、燦として輝く人生の宝石が沢山あると思う。
また、作者の技巧が稚拙であったり、簡潔を欠いたり、つまり表現が未だ未熟でも、その正直さ、誠実さ、真率さに打たれる場合がある。
 自分はこうした意味から、文藝の作品には芸術的価値以外の価値が厳存することを信ずるのである。その価値の性質はなんであるか。我々を感動させる力、それには色々あるだろうが、私はそれを仮に内容的価値と言って置きたいと思う。
 (これは便宜的な言葉である。我々の生活そのものに、響いて来る力として、生活的価値と言ってもよいと思うし、それを仔細に分かって、道徳的価値、思想的価値というように別けてもいいと思う。)
 芸術の組成要素が挙げられないからと言って、芸術を玄妙神秘なものとして扱うのには自分は不賛成である。名匠の鑿の跡を見て感嘆する通人鑑賞家や、巧みな表現や構成だけに感心する、文学に憑かれた批評家は要するに偏見に陥っている人だと思う。
 文芸作品に接するとき、我々が求めて居るものは何かと云うに決して右に挙げたような芸術的評価だけではない。我々は芸術的評価を下すと共に、道徳的評価を下し、思想的評価を下しているのである。
 ただ、芸術的評価だけを下せ、といったところで、そこに人生の一角が描かれている以上、それに対して社会的、道徳的評価を下さずには居られないのである。何らかの思想が描かれている以上、それに対して思想的な批判を下さずにはいられないのである。戯曲の主人公などが、つまらない思想を、懐抱している以上、その性格描写がどんなに巧くっても、その舞台技巧がどんなに巧みでも、軽蔑せずにはいられないのである。
 十九世紀の佛蘭西の詩人アルフレッド・ドウ・ヴイニイは、世間との交渉を絶って、孤高を保っていた。深く詩を愛するために、絶対の孤独を要求したのである。
 彼は自分の書斎を象牙の塔と称した。彼のように象牙の塔に立てこもる人は、芸術家として尊敬はする。芸術的価値、芸術感銘、それも人生に必要がないとは云わない。それも人生をよりよくする。悪くするとは云わない。
 然しそれだけでは余りにも頼りない。余りにも心細い。殊に今はヴイニイの時代ではない。社会は複雑になり、その複雑な社会の中で、色々の部門が深く結びつき合うようになった今日では、一層そんな一元的な価値だけを振りかざしては居れないのである。
芸術それだけが、人生にとってそれほど大切なものかしら。芸術的感銘、それだけで人は大いに満足し得られるかしら。
 自分は、芸術はもっと、実人生と密接に交渉すべきだと思う。絵画彫刻などは、純芸術であるから、交渉の仕方も限られている。(それだけ、人生に対する価値が少ないと思う。)幸いにして、文芸は題材として、人生を直接に取り扱い得るから、どんなにでも人生と交渉し得ると思う。それが画家などに比して文芸の士の特権である。
 自分は芸術が芸術である所以は、そこに芸術的表現があるかないかに依って定まると思う。が、その定まった芸術が人生に対して、重大な価値があるかどうかは、一にその内容的価値、生活的価値によって定まると思う。
 自分の理想の作品と云えば、内容的価値と芸術的価値とを共有した作品である。語を換えて云えば、我々の芸術的評価に、及第すると共に、我々の内容的価値に及第する作品である。
イプセンの近代劇、トルストイの作品が、一代の人心を動かした理由の一つは、あの中に在る思想の力である。その芸術だけの力でない。芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家、真に人間に感動を齎さぬ作家は、象牙の塔に隠れて、銀の笛でも吹いているようなものだ。それは十九世紀頃の芸術家の風俗に過ぎない。(「日本文学案内」、「第一・文学とは何ぞや」「十二、内容的価値」の項を抜粋―)
          ☆
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。 

菊池寛文学論【文芸と自然】
 我々を取巻く自然に如何なる人も無関心ではいない。自然というものは人間を離れて存在するが、これを眺める人々の印象なり、感情は千差万別である。
 心理学では視覚型の人間と、聴覚型の人間とか、どの感覚が発達しているかで、人間の型を分類しているが、自然を見て海や山の景色、それから森や川の景色、花や鳥など、自然の美しさが分かるように思って居るかも知れないが、人によって感ずる力が変わって居ると思う。
 同じ自然に対して視覚型の人は聴覚型の人よりも細かく深く観察するだろうし、もっと広く観察が行き渡るだろう。
 また、美感覚が優れている画家などは、普通に人より美の感受量が多いから、「同じ綺麗な花だな」と思っても、感得された印象は異なって来るのである。
殊に文芸とか美術とか、そういう方面にたずさわる者は、自然の観察に熟練して居り、また知識も豊富になっていて、普通の人よりも一層緻密に眺めることが出来、深いところまで理解することが出来るのである。だから古今の名画や傑作文学は一応読んで置く必要がある。そして自分の感覚や感情を洗練させなければならない。
 鋭い感覚を持っている人や、好い感受性を持っている人が、こうした古今の天才達の作物に接して一層啓発され、洗練されたら、鬼に金棒であろう。
 殊に日本では自然描写にかけては、随分古くから発達していて、万葉に現れ、自然観は今我々が読んでもぴったり来るものがあると思う。万葉には山部赤人のように自然と溶け合おうとして自分の姿を自然の懐のなかに没してしまうような自然歌人が多い。尤も自分を中心としてのその周囲に自然が展開するといった個性的な叙情詩人もあるが、万葉の自然観は現代のような個人意識が少ないから、おおらかな、雄勁なところが如何にも時代の精神と合致して居り、自然美にめぐまれた奈良朝の文化がうかがわれる。
 これに反して芭蕉の句に至ると、透徹した自然観、閑寂の境地が粛然とひらけて、もう根強い個人意識が確立されている。
 ボオドレエルは「私は可見の自然界に於いて猶且つ精神的の表象を求むることを好む」(辰野隆氏訳)と言っているが、自然の香よりも人間臭を愛するボオドレエルの自然観は可なり徹底したものだ。ワーズワースが自然をさして“The anchor my rurestthoughts”と言ったのと全く面白い対照を示すものだと思う。
 時代によって所によって、また人によって種々様々な自然観が生まれてくるものだ。全く自然に興味を持たぬ人もあろうし、自然に引かれる人もあろう。しかし日本は風景や季候にめぐまれた国で、俳句などにも季題というものが喧しく言われている位だから、国民は自然とか気候に敏感である筈だ。そして自然観に国民的な伝統が一番よく現れているのではないかと思う。(「日本文学案内」より「第一・文学とは何ぞや」の「十、文芸と自然」の項を抜粋)
          ☆
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★本論は文芸同志会発行の《参照:「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》の内容を連載するものです。 

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