Heather 落合寿和の字幕翻訳日記

たいがい話が脱線しまくり、ちょっと気を抜くと時間も押してしまうトークイベントを大阪と横浜で開催します。字幕を作る時は1文字ずつ「あ〜でもない、こ〜でもない」と試行錯誤しつつ、じっくり考えるのですが話すとなると…。準備はするんですが、どうしても脱線してしまって。空気を読むというか、読まないというか、その場で反応がいいと感じると、そっちに話がいったりして…。

まずは今週末、大阪から。第七藝術劇場での「サスペリア」7月12日(金)19:35〜の終映後のトーク(21時半位〜22時位)。
http://www.nanagei.com/movie/data/1363.html

そして7月13日(土)に天六のブックカフェバー、ワイルドバンチでは14時~16時に「映画の字幕ナビ」出版記念トーク。
http://www.cinepre.biz/archives/25150

続いて同じ会場で17時〜19時の予定で「サスペリア」の感想を語り合おうというイベントに登壇します。
http://www.cinepre.biz/archives/25164

そして来週末には横浜シネマリンで7月20日(土)に「サスペリア」(20時10分〜)の終映後22時位から22時半位。(こちらは終了時間が少し遅いです…)
https://cinemarine.co.jp/suspiria/

「サスペリア」、「ダリオ・アルジェント監督」、「字幕」、「映画の字幕ナビ」、「桜坂劇場」、「ガチバーン映画祭」といったキーワードを中心に、イベントごとにテーマを分けて話していきます。(でも、それぞれ脱線しつつキーワードがクロスオーバーしていってしまうのかもしれません)

全ての会場で「映画の字幕ナビ」にサインします。お近くの方、時間に都合のつく方、よかったらぜひ!

思えばこの字幕翻訳日記を書き始めたのは2005年でした。当時の字幕を巡る環境と今とを比べると色々な面で大きく変化しました。「映画」を見る場所、スタイル、機器、通信環境…。

もっと細かく書く事もできますが、あまりも多くの要素があるのでここでは、ここまで。世界の映画地図もずいぶん変わりました。たとえば2005年当時、「爆買い」という言葉はありませんでした。

この字幕翻訳日記を書き始めた時、これを「書籍化しよう」と明確に思ってはいませんでした。「できたらいいかも」と思った部分は正直言ってありますが。

この機会に過去のエントリーの大半を非公開設定にします。できたら本の方を読んでもらえたらと思います。

FM那覇「ヒトワク」で本の内容について少し話しています。全国どこでも聞けますので、よかったらこちらも聞いてみて下さい。

2019年2月25日発売です。

映画の字幕ナビ

「映画」としてどうなのか分かりません。「アトラクション」としてどうなのか分かりません。

でも、これを映画館で上映できる映像作品に仕上げてくれた大勢の人達に感謝します。

3Dというギミックはありますが、CGは特に無し。どうやら私はアナログをリアリティと認識する人間のようで、本物っぽいシャープなリアリティ満載の最近のCG多用作品は「映画」として認識しにくいようです。

「ジュラシック・パーク」は大丈夫。「ツイスター」も大丈夫。案外「マトリックス」も大丈夫(作品の世界そのものがデジタルだからかな)。「スター・ウォーズEP1」は微妙。「タイタニック」はOK。「ハリー・ポッター」からダメになったかな…。「アバター」は苦手。「シャーロック・ホームズ(ガイ・リッチー監督版)」は2作とも所々OK&所々ダメ。「猿の惑星 創世記」はOK。「リンカーン/秘密の書」になるとクライマックスの列車チェイスが興ざめしてしまって、「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」の列車チェイスで脳内補完していました。もっと言うとキートンの「大列車追跡」の方がワクワクします。どれも、あくまでCGに関しての話です。(3Dも関係なく。)とにかく不満はあっても、それはそれとして作品を楽しんでいるので、問題はないですが。

で、この作品の場合、CGではなく肉体が頑張っているので素晴らしい!ワクワクし、ニコニコしながら見ました。シルク・ドゥ・ソレイユに関しては舞台裏などを過去に少し翻訳してきた事もあり、周辺情報があり、期待や予想がありました。その全てがこの作品を楽しむのにプラスに作用しました。モントリオールにある本部の人達。ラスベガスのBeatles Loveの公演に関わる人達。統一感がありながら個性的なメイクを仕上げていくプロセス…。

