Heather 落合寿和の字幕翻訳日記

字幕に興味を持つ人が増えたらうれしくて書いています。

189センチ。

カイロ・レン役を演じたアダム・ドライバーも、やはり長身でした。

1983年生まれの彼は9/11後に海兵隊に志願しアフガニスタンに2年駐留後、ジュリアードで演劇を学び2009年卒。今はカイロ・レン。生まれはカリフォルニア州サンディエゴで、イギリス、オランダ、ドイツ、アイルランド、スコットランドの血を引く。なんとなく舞台俳優っぽい血筋。(IMDBのミニバイオの情報より)パンフレットにも記載があるかもしれませんが、目の前で完売(笑)。

デイジー・リドリー170センチ(レイ)
ジョン・ボイエガ175センチ(フィン)
オスカー・アイザック174センチ(ポー)

JJエイブラムス監督170センチ

(ダース・ベイダーの身長は…のアクセスが多いので、アップデートを兼ねて。)

ここでトリビア大脱線。(フォースの覚醒のネタバレ成分ゼロ)

レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーの母親は女優のデビー・レイノルズ。デビーの代表作は「雨に唄えば」。サイレント映画末期を描いた作品ですが、彼女自身ハリウッドの「スタジオ専属」時代の最後のデビュー組で同期がトニー・カーティス、ロック・ハドソン、レズリー・キャロンなど。彼女が主演した「不沈のモリー・ブラウン」のモリー・ブラウンは「タイタニック」でキャシー・ベイツが演じた実在の人物。彼女の夫でキャリーの父親であるエディ・フィッシャーはエリザベス・テイラーと不倫騒動を起こし、デビーとエディは離婚。デビーは「古いものは懐かしむために大切にしたい」と撮影の小道具や衣装を昔から集めていて90年代にはラスベガスでそのコレクションを公開するミュージアムを持っていました。今も健在でLAのチャイニーズ・シアターの近くに再びミュージアムを開く計画もあるようです。(70年代にもあったはず)。彼女のコレクションにはエリザベス・テイラーが「クレオパトラ」で着た衣装も。というデビーとの母子の確執をキャリーが本にした話の映画化がメリル・ストリープとシャーリー・マクレーン主演の「ハリウッドにくちづけ」(マイク・ニコルズ監督)。そしてデビー・レイノルズが1970年7月13日にテレビ出演したトーク・ショーがディック・キャヴェット・ショーで、これは「ロック・オブ・ワンダー」というソフトとして日本でも見られます。この「ロック・オブ・ワンダー」は出色のトーク・ショーで、ゲストにジャニス・ジョプリン、ジョニ・ミッチェル、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、デヴィッド・ボウイ、ラクエル・ウェルチ、グロリア・スワンソン、エルザ・ランチェスター、ジョージ・ハリスン、ポール・サイモン、「時計じかけのオレンジ」の原作者アンソニー・バージェスや「チャンス(ピーター・セラーズ主演)」の原作者イエルジー・コジンスキー、アラン・ドロンなどなど。こうした人たちが徹子の部屋で話しているようなものだと思えば分かりやすいかも。これを565分詰め込んだ「ロック・オブ・ワンダー」は洋楽ファン向けにリリースされたソフトですが、じつは映画ファンも楽しめます。お勧めです。(と、結局、自分で訳したソフトの宣伝だし)

ということでアダム・ドライバーは長身でした(笑)。

先日、「決め方TV」というテレビ番組で「字幕の決め方」を特集したものを見ました。

原語台本がない作品やインタビューも聞き起こして訳す私としては、原語台本があるという前提での作業だけを見せるというところが残念でしたが、これはムリもない話。30分の番組では語り切れません。むしろ限られた時間の中で、よくまとまった興味深い番組だと思いました。

この中で私が一番注目したのが「1秒4文字」の例外について触れていた事です。

「100年」という表現が字幕に入った話になった時に「100」は1文字として数えるといった説明テロップが出ていました。ここはテロップだけでサラッと進んでしまいましたが、じつはここが重要です。(何しろ3文字が1文字として計算できてしまうという話ですから。)

