1987年夏。研究社英和大事典を読みました。約2200ページ。古本屋さんで1000円で買ったもの。見ると初版は1927年(昭和2年)。私が読んだのは1968年印刷の第4版。読んだきっかけは言語学の授業でした。「方言」について勉強していて、辞書にある方言を全て書き出したのでした。見出しばかり見ていた感じですが、それでも読みごたえがあります。学生時代は社会人より時間があります。
10万4720キロ
1988年9月から1989年5月までの9ヶ月、カナダのケベック州モントリオールに住んでいた時に運転した距離です。乗っていたのはフォードのフェアマウント。運転席も後部座席もベンチシートで、少し窮屈ですが大人が横になって寝られる長さ。日本では絶対運転したくない大きさですが、北米の基準だとミッドサイズの車。「E.T.」の終盤でエリオット達を追うパトカーがフェアマウントです。ティム・バートン監督の「バットマン」のパトカーもフェアマウントでした。
住み始めてすぐに1200ドルで購入し、帰国時に500ドルで売ってきました。幸い故障は一度もなく、かなり経済的でした。この時はモントリオールの大学の映画学科に留学中で、週末が3日休みになると長距離ドライブしていたのでした。
住み始めてすぐに1200ドルで購入し、帰国時に500ドルで売ってきました。幸い故障は一度もなく、かなり経済的でした。この時はモントリオールの大学の映画学科に留学中で、週末が3日休みになると長距離ドライブしていたのでした。
お金の山
昔、外信のディレクターをしていた時、造幣局へ取材に行きました。「日本の紙幣の原料にマニラ麻が使われているんだよ」という、マニラ支局からのレポートの日本側の素材を集めに行ったのです。お金を印刷しているところを見るのは不思議な気分でした。「そうだよね。お金も印刷するんだよね。新聞を印刷してるみたい」なんて思っていました。裁断時の「キュイン」(文字で表現しにくい音だけど)みたいな音が印象的で、「今のキュインで5000万円できたのか」とか思ったり。で、途中で見たのがお金の山。20億円。1万円札1000枚で10センチ。それを5山横に並べ、ピラミッド状に積むと1億。それが10山2列で20億。何枚あるんだ…。20万枚。焼きたてパンみたいに並んでいます。
不思議です。一生働いても手にする事のないお金が1分くらいキュインしてると出来る(って、印刷工程はもっとあるわけですが)。というか、生きるためにお金は必要だけど、そのお金を稼ぐ事に振り回されて生きるって、どういう事なんだろう…。地球にはお金より命が先に存在していた事は間違いないわけで…。
目の前のテーブルに積まれた20億円を見ていて、そんな気がしました。
不思議です。一生働いても手にする事のないお金が1分くらいキュインしてると出来る(って、印刷工程はもっとあるわけですが)。というか、生きるためにお金は必要だけど、そのお金を稼ぐ事に振り回されて生きるって、どういう事なんだろう…。地球にはお金より命が先に存在していた事は間違いないわけで…。
目の前のテーブルに積まれた20億円を見ていて、そんな気がしました。
初めての1人旅(1)
1980年8月。銀河号に乗って大阪へ。梅田、神戸、京都辺りを1週間ほどまわった。電車は周遊券を買う。宿泊先は全てユースホステル。小遣い帳をつける。こんな条件というか、前提で旅行した。ユースホステルは父が教えてくれた。当時、父は利用した事がなかったが、こういう旅館があって、まず会員証を作るといい。とまで教えてくれた。旅行の第一歩はユースホステルの会員証を作ることか…。一番近かったのが三浦半島の先端の城ヶ島ユースホステル。ここに電話して「これから会員証を作りに行きます」と伝えてから行った。中学1年の夏。
会員証を作ると同時に全国(じゃなくて西日本と東日本に分かれていたような気もする…)のユースホステルの案内が乗ったハンドブックを購入。行きたい所。甲子園と東映太秦映画村。それから大阪の街。最初に泊まったのは狭山遊園ユースホステルだった。服部緑地ユースホステルと長居競技場のユースホステルにも泊まった。当時の小遣い帳もスケジュールもどこかに保存してあるけれど、この数日書いている旅行のエントリーは記憶を頼りに書いている。
初めての1人旅。旅行日程を書き、泊まる予定のユースホステルには宿泊申し込み専用の往復はがきがあったので、それを全て出し、出発前に全て返事を受け取っていた。
