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作家・小野友貴枝のひろば

歓喜の朝(「夢半ば」日記より)家庭・子宝・職業=小野友貴枝

 私は何よりも朝が好きだ。すべてリセットされて朝を迎えることができるから。その中でも、歓喜の朝を迎えたことは、今まで幾度(いくたび)あったろうか。
 最近のことでは、この日記である。14歳から書き続け62年間、それを保存し続けていたことさえ忘れている。その日記を破棄することなく、外に出せることは至福の時である。
  私の一生も決して平たんではない、人並みにまた時代なりに苦労もあった。しかし、その中でも中学時代に決めた通り仕事(職業)だけは続けていた。いや仕事だけでなく嫁ぎ先の家族との同居、三世代に見守られ、元気な3人の子にも恵まれた。
 歓喜の朝の第1号は、子どもの出産である。次は、看護師・保健師の国家試験の合格。3番目は定年まで働いた職業の中で得たポスト、業績が認められて女性部長の着任である。
 退職後に恵まれて選任された日本看護協会の常任理事、さらに社会福祉協議会の会長である。これらのことを綴ってきた日記は、自分の分身として全部残っており、振り返ってみると幸運なことである。今まで世に出ている日記は、「他人に読まれるだろう」と予想して書かれているから日記の価値はその人のネームバューに裏打ちされて貴重だ。そしてそれは単行本になり図書館に並んでいる。
  私ははじめから人に読んでもらうために書いていない。読者を意識した日記は、日記でなくなり、自分の言葉を失ってしまうと信じていた。
 その点、私は書き続けたこともすっかり忘れてしまったというほど、無意識に日記をつけてきた。日記を指導してくれた先生にさえ見せなかったというほど、他者を意識したことがない。
 だからか私の日記は率直・愚直で、思ったとおりに記録出来たのだ。ことによると心の揺れと同じく内容にぶれもあり、生の自分を見せている。その通り私は他の模範となるような優等生でも、他人に自慢できるような生き方もしていない。あるとしたら貧乏、両親の早死、各種学校の卒業である。しかし、いつもそれらが半面教師となって「転んでもただで起きない」という根性で生きられた。
 私が日記を書き続けられたのは、私の心はいつも現状で満足しない、先を望む探求心が旺盛だからだった。その結果62年間も書き続けられた日記を(エッセイも含めて)世に出したいと思うようになった。
 そのためには家族の協力、本人の情熱がなければできない。
 そして私の中に残っている体力、気力、自分を信じる力を持って今日を迎えられる。
 私は文芸社の編集長に原稿を渡す前に一読した、その時の感想は、地球を一周したような心持ちだった。さっぱりしがらみを捨てて(いや残して)死んでいけると思った。
  文芸社の皆様には、この1年半大変お世話になりました。過分な励ましと激励があったからこそ、私の勇気が持続できたのだと感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
 そして私は最後になるであろう最高の「歓喜の朝」を迎えることができます。(2016年11月。小野友貴枝)<「夢半ば」日記4巻「あとがき」より>
IMG_20170121_102018<小野友貴枝。「夢半ば」日記1〜4巻を販売されている書店(秦野市)にて。>
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PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

