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作家・小野友貴枝のひろば

萩原きしの歌集「「光そここに溢れて」の刊行へ=小野友貴枝

IMG_20170506_155058<長姉・萩野きしのを含む私たちのかつて栃木県芳賀郡の生家。昭和15年(1940年)頃。兄、祖父、父たちがいます>
   私の長姉、萩原きしのは長年、短歌・俳句をやって、なかなかの文化人。その姉も91歳、そろそろ本にしてはと勧めていました、その姉が、私の日記「夢半ば」4巻の発売を機に、自分も本気で人生終末の整理をしなければと思ったらしく、私に編集の相談がありました。
  私は、このチャンスを狙っていましたので、「よし、やるぞ」と姉の子供、姪たちを炊きつけて、40年来の短歌を、整理してみました。1000首をまとめてみますと、かなりボリュームがあり、農業作家の歌集としての存在感が顕れてきました。
  姉の嫁ぎ先は、茨城県岩瀬町で、大きな百姓をしています。その家は元小学校の跡地に建っているという萩原の総家でもあり、不遇な従兄弟たちまで、抱えいつも大所帯でした。その中で5人の子供を育てながらも、高校時代からの読書、俳句は辞めることもなく続けていました。
  戦後、岩瀬町にはいろんな先生が来ており、その中でも有名な富小路悼子先生、植田多喜子先生と出会い、その好機を逃さず岩瀬短歌会に入り、歌作りに励みました。だから姉の歌は、農業と三世代家族を詠っており、実家の茂木、加波山の見える亀岡の土地も風土もよく詠んであります。
  そんな関係から、私は率先して、姉の短歌集大成の編集に参加し、いやリーダーシップを取って、この半年、慣れないながらも短歌の本作りに、まい進してきました。
DSC_0246_1<佐藤マツノさん(栃木県)の水墨画が歌集「光そここに溢れて」の滋味を深めます>
  短歌のタイトルは「光そここに溢れて」です。6章に分かれて、一番ボリュームがあるのが「黄金田」次に「恵み豊か」などです。この中でも姉の歌は日々の天気に左右される農業の喜び、自然の恵み、光溢れる歌が揃っています。編集中、偶然ではありますが茂木出身佐藤マツノさんの水墨画に出会って、歌集の魅力が倍増したのではないかと思っています。
  ここで茂木を詠った歌を紹介します。
  ○清らかな流れ満たせる泉水は茂木城主の手洗ひの池なり
  ○茂木駅には杳き思いで多かりき母を見送り母を待ちし駅
  ○茂木行きのローカル線は芽吹き中田拵への人らの遠近に
  ○ふる里の小川は水の水源地浅き川面にきららに光る
  ○戸を繰れば脚下に霧流れゑて沢の音する故郷ここは
   姉の歌は1000首、佐藤マツノさんの挿絵、ついでに、妹の私が、序文を書いていますので、よろしく。萩原きしの歌集「「光そここに溢れて」(「文芸社」より刊行)の発売は、30年2月15日です。
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
「風恋洞」44号を発行 | 秦野 | タウンニュース
タウンニュース・人物風土記
私という存在は、肉体より日記の中にあった

