中島 勇一 オフィシャルブログ H・E・A・R・T

エッセイ グループセッションのテーマ ワークから生まれた話し

◆◇◆次回のH・E・A・R・Tのご案内◆◇◆
 
【 日にち 】2015年 8月29日(土)、8月30日(日)
【 場 所 】きゅりあん 4階 第2グループ活動室
【 時 間 】初日10:30〜19:30 2日目10:00〜19:30
【 受講料 】2日間/48,000円
【 お申込先 】HEARTのお申込み専用フォームはこちら[公式サイト]

人を責めると、人生が滞る 14

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前回のつづきです。
▼前回「人を責めると、人生が滞る13
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▼人を責めると、人生が滞る 14
 

◆ご質問に答えて

連載を読んでいるヒプノ講座参加者から、次のような質問を受けました。

人を責めないようにしていると、「自分がダメだから、こうなってしまった」と自分を責める気持ちが出てきてしまいました。

何だか自分が無能な感じがしてきます。

逆に、人を責めていた方が苦しくないし、自分が有能な感じがします。

人を責めていた方が、人生はうまくいくのではないでしょうか?

回答

『独りで生きている自分』これがエゴの感覚です。

自分以外のものは信頼できないので、つながり、というものを信じていません。

だから、ネットとつながっていないパソコンのように、『自分には限界がある』と感じてしまいます。

この限界の感覚が「自分はダメだ」という気持ちです。

「自分はダメだ」という嫌な気持ちを、人に投影することで感じないようにします。

でも「ダメだ」という気持ちを、自分の周りのものに投影すると、自分の周りは、ダメな奴や、正しくない事、ばかりが目についてくるし、実際に引き寄せられてくるように感じるでしょう。

恋愛などで、ダメな相手と付き合って酷い目にあって、もう二度とあんなタイプとは付き合わない、と決意し、気をつけて反対のタイプを選んだはずなのに、付き合ってみると、やっぱり同じダメなタイプだった、ということが続いてしまう人もいます。

エゴは投影する相手を必要とします。ダメなところを持った相手は投影しやすいので、そんな相手ばかりを選んでしまうのです。

自分は有能で、正しい、という気持ちを感じられるけど、ダメな奴のせいでこんなひどい目にあった、という被害者の気分で人生を過ごすことが多くなります。

そして、さらに人を責めつづけます。

質問に、「人を責めていた方が、人生がうまくいくのではないでしょうか?」とありましたが、自分はダメだという気持ちをごまかすことができるだけで、人を責めて入れば、人生は滞ります。

ところが、質問者の言うように、人を責めないようにすると、投影の引き戻しが起きるので、ありのままのエゴの感覚、つまり「自分はダメだ」という気持ちを感じてしまいます。

人を責めなくても、自分を責めていれば、やはり人生は滞ります。

幸せに向かって、何かを変えるべきです。

相手が間違いを改善するように責め続けても、元々の間違いは、自分の中のフィルムにあるのですから、相手に写し出される映像は変わりません。

自分のフィルムの、何を変えればよいのでしょうか?

≪次回に続く≫

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人を責めると、人生が滞る 13

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▼前回「人を責めると、人生が滞る12
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▼人を責めると、人生が滞る 13
 

◆投影を引き戻す

投影とは、映画館の映写機にたとえたネーミングです。

フィルムに光を通すと、フィルムの影がスクリーンに映し出されて映像となります。

これと同じように、自分の心の中の想念が相手に写し出されて、その想念を相手が持っているように見えることを、投影と言います。

A子さんには「私のいうことを聞いて!」という気持ちがあり、これがフィルムにあたります。

このフィルムの影を夫に投げかけているので、夫が自分に対して指図をしているように思えます。

夫に投げかけているこの影は、もともと自分の中にあるものだから、これを自分に引き戻して、「自分が指図をしたいと思っている」と気づくことを、 「投影を引き戻す」といいます。

