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作家・小野友貴枝のひろば

私の指南書(3)女性管理者を増やすために=小野友貴枝

 2016年4月から施行した「女性活躍推進法」に女性の管理者を、2020年までに30%にするとされている。では、今の女性管理者はどのぐらいかというと6.6%。
 日本における女性管理者は、これから増えていくだろうか。女性の働く環境は、急激に良くなり、いま非常勤女性が急増しているという。
 しかし働く女性の増加が、管理者の増加になるかどうかは、もっと時代が進まなければ無理であろう、と悲観的予測をしている。
 今、東京医大の不正入試が話題になっている。女性の合格者を減らすために12年前から減点し続けているという。「女性差別」の大きな問題である。この減点の筋論は、女性医師を減らし、男性医師を一人でも多く教育したいという大学側の意向である。男性医師は一生働くが、女性医師は生涯働き続けない、という現実を見据えた教育界の判断である。建前というよりも現実主義の採択であろう。
 これを国民側から見れば、どうだろう。また女性側から見ればどうだろうか。確かに趨勢を見れば、男性医師の増加を望む事情もある。現実、自分の主治医は男性医師、病院の担当医師も男性を求める。
 少し前になるが、小学校の教師で話題になったことがある。女性の教師が7割以上になると、小学校の教育組織がいびつになってしまうので、男性教師をある程度の割合に投入するという、教員室の組織づくり。その中に父兄も男性の担任を求めていたことが潜在化していた。医師も教師も指導者の位置に男性優位が存在する職業である。
 さらに、たとえて言うなら美容師は、女性の専売特許だったのに、いつの間にか男性にリーダーのポジションを取られてしまった。その上、女性の客は男性の美容師を選ぶ。なぜかと言うと通説ではあるが、男性の方がカットがうまいと思っている。
 確かに刃物の使い方はずっと男性の方が秀でている。料理界も同じ。コック長は100パーセント男性だ。さてここまで言うと、私は性差の大きさを説いてるのか、と思われそうだが、そうではない。
 女性の管理者は増やすべきであり、それに適しているジャンルはたくさんあると思っている。
 地方公務員、管理者経験を持つ私は、今の現状では、女性管理者は増えていかないと思っている。なぜかと言うと、職業女性の上層部は薄いし、長期的な継続年数も少ないから。
 管理者は一朝一夕になれるのではない、公務員で言えば、およそ継続20年以上である。
 20年、組織の中で働き続け、その業績が、指導者となりうると判断されば、管理者に推薦される。自らが手を挙げるのではなく、組織の引きがあってはじめて「管理者」のポストが与えられる。これは、一つの例であって、伝統的な事例では管理者への試験を受けなければならない組織、または会社が多い。継続的に働いたから、その結果管理者になれるという単純なレールは存在しない。
 1985年に制定した「男女雇用機会均等法」という男女平等の制度がある。入社においては、男女差はないが、継続的な年数から見れば、10年も経て、女性はほとんど退職してしまう企業が多い。そこでは女性の管理者を選ぼうとしても母数になる女性の職員がいないというのが、現実である。
 女性の管理者を増やすためには、女性が継続して働ける環境づくりと、女性の職業意識改革が必要であることを、社会が認識することが求められる。
 そして、男女の関係なく管理者に普遍的に必要とする必須要件を満たしているかどうかが問われる。端的な能力として、調整力・指導力・実行力・そして社交性をもち、周りと調和するバランス力が必要だ。
 女性が、なぜリーダーに選ばれないかという時に、管理者的な素質、意識が欠けていると言われている。私も改めて管理者に立ち向かった時に、考えさせられたことが多かった。女性は個人意識という視点は優れているが、集団意識に弱い、これらは、生来のものかもしれない。
 最近、私は管理者に適する性差の原点みたいなものを、子どもを観察して改めて男女の違いに、感慨を新たにした。
 歩きはじめたような男の子は、その歩き方が跳ねるように、飛ぶようにスキップする、飛躍。女の子は、スキップしない、そろそろと歩く、そして急がない。何故かは分からないが、男の子は、そこに台があればよじ登ろうとするが、女の子は下にいて見上げているだけだ。
 さて、この違いが私の眼には「そうか、こんなに小さなときから、女の子は安全に動くことを本能としているのだ」と知る。これら用心深さは、家庭の生活に必要なものだが、社会では邪魔になる。さらに、私の目を惹くのは、勉強をする態度だ。中学生の男の子を見ていると将来何になるか、または何に向おうとするのかも興味を持った学問と一致する。しかし女の子は良い成績を取りたい、と猛勉強をするが、そのこととが職業選択と一致するものとは限らない。女性の職業選択はかなり後から芽生える、その職業で一生働こうという意識にはなっていない。
 男女平等と言い続けて半世紀経つ。なのにまだまだ女性の管理者は育っていない。後天的な能力の差が縮まっていないと言いたいのだ。
 職業女性の進出の遅れは、参政権のなかった歴史の遺物である。これは男性集団が悪いばかりではない、革命を起こせなかった女性の意識教育過程にも責任がある。
 保育園が充実すれば、女性が働きに出れば、男性と女性が平等に家事をこなせば、女性の職業者の底辺は広まっていくだろうが、管理者になるには、まだまだ多くの課題と年数が必要だ。今、直ぐに出来ることは、やりたい職業につくということと、その継続性だ。そこで管理者になるには女性特有の生き方において、何が問題なのか学ばなければいけない。これを人生の指南書にしたい。(30・8・10))
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
 2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。              
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