甲府(Koufu)にて、パート供舛垢襪海箸ない〜 小野友貴枝

 先の十一月十三日付の「甲府(Koufu)にて」と似た夕暮れを、ある有料老人ホームで体感した。
 こちらは、横浜市郊外の丘に立つビルの4階の窓べ。夕日が残っている4時過ぎ、南に三日月が弧の右側だけ光り輝いていた。
  「ホームに入りましたから」という電話をコーラスの先生の家族から貰ったのが8月。それ以前に入院していた都心の病院とは違って、老人ホームに入ったならもう手を貸すこともないだろう、まして高額なホームの個室、充実した生活を送っていることだろう、と安心していた。
 しかし、先生は私たちに携帯電話を掛けてきて「寂しい、みんなで来て頂戴」と矢の催促。
 かつての私たち看護学校の音楽の先生は、退官後は自宅でピアノも弾きながらコーラス指導をしてくれた。その先生が春頃から、高齢者特有の転倒骨折をして、入院を余儀なくされた。そしてこの夏、かねて予約していた、ハイクラス売り物のホームに入った。このホームは関東近県にまたがって造られている、新聞広告によるとゴージャスな設備と介護付きのホーム。
 先生は、知識人特有の整然とした知性と社交性、社会貢献度も高い知名人。
 ホームで時間を持て余していると聞いた時には嘘だと思った。かねて読みたい本やら音楽関係のCDやDVDは、パソコンで駆使したネットワークが生活を潤しているだろうと予想していたので、どうしたのと訊きたかった。
 八十九歳の先生は、車椅子に座ったままで、時間を止めてしまったかのように動かない。この有料老人ホームに入ったのは八月だからすでに三か月。
 私たちは個室に入って驚いた、車椅子に座った先生が、「何にもすることがないボケそう、いやボケてしまった」半ベそをかいている。
 ホームの部屋は八畳ほどの広さで、南東に窓、ベランダ付き。部屋の中は半分がベッドルーム兼居間。入口側は広い車椅子用のトイレと。整理ダンスのある小部屋。テレビはあるが、日常使っている文具類や茶器、本を置くテーブル、カレンダーもない。
 東京で生活していたものが何にもない。何で寝まきでぽつんとテレビ見ているのだろうと批判したくなったが、それはさておいて「いい場所にあるじゃないの、先生ここで何をするの」と訊いたが返事はない。
 私はドイツで見た老人ホームのサロンを思い出した。老人ホームの日常は寝まきはご法度、明るいおしゃれ服にイヤリング付けて、部屋に閉じこもらない生活をしていた。仲間が楽しく参加するサロン、手芸、絵描き。もちろんレコード、楽器も鳴らせる。訪問者もその中に加わって、おしゃべりしながら入園者と楽しく過ごす。
 そんな光景を想像していたので、部屋のぬくもりのない簡素さが空々しい。
「何にもやる気がでない。本も読みたくない、独りで読んでいても詰まんない食事もおいしくない」
 何にもない、という「ない、ない」づくしの会話。
「園の人とおしゃべりしたら」「そんなことできるわけがないでしょう、みんな忙しそうで」
 私は返事のしようがない。
「先生、ベランダに出てみましょうよ、富士山がよく見えるのですって」と私は誘った。
 私は、友達と車椅子を持ち上げて、先生をベランダに連れ出した。夕焼けの名残、建物と空の間から、茜色のグラデーションが上空へ広がっている。西にはブルーの富士山が切り絵のように空に張り付いている。
  「宵の口、きれいな薄い紺色の空に三日月が光っている」友達が叫んだ。
「もったいないよ、あと十年、絵を描く、それとも短歌、そうだ卓上ピアノを持って来ようか、先生ここで教えてくれない」私も声高に言ったが反応はない。
「寒いから部屋に戻して、風邪ひいてしまう」
「先生、歩けなかった?」
「いや、歩けば歩けるんだけど介護保険三度だから。車椅子に乗っているの」
  言葉が続かない。このままの生活、本当にどうするのだろう、素敵な四階の有料老人ホーム。富士山、三日月がなんぼの世界になってしまった。
  風邪ひいたら大変と、私は、先生を車椅子に載せたまま、部屋に戻した。
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

