暮らしのノートITO

伊藤昭一ジャーナル★運営「文芸同志会」の郵便振替口座=00190−5-14856★「文芸同志会通信」&「詩人回廊」運営。  

作家・小野友貴枝のひろば

筆の力と可能性、薬丸岳「Aではない君と」=小野友貴枝

おの
 「Aではない君と」このような本を読みたい、そして書きたい。
 最初は、テレビ東京(30年9月21日夜9時)佐藤皓市・天海裕希出演のスペシャルテレビドラマを観た。この作品は、第37回(2015年)吉川英治文学新人賞を受賞した作品である。薬丸岳原作というよりも、私の好きな俳優に惹かれたと言う感じだった。何分にもサスペンスばやりで、またかという、まして14歳という少年ものは、自分の歳では胸が痛くテレビについていけないのが現状だ。しかし、この作品は違っていた、そしてすぐ原作が読みたくなった。きっと映像では読み取れない、少年の体付きや表情、そして離婚している夫婦の亀裂感などが知りたくなった。もっと気になったのは本当に14歳の「青葉翼」が、なぜ学友を独りで殺せたの、その動機と手段に興味を持った。いうなれば、よくある、突発的で動機の希薄な殺人、少年に性癖がある、学習障害的なものであれば、興味を持てなかった。が、もっと少年っぽい学友殺しがあるように見えたので早速、「Aではない君と」(講談社)を買って、一気に読んだ。
 筋書きは、神戸事件のA少年を思い出してくれれば、半分は作品を読んだことになる。そのあと14歳の少年と親子の関係、そして殺してしまった学友と父親への贖罪である。
 主人公の父親、吉永圭一は、息子が犯した殺人事件、という重い現実が受け止められず、相手の少年が悪いと思いこもうとする。もちろん離婚している妻に対しても、息子と同居を望みながら、充分にかかわりもしない育て方まで批判的である。しかし、吉永は、拘置されている息子に面会しながら、息子の心を見つめ、そこに巣を喰った友人を殺したくなった動機は、決して突発的な殺人ではないことを知る。この気持ちに近づき、父親のすべきことをしなかったことを息子にわび、2年の刑を終えた息子とともに生きることを、この後の人生として受け止めるのがストリーである。
 作品の中の会話を拾うと、「お父さんは、翼が一緒に生きてくれるだけでよい、友人のお父さんは息子を殺されてしまったのだから、もっと辛い」と息子に言う。そして、傷付いている息子には「僕の大切なものは、翼なんだ」と言って、殺人を犯した罪を2人で背負おうと約束する。
 本書は吉川英治文学賞を満場一致で受賞した、その中で、高橋克彦の講評は見事だ、「『小説にこんなことができるのか、』としばらく茫然としてしまった。『物書きの真の勇気』に心を揺さぶられたことを隠せない」と言った。
 私は、この言葉に全く同感だった。自分の言葉で言えば、作家の可能性、作家の持っている武器(たとえば、ピストルとするなら)を充分に駆使して、作品に打ち込み、そして命中した。それは読者に届く弾であって、過分にエンターテイメント的で、誰でも読める作品になっている。本心から、薬丸岳の作家魂に、感激した。
 そして思ったことは、小説を書くということは、このような可能性を持っている。犯罪を犯した親子の心の奥深い関係が書けるのだ、自分はどうかと自問してみると、否である。曲がりなりにも作家をライフワークにしてきているが、書けていない、筆の力・表現力の低さを知らされたような気がする。
 ここで、人間を書く可能性、創作の可能性に魅きつけられた。それほど、最近、出会った本の中では、最高品である。テレビを見た時にはこんなに感動する本だとは、想像もつかなかった読後感である。だから本の筆の深さ・力というものは本を読んでみなければ分からない、とまた思った。
 最後に、西上心太氏の解説にも書いてあるが、「本書は薬丸岳という真摯に小説に向き合う作家による渾身の一冊である。親はもちろん学校の先生、少年にもぜひ読んでいただきたい作品だ。」を引用させて貰った。それに加えて、創作者にも、描く本当の意味を考えなければいけない、と自分を含めて振り返させられた 痛い本である。(30・10・11)
  【作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール】1939年、栃木県出身。1962年、神奈川県立看護学院を卒業。保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。結婚後も3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所の部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。以後、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社)、『秘恋竹取ものがたり』(同)、「那珂川慕情』(同)、『恋愛不全症』(同)、「秘恋』(同)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。 
☆〜〜近刊「夢半ば」日記(全4巻)〜〜☆
<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュースタウンニュース・人物風土記私という存在は、肉体より日記の中にあった