こうして書いてみると、ネットも携帯も、それどころかコンピュータもなかった時代には、しっかり手紙を書いていた。この旅行は当時の旅行日記(=小遣い帳)を引っ張り出してから追い追い書こう。「家へ電話50円」のレベルまで書いていた事は覚えているし、自分の経験とはいえ、25年も前の話だと他人事のように面白いから。
会員証を作ると同時に全国(じゃなくて西日本と東日本に分かれていたような気もする…)のユースホステルの案内が乗ったハンドブックを購入。行きたい所。甲子園と東映太秦映画村。それから大阪の街。最初に泊まったのは狭山遊園ユースホステルだった。服部緑地ユースホステルと長居競技場のユースホステルにも泊まった。当時の小遣い帳もスケジュールもどこかに保存してあるけれど、この数日書いている旅行のエントリーは記憶を頼りに書いている。
初めての1人旅。旅行日程を書き、泊まる予定のユースホステルには宿泊申し込み専用の往復はがきがあったので、それを全て出し、出発前に全て返事を受け取っていた。
こうして書いてみると、ネットも携帯も、それどころかコンピュータもなかった時代には、しっかり手紙を書いていた。この旅行は当時の旅行日記(=小遣い帳)を引っ張り出してから追い追い書こう。「家へ電話50円」のレベルまで書いていた事は覚えているし、自分の経験とはいえ、25年も前の話だと他人事のように面白いから。
班長だった9日間
1990年8月。モルジブ共和国の南マーレ環礁にあるビヤドゥ島へ行った。大学を出てサラリーマンだった半年間の終わりの頃。ネットで調べると今は真水の温水シャワーがあるらしい。当時は雨水を貯めたシャワーだったかな。空港がある島マーレに今は直行便も飛んでいるらしい。空港がある最も大きい島でも椰子の木のてっぺんが一番高い所のような国。サンゴ礁からなる島が1000以上あって1つの国になっているが、全部の島を集めても日本の四国くらいしかないとか。マーレは当時、世界一人口密度が高い首都だった気もする。(よく確認していないので、違ったら教えて下さい…)
で、当時は直行便がないのでエアランカでスリランカのコロンボへ。そこで行きも帰りも1泊するし、マーレからビヤドゥまで小船で1時間くらいの移動もあり、まあまあ遠い所だった。ビヤドゥは1周散歩しても10分くらいの小さな島。ホテル、レストラン、バー、リネンサービスなど全てを1つの経営母体がやっていて、ある意味キャッシュレスの島。満室で100人くらい島に人がいる事になるけれど、たぶん多い日で50人くらいしかいなかった。
この旅は珍しく幼稚園から高校まで一緒だった友達に誘われて行った、男2人のリゾート1週間…。それでも幸い(?)宿泊客に日本人が他に4人いた。2人は学生カップル、残りの2人はOL2人組(!)だったので、何となく皆仲良しになり、ダイビングや船釣りなどを楽しんだ。釣った魚をレストランで刺身にしてもらって我々6人のテーブルだけ豪華な活造りになったり。そんな状態だったので英語しか通じない島で私は他の5人から班長と呼ばれる始末。それにしても海がきれいな所でした。数年に1週間くらい行くと充電できるかな。
で、当時は直行便がないのでエアランカでスリランカのコロンボへ。そこで行きも帰りも1泊するし、マーレからビヤドゥまで小船で1時間くらいの移動もあり、まあまあ遠い所だった。ビヤドゥは1周散歩しても10分くらいの小さな島。ホテル、レストラン、バー、リネンサービスなど全てを1つの経営母体がやっていて、ある意味キャッシュレスの島。満室で100人くらい島に人がいる事になるけれど、たぶん多い日で50人くらいしかいなかった。
この旅は珍しく幼稚園から高校まで一緒だった友達に誘われて行った、男2人のリゾート1週間…。それでも幸い(?)宿泊客に日本人が他に4人いた。2人は学生カップル、残りの2人はOL2人組(!)だったので、何となく皆仲良しになり、ダイビングや船釣りなどを楽しんだ。釣った魚をレストランで刺身にしてもらって我々6人のテーブルだけ豪華な活造りになったり。そんな状態だったので英語しか通じない島で私は他の5人から班長と呼ばれる始末。それにしても海がきれいな所でした。数年に1週間くらい行くと充電できるかな。
十和田湖畔の雪に消えた鍋
