あおいです。お久しぶりです。あけましておめでとうござい…ました!旧年中は閲覧、コメントなどありがとうございました。今年もまたスローペースの更新になるやもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 年始そうそう、立先生のブログ記事が大きな波紋を呼んでおりますが、それについてはまた別の機会に言及するとして(努力目標)、今回は本日発売の『咲―Saki―』第137局[辛抱]について思ったこと考えたことなどをつらつらと述べさせていただこうかと。ここから先はネタバレ満載ですので、未読の方、単行本派の方は気を付けてくださいね!




◆第137局。和とユキちゃんの会話をウザいくらいに深読みする◆
 それではまず第137局から。
 後半戦を控えた休憩時間。まずは臨海の控室の状況と、選手の意気込みとは裏腹な「大人の事情」が語られます。しかし、スポンサーや後援会といった「大人の事情」が絡むことのない初出場校の選手においては、一回一回の試合を全力をもって戦うだけ。そして、そんな状況にある清澄高校の和と有珠山高校のユキちゃんは、和の持っている縫いぐるみについての短い会話を交わします。

  ……二人の胸は豊満であった!

 閑話休題。何と和とユキちゃんは幼少期に同じ絵本(『エトピリカになりたかったペンギン』)を愛読していたとのこと。本を媒介にふたりの心がちょっと通じ合います。

ユキ「よく読みましたよ その絵本」
和「! 私もです!」

 ここで和の表情がぱあっと明るくなるのがいいですね。ちなみに私が幼少期に愛読していたのは貧しいおっさんの家の床下にしゃべる大福もちが現れて小豆を要求し、おっさんがそれに小豆を与えるとどんどん子大福を産む、という内容の絵本でした(すごくどうでもいい)。

ユキ「子どもの頃は単純でしたからペンギンを応援してましたが 今になって読むとエトピリカのほうを応援してしまいますね エトピリカが北海道に住む鳥だというのもありますが ペンギンのエゴを少し感じられてしまって…」

 謎に包まれていたあの『エトピリカになりたかったペンギン』の内容がちょっとだけ明らかに。日本での繁殖地は北海道だけという海鳥・エトピリカと、ペンギンが登場することが確定。「応援」というからには、この二羽が対立する、あるいは何らかの困難を乗り越える話なのでしょうか。その過程で飛べないペンギンが空を自由に飛ぶエトピリカに憧れるようになるとか、まあそんな感じですかね。
 そしてユキと和の、この物語の捉え方が異なることも明らかに。和はエトペンのぬいぐるみを大事にしているくらいですから、もちろん感情移入の対象はペンギンだったはずです。しかしユキは、ペンギンの「エゴ」を感じてエトピリカを応援してしまうという。これに対して和は次のようにこたえます。

和「なるほど そういう見方もありますね!」

 さて、前の136局で、ガイトさんは和を「確固たる信念」・「強い意志」がある打ち手と評しました。和がこれまで続けてきた打ち方と、その背景にあるものの考え方は、ここにおいて肯定的に評価されていました。
 しかし今回、この二人の会話によって、そのような和の在り方は相対化されます。物語の登場キャラクターを愛好するのは、そのキャラクターの生き方・考え方に、どこか自分と通うところがあるから。『エトピリカになりたかったペンギン』のペンギンもまた、確固たる信念、強い意志をもって行動する存在なのでしょう。でも、利他を重視するユキちゃんは、自身が確固たる信念を貫くという生き方に、少し「エゴ」を感じてしまう。自分の生き方を曲げずに生きるとということは、誰かにそのしわ寄せがくる可能性がある。そういったところを気にして、純粋にペンギンを応援できなくなったのが今のユキちゃんなのでしょう。そして、そんなユキちゃんに対して和は反発するのではなく、「そういう見方もある」と純粋に彼女のことばを受け入れている。