長兄のプライドとその承継   小野友貴枝

おの
 今年、お盆に私は田舎に帰らなかった。本当は実家の催事で一番たいせつなお盆であり、まして家を70年以上支えてくれた兄が、昨年亡くなっている。その長兄が戻ってくるお盆に帰らないなど、そんな不義理はない。私の拠り所である実家に帰らない、帰れない自分がひどく辛かった。
 実家と同じ町内に住んでいる直姉からこんな電話をもらった。「今年は、お盆をやる人がいないのだ、だから兄ちゃんは、帰って来ないよ」と。もちろん長兄だけでなく若くして亡くなった両親も、そして私たち孫を親代わりに面倒見てくれた祖父母も帰れないのだ。
 何というお盆だ。400年の歴史を持つ実家、14代目の兄を筆頭にさ迷っているだろう。お盆をやらない年などあったろうか、私が知っている限り、初めてである。兄が戦争に行っている戦時中でさえ大きな仏壇を、奥の間に造作した。支柱を組み立て、新しい菰で作った2段の仏壇、上の檀には30近い先祖の位牌を全部ならべ、下の檀には御膳、果物を並べた。花は、野は山から取ってきた女郎花、桔梗、アザミ、百合を飾った。
 8月13日は他の家よりも少しでも早く提灯を持って先祖を迎えに行くのは年寄りと子供達の役目だった。
「家に帰るんだから、背中に乗ってちょうだい」と、子どもたちはそれぞれ墓にしゃがんで、先祖をおぶって、家に連れて帰る儀式をした毎年、お盆は大勢の客が来て3日間賑やかだった。思い出すと切りがないほど頭に残っている田舎、その生家に行かなければならない手はないと、心は騒ぐが、私は行かなかった。行ってどうするのよ、という声がする。
 お墓は、兄が死ぬ2年前に、大整理し、墓標9基、墓誌も2基、石垣で固めた上段に並んでいる。まるで武士の墓のようだ、もちろん帯刀を許された庄屋だから、この15坪ほどの墓は、贅沢でない。昔は埋葬だったから、3体並べられる広さは当然だ。
 この墓地を兄は最後の仕事として、先祖の骨を掘り起こし全部唐櫃に入れた。兄の偉業は、決して墓だけでない、40町歩と言われるほどの山林に、杉だけでなく檜、あすなろを植林した。
「俺の家は、60年後は大金持ちになる」と私たちに宣言した。
 しかし、2年前に亡くなった兄の跡継ぎが決まらない。兄には5人の子供、長男と4人の姉妹がいるが、まだ誰も相続していない。
 69歳の長男は県の中心地で商売(靴や)をしている。妹たち4人は、すでに結婚しているが、兄の相続に「いちゃもん」付けて、すっきりした相続手続きを邪魔している。それでなくても長男は、こんな僻地にひっこむことを厭い、自分の責任を回避し始めた。それを仲裁する兄嫁は、老人ホームに入って中を取り持つことができない。その結果、長男の相続は宙に浮いたまま、さらに本家の行事をまとめる人もいない、家屋敷は草だらけ。5町歩ある田畑は、農協関係者が耕作してくれているのでかろうじて荒地ならずに維持されている。
 広く社会を見てみると、こじれた相続だけでなく、あと継ぐ人のいない土地が、日本では九州の広さほどあると聞く。今後、何らかの施策をしなければ所有者のない土地が増えてゆくだろう。その代わり、北海道などは、水のおいしい土地(国)という銘柄で買われていると聞く。私の生家の土地も水はすこぶる潤沢で、美味しい。沢水で米作しているのだから。そのうち脚光を浴び、外国人に乗り込まれるのではないだろうか、人ごとではない。
 相続危機を乗り切るには、土地の管理者(使用者)になる人には相続税を安くするとか何らかの措置、制度を作らなければ、今後土地も、墓を守る人もいなくなる。いや、僻地は、家を相続する人もいなくなるだろう。
 長兄が守ってくれた土地、兄が一生持ち続けた地主というプライドは、どこに消えてしまうのか。お盆に帰れなかったという、私の小さな悲しみどころではない、山林に囲まれた生家がなくなる、という大きな悲しみに変わる日が来るのではないかと恐れる。(30・9・28)
  【作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール】1939年、栃木県出身。1962年、神奈川県立看護学院を卒業。保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。結婚後も3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所の部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。以後、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社)、『秘恋竹取ものがたり』(同)、「那珂川慕情』(同)、『恋愛不全症』(同)、「秘恋』(同)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。 
☆〜〜近刊「夢半ば」日記(全4巻)〜〜☆
<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュースタウンニュース・人物風土記私という存在は、肉体より日記の中にあった

