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伊藤昭一ジャーナル★運営「文芸同志会」「文芸同志会通信」&「詩人回廊」運営。  

カテゴリ: 作家・小野友貴枝のひろば

おの    今回は、私がなかなか意見を言えなかった「赤ちゃんポスト」について考えてみる。
   9月のブログで、ベィビ―ブローカー(是枝裕和脚本・監督)でやむなく妊娠して、出産し、その子の出会いというのか、その子の生きる方向について多くの人がかかわったという映画を紹介した。その延長戦というのか、その業界の取り組みとして「赤ちゃんポスト」構想があった。私はその活動を尊敬し、熊本市のことを紹介した。その話題の先であるとまでは言わないが、時を得ている。
   「都内に赤ちゃんポスト構想」が新聞紙上に載った。(毎日新聞2022年9月30日付)である。親が育てられない乳幼児を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト」を、東京の医療法人社団が都内に設置する構想を進めているという記事である。
 「2024年秋に江東区で産婦人科医院を開業し、ポストを併設する計画。 国内では2019年に熊本市の慈恵病院が設置した「こうのとりのゆりか」にとどまっている。〜 都内で小児科や皮膚科医院を運営する「モルゲンロート」(江東区)。ポストの使用や、児童相談所など行政機関との連携について、今後検討する。〜と掲載されている。
 私のこの記事を読んで、賛同したいと思った。 例えば、妊娠10か月の間に、産みたくても産めないで出産を待っている人がいるとすると、どのような苦しみを味わっているかもしれない。
 ことによると授かった命は捨てたくない人もたくさんいる。または、産むことで、環境は変わるかもしれない、それらに対応する公認の期間があれば、出産児を捨てないで生かすことが出来る。
  そんな時、公認された事前事業があれば、その難問は通過できるかもしれない。一時の問題は解決するかも知れない、そこを抜ければ、いい子がそこには立っているかもしれない。「ベィビ―ブローカー」のようなドラマを産むかもしれない。そんな役割を「赤ちゃんポスト」は生むかも知れあない。ぜひ、期待したいのだが、どうだろうか、やってみる意味は大きいかもしれない、その前に、もっと妊娠を避ける教育があるだろうと、現実派の人たちからお叱りを受けそうだ。
  私の持論はともかく現実が優先させられる取り組みを大切にする。将来を無視する訳にはいかないだろう、都道府に1か所ぐらい設置してほしいと願っている。だから思春期教育がちっともはかどっていない、今の現実をどうしますか、と私は問いたいです。(2022・10・2)最終回。
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年~2022。栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
article_210_112318_Image1_521_768☆最新刊=「愛惜の記」(文芸社)

★既刊=NEOBK-2410660_1「高円寺の家」(文芸社) 「社協を問う」(文芸社) 
★既刊=「夢半ば」日記(全4巻)PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)

おの    私はかろうじてスマホを使って生活している。スマートフォン(スマホ)は使わなければ、家族関係、友情もそれからちょっとした身の回りのニュース、または身の回りの情報も取れないだろう。
 何分、私は、テレビが嫌いで家でじっとしていることが出来ないし、その上、創作を趣味とする生きがいも持っているので、外からの情報ネットワークは、スマホに委ねている。社会につながっている窓ということになるである。
 外につながる、大切な情報網の一つであり、そのシステムを使って生きてゆかねばならないのだという現実に、頭が下がる。だから、1時間たりともスマホが機能を停止してしまえば、私の脳みそは開店休業と同じ役立たずになる。
   そのスマホの使いやすさ、情報社会の大きさに酔いしれていると、その有難さは言うに言われないものではあるが、ある時、ちょっとしたことで、何結いか故障をするときがある。そんな時、当然のごとくスマホの故障には、私は全く役に立たない。直すヒントも浮かばず、立ち往生する。「どうして」とそればかり唸って、道行く人、だれかれと関係なく尋ねたくなる。