郷土の作曲家”船村徹先生”を偲んで=小野友貴枝

IMG_20170121_102018<小野友貴枝。「夢半ば」日記の4巻を平積みにして販売をしている書店(秦野市)にて。>
  平成29年2月16日、船村徹先生が亡くなった。栃木県の船生町(現日光市)の生まれの先生は、郷土出身の偉大な作曲家である。美空ひばりの全盛時代多くの歌をヒットさせ、平成元年の「みだれ髪」がひばりの最後の歌となった。
 船村先生が、日本作曲家協会会長だった当時、私は、「パレスホテル東京」事務所へ呼ばれた。
 そのころ、私は、「那珂川慕情」を発刊し、書店に売り出されていた。先生はこの作品を読まれ、歌を作りたいと思われたようで、「作詞して来い」と秘書でもあった、走裕介さんから、日本看護協会にいた私に電話があった。
 私はうれしさ半分、那珂川募情を出版してくれた叢文社社長(伊藤太文)に相談した。社長は、光栄なことだと、私に同行すると決めて引かなかった。
 船村先生は、栄華栄達を極めた人のようにスイートルームの事務所に私たちを招待してくれた。ゴージャスな酒盛付きの部屋でまずは飲んでからということなのか、先生と伊藤社長は、曲の意図のことは話にならず、大声で歴史談義に入ってしまった。
  歴史と言えば船村先生も栃木の歴史、伊藤社長は生まれ故郷の山口県大内藩の歴史に(彼が藩主の末裔なので)、その自慢をむき出しにしゃべったので、船村先生は機嫌を損ね、「もう、歴史をきくために、友貴枝さんを呼んだのではない、社長は帰れ」と怒りだした。
  ホテルを追い出された私は伊藤社長を地下鉄に乗せ、急ぎホテルに戻った。しかし、その時は、伊藤氏を連れて行った私の非常識さを責めたかったのだろうか、この状況は収拾つかず、作詞のことは後の祭りになってしまった。
 私は縁がなかったと言うことで、すごすごと帰ってきた。その時の「歌詞」は今も手元に残っているが、考えれば考えるほど残念であった。
  平成18年に笠間市で、「高野公男」コンサートの折、先生にお目にかかれるかと思って出かけたが、その時は、もう「那珂川募情」は、先生の耳に届かずお会いすることはできなかった。
  また、桔梗会の旅行で(1昨年11月29日)船村徹記念館を訪ねる日程も私は、都合がつかず欠席してしまった。いつか先生の仕事場であった「楽想館」も訪ねたかったがこの計画も実行できないで終わった。   今、私は平成十三年の時に頂いた「歌は心で歌うもの 船村徹著」(日本経済新聞社)という署名入りの本を読んでいる。
  私は、戦後の歌謡史を彩った同郷作曲家、船村先生との大事なカイゴウを「ごじゃっぺ」にしてしまった不運を今でも悔やんでいる。
  さらに、悔やんでいることで、この1月1日に発売した「夢半ば」(日記)は私の手違いで先生の住所、藤沢市には届かなかったのでお手元に届かなかったことを知った。こちらも後の祭りであった。
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PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