1982年3月、中学2年の終わりの春休み。青森、十和田湖、八戸辺りを1週間。小川原湖では釣りをしていた老人と30分ほど話した。厳密に言うと老人の話を聞いたが、訛りのきつさに何の話か分からず相づちをうっていただけだった。というのは余談で、さっそく本題。
十和田湖はシーズン前で観光客は皆無に近い。こう書いていたら、昼はカツ丼を食べた事を思い出した。その日の宿泊先は十和田湖ユースホステル。雪の多い観光地。シーズン前で、この頃はまだコンビニもない。携帯電話どころかテレホンカードを使える電話も珍しかった。宿泊客は大学生のお兄さん1人と2人組の女子大生と自分の4人。夕食はユースホステルの食堂で4人で食べた。メニューはいわゆる鍋。小さな燃料に火をつけて、その上に1人用の鍋がある。食材は白菜、椎茸、ニンジン、長ネギ、肉といったところ。味付けは…。薄い。薄いというか、ない。醤油を入れてみる。でもダシがない。塩を足しても、どうしても味付けにならない。4人で色々試したが、4人ともご飯と味噌汁だけを食べて、食材のほとんどを残した。
建物の中にはユースホステルのオーナーがいるだけで、厨房で食材を準備してくれたのも彼だ。この人が何となく無愛想な感じの人で、大量に残った鍋の食材を見たら怒るのではないかと4人で思った。今思うと他にも方法がある気がするけれど、その時にできる事は1つしかないと、4人の結論は一致した。雪に閉ざされ、夜は外に出られない。半分雪に埋まった食堂の窓。そこに穴を掘って埋める。それから数週間で雪は消えるだろうが、それまでバレる事はないだろうと、空きっ腹の4人でこっそり埋めた。食べ物は粗末にしちゃいけません。すみません。
十和田湖はシーズン前で観光客は皆無に近い。こう書いていたら、昼はカツ丼を食べた事を思い出した。その日の宿泊先は十和田湖ユースホステル。雪の多い観光地。シーズン前で、この頃はまだコンビニもない。携帯電話どころかテレホンカードを使える電話も珍しかった。宿泊客は大学生のお兄さん1人と2人組の女子大生と自分の4人。夕食はユースホステルの食堂で4人で食べた。メニューはいわゆる鍋。小さな燃料に火をつけて、その上に1人用の鍋がある。食材は白菜、椎茸、ニンジン、長ネギ、肉といったところ。味付けは…。薄い。薄いというか、ない。醤油を入れてみる。でもダシがない。塩を足しても、どうしても味付けにならない。4人で色々試したが、4人ともご飯と味噌汁だけを食べて、食材のほとんどを残した。
建物の中にはユースホステルのオーナーがいるだけで、厨房で食材を準備してくれたのも彼だ。この人が何となく無愛想な感じの人で、大量に残った鍋の食材を見たら怒るのではないかと4人で思った。今思うと他にも方法がある気がするけれど、その時にできる事は1つしかないと、4人の結論は一致した。雪に閉ざされ、夜は外に出られない。半分雪に埋まった食堂の窓。そこに穴を掘って埋める。それから数週間で雪は消えるだろうが、それまでバレる事はないだろうと、空きっ腹の4人でこっそり埋めた。食べ物は粗末にしちゃいけません。すみません。
1985年9月日光
曽祖父が存命だと聞いたのがこの年。94歳か95歳と高齢で、会えるうちに会ってみたいと思った。高校を1週間、担任には事後報告で休み、日光へ。小学校の修学旅行が日光だったけれど、その時は中耳炎になり行けなかった。それもあって日光を目指した。曽祖父は父の母の父で、大谷石の産地に住んでいた。まず東武線で鹿沼へ行き、ひとまず挨拶。まだ昼過ぎだったので、その日のうちに1人で日光へ。どこでどうなったのか忘れたけれど、その時もヒッチハイクをしていて、今市辺りから日光を目指していた。乗せてくれた車は4トントラック。「神奈川から来たんです。日光見物と、ひい爺ちゃんの顔を見に」と話すと運転手さんは「そうなんだ。ひい爺ちゃんはいくつ?」と聞かれ、年を言うと「どこに住んでるの?」とまた聞かれ。そう話していくうちに、その運転手さんは身内だと判明した。父の母の弟の妻の妹の息子さん。車に乗せてくれた人とは色々話すけれど、この時「小学校の修学旅行で行けなかった日光を見ようと思って」とだけ話していれば、お互い遠縁の親類だと気づく事もなかったはず。世の中は狭いし、旅は面白いもの。
ジェイムス・ブラント
チェイシング・タイム〜ベッドラム・セッションズ(WPZR-30146)4/12Release
全英アルバム&シングル1位、全米アルバム1位、日本でもオリコン洋楽アルバムチャート1位になったデビュー・アルバム「バック・トゥ・ベッドラム」。