高校野球「3塁打」への想い   小野 友貴枝

おの
  日記に「晴」、という字を書くときは、いつでも嬉しいというイメージで記している。しかし、この夏はよろこびではない。えっ、またあの猛暑か、という感じだ。
 8月5日から始まった高校野球大会は、猛暑を心配されたが、いつも大入り満席で評判が良かった。私は野球と言えば高校野球というほど若い時から熱烈なフアンだ。その歴史の中でも、今年の話題の中心は、金足農業高校。
 高校野球をはじめた年、1915年(大正4年)。秋田県代表は、秋田中で今の金足農の前身。秋田中は京都中に準決勝で負けている。それは103年前のことである。それから延々と次代は流れて、今年2018年100回の記念。100回の記念開催は、いつもの49校名から56校に、2校出せた都道府県が、7校あって、激戦の毎日であった。
 その中で、私が注目した試合は、神奈川県代表の横浜校が闘った3回戦、である。優勝候補と言われてきた名門の横浜校が、9回の表まで2対1で勝っていたのに相手校の秋田代表、金足農に2ランホームランを打たれ、2点逆転の末、負けてしまった。
 その時初めて「金足農」高校は、秋田市内にある、秋田県立金足農業高校だということを知った。そして、彼ら、野球チームは、市内の生徒で、自分のチームを「雑草軍団」と称しているとも聞く。私は、彼らの野球の素直さとチームワークに惹かれた。
 中でも吉田ピッチャーの笑顔。そして菊池キャッチャーとの選球のやり取りに、率直、明快さがでている。こんなに無防備でよく勝てるな、とさえ、思った。しかし彼らの野球はそのままの姿勢で、準決勝まで進んできた。準決勝の相手は、東京の優勝候補の日大三校だ。この高校に勝てるとは誰も思わなかっただろうが、予想に反して勝ち抜いて、決勝戦に。もうその時には日本中がフィーバーしていた。
 決勝戦では、ピッチャーの吉田輝星選手(ペンネーム? かと思われるほどヒーローになる名前だ)は、この夏1500球以上も一人で投げてきたから、もう投げられないのではないかと思われたのだが、監督は交代させることなく続けさせている。やっと5回で、川和輝君に、吉田ピッチャーはライトの守備に入った。これもチームの相談の上だというから面白い。高校野球など見たこともない人でも応援してしまう。また、団結力のある3年生ばかり、それだけ聞けば、最後まで勝たせたいと応援ラブコール。選手の長逗留の費用がないと聞けば、全国から募金が集まるのは、地方好きな国民性ではたまらない。農業高校出身でない私も生まれは農業の家だけにこの話は、農業の未来につながる夢を感じて、募金をした。
 最終戦の相手は大阪の強豪、大阪桐蔭に勝つかもしれないなどと、神がかった応援をした。確かに金足農の勝ち方は、神がかっている。勝負運というものが、天から降りてきたというようにアナーンスもあって賑やかな一時を過ごさせて貰った。
 私もすっかり、吉田輝星投手に魅せられ、話題沸騰した高校野球も16日に終わって、猛暑からもさようなら出来る。いつもなら、高校野球が終わると同時に、秋風を感じるのに、今年は、4年に1度のアジア大会ジャカルタ2018が始まっていた。
 開幕式は、5000人のサマンダンス(無形文化遺産)はまた、素晴らしい。初日から、私はテレビの前から離れられない。競技は、多種多様で40競技、462種目が争われる。18日から始まった競技の中で日本選手は大活躍、4年前の52個の金どころではなく、9月2日には75個の金メダル。日本中を沸かす水泳や陸上、そしてバトミントン、マラソンが、他国よりも秀でて、日本はアジアの中でスポーツ王国(12億人の中国には叶いませんが)としてもリーダーシップをとれているのかと感激する。未来を負う若者がスポーツに顕著になるのも、国の豊かさを表しているし、若者のアクテイブテイな生き方に感涙する。
 毎晩、スポーツにチャンネルを合わせるなど私の8月は大わらわでテレビドラマを見るひまがない。
 天侯もまだまだ秋が来そうもない、酷暑は続いている。37度の日中、外を歩けないし、外仕事の職業人は、ここ当分休んでいると嘆く。
 夜半までテレビで、スポーツのためだけではなく、高温で快眠がない、そのあおりで日中は、テーブルに突っ伏して眠っている。とも角、眠い。私の創作活動はほったらかし、全然進んでいない。眠ーい毎日。ーもちろんその通りですが」―の校正の第3稿が、そろそろ戻って来るころだ。本の出版という嬉しい出会いが待っている。
 その裏では、校正という厄介な作業が待っている、この仕事は作者に与えられた、試練である。もちろん出版社は、高度な技術で編集はしてくれるが最終の砦は作者本人の意気込みにかかってくる。作者の中に熱意、闘争心がなければ、いい本ができない。
 ある意味でスポーツと似ているだろう、違うところは、本は子供の出産と同じ、死に物狂いで自分が息籠らなければ子どもは生まれない。出てこないのだ。本を出版するたびにこの経験して、いつも、もう嫌だ、辛い、決して本など出版しない、と心に誓っているのに、性懲りもなくまた出版したくなる。
 自費出版で初めて本を出版してから、今年で15年経つ、単行本も11冊目に入る。
 そこで考えることは、1冊でもいいから3塁打ヒットぐらい飛ばしたいものだと。本の神様がおられたら、「小野友貴枝」の本に、一度降臨して下さいませんか。私に、本を出版して良かった、という喜びを味わわせて下さいませんかと、祈りたくなる、「吉田輝星」ピッチャーにあやかりたい。(30・9・2)
  【作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール】1939年、栃木県出身。1962年、神奈川県立看護学院を卒業。保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。結婚後も3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所の部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。以後、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社)、『秘恋竹取ものがたり』(同)、「那珂川慕情』(同)、『恋愛不全症』(同)、「秘恋』(同)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。 
☆〜〜近刊「夢半ば」日記(全4巻)〜〜☆
<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュースタウンニュース・人物風土記私という存在は、肉体より日記の中にあった