いうなれば「1秒4文字の神話」の裏側。「1秒4文字」以上に大事な事です。

10年ほど前にもこのブログで書きましたが、たとえば「サンフランシスコ」(8文字)という地名は有名ですし、2秒前後表示しないと認識できないという事はありません。「サンフランシスコに行ってきた」(14文字)という字幕は3秒半ではなく2秒半でも読めます。

地名で言うと…

         ニュージーランド(8文字) フィラデルフィア(8文字)

   ビバリーヒルズ(7文字) ロサンゼルス(7文字) オーストラリア(7文字)

            オーストリア(6文字) ニューヨーク(6文字)

慣用表現で言うと…

              こんにちは(5文字) おはよう(4文字)

  おはようございます(9文字) こんばんは(5文字) いらっしゃいませ(8文字)

人名で言うと…

     クリストファー(7文字) リチャード(5文字) チャーリー(5文字)

その他…

     iPhone(6文字) インターネット(7文字) スーパーマン(6文字)

               インディ・ジョーンズ(10文字)

もちろん他にもたくさんあるわけですが、これらの単語は文字数で数えると、多いものと少ないものでは2倍以上も差があります。でも認識するだけなら、どれも一瞬で済みます。サクッと読み進められてしまいます。

それでも「ミッション:インポッシブル」のような作品でオーストラリアからオーストリアに移動するような話があるとしたら、その場合はできるだけ「1秒4文字」に近い考えを適用する方がいいでしょう。

クリストファーという人が主人公の作品なら、最初のうちは「1秒4文字」に近い扱いにしておいて、徐々に「1秒7文字」でOKと考える事になります。見ている人がストーリーを追っているという前提が当然あるので、主人公=クリストファーと十分に認識できている段階であれば「1秒7文字」も難なく読み進められます。

これも10年ほど前に書いた事とかぶりますが、複雑な状況説明が最初にある場合、そこをしっかり訳してあれば、中盤、終盤と話が進む中で、その複雑な状況に観客も慣れて、それに見入って話を追うので、説明が多少省略されても問題なかったりします。いわゆる「伏線」を、しっかり汲み取った字幕をつけるという事です。じつは字幕は音声のセリフより文字として視覚的に印象が残るので、伏線を意識した上で、その表現なり単語なりを後で見せた場合、「あ、前に誰かが言っていた」とか「あ、あそこであの人が言っていた」と、分かりやすくなります。

もっとも、これは字幕に限った事ではなく、普通に日本映画を見ていても同じ事です。冒頭の設定が上手く伝わらないと、途中から観客がついていけなくなるか、ついていく気がなくなります。

とにかく「1秒4文字」は目安として有効なのは確かですが、例外もたくさんあるのです。その例外を駆使しても字幕として仕上げるのは大変なのですが、「1秒4文字」を絶対視するのではなく、全体のバランスを見る事が重要です(もちろん、いくらでも文字数を増やして大丈夫なわけではなく、あくまでバランスを保つ事です)。

番組の中では「センス」という言葉しか出てこなかったと思いますが、この例外を使いこなす技術は、「センス」と両輪を成していて、字幕翻訳では不可欠な部分です。この番組では(意図せずでしょうが)それに触れていて素晴らしかったです。

30分枠の番組では、あそこまでの説明が精一杯でしょうが、じつは「例外」が「1秒4文字」と等しく重要なのだという事は、少し考えていけば、たいていの人が納得します。

まったく違う例えで言うと、車の運転でもいいでしょう。「1秒4文字」は制限時速がある一般道の走行時のルール。「例外」はF1のサーキットでの走行時のルールと言ってもいいかもしれません。「1秒4文字」の説明にも守らなければならないルールが入っていますが、その全てを徹底的に守って走るというのはF1のレースではナンセンスです。「1秒4文字」を絶対だと言い続けるのは、一般道の交通法規を100%守りつつF1で優勝するようなもの、という事です。

さらに言えば「1秒4文字」の中の「1文字」とは何なのか、という話でもあります。(最初に書いたように「100年」の「100」は1文字として数えて良いと言われれば、当然、ここが疑問になります。)