A子さんは、自分の中の「私のいうことを聞いて!」という気持ちを引き戻すと、その下にある「みんな私のことなんか、どうでもいいのよ」という悲 しみに気づきました。

この悲しみの感情がつらいので、A子さんはそれを怒りに変えてしまったのです。

彼女はこの悲しみに、そっと優しさと思いやりの気持ちで寄り添っていきました。

そこには、「私の価値を認めて、受け入れてほしい」という、長い間置き去りにされていた願いがありました。

本当に長いこと、誰にもかえりみられることなく、孤独と絶望に押しつぶされ、死んだようになっているもう一人の自分が、そこにいました。

A子さんは涙を流し始めました。

そして、「本当は、夫と仲よくしたい。愛し、愛されたい」という心の底からの思いを実感できたのです。

このように、投影を引き戻すことで、切り離してわからなくしていた自分の中の深い気持ちとつながることができます。

「エゴを超えた自分」とつながるのです。


◆「相手の身になる」ことで、つながれる

生まれたとき、「エゴ」の検閲はありませんでした。

生まれてまもない赤ちゃんは、母親と一体の感覚です。

一体感と、ゆだねている感覚を、全面的に母親に向けています。

つながりを失くして生きていた母親も、子供を宿すことで赤ちゃんとつながります。

赤ちゃんが何を訴えているのか、察することができるようになります。

暑いのか、寒いのか、お腹が空いたのか、眠いのかが言葉が通じないのに、わかるようになるのです。

頭で考えるのではなく「何となくそんな気がする」という、わかり方です。

この、相手の状態がわかる感覚は、つながっているからできるのでしょう。

おそらくこの時の赤ちゃんも、赤ちゃんなりに母親の状態が「何となくわかっている」のではないでしょうか。

一体だから、ありのままが、そのままわかるのでしょう。

少し育ってくると、ごっこ遊びをはじめます。

自分以外の人物になる遊びです。

私の子供が保育園の時、「家族ごっこ」が流行っていて、女の子に一番人気のある役は、おしゃれなお姉さん役で、一番人気のない役は、赤ちゃん役だ そうです。(すでに“体験済み”ですからね)

男の子はお父さん役で、やることはただ、「行ってきま〜す」と仕事に出かけていくことだけなので、やはり不人気です。

男の子の一番人気は、「家族ごっこ」に加わらず、木の棒を持って、戦士の役をやることだそうです。

自立した強い男性になって、一人で見えない敵と戦っています。

電車の運転手役も人気です。

ごっこ遊びで、自分ではない他者になりきって、自分がそうなったときの感じを、体験して学んでいるのです。

投影は、自分の気持ちを切り離すだけでなく、相手のことも切り離します。

ごっこ遊びは、相手の気持ちになることで、つながりを体験します。

投影は、自分の気持ちを人の気持ちにして、わからなくしますが、ごっこ遊びは、自分がその人になって、わかろうとします。

エゴは「自分は一人で生きている。つながっていない」と思い込んでいますが、他者になる体験ができる、ということは、本来の私達は、つながってい るのです。

ということは、つながりたいときには、ごっこ遊びのように他者になることで、つながることができるわけです。

日本には『相手の身になる』という言葉があります。

イメージの中で、相手の立場になったり、相手そのものになってみることで、相手の気持ちを思いやったりできます。

前回書いた、友人の悩みを聞いているうちに、自分まで悲しい気持ちになったのは、相手の身になって、自分がその人の気持ちになっている状態です。

これは相手とつながっている状態です。

悲しんでいる相手につながると、悲しくなります。

でも悲しいだけでなく、嬉しいような、あたたかいような感じも一緒に感じられてきます。

つながっているときの感覚は、そのような感覚として感じられるからです。

つながればつながるほど、ありのままの相手が、そのままわかるようになり、それによって自分も、ありのままでいられるようになります。

エゴを超えた本来の自分と、つながることができるのです。

≪次回に続く≫

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人を責めると、人生が滞る 12

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前回のつづきです。
▼前回「人を責めると、人生が滞る11
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▼人を責めると、人生が滞る 12
 

投影は「エゴ」のごまかしです。

私たちはいつも、エゴにごまかされて人を責めてしまい、幸せから離れてしまいます。


◆ありのままの自分がわかると、変えられる

本来は、物事をありのままに認識していれば、相手のことも、ありのままにわかるし自分のことも、ありのままにわかります。

ありのままに生きるのが自然になります。

ありのままに生きるのがむずかしいのは、自分や、相手のことを認識するときに、必ず「エゴ」の検閲が入って、ありのままに認識させてもらえないか らです。

A子さんは「夫が指図をするので、腹が立つ」と言います。

よく話を聞いてみると、A子さんの夫は決して強引に命令をするタイプではなく、「○○をしてくれる?」という言い方なのですが、彼女は「私に指図 をしないで!」と怒りを感じてしまうそうです。

