こんにちは!あおいです。なかなか寒さが和らぎませんが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 最近の私はHAYARIに流されて刀を作ったり作ったり作ったり拾いに行ったりしています。ええ、『咲―Saki― 全国編』で大沼プロを熱演された宮下栄治さんがおネエの大太刀役で出演されている某ゲームです。おかげで刀匠や刀をめぐる逸話にずいぶん詳しくなりました。そして、その関係でこーこちゃんの元ネタっぽいものを見つけられそうなのですが、まだいい感じの資料が見つからないのでこれについてはまたいずれ…と思います。(お蔵入りする可能性が高い)

  さて、今日は、本日発売のYGに掲載された『咲―Saki―』最新話[好機]について、ユキちゃんの能力や彼女の心内においてなされた聖書の引用を中心に、いくつかコメントしてみたいと思います。以下、最新話のネタバレがありますので未読の方や単行本派の方は注意。また記事中の画像は考察のために用いたものであり、画像の著作権は権利者様に帰属します。問題などがありましたらコメントやメッセージでご連絡を頂ければと思います。

◆ユキちゃんの左手の甲に浮かぶ文字について◆
 ユキちゃん最後の親番。「この点差を考えると少しでも高く、先輩たちが決勝にいけますように」――そんな祈りをこめて、彼女は「本気で取りに行く」ためにあることをします。

 「左手を使ってもいいでしょうか」。そう尋ねる彼女の左手の甲には不思議な文字が浮き出ます。その左手でリーチ。そのあと、今度はまた異なる文字が…
 この文字が気になった方、とっても多いと思うのですが、これは両方ともフェニキア文字。つまり古代、地中海沿岸に国家を形成していたフェニキア人が用いていた文字で、最初に出てきたのが「腕」を意味する「ヨド」、次に出てきたのが「窓」を意味する「ヘー」となります。詳細はwikipedia フェニキア文字の、「文字の一覧」という箇所をご覧ください。
 え…?手の甲に「腕」なんて文字を表示させてどうするの…?と思った方。実はこの2文字、旧約聖書において唯一の神の御名を表記するために用いられた四文字(神聖四文字、テトラグラマトン)の前半部分なのです。神聖四文字をフェニキア文字で表記すると、このようになります(リンク先の一番上がフェニキア文字)。フェニキア文字は右から左へと読む文字なので、ユキちゃんの手の甲に浮かんだのは神聖四文字の前半部分にあたるわけ。彼女は左手の甲に一字ずつ神の御名を表示させながら、和了りへと進んでいくのです。ここから、彼女の和了りに一神教的な聖なるパワーが関係していることがうかがわれます。

「半荘2回もやればチャンスが一度くらいはくる そして1日に1回くらいは輝くツモがくる そは荒野に水湧き出でて砂漠に川流るべければなり…!

 ユキちゃんが和了る直前に心内で引用したのは『旧約聖書』の三大預言書のひとつである『イザヤ書』35章6節です。この箇所は以下のような、預言者イザヤが苦難の中にある人々に「神の救いの日を待つよう告げる」文脈の中に置かれています。

心さわがしきものに對ていへ なんぢら雄々しかれ懼るるなかれ なんぢらの神をみよ  刑罰きたり神の報きたらん 神きたりてなんぢらを救ひたまふべし
そのとき瞽者の目はひらけ聾者の耳はあくことを得べし
そのとき跛者は鹿の如くにとびはしり唖者の舌はうたうたはん そは荒野に水わきいで沙漠に川ながるべければなり
やけたる沙は池となり うるほひなき地はみづの源となり 野犬のふしたるすみかは蘆葦のしげりあふ所となるべし


 神の救いの日が必ず来る。そのときには、現世の様相は一変し、不毛の地である「荒野」「沙漠」は、ゆたかに水が流れる楽園のごとき地となる。そういう意味ですね。現在の点数がギリギリの状態―「荒野」「沙漠」のごとき状態は、神の力(ユキちゃんにもたらされる「輝くツモ」)によって必ずあらためられる。そういうことを表しているのだと思います。
 
 このようにして、ユキちゃんはダヴァンたちが恐れていた「一撃」を放つのでした……。
 

◆和了りのポーズ―アニメ版との差異、その意味するところについての仮説◆
 さて、一撃を放ったときの彼女は、全国編アニメのEDに登場したポーズをしています。前に当ブログで、「右手がキリストの祝福を意味するかたちになっている」と述べたあのポーズです。よかった!あれはただのイメージ映像じゃなかったんだ!

