東郷青児‐翻訳ブログ図

東郷青児-翻訳

 

 ジャン・コクトー(1889-1963)は詩人としてよりも特異的な線描きのイラストで知っていた。もちろん映画も作り小説を書いていたのも知ることになったわけだが、ことばに対して鈍感な番頭としては、詩などには近寄らなかったなかった。コクトーを目の前にとらえることとなったのは、やはり澁澤龍彦によるものである。澁澤の初めての出版物はコクトーの小説「大股びらき」(1954年、白水社世界名作選)である。その後、出帆社のコクトーの全集など、様々な形でコクトーと接することになったが、やはりまともに読んでいたわけではない。

 話しが変るが、絵描きであり、フランスに長くいた東郷青児は子供のころから、きれいな絵の書き手として知っていた。九品仏に住んでいた伯母や、父親が東京に出たときに土産として買ってきた自由が丘のモンブランのケーキに東郷青児の絵がついていたからである。青児は色々なケーキ屋の包み紙のデザインなどをずいぶんしていたことを後になって知った。東郷の絵はきれいなデザインとして番頭の頭に残っているが、ずいぶん前になるが、神田の古本屋で戦後二年後のきれいな装丁の本にであった。本文は仙花紙というのであろう茶色くすぐくずれそうだ。東郷青児自装の随筆集「六号列車の女」(1947年)である。文章も書くしきれいな本を作る人だと思い、それからだと思うが、東郷青児がジャンコクトーの小説を訳しているのを知った。「怖るべき子供たち」である。

 そして、今、その大元の本でこの小説を読んで見たくなった。インターネットのオークションというのは便利なものだ。初めて使い始め、とうとう手に入れた。ただすぐに破れそうなカバーの本ではあったが、カバーを外せば彼自装のきれいな本である。

 「怖るべき子供たちLES ENGANTS TERRIBLES」(東郷青児訳1930年、白水社)である。日本でのコクトーの初めての小説である。詩は堀口大學らの訳がすでに出ていた。ジャンコクトーが40歳、1929年に出した本であるから、次の年には青児によって日本に紹介されたことになる。青児は1897年生まれ、コクトーより8歳下になる。36歳での訳である。

 一気に読んだ。この本が出た時には「恐るべき」と言うことばがはやったということであるが、内容は当時の泰西の若者の話しで、今、それほど驚くようなことではなかったが、面白かった。青児の線描きの絵がたくさん入っている。ゆったりとした活字の組み方で、紙にも当時としては凝ったものである。

 この本の装丁、表紙には白い玉があしらわれ、裏表紙には黒い玉が書かれている。デザインだけのものかと思ったら違った。この本には、本とまったく同じ装丁で、幅9.5 高さ12センチの小さなホッチキス止めのパンフレットがついている。全16ページで、見開きには青児の写真と、青児が書いたのか?コクトーの顔の絵があり、中には9名の画家、小説家、翻訳家、評論家の推薦文がのっている贅沢なものである。名前を全部掲げてしまおう。有島生馬、堀口大學、中川紀元、小林秀雄、楢崎勤、堀辰雄、阿部金剛、辻野久憲、九野豊彦である。そこで堀口大學が書いている。物語が雪の玉からはじまり、毒薬の玉で終わる、それを青児は表紙に表現したとある。この後書きに面白いことがある。発売前、1-200番号入り署名本を作ったところ予約がそれ以上になってしまったとある。どこかに番号入り署名本が眠っているに違いない。

 昭和22年に新書になった「恐るべきこどもたち」も青児自ら装丁をしている。

青児は1921年から1928年までフランス、リヨンとパリにいた。24から31まで7年と長い間である。さらに、コクトーが1936年に日本にきた。きっとパリや日本でコクトーと会っているに違いないと思っていた。

ところが違った。コクトーが八十日間世界一周という、新聞社からの取材依頼で日本に寄った時のことが書かれた「コクトー、1936年の日本を歩く」という本をみつけた。西川雅也の著書である。コクトーがその時、誰にあったか、何を見たか、詳しく書かれている大変な労作である。それによると、フランスでも日本でも東郷青児はコクトーに会っていないという。日本でコクトーは数え切れない人とあっているようだ。この本が出たことで、コクトーの名が日本に知れ渡ったわけで、コクトーは青児と会おうとしなかったのか、青児はなぜ会わなかったのか、会えなかったのかその事情はなぞのようだ。

 

 さて、1931年、青児は白水社からまた一冊の本を出している。「戀愛株式会社」である。この装丁も青児が自ら行なっており、赤を基調としたハイカラな表紙である。この本にはなぞがある。ともかく、これも半分壊れそう状態の本だがオークションで手に入れて一気に読んだ。作者はモオリス デコブラのようだが、東郷青児が作者でもあるようだ。開いた裏に「モオリス デコブラの原著に拠る」とある。奥付には訳著者東郷青児とある。「怖るべき子供たち」の奥付には翻訳者となっている。「恋愛株式会社」のページの最後に白水社の出版本のリストが載っている。コクトーの本は「怖るべき子供たち」東郷翻訳になっているが、デコブラの本は東郷青児「恋愛株式会社」になっていて、デコブラの名前がない。東郷青児が著者のような書き方である。さらに、裏表紙にREN-AI CO.LTDと書かれている。デコブラの何を訳したのか分からない。国会図書館で検索指定見ると、両者が作者として登録されている。この本は東郷青児翻案だろうと推測した

 それではデコブラ(1885-1973)とは何者なのか、。それが意外なところで名前をみた。先に書いた西川雅也の「コクトー、1936年の日本を歩く」にでてきた。当時はコクトーよりも名の売れた小説家のようだ。パリ警視庁賞という探偵小説の賞を1951年にとっている。かなりの日本語訳もあるがデコブラは日本に定着しなかった作家ということである。

 「恋愛株式会社」はニューヨーク舞台に莫大な遺産がはいる未亡人に、落ちぶれたフランス男を伯爵に仕立て、恋を仕掛け結婚させ、遺産の分け前に預かろうという、出資集団、恋愛株式会社の話で、殺人のない探偵小説として、当時の世界を知ることができ面白く読んだ。しかし結末のあり方はしょっと興ざめであった。マリにも感傷的におわりすぎている。

 この本には白水社出版月報部行の葉書がはさんであった。東郷青児氏肉筆色紙抽選券がある。肉筆色紙20名、署名入彩色挿し絵四葉一組20名、署名入り単色挿し絵12葉一組、100名とある

 

 ところで、この二冊、翻訳の文体も全く違うが、活字の組み方など本の作りが全く違う。「怖るべきこどもたち」は1ページ13行39文字 ゆったりしたものだが、「戀愛株式会社」は15行45字でふりがなが振ってあり、ずいぶん細かい。フォントの種類は草片番頭にはわからない。さらに、前者の奥付には発行者福岡易之助とある、大正14年(1915年)白水社を個人経営として始めた人である。一方後者の奥付は発行者株式会社白水社になっている。一年で随分形の違った本になっている。白水社百年のあゆみ出版物総目録(2015年)によると、創業者が昭和6年2月亡くなり、昭和5年3月個人出版社が法人化され株式会社白水社になったとある。白水社にとってこの二冊は節目に出た本である。

 

 おまけを書いておこう。東郷青児自身は探偵小説は書かなかったのか。これもみつけた。エロティックミステリー創刊号(1959年)に「靑犬亭」という小説を書いている(P108-121)。コクトーの翻訳と似た雰囲気のしゃれた文体であった。二葉の挿絵がある。

 
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