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文芸同人誌「グループ桂」のひろば

「グループ桂」78号(文芸交流会)で作品感想=岡森 利幸氏

IMG_20180620_0001_1<「グループ桂」78号。2018年6月2日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
            〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「初潮のお地蔵さん」穂高健一
「消される裏面史(四)」長嶋公栄
「広瀬川の街(五)」 佐田尚子
「谷間の薄き虹」北一郎
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
 「グループ桂」78号が9月の開催の町田文芸交流会の読書対象にされました。そのなばすうかで、フリーライターで文芸誌「みなせ」の編集をされているフリーライターの岡森利幸氏が、当日の読書対象作品の感想を発表した。そのうり「グループ桂」に関するものを抜粋して、ここに公開させてもらうことになりました。
〜〜町田文芸交流会(世話人=外狩雅巳氏)9月会合読書対象作品感想より=岡森 利幸
 「グループ桂」第78号の部 より
  【長嶋公栄「消される裏面史(四)」
  目次では〔創作〕のジャンルとなっているが、これはドキュメンタリーに近いものだろう。終戦の8月15日から戦後の窮乏期の生活や世相が、産婆(助産婦)の家の娘の目を通して書かれている。書かれている内容は、これまで多くの人が語り継いできたものと同様であり、さほど目新しくないが、要点をはずさず、よくまとめている。当時の切迫した戦況や、生活の厳しさが語られている。庶民の戦争体験談として貴重だろう。
私としては、国体護持にこだわった日本政府が、戦いの勝敗はとうに決していたのに、連合国側との交渉がうまくいかず降伏をずるずると引き延ばした結果だという思いを強くする。
  【佐田尚子「広瀬川の街(五)」
台風の猛威から家族の形式的な誕生会の話など、日常的な多くのエピソードが詰め込まれている。老齢の規子を中心に、姉妹、夫や息子・娘、姪など登場人物がどんどん増えており、発散している感もある。財産分与、墓や住宅事情、老後のたくわえが減ることなどの金銭的な問題や、変につっぱりあっている親子の状況が織り込まれている。とりとめもなく話が広がっているが、葛藤や悩みが語られており、共感(同情?)できることも多いので、それなりに読み進められる。
ただ、住んでいる場所や地域が、ややあいまいに記述されており、欲を言えば、著者にはそれらを特定してほしい。
  【北一郎「谷間の薄き虹」】
  文学論・芸術論を主題とし、青木洋介の経験したこと・見たこと・考えたことを記述している。いくつかの傑出した文人やとその作品を紹介してもいる。
  同じ文芸サークルの一員であり、文学の先輩であり師として尊敬すべき存在だった宇多田本次郎の人物像やその作品の傾向を詳しく書いている。青木洋介は宇多田を畏怖しながらも、宇多田が一部の人にしか認められない状況から、宇多田の「まわりくどいと思われる曖昧な抽象的表現」に疑問を持ったようだ。理想を追い求める芸術的センスだけては成功しないのだろう。辛らつな批評を加えながらも、その姿勢に敬服していることが伺える。
  一方で青木洋介は、若いときの経験として、非凡な表現力を生かし、「プロの記者」として認められた経緯を持つ。芸術性が一般に認められなかった宇多田との好対照にもなっている。文学の実用的な面と、理想的な面が語られており、よい作品になっている。

