ご無沙汰しております。ほんとうにご無沙汰しております。あおいです。本物です。仕事が忙しくてなかなかブログ記事のための調べ物ができませんでした。申し訳ございません。千里山についての記事を書くぞ書くぞと思いつつ…こんなことに…

 気づいたら俺の嫁であるところのなるかちゃんは極道さんと爆弾魔とタコス野郎にボコボコにされていました。なんてことだ。初登場時のイメージ画像はいったいなんだったの?!あの画像を信じてこんな記事まで書いちゃったよ!アタシってホントバカ!

 あ、先の記事にも引用した『えぞおばけ列伝』を読み返していたら、以下のような記述があることに気が付きました。



「北海道の山中にも、キムンクルというばけものが住み、これはウエクルとも言って、人間の形はしているが、一つ目で、人を捕って食う恐しい連中だとされている。」



 人を捕って食うアトモスフィアが皆目見られなかったなるかちゃんに敬礼。おつかれさまでした。


 さて、本日発売のヤングガンガンにおいて有珠山メンバーの名前と学年が判明いたしました。喜ばしいことです。ありがたいことです。さっそく彼女たちの容姿と名前について考察をいたしましょう。ちなみに前科(上の記事)がありますのでウカツに信じてはいけません。こうも解釈できるかなー、ぐらいに考えておいてください。


※本記事における『新約聖書』の引用はすべてフランシスコ会聖書研究所『新約聖書』(中央出版社、初版1980年、改訂初版1984年発行)によりました。一般的に用いられるのはカトリックとプロテスタントの諸派が共同で翻訳にあたった新共同訳のほうで、有珠山高校との関係が考えられる聖公会もこちらを使っていると思いますが、うちにあるのがこちらだったので。フランシスコ会訳は注がしっかりついているので、わかりやすいのです。

後日新共同訳を参照し、大きな違いが存在していた場合は注記を行いたいと思います。

ファイトね!で有名な彼女は三年生、桧森誓子(ひもりちかこ)。次鋒。フナQによればちょっと頑張ってる。あの礼儀正しいなるかちゃんがタメ口利いてるところから考えて幼馴染かなにかだと思われます。イイネ!

 
 彼女の名字に入っている「桧」は神社仏閣の材料にされる木ですが、焚き付けや薪に用いられることも多いです。そんなに強くないけど、暖炉や薪ストーブ程度の火力はあるわよ!ってことなんでしょうか。

 この学校がキリスト教系の学校であることを考えれば、彼女の名字が示すのはただの桧ではなく、セイヨウヒノキ(サイプレス、イトスギとも)のイメージかもしれません。

 この木は一説にはノアの箱舟の材料になったとも言われています。ノアの箱舟というのは『旧約聖書』の「創世記」に存在するエピソード。人類の堕落を嘆いた神は、大洪水を起こして地上から彼らを一掃しようとします。ただし、正しい人であったノアは除く事にし、彼に箱舟を作るように命じ、そこに地上の生き物たちをひとつがいずつ入れさせたのでした。150日も続いた大洪水の中、箱舟はノアと家族、獣たちを乗せて漂流し、最終的にはアララト山に留まったといいます。

また、チカちゃんのまつげはなんだか十字架っぽい形状ですが…
キリストが架かった十字架はイトスギを材料にしていた、ともいわれています。浅井治海『森と樹木と人間の物語―ヨーロッパなどに伝わる民話・神話を集めて―』(フロンティア出版、2006年)によれば、十字架の木材について最も広く広まっている説では、十字架はヒマラヤ杉、糸杉、ヤシ、そしてオリーブの四種類の木材から作られたのだとか。




いわゆるチョコレ。
獅子原爽。(ししはらさわや)。三年生。おはようからおやすみまで暮らしを見つめてきそうな名前。

 その名字に織り込まれた「獅子」はヨーロッパにおいて、紋章のデザインとして非常に好まれた獣です。ミシェル・パストゥロー『ヨーロッパ中世象徴史』(篠田勝英訳、白水社、二〇〇八年)によれば、獅子は動物の王、他の何をもしのぐ紋章の形象です。獅子には戦士やリーダーとしてのあらゆる資質(力、勇気、誇り、寛大、正義感)が付与され、また時としてそこにキリスト論的次元(愛徳、献身、慈悲)が加わるそうです。ちょーすごいよー!

ただ、聖書のライオンは善と悪の両面性を持っていたということです。


「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの反対者、悪魔が、ほえたけるライオンのように、だれかを食い尽くそうと捜し回っています。信仰を固く守って、悪魔に抵抗しなさい。」(「ペトロの手紙一」5章8-9節)

 これは「危険で、冷酷で、悪賢く、不道徳なライオン」のイメージが反映された聖書の記述。
 でもいっぽうで、ライオンはイスラエルで最も強力なユダの支族の象徴ともされます。このライオンはダヴィデ王、そしてキリストとも関連付けられます。


「泣くな。ユダ族から出たライオン、ダビデの根が勝利を得た。彼はその巻き物を開き、七つの封印を解くことができる」(『ヨハネの黙示録』5章5節)


 こうした記述をもとにして十一世紀以降、キリストとライオンがつよく結び付けられてゆくそうです。
ライオンの悪いイメージは豹に引き継がれ、キリスト的なライオンから切り離されることとなります。

えーっと…爽やかなライオン=良いライオン、キリスト的なライオン、ってことなんでしょうか。でもチョコレ、赤髪なんだよね。パストゥロー氏によれば赤毛はキリスト教において背信者(キリストを裏切ったイスカリオテのユダなど)の象徴…どうなんでしょうか…。あとキリスト教では左手は「悪しき手、破滅をもたらす手」で、これまた赤毛同様に背信者やキリストの敵をあらわしているそう。ガイトさんが左手で刀を持っていたのは、彼女がなるかちゃんを苛めまくる存在であるということを示しているのではないでしょうか…。

 あ、彼女が口にした聖書のことば「私は弱い時にこそ強い」は、以下のような文脈で出てきます。


(使徒パウロは病に苦しみながらキリスト教を宣教していたらしく、自分の体に「とげ」が与えられていると述べる。それは「サタンの回し者」とも表現される)…この「回し者」について、立ち去らせてくださるように、三度わたしは主にお願いしました。しかし、主は、「おまえはわたしの恵みで十分だ。弱さにおいてこそ、力は余すところなく発揮されるのだ」とお答えになりました、ですから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んでわたしは自分の弱さを誇ることにします。それで、弱さがあっても、虐待されても、災難に遭っても、迫害や行きづまりに出会っても、わたしはキリストのためならそれでいいと思っています。わたしは、弱っているときこそ、強いからです。(「コリント人への第二の手紙」12:8-10)

宣教者、信仰者としてのちからが、「弱さ」においてこそ発揮される。そういう意味であるようです。



 長くなりすぎてしまったので残りの二人については記事を分けます。