 立ち往生した私を助けてくれるのは、いつものことだが、通行人である。
 この日は、喫茶店に入っていて食事中であった。
 「この画面、動かないのですが、どうしたらいいでしょうか」恥ずかしさもなく高校生、隣に座っていた男性に尋ねた。
 彼は、気後れすることもなく、表の画面を解除して、全体の設定見直しを図った。えっ、こんなに原点に戻ってしまって大丈夫なのか、大きな不安に陥った、でも彼に委ねるしかないと心を決め、任せた。 
 設定から、いくつかのボタンを押し、画面を開き、そして、また元に戻るルーチンを繰り返し、4度目になって、最初の画面にたどり着いた。この行程を眺めているだけの私には、全く理屈が分からない。しかし、当の本人はチョイチョイと繰り返す。私のメールナンバーも、そしてアドレスも必要としなかった。 「
 お願いして10分ほどたったであろうか、そこで、「ハイ」と言って手渡してくれたスマホは、今までよりも少しはっきりした画面になって、文字、絵の形が大きくなっている。
「おばさん、何歳か知らないけど、80歳向きにしてあげたよ、はい」
「うわー、どうして直ったの」と、訊きただしてみたが、本当は何にもわからないだけで、言うなれば悪かったところを聴いても理解することは無理なレベルだったらしい。
 「おばさんには無理だね」という言葉を後にして、学生は店から出て行った。
 「この時代、このコンピューターシステムが、すべての領域に入り込んでしまった」という恐ろしさ、もう、時代にはついていけない。どうしたらいいのだろうか、パソコンもスマホも日々の生活に居座って居る。
 今朝のように、隣りに男性がいてくれたから、気軽に頼めたが、もしこれが、中年の男性だったら、どうなのだろう。また、女性だったらどうするのだろう。
「私は自分では、理解できないシステムと取っ組み合って生活しているのだ」
 スマホを持ってはいるが、自分では直せない世界に生きている。気軽に人の頼んだはいいが、決してこんな出会いはないだろう。
「大丈夫だよ、おばさん、困ったら、若い男性に聞きな、ほとんど治せるから」と教えてくれた。
 パソコンも、かろうじて使ってはいるが、スマホは、どこをどういじっても、聴いても理解できないのではない、怖い器械だ。そしてその理解には今の若い人でなければ無理だと言われれば、さて、年齢の高い私たち、とくに女性は、今ココンピュータについてゆけない、という現実は、私一人の問題だけではなく、何とか再教育してもらわなければならない。でも私はもう再教育されてもついていけなくなっているような気がする。スマホを誰でも簡単に使えるようにして高齢な女性でも直せるようにしてもらいたい。 
  みなさん、スマホの故障をどうしていますか。どうしたらいいのだろうか、いちいち相談窓口に駆け込んでいるのですか。私のように厚かましく、傍に座った人に尋ねているのですか、これは大きな問題だと思います。教えてください。
  スマホは最高の通信機器です、もっと使いやすくならないのでしょか、なってほしいです。(2022・9・23)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
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おの  韓国の映画、「ベイビーブローカー」をみた。テーマも、ストリーの展開も面白かった。まず、タイトルがいい、今までの日本であれば、こんなふざけたタイトルは付けないであろう。ブローカーといういかにも世相を反映した言葉がいい。話題性が豊富で、今日の世相にフイットする、もちろん意味もすぐにわかる言葉だ。
 産みたくない妊娠で悩む女性は、日本においてどのぐらいいるだろうか。その一部に、産んだ子をトイレで、母親が独りで処分したという報道もある。また熊本県で出産した子の世話を放棄する「赤ちゃんポスト」という名称の取り組みは歴史がある。実績は公表されてはいないが、実態は繰り返されている。
 「妊娠」を継続して、そして「出産」という生理的な現象は、人類の発展に当然ではあるが、そこに「産みたくない」「産んでも育てられない」というアクシデントが生じることがある。このアクシデントに立ち向かった現実は、歴史を遡れば、昔なら、助産婦が、里子に出すという、隠された行為があったが、今はあり得ないので、出来れば、妊娠中絶を行っている。その行為が受けられず、出産の日を迎えてしまった女性は、その子を生まざるを得ない、その現実に産婦は苦しむ。なんとしても生を与えられたなら、子どもを求めている夫婦に届けようとする取り組みは社会現象として必要である。
