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文芸同人誌「グループ桂」のひろば

「グループ桂」76号の作品概要と感想など(2)

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
(承前)
【三藤芳「スノードロップ」】
 語り手の女性は、夫が交通事故で亡くなった三回忌に、やっと遺品を整理する気になって、処分をしないモノのリストを作った。その一番の優先品が夫の結婚指輪で、それをペンダントにして大事にしようと娘に頼む。デザインはスノードロップの花にする。花言葉があって、「慰め」「希望」「まさかの時の友」だという。
 ところが、交通事故死した夫の通勤鞄がのこされていて、そのなかに、愛人としか考えられない女性との仲むつまじい写真が大切にしまってあった。夫の裏切りを知って、ショックをうけ、怒りがおさまらない。スノードロップのペンダントもいまさら愛してもつことが出来なくなった。
 失意のなかで、かつて一人旅海外ツアーで知り合った友人、山下多喜子のことを想い起こす。(その時こそ夫は浮気を楽しんでいたのだと後で想う)。多喜子は一人旅同志としては、面倒をかける厄介な友であったが、彼女は結婚生活が破たんして、夫に結婚指輪を投げつけたのだという。それは質流れ品であった。
 私は、多喜子に電話してみる。多喜子は喜んで話し相手になってくれた。彼女は6年前に夫を亡くし、夫とは「死後離婚」という手続きしていた。籍を抜くだけで簡単だという。こうした話は、私の気晴らしなった。そのうちに、娘がスノードロップの花ことばに、別の意味があることが分かったという。その別の意味は「死んで欲しい」というものだという。それを知って私は、ペンダントを処理してしまうことにする。
 同人の感想として、スノードロップの花ことばを、オチに使ったコントの味と、多喜子というキャラクターを持った女性の面白さとが、マッチングしていない傾向があるので、文学的な味わいが薄れてしまったのではないか、という意見があった。これまでの三藤さんの持ち味と違う感じがしたとも。
 フリーライターの岡森利明氏はーー、一週間、閉じこもっていた原因が、交通事故で死んだ夫の遺品の中から、愛人の写真を見つけて、夫の不倫を知ったわけになるが、私ならば、それまで知らなかったことがさいわいだったと思いたいし、夫が死ぬまで隠し通したことを感謝したいところだ。夫は死んでしまったので、そんな関係は解消されたわけで、妻がそれをいつまでも悩む必要は感じられないが、この主人公は、結婚指輪をせっかくスノードロップに加工してペンダントにしてくれた娘にも言えないほど悩む。花言葉のひとつにたまたま「禁忌」があって、いやな夫の形見を身につける必要がなくなったのは、一つの救いになるのだろう。ーーと感想を述べている。
【北一郎「荻原朔太郎詩集考ランダム」】
 洋介は、自分の少年時代のことを回顧してることから、話がはじまる。洋介がどこにいて、どんな境遇かはその時点ではわからない。しかし、過去の出来ごとに、幾度も転居したこと、長嶋茂雄や、ちあきなおみのサイン色紙、ダイレクトカッテングレコードなどの話が出てくるので、その時代に生きた高齢者であることが推測できる。
 そのなかで、洋介は少年時代に買った萩原朔太郎詩集を今だに持っていて、そこに書かれた詩作品を通して、朔太郎の体験と自らの体験の共通点があると思っていたことを述べる。
 洋介は東京湾の海岸で漁師をするとことの長男だった。その少年時代に、水上警察の派出所に運ばれる水死体をよく見ていた。その光景が朔太郎の「くさったはまぐり」のもつイメージと共通すると信じている。
 そこから、天才詩人とただの生活者の基本的人生の色合いの違いを考える。
 同人の意見では、小説ではなくエッセイのようだ。少年時代に見たという水死体のある風景は、面白いというものがあった。
 フリーライターの岡森利明氏は、――題名からの印象で、詩集についての解説・書評かと思ったが、小説仕立てになっている。いまや老境にある洋介が、少年のときに詩集を手にした経緯や、その共感が語られている。洋介が育った環境や、家族たちや、友人たちとの関わりがよく描かれている。洋介は長男としての宿命を背負いながら成長し、直面する親族問題に対応して、解決策を見出している。
  著者は、全体的に要点をよくまとめている。萩原朔太郎の詩のエッセンスについても、核心に迫っているようだ。水死体の表現など、特にリアルだ。実際に見聞きしたものだろう。----と感想を述べている。
【桂城和子「神田連雀町」】
 神田須田町の裏通りに、一種類のお茶しかださない古いお茶屋があった。もう店を手じまいするつもりのある日、若い男性の客が現れる。そこで、この神田に昔あったという連雀町のことを話す。若者は大学入学に失敗した浪人の身で、家にあった五百円玉をもって、神田に来た時のことを話す。万世橋の近くに、団子を売る老婆がいて、武蔵野三鷹にある連雀町とは、振袖火事といわれた江戸明暦の大火との関係を語る。それを糸口に、江戸時代の世界に入ったような幻想的な体験を語る。
 作者の趣味性の強い作品で、個性的なものという意見と共に、時代考証的なところで、」矛盾があるという指摘があった。(この項おわり)