☆(注)「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。

「グループ桂」78号作品から=佐田尚子「広瀬川の街(5)」

IMG_20180620_0001_1<「グループ桂」78号。2018年6月2日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  「グループ桂」78号が発行されました。今回の内容は、歴史物の単行本の執筆で多忙の穂高健一氏が意欲作をもって参加。四人の作品でまとめられています。順次、その概要を紹介していきます。
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「初潮のお地蔵さん」穂高健一
「消される裏面史(四)」長嶋公栄
「広瀬川の街(五)」 佐田尚子
「谷間の薄き虹」北一郎
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
「広瀬川の街」(五)  佐田尚子(あらすじ)
 規子は季節に先駆けてやって来た大嵐の風雨の大音に目覚めた。広瀬川の街の老人ホームに居る姉が、その音に脅かされ、叫んででもいないかと心配になる。
 朝明るくなったベランダに転がされたシンビジウムなどの南国の花々、これらの花々は温室でもないのに、春早く大輪の花を咲かせていた。温暖化の影響なのか。例年の季節より早いこの大嵐、地球のどこかで、何かが変化してしまったのか。それは日常が不安定なものの上に載っているように感じる。
 娘の亜弥は規子に対して、いつも乍らの依怙地な不機嫌さで規子を悩ませていたが、規子は大嵐をきっかけに、何気ないように電話をかける。亜弥も何気なく応じて、規子は安堵する。規子はすでに母親が他界した歳を過ぎている、娘と仲良く暮らしたい。亜弥の劣等感に基づく依怙地さは、規子の夫の倒産、離婚という、自信を揺るがしてしまう環境の中で、育てざるを得なかったことに原因があると思うと、なんとしても緩め直してやりたいと思うのだった。
 思いがけず、規子の誕生日を祝ってくれるという席に、亜弥の一人娘梨子が不機嫌に現れた。亜弥は「梨子はどの位恵まれているか判っていないのよ、わがままばかり」と言う。しかし、亜弥が他の家族二人を思い通りに支配しようとするから摩擦が起きるのだ。支配せずにはいられないのだ。
 見ていると梨子のパパは少しずつ亜弥と梨子の二人に気を配り、わずかなすきに梨子に言葉をかけるのを見て、規子は不安定なものの上に暮らしていても、なにか安心な暖かなものに触れた気がした。
☆(注)「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。

「グループ桂」78号作品から=長嶋公栄「消される裏面史(4)」

IMG_20180620_0001_1<「グループ桂」78号。2018年6月2日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  「グループ桂」78号が発行されました。今回の内容は、歴史物の単行本の執筆で多忙の穂高健一氏が意欲作をもって参加。四人の作品でまとめられています。順次、その概要を紹介していきます。
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「初潮のお地蔵さん」穂高健一
「消される裏面史(四)」長嶋公栄
「広瀬川の街(五)」 佐田尚子
「谷間の薄き虹」北一郎
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
「消される裏面史」(四) 長嶋公榮  (あらすじ)
 国内における太平洋戦争の悲惨な記録といえる、この裏面史も戦後に入った。昭和20年8月15日正午に、戦争終結の大詔が天皇直接のラジオ放送で国民に知らされた。戦争がどんな状況か知らされていなかった隣組の人たちは、空襲でも焼け残った家のラジオの前に集まった。放送は雑音がひどく言う意味は聞き取れなかったが、中に、「日本は戦争に負けたんですよ」と解説した人が居た。無条件降伏という言葉に、勝利を信じて我慢を重ねてきたのに、戦死者や特攻隊員は報われない。といろいろな混乱した言葉と呆然自失したままの人と入れ混じっていた。
 助産婦見習いの私岡野葉子は、国防衛生隊に組織され、救護所で酷い空襲による怪我人や、困窮する妊婦たちを介護してきた。だから、降伏の詔勅には落胆と、幼子の命まで犠牲にする戦争が終わったという安堵の思いが交錯した。街には「天皇ノ軍人ニハ絶対二絶対二降伏ナシ」という海軍航空隊のビラがまかれ、横須賀の海兵隊は戦争継続の意思表示でねり歩いていた。父の勤務先の石川島航空発動機製作所では連日公文書が焼却された。
 しかし、私は電灯に付けてあった灯火管制の黒幕をはずし、母親は出征している兄が「いつ帰ってくるんだろう」と希望を口にした。久しぶりに明るさが戻ったのだ。ただ、神奈川県知事は「連合軍が上陸して来ればどんな破廉恥なことが起きるとも限らないから、婦女子は避難したほうがよい」と隣組に伝達した。私の親友も疎開しないのかと訪ねてきて、進駐軍兵士に乱暴されそうになったら、自殺すると、青酸カリを見せた。各女子系学校でも、授業を休止し、家庭教育一本でよいと伝えていた。軍隊が進駐してくるという未経験なことに苦慮していたのだ。
 進駐して来る連合軍にも、本土に、400万人の兵士を有する日本軍がどう反応するか、緊張と不安があったのだ。だが、日本軍兵士は天皇の詔勅による国体維持を信じ、耐えがたくを耐えて受入れたのだ。
 9月になって、私ははじめて米兵を見た。大柄な体躯に赤ら顔金髪のアメリカ兵はなんとも平和でのどかだった。その後に敗戦の人々を襲ったのは深刻な食糧難だった。食糧は統制配給のはずだが、配給される米はなく、人々は個人で調達するしかなかった。餓死者も多く出た。難産だった梅子さんは家は空襲で焼けて無くなっており、夫は出征したまま消息は分からなかった。そのまま親子とも我が家に預かっている。私はリックサックを背負い、農家の人にペコペコと頭を下げて、食糧の買出しにでかけた。ようやく手に入れても、物資移動禁止命令があって、没収されてしまうこともある。
 梅子さんは乳の出が悪く、赤子にお米をすり潰して飲ませなければならない。物を乞う乞食のようにひたすら米を求めた。諦めかけて、最後に立ち寄った農家で乳飲み子を背負った主婦が、ひどくつっけんどんだったが、梅子さんの赤子の窮状を訴えると、米の入った小袋を隠すように渡してくれた。つい涙が出た。
 翌年になっても、食糧事情はよくならず、餓死者が絶えなかった。横浜各区では町会長、隣組長をはじめとして食糧危機突破協議会を開き、大勢の市民がデモに参加した。私も隣組の役員に誘われ、栄養失調でよろめきながら行く、デモに参加した。
☆(注)「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。

