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文芸同人誌「グループ桂」のひろば

「蛍」三藤 芳 概要紹介「グループ桂」77号

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
  本誌に掲載された作品のあらすじを紹介します。
【「蛍」三藤 芳】 
  主人公の私は、いま北関東の市街地のはずれで、ひとりで美容院を経営しているが、三年前の離婚以来、赤字続きだった。店を閉じて、できれば故郷に近いところに引っ越して、人生をやり直したい、そう思いながらも、逡巡するばかりでなかなか決心がつかない。
  実はその故郷は、二十数年前、思わぬ誤解からひどい嫌がらせを受け、命まで狙われるのではないかと心配した家族の計らいで、偽装勘当というかたちで出てきている。以来、故郷へは祖父の葬式のときに帰っただけだった。
  捨てることもすんなり帰ることもできない故郷。そのどちらにも、子供の時一度だけ見た、忘れがたい蛍の幻想的な光景が深くかかわっているのだった。
                     
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。コメント欄にてお申し込み下さい(非公開方式にします)。文芸同志会★郵便振替口座=00190−5ー14856  

「采女カ原」桂城和子の概要紹介「グループ桂」77号

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
 本誌に掲載された作品のあらすじを紹介します。
【「躍る采女カ原」桂城和子】
 天保四年三月の江戸市中、采女カ原の葭簀張りの小屋で娘義太夫竹乃丞は、春の眠気を押し殺して義太夫を語っていた。小屋は魚や野菜の振り売り人や職人などでいっぱいだ。これらの客の投げるおひねりが収入なのだ。竹乃丞こと梓が十八歳、三味線の定子が十六歳である。三年前母親の義理で始めた義太夫だが、今ではすっかりのめり込んでいる。家業は洗い張り屋で、忙しく仕事している母親や弟にお姉ちゃんは遊んでばかりときつい言葉をかけられるばかりだ。
 義太夫の師匠のところに急ぐ梓は、芝居小屋の一座の京之介をひろった。道にひっくり返った京之介は空腹で立ち上がれないという。梓はおひねりで、屋台の蕎麦などを食べさせた。京之介はくずれてはいるが、厚化粧して、赤い着物を着ている。芝居小屋はもっとおひねりもある筈なのにと訊くと、そこからは逃げてきたという。
 京之介は京の生まれで大火で家も親も失くした。火傷して倒れていた彼に親切にしてくれた行商人に連れられて江戸に来た。そして芝居小屋に入れられた。しかし声変わりにかかると馘になった。また行商人が来て、こんどは化粧され、若衆髷に結わされ陰間茶屋へ売られるところを逃げてきたのだ。まだ十三歳だ。梓が町奉行所へ行こうというと、もう行ったが相手にされなかったという。
 仕方なく手拭で深く顔を隠した京之介を連れて義太夫の師匠を頼った。そこで親切だった行商人は、女衒の俊で、美形の男の子をサラって江戸へ連れてきて、若衆宿へ売り飛ばすのだと聞かされる。しつこく捜すだろうからと、京之介は師匠の家の小女に化けて、置いてもらうことになった。師匠は女衒の悪は許しておけないと動き始める。(佐田尚子)

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長嶋公榮「消される裏面史」(三)の概要紹介「グループ桂」77号