 ベイビーブローカーはそこに着眼した現象で、法の眼をくぐる中で行われるので、危険が伴い、取り交わすものとして大きな金銭が動くことは当然である。
 この現象を映画化した脚本・監督は世界でも有名な、是枝裕和監督である。
 映画は、第75回カンヌ映画賞を取っただけあるし、いい脚本であった。さらに配役も良く、引き込まれた。それぞれが金儲けに徹する悪党ではなく、人間の良心、子どもを愛する優しさを兼ね備えていた。(2022年5月)
 そこで、終盤になると、売ろうとしている子供が愛しくなり、ブローカーの好意が、子どもを求めている親にも渡したくないという,ヒューマニズムに発展し、子どもへの扱い方まで変わってくる。そして、旅がいつまでも続けばいいという、自然な流れに代わってくる。この辺からこの映画の深さ、素晴らしさであろうか、ブローカーが変わってきて、なんのために旅行しているのか分からないほど、旅行が楽しくなる。
 最後には 、子どもを欲している夫婦に子供を渡すのだが、この夫婦とも子供への情感が育ってきてしまう。
 子どもを手渡す場面は、子どもを手離したくない気持ちとまで交差し、大変いい情感のある映画に なって、観客を魅了する。
 産みたくない、生まれては困る子どもを取り扱うという難しさを克服した、大変すばらしい映画になって観客は感動した。
 現代的で、難しい世相を反映した映画が、素晴らしいヒューマニズムの映画になっていた。これこそ是枝監督の主題であったのだと得心して、幕が下りるときには爽快な気分になって観客は、名残りを惜しみながら立ち上がった。
 私の、感想も大変満足し、現代のテーマ、世相にフイッとしたテーマを自然なドラマ性で投げかけてくれたという安定感まで得られた。(2022・9・3)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
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おの  認知症になり易い生活とは、と改めて思うこの頃である。何故かというと、私は自らの生活に認知っぽい症状を垣間見ることがあるからだ。
 例えば、「昨日、何をしたのか覚えていない」「誰に会ったのかも忘れている」さて、これはおかしい、ただの忘れっぽさではないかもしれないと、真剣に記憶をたどる。30分もすると思い出すが、でも不安は大きい。
  もう他人ごとではなく、残酷にも自分にフイと降りかかってきたらどうしようと、怖いし、情けない。私は、認知を避けるために、出来るだけ、家に独りでいないようにしている。幸いに、「物を書く」という習慣が根強く私を犯してはいるが、でもいつ何時、フイに私は認知症に犯されてしまうかもしれない、そんな杞憂が心を占めている。
 最近、私は3人の友人に、記憶の曖昧さを見た。いずれも何気ない記憶の再生力である。私は偶然に1か月ぶりに会った。そこで驚くことに、3人が似たように、前に会ったことを忘れていることだ。さらにそこで何をしゃべったのかということをほとんど忘れている。他愛のないことをしゃべったのだからしょうがないが、この忘れ方は顕著である。
 この症状を認知症というのか、それとも物忘れというのか、わからないが、確かにコミュニケーションは悪い。どのようにかと訊かれれば、まず具体性がないことだ。「あれ?」と思うことが多い。しかし、3人を比較していると一番良く覚えているのは、Aさんで、私が着ていた洋服迄覚えている。そして、自分は、レストランの帰りで、どこのカツが美味しいかということをしゃべった、という。
 次は旅行の好きなBさんで、何分ツアが趣味なのだから、四季折々にツアに行き、仲間が増え、山梨のブドウ狩りの話を私に丁寧に教えてくれた。次はCさんで、中学生の孫の自慢をした。音楽祭で楽団を編成し、いろんなイベントに出席する。本人が得意な楽器はマンドリンで、どんな場面でも使われていると自慢し、ここでは体育祭の話にもり上がった。Aさん、Bさん、Cさんの三人三様の話を丁寧に聞いた。おかげで私の友人情報は、かなり増えた。