「女社協会長ファイル」を書き了えて  小野友貴枝

 私は、長年書き溜めていた「女社協会長ファイル」をやっと上梓。先週、出版社に届けた。正式な日取りは分からないが11月には出版できるのではないかと思っている。出版社は、先の28年に発行した日記、「夢半ば」1〜犬汎韻検奮堯吠厳歇辧
 ストーリーの概要は次のとおり。
 〜〜英田真希は65歳、2004年12月に、大山市社会福祉協議会会長に選任された。彼女の前歴、渋谷の表参道にある公益社団法人日本看護協会の「常任理事」を4年経験し、同年5月末に退任した。
 10月に入っていたろうか、社協の会長として働いてくれないかと、当時の市長から相談が持ちかけられた。英田も家でぶらぶらするフリーな時期が5ヵ月あった。こうした生活に慣れず、退屈していた。
 なにしろ23歳から60歳まで神奈川県の地方公務員(保健師)を勤め、その後、すぐ日本看護協会、表参道まで通った。通算42年間も働いてきたので、肝入りのワーキングウーマンであった。
 65歳過ぎた今は、地元で働くのもいいだろうと思っていた矢先、市内の半官半民の職場、大山市社会福祉協議会なら、何にも心配することないであろうと快よく引き受けた。市当局は、英田がこんなに簡単に承諾するなんて、と驚かれたようだ。
 英田自身、市社会福祉協議会(市社協)の経験は初めてではあるが、現職時代、市社協と組む仕事も多く経験していたし、保健所の役割で、業務指導監査も何回か行っているので、それほど難しく考えることもない、かえって地域福祉の仕事、それもトップで働けることを「ラッキー」と思った。これが、女会長の出発点である。
 しかし、会長室に入った英田の日々は、決して生易しいものではなく、週2日の約束で契約したが、とてもそんな勤務体制ではこなせないほど会議や決議事項が多かった。そして地域のリーダーレベルが参加するイベントは週末が多く、「挨拶・行事」がらみで休みもなく働くようになった。その中身は、華やかさと裏腹に責任のある重い仕事ばかりだった。
 公益福祉法人・市社協の仕事はどれも取っても貴重な体験、参考になることばかりなので、記録癖のある英田は、自称「会長ファイル」と称し日々の出来事を書き込むようになった。その結果、3期の退任する時まで綴った原稿は、びっくりするほど溜まって、2千枚以上(400字原稿)になっていた。〜〜というもの。
 市社協退職後、私は、この実践記録をなんとかしようと整理し、まとめてみるとずっしりと手ごたえが感じられた。その結果、自叙伝として応募することに、全体の枚数を300枚程度にして、手始めに「北九州自分史文学賞」へ自分史として応募した。
 しかし、「女会長のファイル」は落選であった。それならと、他の自治体や出版社で募集しているいくつかの「ノンフイクション」賞に、応募してみた。
 しかし、これらも落選。きっと選者の嫌いな出世話、リーダーの記録など手にも取られなかったのではないかと僻み半分落胆した。その結果、女会長フアイルとしての潤沢な経験談は、世間に出す機会がなくお蔵入りとなった。
 すべての役職から身を引いた3年後、誰に遠慮することもない生活。そこで思い切って、全体の原稿を再構成し、なるべくドキュメント中心に編集しなおした。
 内容に見合うタイトルをつけ、主人公が立つ位置が解かるように、フィクションを織り交ぜ読みやすくした。各章を50枚程度のものに書き換えて、文芸誌「群系」に連載させて貰った。1作ごとに読者からの反応も増え、いつの間にか6回シリーズまで続けた。
 終わった時には、これなら一冊にしては、という読者からの要望もあってうれしい悲鳴を上げた。
 後押しされたその時の一文には「行政経験者が、きちんと行政語を駆使して、会長の視線で、公益福祉法人社会福祉協議会の実態が語れた作品は貴重だ」という評価を頂けたのでさらに出版への勇気が湧いた。
 ちょうど、世間は女性の社会進出を推進する風が吹く。私は、これらの経験を生かし、2千枚の原稿を1冊の本にしたいと意欲をもって、その編集に取り組んだ。
 全国の市町村社会福祉協議会会長の中で女性が占める割合は低く、1パーセントも存在しないというのが実態である。私が着任した時は、3100市町村の内2市町だけだった。この数字を見ても分かるように、稀なる先駆的体験の話である。
 その私が、出版に本気にならなくて誰がなるだろうか、誰もいないと。そしてこのドキュメントは後輩に残す私の大切な資産になるのではないかと、考えている。
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。
 2018年、作品「魂を奪われてー14歳から付けている日記」が、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)第12回エッセイ賞佳作に選ばれる。              
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