セラピーをしていくうちに彼女は「私のいうことを聞いて!」という強い気持ちが、自分の心の中にあるのに気づきました。

でも彼女は、人に指図をするのは悪いことだ、と思っているので、この気持ちは、無意識のうちに自分から切り離されます。

行き場のなくなった気持ちは、夫に投げ込まれます。

すると、「私のいうことを聞いて!」という激しい気持ちを夫が持っているように感じられます。

これが投影です。

エゴは正しくない気持ち(正確には、『エゴが“正しくない”と判断している気持ち』)を、自分が持っていることに気づくと「自分はダメだなぁ」と 感じてしまうので、この場合で言うと、「指図したい気持ち」を無意識のうちに検閲して、相手のせいにするのです。

投影された側(夫)は、3つのケースがあります。
_燭皸いところがないのに、投影されて悪い人に見える。
△發箸發醗いところがあるので、投影をされやすい。
2燭皸いところがないのに、投影されることによって、
投げ込まれた気持ちの影響を受けて、悪い言動をしてしまう(逆転移)。
▼逆転移は、ブログ「二極に分離した心」を参照ください。「二極に分離した心


△痢△發箸發醗いところを持っている相手には、こちらも投影をしやすいし、自分が持っている悪いところに気づきにくくなります。

自分の正しさをより強く感じられる相手です。

ダメな相手や悪者には投影しやすいので、エゴはこういう相手を求めます。

自分は正しい。でも周りにはダメな相手や悪者ばかりが引き寄せられ、人生が滞ります。

どの場合も、エゴの検閲にごまかされて、ありのままの自分がわからなくなるので、自分を変えることができません。

A子さんは、本当は自分に、「指図したい気持ち」があることには気づかず、逆に夫が自分に対して指図しているように思えるので、夫に怒りを感じま す。

「自分は正しい、夫は改めるべきだ」と思っていれば、正しい自分は変わらなくても済むのですが、本当は、自分が変わるチャンスを失っているので す。

ありのままの自分を認識することができないと、自分のどこを変えれば幸せになるのか、わからないので変われません。

引き続きセラピーをしていくと、ありのままのA子さんには「指図したい気持ち」があり、それは「私のいうことを聞いて!」という強い思いから来て います。

ありのままの自分に気づいたA子さんは、さらにその下にある、「みんな私のことなんか、どうでもいいのよ」という、深い悲しみを感じられるように なりました。

子供の頃から何十年もずっと、この悲しみに沈んでいたのですが、悲しみとして経験する方がつらいので、怒りに変えていたのです。

普段、「私に対して、偉そうに指図しないで!」と夫を責めているA子さんですが、それは「エゴ」に何重にもごまかされているに過ぎません。

本当のA子さんは、受け入れてもらえなかった悲しみを、夫と出会う前から、ずっと抱えていたのです。

ありのままの彼女は、「私の価値を認めて、受け入れてほしい」と、悲しみの中でずっと伝え続けています。

彼女は夫に「私のことを受け入れてほしい」と思っているのですが、エゴにごまかされて「夫が悪い」と感じてしまうので、相手を打ち負かすような結 果になってしまいます。

誰かを責めると、自分も責められるような気持ちになるので余計に腹が立ち、彼女の怒りは何年たってもなくなりません。

さらに夫以外の人にも投影は起きるので、PTAのお母さん方や、町内会で出会う人達にも「私に指図をしないで!」と怒りを感じてしまいます。

もしあなたが、「私は正しい」と相手を責めているとき、ちょっと立ち止まって、自分を振り返ってみてください。

心のどこかで「自分は正しいけれど、ちっとも幸せでない…」という感じがしたら、ありのままの自分が幸せを求めています。

幸せに向かって何かを変えるべきです。

相手に変わってもらおうとするよりも、自分が変わればよいのです。

でも、エゴにごまかされたままでは、彼女はここから変われません。

≪次回に続く≫



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人を責めると、人生が滞る 11

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前回のつづきです。
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▼人を責めると、人生が滞る 11 