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
 本誌に掲載された作品のあらすじを紹介します。
【消される裏面史】(三) 長嶋公榮
 グループ桂76号では、私、見習いの助産婦岡野陽子は戦時下に組織された、国防衛生隊の一員として、横浜空襲の大爆撃の惨状の中、必死に人の救助に奮闘したあと、ようやく中区の実家にもどった。
 運よく実家は空襲に遭わない一画に残っていた、両親は不在だった。夜になって、軍需工場で働かされている父親が戻ってきた。まず一番に空襲を受け、たくさんな家の焼けた残骸の中、たくさんな焼死体をよけながら、奇跡のように家にたどり着いたという。そのうちに助産婦の母も戻ってきた。重傷の母親から預かったという赤ん坊を抱いていた。私はお乳はどうするのかと心配になる。重傷の母親が背負った雑嚢にミルク一缶、ミルク瓶、オムツが残っていたという。
 親しくしていた三木家の幼子、綾ちゃんとおじいさんが防空壕が焼夷弾の直撃を受けて亡くなったという。町内会の防空壕に、御棺もなく、浴衣を被せられて寝かされていた。やがて町内の人の手でトタン板に乗せられ、自宅の庭に運ばれた、そこで自分たちで火葬する。余りに犠牲者が多く、火葬場は受入れ不能なのだ。私も一緒に火葬の材料に焼け残りの柱などをひろい集めた。
 火葬のあと、国民衛生隊の一員として吉田国民学校で怪我人の看護に当たった。そこで兄の親友で大学生の学徒である雨宮に出会った。雨宮も軍需工場に徴用されていた。母親と妹の行方が判らなくなったという。一緒に避難した近所の人から、崖の上の防空壕に避難するつもりだったが、満杯で入れず、崖のところにうずくまっていたと聞いたという。
 生存の望みは薄く、遺体探しを手伝うこととした。市内のあちこちにある、遺体が集められた場所を巡った、悪臭の中、見るに堪えられない焼死体、水死体を無数に確認して歩いた。早く見つけなければ、動物の死体のように、記録もされず、寺の庭などに掘られた大きな穴に放り込まれてしまうのだ。しかし見つけることは出来ず、ついに捜索は中止した。
 陣痛の始まっている、切迫した産婦を預かることになった。かかりつけの産院が焼けてしまって、陣痛が始まっても行く所がなかったのだ。この産婦高木さんは二時間ほどで男の子を出産した。
 重傷の産婦から預かった赤ん坊のミルクがなくなりかけていた。助産婦の母親が貰い乳の話をつけたという。焼夷弾の破片で負ぶっていた乳飲み子を失くしてしまった若い女性という。町内会の仮事務所に連れて行った赤ん坊は、若い女性の乳房からむさぼるよう乳房を吸った。女性は急に子守歌を歌いだし、実の母親のような面差しで子にほほ笑んでいる。悲しみに心を病んでしまったのだ。(佐田尚子)

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「グループ桂」77号の合評会と同人宇田氏の遺作を鑑賞

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
 「グループ桂」は、師とする伊藤桂一氏の亡き後、約一年をして、門下生による第77号が12月2日に発行された。
 本誌の巻頭を飾っていたベテラン作家の宇田本次郎氏(87)は、寄稿後に突然的に体調を崩し、入院。昨年12月に亡くなったことがわかりました。謹んでお悔やみを申し上げます。
内容目次は下記のようになっています。1月11日に行われた合評会は、宇田氏の人柄と、芸術性の高い文章を弛みなく紡ぐ孤高の作家精神について追悼の会ともなりました。また、各掲載作品のあらすじを、ここに順次記すことになりました。
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
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【おろかな魚」 宇田本次郎】
 小さなギャラリーの主であった中杉は、引退するために全てを整理していた。その彼の目の前で三十年以上も前に書かれた絵の中の魚が一瞬跳ね、あたりに潮の香が漂った。絵は油揚げを描くとか、緑の背景に青蜜柑を描くとか地味な絵をこつこつと描き続けた画家辻木仙次の絵だった。
「いつかは、どこかに、理解してくれる人がいる。そう思って、息をするように描いてきました」というこの画家の地味な、或いは理解不能で、抒情的なものを拒絶したその絵に、中杉はなぜか惹かれ、作品展を開くなど応援してきた。その画家が死んで、二十六年たつた、描かれた魚はひっそりと生きていたのか。
 画家が没した時、何回か遺作展をしたあとに、絵は五百点は残っていた。その作品は、画家夫人は、市役所に電話をして、清掃工場で焼いてもらうと話した。よほど高名な画家でもないかぎり、そんな処置になるのが普通だという。夫人は「お父さんはあんなに描いたんですから、満足だったでしょう」と言った。考えさせられる作品です。(佐田尚子)
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「グループ桂」76号の作品概要と感想など(2)