私の指南書(2)オレオレ詐欺と母親   小野 友貴枝   

  「息子は、オレオレ詐欺」というキャッチコピーは、誰が作ったのだろう、警察関係の人に尋ねても分からないという。
 私は、駅前、ポリスボックスに停まっているパトカーの脇、ドアーに書かれている「息子はオレオレ詐欺」という字を読みながら、ロータリー発のバスに乗る。
  そのネーミングの厭らしさ、侮辱によく息子集団がクレーム付けないものだな、と感心する、もしこれが、「娘は、サギだ」などというキャッチコピーを製作すれば直ちに女性ネットワークから火の手が上がって、炎上するだろう。その点息子という集団は、おっとり構えていて、自分のこととは思わないのだ。
  オレオレ詐欺に、市町村、警察は毎日警鐘鳴らしている最中、7月5日の神奈川新聞で「オレオレ詐欺2800万円」伊勢原市の80歳代の無職女性は要求どおり2800万円を入れた紙袋を手渡した」と、報じられている。
  その上、あと1000万円の催促にも応じているが、駅前で、警察官に会って相談した結果、この方は未遂に終わったと報じられているーー(この女性は夫婦二人暮らし)。
 こんな世相の中、私は「息子と、開運」という作品を発表した(文芸誌「群系」40号)。短いノンフィックションもので、オレオレ詐欺がまだ、それほど知られていない、30年前の出来事の話である。
  私に、息子と名乗る者から電話があった。
「今、モーテルにいるんだけど、お金が足らない、代わりの人をやるから3万円持たせてくれ」。私は「どこのモーテル?」「ルート707」「分かった、お母さんが行くから、待っていなさい」。息子「来ないでもいいよ、その人にお金を渡してくれれば」「ダメ、お母さんが持っていく」と、話し中に電話が切れた。
  私は、すぐにお金を調達し、その707というモーテルを探した。しかし、見つからないので、駅前の交番で、近隣にあるモーテルを調べて貰った。
  その折、交番の巡査から、私のモーテル探しは、的外れで、「それはサ、息子の名をかたる詐欺だ」ということを教えられた。交番に寄ったおかげで、私はオレオレ詐欺に引っ掛からず、未然に防げたという内容である。その時、電話してきた男は、母親をだますということはこんなに簡単なのだ、といういい思いをさせてしまった。そのぐらい簡単に、「オレオレ詐欺」の言葉を信じてしまった。
  私は、「何とか息子を助けなければ」という一念で、頭が真っ白になっていた。しかし、その中でも、お金は息子以外の人に渡すことなど、ゆめゆめ考えていなかった。
  モーテルだろうが、遠方だろうが、自分で渡す、人頼みはしない、これが母親の務めだと思っていた。いくら息子に甘い母親でも現金を人頼みにはしない。するはずがない、息子に会って頬っぺたの一つも叩いて、手渡そうとするつもりだった。
 この時のことを反省すると、私は恥も外聞もなく、息子から要求されたお金を夢中で用意した。息子の声が、本当に息子かどうかわからなかった。モーテルの中から電話を来るはずがない、など混乱していて判断がつかなかった。いわゆる、この場では理性が働かない状態になってしまったのだ。しかし、息子が必要としているお
金を他人の手を借りて渡すことなど一切考えていなかった。
  「息子は、オレオレ詐欺」は、東洋的な母子関係に立脚していると言われている。なぜ、母親自ら、金策に走り回り、独りで、解決しようとするのだろうか。普通の母親が、日々の中では経済観念が発達しているとは思えない。お金のやり取りには第三者が必要だし、請求書から派生する手続きでは必ず領収書手元に残らなければいけないのに、まったく、素手でこの一連の行為を成し遂げようとする、母親根性が理解できない、と結びたい。
  大体、たんす預金を?するような母親は、自分にお金を掛けないという「貯蓄型」の女性が多い。その反動で息子に甘い。
  たまにしか連絡の来ない息子からの電話は、このキャッチコピーのとおり「息子はオレオレ詐欺」だと、はじめから思った方がいい、息子に無条件でお金をあげるから放蕩息子ができてしまうのだという、私からの指南書(メッセージ)である。(30・7・9)
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

