針鼠の本棚

本だけではありません。

蒐魂閑話ブラジルワインとカシャッサ図

いつだったでしょうか、お酒の茶系陶器ミニボトルが好みなのですが、ネットのお酒のオークションを見ていたとき、大きなものですが、横から見ると、注ぎ口が飛び出した半円状のもち手のある茶色の陶器瓶がでていました。幅はそんなにありません。そのとき、ふっと、シビンみたいと笑いがこみ上げたのですが、頭の中にその形状が染み付き、ともかく提示されている金額で入札しておきました。

それが落札となり、家に届いた酒瓶を見て、やっぱり面白い、ブログに載せたいと思って、書かれている文字を解読しました。

 片一方の横に丸いラベルがあり、海辺の崖の上の家、それに船着場の絵があり、そこに大きくVillageとあります。「村」と言う名前のお酒なのでしょうか。

 下にVINHO TINTO DE MESA SÉCOとあります。ポルトガル語のようでワイン、赤 テーブル、ドライになります。ボトルの内容はドライのテーブル赤ワインということです。

 丸いラベルの周りに細かな字がかかれており、アルコール度数11.3、容量700mlです。

Produzipo e engarrpafado por: Vinhos Pagentini生産と瓶詰めにしたのはブラジルのVinhos Pagentiniという知られたワイナリーです。Andradas MG、ミナスジェライス州アンドラダス市のAlto Alegreにあります。ワインの街としてしられているとのことです。

ミナスジェライス州はブラジル東南部で、サンパウロ州に隣接する大きな州だそうです。イタリアからの移民が多く、ブドウの生産が行われているところだそうです。

いつごろのものかわからなかったのですが、いつか栓を開けてみようかと思っています。

 ワインの話から、ブラジル特有の蒸留酒の話になります。素焼きの特有の形をした大きなボトルをみて、これはなんだろうと言うところから、知ることになったお酒です。ネットで購入しました。

これは500年の歴史のある、ブラジル特有のカシャッサまたはカシャーサと呼ばれるサトウキビのお酒でした。度数は38から48%とかなり強め。日本ではあまり浸透していませんが、ウオッカと同様、年間消費量がとても多いそうです。まだ口にしていませんが、甘味のある酒で、ブラジル産業の要であるサトウキビを煮て砂糖をとる過程で、出てきたもの()が発展して、つくられた酒と言うことだそうです。

サトウキビから作る蒸留酒に西インド諸島のラム酒があり、材料は同じですが、ラム酒がサトウキビの糖蜜を主な発酵原料にするのに対し、カサッシャはブラジル産にかぎられたサトウキビの絞り汁を直接発酵させて作るという違いがあるということです。

ネットで手に入れたこの素焼きのボトルはNEGA FULÔ(ネガフロ)とあり、38%のカサッシャで、700mlです。ネガフロはブラジルの著名なカシャーサで、90%が海外向けだそうです。FAZENDA SOLEDAEL TDA(ファゼンダ ソレーダ農場)で生産瓶詰めされたものです。ここは1827年からの歴史ある農場だそうです。

カシャーサの陶器のベビーボトルもみつけました。120ml、44%と度数の高いものです。Minasのカシャーサとあります。ブラジル南東部、ミナスジェライス州の酒のようです。ミナスジェライスとはいろいろな鉱山という意味だそうで、一時、金やダイヤモンドの発掘でにぎわったということです。サッカーのペレ選手の出身地だそうです。

カシャーサ51というミニボトルを手に入れました。カシャーサ51はサンパウロ州ビラスヌンガで作られています。観光都市として知られているところだそうです。なぜ51か、カシャーサはブラジルの木材でできた樽で熟成させますが、おいしくできた樽の番号からつけたものだそうです。ブラジル全土に広くいきわたっている著名なブランドだそうです。

カシャーサはまだ飲んでいないと書きましたが、ブラジルではカクテルにして飲むことが多いそうで、ネットには伝統的なカクテル「カイピリーニャ」がお薦めと書かれていました。

 

 


鏡花賞8-1清水邦夫(1980,昭和55):図

 第8回(1980年)泉鏡花賞受賞は二作で、一つは清水邦夫の「わが魂は輝く水なり」と森万紀子の「雪女」である。

清水邦夫(1936年11月17日―2021年4月15日)の「わが魂は輝く水なりー源平北越流誌」は1980年2月8日に講談社から出版された。四六判カバー、246P。