「グループ桂」76号の作品を読むその概要と感想記(1)

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
 「グループ桂」76号では、伊藤桂一師の亡きあとも、発行が継続されることになった。これまで、師の意見をもって充分としてきたが、今後は広く外部からの意見を参考にする気運が出て来た。そこで、各作品の紹介をする。伊藤桂一師の遺作品の巻頭詩については前回すでに触れている。
【宇田本次郎「連れの男」】
 時は江戸時代。場所は野尻湖に近い荒瀬原というところ辻の道で、一服している老人がいた。還暦を過ぎたほどに見える。そこで、千曲川下流の仏壇店の職人、佐吉と店の主人の親類の女、咲が通りがかりで出会う。咲と佐吉は、その男が有名な俳人、小林一茶とは知らないまま、道連れとして、峠の山道を越える話。その間に、連れの男の寂しい人生と境遇を知り、なんとか手助けできないかという気持ちになるが、それぞれの人生の立場があって、ただの道連れの男として、二人の記憶にのこる。
 この話の舞台となる地形や風景は、作者が実際に現場に行っているそうで、場所の風粋や自然の生み出す、地霊的な光景描写も読みどころとなっているという感想が多かった。
外部のフリライター岡森利明氏(北一郎の知人)からの感想をもらいました。
  「信州北部を舞台にして、西島仏壇店の二人の店員、咲と佐吉が街道で、謎めいた一人の男に会う。それが、当時でも俳諧の宗匠として知られる小林一茶ということがわかってくる。
咲と佐吉の煮え切らない関係が、読者に「どうなるんだろう」という興味を引く。周辺の地名、鳥や草花の種類が豊富に記述されているところに感心させられる。」
【佐田尚子「広瀬川の街(四)」】
 主人公の規子の実家は、広瀬川の流れる町にある。川から車で2分ほどのところに、一家が集まって住んでいるところがある。そこには、規子が結婚したの頃に建ててもらった店舗兼住宅や、貸しアパート、姉の豊子の家、規子の生家がある。
 かつては、父母、姉の豊子の家族、規子の家族、父母と同居する兄たちの家族と、血縁がまとまって住んでいた。その後、それぞれが土地をはなれ、しかし、父母の遺産相続した、兄、姉、規子と三等分され、そこに住むのは亡くなった兄の息子夫婦だけだ。しかも、姉の豊子は、一人暮らしが不可能になり、老人ホームの施設にいる。規子ですらすでに80歳に近い。そうした状況から家族の経緯が語られている。
 そのなかで、実家の空家が、自治体によって、そのままにしておくと、税金が高くなるという制度ができて、やむを得ず取り壊すことした。すると空き地を駐車場にする案がでて、その交渉過程が語れる。同時進行として、規子の長年の愛人関係が語れる。同人の感想では、愛人関係は、話の関連から浮いているという意見も出た。しかし、連載中なので今後の進行を見ようということになった。
  岡森利明氏感想=「姉の入院、所有する土地を駐車場にすること、規子と彬の三十年にわたる「腐れ縁」の3項目について、きちんと書かれている。腐れ縁のなかで、あなたとはもう絶対にセックスはしないと宣言したのはなぜだろう。」
【「長嶋公栄「消される裏面史」」
 岡野葉子は、2015年8月14日付けの神奈川新聞に、「GIベービー案内板、市が削除し書き換え横浜・根岸外人墓地」という記事を読んで、強い怒りにかられる。それは、太平洋戦争で敗戦し、米軍占領化で、進駐軍と日本人女性との間に生まれた「GIベイビー」(多くは、パンパンといわれた慰安婦たちの赤ん坊だったらしい)が埋葬されているとされる外国人墓地の案内板の文言を市が削除し、書き替えていたからだ。
 これが、前回の話で、今回はそのテーマを、葉子の1人称形式の「私」にして、太平洋戦争での無条件降伏の直前に、行われた東京大空襲と横浜の空襲のなかでの米軍による無差別大殺戮作戦の状況を、具体的なリアリズム描写で迫力をもって語られる。その残虐な死に直面した市民のなかで、出産する女性がいた。生と死の狭間で生き残った人々のトラウマを描く、作者の熱意と筆力を同人たちは、敬意を表した。
  岡森利明氏感想=「横浜大空襲の様子を、一人の若い助産婦の目を通して写実的に描いている。詳細に生々しく書いている。多くの生命が失われた中で、赤子の誕生が救いになっている。歴史の証言の一つだろう。アメリカは非戦闘員の多くいる街を焼き払う必要が本当にあったのだろうか。逃げ惑う人々を機銃掃射する必要があったのか。やはり戦争を早く終結させるためだったというのだろう。」(つづく)