 そして1か月後にまた、マクド常連客だという3人に再会した。この時、「あれ?」と思ったことをここに記したい。
  偶然会った関係だが、そこで話したことは三人三様である。これを知った私は彼女たちの生活のあり様を分析した。一番話題の多いのは孫のマンドリンの話をしたCだ。二番目はツアの好きなAで積極的に外の世界に溶け込もうとして、ほぼ毎月参加している独り暮らし。三番目は外食にだけ外に出るという夫婦だけの生活。
 この分類は単純すぎるが、しかし高齢者の記録力、物覚えの良さ悪さはどうも、生活のありようにかかっていることが大きく、分類できるような気がする。
  これは経験から醸し出す、家庭生活で、どのような会話が成り立っているかを知る一つのバロメーターになっている。一番悪いのは夫婦だけの暮らし、会ったことさえ忘れている。
  私の年齢は、83歳である。84,5歳は、認知症へ進むか、それとも高齢者のボケとの分かれ道のような気がする。ここで私は? 自問する。
 多くの人を見ていると、話をする機会のある人は、認知症になり難い。短期記憶も正確である。やはり、日々の中で、会話を多く持つことが必要なのだろう。こんなことに気付くから、出来るだけ、家に閉じこもらず、人の集まるところへ繰り出し、一人でも多くの人に会うように、話をするように気を付けて友を多く持つというのが、今の私の生活である。
  ここで一句。
白芙蓉心弾ませ友を待つ
             (2022・8・27)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
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■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)

おの 暑い日々が続き、異口同音に「暑いね」と言って通り過ぎる。その時に、私は、この暑い中で何をするか考える。どっちにしても一日は一日だ。まず家を出ることを模索する。 主婦の私が家にいる意味は大きい。
 夫も、かなり高齢で、認知症も始まってはいるが、私が傍にいない方がいい。自立心が旺盛でデイサービスに一日置きに行く。いかない日は独りで音楽を聴き、本を眺め、庭の草取りをしている。私が傍にいると怒る。生活の干渉や言葉かけを嫌う、無関心で放っておいてもらいたい、だから誰にも邪魔されない生活が必要だ。長年夫唱婦随などという言葉が通用しない夫婦だ。
  私は特段の用事がない限り、夫の昼食をテーブルに並べて家を出てしまう。家にいれば絶対に出来ないと思い込んでいる、創作のために。
 私は長年細々とではあるが、続けて来られた、「書く習慣」は、一番に図書館、2番が公民館で書ける自分を獲得したからだ。校正など、パソコンがいらない時には喫茶店のデスク。または外食事業で伸びているマクドナルドなどのテーブル。これらの場所で席が空く時間を見定めて、3,4時間座って原稿に目を通す。
 なぜ、家では校正を含めて書けないかというと、家は主婦の仕事をするテリトリ―で、体や頭脳が自然に動いてしまう。いわゆる責任のある場所だから、生活のために使うことに集中してしまって、書くという動作にはむかないのだ。
 だからパソコンやノート、ペンを置いても、書くという気にはならないし、集中出来ない。それなら町中に、事務所でも借りたらと勧めてくれる人がいるが、「書く」、自分占有の場所を借りても原稿は進まない。人の集まる中で、大勢の人を見られる場所、デスクで小説は書きたいし、その方が書けるのだから不思議な習慣だ。
 それ故に、半日、いや一日に2,3時間、時間があれば、私は、集中できる場所へ身体を持っていきたくなる。創作ということは、集中力の賜物、結果であるから、そこに自分を置かなければ、何かを編み出すことが出来ないのを知っているから、家を出たくなる。
 よく聞くことで、ある女性の作家を「キッチンライター」と名付けて、そう呼ぶ人がいる。それは、キッチンのテーブルで創作している人のことである。私にとってはびっくりする。なぜ、食事をするキッチンで、創作意欲が湧くのかという疑問さえ持ってしまう。
 どうしても想像できない、この場所は体を動かすところであって、物を書くという集中力を必要とする場所ではない。キッチンで書く作家は、料理を見ながら創作という集中力の世界に没頭出来るという器用で転換能力が高い人なのだろう、それとも動きながら、音楽に親しみながらでも、物を考えることが出来るという、ながら族。優秀な人なのかもしれない。