「1秒4文字」は字幕という技術が始まった時に導き出された目安です。当時、いわゆる絵文字は、ほぼなかったでしょう。カタカナ語も、人名や地名以外では、それほど多くなかったはずです。今は絵文字も使おうと思えば使えるものもあり、カタカナ語は省略した表記で済む場合もあります。

例えばコンピュータ。これはPCで大丈夫な事も多いです。このコンピュータという言葉は色々な言い方があります。

電子頭脳 ・ 電子計算機 ・ 電脳 ・ 電算機 ・ コンピューター ・ コンピュータ ・ PC

上記の中で「電子頭脳」という4文字と「コンピュータ」という5文字で比較してみます。まばたき程度の一瞬、この2つの言葉が見えた場合、一瞬で認識しやすい文字は、おそらく「コンピュータ」でしょう。要するに「1秒4文字」の中の「文字」一字一字の重さに、それなりに差があるという事です。

とはいえ(繰り返しますが)「1秒4文字」は目安として有効なのは確かです。いくらでも文字数を増やして大丈夫なわけではなく、あくまでバランスを保つ事が重要で、そのバランスを保って、車体に傷をつけずにゴールするF1ドライバーが字幕翻訳家と言えばいいのかな、と思います。

ここで少し実践的な例をいくつか。

「1秒4文字」の考えで、できるだけ文字数を減らす方法。【車を止めろ】(5文字)は【止めろ】(3文字)で大半の場合はOKです。原語が【Stop】でも【Stop the car】でも同じで、その車の同乗者が言っているのであれば、日本語では【止めろ】で十分なわけです。

余談ですが、この【止めろ】は、「やめろ」も「とめろ」も同じになるので、その区別が一瞬で認識しにくい場合――例えば、酒場で乱闘が起きているような状況で誰かが言うような場合――は【止めろ】の【止】の上に【や】か【と】か、どちらかのルビをつけると、認識が楽になります。

ドアが「あいた」と「ひらいた」の場合でも、ニュアンスの違いがありますので【開いた】という表現が字幕に入る時、さらにそのニュアンスの違いに意味がある場合は、やはりルビをつけると認識が楽になります。「あいた」は、積極的な働きかけがあった結果「開いた」ドアで、「ひらいた」は、何もしていないのに自然に「開いた」ドアに使うでしょう。もちろんどちらでも構わない場合はルビをつけずに【開いた】で問題なしですが。

次は「1秒4文字」にこだわらずに、話の流れの中でニュアンスも出しながら字幕を決める例です。
(1)【英国風の冗談か?】(8文字)と(2)【イギリスのユーモアか?】(11文字)。原語は【English humor, huh?】だとします。話している長さは、ここではひとまず2秒で考えます。というのが(1)に「1秒4文字」ルールを適用した場合、8文字なので最低2秒ないと(1)ですら成立しないので、ここでは2秒としておきます。この2秒で(1)の8文字を読むのは、もちろん可能です。一方の(2)にしても、「イギリス」や「ユーモア」は「4文字」という文字数で認識速度が決まるような見慣れない表現ではなく、最初に書いた「100年」の「100」と同じように単語レベルで認識できるので、厳密に文字数にこだわる必要はない場合が多いのです。 結論としては(2)も2秒あれば読めます。さらに細かい突っ込みを入れておくと、「英国風の冗談か?」としてしまうと、その冗談を言った人は「英国人以外の人」になってしまいます。「英国流の冗談か?」であれば、冗談を言った人は英国人になりますが、「風」だと意味が違います。一方の「イギリスのユーモアか?」では、冗談を言った人はイギリス人で大丈夫ですし、そもそも「冗談」と「ユーモア」も微妙にニュアンスが違うわけです。さらに、(2)は原語の音に近く、聞き慣れた単語のカタカナ表記です。耳に入ってくる原語の音に助けられて、11文字でも楽に認識できるはずです。もちろん(1)が適訳になる状況もあるでしょうが、それが文字数を削る努力の結果であるならば、単に(2)でOKという状況の方が多いでしょう。