「グループ桂」76号に伊藤桂一氏の遺稿詩「町で出会って」

IMG_20170528_0001_1 <「グループ桂」76号。5月25日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  詩人で直木賞作家の伊藤桂一氏の門下生による同人雑誌「グループ桂」76号が5月25日、発行されました。既報のとおり本誌の師である伊藤桂一氏は、昨年10月29日に逝去され、東京でも今年「偲ぶ会」が盛会のうちに行われまた。先の第75号は追悼号を出しました。それに次いで、師を失ってから第2回目の発行になります。今号も伊藤桂一先生の遺稿として、「町で出会って」が巻頭掲載されております。
 この作品には、編集者の次の言葉があります。
―― 「あの世もこの世も同じなんだよ」というのが先生の口ぐせでした。先生はあの世できっとニコニコしながら、私たちを見守っていらっしゃるでしょう。−−
  「グループ桂」は、伊藤桂一先生の指導のもと、文学のなかの小説において文芸界にその意義を追求するという意味を込めて、小説作品だけに掲載を限定してきました。エッセイや評論はありません。
           〜〜〜 目次 〜〜〜
◎特別遺稿詩 「町で出会って」 伊藤桂一
 この詩は、町で出会ったひとが、ニッコリ笑って挨拶をしてくださった。誰だか思い出せないが、だれでしったけ。何だか優しい人でした。甘えてみたい人でしたーーという雰囲気のものです。残酷な戦場体験者として暴力と憎しみの世界に押し流されることなく、平和な優しい心の世界に住む詩人ならではのものです。
■創作
「連れの男」 宇田本次郎
「広瀬川の街(四) 佐田尚子
「消される裏面史(二)」長嶋公栄
「スノードロップ」三藤芳
「萩原朔太郎詩集考ランダム」北一郎
「神田連雀町」桂城和子
―追悼「伊藤桂一先生」小林陽子
〜〜〜〜〜  ☆  〜〜〜
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。
IMG_20170530_0001_1<雑誌「季刊文科」71号>
  文芸誌「季刊文科」71号に、「グループ桂」同人より佐田尚子「追悼 伊藤桂一先生」と桂城和子「伊藤桂一先生を偲んで」の追悼文の寄稿が掲載されています。