姉を亡くしてー作品のテーマにも    小野友貴枝

   東京、高円寺に住んでいる姉が、この6月19日に亡くなった。死因は「老衰」とされているが、実際は「認知症」による拒食症であった。この一か月ほとんど食事をしなくなっていた、鬱になったのではではないかと、心配し入院させようとしたが、暴れて入院を拒否した。
  姉の認知症歴は長い。6年間在宅療養していた。子供達が交互に泊まり、姉を抱いて寝ていたという、幸せな療養生活だった。
  3歳違いの姉は、高校卒で、先に東京に就職していたから、私たち弟も含めて、上京の生活は、全部彼女に面倒見て貰った。
  学生生活も、その後の結婚生活も、子どもたちの名付け親にも、ほとんど彼女に相談して決めて貰っていたという頼りになる姉だった。(私たちの母親は、48歳、私が7歳の時に亡くなっている。弟は2歳だった)その上、私たちは、自宅を建てるときには、姉の夫が建設業にかかわっていたので、義兄の骨折りで、家を建てることができた。面倒見のいい夫婦だった。
  義兄は、10年前に亡くなっているので、このたびの姉の葬式は、結構子どもたちを含めて兄弟姉妹も途方にくれた。何分同居している息子は、病気を持っているせいか、いまだに独身。2人の娘は都内に入るが嫁いでいる。
  そこで、私は姉への恩返しと、葬式の陣頭に立って甥、姪を激励し、支え、家族葬を出す手順を整えた。お墓は、横浜市にあるが、自宅から遠いので葬儀は高円寺の某セレモニー場で行った。
  世話になった姉の葬式を滞りなく出して、3日後、秦野の自宅に戻ってきた夜、姉の夢を見た。
「友貴枝、私はここにいるからね」と言う声が耳元で聞こえた。
  えっ、と思った私は、独り言。「姉ちゃん、これから電話できないからさびしいよ」と言った。
  そう言えば姉には、ずーと、いつも、痴呆になってからでさえ姉に電話をしていた。どんな時でも姉は必ず、「そう、それでどうしたの」「また、小説書けば」「いいじゃないの、喧嘩しなさいよ」と、同じフレーズで、内容が分かっているのかどうか。分ってなかったかもしれないが、いつも励ましの言葉で応じてくれていた。
  認知症の姉に愚痴を言う私も私だが、電話を待っている姉も何にも抵抗がなかったらしい。私は「悩み多き妹」のふりをして、それなりの会話をつなげていた。
  私は、姉を失って寂しい毎日になった、何が寂しいって電話をする人はいなくなったことだ。このことを小説仲間の友人に伝えると彼女からメールが来た。
「あなたが、お姉さんを書いた、『ハッピー』と『ウィッグ』を読み返しました。お姉さんは元気な時も認知になったからも見事に生き抜いた方ですね!改めて感動しました。ご愁傷様」と打ってあった。
 私はこのメールで姉をテーマにした創作2編を思い出した。「ハッピー」と「ウィッグ」。そうだ、この気持ち、母親代わりの姉を亡くした寂寥感を最終章に書かなければ、姉との別れはできないと思った。
  私は友のメール返事に「ありがとうございます。いつも、姉は、私の心の中に居ます。今までは、いつでも電話できる人としてキープしていましたが、今はここにいると言ってくれました、夢ですが…」と返事した。
  私は、改めて気付いた、何の用事もなくてもいつでもどこでも電話で話せる姉を失ったのだと、急にさびしさが心に溢れてきた。涙を流す暇もなかった葬儀中の悲しみを挽回するようにポロポロと涙が流れた。(30・6・30)
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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私の指南書(1)「女性と新聞」     小野友貴枝