「夢半ば」日記機銑犬糧振舛ら意義を再認識=小野友貴枝

IMG_20170221_101450_1IMG_20170221_101618_1<日本看護協会の機関誌「看護」の4月号に「夢半ば」の広告記事が掲載される>
 「夢半ば」日記の刊行で、友人たちや日本看護協会などの関係者たちから、うれしい反響が届いてきています。日本看護協会では、機関誌{看護」の4月号に「夢半ば」の広告を出してもいただきました。現役の看護世界の人々に役立つことになるとすれば、その意義を再確認でき、喜ばしい限りです。
 また、個人的には、親友の片山郷子さん(小説家:著者近作に「“目覚めよ”と呼ぶ声が聞こえる(鳥影社)」がある)のお便りにも感激しました。
 片山さんは、重度視覚障害者です。音入りパソコンを使って、耳を立てて書いています。それは、次のようなものです。『お送り頂いた本4冊は本日、北区の図書館の音訳グループの会長さんにお渡ししました。全冊朗読吹き込みをして、北区の中央図書館に入る予定です。』
親友で、大野喜久子さん(ポーラ化粧品会社員)から、つぎのような手紙もいただきました。
〜〜「『夢半ば』を読んで」〜〜  
  思春期から青年期―壮年期―成年期と人生の成長と共に変化して行く心の動きと感動、よくぞ貴重な体験を日記にして今日まで保管して置かれたと思います。 
  日々感性を豊かにまた前向きで、希望と不安との交差の様子にとても感動させられました。
  棘のある木も撫でて吹く風の如く夢中で前に前に進む様子、なにがあってもこの道を真っすぐにという情熱、夢中で進む姿は本当に感動しました。久しぶりに本物の書物に逢えた思いです。今の時代みな器械にとの対話が多い中、それぞれに迷い悩みしている現代の人により多く読んで頂き感性を磨いて欲しいと思います。これからも女性の先輩としてますます躍進する事をお祈りします。――
 IMG_20170121_102018<夢半ば」日記の4巻を平積みにして販売をしている書店(秦野市)にて。>
 また、文芸的な視点で、伊藤桂一(故人)詩人で直木賞作家の門下生の北一郎氏も、次のような意見を述べていました。
 「小野友貴枝「夢半ば」(文芸社)日記機銑犬蓮著者も述べていることだが、人生の過程での精神的内面の変遷の記録である。また、日々の感情の記録である。
 少女時代から、人生の後半までを丹念に記録すること自体珍しいことである。また、たとえ著者同様に日記を付けている人がいたとしても、それを出版することを考える人は少ないであろう。
 小野さんの話によると、交流する団体から、日記を出版することの意義について、講演の依頼があったそうである。また、内容にあるような、家庭を持ちながら看護の仕事を続けてきた経験と努力は、現役で家庭と仕事の両立を考える立場のひとたちにも、強い意志と信念の姿勢は参考にな、り学べるものと思える。
 そのことは、世間一般の女性の人生記録を、生きた形で保存された日記の貴重性を再認識させるものであるに違いない。それは回想録としての自伝と全く異なる自己表現としての関心を高めたということであろう。
 とくに「夢半ば」日記の場合、時間の流れにそって継続した人生の世代ごとに区切ってある。しかも、夢の実現に向かう思春期と青年時代、その夢の実現を成していく壮年時代、熟練の完成時代という節目があるため、その時々の内面の動きが良く観察できるテキストになっている。(詩人・北一郎)
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PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュースタウンニュース・人物風土記私という存在は、肉体より日記の中にあった

「夢半ば」日記の知名度が拡がる=小野友貴枝

IMG_20170121_102018<夢半ば」日記の4巻を平積みにして販売をしている秦野市の書店にて。>
 ことし1月の「夢半ば」(文芸社)日記集の刊行以来、多方面に告知をして読者を拡げてきました。
 神奈川県の「タウンニュース」1月21日号に「人物風土記」として記事になったほか、1月26日の同誌に「私という存在は、肉体より日記の中にあった」という記事が出ました。
IMG_20170123_084112_1_1_1<神奈川県「タウンニュース」1月21日号に掲載された「私という存在は、肉体より日記の中にあった」の記事。>
 秦野市内の書店では「夢半ば」を目立つように、4巻平積みして売ってくれていました。
  そして日本看護協会では協会ニュースの中で、「新春お年玉プレゼント」の抽選提供本に選ばれました。
  このように、多くの人に読んでもらう活動のなかで、親友の中沢さんから、さっそく次のような感想を寄せていただきました。
――長編日記、一挙に読ませていただきました。
 貴女の凄まじいまでの仕事ぶりに、まず圧倒され、飽くなき向上心と、それに見あった結果を獲得する日々に感動しまくりました。
 お子さんを3人りっぱに育てその合間に、創作に情熱を注ぎつづけるエネルギーは常人の域を超えているとしか思えません。他のだれにも到底真似出来ない偉業です。確かにこの日記は埋もれさせるわけにはいかないと、思って刊行に踏み切った貴女の思いが伝わってきます。
 多くの女性に読んで貰いたいとは思いますが、貴女の事を知らない人に思いが届くがどうか? 若干心配です。でも、自分の力で四冊もの単行本が出版できる事だけでも、貴女の人生の勝利です。――
IMG_20170125_101621_2_1IMG_20170125_101621_1<看護協会ニュースの読者向けお年玉プレゼントにも提供が決まった記事>
   さらに、看護学生の親友のなかに、音大を卒業したア―ティストがいるのですが、現在も舞台でカンツォーネを舞台で歌う女性からも次のような感想をいただきました。
  -――「夢半ば」四巻読ませて頂きました。コマ切れ読書で時間がかかりました。9人もの兄姉、しかもお姉さんが四人もいて、幸せ❗ 田舎に訪ねるところがあるのは良いですね。
  一生、仕事を持ち自分の手で人生を切り開いて行くバイタリティーには脱帽です。目標を持ち先を読んで実行する。社会福祉協議会との問題は貴女の並みでない強さ、自分で決める❗ は凄い。エッセイ、ナースあがり は私の感想として良かったですよ。未だ衰えない、創作意欲!  花開くことを祈ります。――
 私にとっても。たいへんに、励ましになるお便りに感激しています。
 また、文芸同志会通信でも「小野友貴枝さん「夢半ば」を刊行=日記と回想の違い」というテーマで話題がひろげられました。
 日記を出版することは、たいへんな気力・体力・根気が必要でしたが、2年という年月を費やして成し遂げました。それを多くの人に、どのようにして読まれるようにするかの重要性を実感しているところです。
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PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               