源平合戦時代、平家の武将である斎藤実盛を主人公とした話で、劇団民芸のために1980年に書き下ろされた戯曲であり、宇野重吉演出で上演されている。

それから二十数年後である2008年に蜷川幸雄の演出により再演され、渋谷の文化村シアターコクーンで上演された。

主人公の斎藤実盛は忠誠心の厚い武将であり、源氏に滅ぼされた後も語り継がれている人間である。

清水邦夫の戯曲はいろいろなところで上演されているが、演出家の蜷川幸雄とのコンビが、一時途切れたが、長く続いた。

2008年のシアターコクーンで上演された「わが魂は輝く水なりー源平北越流誌」のパンフレットも手に入れたのでここにのせておく。実際にみたわけではないが、実盛は野村萬斎、実盛の息子、五郎の幽霊は尾上菊之助と狂言、歌舞伎の著名人が出演している。

清水邦夫は戯曲家として知られる人だが、小説作品は芥川賞候補に何度もなっている。


 


蒐魂閑話:ウシュクベ1-ストーンフラゴンミニボトル図
蒐魂閑話ウシュクベ2-グラスミニボトル図

古いスコッチにはいい形の陶器のボトルをもつものが多い。その大昔、人類は土器を器として作り出し、それが進化して、陶磁器に発展します。一方で、土から作った土器より、高価なガラスで器をつくるようになります。

お酒が甕に果物を入れ発酵をさせた水としてはじまったわけですから、ウイスキーにしても、土を焼いた壷で広まったのは納得がいきます。

透明なガラスに入れたほうがウイスキーは状態もよくわかりきれいなものです。一方で、土からつくられた土器、陶器にいれられたウイスキーは、昔からのじっくりした味わいを感じることができます。

これを書いている番頭は陶器のウイスキーの入れ物にとても魅力を感じています。そういうことで、古いウイスキーの陶器の容器に魅せられて今になります。なかでもキングオブキングスを何回かブログで取り上げました。イモンクもとりあげました。

同じように、特に古い茶色と白の陶器にはいった著名な古いスコッチがあります。ウシュクベです。ハイランドのスコッチで、1768年に作り出されたウイスキーです。「The Usquaebach」と、ロスとカメロン社によって1876年に商標登録されたということです。その土地で長く作られていた酒が、世界に広がる基盤ができたわけです。

 ウシュクベという語については、いろいろなところで記されていますので、そちらで詳しく見ていただきたいと思いますが、

古代ゲール語で「生命の水」という意味だそうです。発音は

「ウースケベバー」でそれがウイスキーの語源だとも書かれています。生命の水を飲むという雰囲気はとてもよいとおもいませんか。

陶器ボトルはセラミックボトルとかセラミックウエアーとかかかれますが、ウシュクベの陶器ボトルはストーンフラゴンと書かれているものを多く見ます。

ボトルの裏面を見ますと、どれにもDouglas Laing & Co.Ltd. Scotland for Tweleve Stone Flagons Ltd. U.S.Aの文字がはいっています。

ウシュクベは1768年に作り出され、最初の会社としては1876年のロス&カメロン社ですが、その後、会社はいくつも変っています。さらにだいじなこととして、ウシュクベはシングルモルトとして発売されたのですが、1926年にウィリアム・グリゴール&サンズ社に変り、ブレンドウイスキーとして発売されました。さらに1969年にアメリカのトゥェルブ・ストーン・フラゴンズ社に商標権がうつります。スコットランドで作られて、アメリカで発売が始まったということです。

ブレンドはスコットランドのダグラス、レイン社がはじめました。1973年からということも書かれています。ブレンドはその会社が長く続けます。

ということで、ウシュクベの陶器ボトルがストーンフラゴンとよばれるのはこの会社の名前からなのでしょうか、どうでしょう。

手元にある4つの陶器のボトルにはこの会社とブレンド会社両者の文字が焼き付けられています。

1990年になりますと、ブレンド会社が、ホワイトマッカイ社になることから、4つのボトルは1973年から1990年のものと考えていいのかもしれません。

2005年度になると、会社はコバルトブランド社になります。

ここに書いたウシュクベの会社に関しては、ネットを中心に調べた結果で、研究書を開いたわけではありませんので、年号など正しいかどうか分かりません。持っている陶器のウシュクベミニボトルがいつごろのものか考えてみたかったからちょっと調べただけのものです。

