お久しぶりです。九月の連休はかわいい女の子たちと一緒にボーキサイトを拾ったり、おばあちゃんたちにたくさんのクッキーを焼かせたりと忙しくしておりました。しかしクッキーの生産にいちおうのめどが付き、『シノハユ』の連載もはじまりましたので、ブログを久々に更新してみようと思います。シノハユをめぐる妄想とか考察めいたもの2本立て。




◆一索の鳥と「男性」の存在感◆


 『咲』といえば百合、百合といえば『咲』。男性キャラは巻を重ねるごとにその存在感を薄れさせてゆきます。少女たちの絆こそが勝利を掴む鍵―『咲』とはそういう物語だと思っていました。

 しかし『シノハユ』では、妙に男性キャラの存在が大きく描かれています。慕の面倒を見る叔父・リチャードソン(こーすけ)、そしてその友人である質屋。そして、ほぼ男性が排除されていた阿知賀編と対比するとリチャードソンの存在感は異常でさえあります。第一話の一コマ目から登場!そして真ん中の大ゴマでは「赤ん坊の慕が麻雀牌とリチャードソンの指を握って離さない」様が描かれます。
 この大ゴマは今後の物語展開を象徴するものである可能性が高そう。象徴まではいかなくとも、慕の造型と密接に関係していそうですね。今後「慕がリチャードソンの手を離してある少女の手を取る」という場面が描かれるかもしれませんが、その場合も、リチャードソンと慕の擬似父娘関係が百合と天秤に掛けられるほどに作中で大きな位置を占めているってことになる。 「男運が悪い」「縁結び」「モテたい」「ナナ先輩結婚しちゃったの…!?」「義理の兄」などなど、異性愛を連想させるワードが散見される点も注目すべきかもしれません。

 また、ここで目先を変えて、作品で象徴的に用いられている「一索」について見てみましょう。この牌は、慕にたったひとつ残された母をしのぶよすがです。そしてそこに描かれた鳥は「おかーさん」を連想させるものでもあります。ただ、「一索」には単純に、それだけの意味しかないのでしょうか。
 「一索」に描かれている鳥は、現在においては鳳凰、あるいは孔雀とされています。「一索」のデザインの変遷やバリエーションについてはここに詳しいです。昔は雀だったとか。鳥じゃないデザインのものもあるんですね。
 さて、鳳凰は中国の神話伝説に登場する美しい鳥(詳細はリンク先をどうぞ)。西洋の不死鳥(フェニックス)に似ていますが、フェニックスと鳳凰には決定的な差異があります。

 フェニックスは、「しかし不思議の鳥、乙女のフェニックスが死んでも、その灰が新たに世継ぎを作り、それが彼女と同じようにおおいに称えられるように…」(シェイクスピア『ヘンリー八世』五幕四場)といわれるように、「単性」のイメージをもった存在です。対して鳳凰は雄が「鳳」、雌が「凰」で、二羽を合わせて「鳳凰」と呼びます。すなわち「鳳凰」とは、雄雌が揃ってはじめて生殖可能な存在です。

 また、「一索」の鳥は飾り羽根を大きく広げていますが、この飾り羽根を持つのは孔雀のうち、雄だけなんですよね…。

 以上のことから、『シノハユ』は今後も、咲世界の「男性」の存在にスポットを当てつつ進んでいくのではないかなあとなんとなく思っております。もしかすると男性キャラを盛り込むことで女性ファン獲得を目指しているのかもしれません。

※そういえば、母の不在、鳥、異性愛の要素、幼少期から親しんでいた男性の存在、家庭的なヒロイン…これらの要素は、『けいおん!』スタッフによって制作されたオリジナルアニメ『たまこまーけっと』にも通じるような…(トラウマ) また、一索の鳥は昔「雀」だった、とか、「鳳」が「風神」を指す語であった…なんていうところからは、臨海のあの娘との関係も考えられそうですね。洋の東西を問わず、鳥を「魂」、あるいは魂の運び手に見立てる発想があることも気になります。


◆「しのはゆ」の用例―子を想う歌―◆


 次に、古典における「しのはゆ」の用例と作品の内容が関係している可能性を、ちょっとだけ。

「しのはゆ」は動詞「しのぶ」の未然形+自発の助動詞「ゆ」という構成のことばで、「しのばれる」という意味。「しぬはゆ」とも書かれます。そしてこの語を詠み込んだ歌のなかに、作品の内容と関係がありそうなものが。

 

宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
(瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ 眼交に もとなかかりて 安眠し寝さぬ 『万葉集』巻八、802番歌、山上憶良)

反歌(←前の歌の内容を補足する歌のことです)

白銀母 金母玉母 奈爾世爾 麻佐禮留 多可良 古爾斯迦米夜母
(白銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも 同、803番歌)



瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べれば、 さらにその子のことが偲ばれる。子供とはどこから来たものなのだろうか。目の前にその姿が浮かんで、なかなか眠ることができない。
反歌
金銀、宝玉、そんなものが一体なんになるだろう。あらゆるものに勝る宝は子供のほかにない。

 これは八世紀、山上憶良(やまのうえの・おくら)という人物が自分の子を想って詠んだ歌です。高校の古典の教科書なんかにも載っており、よく知られている二首だと思います。第一話を読む限り、『シノハユ』は娘が母を想う話でありこれらの歌とは想いの方向が逆なのだけど、でも「しのはゆ」の語と「玉」のイメージが親子関係とかかわって出てくる例として注目しておきたいです。
 慕は料理上手な娘さんとして描かれていますが、それも「おいしいものを食べると子供がしのばれる」という内容の憶良の歌と繋がるような気がします。
 どこにいるかわからない慕の母・ナナさんも、BLTサンドを食べながら最後に口にした娘の料理を思い出し、「眼交に もとなかかりて 安眠し寝さぬ」という状態になっているのでしょうか…。
 


 あ、あと、リチャードソン=サン、君はトマトが食べられないらしいが、BLTサンドからT(トマト)を抜いたらそれは…あの…ね…?

「お 前 が 義 理 の 兄 だ な ん て ヤ だ よ 」じゃあ何ならいいんだ。