前回から少し間があいてしまいましたが、内容を振り返ってみましょう。

前回の配信では、「カエルや胎児は、自然の神秘という『大きな全体』とつながって“ありのままでいい”という感覚で生きている。

人間は成長していくにつれて、母親を始めとした周囲の人々や、『大きな全体』とのつながりを失くして生きるようになり、

寄る辺ない感じ、心もとなさ、自分への確信のなさ、“自分はダメだなぁ”という感覚を抱くようになる」と書きました。

この、つながりを失くした自分のことを「エゴ」と呼びます。


◆「エゴ」という感覚

人間以外の生きものにも、「自分」というような感覚は、あるのでしょうが、人間が感じている「エゴ」の自分とは、ずいぶん違います。

カエルは「自然」そのもの、として生きていて、「自然」が、カエルの姿になって存在しているようなものです。

だからカエルは、「自分」として生きているというよりも、どちらかというと、「自然」として生きているかのようです。

だから、「自然」の調和とつながって生きています。

人間も「自然」の産物なのですが、「自然」として生きているのではなく、「エゴ」の自分として生きています。

「エゴ」という感覚は、周りとのつながりを失った後に生まれた感覚で、自分以外の周りのものを、異物として切り離して生きています。

これが普通の、自分の感覚だと思っています。

空気のように当たり前なので、気づきにくいのですが、これは、生きものとしてはかなり特殊な、人間に特有の感覚です。


◆自分の思うようにやりたい気持ち

「エゴ」にとっては、自分以外のものは異物だ、と感じているので、信頼することができません。

周りを受け入れて、周りにゆだねて生きることができません。

成長するにつれて(エゴが目覚めるにつれて)「自分の思うようにやりたい」という気持ちがどんどん強くなっていきます。

ところが、自分の思うようにやっても、心は楽にならないのです。

最初のうちは、自分が強く大きくなったような感じで、達成感や充実感を味わうでしょう。

しかし、「エゴ」がつよくなり、周囲とますます切り離された状態のまま、いわば「孤軍奮闘」して生きていくことは、容易なことではありません。

他の生きもののように、大自然の調和とつながって生きる、という感覚は「エゴ」にはありません。つながりを失っているからです。

だから、自分の思うようにやっていると、自然の調和から外れてしまいます。

例えば、理想の自分にこだわるあまり、病気になるまで頑張りすぎてしまう、など自分の、期待とか願望が際限なく膨らんでいきがちです。

膨らんでいく願望を満たせなくなると、「自分はダメだなぁ」という感覚が強まります。

また「エゴ」を抑えられなくなって、調和のない状態に突き進んでしまい、こんなはずではなかった、という状態を引き起こしてしまいます。

人間は自然界の中で生きているだけでなく、「エゴ」が寄り集まった人間関係の中で生きています。

人々が自分以外のものを切り離して、「自分の思うようにやりたい」という気持ちで生きているので、互いに「エゴ」を抑えられずに、調和のない状態 になってしまいがちです。

するとさらに、外側から自分を守るような生き方になって、人を責め、自分の正しさにこだわっていきます。

「自分の思うようにやりたい」という気持ちはますます強くなって、「エゴ」は自分勝手になっていきます。

普段は、心のなかのスポットライトが、分離した「エゴ」の自分に当たっているような状態で生きています。

でも心の中にあるのは、「エゴ」だけではありません。

親しい友人の悩みを親身になって聞いているうちに、自分まで悲しい気持ちになって、そっと寄り添っているときは、「エゴ」を超えた、何かとつな がっている自分にスポットライトが当たっているような状態です。

現実の人間関係では絶対に心を許せない、という人でも、感動的な映画を観て、心が震えるような体験をしたことがありませんか?

その時のあなたは映画の中の何かと、つながっています。

映画に出てきた動物、自然の風景、主人公、脇役の一人かもしれません。

つながりを失くして、「自分以外のものは信頼できない」と思い込んでいる「エゴ」を超えて、自分の心が、何かとつながる体験をしたときに、心は癒 されます。

逆にいうと、「エゴ」でいること自体、心が傷ついている状態であると言えます。

癒しはいつも「エゴ」を超えて、普段「自分」と思い込んでいる以外の、何かとつながっている自分になったときに起こるのです。

普段の私たちは、ずっと昔の、まだ「エゴ」という感覚がないときの、自分の周りのものと、あるがままにつながっていたときの感覚を忘れてしまって います。

催眠状態の中で、このときの感覚を思い出すことがあります。

言葉にできない、深く安心した感覚です。(カエルもこんな気持ちかも…)