 朝、8時のバスで駅に出てきた。4時に起きているのだから、朝の早いのは決して苦にならない。かえって少しでも早く自分の時間が持てる方がいい。そして今はマクドナルドで、気に入った席に陣取り、新聞を読んでいる。
 新聞を読む時間が好きで、いつも2紙を持って出てくる。毎日新聞と神奈川新聞である。神奈川新聞は、前日、地方自治体に働いている娘に読ませて、そのお下がり。(2紙の購読料月7400円)これで1日、単行本1冊ぐらいの読書量になる。私は1面から、丁寧に読む。
 論説だけでなく経済、スポーツ、事件、そして投稿まで、多くの情報を、一挙に手に入るのだから安いものだと思っている。これが私の教養になるのだからと。さらに地方版、3面記事へ、これがまた面白い、何で「おれおれ詐欺」に遭うのだろうか、とさえ思ってしまう。
 朝・夕新聞を宅配してくれる日本の商習慣は、海外と比較しても少ないらしい。外国に行くと、スタンド売りを多く見かける。日本でも夕刊が夕方届かない地方は多いが、私が住んでいる市は3時半には届く。
 私は、文芸欄は総じて好きだが、中でも日曜日の別紙は文化面、映画が充実していて楽しみだ。新聞の投稿は、全部読むと、普段の欲求不満が解消する。
 週一回必ず読める短歌、俳句、川柳のレベルは高く、本で読まなくても、日本中の作家に会える。また新聞小説は必ず読む、毎日3作読んでいるから、こちらも本を買わなくて済む。
 しかし新聞が面白いと言っても何分にも、私の年代になると、新聞購読を止める人が多い。年金者だから、独り暮らしだからと。節約のナンバーワンが新聞料金とは、なんて情けないのだろうか。他の経費を削っても、という、生活者でありたい。
 とくに女性が、主婦が購読にケチをつけるらしい。テレビで充分だと。大体女性の新聞購読、または読者は、高くない。夫が読み終わってからというタイプが多い。そして読む時間がないという女性。
 新聞読者は、男性が主体だった。これにも問題がある、家庭の中で、育児の主体は女性だから、読んでおくと役にたつ。生活のすべてにかかわる女性が夫から情報を貰うというのは、何かおかしいと私は保健師業務をしている時から力説している。新聞は、広い情報、文化、そして多くの人の意見、いろんな世界の情報まで入る。
 食費を少しケチっても、孫にやる小遣いをケチっても新聞を手に取って読みたい。時間がないというなら、ちょっとの時間、百円コーヒーのマクドに入って新聞を読むスタイル、友達とおしゃべりしする時間があるなら、どうぞ。
 ちなみに、新聞の購読量は、デジタル媒体の躍進と世帯数の減少と高齢化で、統計上かなり減ってきていると報じられてしている。たいへん残念である。
 季節は、日長(ひなが)な季節、時間を有効に使って情報をたくさん取り入れてこそ、長生きしたいと思っている。(H30・6・2)
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
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 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

萩原きしの「光そこここに溢れて」編集逸話(下)小野 友貴枝

萩原きしの 光そこに溢れて<―萩原きしの短歌集大成―「光そこここに溢れて」(文芸社)>
 幸いに国内の歌人、世界の歌人は急増していると聞く。この期に歌集が書店に並び、歌作りなどに縁のない人が買ってゆく、そして読んで、どの歌人はいいね、という会話まで発展することを、私は期待して、姉の歌集の編集を斬新な方法で取り入れ、殴り込みを図った。
 その甲斐があって、1ページ5首、そして1千首の歌集ができあがった。(実際は校正の段階で、946首に)さらに編集の企画で、挿絵を入れて読者の目を楽しんで貰おうと、親しみやすい墨絵に挑戦した。今までの歌集に挿絵を入れることは少なかったらしい。
 姉の歌の雰囲気にあった、田園風景や、路傍の花、そして働く農婦の挿絵は、目に優しく歌集がさらに身近な本、読者が手に取りやすくなった。値段も抑えて1300円。
 姉の歌の中で秀でた作品には、農業の営みが直截的に歌われている。専業農業の姉の視線、立っている位置がいい。田畑の中で暮らす生活がにじみ出ている、山河、そこに生きる自然、野生の動物まで歌われた作品は、後世に残るのではないかと、私は自負している。
 編集長が付けてくれたタイトル、「光そこここに溢れて」(文芸社)は、農業歌人、5人の子を持った母親と子の情愛、長い人生を歌ってきた姉の雰囲気にぴったりだと自画自賛した。
 この編集にかかわった半年間で私は、多くのことを学んだ。短歌は、短い読書時間で読者の感性に届けられる。小説やエッセイはそうはいかない、時間をかけて読むという行為をしなければならない。
 さらにここで発見したことは、歌集は大人のものではない子供から高齢者まで、その年齢に応じた感受性、日本語の多様さは、気軽に誰にでも詠える歌が出来るはずだ。
 伝統に縛られずに子どもの歌集ができたらどんなに素晴らしいだろう、彼らのピチピチした歌集の編集をしてみたいな、と思った。
 私は、思いがけない歌集の編集にかかわって、創作一筋だった私のジャンルが広まった。今までと違った言葉、自然と心との交流に、感情の表現に幅ができてきたかも、と自己満足している今日この頃である。(30・5・16)
☆〜〜著書「夢半ば」日記と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
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萩原きしの「光そこここに溢れて」編集逸話(中)小野 友貴枝