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
(承前)
【三藤芳「スノードロップ」】
 語り手の女性は、夫が交通事故で亡くなった三回忌に、やっと遺品を整理する気になって、処分をしないモノのリストを作った。その一番の優先品が夫の結婚指輪で、それをペンダントにして大事にしようと娘に頼む。デザインはスノードロップの花にする。花言葉があって、「慰め」「希望」「まさかの時の友」だという。
 ところが、交通事故死した夫の通勤鞄がのこされていて、そのなかに、愛人としか考えられない女性との仲むつまじい写真が大切にしまってあった。夫の裏切りを知って、ショックをうけ、怒りがおさまらない。スノードロップのペンダントもいまさら愛してもつことが出来なくなった。
 失意のなかで、かつて一人旅海外ツアーで知り合った友人、山下多喜子のことを想い起こす。(その時こそ夫は浮気を楽しんでいたのだと後で想う)。多喜子は一人旅同志としては、面倒をかける厄介な友であったが、彼女は結婚生活が破たんして、夫に結婚指輪を投げつけたのだという。それは質流れ品であった。
 私は、多喜子に電話してみる。多喜子は喜んで話し相手になってくれた。彼女は6年前に夫を亡くし、夫とは「死後離婚」という手続きしていた。籍を抜くだけで簡単だという。こうした話は、私の気晴らしなった。そのうちに、娘がスノードロップの花ことばに、別の意味があることが分かったという。その別の意味は「死んで欲しい」というものだという。それを知って私は、ペンダントを処理してしまうことにする。
 同人の感想として、スノードロップの花ことばを、オチに使ったコントの味と、多喜子というキャラクターを持った女性の面白さとが、マッチングしていない傾向があるので、文学的な味わいが薄れてしまったのではないか、という意見があった。これまでの三藤さんの持ち味と違う感じがしたとも。
 フリーライターの岡森利明氏はーー、一週間、閉じこもっていた原因が、交通事故で死んだ夫の遺品の中から、愛人の写真を見つけて、夫の不倫を知ったわけになるが、私ならば、それまで知らなかったことがさいわいだったと思いたいし、夫が死ぬまで隠し通したことを感謝したいところだ。夫は死んでしまったので、そんな関係は解消されたわけで、妻がそれをいつまでも悩む必要は感じられないが、この主人公は、結婚指輪をせっかくスノードロップに加工してペンダントにしてくれた娘にも言えないほど悩む。花言葉のひとつにたまたま「禁忌」があって、いやな夫の形見を身につける必要がなくなったのは、一つの救いになるのだろう。ーーと感想を述べている。
【北一郎「荻原朔太郎詩集考ランダム」】
 洋介は、自分の少年時代のことを回顧してることから、話がはじまる。洋介がどこにいて、どんな境遇かはその時点ではわからない。しかし、過去の出来ごとに、幾度も転居したこと、長嶋茂雄や、ちあきなおみのサイン色紙、ダイレクトカッテングレコードなどの話が出てくるので、その時代に生きた高齢者であることが推測できる。
 そのなかで、洋介は少年時代に買った萩原朔太郎詩集を今だに持っていて、そこに書かれた詩作品を通して、朔太郎の体験と自らの体験の共通点があると思っていたことを述べる。
 洋介は東京湾の海岸で漁師をするとことの長男だった。その少年時代に、水上警察の派出所に運ばれる水死体をよく見ていた。その光景が朔太郎の「くさったはまぐり」のもつイメージと共通すると信じている。
 そこから、天才詩人とただの生活者の基本的人生の色合いの違いを考える。
 同人の意見では、小説ではなくエッセイのようだ。少年時代に見たという水死体のある風景は、面白いというものがあった。
 フリーライターの岡森利明氏は、――題名からの印象で、詩集についての解説・書評かと思ったが、小説仕立てになっている。いまや老境にある洋介が、少年のときに詩集を手にした経緯や、その共感が語られている。洋介が育った環境や、家族たちや、友人たちとの関わりがよく描かれている。洋介は長男としての宿命を背負いながら成長し、直面する親族問題に対応して、解決策を見出している。
  著者は、全体的に要点をよくまとめている。萩原朔太郎の詩のエッセンスについても、核心に迫っているようだ。水死体の表現など、特にリアルだ。実際に見聞きしたものだろう。----と感想を述べている。
【桂城和子「神田連雀町」】
 神田須田町の裏通りに、一種類のお茶しかださない古いお茶屋があった。もう店を手じまいするつもりのある日、若い男性の客が現れる。そこで、この神田に昔あったという連雀町のことを話す。若者は大学入学に失敗した浪人の身で、家にあった五百円玉をもって、神田に来た時のことを話す。万世橋の近くに、団子を売る老婆がいて、武蔵野三鷹にある連雀町とは、振袖火事といわれた江戸明暦の大火との関係を語る。それを糸口に、江戸時代の世界に入ったような幻想的な体験を語る。
 作者の趣味性の強い作品で、個性的なものという意見と共に、時代考証的なところで、」矛盾があるという指摘があった。(この項おわり)