 しかしアニメ版と今号のユキちゃんの姿を見比べてみると、実はそこに大きな差異が見出されるのでした…。

 まず、ご存知アニメ版。
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 そして今号の和了りのポーズ。
2015-02-06-20-09-37


 この2つの画像を比較してみると、アニメ版の時点ではユキちゃんは牌を右手で持っています。つまり彼女は、「キリストの祝福」を意味するかたちに曲げた右手で牌をツモっているのであり、「左手を使う」という要素は、アニメ制作の際に立先生が用意した有珠山関係の資料には存在しなかった可能性が高いです。
 しかし今回の本編では、あえてユキちゃんに左手を使わせている。……どういうことなんでしょう?


 個人的には、本編よりもアニメ版のほうが「正しい」描写である――という感覚をおぼえてしまいます。 なぜなら聖書においては「右」の位置の優位が強調され、左は負の特性(不浄、背徳など)を帯びる位置とされるからです。そしてそれはヨーロッパ中世のキリスト教にも継承されてゆき、ミシェル・パストゥローやピエール=ミシェル・ベルトランが論じているように、左手はキリストの敵の手、裏切り者や異端者、異教徒が悪を為すために用いられる手として語られ、描かれてゆきます。ですから「左」に神の御名が浮かび上がる、そしてその手で「輝くツモ」を掴みとる、という描写がなされている本編にはいまいち違和感をおぼえてしまうのです。

 ……なんで、あえてユキに左手を使わせているのかなあ。

①立先生のうっかり
②ちゃんとした意味がある

 ここでは②である、という仮定の下、いくつか可能性を考えてみたいと思います。

 まずひとつ。ユキを完全に聖なる存在ではなく、負の性格をも帯びた存在として描いている可能性。
 次。右手は聖なる手なのでそちらは「祝福」という聖なる行為に専念させ、より劣っている左手を世俗的な行為である「麻雀」に用いることで、ツキを呼び込んだ可能性。

 そして更に。右手と左手が、それぞれ新約と旧約の「神から遣わされた救済者・裁き手」に擬えられている可能性。

 前の記事においても書きましたが、右手のポーズはイコンなどによく見られるキリストの祝福のポーズなので、これは『新約聖書』における救い主キリストをイメージしていると考えられます。
 次に左手ですが、実は『旧約聖書』の中に、「救済者」として肯定的に描かれている左利きの人物がひとりいます。それは『士師記』に登場する二番目の士師・エフド
 エフドは、モアブの王・エグロンに虐げられているイスラエルの民を救うべく神に選ばれた存在です。そして彼は、エグロンと二人きりになったところで右股に隠しておいた剣を左手で抜き、不意をつくようなかたちでエグロンを倒すのです。このあたり、ダヴァンと「決闘」してその帽子を吹き飛ばし、8000オールを和了ったユキちゃんの姿を連想させる気がするのですが、いかがでしょうか…?
 
 ユキちゃんが麻雀において普段行使するのは、キリストに結ばれた右手。そして時には、右手で「祝福」のポーズをとりつつ、旧約の時代に神に選ばれた左利きのエフドのように、神の御名の浮かび上がる左手を使って相手の隙を突く――そういうことなのかもしれません。


◆最後のページの引用◆
 そして、「右手」に戻したユキちゃんが、最終ページで自分を戒めるために引いたのが以下の『新約聖書』のキリストのことば。

「誘惑に陥らぬよう目を覚ましかつ祈れ 実(げ)に心は熟すれども肉体弱きなり」

 この出典は『マルコの福音書』14章38~39節ですね。キリストが十字架の処刑・復活を目前にして「ゲツセマネ」という地に行き、自分から処刑の運命を遠ざけてほしい、と父なる神に祈った後、眠り込んでいる弟子のシモン・ペトロに向けて告げたことばです。これは、自分と自分の教えを伝える弟子たちを襲う苦難を見据えて発せられたもの。今後のユキちゃんの苦しみと、それから「復活」をも予感させる引用句です。


 うーむ。なんだか未整理なままの記事で申し訳ないです。
 あと、そうね、ユキちゃんを見守る爽がなんだか乙女で優しくてめちゃくちゃ可愛かったのが印象的でした。爽はいろんな表情を持っている娘だなあ。