「グループ桂」78号作品から=穂高健一「初潮のお地蔵さん」

IMG_20180620_0001_1<「グループ桂」78号。2018年6月2日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  「グループ桂」78号が発行されました。今回の内容は、歴史物の単行本の執筆で多忙の穂高健一氏が意欲作をもって参加。四人の作品でまとめられています。順次、その概要を紹介していきます。
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「初潮のお地蔵さん」穂高健一
「消される裏面史(四)」長嶋公栄
「広瀬川の街(五)」 佐田尚子
「谷間の薄き虹」北一郎
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「初潮のお地蔵さん」  穂高健一(あらすじ)
 瀬戸内の広島県の木の江港を見おろせる山の上で、東京の大学院生はいくつものお地蔵さんを見つけた。彼女の祖父がこの港町の中学の教師だったころ、瀬戸内随一の遊郭街だった木の江港には500人ほどの女郎が居たと、ノートに書き残していた。明治初期から女たちで栄えてきたこの町には沢山な哀しい女の物語があったことも。
 お地蔵さんはそういった哀しい娘たちの供養に山の上に建てられものだった。
 絵梨は13歳で売られて、女郎屋立木屋の養女になった。立木屋には12人ばかりの女郎がいた。絵梨は初潮がくるまでという一応の期限つきで、女郎になることは免れていた。しかし養女にしたということは、店のあるじの思い通り、どうにでも出来るということだった。
  絵梨は女郎全員とあるじの家族全員の食事、洗濯、掃除と追使われた。新しい教育基本法で中学も義務教育となっていたが、学校へは最初の一週間ばかりしか、通わせてもらえなかった。買物に街へ出された先で、雄太と知り合った。港町では憧れの商船高校の学生で、中学の教師の息子だった。
 正義感の強い雄太とその父の教師のお陰で、日曜日2時間だけ、雄太から英語を教えてもらえることになった。女郎たちの妬みの嫌がらせに耐えて、楽しいレッスンの時間をもてたが、二人は男女の仲とのうわさを流され、雄太の母親から、もう家に来ないようにと、言い渡された。
 或る夜、港内で大きな船火事が起きた。大勢の人出で騒然となった街の中で、雄太との別れで身も引裂かれるばかりだった、絵梨は新しい生き方を求めて、逃亡を決意した。純粋で正義感の強い商船高校の学生の応援を得て、逃亡したが、結局捉えられ、海水浴場の磯で死体で発見された。学生たちは募金して、お地蔵さんをつくり、山に上げたという。(紹介者・佐田尚子)
☆(注)「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。

「蛍」三藤 芳 概要紹介「グループ桂」77号

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
  本誌に掲載された作品のあらすじを紹介します。
【「蛍」三藤 芳】 
  主人公の私は、いま北関東の市街地のはずれで、ひとりで美容院を経営しているが、三年前の離婚以来、赤字続きだった。店を閉じて、できれば故郷に近いところに引っ越して、人生をやり直したい、そう思いながらも、逡巡するばかりでなかなか決心がつかない。
  実はその故郷は、二十数年前、思わぬ誤解からひどい嫌がらせを受け、命まで狙われるのではないかと心配した家族の計らいで、偽装勘当というかたちで出てきている。以来、故郷へは祖父の葬式のときに帰っただけだった。
  捨てることもすんなり帰ることもできない故郷。そのどちらにも、子供の時一度だけ見た、忘れがたい蛍の幻想的な光景が深くかかわっているのだった。
                     