「グループ桂」76号の作品を読むその概要と感想記(1)

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
 「グループ桂」76号では、伊藤桂一師の亡きあとも、発行が継続されることになった。これまで、師の意見をもって充分としてきたが、今後は広く外部からの意見を参考にする気運が出て来た。そこで、各作品の紹介をする。伊藤桂一師の遺作品の巻頭詩については前回すでに触れている。
【宇田本次郎「連れの男」】
 時は江戸時代。場所は野尻湖に近い荒瀬原というところ辻の道で、一服している老人がいた。還暦を過ぎたほどに見える。そこで、千曲川下流の仏壇店の職人、佐吉と店の主人の親類の女、咲が通りがかりで出会う。咲と佐吉は、その男が有名な俳人、小林一茶とは知らないまま、道連れとして、峠の山道を越える話。その間に、連れの男の寂しい人生と境遇を知り、なんとか手助けできないかという気持ちになるが、それぞれの人生の立場があって、ただの道連れの男として、二人の記憶にのこる。
 この話の舞台となる地形や風景は、作者が実際に現場に行っているそうで、場所の風粋や自然の生み出す、地霊的な光景描写も読みどころとなっているという感想が多かった。
外部のフリーライター岡森利明氏(北一郎の知人)からの感想をもらいました。
  「信州北部を舞台にして、西島仏壇店の二人の店員、咲と佐吉が街道で、謎めいた一人の男に会う。それが、当時でも俳諧の宗匠として知られる小林一茶ということがわかってくる。
咲と佐吉の煮え切らない関係が、読者に「どうなるんだろう」という興味を引く。周辺の地名、鳥や草花の種類が豊富に記述されているところに感心させられる。」
【佐田尚子「広瀬川の街(四)」】
 主人公の規子の実家は、広瀬川の流れる町にある。川から車で2分ほどのところに、一家が集まって住んでいるところがある。そこには、規子が結婚したの頃に建ててもらった店舗兼住宅や、貸しアパート、姉の豊子の家、規子の生家がある。
 かつては、父母、姉の豊子の家族、規子の家族、父母と同居する兄たちの家族と、血縁がまとまって住んでいた。その後、それぞれが土地をはなれ、しかし、父母の遺産相続した、兄、姉、規子と三等分され、そこに住むのは亡くなった兄の息子夫婦だけだ。しかも、姉の豊子は、一人暮らしが不可能になり、老人ホームの施設にいる。規子ですらすでに80歳に近い。そうした状況から家族の経緯が語られている。
 そのなかで、実家の空家が、自治体によって、そのままにしておくと、税金が高くなるという制度ができて、やむを得ず取り壊すことした。すると空き地を駐車場にする案がでて、その交渉過程が語れる。同時進行として、規子の長年の愛人関係が語れる。同人の感想では、愛人関係は、話の関連から浮いているという意見も出た。しかし、連載中なので今後の進行を見ようということになった。
  岡森利明氏感想=「姉の入院、所有する土地を駐車場にすること、規子と彬の三十年にわたる「腐れ縁」の3項目について、きちんと書かれている。腐れ縁のなかで、あなたとはもう絶対にセックスはしないと宣言したのはなぜだろう。」
【「長嶋公栄「消される裏面史」」