陶器のウシュクベは瓶のものより熟成年数が長く特別です。ネットには27年熟成の原酒をつかっているとあります。貴重なものです。

陶器のミニボトルには正面にウイスキーの名前、国、会社などがかかれていますが、裏面に何年ごろのボトルか分かる記述があります。持っている4本のボトルのうち、2本はover 170 years of traditionsとあり、一本はover 221 years,もう一本は225 yearsとあります。ウシュクベがつくりだされたのが1768年ですので、そこから考えると、170年後は1938年(昭和13年)221年後は1989年(昭和64年)225年後は1993年(平成5年)となります。しかし瓶に記載のアルトゥエルブ ストーン フラゴン社が1969年(昭和44年)からですので年数があいません。Over 170 years of traditions はいつからのことなのか、なぞとして残ってしまいました。

この陶器ボトルは個性があり、置いておくといい景色になります。

 

ウシュクベにはガラスのミニボトルがあります。なかなかネットにはでてきませんが、昨年一本見つけました。12と赤く書かれた小瓶でそれなりに珍しいもののようです。ところが今年(2026年)にネットの酒屋で、ウシュクベのミニボトルのセットがありました。購入してみると先に書いた225年の陶器ミニボトル1本と、15年、8年デラックス、リザーブ、スペシャルの四種類のミニボトル、計5本が透明のプラスチック容器にはいっていました。これも貴重なもののようですので、ミニボトルは他にも種類があるのかもしれませんが、所蔵しているものだけですが、ガラスのミニチュアボトルとして図2にまとめてみました。

ここで撮った集合写真の並べ方は後で考えると順番は間違っているようにも思えます。ランダムに並べたものと見てください。

さて、先に書いた赤く12と書かれたスペシャルのボトルだけ40%であとはみな43%です。12と書かれたラベルにはカタカナでウイスキーとはいっており、裏にあるラベルにはニッカウヰスキー輸入とあることから、この表のラベルは日本むけに印刷したものでしょう。セットのものはすべて43%でした。度数は多いほうが古いボトルとは限らないようで、同じ種類のウイスキーでもまぜてある原酒によって変るようです。瓶そのものをみると、12と赤字で書かれている40%スペシャルのほうが古いようにも見えます。プロではないので判定は控えておきます。

ウシュクベの熟成をネットで見ますと、スペシャルは12年、リザーブは18年、デラックスは8年、それに15年(オーク樽)のようです。

このように歴史を含め、ボトルから見えてくることを考えることも楽しいものです。

 


泉鏡花賞7b:金井美恵子図

 第7回(1979年,昭和54年)の泉鏡花賞は二作で、眉村卓の消滅の光輪と金井美恵子のプラトン的恋愛であった。

金井美恵子(1947.11.3-)は番頭とひとつ違いでしかない。若いころ短編集「兎」を読んで面白いと思った記憶がある。すでにその本はないが、兎の絵が白い表紙にぽっとあって、その本のようなさっぱりした装丁が好きで、買って読んだのだろう。

1978年に講談社から出版されたプラトン的恋愛は11の短編集で、読んだのは受賞してからかなりたってからだと思う。

最初の短編が「プラトン的恋愛」で、その後に続くタイトルを書いておくと、「桃の園、二つの死、才子佳人、アルゴス、年齢について、木の箱、日記、公園の中の水族館、花嫁たち、もう一つの薔薇」である。

プラトン的恋愛を読んでみよう、小説を発表するたびに、なぞの人物(筆者は彼女、女性だと思っている)、から、「それは私が書いたのだ」という手紙がとどく。主人公は作家のようだ。その手紙の送り主を想像することで、書くということの幻想性を読者に伝えようとしているのではないだろうかと思う。

結局は自分の頭の中に住んでいる、もう一人か、無数かわからないが、その人物が話のストーリーを生み出し、自身は万年筆、今ではコンピューターが、紙の上にそれを展開していく、と考えているのかもしれないが、頭の中に住まわせている人物を養うのは、頭の持ち主で、持ち主の頭の中の人物たちの体格をいい形に育てる能力があるからこそ、面白い話が指先から生まれるのだろう。