名曲「ユア・ビューティフル」が至る所から聞こえてきますが、彼の来日記念盤DVD+CDが出ます。BBCでOAされたライヴをDVDに、アイルランドでのライヴをCDに収録した作品。最近は、いわゆるCDサイズのパッケージでCD+DVDというタイトルが増えていますが、DVD+CDという企画も出てきています。(どっちでもよい気がしますが、レーベル側がCDをメインに見ている時はCD+DVDで、DVDをメインに見ている時はDVD+CDになるそうです)このタイトルも様々な特典映像があり、字幕は700枚くらいありました。
28歳の彼は異色の経歴の持ち主。NATOの和平部隊の兵士としてコソボにいた事もあり、その時の経験から生まれた「No Bravery」という曲もお勧め。同い年のジェイソン・ムラーズと一緒にツアーを回り、ヨーロッパではジェイムスがメインでジェイソンが前座、アメリカではジェイソンがメインでジェイムスが前座。ジェイソンもしっかりした青年(おっさんの言い方だ…)ですが、何だか2人が同い年って不思議です。
全英アルバム&シングル1位、全米アルバム1位、日本でもオリコン洋楽アルバムチャート1位になったデビュー・アルバム「バック・トゥ・ベッドラム」。
名曲「ユア・ビューティフル」が至る所から聞こえてきますが、彼の来日記念盤DVD+CDが出ます。BBCでOAされたライヴをDVDに、アイルランドでのライヴをCDに収録した作品。最近は、いわゆるCDサイズのパッケージでCD+DVDというタイトルが増えていますが、DVD+CDという企画も出てきています。(どっちでもよい気がしますが、レーベル側がCDをメインに見ている時はCD+DVDで、DVDをメインに見ている時はDVD+CDになるそうです)このタイトルも様々な特典映像があり、字幕は700枚くらいありました。
28歳の彼は異色の経歴の持ち主。NATOの和平部隊の兵士としてコソボにいた事もあり、その時の経験から生まれた「No Bravery」という曲もお勧め。同い年のジェイソン・ムラーズと一緒にツアーを回り、ヨーロッパではジェイムスがメインでジェイソンが前座、アメリカではジェイソンがメインでジェイムスが前座。ジェイソンもしっかりした青年(おっさんの言い方だ…)ですが、何だか2人が同い年って不思議です。
「消されたクレジット」の起源
そもそも「消されたクレジット」の問題が、なぜ発生したのか。なぜ、他の誰の身にも起きていないのか。「起源」なんて、大げさですけどね^^
1つの配給会社(または販売会社)が公開(または発売)する映画に、2つのバージョンの字幕が作られる(「本件」もそれに近いです)という事は、その配給会社が関知していない場合、そうある事ではありません。
あまりにもイレギュラーな経路で字幕のデータが作られたのが、この「エンパイア・レコード(105分版)」でした。だからこそ使用許諾を得ず、無断で私の字幕をDVDで使った。
前代未聞の間違いです。では、今後こんな事が起こり得るでしょうか。たぶん起こりません。前代未聞ではなく、恐らく空前絶後の間違いなのです。(ちなみにハリウッドメジャー配給の作品以外でなら、いくらでも例はあります。私も他にも経験があります。そして、それも問題です。)
たった一度だけ曝け出してしまった、ほころび。
沈黙している関係者たちにとって不幸だったのは、名前を消した相手が私だったことでしょう。
今まで10ヵ月くらいこのブログを更新してきましたが、私は15年前から部外者の立場(乾された立場)で翻訳をしてきたので、幸いな事に今も仕事は途絶えません。今以上に乾される心配がないわけです。私の文章が時に攻撃的に、皮肉に感じられる事もあるとは思います。しかし「消されたクレジット」は、彼らと半年以上話した後、このブログで書き始めたものです。
時間が過ぎ、その間、ほとんど沈黙を貫く人達と、お喋りな男の言動が、印象を変える部分もあるはずです。犯罪者やスパイは軽口から尻尾を掴まれ自滅する。刑事コロンボでも、よく完全犯罪を成し遂げ、コロンボに挑戦する犯人が自滅していました。でも私の場合、この「本件」で自滅する心配は皆無です。逆に「沈黙を貫く」という方法が最もマシであると考える人達こそ、「何を隠しているの?」と思われるべきでしょう。