 岡野葉子は、2015年8月14日付けの神奈川新聞に、「GIベービー案内板、市が削除し書き換え横浜・根岸外人墓地」という記事を読んで、強い怒りにかられる。それは、太平洋戦争で敗戦し、米軍占領化で、進駐軍と日本人女性との間に生まれた「GIベイビー」(多くは、パンパンといわれた慰安婦たちの赤ん坊だったらしい)が埋葬されているとされる外国人墓地の案内板の文言を市が削除し、書き替えていたからだ。
 これが、前回の話で、今回はそのテーマを、葉子の1人称形式の「私」にして、太平洋戦争での無条件降伏の直前に、行われた東京大空襲と横浜の空襲のなかでの米軍による無差別大殺戮作戦の状況を、具体的なリアリズム描写で迫力をもって語られる。その残虐な死に直面した市民のなかで、出産する女性がいた。生と死の狭間で生き残った人々のトラウマを描く、作者の熱意と筆力を同人たちは、敬意を表した。
  岡森利明氏感想=「横浜大空襲の様子を、一人の若い助産婦の目を通して写実的に描いている。詳細に生々しく書いている。多くの生命が失われた中で、赤子の誕生が救いになっている。歴史の証言の一つだろう。アメリカは非戦闘員の多くいる街を焼き払う必要が本当にあったのだろうか。逃げ惑う人々を機銃掃射する必要があったのか。やはり戦争を早く終結させるためだったというのだろう。」(つづく)

「グループ桂」76号に伊藤桂一氏の遺稿詩「町で出会って」

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  詩人で直木賞作家の伊藤桂一氏の門下生による同人雑誌「グループ桂」76号が5月25日、発行されました。既報のとおり本誌の師である伊藤桂一氏は、昨年10月29日に逝去され、東京でも今年「偲ぶ会」が盛会のうちに行われまた。先の第75号は追悼号を出しました。それに次いで、師を失ってから第2回目の発行になります。今号も伊藤桂一先生の遺稿として、「町で出会って」が巻頭掲載されております。
 この作品には、編集者の次の言葉があります。
―― 「あの世もこの世も同じなんだよ」というのが先生の口ぐせでした。先生はあの世できっとニコニコしながら、私たちを見守っていらっしゃるでしょう。−−
  「グループ桂」は、伊藤桂一先生の指導のもと、文学のなかの小説において文芸界にその意義を追求するという意味を込めて、小説作品だけに掲載を限定してきました。エッセイや評論はありません。
           〜〜〜 目次 〜〜〜
◎特別遺稿詩 「町で出会って」 伊藤桂一
 この詩は、町で出会ったひとが、ニッコリ笑って挨拶をしてくださった。誰だか思い出せないが、だれでしったけ。何だか優しい人でした。甘えてみたい人でしたーーという雰囲気のものです。残酷な戦場体験者として暴力と憎しみの世界に押し流されることなく、平和な優しい心の世界に住む詩人ならではのものです。
■創作
「連れの男」 宇田本次郎
「広瀬川の街(四) 佐田尚子
「消される裏面史(二)」長嶋公栄
「スノードロップ」三藤芳
「萩原朔太郎詩集考ランダム」北一郎
「神田連雀町」桂城和子
―追悼「伊藤桂一先生」小林陽子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。
IMG_20170530_0001_1<雑誌「季刊文科」71号>
  文芸誌「季刊文科」71号に、「グループ桂」同人より佐田尚子「追悼 伊藤桂一先生」と桂城和子「伊藤桂一先生を偲んで」の追悼文の寄稿が掲載されています。