出来上がった作者による作品というのは、読者が読んで、その想像力で、作者の作品にいろいろなものをくっつけて、作者の考えていなかった作品になるといっているようだ。世に出た小説は世の中が作り出したものとなるわけだ。だが、作者の作品が読者をひきつけ、読者の頭を育てあげなかれば、そうならない。これも、作者の頭のなせるわざだ。いずれにしても、作者の頭がその話をうみだしたことになる。

ここに書いた文章、単純な脳しか有していない自分にとって、判りにくいものになってしまったと思っているのだが、ただ言いたいことは、金井美恵子のこの本は魅力のある小説集ということである。

 後で買い換えたサイン本には、プラトン的恋愛の中の、重要な句節、「わたしの(わたしたちの)夢に吊るされて」、が名前と共に記されている。

金井美恵子の姉である金井久美子は画家であり装丁かである。この本の装丁もおこなっている。5年後の1982年に出版された講談社文庫のカバー画も金井久美子である。

文庫の解説は秋山駿がおこなっている。金井は19で書いたものが本になっている早熟の作家であるとかいている(19で本を出したからということではない)。この解説も言いたいことは分からないこともないが、金井美恵子の文にまけないように書いたのじゃなかと思ってしまった。

 僕の頭はかなり単純なことばしか持っていないし、単純なものしか理解できないと、これらから感じたわけである。皆さん、是非この泉鏡花賞受賞作読んでください。

 


蒐魂閑話:クラックル瓶ー桃川原酒図

日本酒、桃川のクラックル瓶、桃川原酒200mlを202510月にクラックル瓶-清酒桃川としてブログに載せたばかりですが。今回、新たに桃川原酒のクラックル瓶が手に入りましたので、前のものは削除して書き直し、再掲載したいと思います。

 

 昔のオールドパーの茶色のクラックル模様の瓶(クラックル瓶)は好きな瓶です。明治に日本にはいってきたオールドパーの瓶は、昭和になって作られ始めた日本のウイスキー会社でも似た瓶のウイスキーを発売するようになりました。よく似ているのは三楽酒造から発売されたサン ラックです。蒐魂閑話で日本のクラックル瓶ウイスキーとしてすでに取り上げました。

クラックル瓶は昭和の薬酒、果実酒などにも使われていますが、とても珍しいものがメルカリにでました。青森の古くからある日本酒の原酒がオールドパーに似ている茶色のクラックル瓶で発売されていたのです。「桃川原酒」200mlのボトルです。さらに、2026年、今度は650mlの桃川原酒クラックル瓶がヤフオクにでていて、落札しました。

 

清酒「桃川」は今でも青森の奥入瀬川沿いにある日本酒メーカー「二北酒造」でつくられています。会社の歴史をみますと、「桃川」は1889年に設立された村井酒造店が製造を始めたのですが、1944年にいくつもの蔵元が統合されて「二北酒造株式会社」となった結果、清酒桃川は「二北酒造株式会社」で作られる酒となったわけです。

クラックル瓶の日本酒は「二北酒造株式会社」の桃川工場で作られた、清酒桃川の原酒ということになるとおもわれます。

いつごろ発売されたのか調べてみたのでが、全く分かりませんでした。「二北酒造」は1984年に「桃川株式会社」と社名がかわります。ということは、「桃川原酒」のクラックル瓶は1944年から1984年の間に作られたものということになるのでしょうか?

原酒のラベルの住所は青森県上北郡百石町になっていますが、今の住所は上北郡おいらせ町です。百石町2006年にとなりの町といっしょになり「おいらせ町」になったそうです。

桃川の酒は奥奥入瀬川の水を仕込み水としてつかており、奥入瀬川は「百石川」と呼ばれていたことから、百(もも)を桃にかえて「桃川」が誕生したとも書かれています。

桃川酒造は、多くの賞が山づみにされている隆盛を誇る酒屋です。現在も清酒桃川はいろいろな種類が発売されています。「桃川」が、どのような味がするものか飲んでみたくなりました。ネットで見ると、三種類の「桃川」小瓶のねぶたセットが売りにだされていました。