空中が水中になり、水中が宇宙になる。色々な見どころがある上に、超人(&鳥人)達の超絶演技。

バレエでも新体操でも京劇でもなく、何だか分からないですが、人が飛ぶと宇宙が見えます。

人間にとって最も重いのが「重力」なのだと実感します。蚊でも飛べるのに人間は飛べない。この作品の中では、そんな人間達が、かなり飛びます。

宇宙からは遠い地面から数メートル。せいぜい十数メートルの高さですが、重力から解放され、単なるジャンプより長く宙を飛んだり歩いたり、色々します。地上すれすれの宇宙遊泳。

それでも宇宙遊泳なのです。それを最新の技術が遠慮気味にサポートして映像として仕上げてくれた。ああうれしい。

と思いながら鑑賞していて、前に訳した「ホフマン物語」を思い出しました。あの作品を映像化した人達が、この作品を見たら何と言うのかな、と。きっと感動し、祝福するんじゃないかな。60年ほど前に彼らが目指したかったものが、この作品に近い気がしました。

本物のサーカスも、もちろん素晴らしいですが、いつまでも残る映像としてここまで完成したものになったのは感動ものです。映像は映像でも作り手のこだわりは本物だから。

インターネットが一般化していなかった頃も、私は色々な方法でリサーチをしてきました。今ではインターネットでの情報検索は当り前です。情報を手に入れるのに、こんなに手軽で便利なものはないと思います。でも、どんな情報にしても誰かが出さないと何も出てこないということに気づいている人がどれくらいいるのか、時々疑問に思います。

少なくとも私はインターネットにずいぶん助けられてきました。それは見ず知らずの大勢の人達に助けられてきたということです。私が出す情報など、大した裏付けもない主観的なものが多く、興味のない人には毒にも薬にもならないでしょう。

それでも、字幕に関する情報は、ケースバイケースが多すぎてオープンに話せる部分が少ないためネットで検索しても分かることは少ないと思います。そこで字幕に関する個人的な思いや考え方、経験などについて書いているという面もあります。

ただ、何らかの報酬を受けて書いているわけではないので、私の主観を客観的に補正してくれる人がいるわけではありません。時々、過去に書いた事を読み返すと「ここは説明不足だな」「ここは回りくどすぎて分かりにくいな」等々、色々なことを思いますが、それを直していくのも大変な作業になってしまいます。私の文章を読む時はその点を踏まえて参考にしてもらえれば、と思います。

今の目的は単純に、字幕に興味がある人が考えを深める役に立ったり、字幕に興味がなかった人が興味を持つようになればと思うだけです。

話は少し違いますが<字幕翻訳のノウハウのオープンソース化>という話も以前書いているので、興味がある人はどうぞ。

最近はあまり見聞きしませんが、インタラクティブという言葉があります。いわゆる「双方向性」です。このキーワードだと少しズレがありますが、インターネットを使う人は誰もがインターネットとインタラクティブな関係になったら、と私は思います。情報を得るばかりではなく、情報の蓄積にも貢献するという意味で。

インターネットの検索で本当に多くの見知らぬ人達に助けられている私は、自分が詳しいことをこうして書くことで、眼には見えなくてもギブ・アンド・テイクが成立したらと思ったりします。

洋楽のステージの話

「ありがとう」=Thank you。「どうもありがとう」=Thank you very much。というルールを私は作っています。音楽関係をやっていると「ありがとう」がいっぱいすぎて、いちいち「もうちょっと違う表現ない?」とか考えても行き詰ってしまってね。

「おまえ、適当な奴だな!」と言いたければどうぞ。

でも悩むんです。イタリアやドイツやフランスでのステージ。「グラッチェ」にする?(スーパーカップみたいだけど…。いや、今はファミレスか…。)とか、「じゃあ、メルシーはOKとして、merci beaucoupって言われたらメルシーボークーは馴染みがないだろ?」とか、「ダンケはよくても、ダンケシェーンはムリだろ」とか…。

スイス公演に至ってはアーティスト自身も悩む。じつはこれが厄介で…。素直にドイツ語とフランス語と英語をまとめて言うなら「ダンケ」、「メルシー」、「サンキュー」とカタカナにしてもいいんだけど、同じステージ中に、適当にどれかを散りばめてくる(普通にサンキューとして使う)とヘン。なので全部「ありがとう」にして思考停止。

どの言葉で攻撃されても英語のThank youに相当する言い方には「ありがとう」。very muchがついたら「どうも」をつける。を基本にしております。妙に色々考えて配慮していると破綻するのですね。