「伊藤桂一さんを偲ぶ会」の様子を東京新聞で報道

IMG_20170511_0001_1「伊藤桂一先生を偲ぶ会」を記事にした東京新聞(5月9日付夕刊)>
  「伊藤桂一さんを偲ぶ会」を4月23日に都内で開催され、「グループ桂」の同人たちも参加した。その様子を東京新聞の5月9日夕刊で、後藤喜一記者による記事を掲載した。
P4230023<「4月23日の「伊藤桂一さんを偲ぶ会」で、語る詩人で文芸評論家の郷原宏氏。>
 記事は、「兵士の目で戦争を書き続けた作家・詩人で、昨年10月に99歳で他界した伊藤桂一さんをしのぶ会が先ごろ東京都内で開かれ、文学関係者ら約150人が出席した。」から始まり、詩人の新川和江氏の挨拶。作家で日本文芸家協会の出久根達郎理事長が、富士山麗に協会が作った霊園の墓守をしているが、それは伊藤桂一氏の長年の活動のあとを継いだものという話。詩人八木幹夫さんの談話。詩人で文芸評論家の郷原宏の伊藤桂一氏の短編捕り物帳シリーズについての談話を紹介している。
P4230028<会場でお礼の言葉を述べる千代美夫人>
 また、詩人の伊藤千代美夫人が述べた礼の言葉について「前の奥さんが亡くなられて何年かしてから一緒に暮らすようになりましたが、部屋に蚊やハエが沢山いるので、殺虫剤でシュウーッとやったら、びっくりし、とても悲しい顔をされた。とにかく生きとし生けるものすべてに優しいひとでした」としている。
  また、記事には日本農民文学会の前会長である木村芳夫氏が、伊藤桂一氏が「農民文学賞」の選者をしていた時の思想と農民への愛情について、想い出を語ったのであった。
P4230018<日本農民文学会の振興に力を尽くしてくれた伊藤桂一氏を偲んで語る木村芳夫氏。>
《参照:第55回農民文学賞の贈呈式における伊藤桂一氏

伊藤桂一さんを偲ぶ会に「グループ桂」同人も出席=東京

P4230014P4230025P4230013<東京で開催された『伊藤桂一さんを偲ぶ会』(実行委員会主催)の会場風景。かつてより「仏の伊藤さん」といわれていたそうで、その優しい人柄を反映して、敬愛者が多く大盛会となった。4月23日、都内にて>
 「伊藤桂一さんを偲ぶ会」(運営実行委員長・新川和江、実行副委員長・菊田守、以倉紘平。司会・山田隆昭、竹内美千代)が4月23日、東京・学士会館で開催された。多数の関係者参加し、盛大であったが。参加者指導を受けていた「グループ桂」からも門下生が参加した。
 第一部で、新川和江実行委員長の開会の言葉があり、来賓として日本文芸家協会の出久根達郎氏、日本ペンクラブの高橋千劔破氏、伊藤桂一先生の思い出を詩人の菊田守氏が語った。
 第2部では来賓の平沢照雄氏(H氏賞基金運営継承者)による献杯があった。
 また、伊藤桂一先生の作品の朗読を遠藤昭巳氏、在間洋子氏、春木節子氏が行った。さらにゆかりの詩人たちのスピーチがあった。その中には、日本農民文学会の顧問である木村芳夫氏や詩人の郷原宏氏などがその人柄を偲んだ。
  なお、実行委員会では、今後も伊藤佳一先生の偉業を讃えて「偲ぶ会」を仮称「竹林忌」として実施する予定だという。