読書のこの秋!「夢半ば」の出版の意義=小野友貴枝

  読書のこの秋、私は心を励ますものはないかと手にしたものが、好きな作家、吉村昭の「闇を裂く道」であった。読み始めて2ヶ月、本は私の心を掴んで離さなかった。
  静岡県出身の吉村昭は、墓参の後、普通電車で熱海に向う途中、トンネル殉難者、67名の慰霊碑を瞬間的に眼で捉えたとき創作意欲がわいたと言う。
  明治から大正、昭和初期にかけての山国日本のトンネル開発はすさまじいものがあった。その中心になる東海道を、短距離で結ぶ必然性があり、国鉄省は優先的に熱海と三島を結ぶ丹那トンネルの工事に着工した。この工事は、富士火山帯を貫くと言う世界でも屈指の難工事であった。
  大正7年に起工し16年を費やして完工した旧丹那トンネルは、昭和9年12月1日開通した。鉄道省によるとこの期間は15年11ヶ月10日の日数を経て2千5百万円の工事費と、作業員の延べ人数は250万人に達した、と公表している。
  読書の醍醐味とは、このようなことをいうのかと思えるほど、私は、作品に引き込まれた。小説のジャンルは吉村特有の記録文学と言えようが、内容は主人公のない歴史小説である。吉村は膨大な資料を読み込み、トンネル工事労働者に命を吹き込み、岩盤に閉じ込められた遭難者の救出、緑豊かな丹那盆地の渇水に晒らされた農民の怒りまで書きこんでいる。その背景には鉄道省の政治生命と日本の未来を見据えた指導力、使命感を持った工事関係者、多くの市民農民の犠牲心の上に立ったトンネル開通、16年に渉る歴史に、私は小説を通して感動を味わった。どんな時代がこようとも一冊の本は、読者が求めれば手届く財産。大きなテーマに挑み、多くの作品を残してくれた吉村昭(平成18年7月死去)作家に礼を言いたい。
  私も、長年、読者が付かなくても選に入らずとも書いてきた。書く自分を否定することは、人生を否定することに繋がる。食べることよりも、本が読みたい自分、読むよりも書きたい自分をないがしろにしていいのか、と自問自答しながら過ごした秋である。「闇を裂く道」などと比べ、万分の一にも書けていないが、書きたいものがあるうちは書いて生きていたいと思っている。
  「夢半ば」4巻は、男中心社会の時代雰囲気のなかで、事あるごとに無意識的にも意識的にも見えざる圧力に戦う事情が読み取れる。今日的な意味で、働く女性史として、私は残すべき価値があったと、出版した今年を振り返っている。
(29・11・29)
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)/2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)/3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)/4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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甲府(Koufu)にて=小野友貴枝

 デパートの五階にある中華食堂。私は、ラーメンセットを食べ始めようとした時、すごくお腹が空いているのに、ビールが飲みたくなった。
「ビールは何、ですか」20歳代のアルバイトらしいウエートレスが訊く。
「あの人と同じ。中ビンで」
 彼は、ちょっと振り向いて、え、中ビン、生でなくていいですか?と訊き返えされた。「中華ですから、ビンがいいです」
 彼は、私のデスクにビンを置いた。その時ちょっと遊び心で、「注いでくれない?」と言った。一瞬の間が空いて、学生らしい男の子は、無器用に注いでくれた。
 あ、私って、食堂でこんなことも言えるんだ、と思った。その時、どこかで見たことのある山梨の女流作家のような不遜な態度をしているな、と自己批判する声があったが、ここは甲府だ、知っている人は誰もいないと自分を許した。
 甲府駅ビル5階、南側の窓際に座って、夜景を眺めながらエラぶっている私、その演技にさえ酔っていた。ビールが美味しい。自分が演じているような女流作家になりたいと、どこかで思っていたのかもしれない。
 五時台の宵なのに空気は透明で、遠くまで見える。眼下には駅のロータリーを囲む低い照明、ありふれた景色なのに人の姿が全然映らないせいか、どこか遠くへ来たような旅情がある。
 私は、娘とここで待ち合わせて紅葉真っ盛りの秘湯に行くことになっている。
 今日、日中、小さな出版社からでエッセイ賞をもらってきた。あんな賞貰って喜んでいるようではどうしようもない、もっと大きな小説賞が欲しい。誰もが読みたくなるような良い小説を発表して、出版社の月刊誌から原稿依頼が来るようでなければいけない。しかし、一生かかってもそのような身分、立場にはなれそうもない、せめてこの一時だけ、架空の自分を演出し、作家気分を味わってみたい。娘の車に乗れば、もう「お母さん、寒くない」なんて同情されるのが落ちだ。何のことはない誰にも声をかけられない普通のお母さん、作家になったこともない。
 自分で演出して、自分に酔っているだけだ。もう少し夢を見させてください。五階の空中にいるのだから、いいじゃないかという思いと闘っている。
 飲みはじめたら、つまみがないことに気付いた。テーブルにあるものは、中華のおこわのセットと、杏仁豆腐。これではビールが美味しくない、塩味のものが欲しい。
 私はまた、手を挙げて3人並んでいるウエートレスを手招きした。さっきの彼が傍に来てくれた、私の様子を見ていたらしい。
「つまみがないじゃないですか、」ぞんざいに言ってとテーブルを指した。そんなのお客の勝手だよと言われそうだ。
「じゃ、つまみにナス、蒸しナスをください。秋ナスは嫁に食わすなでしょうね」嫁にも食わすなとは小さいなと最後の方は自問自答した。これでは、山梨の女流作家を演じられていないなと寂しくなる。もっと豪華なものを頼めばよかったのだ。
 焼きえびとか、カモの肉とかだと様になるのに、もう後に引けない。
 ビルの下をのぞいて、「迎えの車がこないかな」という演技をする。娘がそろそろ来るころだと思ってはいるが、娘という言葉を使わずに、何か使いの者が迎えに来るような大げさなもの言い方だ。流行りの作家ならショールを膝の上に置いて、迎えの人が食堂に来るまでゆったり待つのだろう。
 知っている人が誰もいないところで、若い男性に、ビールを注いでもらっている快感。珠玉のような美しい作品を書く本物の作家になりたいなーと心底思った。

☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
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 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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「読書週間」に気分良く本を読みたい=小野友貴枝

  読書の秋です。最近、近辺の図書館を利用する機会が多く、もちろん読書よりも文献探しです。この時に、利用する図書館の行政的規制に厳しい対応を受けることが多くあります。
 それに対する私なりの利用者側の意見を整理してから、申し入れようと思っていました。
  そんな時に、毎日新聞(29・10・11日付)のコラム「経済観測」―今図書館がおもしろいー関幸子(ローカルファースト研究所代表取締役)を読んで、大変うれしくなりました。
  関さんの意見は、図書館は本を管理するところではありません、というものです。1人でも多くの人に読んでもらうサービス業です、一人でも多くの人に本を読んで、または借りていただく賑やかな図書館こそ望まれていますと、関幸子氏の言うとおりです。
 私は、本の愛読者ですが、図書館の管理の在り方を好ましく思っていませ。まるで「取締り行政」のようで、何をしちゃいけない、という注意書き、注意の目白押しです。
 いちばん困るのは、カバンの(A4版サイズ)持ち込み禁止です。もちろんその荷物は入口のコインロッカーに入れられます。なんでと訊きますと、本が盗まれるから、だそうです。(ただし貸し出し禁止の蔵書資料室)。
  不謹慎ですが、もし本を盗んでも読みたいという人がいるなら、その気持ちは、理解できないわけではありません。
  本を読むことは、これからの日本にどんなに大事か分かりません。図書館は、「本を読みたいから入っていくのです。あまりにも管理的に、「きれいに」とか「大切にとか」「図書館でスマホは使わないで」とか、いうなれば「規則正しい」読書のメッセージばかりです。
 なんで、こんなに図書館が優等生的になったのでしょうか。私はスタッフが館内を含めて本を守ることに専念しすぎているからと思っています。本はゆったりとした雰囲気で読むものです。リラックスそして好きなように本を読ませて下さい。図書館行政は、古き行政の遺物です。決して管理するところではありません、だから図書館の利用が若い人から嫌われているのです。本末転倒の図書館行政を見直す時です。ゆっくり、快く読ませて下さい、今はブックオフ流の流通機関に本が乗る時代ですから本は消耗品と言っても過言ではありません。いかがでしょうか?
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
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 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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片山郷子さんの希み力で「夢半ば」CDに!読者拡大へ=小野友貴枝

