それは主観だと思われます…。

字幕とは縁遠い話ですが「思います」と「思われます」。

最近の使い方だと「〜と思われます、と思います」とか「〜と思います、と思われます」なんて言う人も出てきそうな勢いです。

この表現「思われます」をよく耳にしたのは、私の場合、ニュース23の筑紫哲也氏の多事争論というコーナーの終わりでした。筑紫氏は「これは主観ではあっても、かなり様々な視点から考えて、恐らく客観的な結論がこうなるでしょう」という思いがある時に「〜と思われます」と言っていたと思います。彼はキャスターですから客観性は高かったと思います。

それでも「多事争論」は彼の主観で話すコーナーだったので「〜と思います」でもよかったのではないかと私は思います。いずれにせよ私にとって一番印象に残る「〜と思われます」が、このコーナーの「〜と思われます」でした。

これこそ私の主観ですが、この「思われます」の使い方が、いつしか大勢の人に――情報の発信者、受け手のどちらにも――影響していって、単なる主観で語る人が「〜と思われます」と言うようになった気がします。

表現も時代と共に変化するものだし、「〜と思います」を「〜と思われます」と言う場合、その人は、少なくともその人なりに精一杯客観的に物事を見た上で「〜と思います」という意見を言っているのだな、と思えばいいのですが、元から「〜と思います」と言えば?と、ヘソ曲がりな私は思うのです。

「〜と思われます」って聞くだけで、「誰と誰と誰と誰が思ったと思うわけ?」と、いちいち突っかかっていきそうになってしまう困り者です。

まあ、私のこのブログに対してこそ、突っ込みたくなる人が多いのかもしれませんが。