青森の夏のお盆時期のねぶた祭りはあまりにも有名ですが、三つの有名なねぶたの舞台があります。五所川原のねぶた、弘前のねぶた、それに青森市のねぶたです。

ねぶたセットの桃川の種類は桃川純米酒、ねぶた純米酒、桃川にごり酒です。飲みなれない日本酒の評価などできるわけはなく、ただ、うまい、としかいえません。

それにしても桃川原酒のクラックルボトルがどのような経緯で作られたのか、どなたかご存じないでしょうか。よろしくお教えください。

日本酒における「原酒」は製造過程で加水していないお酒です。普通の清酒と少し異なる雰囲気のお酒です。加水していないので、アルコール度は高く、20%近くにもなるものもあります。楽しみ方が、いろいろあって、ウイスキーと同じように、ロックや炭酸で割って飲んだりすることもいいということです。

蒐魂閑話:桃川にごり酒ーかっぱ酒図2新

原酒とは違いますが、少し度数が高く、糖分の高いにごり酒という日本酒もあります。甘味もありますが、甘酒とは違い、清酒のすっきりした部分も後口に残ります。

桃川には二種類のにごり酒があります。にごり酒はもろみをろ過するときの布が少し粗いので、粕が混濁した状態の甘みの強いものになるようです。白く濁っていますが上澄みだけを楽しむのと、混ぜた白濁の状態のものを楽しむという二つの味わい方があるそうです。混ぜたものは甘みがつよくなります。どちらも飲んでみました。

 辛口の好きなほうですが、甘い酒と割り切って味を楽しむのは嫌いではありません、興味をもって調べると、桃川には「にごり酒」のほかに「にごり原酒」というボトルがありました。前者は15度、原酒の後者は20度です。にごり酒原酒は甘酒の感覚で飲みました。

 調べを進めていくと、桃川のにごり酒の入った面白い陶器ボトルを見つけました。カッパの形をしているものです。古牧河童酒です。お猪口が頭になります。手元には新旧二種類あります。河童の焼きとデザインが少し違うのと、キャップの印刷がちがいます。一つのキャップには清酒二級、もう一つには清酒佳選とあります。1989年に国税庁が1級、2級、特級を廃止したので、二級と書いてある河童は1989年以前のものでしょう。級を廃止してからも佳選として表示する酒があったそうです。新河童ボトルの空瓶が二本ありますので、計四本の河童陶器瓶があることになります。誰のデザインか分かりません。

ここにあるものには箱がありませんが、本来は箱があるようです。ネットで見ると、箱に変った現代的な黒いカッパの絵があります。調べてみると、古牧温泉の酒です。古牧温泉は青森の三沢駅から近くで、三沢市上北郡六戸町に広がる地域になります。そこにはカッパ沼があります。岡本太郎が製作した未来宇宙形の黒いカッパ像があります。箱にその河童像がかかれています。

六戸の東が上北郡おいらせ町になります。そこに桃川酒造があります。そのような関係から、古牧温泉でカッパの陶器の桃川が販売されたのでしょう。廃盤になっているようです。

珍しい日本酒のクラックル瓶とおもしろい陶器の酒瓶のお話です。


泉鏡花賞7a:眉村卓図

 第7回(1979年,昭和54年)の泉鏡花賞は二作で、眉村卓の消滅の光輪と金井美恵子のプラトン的恋愛であった。

眉村卓は1934年生まれ(1934.10.20-2019.11.3)、受賞作の「消滅の光輪」は45歳のときの作品である。出版社は早川書房、四六判の597ページという長編である。イラストは佐治嘉隆。佐治は1974年生まれのSFマガジンなどでも活躍するイラストレーター。

「消滅の光輪」は人類の植民星の太陽が消滅しようとするとき、その惑星の全地球人を他の星に移動させる司令官の物語である。1970年代から80年代に書かれた司政官シリーズの一つである。

眉村卓の最初の本は早川のSFシリーズ「準B級市民」1965年であり、その後、たくさんのSFを書いている。ショートショートも、星新一の倍ほども書いていて、3000に達するという。多くの賞を受賞しているが、泉鏡花賞受賞作の消滅の光輪は星雲賞も受賞している。星雲賞は毎年行われている日本SF大会参加者の投票でえらばれるものである。