  私には絶対に出来ない、私は、家にいて小説は書けない、生活の場から、自分を離さなければ創作は出来ない人である。家は、とくに家事が主になる場所であって、けっして物を書く場所ではないこと、想像の世界に頭を泳がせることが出来ないことを知っているから。
  私もまだ書きたいものがあって小説を書いている。書きたいものがあるうちは書き続けたいと思っている。
  因果なもので、20年、諦めないで書いている。そのために書くために家を出る。それ故に家はいつも不在、空っぽだと地域の中では評判が悪い。いつかいい作品を書いて、見返したいと思っているが、果てし無い夢かもしれない、と不安に思う日々である。 (2022・8・9)
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おの  私は、真夏、背中にたくさん汗かく生活を、余儀なくされている。暑いと言っても家の中、冷房の効いたところでじっとしているわけにはいかない。庭先の用事、植木の手入れ、花壇、洗濯物の仕事が多い。
 だから、真夏は汗をたくさんかく。そのためにブラジャーでこすれ皮膚を傷める。この繰り返しで、昨年の夏には瘤のようなしこりが出来ていたが、とくに気にすることもなく、いつか直るだろうと放っておいた。
 しかしいつの間にかしこりは大きくなり、時々炎症を起こし、痛いと思うことがあった、それでもいつかは治るだろうと気にもとめずに、家にある塗り薬で対応していた。いつの間にか瘤は大きくなり、なんかの拍子にドアにぶつけ出血するようになった。それでも専門医に見せることはなく、今夏を迎えた。
  この瘤が時々痛み、汗をかくときに腫れがひどくなったので、重い腰を上げ、皮膚科を受診した。
この瘤は「良性の菌腫」と医師は診断し、薬の服用を勧められた。
 腫瘍は、専門医師の治療で進んではいるが、その薬の副作用、アレルギーの症状なのか、全身の掻痒感で悩んでいる。
  皮膚の痒みは大きな症状で、絶えず痒い。そして掻けば、そこが赤くなって、さらに、痒い、エンドレス。掻いたところが真っ赤な痣になる。この痒さは、一日中掻く、そして赤痣を残す。そこが痛い。皮膚が弱くなっているから、なおさら斑点がただれる。この繰り返しを四六時中繰り返す。何が一体原疾患なのか分からない、痒さが原疾患のように皮膚を掻き毟っている。
 だから、夜も熟睡できずに掻くから、私の精神状態は悪く、イライラ、集中力がない。どこか、上の空で根気がない。こんな状態を2か月も続き、物を書こうとしても、そこに入ってゆかない。
 主治医に相談して、かゆみ止めを貰ってはいるが、このアレルギーの症状は取れない。さらに痒い生活に追い込まれて、私は、人前でもブラウスの上から掻いている。
 毎日の生活は、潰瘍のただれと、痒さで、気分が悪い。しかし気分が悪いと言っても涼しいところでじっとしているわけにはいかず、30度以上の生活をこなしている。痛いよりはいいかもしれないと自分を慰めている。
 なんという夏なのだろう、なんでこんなに痒い夏を過ごさなければならいのか、病気の本質が菌腫なのに、私は痒さと闘っている。もう掻くまいと思って、別のことに関心を向けているが、いつの間にか、「痒い、痒い、痒い、……」と唸っている。本末転倒の生活である。(2022・7・23)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
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おの  私は、習い事が苦手で、昔から、趣味の会に入ったことがない。だから、文化的な活動にも興味がなく、いつも一人で、図書館に籠って、読書、創作という一人ででもできる趣味を生かしていた。
 しかし、ある時、地域に友達がいないのも寂しいものだと思うようになった。周りの中高年齢の女性が、生き生きとコーラス、読書会、俳句、パッチワーク、編み物などを通して仲間づくりをしている姿がうらやましく、どうすれば仲間づくりができるのだろうと、足を止めて考えるようになった。
 こんな時、喫茶店で出会う「秦野囲碁同好会」の男性たち  の会話が自然に耳に入ってきた。囲碁の話だけでなく、社会の動き、そして老後のことまで語り合っている。この方たちの友達と呼べるのかどうか知らないが、他に例を見ないほど多くのことを語り、また仲間意識が強いことに感激した。  