「伊藤桂一さんを偲ぶ会」の様子を東京新聞で報道

IMG_20170511_0001_1「伊藤桂一先生を偲ぶ会」を記事にした東京新聞(5月9日付夕刊)>
  「伊藤桂一さんを偲ぶ会」を4月23日に都内で開催され、「グループ桂」の同人たちも参加した。その様子を東京新聞の5月9日夕刊で、後藤喜一記者による記事を掲載した。
P4230023<「4月23日の「伊藤桂一さんを偲ぶ会」で、語る詩人で文芸評論家の郷原宏氏。>
 記事は、「兵士の目で戦争を書き続けた作家・詩人で、昨年10月に99歳で他界した伊藤桂一さんをしのぶ会が先ごろ東京都内で開かれ、文学関係者ら約150人が出席した。」から始まり、詩人の新川和江氏の挨拶。作家で日本文芸家協会の出久根達郎理事長が、富士山麗に協会が作った霊園の墓守をしているが、それは伊藤桂一氏の長年の活動のあとを継いだものという話。詩人八木幹夫さんの談話。詩人で文芸評論家の郷原宏の伊藤桂一氏の短編捕り物帳シリーズについての談話を紹介している。
P4230028<会場でお礼の言葉を述べる千代美夫人>
 また、詩人の伊藤千代美夫人が述べた礼の言葉について「前の奥さんが亡くなられて何年かしてから一緒に暮らすようになりましたが、部屋に蚊やハエが沢山いるので、殺虫剤でシュウーッとやったら、びっくりし、とても悲しい顔をされた。とにかく生きとし生けるものすべてに優しいひとでした」としている。
  また、記事には日本農民文学会の前会長である木村芳夫氏が、伊藤桂一氏が「農民文学賞」の選者をしていた時の思想と農民への愛情について、想い出を語ったのであった。
P4230018<日本農民文学会の振興に力を尽くしてくれた伊藤桂一氏を偲んで語る木村芳夫氏。>
《参照:第55回農民文学賞の贈呈式における伊藤桂一氏

伊藤桂一さんを偲ぶ会に「グループ桂」同人も出席=東京

P4230014P4230025P4230013<東京で開催された『伊藤桂一さんを偲ぶ会』(実行委員会主催)の会場風景。かつてより「仏の伊藤さん」といわれていたそうで、その優しい人柄を反映して、敬愛者が多く大盛会となった。4月23日、都内にて>
 「伊藤桂一さんを偲ぶ会」(運営実行委員長・新川和江、実行副委員長・菊田守、以倉紘平。司会・山田隆昭、竹内美千代)が4月23日、東京・学士会館で開催された。多数の関係者参加し、盛大であったが。参加者指導を受けていた「グループ桂」からも門下生が参加した。
 第一部で、新川和江実行委員長の開会の言葉があり、来賓として日本文芸家協会の出久根達郎氏、日本ペンクラブの高橋千劔破氏、伊藤桂一先生の思い出を詩人の菊田守氏が語った。
 第2部では来賓の平沢照雄氏(H氏賞基金運営継承者)による献杯があった。
 また、伊藤桂一先生の作品の朗読を遠藤昭巳氏、在間洋子氏、春木節子氏が行った。さらにゆかりの詩人たちのスピーチがあった。その中には、日本農民文学会の顧問である木村芳夫氏や詩人の郷原宏氏などがその人柄を偲んだ。
  なお、実行委員会では、今後も伊藤佳一先生の偉業を讃えて「偲ぶ会」を仮称「竹林忌」として実施する予定だという。