と、長々と書いてきましたが、また繰り返します。「1秒4文字」は目安として有効なのは確かです。10年前、このブログのどこかに書きましたが、10分で1万語の新聞記事を読む事と1万5千語の記事を読む事を比べれば、やはり語数が多い方が疲れます。だから、いくらでも文字数を増やしていいわけではありません。あくまでバランスを保つ事が重要で、そのバランスを保つ事が大切…長いですね(笑)。

私の字幕の場合、100分の映画で字幕が1000枚あるとして、800枚は「1秒4文字」を守っていて、150枚が少し多め。50枚が少し少なめ、みたいな事が多い気がします。さらに、この800枚の部分が、他の人と比べると、文字数を計算する時、小数点部分を切り上げている事が多いのかと思います。

最後にまた余談ですが、ツイッターは通常、最大140文字です。140文字は「1秒4文字」で計算すると35秒なければ読めないことになりますが、読みやすい文章であれば20秒でも読み終わります。現代人は読む速度が速くなったのでしょうか。字幕だけでなく、こうした「文字」も含めて検証できたら面白い気がします。

…推敲が不十分で、長くてすみません。

歩いていて何かにぶつかりそうな人に言う言葉として考えて下さい。
(子供の急な飛び出しのような交通事故につながるような話ではなく)

ぶつかる前に「気をつけて」は良いと思います。
ぶつかった後にも「気をつけて」は使えます。

「危ないよ」も、ぶつかる前なら良いのですが、
ぶつかってしまった後に「危ないよ」だと
「先に言ってよ」と、ぶつかった人は言いたくなるのではないでしょうか。

事後の「危ないよ」は優しさがないというか。
ぶつかってもケガがなかったら「危なかったね」はありでしょう。「大丈夫?」でもいいし。

いずれにせよ「気をつけて」は相手への気づかいが出る気がします。
もちろん文字数に違いがあるので、字幕の場合、それも影響しますが、
現実に使う場合、
「気をつけて」か「気をつけてね」か「気をつけなよ」くらいになるでしょう。

1文字減らして冷たくなるのはイヤです(笑)。

ぎっくり腰は英語でstrained back。腰痛はback pain。なのですが、「backは背中でしょ?」とササッと訳してしまう人もいたりするようです。それでもそれを「ぎっくり背中」とか「背痛」と訳す人は、恐らくいないので心配はしていませんが。

back=背中を貫いて訳そうとすると「背中を痛めた」なんて訳になっているはず。翻訳文でそんな表現を見たら、「ああ、たぶん腰痛ね」と思うべきでしょう。

で、――これにはさすがにびっくりしましたが――

原文「the loyal Prince of Wales」
訳文「忠実なウェールズの皇太子」

今だと、いわゆるチャールズ皇太子の呼称(=the loyal Prince of Wales)なわけですが、忠実なウェールズの皇太子は一語一語に忠実すぎたようです。これだとRoyal Familyも忠実なファミリーになって、どうもファミレスかコンビニのように急に身近に感じたりして。

まるで機械翻訳のようですが、この忠実な訳は実際に印刷物として、それも「訳文付き」の「訳」として世の中に出回っている物の中で見かけました。

と、こんなことを書いている自分も、どこかでとんでもない誤訳をしているのでしょう。

いや、本当にイヤになりますが、(なんて、イヤかいいか、本気かどうか分からない表現ではありますが)自戒です。

Royal translation(=忠実な訳)を目指します(え?)。

駄文です。乱文です。何でもいいです。映画の未来はどこへ?分かりません。でも、最近色々思います。

映画を語る事で収入を得ながら「こんな映画、誰が見るんだろう?」といったような事をSNSでつぶやく人がいたり、映画館の入場料をいくら下げても映画人口増にはつながらないと、やはりSNSで断言している人がいたり。悲しくなります。