ところで私は何を求めているのか。カテゴリーの「はじめに」を読んでもらえば分かる事ですが、この業界は腐っている部分があります。勝手に腐っているのは自由ですが、それが映画を見る観客に影響を与えているので、嘆いているのです。
字幕の良し悪しについての議論が少し目立つようになって数年になりますが、いつまでも枝葉の話が続いてしまう。土壌の腐食が進みすぎたから枝葉に問題があるのに、その土壌の腐食について話せる人が誰もいない。私が求めているのは「話せる環境」です。観客に読んでもらう字幕を作る側の人達が、こうも揃って押し黙っているのは不自然です。
怒りではなく、嘆きです。空前絶後の間違いの結果、名前を消された私は、黙っていてよい立場ではないのです。先ほども書いたように、今でも仕事は途絶えないし、こうしたブログを書いていれば、私自身の翻訳作品への目も厳しくなるわけで、黙っていた方が楽なのです。でも、私が黙ってしまったら、もっと元気な土壌になれたかもしれない土が、あまりにももったいないです。
次は近況報告。D弁護士から私の弁護士に連絡があり、謝罪の言葉もありました。先日アップした回答に肉付けした程度ではありましたが、「本当に調べるべき事を調べる」という姿勢を感じました。そこで、私からもD弁護士に調べて答えてもらいたい質問をいくつか送り、1週間以内に、とにかく連絡して欲しいと要望しました。ワーナー・ホーム・ビデオの側の人で、このブログを読んでいる人がいたら、ぜひお願いします。「守るべきではないものを守る」ことと「守るべきものを守らない」ことを、できるだけ早く、やめて下さい。人の心を取り戻して下さい。
1つの配給会社(または販売会社)が公開(または発売)する映画に、2つのバージョンの字幕が作られる(「本件」もそれに近いです)という事は、その配給会社が関知していない場合、そうある事ではありません。
あまりにもイレギュラーな経路で字幕のデータが作られたのが、この「エンパイア・レコード(105分版)」でした。だからこそ使用許諾を得ず、無断で私の字幕をDVDで使った。
前代未聞の間違いです。では、今後こんな事が起こり得るでしょうか。たぶん起こりません。前代未聞ではなく、恐らく空前絶後の間違いなのです。(ちなみにハリウッドメジャー配給の作品以外でなら、いくらでも例はあります。私も他にも経験があります。そして、それも問題です。)
たった一度だけ曝け出してしまった、ほころび。
沈黙している関係者たちにとって不幸だったのは、名前を消した相手が私だったことでしょう。
今まで10ヵ月くらいこのブログを更新してきましたが、私は15年前から部外者の立場(乾された立場)で翻訳をしてきたので、幸いな事に今も仕事は途絶えません。今以上に乾される心配がないわけです。私の文章が時に攻撃的に、皮肉に感じられる事もあるとは思います。しかし「消されたクレジット」は、彼らと半年以上話した後、このブログで書き始めたものです。
時間が過ぎ、その間、ほとんど沈黙を貫く人達と、お喋りな男の言動が、印象を変える部分もあるはずです。犯罪者やスパイは軽口から尻尾を掴まれ自滅する。刑事コロンボでも、よく完全犯罪を成し遂げ、コロンボに挑戦する犯人が自滅していました。でも私の場合、この「本件」で自滅する心配は皆無です。逆に「沈黙を貫く」という方法が最もマシであると考える人達こそ、「何を隠しているの?」と思われるべきでしょう。
ところで私は何を求めているのか。カテゴリーの「はじめに」を読んでもらえば分かる事ですが、この業界は腐っている部分があります。勝手に腐っているのは自由ですが、それが映画を見る観客に影響を与えているので、嘆いているのです。
字幕の良し悪しについての議論が少し目立つようになって数年になりますが、いつまでも枝葉の話が続いてしまう。土壌の腐食が進みすぎたから枝葉に問題があるのに、その土壌の腐食について話せる人が誰もいない。私が求めているのは「話せる環境」です。観客に読んでもらう字幕を作る側の人達が、こうも揃って押し黙っているのは不自然です。
怒りではなく、嘆きです。空前絶後の間違いの結果、名前を消された私は、黙っていてよい立場ではないのです。先ほども書いたように、今でも仕事は途絶えないし、こうしたブログを書いていれば、私自身の翻訳作品への目も厳しくなるわけで、黙っていた方が楽なのです。でも、私が黙ってしまったら、もっと元気な土壌になれたかもしれない土が、あまりにももったいないです。