消滅の光輪はその後、1981年に早川文庫の三分冊になった。

早川ポケットブックとして、前術の「準B級市民、HPB3095、1965」からはじまり、1968年の「万国博がやってくる、HPB3175」、1969年「虹は消えた、HPB3234」、1971年「時のオデュセウス、HPB3270」の4冊がある。

 


蒐魂閑話white rock-nisinomiya図

White Rock と書かれた茶と白の空ボトルを最初ヤフオクで、次に二つメルカリで購入しました。いずれも2024年のことです。キングオブキングスの形と茶白配色のボトルが好みであり、イモンクスや、形は違うがウシュクベなどのミニボトルがたくさん集まってしまいました。

 このホワイトロックも茶と白の陶器ボトルなので買ってしまったというわけです。レアーなどの単語もついて売られていました。しかし、どのようなものかよくわからないウイスキーです。絵には山々の前におそらくトナカイと思われる鹿が飛び跳ねています。

古いハイランドのウイスキーとあり、さらに、成熟した適切な蒸留装置によるハイランドのモルトウイスキー(複数)のブレンド(と訳してみました)、ともかくそういうウイスキーだということが書かれています。

 ということで、ホワイトロックはイギリスのハイランド地方のウイスキーということです。ハイランドはイギリスの北の地域で、土屋守氏による「モルトウイスキー大全、改訂版」によると、ここには蒸留所が42もあると書いてります。番頭もシングルモルトを一時よく飲みましたが、今棚にあるのは「グレンユーリーロイヤル」です。この蒸留所は今はなくなってしまいました。

 ともあれ、ホワイトロックは複数のモルトを使用しているので、ブレンドウイスキーといえます。しかし、スコッチにホワイトロックなるウイスキーはなく、日本のメーカーが作り出したものだろうと想像がつきます。

 それで、まず、最初のボトルに書かれていることを読みますと、ボトルにつめたのはNisinomiya shuseiとあります。西宮酒精でしょう。西宮といえば兵庫の日本酒が江戸時代より作られていた、お酒の西宮地区と考えられるのではないでしょうか。

 酒精というのは、アルコール、エタノールなどのことで、それを生産する会社と考えてよいでしょう。そういった会社が、イギリスからハイランドモルトを取り寄せブレンドしたということなのでしょうか。

 西宮酒精をネットで調べると単体では出てきません。でてきたのは「灘五郷」です。灘の酒です。それは兵庫県の灘地方にある5つの酒の山地とあります。それは西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷で後者二つは西宮市です。ここで西宮がでてきました。

江戸時代からの歴史を読みすすめると、灘五郷の蔵元(近代)のリストが出てきました。そこの西宮郷に西宮酒精がありました。

西宮酒精として設立。1964年に合同酒精に合併され、同社の灘西宮工場となる。

 とありましたた。そこで、合同酒精と併合したとあるので、合同酒精をひいてみます。

 要約するとこうなります。明治33年北海道旭川市にできた日本酒精製作株式会社が民間初のアルコール製造を始める。大正13年北海道のほかの三社と合併し、合同酒精株式会社を設立する。昭和39年西宮酒精を吸収し、灘西宮工場を建設。平成15年オエノンホールディング株式会社に名前が変更、

子会社合同酒精株式会社を設立。と今につながるわけです。

 このように、いつ設立されたのか分からないのですが、合同酒精に合併される1963年以前までは存続していたわけですから、ホワイトロックは1963年より古い陶器の可能性があるわけです。とすれば、六十年前のものとなります。わが家にあったキングオブキングスの空瓶は、そのころ、父親がもらってきあものでしょう。高級感のあるキングオブキングスに似たような瓶を作った可能性も考えられなくもありません。

 さらに、山並みとトナカイの絵がどうして描かれたのでしょうか。ハイランドは確かに寒いところかもしれませんが、トナカイとはあまりむすびつきません。しかも山並みとすると、どうしてもカナダや、無理しても北海道あたりです。そもそも、なぜホワイトロックなのか、白岩さんか、それとも氷のイメージか。