私の指南書(3)女性管理者を増やすために=小野友貴枝

 2016年4月から施行した「女性活躍推進法」に女性の管理者を、2020年までに30%にするとされている。では、今の女性管理者はどのぐらいかというと6.6%。
 日本における女性管理者は、これから増えていくだろうか。女性の働く環境は、急激に良くなり、いま非常勤女性が急増しているという。
 しかし働く女性の増加が、管理者の増加になるかどうかは、もっと時代が進まなければ無理であろう、と悲観的予測をしている。
 今、東京医大の不正入試が話題になっている。女性の合格者を減らすために12年前から減点し続けているという。「女性差別」の大きな問題である。この減点の筋論は、女性医師を減らし、男性医師を一人でも多く教育したいという大学側の意向である。男性医師は一生働くが、女性医師は生涯働き続けない、という現実を見据えた教育界の判断である。建前というよりも現実主義の採択であろう。
 これを国民側から見れば、どうだろう。また女性側から見ればどうだろうか。確かに趨勢を見れば、男性医師の増加を望む事情もある。現実、自分の主治医は男性医師、病院の担当医師も男性を求める。
 少し前になるが、小学校の教師で話題になったことがある。女性の教師が7割以上になると、小学校の教育組織がいびつになってしまうので、男性教師をある程度の割合に投入するという、教員室の組織づくり。その中に父兄も男性の担任を求めていたことが潜在化していた。医師も教師も指導者の位置に男性優位が存在する職業である。
 さらに、たとえて言うなら美容師は、女性の専売特許だったのに、いつの間にか男性にリーダーのポジションを取られてしまった。その上、女性の客は男性の美容師を選ぶ。なぜかと言うと通説ではあるが、男性の方がカットがうまいと思っている。
 確かに刃物の使い方はずっと男性の方が秀でている。料理界も同じ。コック長は100パーセント男性だ。さてここまで言うと、私は性差の大きさを説いてるのか、と思われそうだが、そうではない。
 女性の管理者は増やすべきであり、それに適しているジャンルはたくさんあると思っている。
 地方公務員、管理者経験を持つ私は、今の現状では、女性管理者は増えていかないと思っている。なぜかと言うと、職業女性の上層部は薄いし、長期的な継続年数も少ないから。
 管理者は一朝一夕になれるのではない、公務員で言えば、およそ継続20年以上である。
 20年、組織の中で働き続け、その業績が、指導者となりうると判断されば、管理者に推薦される。自らが手を挙げるのではなく、組織の引きがあってはじめて「管理者」のポストが与えられる。これは、一つの例であって、伝統的な事例では管理者への試験を受けなければならない組織、または会社が多い。継続的に働いたから、その結果管理者になれるという単純なレールは存在しない。
 1985年に制定した「男女雇用機会均等法」という男女平等の制度がある。入社においては、男女差はないが、継続的な年数から見れば、10年も経て、女性はほとんど退職してしまう企業が多い。そこでは女性の管理者を選ぼうとしても母数になる女性の職員がいないというのが、現実である。
 女性の管理者を増やすためには、女性が継続して働ける環境づくりと、女性の職業意識改革が必要であることを、社会が認識することが求められる。
 そして、男女の関係なく管理者に普遍的に必要とする必須要件を満たしているかどうかが問われる。端的な能力として、調整力・指導力・実行力・そして社交性をもち、周りと調和するバランス力が必要だ。
 女性が、なぜリーダーに選ばれないかという時に、管理者的な素質、意識が欠けていると言われている。私も改めて管理者に立ち向かった時に、考えさせられたことが多かった。女性は個人意識という視点は優れているが、集団意識に弱い、これらは、生来のものかもしれない。
 最近、私は管理者に適する性差の原点みたいなものを、子どもを観察して改めて男女の違いに、感慨を新たにした。
 歩きはじめたような男の子は、その歩き方が跳ねるように、飛ぶようにスキップする、飛躍。女の子は、スキップしない、そろそろと歩く、そして急がない。何故かは分からないが、男の子は、そこに台があればよじ登ろうとするが、女の子は下にいて見上げているだけだ。
 さて、この違いが私の眼には「そうか、こんなに小さなときから、女の子は安全に動くことを本能としているのだ」と知る。これら用心深さは、家庭の生活に必要なものだが、社会では邪魔になる。さらに、私の目を惹くのは、勉強をする態度だ。中学生の男の子を見ていると将来何になるか、または何に向おうとするのかも興味を持った学問と一致する。しかし女の子は良い成績を取りたい、と猛勉強をするが、そのこととが職業選択と一致するものとは限らない。女性の職業選択はかなり後から芽生える、その職業で一生働こうという意識にはなっていない。
 男女平等と言い続けて半世紀経つ。なのにまだまだ女性の管理者は育っていない。後天的な能力の差が縮まっていないと言いたいのだ。
 職業女性の進出の遅れは、参政権のなかった歴史の遺物である。これは男性集団が悪いばかりではない、革命を起こせなかった女性の意識教育過程にも責任がある。
 保育園が充実すれば、女性が働きに出れば、男性と女性が平等に家事をこなせば、女性の職業者の底辺は広まっていくだろうが、管理者になるには、まだまだ多くの課題と年数が必要だ。今、直ぐに出来ることは、やりたい職業につくということと、その継続性だ。そこで管理者になるには女性特有の生き方において、何が問題なのか学ばなければいけない。これを人生の指南書にしたい。(30・8・10))
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
 2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。              
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