次は近況報告。D弁護士から私の弁護士に連絡があり、謝罪の言葉もありました。先日アップした回答に肉付けした程度ではありましたが、「本当に調べるべき事を調べる」という姿勢を感じました。そこで、私からもD弁護士に調べて答えてもらいたい質問をいくつか送り、1週間以内に、とにかく連絡して欲しいと要望しました。ワーナー・ホーム・ビデオの側の人で、このブログを読んでいる人がいたら、ぜひお願いします。「守るべきではないものを守る」ことと「守るべきものを守らない」ことを、できるだけ早く、やめて下さい。人の心を取り戻して下さい。
「ヘルレイザー4」の神
これもDVD版の翻訳を担当しました。以前のビデオ版をチェックしたところ楽しい誤訳が残っていました。(前にも触れましたが、劇場公開して、ビデオ化されるまで、どれだけの人が見ていたのか考えると…です。)
私も翻訳家であり、他の人の仕事にケチをつける気は全くありません。ただ、明白な誤訳が、劇場公開、ビデオ編集などの時間と手間を経て、何回かあり得たチェックの中で見落とされてしまい、訂正されない制作プロセスを直したいだけです。
この作品は18世紀、現代、未来、と話の舞台が変化します。明白な間違いは18世紀に起きました。
「今は18世紀 科学の時代なんだ」
「神も否定された」
「神がいないなら天国はない」
「天国がなければ地獄もない」
が正しい訳です。ビデオ版では
「今は18世紀 科学の時代なんだ」
「神を除いてな」
以下は基本的に同じです。
三段論法ですね。「科学の時代だから神が否定され、神が否定されたから天国はなく、天国がないなら地獄がない」簡単につながります。
「今は科学の時代だ。神は別格だけど。天国がないんだから、地獄はない」つながりが極めて不自然です。英語力の問題以前です。
それでも、これも観客の好意的な思考に助けられ、「地獄はない」というポイントが含まれているため、話は次の場面に繋がり、読み飛ばされたのでしょう。
ちなみに、原語のセリフは「This is 18th century. They got rid of God.」といった感じでした。
最初の誤訳が問題ではありますが、それがあり得る事を想定しているからチェックをするのであって、そのチェックを結果として何人がやったのかを考えると、ビデオ化されてもこの誤訳が残っていたのが残念です。
念のため言っておきますが、この作品も、ここだけではなく全面的に翻訳し直してあります。「時間的制約」云々と言う前に、情報の整理をした訳と、そうでないものの比較が出来ます。(DVD版の訳は情報の整理を充分したつもりです)
私も翻訳家であり、他の人の仕事にケチをつける気は全くありません。ただ、明白な誤訳が、劇場公開、ビデオ編集などの時間と手間を経て、何回かあり得たチェックの中で見落とされてしまい、訂正されない制作プロセスを直したいだけです。
この作品は18世紀、現代、未来、と話の舞台が変化します。明白な間違いは18世紀に起きました。
「今は18世紀 科学の時代なんだ」
「神も否定された」
「神がいないなら天国はない」
「天国がなければ地獄もない」
が正しい訳です。ビデオ版では
「今は18世紀 科学の時代なんだ」
「神を除いてな」
以下は基本的に同じです。
三段論法ですね。「科学の時代だから神が否定され、神が否定されたから天国はなく、天国がないなら地獄がない」簡単につながります。
「今は科学の時代だ。神は別格だけど。天国がないんだから、地獄はない」つながりが極めて不自然です。英語力の問題以前です。
それでも、これも観客の好意的な思考に助けられ、「地獄はない」というポイントが含まれているため、話は次の場面に繋がり、読み飛ばされたのでしょう。
ちなみに、原語のセリフは「This is 18th century. They got rid of God.」といった感じでした。
最初の誤訳が問題ではありますが、それがあり得る事を想定しているからチェックをするのであって、そのチェックを結果として何人がやったのかを考えると、ビデオ化されてもこの誤訳が残っていたのが残念です。
念のため言っておきますが、この作品も、ここだけではなく全面的に翻訳し直してあります。「時間的制約」云々と言う前に、情報の整理をした訳と、そうでないものの比較が出来ます。(DVD版の訳は情報の整理を充分したつもりです)