どれだけ、どんなふうに映画を見てきて、そんな思考になったんだろうか。

映画は娯楽。人を楽しませるもの。最近、使われ過ぎて好きではないですが、映画自体が「おもてなし」でしょうか。

人を笑わせ、泣かせ、感動させ、楽しませるもの。映像を楽しむにはテレビでもPCでも、携帯端末でもいいかもしれません。でも銀幕で見る映画は特別です。

映画を作る楽しみだってある。素人が寄ってたかって作ったような「誰が見るんだろう?」と思うような作品でも、実際、それが自己満足でも、作ってる人は楽しんだ。エキストラに参加した人は楽しんだ。苦労しても、その苦労を楽しんだ。そしてそれは、その人達には一生の思い出になる。それを世界中からアクセスできるSNSで平然と「『こんな映画』誰が見るんだろう?」と・・・。いや、そういう人がいてもいいでしょう。軽い気持ちで書いちゃうのでしょう。でも「こんな映画」と名指しされた作品に関わった人が、偶然にでもそのつぶやきを見たら悲しいですよ。

町で予算ができて、町のPR映画を撮ってみた。関係者は素人ばかり。でもそれなりに試行錯誤して作品になる。完成作の上映会をする。関係者は皆で喜ぶ。対外的には大して話題にならず、「誰が見るんだろう?」と言われるような作品と化す。では、この作品に価値はないのかと考えると、商業的価値が低いか、無いだけで、色々な価値があると思うのです。

ああ、言葉が全然足りない。でも、悔しい。悲しい。

入場料をいくら下げても映画人口増にはつながらない。という考えも悲しい。「仮面ライダー」「プリキュア」「ドラえもん」などの子供向け作品は公開ごとに堅実にヒットします。親が一緒に行っているパターンも極めて多い。親子前売り券¥2000として父母+子供2人=¥4000。それでも見に来る。2時間¥4000の家族の娯楽。数ヵ月に1回なら何とかなる。くらいでしょうか。財布のゆとり次第。親子券¥2000は一応いいとして、家族券¥4000も作って、それにはポップコーンとドリンク付にするとか。スタンプ6個で1回無料はあるけど、ついでに10回無料まで行ったら、その10回目の時は2回無料にするとか。親のふところ具合に取り入り、マニアのモチベーションを高め・・・。そんな方法を考える。

人と話していて、よく引き合いに出すのが携帯電話の料金プランです。「何とか割」の種類がいっぱいあって、今はないものも含めたら、「○○割」って全部で何種類登場したのでしょう。携帯電話の歴史はせいぜい20年から25年。「何とか割」が増えだしたのは、せいぜい15年くらいじゃないでしょうか。各社が熾烈な競争を続けている結果です。

映画興行の世界も、たぶん熾烈ですが、「映画の日」の第一回は1981年だったか。まあ、せいぜい30年少しです。最初の年は12月1日。年に1日だけ入場料800円にします。だったかな。それに手ごたえはあったようで、3月6月9月の各1日も同じ扱いになって、年4日は映画が安い日になった。その後、レディースデーなど、恐らく10種類か20種類くらいは「何とか割」は生まれたでしょう。細かい事は「映画の日」のwikiでも見て下さい。

ここでは細かい事は省略。言いたいのは映画の「○○割」が少なすぎるという話です。あっても「友情割」とか、わけが分からない。3人の予定が一致しないと始まらない割引はハードルが高いでしょう。「もっと気軽に映画館へ」というところが正しいはずです。「デート割」くらいストレートにしたって悪くないと思います。カップルで見る層は映画への定着率が高い。2人で¥2500プラスSドリンク2つとポップコーン1つ。家族割は上記のとおり¥4000。

それから予告篇。「仮面ライダー」の前に「アナと雪の女王」のビデオクリップ4分を流すのは重大なエチケット違反じゃないでしょうか。「プリキュア」の前なら、まだ分かります。「仮面ライダー」はアウトでしょう。子供の集中力の最も高い最初の5分から10分が予告である事自体が、本当は間違っています。入場料を払って10分も予告見ないと本編に到達しないなんて。でも、まあ、それは諸事情あって仕方ないとして、それならせめて、子供にも差しさわりのない保護者向けの映画の予告を入れて、アナのビデオクリップは避けるとか、そうした配慮をしないと。興行側の独断では無理な場合もありますが、単に考えが至っていない結果の場合も散見します。