 私の親友である、片山郷子さんはかつては小説教室で、ともに創作手法を研鑽したものでした。ですが、現在では目が不自由になっています。昔から小説を書き、日記もつけています。私の刊行した日記「夢半ば」をお送りさせていただきましたところ、「どうしても読みたい、読まして欲しいもの」と思っていたそうです。
  そこに、彼女の希望を聞き付けた以前から付き合いのあった東京・北区の録音ボランティアの方々が、熱心に、4巻全部録音して彼女にプレゼントしてくださったのです。
 それをきいて、さっそくエッセイを執筆してくれました。ハンディをものともせずに、文芸に力をそそぐ、片山さんに尊敬と感謝の念が溢れてくるのを抑えることができません。そこで、その全文をここに紹介いたします。
 ☆エッセイ【「夢半ば」のデイジー化について】=片山郷子
わたしは十五年ほど前から音声入りパソコンを使って文章の読み書きをしています。
 もちろんパソコンの画面の文字も文字盤も見えません。
 そのころから目が悪くなり中途失明者の不便さ苦しみを味わって生きてきました。
 今もその不便さ苦悩は変わりませんが、それでも心の底に折れない鉄の棒が立っているように感じるときがあります。
  鉄は弱いのか、強いのか、わかりませんが・・・・。
  さて小野友貴枝さんから「夢半ば」のご著書を頂きました。本好きだったわたしが十年間、文字を見ていません。
  はじめ対面朗読で読んでもらおうかと考えました。でも四冊もある。朗読のボランティアに読んでもらったら十二時間以上かかるでしょう。音訳グループ「やまびこ」さんに相談しました。日数はかかるけどデイジー図書に吹き込んでくれるというのです。
  デイジー図書は目の不自由な人々などのために、カセットに代わるデジタル録音図書として開発されたものです。長時間の録音が可能で長編小説一冊分がまるまる録音されます。専用の再生機械のプレクストークなどを使って簡単な操作で聞くことができます。
  早速、録音奉仕会の「やまびこ」さんに吹き込みをお願いしました。彼女たちはボランティアでご自分の仕事、家事の合間に吹き込み作業をしてくれます。ほんとうに視覚障害者にとって有り難い存在です。この報酬や社会的地位などの、見返りを求めない人たちによって、福祉の底辺は生かされています。デイジー図書は視覚障害者の知的興味を高めてくれています。
  さて「夢半ば」は著者の情熱があふれています。散見するエッセイは文学的に想われます。
  個人の年月日とその後に記した事実の記録を、人間共通のものとし、また時間を超えたもととするにはまたそれらを表現できるようになるには、どのようなものが、なにが、必要でしょうか・・・。
 小野友貴枝さんのこれからのますますのご健筆を祈ります。(以上)
☆〜〜著書「夢半ば」と作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
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 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
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 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

「夢半ば」音声化(ボランティアさん制作)に想う=小野友貴枝

IMG_20170121_102018<発売直後から売る努力をする小野友貴枝。「夢半ば」日記の4巻を平積みにして販売をしている書店(秦野市)にて。>
   年初に発売した「夢半ば」四巻が、某市の録音ボランティアの方々のお力でこのたび音声化ができました。というのも、私の親友である、郷子さんは全盲状態ですが、昔から小説を書き、日記もつけています。私が無神経に送りました「夢半ば」を手にしてどうしても読みたい、読ましてと思っていたそうです。
  そこに、彼女の希望を聞き付けた以前から付き合いのあった某市の録音ボランティアの方々が、熱心に、4巻全部録音して彼女にプレゼントしてくださったのです。
 郷子さんは、一巻に七時間も掛かるテープを全部聴いて、感想を伝えてくれました。「半世紀にわたる女性の心情が、丁寧に書かれている。生き方が素直に耳に入って来て感動した」と言ってくれました。書くこと、書き残すことの素晴らしさは人に生きる力を与えることができるのですね、とも。現在、地元のボランティア団体が貸し出し活動をする準備をしているとのことです。
  郷子さんはこれからも、創作や日記を書き続けるでしよう。書くことは生きる力をくれます。本を読みたくても、文字では読めない方に、音読で届けてくださった録音ボランティア、グループの方々に、お礼申し上げます。「ありがとうございます。また、これからの本の出版は音声化までされるといいですね」と――。
  多くの対象者、視覚障害だけでなく視力視覚障害者の高齢者にも配慮する必要があると、福祉で働いた者として考えさせられました。
  また、 毎日新聞(2017年8月21日付)23面の「日記で交流…」を読み、私の体験を顧みることがありました。私(ペンネーム:小野友貴枝)は、14歳からの日記を最近(2015年と2016年にかけて)編集。2017年1月1日に出版しました。タイトルは「夢半ば」。
私は日記をつけることを、中学校の時に担任の先生から教わりました。日記を先生と交換することが、文部省の指導要領に載っていましたが、私は無意識なのか、それとも自分の境遇が、母親に死なれて義母にせwになっていたせいか、ひとにみせられては困るようなことが多かったせいか、一度も、担 任の先生にお見せすることはありませんでした。
    先生は中学校卒業の時に、こう言いました「日記は自分のために付けるものだ」と。私は長い人生、無意識のうちに日記を綴ってきました。62年間を、それもほとんど大学ノートに。そのせいか自分の心を自由に書き、そして、日記を読み返して、前へ進む自己確認になってきたような気がします。自分らしく、生きようと、その思いはいつも日記にあったと思います。
   総合して14万日以上書いたと計算してくれたのは、自費出版を依頼した、株式会社文芸社の編集の方々です。偽らない気持ちを率直に、言葉として残っています。
   それで、70歳まで有職人生を貫き、3人の子育てと教育、痴呆の義母を3年間も在宅で面倒を見れたのも、全部記録に残っていま す。この無意識の自己確認行為と強さは、日記という、もう一人の自分の眼のおかげだと今でも思っています。
     そうなのです、日記はもう一人の自分がそこで支えてくれているのです。「大丈夫だよ」「元気で前へ進みなさい」「自分を信じなさい」と、日記が言ってくれたのです。だから日記は自分のこころを第三者の目で見られる道具なのです。決して、いや大方は人に見せるものではないのです。もし先生に見せるために書く日記でしたらば、「きっと本心を書かないと思います。また子供の本心を先生方が提示されても困るのではないでしょうか。ですから、日記を教育のために使うときには、その覚悟と、またバイアスがあることを理解して、読んで指導に使う、データーでなければいけない記録です。
 人間理解を日記で得ることは難しいという意見もききます。しかし、日記を自分のために書く習慣は、人生の大きなパワーを得るということでは、ぜひ教育の中で指導してもらいたことです。
 今こそ「若い子供の自殺予防のためにも日記を進めたいです。いまいじめをテーマにしていますが、いじめはなくなりません、いじめと感じる感覚をなくす強い心が絶対に必要だと思っています。そのためにも自分を強くする「日記」をすすめます。
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)。2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)。3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)。4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               ■関連情報=☆小野友貴枝さんが出版体験を講演=女性の日記から学ぶ会(千葉)
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私という存在は、肉体より日記の中にあった