 「囲碁ってそんなにいいものかしら、高齢の初心者、私でもできるかしら」と、耳を傾け始めた。その方たちは「有段者」というハイクラスの人だったのだろう、が年齢を感じられないほど向上心に燃えていた。
 何よりの魅力は、この喫茶店のあるビルの3階で毎日、午後碁会所が開かれて、会員は碁を打っていると聞くと、高齢期の人が毎日参加して、楽しい時間を持つむことが出来る。そんなことはめったなことではなかろうと思えて「私もそんなに燃えることがあったら……」と関心を持ち始めた。
 その気持ちが伝わったのか、囲碁会の仲間の一人から「小野さん碁をやってみませんか」と、自然な雰囲気で勧められた。
 「え、囲碁って、それも高年齢の私でもできるのかしら」と、囲碁がどんなものか全くわからないのに目の前が開かれたような気持にさせられた。
 丁度その頃、私はテーブルを囲んで、または生ビールを飲みながら語れる話題があったら毎日が楽しいのではないかと、関心を持ち始めた。
 「碁のこと何にも知らないのですが、囲碁の打ち方を教えてください」と秦野同好会会長に、オズオズと尋ねてみた。
「習いたいのですか」と会長はびっくりしたのか、質問してくれた。
「はい、碁石をにぎったこともありません」と、率直に答えても会長は驚きもせずに、「丁度いい先生がいるから、教えてもらいなさい」と、私に丁寧な言葉を掛けてくれた。
「はい。この会の中に先生がいるのですか」とさらに、小さい声で訊き返した。
「囲碁普及指導員の資格のある人がいます」
 待ってましたとばかりその場で、先生とご対面して、私は受講生になった。囲碁の西も東も分からない私は、碁会所の仲間に入りたいばかりに、身の程を顧みることもなく、その場で受講生になった。
「お願いします」と頭を下げた。何にも知らないから怖いもの知らずかも知れない。
「はじめは週1回、2時間」と、いうスケジュールが出来た。
 その日から2年間、私は一回も休むこともなく毎週きちんと通っている。
 何を学んだか、ここに表すことはできないが、それでも真面目に予習、復習し先生の作ったテキストに添って、碁の打ち方を学んでいる。
 今の私に言えることは、ゼロからの出発ではあったが、碁の仕組みは、勝負であるから、相手に負けないように、小難しいルールに則して闘いを挑んでいる。その仕組みは膨大で面白い。身の程知らずと言わずに、多くの女性の参加を期待したい。
「知性のある面白いゲームです。わずかではあるが進んでいる」と褒め上手な阿部先生に委ねて、あっという間の時間を楽しんでいる。
 囲碁同好会の方々は、進歩の遅い私の戦いぶりを、いつも応援してくださっているので引くに引けずせっせっと通っている。
「もっと多くの女性の会員がいたら雰囲気も華やぎ仲間づくりにはいい、さらに男女混合の囲碁会ならば、認知症の予防にも、囲碁は最適だ」と、私は、自慢げに仲間に話したい、と思う日々である。(2022・7・2)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
article_210_112318_Image1_521_768☆最新刊=「愛惜の記」(文芸社)

★既刊=NEOBK-2410660_1「高円寺の家」(文芸社) 「社協を問う」(文芸社) 
★既刊=「夢半ば」日記(全4巻)PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)

おの 賃貸住宅で生活する家族を書いてきて11編になった。最後の家族「再び出会えて」を描いた時、私の中にある、さまざまな家族への思いがかなり書けたのではないかと思った。
 最後と自認する家族は、高齢の夫婦で、その夫が、未知子の高校時代の初恋の人にそっくりな容姿を持つ人で、故郷も職業も同じである。この出会いで彼女の心の中には波紋が巻き起きる。
 なぜ、50年前の彼に似た人が、偶然にも未知子の借家に入ってきたのか、謎解きのような出会いである。未知子も、その偶然性に、心が温まり、昔の恋人に似た人に親近感を味わい、さらに心の交流を深めていくのである。
 初恋の人に似た彼との再会は、主人公に大きな感動をもたらし、賃貸業も人との出会いであるというスト−リーは終わる。
 この出会いは借家の持ち主として奇跡に近く、人と人とのつながりの大切さを再認識して、家の賃貸業も、深い人間関係であるという感動に浸った。
