こんにちは。あおいです。すっかり秋めいてきましたね。
 有珠山が活躍したとき以外記事を更新しないと噂されがちな当ブログですが、『咲―Saki―』本編、『シノハユ』、『咲日和』、そして『立―Ritz―』とすべて楽しく読んでおります。 ニワチョコかわいいです。

 今回は多くの『咲―Saki―』ファンを戦慄・震撼させた『シノハユ』第二十五話について、思ったこと考えたことなどを記してみたいと思います。
 以下の画像の後からネタバレ満載ですので、未読の方はここでお戻りくださいね。なお記事中の画像の著作権は権利者様に帰属します。なにか問題がありましたらご連絡いただければと思います。


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 画像は帰省した時に食べたグルジアヨーグルトです。ネリーちゃんの服の白い部分の味がしました。
 親指のネイルが剥がれかけてますが見なかったことにしてください。




◆おはなしのながれ◆
 第二十四話で失踪した母・ナナからの手紙を受け取った慕ちゃん。母とのつながりを失わないために、「可能な限り公式戦で勝ち続ける」という決意を表明します。次に彼女が出られる公式戦は中学の地区大会。ちょっと先ですね。
 そして慕ちゃんが中学への不安と期待で胸を膨らませている(比喩表現です)のと時を同じくして、ナナさんの現状が明かされます。どうも彼女は世界王者・ニーマンの「魔法」によって記憶を失い、精神も若干退行してしまっているみたい。 自分と最愛の娘を引き裂いたニーマンを「ロッタ」という愛称で呼び、親しげに(おそらくドイツ語で)話しかけます。
 ただしほんのわずかに記憶の残滓があるようで、「なんか日本食が口に合うんだよね 昔もっとおいしいの食べたような気がするんだけど」と言ったりも。

 ニーマンはこうしたナナについて「試合の最中に牌よりも他のことを大事に考えていたあいつが悪いんだ」 とコメントしています。彼女が卓の上で発揮する異能――「魔法」は、対局者の精神に強く作用するよう。対戦相手の隙を突いて精神を支配することでニーマンに有利な状況を作り上げ、そして試合後もそれが半永久的に継続する、という感じの能力なんでしょうか。こわいですね。
 

◆慕ちゃんのようなナナさん、閑無ちゃんのようなニーマン◆

 個人的に気になるのは、ニーマンの支配下に堕ちたナナさんの表情。
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 慕ちゃんっぽい。絵柄の問題なのかもしれないけれどもこのほわっとした笑顔、なんだか慕ちゃんっぽい。


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 ほら。ね。

 そしてニーマンの喋り方や雰囲気なんですけど、どことなく閑無ちゃんに似てないですか。咲キャラをいくつかに分類した場合、同じ棚に入るキャラというか。


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 慕ちゃんと閑無、ナナさんとニーマン。
 今後の物語展開においては、この二組が重ねられたり、対比されながらお話が進んでいくのかもしれません。そしてどこかで慕ちゃんがニーマンと戦うことは避けられないと思うのですが…そのとき閑無はどうするのでしょうか。また慕ちゃんとの出会いが閑無を変えたように、慕の面影を色濃く纏ったナナさんが、ニーマンを変えてゆくこともあるのでしょうか。

 願わくは本編世界において、この四人が仲良くインハイを観戦していますように…

 なお、ニーマンが閑無ちゃんに対応するキャラだとすると、彼女にも「いつの世も革命ってのは私みたいな魔法使いが起こすんだ」とか言っちゃってた系の黒歴史があるかもしれないですね!ロッタちゃんマジレボってるね(マジカルレボリューションの略)!


◆『萬葉集』山上憶良の歌とナナさん◆

 ところで、この作品のタイトル「しのはゆ」は、『万葉集』に収められた八世紀の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)の歌に登場することばであると以前ブログに書きました。→『シノハユ』と一索の鳥、あと『万葉集』とか。
 もう一度その歌を掲げてみると、次のようになります。
 

宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ 眼交に もとなかかりて 安眠し寝さぬ 『万葉集』巻八、802番歌、山上憶良)
訳: 瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べれば、 さらにその子のことが偲ばれる。子供とはどこから来たものなのだろうか。目の前にその姿が浮かんで、なかなか眠ることができない。


反歌(←前の歌の内容を補足する歌のことです)

白銀母 金母玉母 奈爾世爾 麻佐禮留 多可良 古爾斯迦米夜母
白銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも 同、803番歌)
訳:金銀、宝玉、そんなものが一体なんになるだろう。あらゆるものに勝る宝は子供のほかにない。

 この二首、ナナさんの在り方と深く関わっていると思うんですよね。

 ナナさんはニーマンの「魔法」で記憶を失ったあとも、日本食、ことに慕ちゃんが作った料理の記憶を微かに残しています。 それは「食べ物を食べると自分の子供が思われる・偲ばれる」という802番歌と重なります。ナナさんが日本に帰ってきていた時期がちょうど瓜の季節の終わり、そろそろ栗が出はじめるころなのも意味深。慕ちゃんの作った冬瓜の煮物と栗ご飯を食べさせてあげたかった。

 そしてナナさんの敗因は先にも述べたように、「試合の最中に牌よりも他のこと(おそらく慕ちゃんのこと)を大事に考えていた」ことでした。貨幣をモチーフとした牌よりも子供を大事に考える、いかなるものよりも子供を重視する――ナナさんがそのような気持ちで生き、ニーマンとの戦いに臨んでいたのだとしたら、それはそのまま803番歌に詠まれた心情に重なってくるわけです。

 もしかするとこの二首は、母と娘の関係を軸に展開する『シノハユ』の核として置かれているのかもしれないですね。そして今後「食べ物の味の記憶」や「牌よりも大切なもの」というテーマが繰り返し描かれることになるのかもしれません。