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。コメント欄にてお申し込み下さい(非公開方式にします)。文芸同志会★郵便振替口座=00190−5ー14856  

「采女カ原」桂城和子の概要紹介「グループ桂」77号

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
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 本誌に掲載された作品のあらすじを紹介します。
【「躍る采女カ原」桂城和子】
 天保四年三月の江戸市中、采女カ原の葭簀張りの小屋で娘義太夫竹乃丞は、春の眠気を押し殺して義太夫を語っていた。小屋は魚や野菜の振り売り人や職人などでいっぱいだ。これらの客の投げるおひねりが収入なのだ。竹乃丞こと梓が十八歳、三味線の定子が十六歳である。三年前母親の義理で始めた義太夫だが、今ではすっかりのめり込んでいる。家業は洗い張り屋で、忙しく仕事している母親や弟にお姉ちゃんは遊んでばかりときつい言葉をかけられるばかりだ。
 義太夫の師匠のところに急ぐ梓は、芝居小屋の一座の京之介をひろった。道にひっくり返った京之介は空腹で立ち上がれないという。梓はおひねりで、屋台の蕎麦などを食べさせた。京之介はくずれてはいるが、厚化粧して、赤い着物を着ている。芝居小屋はもっとおひねりもある筈なのにと訊くと、そこからは逃げてきたという。
 京之介は京の生まれで大火で家も親も失くした。火傷して倒れていた彼に親切にしてくれた行商人に連れられて江戸に来た。そして芝居小屋に入れられた。しかし声変わりにかかると馘になった。また行商人が来て、こんどは化粧され、若衆髷に結わされ陰間茶屋へ売られるところを逃げてきたのだ。まだ十三歳だ。梓が町奉行所へ行こうというと、もう行ったが相手にされなかったという。
 仕方なく手拭で深く顔を隠した京之介を連れて義太夫の師匠を頼った。そこで親切だった行商人は、女衒の俊で、美形の男の子をサラって江戸へ連れてきて、若衆宿へ売り飛ばすのだと聞かされる。しつこく捜すだろうからと、京之介は師匠の家の小女に化けて、置いてもらうことになった。師匠は女衒の悪は許しておけないと動き始める。(佐田尚子)

☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。コメント欄にてお申し込み下さい(非公開方式にします)。

長嶋公榮「消される裏面史」(三)の概要紹介「グループ桂」77号

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
 本誌に掲載された作品のあらすじを紹介します。
【消される裏面史】(三) 長嶋公榮
 グループ桂76号では、私、見習いの助産婦岡野陽子は戦時下に組織された、国防衛生隊の一員として、横浜空襲の大爆撃の惨状の中、必死に人の救助に奮闘したあと、ようやく中区の実家にもどった。
 運よく実家は空襲に遭わない一画に残っていた、両親は不在だった。夜になって、軍需工場で働かされている父親が戻ってきた。まず一番に空襲を受け、たくさんな家の焼けた残骸の中、たくさんな焼死体をよけながら、奇跡のように家にたどり着いたという。そのうちに助産婦の母も戻ってきた。重傷の母親から預かったという赤ん坊を抱いていた。私はお乳はどうするのかと心配になる。重傷の母親が背負った雑嚢にミルク一缶、ミルク瓶、オムツが残っていたという。
 親しくしていた三木家の幼子、綾ちゃんとおじいさんが防空壕が焼夷弾の直撃を受けて亡くなったという。町内会の防空壕に、御棺もなく、浴衣を被せられて寝かされていた。やがて町内の人の手でトタン板に乗せられ、自宅の庭に運ばれた、そこで自分たちで火葬する。余りに犠牲者が多く、火葬場は受入れ不能なのだ。私も一緒に火葬の材料に焼け残りの柱などをひろい集めた。
 火葬のあと、国民衛生隊の一員として吉田国民学校で怪我人の看護に当たった。そこで兄の親友で大学生の学徒である雨宮に出会った。雨宮も軍需工場に徴用されていた。母親と妹の行方が判らなくなったという。一緒に避難した近所の人から、崖の上の防空壕に避難するつもりだったが、満杯で入れず、崖のところにうずくまっていたと聞いたという。
 生存の望みは薄く、遺体探しを手伝うこととした。市内のあちこちにある、遺体が集められた場所を巡った、悪臭の中、見るに堪えられない焼死体、水死体を無数に確認して歩いた。早く見つけなければ、動物の死体のように、記録もされず、寺の庭などに掘られた大きな穴に放り込まれてしまうのだ。しかし見つけることは出来ず、ついに捜索は中止した。
 陣痛の始まっている、切迫した産婦を預かることになった。かかりつけの産院が焼けてしまって、陣痛が始まっても行く所がなかったのだ。この産婦高木さんは二時間ほどで男の子を出産した。
 重傷の産婦から預かった赤ん坊のミルクがなくなりかけていた。助産婦の母親が貰い乳の話をつけたという。焼夷弾の破片で負ぶっていた乳飲み子を失くしてしまった若い女性という。町内会の仮事務所に連れて行った赤ん坊は、若い女性の乳房からむさぼるよう乳房を吸った。女性は急に子守歌を歌いだし、実の母親のような面差しで子にほほ笑んでいる。悲しみに心を病んでしまったのだ。(佐田尚子)