 購入した大瓶の二つは発売された時期は明らかに違います。最初のものは、絵のトナカイが大きく山並みが小さいのですが、後のものは山並みが大きく、前で跳ねているトナカイが小さい。さらに、前者は裏の文字の中のNishinomiya syuseiが後者はNishinomiya cyuseiと間違っています。最も大きな違いとして、後者はYokoyama 株式会社という販売会社がかかれています。このことから、最初のボトルは西森酒精そのものがボトリングと販売を行ったものということがいえるかもしれません。

 ミニボトルのほうは、絵は前者とおなじですが、販売会社のYokoyamaがはいっていますので、後者と同じ時期のものだろうと思います。

 ともかく、謎のウイスキーです。西宮酒精もわかりません。身の回りで利用できる本とネットしか利用していないので、怠慢なことですが、どなたか、このウイスキーについてご存知の方がいらっしゃいましたら、後教唆ください。

 得体の知れないウイスキー、謎の酒、それもまたおもしろいものです。

 


プルチネッラー小島てるみ+ISOLABELLA図

昔のことになるが、澁澤龍彦、中井英夫の新しく編纂された本はないか、幻想系の面白そうな本がでていないか、期待を抱いて職場の帰りに本屋によることが多々あった。ただそれなりの本がおいてあるところは、やはり都心に出なければならない。通勤途中ではなかなかいい本には出合えなかった。

 2008年、仕事をはじめて36年、職を辞するまであと7年、還暦の頃である。仕事の関係で都心に出たときに、本屋で面白タイトルの本にぶつかった。新宿の本屋だったかもしれない。

それは、小島てるみの「ヘルマフロディトスの体温、ランダムハウス講談社」である。ヘルマフロディトスとはハーマフロディテ(hermaphrodite)のイタリア語で両性具有者の意味がある。澁澤龍彦が夢の宇宙誌の中でも、生物学的な成り立ちを説明していたのには驚き、尊敬に至った事柄である。その点の生物学的説明に興味のある方には、コロナ社の「性差の人間科学、2008年」があることを記しておこう。

 小島てるみの「ヘルマフロディトスの体温」は、性に関して、体は男か女であるが、自分の性の認識が逆である人々、自認が両性の人、からだが両性の人(これがヘルマフロディトス)とそういった人が織り成すイタリアの古い時代の教師と弟子の人間模様を書いたものである。それが当たり前の世界としてかかれており、性の主義主張の話ではない。この作者はとても明晰に性を考え、科学的でもあり、文も簡潔で、帯に小池真理子のコメントが載っているが、翻訳体でかかれた幻想小説のようとある。いうなればロジカルで、かつ登場人物は人間らしい柔軟な頭を持っている。作者がそうなのであろう。とても読みやすかったしおもしろかった。

 さらに知ったことは、これはおどろいたことに、もう一冊、別の出版社から2008年同時に本を出していた。それが「最後のプルチネッラ、富士見書房」である。イタリアの古代にさかのぼったところの、二人のこどもが道化師プルチネッラになるまでの話である。貧民窟の大道芸人デプルチネッラになる男の息子、大劇場の著名なプルチネッラの孫、その二人に幻想の人間たちが絡み、分かりやすくもあり、読み応えもあった。いい本である。

 この作者、イタリアでイタリア語で本をだしているという。どのような本か知らないが呼んでみたいとは思うが、イタリア語ではわからない。

 さて、この二冊の6年後、2014年、「ディオニュソスの蛹、東京創元社」を出版している。これも読んだ。イタリアで育った絵を描く少年と、兄弟ではないかと思われる芸術に関わるアルジェンチンの青年との、出会いによる心の葛藤を、複雑な人間模様を介して描く、少年の心のドラマではあるが、日本が舞台ではこのような話は作れないだろう。また、前作と同様、少年には異性の皮膚が体の一部に現れるという、性の絡みも複雑で興味を引く、この著者でなければ考え付かない設定だろう。ただ前の二作のように頭に残らなかったのは、読者である針鼠の本棚の番頭の能力がおよばなかったからだろう。イタリアの人たちの生活をテレビでしか知らないからだ。著者はイタリア人の心を知っていると思う。

 ともかく、この三冊を通して、とても古いイタリアのあたりの人間に興味をもった。特に、「プルチネッラ」は頭の中に残った。

たくさんの専門家がプルチネッラのことを研究しているに違いない。ネットでプルチネッラを、ちょっと調べても、いろいろなことが書かれている。基本的にはイタリアの風刺劇にでてくる道化師であり、高い鼻と太鼓腹、白い服を着て、黒いマスクをするという決まった外見をもっている。

