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前回のつづきです。
▼前回「人を責めると、人生が滞る10
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▼人を責めると、人生が滞る 11 


前回から少し間があいてしまいましたが、内容を振り返ってみましょう。

前回の配信では、「カエルや胎児は、自然の神秘という『大きな全体』とつながって“ありのままでいい”という感覚で生きている。

人間は成長していくにつれて、母親を始めとした周囲の人々や、『大きな全体』とのつながりを失くして生きるようになり、

寄る辺ない感じ、心もとなさ、自分への確信のなさ、“自分はダメだなぁ”という感覚を抱くようになる」と書きました。

この、つながりを失くした自分のことを「エゴ」と呼びます。


◆「エゴ」という感覚

人間以外の生きものにも、「自分」というような感覚は、あるのでしょうが、人間が感じている「エゴ」の自分とは、ずいぶん違います。

カエルは「自然」そのもの、として生きていて、「自然」が、カエルの姿になって存在しているようなものです。

だからカエルは、「自分」として生きているというよりも、どちらかというと、「自然」として生きているかのようです。

だから、「自然」の調和とつながって生きています。

人間も「自然」の産物なのですが、「自然」として生きているのではなく、「エゴ」の自分として生きています。

「エゴ」という感覚は、周りとのつながりを失った後に生まれた感覚で、自分以外の周りのものを、異物として切り離して生きています。

これが普通の、自分の感覚だと思っています。

空気のように当たり前なので、気づきにくいのですが、これは、生きものとしてはかなり特殊な、人間に特有の感覚です。


◆自分の思うようにやりたい気持ち

「エゴ」にとっては、自分以外のものは異物だ、と感じているので、信頼することができません。

周りを受け入れて、周りにゆだねて生きることができません。

成長するにつれて(エゴが目覚めるにつれて)「自分の思うようにやりたい」という気持ちがどんどん強くなっていきます。

ところが、自分の思うようにやっても、心は楽にならないのです。

最初のうちは、自分が強く大きくなったような感じで、達成感や充実感を味わうでしょう。

しかし、「エゴ」がつよくなり、周囲とますます切り離された状態のまま、いわば「孤軍奮闘」して生きていくことは、容易なことではありません。

他の生きもののように、大自然の調和とつながって生きる、という感覚は「エゴ」にはありません。つながりを失っているからです。

だから、自分の思うようにやっていると、自然の調和から外れてしまいます。

例えば、理想の自分にこだわるあまり、病気になるまで頑張りすぎてしまう、など自分の、期待とか願望が際限なく膨らんでいきがちです。

膨らんでいく願望を満たせなくなると、「自分はダメだなぁ」という感覚が強まります。

また「エゴ」を抑えられなくなって、調和のない状態に突き進んでしまい、こんなはずではなかった、という状態を引き起こしてしまいます。

人間は自然界の中で生きているだけでなく、「エゴ」が寄り集まった人間関係の中で生きています。

人々が自分以外のものを切り離して、「自分の思うようにやりたい」という気持ちで生きているので、互いに「エゴ」を抑えられずに、調和のない状態 になってしまいがちです。

するとさらに、外側から自分を守るような生き方になって、人を責め、自分の正しさにこだわっていきます。

「自分の思うようにやりたい」という気持ちはますます強くなって、「エゴ」は自分勝手になっていきます。

普段は、心のなかのスポットライトが、分離した「エゴ」の自分に当たっているような状態で生きています。

でも心の中にあるのは、「エゴ」だけではありません。

親しい友人の悩みを親身になって聞いているうちに、自分まで悲しい気持ちになって、そっと寄り添っているときは、「エゴ」を超えた、何かとつな がっている自分にスポットライトが当たっているような状態です。

現実の人間関係では絶対に心を許せない、という人でも、感動的な映画を観て、心が震えるような体験をしたことがありませんか?

その時のあなたは映画の中の何かと、つながっています。

映画に出てきた動物、自然の風景、主人公、脇役の一人かもしれません。

つながりを失くして、「自分以外のものは信頼できない」と思い込んでいる「エゴ」を超えて、自分の心が、何かとつながる体験をしたときに、心は癒 されます。

逆にいうと、「エゴ」でいること自体、心が傷ついている状態であると言えます。

癒しはいつも「エゴ」を超えて、普段「自分」と思い込んでいる以外の、何かとつながっている自分になったときに起こるのです。

普段の私たちは、ずっと昔の、まだ「エゴ」という感覚がないときの、自分の周りのものと、あるがままにつながっていたときの感覚を忘れてしまって います。

催眠状態の中で、このときの感覚を思い出すことがあります。

言葉にできない、深く安心した感覚です。(カエルもこんな気持ちかも…)

このときに感じる、自分という感覚は、普段感じている「エゴ」の自分とは違い、「エゴ」を超えた本来の自分の感覚です。

不安なときは、つながる方向に進めば癒されるのです。

ところが「エゴ」は不安になると、不安にさせるものを切り離すことで、自分を守ろうとします。

つながりを失くしている「エゴ」は、なにかと不安に襲われます。

「自分は間違っている」とか、「自分はダメだなぁ」というような感覚を感じてしまうのです。

すると「エゴ」は、自分の間違っているところや、ダメなところを切り離して、他の人に押し付けてしまいます。

間違っている自分の姿を、他の人の上に映し出して「あの人が間違っている」と見てしまうのです。これを投影といいます。

「エゴ」は自分が間違っていることに耐えられず、無意識のうちに自分を誤魔化して、人に投影してしまうのです。

自分のゴミを隣の人の庭に、無意識のうちに捨ててしまって、そのあとで「隣の人はゴミだらけだ」と気づいて、ゴミのない「自分は正しい」と真剣に 思ってしまう、

投影とはこのようなことで、「エゴ」がいつもやっていることです。

次回は、この投影についてみていきます。


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