「女社協会長ファイル」を書き了えて  小野友貴枝

 私は、長年書き溜めていた「女社協会長ファイル」をやっと上梓。先週、出版社に届けた。正式な日取りは分からないが11月には出版できるのではないかと思っている。出版社は、先の28年に発行した日記、「夢半ば」1〜犬汎韻検奮堯吠厳歇辧
 ストーリーの概要は次のとおり。
 〜〜英田真希は65歳、2004年12月に、大山市社会福祉協議会会長に選任された。彼女の前歴、渋谷の表参道にある公益社団法人日本看護協会の「常任理事」を4年経験し、同年5月末に退任した。
 10月に入っていたろうか、社協の会長として働いてくれないかと、当時の市長から相談が持ちかけられた。英田も家でぶらぶらするフリーな時期が5ヵ月あった。こうした生活に慣れず、退屈していた。
 なにしろ23歳から60歳まで神奈川県の地方公務員(保健師)を勤め、その後、すぐ日本看護協会、表参道まで通った。通算42年間も働いてきたので、肝入りのワーキングウーマンであった。
 65歳過ぎた今は、地元で働くのもいいだろうと思っていた矢先、市内の半官半民の職場、大山市社会福祉協議会なら、何にも心配することないであろうと快よく引き受けた。市当局は、英田がこんなに簡単に承諾するなんて、と驚かれたようだ。
 英田自身、市社会福祉協議会(市社協)の経験は初めてではあるが、現職時代、市社協と組む仕事も多く経験していたし、保健所の役割で、業務指導監査も何回か行っているので、それほど難しく考えることもない、かえって地域福祉の仕事、それもトップで働けることを「ラッキー」と思った。これが、女会長の出発点である。
 しかし、会長室に入った英田の日々は、決して生易しいものではなく、週2日の約束で契約したが、とてもそんな勤務体制ではこなせないほど会議や決議事項が多かった。そして地域のリーダーレベルが参加するイベントは週末が多く、「挨拶・行事」がらみで休みもなく働くようになった。その中身は、華やかさと裏腹に責任のある重い仕事ばかりだった。
 公益福祉法人・市社協の仕事はどれも取っても貴重な体験、参考になることばかりなので、記録癖のある英田は、自称「会長ファイル」と称し日々の出来事を書き込むようになった。その結果、3期の退任する時まで綴った原稿は、びっくりするほど溜まって、2千枚以上(400字原稿)になっていた。〜〜というもの。
 市社協退職後、私は、この実践記録をなんとかしようと整理し、まとめてみるとずっしりと手ごたえが感じられた。その結果、自叙伝として応募することに、全体の枚数を300枚程度にして、手始めに「北九州自分史文学賞」へ自分史として応募した。
 しかし、「女会長のファイル」は落選であった。それならと、他の自治体や出版社で募集しているいくつかの「ノンフイクション」賞に、応募してみた。
 しかし、これらも落選。きっと選者の嫌いな出世話、リーダーの記録など手にも取られなかったのではないかと僻み半分落胆した。その結果、女会長フアイルとしての潤沢な経験談は、世間に出す機会がなくお蔵入りとなった。
 すべての役職から身を引いた3年後、誰に遠慮することもない生活。そこで思い切って、全体の原稿を再構成し、なるべくドキュメント中心に編集しなおした。
 内容に見合うタイトルをつけ、主人公が立つ位置が解かるように、フィクションを織り交ぜ読みやすくした。各章を50枚程度のものに書き換えて、文芸誌「群系」に連載させて貰った。1作ごとに読者からの反応も増え、いつの間にか6回シリーズまで続けた。
 終わった時には、これなら一冊にしては、という読者からの要望もあってうれしい悲鳴を上げた。
 後押しされたその時の一文には「行政経験者が、きちんと行政語を駆使して、会長の視線で、公益福祉法人社会福祉協議会の実態が語れた作品は貴重だ」という評価を頂けたのでさらに出版への勇気が湧いた。
 ちょうど、世間は女性の社会進出を推進する風が吹く。私は、これらの経験を生かし、2千枚の原稿を1冊の本にしたいと意欲をもって、その編集に取り組んだ。
 全国の市町村社会福祉協議会会長の中で女性が占める割合は低く、1パーセントも存在しないというのが実態である。私が着任した時は、3100市町村の内2市町だけだった。この数字を見ても分かるように、稀なる先駆的体験の話である。
 その私が、出版に本気にならなくて誰がなるだろうか、誰もいないと。そしてこのドキュメントは後輩に残す私の大切な資産になるのではないかと、考えている。
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
 2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。              
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

