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前回のつづきです。
▼前回「人を責めると、人生が滞る8
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▼人を責めると、人生が滞る 9 


前回のHeart通信では、私たちは「正しさ」を求めるときに、他人を責めたくなること、さらに、「正しさ」のもっている攻撃性について述べました。

「正しさ」は、人を攻撃するだけでなく、自分も攻撃します。

「正しさ」のためには、命までも投げ出す人もいます。

今回は、これほどまでに正しさを求める理由について、書いていきます。


◆自分への“確信のなさ”

前回、「私は正しい」という感覚は、「このままの自分で大丈夫だ」という感覚の代用品として求める甘い蜜だ、と書きました。

心の奥底で「このままの自分で大丈夫だ」と思っていない人は、人間関係で起こるさまざまな出来事を利用して、「自分は正しい」という感覚を得ることで、自分に対する潜在的な確信のなさ、不安感などを補おうとするのです。

補っても、束の間の満足感にしかならず、しばらくすると、また補わなくてはならなくなります。

ある出来事においては「自分は正しい」と思っていても、根本的なところで自信を持てないため、いつの間にか自分への“確信のなさ”が忍び寄ってきて、不安な気持ちになるからです。

「自分はこれでいいのか?」「自分は評価されていないのではないか?」「自分は価値がないのではないか?」「自分は愛されていないのではないか?」「自分はダメなんじゃないか?」

このような思い込みの背後には自分に対する“確信のなさ”があるので、いくら「私は正しい」という感覚でおぎなっても、思い込みが変わらないからです。

バカボンのパパは、口癖のように、「これでいいのだ!」と言っていますが、私たちはいつも自分に対して、「これでいいのか?」と思ってしまいます。

「この自分ではよくない」という感覚に襲われるからです。

「自分はダメだ」に代表される、自分への“確信のなさ”に責め苛なまれています。

これは、幼い頃からずっと続いている、大きな痛みです。

この大きな痛みがある人ほど、攻撃的な反応をしてしまうし、さらに、“ダメな自分”を補うために、「私は正しい」という感覚を求めて、人を責めてしまいます。


◆“確信のなさ”はどこから来るのか

では、いつも背後から影のように忍び寄ってくる“確信のなさ”はいったいどこから来るのでしょうか?

それは、2つのことによって引き起こされます。

1つめは、トラウマです。

2つめは、周りからの分離感、孤立感です。

生まれたばかりの赤ちゃんを見ていると、「自分はダメだ」と思っていないようです。

親自身がトラウマを持っていると、いつも心が痛みます。

心が痛いと、攻撃的になってしまうことは前に書きましたね。

心がひどく傷ついている親は、どうしても、一番身近な存在である子供を責めてしまいます。

親と子の二者の関係性においては、親が、「私は正しい」という感覚で自分を補おうとすると、子供は自動的に、「自分はダメだ」と感じるようになってしまいます。

もうそちら側しか、役が残されていないからです。

一見、親として当然の、正当な理由で子供を叱っていても、“正しさ”の中に潜んでいる攻撃性が出てきてしまうと、愛情よりも、冷たさが子供に伝わってしまいます。

「子供のためを思って、叱っている」「これは愛のムチなんだ」と親が本気で思っていても、受け取る側の子どもが、それを愛情と感じられなかったら、傷ついてしまいます。

また、叱るという形で積極的に責められる以外にも、「無視」という、責めているようには見えない態度によっても傷つきます。

「無視」は、攻撃性が消極的に現れた形です。

どのような傷つきであれ、責められて傷つくと、子供は、自分が「ありのままでいい」とは感じられなくなります。

何がいけないのか、どのように間違っているのか、という理由とは関係なく、傷ついている自分そのものが、ダメな自分だと感じてしまうので、これと言った理由なく、「自分はダメだ」という感覚が染みついてしまうのです。

これは心の傷が引き起こしているものなので、傷がなくなれば、本来の状態に戻ります。

幼児期の心の傷を癒すセラピーによって、心が楽になったという方はたくさんいらっしゃいます。

今までのセラピーの中で、たくさんのクライアントが、親からひどいことをされ、その傷が苦しいのに、「親も傷ついていたんだ」という事実に、心を向けていかれました。

その場面に立ち会うたびに、私は心を動かされます。

親を恨んでいるはずなのに、クライアントの心の奥から、なぜか温かい気持ちが溢れてきて、心に浮んでいる傷ついた親の姿に、その気持ちが流れていきます。

その温かいものは、凍り付いていた心を溶かすように、イメージの中の、親の深い傷を溶かしていきます。

同時にクライアントの、何十年も続いていた苦しみが溶けていきます。(トラウマの癒しについては過去のエッセイやブログにたくさん書いてありますので、そちらをお読みください。)


ところが、愛情深い親に育てられた方でも「自分はダメだ」と思い込んでいる人はたくさんいます。

これは2つめの、分離感によって引き起こされるものです。

ここからは、人間に特有の、周りから孤立して生きている感覚について説明します。

例えば、カエルは「自分はダメだ」と思っているでしょうか?カエルに訊ねたことはないですが、思っていないと思います。

カエルは自然の摂理にしたがって、生きています。摂理にしたがっているという感覚もありません。

ただ本能に従って生きているだけで、自然の摂理に合った生き方になっています。

周りにある餌を食べ、卵を産み、死んでいきます。

何も思い悩むことなく、自分を自然に委ねて生きている、というか、自然と一体になっています。

自然とつながって一部になっているような感じです。カエルは自然そのものなのです。

見た目は小さなカエルですが、大きな自然が持っている神秘と、調和と、揺るぎなさと、つながって生きているのです。

人間の赤ちゃんも母の胎内にいるときは、母とつながった感覚でいます。

“自分”と“母”という区別がなく、同じものだという感覚です。

つながっているへその緒から必要なものを受け取りながら、温かい羊水に包まれて、母とつながり、母胎の背後にある自然の神秘のいとなみとつながって、愛情、安心、安らぎと一体になっています。

宇宙と一体になっている感覚かも知れません。まさに「ありのままでよい」という感覚です。

生まれてきても、しばらくは、自分と母親は一つのものだと思っているので、この感覚は続きます。母に抱かれたまま、すべてを母に委ねて生きています。

世界とも一体感を感じて、森羅万象に自分をゆだねて生きています。


小さな赤ちゃんですが、森羅万象が持っている神秘と、調和と、揺るぎなさと、つながって生きているのです。先ほどのカエルと似ているのかも知れません。

違うのは、人間は育つにつれて、この「つながり」を失くしてしまうことです。自分は周りとは分離して独りで生きている、という意識を持つようになります。

この分離した感覚が、自分への“確信のなさ”の原因なのです。

大きな変化は、自分で歩けるようになったときに訪れます。小さな子供は、興味の赴くままに、外の世界を探索の冒険に出かけます。最初はちょっと離れては、怖くなってすぐ母のもとへ戻ります。

次第に行動範囲が広がっていきます。

自分の意志で母から離れて行動します。怖くなって戻ってきたときに、温かく受け入れてくれて安心させてもらえると、愛情と安心を充電して、また母から離れて冒険に出かけます。

戻ってくるたびに、愛情と安心をもらっていると、愛情と安心を感じながら、自立していくことができます。

母親と外界への信頼と愛情を感じながら、勇気と自信をもって、未知の世界へと、一人で歩み出していくのです。

母親や外界そして森羅万象との、つながりを感じたまま自立していけば、自分への“確信のなさ”を感じずに生きていけます。

そうならないのは、私たちがつながりを失って、分離した生き方をはじめるからです。

(次号に続きます)



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