このときに感じる、自分という感覚は、普段感じている「エゴ」の自分とは違い、「エゴ」を超えた本来の自分の感覚です。

不安なときは、つながる方向に進めば癒されるのです。

ところが「エゴ」は不安になると、不安にさせるものを切り離すことで、自分を守ろうとします。

つながりを失くしている「エゴ」は、なにかと不安に襲われます。

「自分は間違っている」とか、「自分はダメだなぁ」というような感覚を感じてしまうのです。

すると「エゴ」は、自分の間違っているところや、ダメなところを切り離して、他の人に押し付けてしまいます。

間違っている自分の姿を、他の人の上に映し出して「あの人が間違っている」と見てしまうのです。これを投影といいます。

「エゴ」は自分が間違っていることに耐えられず、無意識のうちに自分を誤魔化して、人に投影してしまうのです。

自分のゴミを隣の人の庭に、無意識のうちに捨ててしまって、そのあとで「隣の人はゴミだらけだ」と気づいて、ゴミのない「自分は正しい」と真剣に 思ってしまう、

投影とはこのようなことで、「エゴ」がいつもやっていることです。

次回は、この投影についてみていきます。


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人を責めると、人生が滞る 10 

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前回のつづきです。
▼前回「人を責めると、人生が滞る9
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▼人を責めると、人生が滞る 10 


分離は次の2つの要因から強まります。


◆母親との“分離”体験

1つめは、母親との“分離”の体験です。2つめは、自分の思うようにやりたい気持ちです。

母親との“分離”の体験は、幼児期よりももっと前の、乳児のときに端を発します。

乳児が周りの世界を探索するため、母親から離れようとするのは、自然な発達段階です。

ところが母親の心が不安定な状態になっているときに、乳児が勝手に自分から離れていこうとすると、それまで睡眠時間も削り、自分のほとんどすべてをささげて

夢中で育ててきた我が子だからこそ、「この子は自分勝手なことばかりして、私の気持ちをないがしろにしている」と、まるで自分が見捨てられたような、

自分が尊重されてないように感じて、心が痛くなってしまうことがあるのです。

痛みがあると攻撃的になるので、いざ子供が戻ってきたときに無視するとか、つい冷たい態度を取ってしまうのです。

母親だけでなく人間はみな、自分への“確信のなさ”に由来する大きな痛みを抱えているから、自分の思うようにならないものに出会うと、苛立ってしまうのです。

それまで、すべてとの一体感、ありのままを受け入れられている感覚で生きてきた子供は、信じ切っていた母親から拒絶されて、深く傷つきます。

母親から離れて自分で行動し始めるこの時期に、子供は、自分と自分以外のものとの関わり方を、体験を通してプログラミングし始めます。

このときにプログラミングされた「母にすら受け入れてもらえない、ダメな自分」「周りの人間は、信頼できない、冷たい」という思い込みは、その後の人生において、自分以外との関係の基調になります。

自分の外側のすべてのものに、信頼と愛情を感じられなくなります。

信頼できない、確信のない世界で、受け入れてもらえないダメな自分、分離した自分が、孤立して生きているような感覚になります。

その結果、自分から、周りとのつながりを切り離してしまうのです。もうこれ以上傷つきたくないからです。

ここまで読んでいると、自分を受け入れてくれなかった母親を責めたくなる人もいるでしょう。

母親を責めると、分離をさらに強化してしまいます。

それに、たとえ優しく受け入れてくれる母のもとで育ったとしても、分離は避けられないのです。

人の世は、分離した意識で生きている人間が作り出したものです。成長して、社会に適応していけばいくほど、勝ち負けや競争など、分離した感覚に捕らわれてしまいます。

母も父も先生も、子供がお手本とする大人たちは、分離した感覚に適応してきた人達だからです。


◆分離すると、ダメな感じがつきまとう

皆さんのパソコンは、ネットにつながっていますよね。

もしも突然、今日からはネットにつながらず、自分のパソコンの中にある情報と能力だけで、仕事をしなくてはならなくなったら、どんな感じがしますか?

安心し、安定した気持ちで、自信を持って仕事ができますか?どれだけの能力が出せると思いますか?

カエルは、自然が持っている神秘と、調和と、揺るぎなさに、つながって生きています。

胎児は、母胎の背後にある自然の神秘のいとなみとつながって、愛情、安心、安らぎと一体になって、「ありのままでよい」という感覚で育っています。

しかし悲しいことに、大人の私たちは、ネットにつながっていないパソコンのような、世界から一人ポツンと取り残されてしまったような感覚を抱えながら、生きているような感じなのです。

(次号に続きます)



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