私の指南書(2)オレオレ詐欺と母親   小野 友貴枝   

  「息子は、オレオレ詐欺」というキャッチコピーは、誰が作ったのだろう、警察関係の人に尋ねても分からないという。
 私は、駅前、ポリスボックスに停まっているパトカーの脇、ドアーに書かれている「息子はオレオレ詐欺」という字を読みながら、ロータリー発のバスに乗る。
  そのネーミングの厭らしさ、侮辱によく息子集団がクレーム付けないものだな、と感心する、もしこれが、「娘は、サギだ」などというキャッチコピーを製作すれば直ちに女性ネットワークから火の手が上がって、炎上するだろう。その点息子という集団は、おっとり構えていて、自分のこととは思わないのだ。
  オレオレ詐欺に、市町村、警察は毎日警鐘鳴らしている最中、7月5日の神奈川新聞で「オレオレ詐欺2800万円」伊勢原市の80歳代の無職女性は要求どおり2800万円を入れた紙袋を手渡した」と、報じられている。
  その上、あと1000万円の催促にも応じているが、駅前で、警察官に会って相談した結果、この方は未遂に終わったと報じられているーー(この女性は夫婦二人暮らし)。
 こんな世相の中、私は「息子と、開運」という作品を発表した(文芸誌「群系」40号)。短いノンフィックションもので、オレオレ詐欺がまだ、それほど知られていない、30年前の出来事の話である。
  私に、息子と名乗る者から電話があった。
「今、モーテルにいるんだけど、お金が足らない、代わりの人をやるから3万円持たせてくれ」。私は「どこのモーテル?」「ルート707」「分かった、お母さんが行くから、待っていなさい」。息子「来ないでもいいよ、その人にお金を渡してくれれば」「ダメ、お母さんが持っていく」と、話し中に電話が切れた。
  私は、すぐにお金を調達し、その707というモーテルを探した。しかし、見つからないので、駅前の交番で、近隣にあるモーテルを調べて貰った。
  その折、交番の巡査から、私のモーテル探しは、的外れで、「それはサ、息子の名をかたる詐欺だ」ということを教えられた。交番に寄ったおかげで、私はオレオレ詐欺に引っ掛からず、未然に防げたという内容である。その時、電話してきた男は、母親をだますということはこんなに簡単なのだ、といういい思いをさせてしまった。そのぐらい簡単に、「オレオレ詐欺」の言葉を信じてしまった。
  私は、「何とか息子を助けなければ」という一念で、頭が真っ白になっていた。しかし、その中でも、お金は息子以外の人に渡すことなど、ゆめゆめ考えていなかった。
  モーテルだろうが、遠方だろうが、自分で渡す、人頼みはしない、これが母親の務めだと思っていた。いくら息子に甘い母親でも現金を人頼みにはしない。するはずがない、息子に会って頬っぺたの一つも叩いて、手渡そうとするつもりだった。
 この時のことを反省すると、私は恥も外聞もなく、息子から要求されたお金を夢中で用意した。息子の声が、本当に息子かどうかわからなかった。モーテルの中から電話を来るはずがない、など混乱していて判断がつかなかった。いわゆる、この場では理性が働かない状態になってしまったのだ。しかし、息子が必要としているお
金を他人の手を借りて渡すことなど一切考えていなかった。
  「息子は、オレオレ詐欺」は、東洋的な母子関係に立脚していると言われている。なぜ、母親自ら、金策に走り回り、独りで、解決しようとするのだろうか。普通の母親が、日々の中では経済観念が発達しているとは思えない。お金のやり取りには第三者が必要だし、請求書から派生する手続きでは必ず領収書手元に残らなければいけないのに、まったく、素手でこの一連の行為を成し遂げようとする、母親根性が理解できない、と結びたい。
  大体、たんす預金を?するような母親は、自分にお金を掛けないという「貯蓄型」の女性が多い。その反動で息子に甘い。
  たまにしか連絡の来ない息子からの電話は、このキャッチコピーのとおり「息子はオレオレ詐欺」だと、はじめから思った方がいい、息子に無条件でお金をあげるから放蕩息子ができてしまうのだという、私からの指南書(メッセージ)である。(30・7・9)
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

姉を亡くしてー作品のテーマにも    小野友貴枝

   東京、高円寺に住んでいる姉が、この6月19日に亡くなった。死因は「老衰」とされているが、実際は「認知症」による拒食症であった。この一か月ほとんど食事をしなくなっていた、鬱になったのではではないかと、心配し入院させようとしたが、暴れて入院を拒否した。
  姉の認知症歴は長い。6年間在宅療養していた。子供達が交互に泊まり、姉を抱いて寝ていたという、幸せな療養生活だった。
  3歳違いの姉は、高校卒で、先に東京に就職していたから、私たち弟も含めて、上京の生活は、全部彼女に面倒見て貰った。
  学生生活も、その後の結婚生活も、子どもたちの名付け親にも、ほとんど彼女に相談して決めて貰っていたという頼りになる姉だった。(私たちの母親は、48歳、私が7歳の時に亡くなっている。弟は2歳だった)その上、私たちは、自宅を建てるときには、姉の夫が建設業にかかわっていたので、義兄の骨折りで、家を建てることができた。面倒見のいい夫婦だった。
  義兄は、10年前に亡くなっているので、このたびの姉の葬式は、結構子どもたちを含めて兄弟姉妹も途方にくれた。何分同居している息子は、病気を持っているせいか、いまだに独身。2人の娘は都内に入るが嫁いでいる。
  そこで、私は姉への恩返しと、葬式の陣頭に立って甥、姪を激励し、支え、家族葬を出す手順を整えた。お墓は、横浜市にあるが、自宅から遠いので葬儀は高円寺の某セレモニー場で行った。
  世話になった姉の葬式を滞りなく出して、3日後、秦野の自宅に戻ってきた夜、姉の夢を見た。
「友貴枝、私はここにいるからね」と言う声が耳元で聞こえた。
  えっ、と思った私は、独り言。「姉ちゃん、これから電話できないからさびしいよ」と言った。
  そう言えば姉には、ずーと、いつも、痴呆になってからでさえ姉に電話をしていた。どんな時でも姉は必ず、「そう、それでどうしたの」「また、小説書けば」「いいじゃないの、喧嘩しなさいよ」と、同じフレーズで、内容が分かっているのかどうか。分ってなかったかもしれないが、いつも励ましの言葉で応じてくれていた。
  認知症の姉に愚痴を言う私も私だが、電話を待っている姉も何にも抵抗がなかったらしい。私は「悩み多き妹」のふりをして、それなりの会話をつなげていた。
  私は、姉を失って寂しい毎日になった、何が寂しいって電話をする人はいなくなったことだ。このことを小説仲間の友人に伝えると彼女からメールが来た。
「あなたが、お姉さんを書いた、『ハッピー』と『ウィッグ』を読み返しました。お姉さんは元気な時も認知になったからも見事に生き抜いた方ですね!改めて感動しました。ご愁傷様」と打ってあった。
 私はこのメールで姉をテーマにした創作2編を思い出した。「ハッピー」と「ウィッグ」。そうだ、この気持ち、母親代わりの姉を亡くした寂寥感を最終章に書かなければ、姉との別れはできないと思った。
  私は友のメール返事に「ありがとうございます。いつも、姉は、私の心の中に居ます。今までは、いつでも電話できる人としてキープしていましたが、今はここにいると言ってくれました、夢ですが…」と返事した。
  私は、改めて気付いた、何の用事もなくてもいつでもどこでも電話で話せる姉を失ったのだと、急にさびしさが心に溢れてきた。涙を流す暇もなかった葬儀中の悲しみを挽回するようにポロポロと涙が流れた。(30・6・30)
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