 「賃貸物語」というテーマを掘り下げてきて、いろんな家族が書けたのは、何結いか、ここで整理してみようと思う。
 さらに貸家の経営に携わる中心人物、主婦の大澤未知子が主人公になっている。なぜ、貸家を造ったのか、なぜ貸家に入ってくる家族が、自家と違って、形式に捕らわれず自由に生きられるのか、その自由さを率直に掘り下げてみたかった。言うなれば、生活の基盤である「自家」と「借家」の違いを家族関係において書いてみたかった。
 例えば、自家の枠組みは、夫婦単位であることが普通であるが、貸家においては、その縛りがなく、いろんな構成員で生活することが可能になり、共同生活者として書ける。
 故に、男女の関係において、同居するものがどんな扱いを受けるかなど関係なしで、ストリーは展開できる。「愛人関係」でも「同棲者」であっても「同僚」でも「未婚者」であっても、他者の眼を意識することがなく生活することが出来る。その関係は二人の問題であって、周りの視線、地域とは関係ない。故に幾通りもの家族が作れる。
 そこに存在する同居人がどんな関係でも構わないし、他人に介入されることはない。これが人間関係の枠組みである。同居する動物も同じである。兎であろうが蛇であろうが、関係なしで、同居生活は成り立ち、他者の介入は無く、家賃さえ払っていれば、特殊な生活を維持できるという貸家に眼をつけて、私は「賃貸物語」を書いてみた。
 かなり、ユニークな家族関係が書けたのではないかと思っているし、家族関係がかなり文学的ではないかと、自負している。
 ちなみに、11編の「賃貸物語」概要を整理してみると、1は「ネコを侮るな」、2は「金魚の縁」、3は「犬を盗まれた」、4は「ブンチョウ秘話」、5は「ウサギ愛しや」、6は「借家を建てる」、7は「DV家庭 モモンガが飛ぶ」、8は「離婚歴3回」、9は「十代妊娠」、10は「小児虐待死」、11は「再び出会えて」である。それぞれの作品のボリュウムは50枚から100枚(原稿用紙)で、内容はすべて独立しているが、作品の視点は、大家の大澤未知子で構成している。それぞれの主題は、現代に焦点を当てており、結論として、貸家の存在は地域福祉であるとの見解を作者は確認している。当作品は、「みなせ文芸の会」「群系の会」等に掲載している。(2022・6・17)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
article_210_112318_Image1_521_768☆最新刊=「愛惜の記」(文芸社)

★既刊=NEOBK-2410660_1「高円寺の家」(文芸社) 「社協を問う」(文芸社) 
★既刊=「夢半ば」日記(全4巻)PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)

おの ブログを書こうとするが、思いがけないアクシデントに侵されて、次への切り替えが出来ない。それは、単純なことだと思っていた、背中の腫瘍のことである。
 肩甲骨の出っ張りの所に、真夏、ブラジャーとの摩擦で、皮膚が傷み、こすれて、結構深いただれが出来てしまった。この始まりは、たいしたことではないと思って、家にある、化膿止で対応をしていた。その炎症がなかなか治らず、その上、その場所は、戸口などでぶつけやすい所でもあって、何回か堅い戸の角にぶつけ、出血した。その折でもいつもの無精で外科に見てもらうこともなく過ぎていた。
 しかし、ある時、あまりにも治りが悪いので皮膚科にかかった。その場で、大学病院への紹介状を渡され、いやいやながら某大学病院に尋ねた。
 病院で、患部の組織検査とペットの検査に入って、また放射線検査まで。大ごとになって、私は、びっくり、そんなに悪いものが出来ていたのかと、信じられぬまま、組織検査の結果が出て、「菌性腫瘍」という診断がついた。そのことが私にとっては、無自覚なだけに、ただ驚くだけで、未だ他人事と思っていた。
 治療をする段になると、医師は、新薬をと、かなり副作用のある薬を処方された。それがまた本当に副作用がひどく、気分が冴えない、食思が湧かない、そして手先が震える、そして何とも言えない気だるさを味わっている。また気分の問題だろうが、毎日体が重い。ただ重いだけならいいが、なんか冴えないから、病気への不安感も増す。さてどうしたものかと、疑い深くなり、これは大学病院の餌食になっているのかもしれないとさえ思うようになってきた。