坂井瑞穂 さんよりの「那珂川慕情」(小野友貴枝著)評と想い

41cJVMzWTLL__SX345_BO1,204,203,200_<小野友貴枝・著「那珂川慕情」(叢文社)。那須岳を源に、栃木茨城を貫流する那珂川のほとりに生まれた雅哉と亜矢。二人は愛を誓うが、国際舞台で活躍する雅哉からの連絡が途絶え、別々の人生を歩む。時は移り、再会は東京。そして熱愛の渕に。再び故郷の那珂川で愛を確かめあうが、運命の定めは永遠の別離だった。濃密な大人のラブ・ストーリー。 >
  評論誌「群系」同人の坂井瑞穂さんより「群系」掲示板に『那珂川慕情(小野友貴枝著) 青春ストーリーの清らかさとおもしろさ』という評を投稿していただきました(投稿日:2017年 8月15日)。その内容を次に掲載します。
         〜〜〜 ☆ 〜〜〜
  実を言いますと、小野先生が野州那須のご出身ということは存じていたのですが、それでもなお那賀川慕情として読みはじめてしまいました。粗筋がドーバー海峡プロジェクト関連するものと先入観が邪魔をして、徳島県の物語と勘違い、まさにミスリードスタートだったのです。
  茨城や栃木の風景から海峡は連想しにくいですし、短絡的に紀淡海峡や渦潮がインプットされちゃったのかもしれません。小野先生、ごめんなさい。
  けれども「那珂川慕情」を読んで得られた感動は、10代の終わりに「白い女」(落合恵子著)を読み終えたときのものと同じもので、いつまでも豪雨に濡れていたくなる胸のうちの激情みたいなもの。50歳を過ぎた今の自分にも若いときと同じ純情が残っていたのだ、と、嬉しくなりました。
  小野先生は、言葉に説得力もあります。
  -----僕は、川霧が出るこの土地が好きなんだ。那珂川の流れが見下ろせる。-----
  物語はこの部分にすべて集約されているのだと思います。
  でも感性が実直なひとの書いた物語はやっぱりいいな。人間、素直さを失ってはいけませんね。
その点、私なんか、イーグルスの歌を直訳して実行する不良だから、三回転んだくらいではこれ程に美しいストーリーはつくれそうにありません。
  ですが小野先生、ひとつだけ。昭和30年代のころにストーカーなんて言葉が使われていましたっけ。80年代に米国で法整備がすすみ、それに遅れて桶川の事件以降国内でよく聞くようになったと認識しているのですが。
  好きになった小説なだけに11ページのこのところだけが、残念!!! 本の表紙の景色をじっと見ていると----------私はやっぱり那賀川に誘われてしまう。那珂川も那賀川もダムがなくて両方とも清流であることに変わりはないのですけれど。
  那珂川慕情は九州や西日本の知り合いに紹介していきたいです。あと、栃木県へ旅行する方、必携です。旅の友となる本です。(「群系」掲示板2017年 8月15日
        〜〜〜 ☆ 〜〜〜  
 坂井瑞穂 さんのご厚意に感謝します。私は【珂川慕情」作品のその後】として、次のように想いを述べさせていただきました。
 『図らずも昨晩、日テレビB.S「スター感動秘話、我が心の師鳥羽一郎、船村徹」を見てまして、感慨深く、述懐していました。那珂川慕情は、船村先生が同じ同郷のよしみで大変気にいってくださって「歌にするから歌詞を作って来いと言われ」創って、パレスホテルまで持つて行きましたが、話し会いが成立せずダメになったという経緯があります。
  また、ドーバー海峡は私の友人が関わっていたので、日本の大きな貢献産業でしたので描き、残したかったのです。
  烏山の故郷、那珂川と一諸に全部取材して書いた内容です。また「東京ステーションホテル」も私の常宿したホテルですので書いておきたかった。「那珂川慕情」、作品を随分応募しましたが、どこにも引っ掛からない、陽の目に合わない、不遇というのか逆境の作品です。可哀相に。友貴枝泣いています。』
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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雑誌「群系」全国同人雑誌大賞受賞の集いから=小野友貴枝