もちろん、時々他の表現(「どうも」だけにするとか)も使います。この言葉は何語にしても、それなりに分かりやすい音ではあるので「ありがとう」最強ということで。

場合によっては「ありがとう」の上にカタカナでルビをつけたりなんかして、も〜、この〜。スパシーバ(?)。

それは主観だと思われます…。

字幕とは縁遠い話ですが「思います」と「思われます」。

最近の使い方だと「〜と思われます、と思います」とか「〜と思います、と思われます」なんて言う人も出てきそうな勢いです。

この表現「思われます」をよく耳にしたのは、私の場合、ニュース23の筑紫哲也氏の多事争論というコーナーの終わりでした。筑紫氏は「これは主観ではあっても、かなり様々な視点から考えて、恐らく客観的な結論がこうなるでしょう」という思いがある時に「〜と思われます」と言っていたと思います。彼はキャスターですから客観性は高かったと思います。

それでも「多事争論」は彼の主観で話すコーナーだったので「〜と思います」でもよかったのではないかと私は思います。いずれにせよ私にとって一番印象に残る「〜と思われます」が、このコーナーの「〜と思われます」でした。

これこそ私の主観ですが、この「思われます」の使い方が、いつしか大勢の人に――情報の発信者、受け手のどちらにも――影響していって、単なる主観で語る人が「〜と思われます」と言うようになった気がします。

表現も時代と共に変化するものだし、「〜と思います」を「〜と思われます」と言う場合、その人は、少なくともその人なりに精一杯客観的に物事を見た上で「〜と思います」という意見を言っているのだな、と思えばいいのですが、元から「〜と思います」と言えば?と、ヘソ曲がりな私は思うのです。

「〜と思われます」って聞くだけで、「誰と誰と誰と誰が思ったと思うわけ?」と、いちいち突っかかっていきそうになってしまう困り者です。

まあ、私のこのブログに対してこそ、突っ込みたくなる人が多いのかもしれませんが。

1990年10月27日(土)に私が作った字幕が初めて電波に乗りました。

当時の話は2年前に他のサイトで書いた→「デビュー20年&爆音映画祭@横浜」を読んでみて下さい。とにかく気がついたら22年。今44歳だから、考えてみると人生の半分、字幕や吹替えの原稿を作ってきちゃったんだな〜。と、遠い目になります。やっぱり人生って時間がたつのが早いですね。

さて、デビューから22年。今回の記念上映は、(勝手ながら)なんと東京国際映画祭の審査委員長ロジャー・コーマンの特別オールナイト!JAN!

20周年の時は「地獄の門」だったし、22周年で「ピラニア」と「モンスター・パニック」ということで、私みたいな変人にはピッタリと笑う人は笑ってやって下さい。

1991年夏。パラオへ行った。ロックアイランド辺りをクルージングというと洒落ている(かな?)。しかし運悪く台風発生。天気がはっきりしている所なので、クルージング中に雨が長時間続いたり、海が荒れる事も少ないという。けれど、雨が長く続き海が荒れた。30人乗りくらいのクルーザーで生まれて初めて船酔いしました。そして日本に帰って数日後、同じ台風が北上してきました。1台風で2度大雨。こういう事って、よくありますよね…。

これはモントリオールに留学中の話なので1988年から1989年についてですが、ケベック州の免許証には写真がありませんでした。それどころかラミネート加工もしていない、ただの紙。名刺サイズで、縦3枚折り。顔写真がないから身分証になるのか不思議な免許でした。今はどうなってるのかな。そういえば、アイダホ州の免許も持っていましたが、こちらは顔写真付きでラミネート加工してあったな。

1980年8月の旅行。三宮の商店街にあるマクドナルドで昼食を食べていたら、「コクーン」の少年のお爺さんみたいなイメージの中年のおじさんが英語で話しかけてきた。(これだと年齢不詳?^^;)それほど混んでいない店内で1人だったので目立ったのか、私に話しかけた理由は今でも分からない。どうやら駅への戻り方が分からない様子。まだ中1で英語はさっぱりなわけで、イエスとノーが言えた程度だったはず。それでも、私が食べ終わった時、彼も一緒に店を出て、駅を目指して歩き出した。駅まで5分くらいの所だった気がする。その商店街はサンモールという名だったような気がするけれど、これも曖昧(すみません)。とにかく商店街の一方の端から反対の端へ行けばいい程度だったので、気軽に「駅なら分かる」みたいな返事をした。私が彼の少し前を歩いていると、なぜか彼は道を曲がろうとする。2回か3回、そうして横道へ逸れようとして、最後は私の手を引っ張るように他の道へ行こうとした。当然不安になった私は、とにかく人目のない所へは行かないように、そのまま商店街をまっすぐ、振り返らずに進んだ。駅に着いて振り返ると、そのおじさんはいなかった。

何か怖い話になり得ちゃった事だったのか、それとも英語力の問題で、何も怖い話じゃなかったのか、今も分かりません。何だったと思います?

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