 大学病院などに紹介されるんじゃなかった、と一番目の皮膚科を恨んだ。もっと、近くの総合病院で、治療を受ければよかったと、そればかり後悔していた。
 しかし、今さら医者を変えるほどの勇気もなく、私は、大学病院の皮膚科の勧めに乗って、服薬治療を3か月行った。しかし、どうしたわけか、その治療は副作用ばかり、本人を苦しめ、患部はちっとも良くならない。腹が立つほど患部の改良がない。そして、ここで、また新しい点滴療法を受けるようになった、この治療は、がん患者の治療で、その延長線にあるということが分かった。
 点滴を5回、一週間間隔で行うことになった。こんな大袈裟な治療を、と思っているがこの治療で回復するならば、それはそれで前進だろうと、私は食欲不振やら意欲の減退に悩みながら、治療を受けている。まったく厄介な「おでき」を作ってしまったと悔しさばかり。
 もっと早く気づき、もっと自分の身体を大事にすればよかったと、反省する日々である。また自分の不注意さが悔しくてならない。私はなんて、馬鹿なのだろう、どんな痛みでも初期に対応する必須要件を、後回しにした不注意さが悔やまれる。もう、歳なんだからと、自分を痛めつける。そして本当に、自己過信のモデルみたいな自分が情けないと、心から思っている日々である。(2022・6・1)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
article_210_112318_Image1_521_768☆最新刊=「愛惜の記」(文芸社)

★既刊=NEOBK-2410660_1「高円寺の家」(文芸社) 「社協を問う」(文芸社) 
★既刊=「夢半ば」日記(全4巻)PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)

おの  私の自費出版の本がたくさん売れたということがない。なかでも文庫は3冊になったが、これもマスコミ、読者にも相手にしてもらえなかった。
 そんな13年が過ぎ、いま私は、どのようなものを書こうが、また出版しようが、読者には届かないということを肌で知った。
 でも、書くことと、読者に届くことは別でいいのではないかと思う日があるが、やはり創作したものを本にする意欲は、読んでもらいたいからであって、読んでもらえないなら出版する意欲も無くなってくる。それが今の私である。
 15年も書いてきた私の小説は、家の物置に山と積まれ、これを処分する時期は遠くないだろうと、年齢のハンディから見えてきている。
 創作する限界が来ているのだ、それは才能以前の問題で、財源でもない、意欲がとみに落ちてきたのだ。もういいのではなかろうか、この辺でやめようかと、思い始めた。
 そこで残るのは同人誌作品のカテゴリーである。これはまだ残っている。いま所属している同人誌は「みなせ」という秦野市の文芸同人誌である。創作のジャンルは私一人なので、読者は付いてはいるが、でも能力的に創作は難しくなっている。遠からずやめることになるだろう。
 なぜかというと創作はかなりエネルギーが必要だ。もう、そのエネルギーは使い切ってしまったような気がする、プロの作家でも80歳過ぎると、創作から遠のく。大方のプロでも現役作家と言われ
るのは80歳前である、そんなカテゴリーに入ってしまっている私なのだ、もう奇跡はないと踏んで、店じまいの準備に入る方が賢明だろうと考えている。創作を辞めたら私の日常は、何で埋めたらいいのだろうか、はたと考えてしまう日々である。(2022・5・15)
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、栃木県に生まれる。1962年、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤務。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
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★既刊=NEOBK-2410660_1「高円寺の家」(文芸社) 「社協を問う」(文芸社) 
★既刊=「夢半ば」日記(全4巻)PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)

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