dorama2_n33711836_1<〜萩原きしの短歌集大成〜「光そこここに溢れて」(文芸社)>
 歌集というものは日本の2千年の歴史があるだけに概念がしっかりしている。慣例にならって、という固定観念があるのは知ってはいたが、1千部発刊し、一般の書店で売る、売れるように広告まで出す、という扱いは、普通の歌人にとっては青天の霹靂に匹敵した。その因習を破り、全国の書店に並べる、全国新聞に広告を出す、という企画で、私は歌集の編集に携わった。
 姉は、東京にある「沃野」という短歌結社に入って全国レベルで発表していただけでなく、地元においては岩瀬町公民館活動の短歌会、そして茨城県教育委員会の短歌会にも所属していたから、作品は結構溜まっていた。が、その割には、作品がどのぐらいあるのか、それも未発表の作品も含めて、まったく未整理状態であった。短歌歴40数年というのに、習作は、大学ノートに書いたまま、ノートだけでも17冊はある。その書き込みが完成した作品なのかまだその段階に行っていないものなのかさえ分からない。その上、歌を作った年月が記入されていないので経年的な編集ができない。専門の編集者に任せるほかないと、すべて段ボールに入れて、出版社(株式会社:文芸社)に送った。
 出版社は慣れたもので、姉の作品を経年的にくくることはせずに、歌ってい
る内容でまとめた。章だて、中見出し、小見出しを付けて割り振る仕法を取り入れた。
 作品は、2千首以上あった。そこから、私と編集者は合意の上で千首を目標に選びだした。大体歌集一冊は4百首が平均的なスタイルだったが、私たちはあえてその掟を破った。
読者側から見れば、完成した1首よりもその周辺の歌を詠むことで、中身が深く読み取れると思った。本のページ数は、250ページでこれ以上にはしたくないと決め、1ページに5首を、そして1首は縦長の1行にする。字体は、最大限まで大きくし、高齢者でも読めるように配慮した。これだけのことでもかなり画期的だったが、その上、表紙はソフトカバーで本は出来るだけ軽くした、読者が電車の中でも読めるようにと紙の質をえらんだ。
 今、短歌は多くの読者を得ている、また外国でも流行っているという情勢な
のに、その割に販売ルートに乗った歌集は少ない。歌集は日本古来の伝統に縛られ、販売よりも贈呈という流れが優先して特定の読者に届く流れになっている。だから歌を作らない人には、本が手に入らない。買える書店もない、まして図書館でさえ、ほとんど著名人でなければ閲覧棚に並ぶことがなかった。一般人の歌集が欲しいと言っても、手に入れることは難しく、私はたまたま行きつけのブックオフでたくさん並んだ贈呈本を手に取ることができた。贈呈本は読まれず、ブックオフに売られていた、歌集の陳列棚は、私書版の宝の山だった。
 無名の歌人の歌集が手に入らない、歌集はブックオフに行かなければ、という何と不便な世界なのだろうということを編集の中で学んだ。だから私は姉の本を売れるものとして企画したことは間違っていないと、自信を深めた。
 古い伝統だった短歌を、俵万智歌人は、多くの人に読まれる歌集を作って「サラダ記念日」(河出書房新社)を発売した、予期した通り短歌を作らない人でもこの本を買ったので、大ベストセラーになったことは記憶に新しい。俵万智歌人が誰でも読者になれるブームを作ってくれたのだから、それに習わなければ、やがて文化世界遺産として登録される時が来ても、歌詠みは、他人ごとと思われて、多くの人に受け継げないだろう。(つづく)
☆〜〜著書「夢半ば」日記と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
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萩原きしの「光そこここに溢れて」編集逸話(上)小野 友貴枝