「グループ桂」75号(追悼号)伊藤桂一氏の特別寄稿詩「小さな自然」

IMG_20161228_0001_1_1_1<「グループ桂」75号(追悼号)。12月15日発行。表紙絵・大沼陽子。題字・三浦真澄>
  詩人で直木賞作家の伊藤桂一氏の門下生による同人雑誌「グループ桂」75号・追悼号が12月15日、発行されました。既報のとおり本誌の師である伊藤桂一氏は、2016年10月29日に逝去されてしまいました。99歳でした。
  「グループ桂」第75号・追悼号には、従来通り、伊藤桂一先生の地特別寄稿詩として、「小さな自然」が巻頭掲載されております。
 この作品には、編集者の次の言葉があります。
―― この詩は先生の奥様が、古い詩稿から選び、黙って穏やかに 眠り続ける人を眺めながら
「彼はやはり立派だ」と心底から思うようになりました
 というお言葉を添えて送って下さいました――
           〜〜〜 目次 〜〜〜
◎特別寄稿詩 「小さな自然」 伊藤桂一
 この詩作品は、花が咲き、その花弁に蝶fがふわりと羽を降す様子を映したものです。そこで黙って咲いている花も、蝶の存在を展望しているのであろうという世界観が表現されています。どんなに小な世界のようでも、それは無限永劫の宇宙空間そのもである、という思想と感受性が読み取れる粛然としたものです。伊藤桂一先生には、若いころからの未発表詩想を手元に沢山保存してあると聞いていましたので、これもその一つではないかとも考えられます。
〔追悼 伊藤桂一先生〕
追悼文。
☆長嶋公栄/☆宇田本次郎/☆西原健次/☆桂城和子/☆三藤芳/☆北一郎/☆佐田尚子(伊藤桂一先生・御通夜10月30日。告別式10月31日。お式場・神戸エレガーノ摩耶クラブハウス。グループ桂のみな様の思いを背負ったつもりで、参列してまいりました。御棺の中の先生は白い白いお顔で、触れましたらとても冷たかったです。長い間、グループ桂をお支え下さいまして有難うございました。これからもお見守りください。そしてやすらかにお休みくださいとお祈りしてきました。)合掌。
■創作
「夜の鳥」 宇田本次郎
「消される裏面史」長嶋公栄
「広瀬川の街(三) 佐田尚子
「野良猫のうた」三藤芳
「葛飾有情」桂城和子
【編集後記】
 「グループ桂」七十五号(追悼号)をお届けいたします。
 伊藤桂一先生には平成二十八年十月二十九日にご逝去なさいました。お位牌には行年百歳と書かれていました。長い間ご指導を頂きまして本当に有難うございました。「グループ桂」第1号の初めから、更にもっと前、小説教室の時から随分長い間ご指導を頂きました。
 時に的確に厳しく、でも温かくご指導くださいました。私などはいつも厳しいご鞭燵ばかりでしたが、辞めようと思うこともなく先生のもとへ通っていました。
 そして「グループ桂」に関わるようになって、先生から頂く巻頭詩を拝読いたしますたびに、ああ、この方は本当の詩人なのだと、深く納得するのでした。「グループ桂」に長く関わりましたが。御恩に報いる程の結果も出すことも出来ず、申訳けないばかりです。
 近年神戸在住となってしまわれましたが、何処に居らっしゃいましても、私たちの先生であることには変わりはなく、頼りにしていました。でも、今は亡くなってしまわれました。寂しく、頼りなく、これからこの先はどうするのかと思いますが、ここ何年か離れていましただけに、先生が消えてしまったわけではない、あの温かなふくよかなお顔は今も存在すると思えるのです。(佐田尚子)
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、在庫分を頒布しております。