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「グループ桂」77号の合評会と同人宇田氏の遺作を鑑賞

IMG_20180113_0001_1<「グループ桂」77号。2017年12月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
 「グループ桂」は、師とする伊藤桂一氏の亡き後、約一年をして、門下生による第77号が12月2日に発行された。
 本誌の巻頭を飾っていたベテラン作家の宇田本次郎氏(87)は、寄稿後に突然的に体調を崩し、入院。昨年12月に亡くなったことがわかりました。謹んでお悔やみを申し上げます。
内容目次は下記のようになっています。1月11日に行われた合評会は、宇田氏の人柄と、芸術性の高い文章を弛みなく紡ぐ孤高の作家精神について追悼の会ともなりました。また、各掲載作品のあらすじを、ここに順次記すことになりました。
          〜〜〜 目次 〜〜〜
■創作
「おろかな魚」 宇田本次郎
「消される裏面史(三)」長嶋公栄
「蛍(前)」三藤芳
「踊る采女ヵ原」桂城和子
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 IMG_20180113_0001_2
【おろかな魚」 宇田本次郎】
 小さなギャラリーの主であった中杉は、引退するために全てを整理していた。その彼の目の前で三十年以上も前に書かれた絵の中の魚が一瞬跳ね、あたりに潮の香が漂った。絵は油揚げを描くとか、緑の背景に青蜜柑を描くとか地味な絵をこつこつと描き続けた画家辻木仙次の絵だった。
「いつかは、どこかに、理解してくれる人がいる。そう思って、息をするように描いてきました」というこの画家の地味な、或いは理解不能で、抒情的なものを拒絶したその絵に、中杉はなぜか惹かれ、作品展を開くなど応援してきた。その画家が死んで、二十六年たつた、描かれた魚はひっそりと生きていたのか。
 画家が没した時、何回か遺作展をしたあとに、絵は五百点は残っていた。その作品は、画家夫人は、市役所に電話をして、清掃工場で焼いてもらうと話した。よほど高名な画家でもないかぎり、そんな処置になるのが普通だという。夫人は「お父さんはあんなに描いたんですから、満足だったでしょう」と言った。考えさせられる作品です。(佐田尚子)
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。コメント欄にてお申し込み下さい(非公開方式にします)。

「グループ桂」76号の作品概要と感想など(2)