 和というと「そんなオカルトありえません」という自分の価値観に固執する発言が有名ですが、そんな彼女も少しずつ変化し、より柔軟に進化している。あまり他人に関心を持たない、対戦表さえぼーっと見ていただけの和がユキちゃんの手の震えに気付き、彼女の心情を慮っているところも要チェックです。尊い。
 このような変化からすると、もしかしたら和が、咲さんの「オカルト」や過去を受け入れて真に彼女と向き合うのも、そう遠くないことかもしれません。もっとも、アニメ第一期のED映像を考慮に入れるならば、そこまでにまた、ひと波乱あるような気がしますが…。

 以上。ウザいくらいに二人の会話が描写された3ページを深読みしてみました。自分でもウザいと思いますが私、わりと和ちゃんが好きというか、日々有珠山有珠山言ってても最終的に還ってくる場所は咲さんと和ちゃんふたりの関係、清澄のメンバーの人間関係なので…今回は非常に楽しませていただきました。尊い!尊い!


◆有珠山やばい。あと爽のあの引用句の出典について◆
 とはいえ後半戦、ユキちゃんはぜんぜん活躍できず…ついに最後の親番!
 それを見ていた有珠山控室の四人は「ふだんはユキもっと和了れるのにね」という会話を。そして話題はいつしか麻雀から「人生」へ…
 副将戦の八割の時間をろくに和了れぬまま過ごすユキについてチカは「80%の時間が楽しめないとかつまらないわね」と言い、成香は「一般的にはその8割をどうしのぐかじゃないでしょうか」と。そして二人の会話に対して揺杏は「そこもおもしろいよ 人生もそんな感じする」と達観したようなことを言います。ううむ。あの中堅戦をうけての感想なんでしょうか。
 そしてこの会話を纏めるように、爽は以下のように言うのでした。

「暗雲低迷でも雲外蒼天 天(あめ)が下の萬(すべて)の事には期あり 萬(すべて)の事務(わざ)には時ありだ
 
 前半部の出典は確認できなかったのですが(たぶん漢籍。意味としては字の通り。黒い雲が立ち込めているように見えても雲の外には青空が広がっていたりする、ってことでしょう)、傍線部は例のごとく『旧約聖書』からの引用です。その出典は「コヘレトの言葉」あるいは「伝道の書」と呼称される、ソロモン王の作とも伝えられる文章。そこでは定められた運命の中で生きる人間についての考えが記されているのですが、爽が引用した箇所はその第三章にあたります。その後の部分もちょっと興味深いので、まとめて引いておきますね。

何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 生まれる時、死ぬ時
 植える時、植えたものを抜く時
 殺す時、癒す時
 破壊する時、建てる時
 泣く時、笑う時
 嘆く時、踊る時
 石を放つ時、石を集める時
 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
 求める時、失う時
 保つ時、放つ時
 裂く時、縫う時
 黙する時、語る時
 愛する時、憎む時
 戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

わたしは知った 
人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と
人だれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。
わたしは知った
すべて神の業は永遠に不変であり
付け加えることも除くことも許されない、と。
神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
今あることは既にあったこと これからあることも既にあったこと。
追いやられたものを、神は尋ね求められる。

太陽の下、更にわたしは見た。
裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。
わたしはこうつぶやいた。
正義を行う人も悪人も神は裁かれる。
すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。

 すると、爽が言いたかったのは以下のようなことではないかと思われます。
 すべては神の定めた運命であり、すべての行為には定められた時がある。
 副将戦でユキが和了るも和了らないも神が定めたことであり、個人が足掻いてみたところで、控室でやきもきしてみたところでどうにもならない。しかし和了るなら、それにふさわしい「時」があるはずだ。すべてを神に、運命に委ねよ、と。
 作中に引用されていない部分に「石を放つ時 石を集める時」にふさわしい時がある、と見えるのも展開と相俟って興味深いですね。 
 

 『咲日和』の人物紹介で爽は「かなーりおバカさん」 と説明されていますが、果たしてそうなのか。
 おそらく、頭はいいけど成績に反映されないタイプではないかと思うのですが…