勝又浩氏「伊藤桂一さんを悼む」東京新聞に寄稿

IMG_20161104_0001_1<文芸評論家・勝又浩氏の「伊藤桂一さんを悼む」の記事。東京新聞11月4日付け夕刊>
 伊藤桂一先生の死去について、東京新聞11月4日付け夕刊に文芸評論家・勝又浩氏の「伊藤桂一さんを悼む」が掲載されました。見出しは「禁欲の万年歩兵だった」。
 そのなかで、「グループ桂」に関わるところを引用させていただきます。やや長いですが……。
『伊藤桂一さんが十月二十九日早朝、静かに息を引き取られたと、その夜おそく電話で教えていただいた。お歳ではあるから覚悟はしていたものの、やはり寂しい思いは消せない。伊藤さんの作品は残るけれど、それを保証した、あのお人柄にはもう触れることができないわけだ。
 お知らせくださったのは、同人雑誌「グループ桂」の佐田尚子さん。このところ伊藤さんのご容体が思わしくないとことから伊藤夫人とまめに連絡をとり、様子を聞いては、時に私の方にも情報を伝えてくださっていたのだが、これが最後の連絡ということになった。
 東京から神戸に移られてからも、伊藤さんは「グループ桂」に毎号巻頭詩を寄稿されていた。それが最近は奥様の手配による旧作からの選出だと聞いていた。われわれの文芸誌「季刊文科」でも、移られたのを機に「神戸だより」はいかがですかとお声を掛けたら喜んで下さったが、それも三回で中断となってしまった。ご自身の同人雑誌時代が長かったということもあって、こうしたマイナーな雑誌や書き手をいつも大切にして下さったが、それは最期まで変わらなかったのである。』以下略。

 素晴らしい追悼文の寄稿をされてくださった勝又浩氏には、同人一同感謝と畏敬の思いで、熟読。悲嘆のなかの慰みとさせていただくことでしょう。

伊藤桂一先生(99歳)が29日に永眠。お悔やみ申し上げます。

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<直木賞作家で芸術院会員・詩人の伊藤桂一氏の門下生による同人雑誌「グループ桂」の作品について、論評をする在りし日の伊藤先生。(撮影:伊藤昭一)>
 文芸同人誌「グループ桂」の御指導をいただいていた直木賞作家・詩人の伊藤桂一先生が、2016年10月29日、神戸・エレガーノ摩耶にて、逝去されました。最近は、ほとんど睡眠状態でおりましたが、本日永眠されたことがわかりました。ご親族の皆さまには、哀悼のお悔やみを申し上げます。

「グループ桂」74号発行!伊藤桂一氏の特別寄稿詩は「神」

IMG_20160709_0001_1 <「グループ桂」74号。6月20日発行○表紙絵・大沼陽子○題字・三浦真澄>
  詩人で直木賞作家の伊藤桂一氏の門下生による同人雑誌「グループ桂」74号が6月20日発行されました。伊藤桂一師は、神戸に在住して久しいなか、ケアマンションでの生活が続くなかで、特別寄稿の巻頭詩は、従来通り頂いております。
「グループ桂」第73号の目次は次のとおりです。
◎特別寄稿詩 「神」 伊藤桂一
 日本の自然の風土のなかに仏がおわすーーというものでありましたが、神はどこに、どのような形ので、森羅万象に存在するのか。鋭い感性が受け止めたもの、それが詠われています。
■創作
「蟋蟀橋ーこおろぎばし」 宇田本次郎
「広瀬川の街(二) 佐田尚子
「追憶の風」長嶋公栄
「湖を翔ける象」桂城和子
【編集後記】
  「グループ桂」74号をお届けします。
  今年も去年のような暑い夏が来るのかと怯えながら六月を迎えています。近年の異常ともいえる気象現象その他には驚かされます。
  大雨の結果の鬼怒川の氾濫、地元の人はこんな所まで浸水するとは思ってもいなかったと言う。ロシアでは卵大の雷が降り、ドイツでは一日三百七十ミリの大雨による災害があった。アメリカテキサス州ではいち時に何本もの竜巻が家々をおそった。そして地震は少ないと思われていた地域の中九州の連続地震。五年前の東日本大震災。
  これらは長い人間の歴史のなかで何度も人間を襲ったことのある、地球の活動のうねりの一つなのだろうか。活発な時と不活発な時のうねりの波の頂きにあるのだろうか。それも人間の底知れない欲望が作り出す、汚染やごみがさらに活発化させている波。
  それとも、地球は物質である。いつかは磨耗し破壊され無くなって行くことは決まっている。もうその時が来ているのだろうか。それなら、老いの目を見開いて、見尽くさねばなるまい。
  伊藤桂一先生からはいつものように先生らしい素晴らしい詩をご寄稿頂きました。今も食欲はあり、お元気とのことです。
  私たち同人もまだまだ頑張りましよう。(佐田尚子)