「夢半ば」刊行でタウンニュース(神奈川)記事に=小野友貴枝

IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面」>
 今年になって「夢半ば」(文芸社)四巻を発刊しましたが、さっそく友人関係や地域の人々より注目され、このほど「タウンニュース」(神奈川県)より取材があり、記事が掲載されました。《参照:タウンニュース・人物風土記
  タウンニュース誌の取材を受けた時、日記の出版の一通りの説明をしました。さっそく日記にしました。ここでは、そのQ&Aの一部を抜粋してみます。
 記者質問1:日記を書くようになったのは、いつ、どうしてですか?
 答え:書きはじめがいつなのか覚えていないのですが、日記の存在は29年1月1日ですから、これは中学二年生のことです。なぜ1月1日かは、日記の習いとして正月から付けるという習慣があったからでしょう。また日記を書くようになったのは、中学校の30年誌に書いてあるとおり、学校の指導方針に基づいて指導をうけています。そのころ中学校の生活が乱れていたので、文部省が力を入れていた、と聞きました。そして、日記は、先生と生徒との交流に使っていたようでしたが、どういう訳か、私は、日記を一度も担任の先生に見せていません。理由はよく分からないのですが、父親がなくなって継母との関係がうまくいっていなかったことも含めて、日記は先生に見せるものではないと思って、それを守ったのかもしれません。
  記者質問2:日記をなぜ、長く書いているのですか?
  答え:14歳から今日まで続けていたということは、自分でも不思議な気がします。それをよく保存していたことも我ながら感心しています。私がなぜ書き通したかと自問するには、キット自分の気持ちを書くことが好きだったのではないかと思っています。そしてその文章も日記らしくなく、その日にあったことがらで、気持ちや人間関係のことが書きたかったのかもしれません。いわゆる感情を書くことで自分の心を整理していたのでしょう。これは、今、あえて言うなら「自分の気持ち」をいつも問うていたのかもしれません。そのことは「私の存在」の確認とでも言えるでしょうか。「毎日書くことで自分を見失わなかった」と言えます。日記を書く習慣が「生きること」だったのかもしれません。というように答えました。ともかく書く習慣は、珍しいことではなくて「書かねばいられなかった」という方があっているかもしれません、と答えました。
 日記をなぜ書き続けたのか、それはよく答えらませんが、気持ちを書くことが好きだったという前提に立っていると思います。
  記者質問3:「夢半ば」というタイトルはなぜ?
  答え:私は長年創作に憧、いい小説を書きたいと願って来ています。しかし、仕事と家庭のことなどで充分時間が取れませんでしたが、この近年、創作の勉強と原稿に充分時間が取れるようになりました。かねて書きたいと思っていたテーマも見えてきました。それに費やす時間も多く取れていますので、もっと自分をのめり込ませたいと思っています。また書きなぐってある原稿も本で2冊分ぐらい放ってありますのでこちらも完成させたいと思っています。
  質問:どんなものをかきたいのですか?
  答え:やはり若い時から手がけ、そして自分の興味を持つテーマでもある、大人の女性を主人公にしたラブロマンスが書きたいです。そしてそれらをドラマにしたいのでテレビかそれとも映画にして残せればと思っています。
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PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               