映画離れしてるんだから、呼び込む努力をしないといけないのに、表面的なキャンペーンばかり。本当に必死に考えてるの?と、観客として思うのです。

シネコンの功罪は色々あります。まさに功罪で、いい点も悪い点もありますが、とにかく現状を前提にしたら、少なくとも上記の2点くらいは改善の余地があると思います。それからデートの最もポピュラーな目的地が映画館と言われるようにする。それを目標にするだけでも、色々アイデアは浮かぶ。いわゆる80年代のバブルの時代以降だけ考えると、男子大学生がおごるパターンのデートで毎週映画を見に行こうとしたら・・・。無理です。高すぎます。

そんな時代がシネコン全盛になっても、結局続いているような状態です。その結果、映画のヘビーユーザーは残っていても、マイルドユーザーがすっかり消えた。

まずライトユーザーを作るために子供向け作品の家族割充実。ヘビーユーザー向けにはスタンプ割の微拡大。マイルドユーザー向けのデート割って事でしょうか。

とにかくライトユーザーを育てる事に成功すれば、その子供たちが中学生になって、デート割が使えればマイルドユーザーになり・・・。と、すそのが広がっていく。

「やっぱり映画館は特別だね」と言うには、「銀幕で見る映画は特別だね」と言うには、まず映画館で映画を見ないといけないわけですが、そこから今の興行界は失敗していると思います。

ちなみに我が家は家族全員での(主に子供向け作品ですが)映画館での作品鑑賞は2013年の場合、20本ほどでした。その結果、幼稚園の子供でも「あ、この映画、予告を映画館で見た」と、テレビ放映時に言ったりします。ライトユーザーには十分なっているわけですが・・・。

長い。まとまりないし。

とにかく、「もうちょっと考えようよ」と。日本の映画興行界に余計なお世話の苦言でした。(まだ色々あるけど)

この2つも違いがあります。

「今、映画を撮ってるんだよ」
「今、映画を撮影してるんだよ」

で考えてみます。上の場合、「撮ってる」方は、たとえば「1週間前から映画撮影を始めて、ここしばらく映画を撮ってる」状態の最中みたいな感じ。「撮影してる」方は、「今、この瞬間、撮影の真っ最中」(もしくは撮影現場にいる)状態を感じさせます。上は手持ちカメラで「撮っている」。下は手では持てない状態のカメラで「撮影している」なんていう見方もあるかもしれません。

では、「この場面は、こうして撮ったんだ」と「この場面は、こうして撮影したんだ」の違いはどうでしょうか。過去形になると、(あくまで個人的にですが、)上の例ほどには違いを感じません。

でも違うことは確かです。1つは、例のごとく文字数。「撮ったんだ」5文字。「撮影したんだ」6文字。それから「撮ったんだ」の方が口語的な印象になるかと思います。

「作った」と「製作した」(「制作した」)も同じでしょうか。(制作と製作の使い分けはここでは割愛)

とにかく漢字2字にすると硬くなり、1字にすると柔らかくなることが多いです。さらに1字にする方が1文字減らせることも多いのですが、結論を言うと、「使い分けしよう」もしくは「意識して選ぼう」ということです。たとえ、どうしても主観の域から抜け出せなくてもね。

余談ですが、ちょうど公開中の「ゼロ・グラビティ」の場合だと、違う理由で「今、映画を作ってるんだよ」になりそうです。その理由は、サンドラ・ブロックなら「それはDVDが出たら早くメイキングも見て」と言う気がします。

さらに余談ですが、「ゼロ・グラビティ」の原題は「GRAVITY」。帰りたい世界を目指す冒険と見ると原題。無重力の宇宙空間を楽しむなら邦題。どちらにせよドキドキですけど。

カットは直訳すると「切る」。ショットは「撮る」。

カットは編集室で使う頻度が高く、ショットは撮影現場で使う頻度が高い。ショットは映像のノリシロが着いた状態であることが多く、カットはノリシロを切り取った映像であることが多い。
(どちらも映像用語としてのカットとショットです。)

検索すれば色々出てくるし、違いについての説明はこの辺にしますが、違いがあるのです。
オーディオコメンタリーの字幕で混同したまま使っている例が多い気がしたので注意喚起の意味で書いています。