☆同人のお知らせ
  同人西原健次〈穂高健一〉氏は山と渓谷社より「燃える山脈」を出版されました。同人の方々は個人で出版、掲載等がありましたら詳細を世話人迄お知らせください
☆「グループ桂」の入手には、文芸同志会で800円(送料込み)で、残部があるものを頒布しております。
担当・北一郎《参照:「ベイサイド有情」2章・解題=北一郎詩集より 

長嶋公栄「鮮やかな記憶」を穂高健一氏が推薦、サイト公開

IMG_20160219_0001_1 <長嶋公栄氏が小説「鮮やかな記憶」を発表した「グループ桂」73号>
「グループ桂」73号(2月15日発行)に掲載の長嶋公栄「鮮やかな記憶」を、作家の穂高健一氏が、推薦作品として、《穂高健一ワールド内・小説「鮮やかな記憶」全文》サイトに公開しました。
 穂高氏は、この作品の意義について次のような趣旨を語っている。
  「戦争のむごたらしさ」。それらを後世の人びとに伝えていく。それは「戦争抑止」につながる大切な言論・表現活動である。
 戦争とは、理由のいかんを問わず、人間どうしが殺し合うことである。日本は明治時代から10年に一度は海外と戦争をしてきた。記録や写真などで残されてきた。そこから、私たちは戦争のむごい本質を読みとることができる。
 小説の場合は、過去の戦争を取材や史料・資料で掘り起こし、読者に戦争の疑似体験をさせられる。主人公を通したストーリーが脳裡に焼き付いた読み手は、心から戦争の残酷さを感じとる。
 読者の考え方、将来への行動までも変えることができる。それが小説の使命だと思う。少なくとも、それを目指すべきだと考える。「鮮やかな記憶」はその使命をしっかり感じさせてくれる作品である。
 昭和20(1945)年5月29日年の横浜大空襲では、B-29爆撃機とP-51戦闘機による、無差別攻撃(焼夷弾攻撃)で約8千人から1万人の死者を出した。
 主人公・花枝は17歳、横浜大空襲の時、横浜駅でB29の大規模な空爆に遭う。弟は旧制中学2年生だった。家族の生と死を分けてしまう空襲の凄さ、死体の惨さが克明に描かれている。
 戦禍の下で生きのびたひとたちも、戦後の悲惨な食糧事情が惨くの圧しかかってくる。
 都会生活者は自給手段をもたず、飢死、餓死の手前まで追いやられる。「物資移動禁止令」をかいくぐる。法にふれなければ、食べ物が入手できない状態がつづいた。
 必死に生きる過程を通して、花枝には物品を粗末にできない「勿体ない精神」がしっかり宿るのだ。
 戦後70年経った現代は、使えるものでも、簡単に捨ててしまう。「物余り時代」、「使い捨て時代」である。
 88歳となった花枝の「勿体ない精神」は、隣り近所や自治会と軋轢(あつれき)を生じるのだ。
 町内会役員は戦後育ち70歳前後である。花枝とはわずか10数歳ちがいでも、価値観に大きな違いと断層がある。作者はここにも鋭い視線をむけた作品である。
■関連情報=長嶋公栄「鎌倉の闇(五話)」を読んで「怪談話は好き」と伊藤桂一氏
 ☆米兵たちの性的慰安施設「国家売春命令の足跡」(長嶋公栄著)の反響
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