  雑誌「群系」主催の「全国同人雑誌大賞受賞の集い」が平成29年7月30日(日)、日本出版クラブにおいて、開催されました。《参照:群系パーティー、楽しかったです「群系」掲示板》
 これは、2016年「第6回富士正晴全国同人雑誌賞の公募において、「群系36号」がめでたく大賞に選ばれたことをお祝いするものでした。
 この賞に応募した同人誌は117冊、それらはすべて同人誌として歴史のあるものでした。群系の応募は、創刊30周年を迎え、ここ数年、内容・構成の充実、編集の緻密さなど、自他ともに誇れる誌になってきたからだと、同人の一人として誇りに思っています。
 特に36号は、主な内容である文学評論の特集が「同時代の文学1976年から2005年」、同人が親しんできた作家、作品の評論が多く取り上げられていることもあって充実した内容だと思います。
また「追悼:野口存彌」は、同人として多くの作品評論を掲載してきた功績を称え、多くの方の「偲ぶ文」が寄稿されたことも意義深いものになったのではないかと思います。野口存彌氏の知名度、業績から推して当然のこととは言え、これだけ同人誌にスペースをさいたということは野口氏への供養になったのではないでしょうか。
 群系の特徴の一つでもある、「自由論考」は、誰でも好きなことが書けるという間口の広さを感じられるもので、読者には作者の知見は参考になることが多く注目するコーナーです。
 最後になりますが、私の参加する創作コーナーは、この号では2編のみでした。歴史に造詣の深い柿崎一氏の「士道無残⦅上⦆」と、私の連載ものである(一遍ごとにまとまっている)「会長フアイル4『挨拶』」です。評論中心の「群系」への掲載について、永野編集長から相談されたことは、実のある内容の創作を、と言われて受けたような気がします。「会長フアイル」は、某市社会福祉協議会会長の経験をもとに書いたドキュメントに近いものです。これは、北九州文学賞に応募するために書いた「自分史」のバージョンで、最前線の福祉のリーダーシップの葛藤、それも地域という因習に縛られたベースのものを、書きたかったテーマであります。これを掲載させていただけることは、編集長の懐の深さを感じ、半分恐縮しながら連載させていただいております。地域福祉論は、現実と理想のギャップのある、本当に進歩のない泥臭いものですが、創作というベールで囲ってしまえば、読者に届くのではないかと、フイックションスタイルに工夫しました。ときどき、「群系」掲示板に感想をいただいていますので頑張って書いた意味があると自己満足しています。
 これらすべてを称して36号が選ばれたのだと同人の一人として自負しております。
後になりましたが、群系受賞パーテイは、日本出版クラブ会館で盛大に開催できなお永野編集者の意気に準ずる会員の結束力と、文学を愛する一人一人のオーラが放たれたと、確信しました。「群系」は、なお多くの読者を獲得、魅了する同人誌として発展していくでしょう。そして私ももっといい作品を書くぞという、気持ちの高ぶりを頂けた「集い」でした。(29年8月5日・記)
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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小野友貴枝の「夢半ば」全4巻を読む=実弟・大坪正(下)

