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前回のつづきです。
▼前回「人を責めると、人生が滞る7
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▼人を責めると、人生が滞る 8 

前回のHeart通信では、被害者のもっている攻撃性と、その下にある痛みに、手を差し伸べていくことについて述べました。


◆被害者になった自分を責めない

痛みのあるところには傷があります。
傷が痛いと、どうしても攻撃的になってしまいます。

ですから不甲斐ない自分を責めたり、相手に怒ってしまった自分を責めたりすると、さらに痛みがひどくなります。
その結果、無自覚のうちに攻撃的になってしまいます。

自分を責めても、何もよくなりません。

間違ったことをしたときに、責めることで、それをやめさせることができる、という考え方の親や教師は多いので、

私たちは無自覚のうちに、「責めることで、よくなる」というやり方を取り入れています。

それは、単純な行動の場合しか効き目はありません。

家畜に重い荷物を引かせる時のように、単純な作業にはムチ打つことで、進ませたり、やめさせたりできますが、うまくいってない状態を改善するには、創意工夫が必要です。

複雑な心の働きをしなくてはならないときに、鞭を打たれると、鞭の方に意識が向いてしまい、目の前の痛みから逃げることしか考えられなくなり、根本的な改善ができません。

人生に同じようなことが、何度もパターンのように起きるときは、背後に複雑な気持ちが絡み合っています。

工夫が必要です。

自分を責めることや、反省することでは、抜けられません。

「己に克つ」というやり方が効くのは、傷ついていない人の場合です。

重傷を負ったのなら、己に克つというより、先ず病院です。

心の傷も同じです。

思いやりと優しさをこめて、いたわりと慰めの気持ちを込めて傷ついた心の痛みを察してあげてください。

攻撃的な気持ちで傷つけられたのですから、それとは反対の、温かい気持ちによって、心の傷は少しづつ癒されていきます。


◆「私は正しい」という、甘い蜜

ところが、せっかく癒されて安らかな気持ちになったのに、また何かつらい出来事が起こったときに、知らず知らず人を責めてしまうのは、皆さん誰しも体験されていることでしょう。

Heart通信の読者の方からも、次のような話を聞きました。

「人を責めると自分の人生が滞るから、もう責めないようにしよう」と決意したはずなのに、知らないうちに人を責めてしまっていて、夫に指摘されるまで、まったく気づかなかったそうです。

人は、自分が被害をこうむったときばかりでなく、間違っている人を見ても、その人を責めたくなります。

「なにやってるんだ」

「あのやり方は間違っているのに、わかんないのかなぁ」

「バカだなぁ」

“責めて”なんかいませんよ。

心の中でちょっと批判したり、不満に思ったりしているだけですよ。

と思うかも知れません。

が、これも相手に“否定の思い”を与えているので、結果的に自分も“否定の思い”を受け取ることになり、人生が滞ります。

あからさまではありませんが、批判や不満も、立派な攻撃的な想念なのです。

人を責めていると、自動的に「私は正しい」という感覚を味わうことができます。

加害者は、悪い人だし、間違ったことをしているのは、正しくない人です。

加害者や間違った人を責めていると、ひとりでに自分の正しさが、浮き彫りになって感じられます。

たとえ自分が間違っていたとしても、人を責めているときは、相手の間違いや正しくないことを責めているので、相対的に、自分の方が正しい、と感じることができるのです。

人を責めることによって感じられる「私は正しい」という感覚は、「このままの自分で大丈夫なんだ」という感覚の代用品として味わうことができる、甘い蜜なのです。

でも、「このままの自分で大丈夫なんだ」と本当に感じている人は、代用品を必要とするでしょうか?

「このままの自分では大丈夫ではない」

「自分なんてダメだ」

「自分は悪い」

と心の奥底で、自分に確信を感じられていない人は、誰か他の人を責めることで得られる「私は正しい」という甘い蜜に酔って、束の間の満足感を味わおうとします。

だから、心の安定が得られるまで繰り返し、また人を責めてしまうのです。

「正しさ」ほど厄介なものはありません。

人を責めると、自動的に「私は正しい」と感じられるので、自分の「物の見方」が、正しいと思うようになります。

自分の考えが正しい

自分の価値観が正しい

自分のやり方が正しい

すると自分の「物の見方」以外のものは、やはり自動的に、“間違い”になります。

生真面目で、正しくありたいと思う人であればあるほど、間違っている人を受け入れることができません。

人の間違いを責めることで、自分がより正しく感じられるからです。

正しさを求める気持ちに乗っ取られてしまうと、強烈に攻撃的な性格になります。

正しさは無条件に正義で、間違っていることは無条件に悪だ、となるので、まるでよい事をしているような気持ちで、周囲を攻撃してしまいます。

“正義の戦争”で殺された人の数は、凶悪犯に殺される人の比ではありません。

日常、ほとんどの人たちは“正しさ”の中に潜んでいる、もの凄い攻撃性に気づいていません。

正しさはよいことだ、と思っているし、正しくないと、幸せになれないと思っています。

「正しさ」という甘い蜜にはまっている人ほど、そこから抜けられません。

人はなぜ、これほどまでに正しさを求めるのでしょうか。

次回からはそれについて書いていきます。

≪続く≫



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