というか、混同しているならまだいいのです。
違いがあるという意識すらないまま、言葉を使っている例が多い気がします。

恐らく翻訳している人も無意識で、原稿をチェックする立場のクライアントも無意識なのでしょう。
映画作品のオーディオコメンタリーは、業界人が現場の裏側について語るような内容が多いのですから、こうした言葉の違いを意識して訳すべきです。(英語でcutと言っていても「ショット」と訳す場合もあり、shotを「カット」として訳す場合もあります。)

無意識にやっていると、業界人ぶった素人の訳になってしまいます。

いつからか「老化」が「加齢」になりました。いつからだろう?「老人」よりも「高齢者」が多くなった気がします。ちなみに「加齢」は1つの命の生から死までの時間経過を含めて言うことができますが、「老化」は衰え始めた後の時期について言うので、少し意味が違います。いずれにせよ「中年」が元気に従来の「老人」の域に達して「高齢者」とか「後期高齢者」といった言葉が登場したんでしょうか。ポール・マッカートニーはすでに70歳を超えているし、ミック・ジャガーもそろそろ70歳。2人とも元気いっぱい。「後期高齢者」なんて、ややこしい言葉を作りたくもなります。

幼児、小児、子供、少年、少女、青年、若者、働き盛り、壮年、中年、などなど50歳くらいまでは色々区分けできる言葉がありますが、60歳をすぎたあたりからは全部一緒。でも、人生がまだまだ続く人のほうが多い(日本の平均寿命は約82歳)んだから、前期高齢者、中期高齢者、後期高齢者、超高齢者…。いや、「老人」や「高齢者」って言葉は古いですね。今は昔とは違います。論語では50歳で知命、60歳で耳順、70歳で従心だったりしますが、今はかなり違う気がします。

そういう時代なんだろうと思います。自分自身、白髪が増えまくり。20年くらい先の世界では70歳が「中年」くらいになるのかな…。そうしたら自分なんか、これからずっと中年だ。まあ、20年後の世界が無事に来るなら、それが何よりですね。

それにしても廊下にカレーの匂いならいいけど、「老化」に「加齢」の臭いはイヤだなぁ。

(とまた強引なことを…。)

空が落ちてくる所(=スカイフォール)。それは、普(あまね)くソラがある所(=普天間)。よく話題に上がる米軍基地ですが、すごい所にあるものです。この「普天間」という地名、好きです。タテに書くと左右対称で、それがまた宇宙の中心のような感じ。琉球王国の昔の人はロマンティックだったのでしょう。(と、勝手に思っているだけで、地元の人に聞いても普天間という地名の語源は判然としませんでしたが。)

話は逸れますが、うちの会社名「ヘザー」は女の子の名前。ヘザーは昔、ハイランダーでした。

クイーンの主題歌で有名な例のハイランダーではなく、神奈川県横須賀市にある湘南ハイランドに住んでいたからです。さらに話は逸れますが湘南ハイランドは日本で最初のカタカナの地名です。(そういえばクイーンは最近も「テッド」でフラッシュ・ゴードンしてましたね。)もっと話が脱線して昔の「フラッシュ・ゴードン」も楽しいです。2005年6月5日にも少し書いてありますが、「フラッシュ・ゴードン ~マーズ・アタック~」@amazon&「フラッシュ・ゴードン~スペース・ソルジャーズ~」@amazonといった作品。どちらにも当然サム・ジョーンズは出てきませんが、製作当時の気分になりきって見ると、それはそれは壮大なスペースオペラだっただろうと容易に想像できます。

クイーンは「輝ける日々<ジャパン・スペシャル・エディション>」@amazonがお勧め。このソフトの中でもフラッシュ・ゴードンは印象的にフィーチャーされています。初来日の模様を長めに収録した「クイーン・イン・ジャパン1975」というドキュメントも特典で入っています。

で、ここで話を戻して、スカイフォールはスコットランドにありました。ハイランダー。(位置的にはズレてる?あやふやな知識です。ごめんなさい。)