私の指南書(1)「女性と新聞」     小野友貴枝

 朝、8時のバスで駅に出てきた。4時に起きているのだから、朝の早いのは決して苦にならない。かえって少しでも早く自分の時間が持てる方がいい。そして今はマクドナルドで、気に入った席に陣取り、新聞を読んでいる。
 新聞を読む時間が好きで、いつも2紙を持って出てくる。毎日新聞と神奈川新聞である。神奈川新聞は、前日、地方自治体に働いている娘に読ませて、そのお下がり。(2紙の購読料月7400円)これで1日、単行本1冊ぐらいの読書量になる。私は1面から、丁寧に読む。
 論説だけでなく経済、スポーツ、事件、そして投稿まで、多くの情報を、一挙に手に入るのだから安いものだと思っている。これが私の教養になるのだからと。さらに地方版、3面記事へ、これがまた面白い、何で「おれおれ詐欺」に遭うのだろうか、とさえ思ってしまう。
 朝・夕新聞を宅配してくれる日本の商習慣は、海外と比較しても少ないらしい。外国に行くと、スタンド売りを多く見かける。日本でも夕刊が夕方届かない地方は多いが、私が住んでいる市は3時半には届く。
 私は、文芸欄は総じて好きだが、中でも日曜日の別紙は文化面、映画が充実していて楽しみだ。新聞の投稿は、全部読むと、普段の欲求不満が解消する。
 週一回必ず読める短歌、俳句、川柳のレベルは高く、本で読まなくても、日本中の作家に会える。また新聞小説は必ず読む、毎日3作読んでいるから、こちらも本を買わなくて済む。
 しかし新聞が面白いと言っても何分にも、私の年代になると、新聞購読を止める人が多い。年金者だから、独り暮らしだからと。節約のナンバーワンが新聞料金とは、なんて情けないのだろうか。他の経費を削っても、という、生活者でありたい。
 とくに女性が、主婦が購読にケチをつけるらしい。テレビで充分だと。大体女性の新聞購読、または読者は、高くない。夫が読み終わってからというタイプが多い。そして読む時間がないという女性。
 新聞読者は、男性が主体だった。これにも問題がある、家庭の中で、育児の主体は女性だから、読んでおくと役にたつ。生活のすべてにかかわる女性が夫から情報を貰うというのは、何かおかしいと私は保健師業務をしている時から力説している。新聞は、広い情報、文化、そして多くの人の意見、いろんな世界の情報まで入る。
 食費を少しケチっても、孫にやる小遣いをケチっても新聞を手に取って読みたい。時間がないというなら、ちょっとの時間、百円コーヒーのマクドに入って新聞を読むスタイル、友達とおしゃべりしする時間があるなら、どうぞ。
 ちなみに、新聞の購読量は、デジタル媒体の躍進と世帯数の減少と高齢化で、統計上かなり減ってきていると報じられてしている。たいへん残念である。
 季節は、日長(ひなが)な季節、時間を有効に使って情報をたくさん取り入れてこそ、長生きしたいと思っている。(H30・6・2)
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