萩原きしの 光そこに溢れて_1<―萩原きしの短歌集大成―「光そこここに溢れて」(文芸社)>
   私は、今まで手掛けないことがない歌集の編集にかかわり、長姉、萩原きしのにとって初めての本、「光そこここに溢れて」歌集を、目標どおり本屋に並べることができた。発売日は、30年2月1日。
   40年の短歌歴を持つ90歳の姉だが、多くの歌人と同じように、歌集を出すことなどゆめゆめ考えてもいなかった。それでも選ばれた人は、身近な出版社で100部程度私書版として出版し、周りの歌人に贈呈するか、町の図書館に寄贈するのが普通であった。歌集の扱いは、伝統的に多くの読者を対象にすることがなく、歌人同士の付き合いの中で交流するのが慣いであった。そのために出版物として、書店で売られることはほとんどなかった。
  長姉の実績は、「沃野」結社の同人として長年、会の運営にも関わってきてそこそこの賞歴もあるが、歌集は一冊も持っていなかった。
  振り返ってみれば姉の短歌歴は長いし、師事した先生、富小路禎子先生(「沃野」誌の発行人代表)は、遺言のように、歌が溜まったら出版書として出版しなさいと、門下生には教えていたが、誰も、そんな大それたことを実行する人はいなかった。
  まして姉は専業農家の主婦(夫に死別した50年代から世帯主)農業の傍ら歌う歌に農業への愛着と厳しさが素直に詠われているので、それなりに積み重ねが評価されていた。
姉は90歳、短歌歴は40数年、短歌は溜っていくばかり、今まで出版という誘いは結構あったようだが、贈呈本は、送る方も贈られる方も手数がかかるからと断っていた。
   一昨年、脊椎側索狭窄症で手術した姉を見舞った折、私が、「そろそろ、本を作って、人生のまとめにしてもいいんじゃないの」と勧めた。でも姉は重い腰を上げようとしなかった。その折、私が14歳から付けていた62年間の日記を、4巻にまとめ出版した経過を見ていたせいか、「生きているうちに、何とかしなければね……」と、初めて口にした。
   そこで私はすかさず「姉ちゃんの歌集なら売れるよ、女性の歌人で農業を全うした人は少ない、本屋に並べて売ろうよ、私の日記だって出版出来たんだから」とそそのかした。
   まだ迷っている姉を動かしたのは、「私の日記が、地元の書店で売れている。きっと将来は、重版になるかもよ、その時はマスコミに注目されてテレビに出るかもよ」と、インパクトのある言葉で誘ったからだ。
負けず嫌いな姉は、妹の日記が書店に並んでいると聞けば心穏やかでない、その上、テレビに出るかも、と言ったから、「じゃ、私の本もなんとかしてよ」と、関心が急に高まってきた。
  「歌集作ろう、今のままで大丈夫、私が出版社に相談するから」と私は、姉の気持ちをさらに煽った。
   短歌の一首も満足に作れない私が、姉の歌集の編集、企画を担当したのだから、かなり怖いもの知らず、こんな本が作りたいという思い込みで作業を開始した。(つづく)
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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長寿有名人の生き方指南書がなぜ売れる(下)小野友貴枝

 101歳に達してもまだ現役で精神病院の経営に参画している医者の著書、高橋幸枝氏の「こころの匙加減」が大ヒットした。高橋幸枝氏は精神科の医師で、人生匙加減などと、優しい言葉を使っている。このタイトルが高齢者の共感を得たのか、売れて30万部。箇条書きだけのその本を、私は1時間で読んでしまった。そのあと続いて「小さなことの積み重ね」「101歳の習慣」など、秦野市内の書店の入口に、101歳の本人の笑顔と、本が高く積まれている。高齢者の指南書に、無名に近かった医師が、火を付けた代表者である。
  高橋幸枝氏の笑顔のポスターを見ながら、友人との会話を思い出していた。
「あなたの市内の病院の医師でしょ『こころの匙加減』、図書館で予約入れたが、なかなか回って来ない、買っちゃった方が早いかしら」と。
  この親友は長年付き合っている、互いに定年まで働き続けた保健師仲間。
「私は、貴女が保健師として仕事してきた人生感の方が確かじゃないの、何も高橋先生の生き方を見習う必要はないわよ」と、つれなく答えた。
  さらに「なぜ?」、と訊くから、私の持論をぶった。
「先生は医者よ、今は第一線から身を引いているが、元病院を経営していたオールマイティの現役医師よ。経済的に安定し、先生の周りには親族、肉親の病院院長を含めて、看護師、厨房の方々は3食の食事も面倒を見てくれる。さらに先生は人格者、慕ってくれる人がいっぱいいる。経済的な安定、尊敬されている、現役で忙しい。もうこれだけで人生100パーセント、私たちが見習うレベルではない」
「何が言いたいの」と友達が追いかけるように訊く。
「それは推して知るべし、私たちのように、年金生活、孤独に耐えている人生じゃないの、老後の心配やストレスがないということ。何のアクションを起こさなくても寿命を全うできるということ」と言い切った。
 続けて、「私たち、平凡に生きてきた老後はストレスばかり、夫婦のストレス、子どものストレス、体力の低下、経済力低下、人間関係エトセトラ、みんなマイナス要因ばかり。そこを生き抜くためには匙加減など、上品なこと言ってはいられない。医者の指南書など一時の気休めよ、成功した評論家も、小説家も同じ、役に立たない」と。
 最後に、「指南書を買うお金で私の著書、指南書に匹敵する日記『夢半ば』日記を買って読んでよ、ただし「友情」があればね、」と私は、老人臭い僻みで言った。
 私は、本当に自分の老後に役に立つのは、「日記」をつけることではないか、と思っている。自分の考えをきちんとノートに書き込む習慣、この日記をつける意味は大きいと思う。私が曲がりなりにも共稼ぎを、落伍することなく続け、3人の子供がそれなりに育ち社会人にすることができたのも、職業を持って、日記に向い合う時間とペンを離さなかったからだと思っている。日記によって自分を客観的に見つめ、自分を知ることがいかに大きかったかと思える。落ち込んでいる自分がいれば書いて自分を励まし、勇気づけてきたと思う。
 自分の人生は自分で考え、自信を持つものであると私は思っている。偉い先生の指南書は、読んでも決して自分にフイッとしない、それによってかえってストレスが高くなり、自分の自信がなくなる。
 自分を振り返る時間、日記に気持ちを綴ってきたノートが私の指南書になっている。
 そう思っているせいか私はどんな先生方の指南書も読まないし、参考にしない、それよりも、図書館に並んでいる多くの本を読むこと、そして、本当のことが「しゃべれる友人」を持つことだと思って、先出しの親友を大切に、長く付き合ってきている。(30・5・6)
☆〜〜著書「夢半ば」日記と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
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 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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長寿有名人の生き方指南書がなぜ売れる(上)小野友貴枝