1971年にバレエ映画「ピーターラビットと仲間たち/ザ・バレエ」@amazonとして映像化された英国ロイヤル・バレエ団のピーター・ラビットも原作はスコットランドの湖水地方辺りが舞台になっています。(映画の方はセリフのないバレエだけですが、英語の文字で訳が必要だった部分が2ヵ所か3ヵ所あり、それを訳した記憶が…。1枚は【セージの香草焼き】とか、料理の名前だった。)

この湖水地方に1975年に突如出現したゾンビを描いたのが「悪魔の墓場」@amazon

BBCが1985年に製作したドラマ「刑事ロニー・クレイブン」も終盤はこの辺りで撮ったんじゃないのかな?

ということで「話を戻して」と言いつつも、戻るべき話のないエントリー。自分が訳を作った作品のリンクをチョロチョロっと貼ってみただけだ(汗)。まあ、ステマではなく、あからさまな宣伝ということで。自分の仕事を1人でも多くの人に見てもらいたいという思いからです。

最近は、というか、もうずっと、こうしてキーボードを打つばかりで、ペンを持って文字を書くことがすごく少ないです。当用漢字、常用漢字、そのほか色々。書けなくても読める漢字が増える一方。困ったものです。逆に人名だとどう読むのか分からない漢字が増える一方。これも大変です。

そんな中で映画の字幕は常用漢字しか使えない(のかどうか、世間知らずの私は知りませんが)とか、誰が最初に決めたんでしょうか。というか、正式な決まりって、ないですよね?(=脚本家が脚本を書く時、「使ってはいけない漢字」ってないですよね?)

前にも書きましたが、脚本家が何か書く時、常用漢字の一覧は参考にはするとしても、それに縛られながら文字を選ぶ事はないでしょう。

裁判劇なら法律用語がいっぱい出てきたり、戦争映画なら武器や階級や色々専門用語が出てきたり、ジャンルによって聞き慣れない言葉が飛び交うのは当然なのに、使える漢字には限定がある。

そこまで「誰にでも分かりやすい字幕」である必要はないと私は勝手に思います。

脚本を書く段階で「この作品の客層はこういう人達」というイメージもあるはずです。それ以外にも「アクションは考えずに見たい」「法廷ものは考えまくって見る」「文芸ものはこう」「史劇はこう」という違いもあるでしょう。脚本家も、もちろん、「できるだけ分かりやすくしよう」(時には、わざと「分かりにくくしよう」と思ったりしつつ)色々な意味で言葉を選んでいくはずです。

それなのに字幕には使える漢字に縛りがある。一定の制限がある。

そういう「ルール」は本当に必要なのでしょうか?「何となくそうなってきたから守ろうね」程度のことだとしか思っていない人間が、ここに1人いますが…。

常用漢字にあっても読みにくくなる漢字にはルビをつけ(たとえば「止めろ」とか。「とめろ」か「やめろ」か分かりにくそうなら、ルビをつけるとか、漢字にしないでひらがなにするとか)たり、常用漢字になくても読みにくいわけではない復讐にはルビをつけない、とか。(いずれスター・ウォーズの3作目も「ジェダイの復しゅう」になっちゃうんでしょうか。でもこれでは「復しゅう」が「復讐」なのか「復習」なのか分からないかも。)

結局、その作品の字幕を作っている人のバランス感覚そのものがルールになっていいと思うのです。そのルールが偏っていたら、校正する人が補正する。その補正が多い人は、この仕事で長く食べて行くには向いていないと思うべきかと。とにかく「誰がどう言った」、「何かの決まりに従った」、「だからいいだろ?」と思うのは違うと思います。

映画だけでなくテレビも同じです。学校で習わない漢字をどんどん使ったらいいと思います。「読めない人がいたら困るだろう」と思うなら、ルビを付ける。それで小さな勉強にもなる。学校を卒業した後、大して勉強もしていない私のような人間からすると、漢字表記の一部がひらがなになっていってしまうと、少しは見覚えがあった漢字をどんどん忘れていきます。

せっかく義務教育があって、そこでは漢字の勉強もするのに、もったいないと思います。

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