IMG_0115_1IMG_0111<文学活動の一環として、町田市中央公民館の「文芸同人誌展示会」(7月18日〜29日まで開催)に参加。小野友貴枝の作品コーナーを持つ。>
            ☆
     【夢半ば」全4巻を読む=実弟・大坪正】 
 さらに日記から抜粋してみよう。
 昭和30年2月21日――(月)晴。今日は私にとって忘れられない日である。義姉さん(兄の妻)が8時頃たき火をした。そして午後2時頃になってその火が乾燥場に燃えうつった。私は2階で本を読んでいた。すると、どこからか「火事だー」というような声が聞こえてきた……――。
 ○ 消火作業やその後の顛末は・・・。
IMG_20170725_0001_1IMG_20170725_0001_2<「夢半ば」第鬼「女の約束は」思春期の日記(昭和29年〜昭和38年)の掲載写真より。思春期の人間関係と、故郷の那珂川の様子>
 私が住んでいた村内の薬師堂隣には、火の見櫓があり半鐘が設置されていたと思いますが、半鐘の音ではなく、「ボー ボー」とほら貝のような音が激しく聞こえていたような記憶があります。
  昭和33年2月22日――(土)馬がたおれてしまった(家の中に馬小屋がある)。帰宅する時、なんか悪い予感がしたので変だと思った。馬が、汗を流して寝ていた。自分の家が落ちていくようでとても悲しい。オチブレテゆくのがわかる。オチブレナイデホシイ、サカエテホシイ。馬も死んでゆくのではないでしょうか。栄えてゆく家の様子を聞くと大変うらやましい。……――。
 当時の農家では、馬は人間よりも大事にされていました。母家の中で馬と一緒の寝起きは極あたりまえのことでした。著者の生家で飼われていた馬の名前は、ノブ。その後、馬喰に引き取られたのでしょうか。
 読後のキーワードは「14歳からつけている……」でしょうか。長い間眠っていたものが日の目を見る、それが古ければ古いほど人を惹きつけます。この本に盛り込まれなかった日々の日記がまだまだあり、これもまた気になるところです。
 私事で言いますと、私は日記をつけることにあきらめつつあります。60歳を過ぎて何度か試みましたが、もうひとつ内容がつまらないのです。日常の出来事は「備忘録」と称してPCに書き込んでいますが、やはり、日記は肉筆でないと……と感じてしまいます。日常の思いや出来事をどんな風に書くのか、思案しているほど、残りの人生はそう多くないと思っているのですが。(この項おわり)
PC100003_1<1巻 女の約束は〜思春期日記(14歳から25歳まで)
2巻 女の一念は〜青年期日記(26歳から55歳まで)
3巻 女の仕事は〜壮年期日記(56歳から65歳まで)
4巻 女のストリーは〜成人日記(66歳から75歳まで)>
☆〜〜作家・小野友貴枝(おのゆきえ) プロフィール〜〜☆
 神奈川県秦野市在住。1939年、9人兄弟の五女として栃木県に生まれる。1962年、神奈川県立公衆衛生看護学院を卒業し、保健婦の国家資格取得。神奈川県職員となる。主に保健福祉分野に従事。1964年に結婚。3人の子どもを育てながら勤めを続ける。2000年、平塚保健福祉事務所保健福祉部長として定年退職。
IMG_20170123_084313_1<神奈川県の「タウンニュース」1月21日号掲載の「人物風土記・小野友貴枝」の誌面より>
 同年6月、日本看護協会常任理事に着任。2004年、秦野市社会福祉協議会会長、国立東京第一病院附属高等看護学院の「東一同窓会」会長などを務める。
 文学活動にも精力的に取り組み、秦野文学同人会代表、日本ペンクラブ会員。主な著書に『秘恋の詩』(叢文社、2001年)、『秘恋竹取ものがたり』(同、2003年)、「那珂川慕情』(同、2006年)、『恋愛不全症』(同、2008年)、「秘恋』(同、2010年)、「愛の輪郭(短編・掌編)』(日本文学館、2012年〉、銀華文学賞入選作を収めた『65歳ビューポイント』(同、2013年)がある。               
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