「夢半ば」日記四部作の新発売に向けて=小野友貴枝

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PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 この度、14歳からつけていた日記、62年間を企画、編集し「夢半ば」(文芸社)四巻を発刊することができました。文芸社の広告で見ると「中学時代からの60年に及ぶ日記を厳選収録。職業婦人の歴史がわかる貴重な記録」と謳ってありますが、私の日記は、いつも心の有りようを淡々と書いてきたものです。
  日記を書いている人は多くおられます。しかしほとんどのかたは断捨離と言って棄てて、しまうようです。私は、もったいない文字文化だと、思います。生きた証しとして、私小説の一つジャンルとして残す勇気を勧めたいと思います。そんな覚悟を私は自分に課し、大袈裟ですが日記革命に挑みました。
  最後の原稿、「責了」に印鑑を押して出版社に送ったのは昨年のことでした。2年前、14歳からの日記を積んでしばらく考え、勇気を持って読んでみました。そのときどきの年齢でありながら、今の私が読んでも考え方に大きな落差はなく、経済的に自立したい、他者に依存したくないという信念は一貫していました。
  もちろん環境や生活は変わっているし、家族も動いているが、健康というベースがあったせいか、流れに逆らわずに生きてこれた。日記を3ヶ月かかって読み直して、そこで思ったことは地球を一周したような爽やかさと満足感です。なんだ私ってこのように生きてきたのかと、自分を見直すこともできたのです。
   これが私の人生かと思った時に、この存在感のある日記を捨てることはできないと決め、某出版社に相談しました。その結果、昭和と平成の今日まで職業を持って生きた女性の日記を後世に残して終末期を迎えてもいいんじゃないかと、大げさだが考えて、周りの反対者も説得して編集作業に入りました。
  しかし、いざその作業にかかって見ると、日記として整理をしないで書いてきた内容ですから稚拙な文体や、飛躍した文章、喜怒哀楽の激しさなど眼についてたじろいだものです。が、日記の内容に関し、編集者が選んだ日付の日記内容は一切加筆しない、という原則に即して編集を進めたのです。
  本来は、半世紀余の日記の前に私の履歴や世の中の動き、生活の動きを出さなければ、読者は理解し難いと反省させられたところもありますが、そこはあえて原型そのままにしました。そして、日記と並行して無意識に書いてあったエッセイ文を掲載することにしたのです。これで私の立ち位置が補完できたのではないかと思いました。見方を変えれば、この取り組みは斬新で、私小説風な日記スタイルがクリアできたのではないかと思っています。
  日記のタイトルは私の好きな、「夢半ば」としました。75歳の私が夢半ばとする意味は、人生もまだ半ばとする意味もあり、欲張りな人生です。 
  さらに62年間の日記を四巻にするに当たって各巻に次のようなタイトルを付けましたた。こちらも私の思い込みが入っています。  
1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)
 発刊は、29年1月1日。日記の書きだしと同じ1日とし、スタートを合わせて本屋に並ぶ。
  私は日記の出版という一大事業をクリアして、いまホッとしていますが、どんな本になるか恐怖半分で待ったものです。でも昭和から平成の62年間の人生は、私が言うのもおかしいが、山あり谷あり、川ありで興味深いかも知れません。
  私は、2年前、想定外の日記の集積に出会ったとき、中学の恩師からいただいた「日記を付ける」という生活指導が、私の一世一代の仕事になるとは、75歳の時までゆめゆめ思ってもみませんした。
  さらに、日記を書き綴けたという「宝もの」は、7歳で死別した母親の天国からプレゼントではないかと本気で思っているのです。
140125 004<小野友貴枝>
 ☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。