萩原きしの「光そこここに溢れて」編集逸話(下)小野 友貴枝

萩原きしの 光そこに溢れて<―萩原きしの短歌集大成―「光そこここに溢れて」(文芸社)>
 幸いに国内の歌人、世界の歌人は急増していると聞く。この期に歌集が書店に並び、歌作りなどに縁のない人が買ってゆく、そして読んで、どの歌人はいいね、という会話まで発展することを、私は期待して、姉の歌集の編集を斬新な方法で取り入れ、殴り込みを図った。
 その甲斐があって、1ページ5首、そして1千首の歌集ができあがった。(実際は校正の段階で、946首に)さらに編集の企画で、挿絵を入れて読者の目を楽しんで貰おうと、親しみやすい墨絵に挑戦した。今までの歌集に挿絵を入れることは少なかったらしい。
 姉の歌の雰囲気にあった、田園風景や、路傍の花、そして働く農婦の挿絵は、目に優しく歌集がさらに身近な本、読者が手に取りやすくなった。値段も抑えて1300円。
 姉の歌の中で秀でた作品には、農業の営みが直截的に歌われている。専業農業の姉の視線、立っている位置がいい。田畑の中で暮らす生活がにじみ出ている、山河、そこに生きる自然、野生の動物まで歌われた作品は、後世に残るのではないかと、私は自負している。
 編集長が付けてくれたタイトル、「光そこここに溢れて」(文芸社)は、農業歌人、5人の子を持った母親と子の情愛、長い人生を歌ってきた姉の雰囲気にぴったりだと自画自賛した。
 この編集にかかわった半年間で私は、多くのことを学んだ。短歌は、短い読書時間で読者の感性に届けられる。小説やエッセイはそうはいかない、時間をかけて読むという行為をしなければならない。
 さらにここで発見したことは、歌集は大人のものではない子供から高齢者まで、その年齢に応じた感受性、日本語の多様さは、気軽に誰にでも詠える歌が出来るはずだ。
 伝統に縛られずに子どもの歌集ができたらどんなに素晴らしいだろう、彼らのピチピチした歌集の編集をしてみたいな、と思った。
 私は、思いがけない歌集の編集にかかわって、創作一筋だった私のジャンルが広まった。今までと違った言葉、自然と心との交流に、感情の表現に幅ができてきたかも、と自己満足している今日この頃である。(30・5・16)
☆〜〜著書「夢半ば」日記と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

萩原きしの「光そこここに溢れて」編集逸話(中)小野 友貴枝

dorama2_n33711836_1<〜萩原きしの短歌集大成〜「光そこここに溢れて」(文芸社)>
 歌集というものは日本の2千年の歴史があるだけに概念がしっかりしている。慣例にならって、という固定観念があるのは知ってはいたが、1千部発刊し、一般の書店で売る、売れるように広告まで出す、という扱いは、普通の歌人にとっては青天の霹靂に匹敵した。その因習を破り、全国の書店に並べる、全国新聞に広告を出す、という企画で、私は歌集の編集に携わった。
 姉は、東京にある「沃野」という短歌結社に入って全国レベルで発表していただけでなく、地元においては岩瀬町公民館活動の短歌会、そして茨城県教育委員会の短歌会にも所属していたから、作品は結構溜まっていた。が、その割には、作品がどのぐらいあるのか、それも未発表の作品も含めて、まったく未整理状態であった。短歌歴40数年というのに、習作は、大学ノートに書いたまま、ノートだけでも17冊はある。その書き込みが完成した作品なのかまだその段階に行っていないものなのかさえ分からない。その上、歌を作った年月が記入されていないので経年的な編集ができない。専門の編集者に任せるほかないと、すべて段ボールに入れて、出版社(株式会社:文芸社)に送った。
 出版社は慣れたもので、姉の作品を経年的にくくることはせずに、歌ってい
る内容でまとめた。章だて、中見出し、小見出しを付けて割り振る仕法を取り入れた。
 作品は、2千首以上あった。そこから、私と編集者は合意の上で千首を目標に選びだした。大体歌集一冊は4百首が平均的なスタイルだったが、私たちはあえてその掟を破った。
読者側から見れば、完成した1首よりもその周辺の歌を詠むことで、中身が深く読み取れると思った。本のページ数は、250ページでこれ以上にはしたくないと決め、1ページに5首を、そして1首は縦長の1行にする。字体は、最大限まで大きくし、高齢者でも読めるように配慮した。これだけのことでもかなり画期的だったが、その上、表紙はソフトカバーで本は出来るだけ軽くした、読者が電車の中でも読めるようにと紙の質をえらんだ。
 今、短歌は多くの読者を得ている、また外国でも流行っているという情勢な
のに、その割に販売ルートに乗った歌集は少ない。歌集は日本古来の伝統に縛られ、販売よりも贈呈という流れが優先して特定の読者に届く流れになっている。だから歌を作らない人には、本が手に入らない。買える書店もない、まして図書館でさえ、ほとんど著名人でなければ閲覧棚に並ぶことがなかった。一般人の歌集が欲しいと言っても、手に入れることは難しく、私はたまたま行きつけのブックオフでたくさん並んだ贈呈本を手に取ることができた。贈呈本は読まれず、ブックオフに売られていた、歌集の陳列棚は、私書版の宝の山だった。
 無名の歌人の歌集が手に入らない、歌集はブックオフに行かなければ、という何と不便な世界なのだろうということを編集の中で学んだ。だから私は姉の本を売れるものとして企画したことは間違っていないと、自信を深めた。
 古い伝統だった短歌を、俵万智歌人は、多くの人に読まれる歌集を作って「サラダ記念日」(河出書房新社)を発売した、予期した通り短歌を作らない人でもこの本を買ったので、大ベストセラーになったことは記憶に新しい。俵万智歌人が誰でも読者になれるブームを作ってくれたのだから、それに習わなければ、やがて文化世界遺産として登録される時が来ても、歌詠みは、他人ごとと思われて、多くの人に受け継げないだろう。(つづく)
☆〜〜著書「夢半ば」日記と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった
QRコード
QRコード
Archives
  • ライブドアブログ