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
(承前)
【三藤芳「スノードロップ」】
 語り手の女性は、夫が交通事故で亡くなった三回忌に、やっと遺品を整理する気になって、処分をしないモノのリストを作った。その一番の優先品が夫の結婚指輪で、それをペンダントにして大事にしようと娘に頼む。デザインはスノードロップの花にする。花言葉があって、「慰め」「希望」「まさかの時の友」だという。
 ところが、交通事故死した夫の通勤鞄がのこされていて、そのなかに、愛人としか考えられない女性との仲むつまじい写真が大切にしまってあった。夫の裏切りを知って、ショックをうけ、怒りがおさまらない。スノードロップのペンダントもいまさら愛してもつことが出来なくなった。
 失意のなかで、かつて一人旅海外ツアーで知り合った友人、山下多喜子のことを想い起こす。(その時こそ夫は浮気を楽しんでいたのだと後で想う)。多喜子は一人旅同志としては、面倒をかける厄介な友であったが、彼女は結婚生活が破たんして、夫に結婚指輪を投げつけたのだという。それは質流れ品であった。
 私は、多喜子に電話してみる。多喜子は喜んで話し相手になってくれた。彼女は6年前に夫を亡くし、夫とは「死後離婚」という手続きしていた。籍を抜くだけで簡単だという。こうした話は、私の気晴らしなった。そのうちに、娘がスノードロップの花ことばに、別の意味があることが分かったという。その別の意味は「死んで欲しい」というものだという。それを知って私は、ペンダントを処理してしまうことにする。
 同人の感想として、スノードロップの花ことばを、オチに使ったコントの味と、多喜子というキャラクターを持った女性の面白さとが、マッチングしていない傾向があるので、文学的な味わいが薄れてしまったのではないか、という意見があった。これまでの三藤さんの持ち味と違う感じがしたとも。
 フリーライターの岡森利明氏はーー、一週間、閉じこもっていた原因が、交通事故で死んだ夫の遺品の中から、愛人の写真を見つけて、夫の不倫を知ったわけになるが、私ならば、それまで知らなかったことがさいわいだったと思いたいし、夫が死ぬまで隠し通したことを感謝したいところだ。夫は死んでしまったので、そんな関係は解消されたわけで、妻がそれをいつまでも悩む必要は感じられないが、この主人公は、結婚指輪をせっかくスノードロップに加工してペンダントにしてくれた娘にも言えないほど悩む。花言葉のひとつにたまたま「禁忌」があって、いやな夫の形見を身につける必要がなくなったのは、一つの救いになるのだろう。ーーと感想を述べている。
【北一郎「荻原朔太郎詩集考ランダム」】
 洋介は、自分の少年時代のことを回顧してることから、話がはじまる。洋介がどこにいて、どんな境遇かはその時点ではわからない。しかし、過去の出来ごとに、幾度も転居したこと、長嶋茂雄や、ちあきなおみのサイン色紙、ダイレクトカッテングレコードなどの話が出てくるので、その時代に生きた高齢者であることが推測できる。
 そのなかで、洋介は少年時代に買った萩原朔太郎詩集を今だに持っていて、そこに書かれた詩作品を通して、朔太郎の体験と自らの体験の共通点があると思っていたことを述べる。
 洋介は東京湾の海岸で漁師をするとことの長男だった。その少年時代に、水上警察の派出所に運ばれる水死体をよく見ていた。その光景が朔太郎の「くさったはまぐり」のもつイメージと共通すると信じている。
 そこから、天才詩人とただの生活者の基本的人生の色合いの違いを考える。
 同人の意見では、小説ではなくエッセイのようだ。少年時代に見たという水死体のある風景は、面白いというものがあった。
 フリーライターの岡森利幸氏は、――題名からの印象で、詩集についての解説・書評かと思ったが、小説仕立てになっている。いまや老境にある洋介が、少年のときに詩集を手にした経緯や、その共感が語られている。洋介が育った環境や、家族たちや、友人たちとの関わりがよく描かれている。洋介は長男としての宿命を背負いながら成長し、直面する親族問題に対応して、解決策を見出している。
  著者は、全体的に要点をよくまとめている。萩原朔太郎の詩のエッセンスについても、核心に迫っているようだ。水死体の表現など、特にリアルだ。実際に見聞きしたものだろう。----と感想を述べている。
【桂城和子「神田連雀町」】
 神田須田町の裏通りに、一種類のお茶しかださない古いお茶屋があった。もう店を手じまいするつもりのある日、若い男性の客が現れる。そこで、この神田に昔あったという連雀町のことを話す。若者は大学入学に失敗した浪人の身で、家にあった五百円玉をもって、神田に来た時のことを話す。万世橋の近くに、団子を売る老婆がいて、武蔵野三鷹にある連雀町とは、振袖火事といわれた江戸明暦の大火との関係を語る。それを糸口に、江戸時代の世界に入ったような幻想的な体験を語る。
 作者の趣味性の強い作品で、個性的なものという意見と共に、時代考証的なところで、」矛盾があるという指摘があった。(この項おわり)

「グループ桂」76号の作品を読むその概要と感想記(1)