「風恋洞−friend」第44号のテーマは”家族”=小野友貴枝

IMG_20161213_0002_1<雑誌「風恋洞−friend」第44号(秦野文学同人会)。表紙写真:小野剛>
〜〜目次〜〜
「兄の葬式」小野友貴枝/「息子と私」盛丘由樹年/「久美子の家族」小野友貴枝
                  ☆
  文芸同人誌「風恋洞−friend」第44号は「家族」編というべきものになりました。このたび初参加の盛丘さんも、テーマを家族に絞った創作です。
 家族というテーマは、古くて新しいところがあります。小説を書く人は、一度は書きたくなるのではないでしょうか。書くことで家族へのこだわり方に気づき、改めて家族を直視することになるのかも知れません。
  私は、今まで家族に向き合った作品は書いて来なかったように思います。それは、家族という形が、似たり寄ったりであるためでしょうか、どこかで見聞したことと重なり合い、やり切れない思いになることがあるからです。
 2012年の第146回芥川賞受賞作 『共喰い』( 田中慎弥)などは、家族のなかから人間のエゴを掘り下げたと評価されているようです。小説的真実の追及にはエゴの極地も必要でしょうが、小説とは言え、そこまで家族関係が悪化している状況を反映しなければならないかと、思うと辛くなります。また、あまりにも日本的で気分が重くなります。
  出来れば軽快な筆致の作風で創作したいという思いから、家族を題材にしたものは避けてきました。しかし、このエゴの掘り下げこそ家族のテーマなのかもしれないと、最近思うようになったのです。家族を持っている人は、誰でも解決不能なテーマを抱えていることに気づいたのです。
  今回掲載の作品はすべて「私」を中心にしています。他人ごとと見放すわけにいかない、半永久に付き合わなければならないテーマでもあります。そこでは、読者が喜ぶようなサービス含みのハッピーエンドという解決策も見出せないのです。
私は、高齢になったせいか、世間が狭くなり、家族から逃げ出したいと思うこともあります。けれど逃げる場がありません。ぐちゃぐちゃと悩むことが多いのです。その家族に向き合って創作せざるを得なくなってきたようなのです。
  私の立場からは、いま流行りの長女との確執。盛丘さんは長男との確執。言い合わせたように子どもとの関係に付き合わざるを得なくなったのでしょう。
  二人とも幾多の創作をした末に、見つめる焦点を家族に合わせ、自分のテーマを客観的に見てみたくなったのでしょうか。これも高年齢のなせることで、決して中途半端な気持ちではないのです。やはり長年の書き手としての覚悟もありましょう。もう自分をごまかすのも、美化するのもいい、自分のありのまま、という生きざまを描いてみたくなったのです。でも、書いたものは決して潔いものばかりではありません。まだまだ追及が中途半端かも知れません。
  それは、あくまでも創作であって、言うなれば私小説風というジャンルで読んでもらえればと思っています。そして次号へもっと人間の奥を見開いてゆきたい、そんなものを書きたいと思っています。作品の到達度はまだまだですが、ここで家族編がまとまれれば、私としてもうれしいし、書き手の覚悟が少し表現できたのではないかと思っています。
  ご好意ある読者の感想をいただきたいと願っています。
(秦野文学同人会・小野友貴枝)
■関連情報=文芸同志会通信<「群系」37号作品紹介」
140125 004<小野友貴枝さん>
 ☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。