 本の売れ筋情報をみると、不況に泣く出版業界でも「指南書」というジャンルの本は売れて、ミリオンセラーという実績を残し売れまくっている。
 なぜ、指南書の本は売れるのだろうか? と考えて、身近な高齢者を観察すると売れる一端が分かった。
 |者が長生きしている、長生きする秘訣を、人生の目標になっている。
 ⊃閥瓩法尊敬できる助言者がいない、もちろん身近に家族、相談者がいない。
 C者は高年齢で現役である、模範に与えするほど成功している。
 ざ饌療な箇条書きなどが多く、読みやすい。生活・心情の一端、身近で参考になる。
 ノ価である、広告が頻繁に出て目に付く。売れていると聞くと自分も欲しくなる。
 さらに、人生指南書が売れているのは、時代なのだ。売れることはそれだけ、高年齢の人が多くなり、それを支える家族・地域社会が薄くなり、人生に困難を生じていると言えるだろう。それ結いに高齢者は生きてきた経験に関係なく自信を喪失しやすく、不安感が強い。
 ここ1、2年、指南書というジャンルでまとめることができる本が、書店のコーナーたくさん並んでいる。
 そのトップは何といっても93歳の佐藤愛子だろう、「90歳、何がめでたい」128万部(2017年)の大ヒット。佐藤愛子は、誰でも知っている小説家だ。
 父親の佐藤紅録の愛人と家族の悲劇を描いた「血脈」、多額の借金を残した夫を描いた近作「晩鐘」など、人生の悲劇をくぐりぬけてきたような作家の指南書が、オリジナリテーが買われるのか、それとも人生を達観している、作者の根性が買われるのか、痛快で面白い。「90歳。何がめでたい」佐藤愛子が言うなら、誰も文句をつけようがない。本人の人間性を絡めて、標語的な言葉を投げ掛けて痛快だ。最近は「ああ面白かったと言って死にたい」が大手から出版された。佐藤愛子なら何を書いても売れる、このジャンルの本、出版社は作者の手を休ませない。
 さらに、現役高齢作家で指南書を書いて売れている作家は、95歳の瀬戸内寂聴の「いのち」「死に支度」がある。彼女は京都・寂庵で法話、幸せに生きるにはと説法するだけに、高齢になっても、花があるから指南書は売れる。
 人生を達観し哲学書的に書いた85歳五木寛之の「孤独のすすめ」が、今ヒットしている。もちろん人生観の作家として修業を積んでいるだけに、老いの孤独賛歌を扱った指南書は高齢者に読まれている。
 さらに評論家の指南書も売れている。代表として下重暁子の「老いも死も初めてだから面白い」、「家族という病 ↓◆廚50万部、最新作では「極上の孤独」が売れている。上野千鶴子の「おひとりさまの最期」などは、時代に合わせた老後の心構え、が多くの人の関心を得ている。
 毎日新聞の30年5月3日(木)付け朝刊では、仲畑流万能川柳に「老経験する度本出す曽野綾子」(作者:おたふく)という歌が選ばれている。「老いを生きる覚悟」を書いた曽野綾子86歳が夫、三浦朱門を91歳で看取った「夫の後始末」も話題作である。(つづく)
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
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