「グループ桂」75号(追悼号)伊藤桂一氏の特別寄稿詩「小さな自然」

IMG_20161228_0001_1_1_1<「グループ桂」75号(追悼号)。12月15日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  詩人で直木賞作家の伊藤桂一氏の門下生による同人雑誌「グループ桂」75号・追悼号が12月15日、発行されました。既報のとおり本誌の師である伊藤桂一氏は、2016年10月29日に逝去されてしまいました。99歳でした。
  「グループ桂」第75号・追悼号には、従来通り、伊藤桂一先生の地特別寄稿詩として、「小さな自然」が巻頭掲載されております。
 この作品には、編集者の次の言葉があります。
―― この詩は先生の奥様が、古い詩稿から選び、黙って穏やかに 眠り続ける人を眺めながら
「彼はやはり立派だ」と心底から思うようになりました
 というお言葉を添えて送って下さいました――
           〜〜〜 目次 〜〜〜
◎特別寄稿詩 「小さな自然」 伊藤桂一
 この詩作品は、花が咲き、その花弁に蝶fがふわりと羽を降す様子を映したものです。そこで黙って咲いている花も、蝶の存在を展望しているのであろうという世界観が表現されています。どんなに小な世界のようでも、それは無限永劫の宇宙空間そのもである、という思想と感受性が読み取れる粛然としたものです。伊藤桂一先生には、若いころからの未発表詩想を手元に沢山保存してあると聞いていましたので、これもその一つではないかとも考えられます。
〔追悼 伊藤桂一先生〕
追悼文。
☆長嶋公栄/☆宇田本次郎/☆西原健次/☆桂城和子/☆三藤芳/☆北一郎/☆佐田尚子(伊藤桂一先生・御通夜10月30日。告別式10月31日。お式場・神戸エレガーノ摩耶クラブハウス。グループ桂のみな様の思いを背負ったつもりで、参列してまいりました。御棺の中の先生は白い白いお顔で、触れましたらとても冷たかったです。長い間、グループ桂をお支え下さいまして有難うございました。これからもお見守りください。そしてやすらかにお休みくださいとお祈りしてきました。)合掌。
■創作
「夜の鳥」 宇田本次郎
「消される裏面史」長嶋公栄
「広瀬川の街(三) 佐田尚子
「野良猫のうた」三藤芳
「葛飾有情」桂城和子
【編集後記】
 「グループ桂」七十五号(追悼号)をお届けいたします。
 伊藤桂一先生には平成二十八年十月二十九日にご逝去なさいました。お位牌には行年百歳と書かれていました。長い間ご指導を頂きまして本当に有難うございました。「グループ桂」第1号の初めから、更にもっと前、小説教室の時から随分長い間ご指導を頂きました。
 時に的確に厳しく、でも温かくご指導くださいました。私などはいつも厳しいご鞭燵ばかりでしたが、辞めようと思うこともなく先生のもとへ通っていました。
 そして「グループ桂」に関わるようになって、先生から頂く巻頭詩を拝読いたしますたびに、ああ、この方は本当の詩人なのだと、深く納得するのでした。「グループ桂」に長く関わりましたが。御恩に報いる程の結果も出すことも出来ず、申訳けないばかりです。
 近年神戸在住となってしまわれましたが、何処に居らっしゃいましても、私たちの先生であることには変わりはなく、頼りにしていました。でも、今は亡くなってしまわれました。寂しく、頼りなく、これからこの先はどうするのかと思いますが、ここ何年か離れていましただけに、先生が消えてしまったわけではない、あの温かなふくよかなお顔は今も存在すると思えるのです。(佐田尚子)
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。
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