フェミニズムに迫る小野友貴枝「65歳ビューポイント」

IMG_20140812_0001_1<小野友貴枝「65歳ビューポイント」(日本文学館)>
 フェニミズム小説は、社会における女性の生活上の男女差別に関連して、その環境を描くもの。だが、日本ではその視点での小説であっても、フェニミズム作品と指摘することが少ない。そのなかで、作家・小野友貴枝は、仕事、恋愛における女性の立場の果敢に挑む作家である。著作「65歳ビューポイント」(日本文学館)は、2011年銀華文学賞奨励賞受賞作である。本書は中・短編「先輩関係」、2012年銀華文学賞奨励賞受賞作「泣ける」と表題作の3編が収録されている。
 「65歳ビューポイント」は、主人公が七井寛子という女性である。65歳で第2の職場を辞めて、無職の状況から再就職活動をするが、なかなかみつからない。
 そのなかで、身体障害者施設の看護師の募集があり就職する。その職務の現場の仕組みや仕事の内容が、新人看護師としての寛子の仕事ぶりを通して、具体的に描かれている。介護業界の専門用語を駆使したリアリズム描写が奨励賞受賞の要因のひとつであろう。
140125 004<小野友貴枝さん>
 しかし、寛子の奮闘空しく、失敗や周囲の無理解から1年ほどで離職する。失意のなかで、彼女は好きな花を育てることに今後の生活の支えとすることを決意する。
 同時収録の「泣ける」は、主人公の女性、岩橋篤子は地域福祉センターの理事長をしている。彼女もまた、市役所の仕組みや官僚的な仕事ぶり揺さぶられる。また、クレームを付けてくる市民の対応に苦しむ現状がよく描かれている。
 両作品とも、公的サービスを任務とする縁の下の力持ちの仕事での、どのような人間的な葛藤があるかを、真迫力をもって示すことに効果をあげている。同時に、作者の認識力を高めることで、働く女性の立場からの日本のフェニミズム小説の一環をなす可能性をもっている。さらに市民が普通に「お役所」と考える部署での知られざる苦労を知り、理解を深める効用がある。その意味で、本書は一読の価値がある。文芸同志会でも頒布の受付をしている。
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。


 

小野友貴枝さんが「文芸思潮」文学賞の佳作入選=東京

140125 009140125 012<雑誌「文芸思潮」の五十嵐編集長のあいさつ(左)と、佳作入選の小野友貴枝さん(右・中央)
 雑誌「文芸思潮」(アジア文化社)の主催する文学賞授賞式が1月25日、大田区民プラザホール(東京)で開催された。≪参照:「文芸思潮」サイト≫
 会員の作家・小野友貴枝さんが、小説「もちろんっその通りですが」で第10回銀華文学賞の佳作、エッセイ「ウイッグ」が「文芸思潮」エッセイ賞に入選し、授賞式に出席した。
140125 004<小野友貴枝さん>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
 小野友貴枝さんは、かなりの多作家で著書が多い。最近では、「愛の輪郭」(掌編版・短編版)地元タウン誌で話題になっている。≪参照:「愛の輪郭」≫≪女心四編を新書に小野友貴枝著 『秘恋』
 「文芸思潮」の文学賞授賞式は、銀華文学賞、エッセイ賞、イラスト・漫画賞の合同授賞式となっていりるため、各ジャンルの受賞者が全国から参加し、盛大であった。
 本文学賞は、作家歴の長い人たちの応募がお多く、しかもすでに受賞したベテランでも幾度も応募できるので競争が激しいようだ。また、イラスト・漫画賞の文学性を重視する賞があるというのも、時代に対応したところがある。
なお、第10回銀華文学賞の受賞者と作品は次の通り。(敬称略)〈当選〉波佐間義之「加熱炉」/〈特別賞〉高岡啓次郎「凍裂」/〈河林満賞〉室町眞「梱包の方法」/〈歴史小説特別賞〉吉田満春「鎮遠自沈ならず」/(優秀賞〉竹内 清「1969年・理英子と」、豊岡靖子「雨の愛子」、渋谷江津子「負の気配」、佐藤多美子「沖縄の叔母さん」。
 「文芸思潮」の文学賞受賞は、その生活状況の事情によっては、大手メディアに取り上げられることが少なくない。≪参照:母がつづる息子の遺志 「文芸思潮」で最優秀賞(朝日新聞)





第17回文学フリマで小野友貴枝「秘恋」を特別販売

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 11月4日に東京流通センターで開催の「文学フリマ」≪WEBカタログ≫登録後、新会員となった小野友貴枝の「秘恋」(叢文社)を少部数展示販売します。男性中心の社会で、女性がきっちり仕事をし、恋もするする。ビジネスとロマンをからめてのフェニズム視点の異色作です。まず見本をみて、アマゾンで注文ができます。≪参照:秦野市文学同人「風恋洞」代表、日本ペンクラブ会員。小野小野友貴枝「秘恋」 ≫
140125 004<小野友貴枝さん>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。



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