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
 「グループ桂」76号では、伊藤桂一師の亡きあとも、発行が継続されることになった。これまで、師の意見をもって充分としてきたが、今後は広く外部からの意見を参考にする気運が出て来た。そこで、各作品の紹介をする。伊藤桂一師の遺作品の巻頭詩については前回すでに触れている。
【宇田本次郎「連れの男」】
 時は江戸時代。場所は野尻湖に近い荒瀬原というところ辻の道で、一服している老人がいた。還暦を過ぎたほどに見える。そこで、千曲川下流の仏壇店の職人、佐吉と店の主人の親類の女、咲が通りがかりで出会う。咲と佐吉は、その男が有名な俳人、小林一茶とは知らないまま、道連れとして、峠の山道を越える話。その間に、連れの男の寂しい人生と境遇を知り、なんとか手助けできないかという気持ちになるが、それぞれの人生の立場があって、ただの道連れの男として、二人の記憶にのこる。
 この話の舞台となる地形や風景は、作者が実際に現場に行っているそうで、場所の風粋や自然の生み出す、地霊的な光景描写も読みどころとなっているという感想が多かった。
外部のフリーライター岡森利幸氏(北一郎の知人)からの感想をもらいました。
  「信州北部を舞台にして、西島仏壇店の二人の店員、咲と佐吉が街道で、謎めいた一人の男に会う。それが、当時でも俳諧の宗匠として知られる小林一茶ということがわかってくる。
咲と佐吉の煮え切らない関係が、読者に「どうなるんだろう」という興味を引く。周辺の地名、鳥や草花の種類が豊富に記述されているところに感心させられる。」
【佐田尚子「広瀬川の街(四)」】
 主人公の規子の実家は、広瀬川の流れる町にある。川から車で2分ほどのところに、一家が集まって住んでいるところがある。そこには、規子が結婚したの頃に建ててもらった店舗兼住宅や、貸しアパート、姉の豊子の家、規子の生家がある。
 かつては、父母、姉の豊子の家族、規子の家族、父母と同居する兄たちの家族と、血縁がまとまって住んでいた。その後、それぞれが土地をはなれ、しかし、父母の遺産相続した、兄、姉、規子と三等分され、そこに住むのは亡くなった兄の息子夫婦だけだ。しかも、姉の豊子は、一人暮らしが不可能になり、老人ホームの施設にいる。規子ですらすでに80歳に近い。そうした状況から家族の経緯が語られている。
 そのなかで、実家の空家が、自治体によって、そのままにしておくと、税金が高くなるという制度ができて、やむを得ず取り壊すことした。すると空き地を駐車場にする案がでて、その交渉過程が語れる。同時進行として、規子の長年の愛人関係が語れる。同人の感想では、愛人関係は、話の関連から浮いているという意見も出た。しかし、連載中なので今後の進行を見ようということになった。
  岡森利幸氏感想=「姉の入院、所有する土地を駐車場にすること、規子と彬の三十年にわたる「腐れ縁」の3項目について、きちんと書かれている。腐れ縁のなかで、あなたとはもう絶対にセックスはしないと宣言したのはなぜだろう。」
【「長嶋公栄「消される裏面史」」
 岡野葉子は、2015年8月14日付けの神奈川新聞に、「GIベービー案内板、市が削除し書き換え横浜・根岸外人墓地」という記事を読んで、強い怒りにかられる。それは、太平洋戦争で敗戦し、米軍占領化で、進駐軍と日本人女性との間に生まれた「GIベイビー」(多くは、パンパンといわれた慰安婦たちの赤ん坊だったらしい)が埋葬されているとされる外国人墓地の案内板の文言を市が削除し、書き替えていたからだ。
 これが、前回の話で、今回はそのテーマを、葉子の1人称形式の「私」にして、太平洋戦争での無条件降伏の直前に、行われた東京大空襲と横浜の空襲のなかでの米軍による無差別大殺戮作戦の状況を、具体的なリアリズム描写で迫力をもって語られる。その残虐な死に直面した市民のなかで、出産する女性がいた。生と死の狭間で生き残った人々のトラウマを描く、作者の熱意と筆力を同人たちは、敬意を表した。
  岡森利明氏感想=「横浜大空襲の様子を、一人の若い助産婦の目を通して写実的に描いている。詳細に生々しく書いている。多くの生命が失われた中で、赤子の誕生が救いになっている。歴史の証言の一つだろう。アメリカは非戦闘員の多くいる街を焼き払う必要が本当にあったのだろうか。逃げ惑う人々を機銃掃射する必要があったのか。やはり戦争を早く終結させるためだったというのだろう。」(つづく)
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