プルチネッラはイギリスにつたわり、パンチと言う道化師になり、それはポンチ絵になり、雑誌「ポンチ」につながる、パンチは日本にまで伝播し、雑誌がつくられる。フランスでは人形劇の中のギニョールになり、バレエのペトルーシカにもなり、とヨーロッパを覆いつくすだけでなく、全世界に影響を及ぼした、キャラクターなのである。

 

ここからは、蒐魂閑話になります。最近、といっても去年(2025年)になりますが、ネットで、プルチネッラのお酒を手にいれました。道化師のプルチネッラから名前をとったリキュールで、イタリアではよく飲まれる酒だそうです。

手に入れたのは、なかなか見栄えのする道化師プルチネッラの姿をした陶器にはいったものです。規定どおりの白い衣装に黒いマスクで、楽器をもっています。首からかかっているラベルには、ISOLABELLA 、MILANO・ITALYとあり、その裏には、PRUNELLA,34゜500ml PULCINELLAとあります。

PULCINELLAはイタリアの伝統的なリキュールで、蒸留酒やスピリッツに柑橘類、オレンジなど、薬草、香料いれたたもので、いろいろな会社で独自につくられているということです。青い色だそうですが、ざんねんながら、未開封でわかりません。調べてみると、食用色素のブリリアントブルーFFが使われると書かれていました。

PRUNELLAはしらべると、ウツボグサとあります。ウツボグサはしそ科の植物で薬にする植物です。ラベルの一番上に書いてあるということは、このリキュールの主たるものなのかもしれませんが、その点は調べ切れませんでした。ご存知の方教えていただければ幸いです。薬草として入れてあるのでしょうか。

 このリキュールのプルチネッラはミラノのISOLABELLA(正式:E.ISOLABELLA & FIGLIO)という会社で作られたもののようです。リキュールプルチネッラのよく知られた会社のようです。イタリアのトリノで創業した会社だそうです。現在はミラノなのでしょう。

このボトルは東京、麹町の東京帝国商事株式会社が輸入したもので、従価率適用と書かれていますので、1950年代後半ごろから1980年代より前なのでしょうか。東京帝国商事は1920年代(?)に創業されたものらしい、第一次大戦ごろの会社のようです。いつまであったのか分かりませんでした。

飾って楽しむのがいいのでしょう。



2026年1月1日

新年あけましておめでとうございます。

まずは、お茶で乾杯。

今年も日本のお茶は今や世界に広がっていくことと思います。

おめでたいことです。

そこで今年最初の蒐魂閑話に、抹茶のお酒を取り上げました。

蒐魂閑話:抹茶リキュール図

抹茶とお茶とを頭の中で違うものと思っていました。茶道を心得ている方にはなんと言う無知と思われるに違いありません。確かにお茶のことを知りません。ということで、少し調べました。

まず日本のお茶の材料は、「チャノキ、茶の木」です。生物学からいうと、ツバキ科の常緑木ということで、温帯熱帯の植物だそうです。紅茶もウーロン茶も「チャノキ」からつくるということを知りました。

抹茶は煎茶、玉露、ほうじ茶もみな「緑茶」だということで、筆者が言うところの「お茶」とは煎茶のことであることが分かりました。抹茶と煎茶はチャノキから摘み取られてからの葉の処理の違いということがわりました。

「緑茶」はチャノキの葉をそのまま(発酵などさせずに)作られたお茶のことをいうそうで、そこまでは「抹茶」も「煎茶」もおなじなのです。端的にいいますと、煎茶は摘み取られた葉を揉んで乾燥させたもの、抹茶は葉をつむ前のチャノキに覆いをかけ日光をさえぎり、その葉を揉むことなく乾燥させて石臼で粉にしたものだそうです。

筆者は抹茶を飲む儀式を省いて飲めたらおいしいだろうなと思うほど雑に育ってきたわけですが、なぜかというと、抹茶は茶せんであわ立ててつくるてまがありますが、煎茶はお湯をざーとかけるだけでいいわけです。どところが、抹茶も飲むのとても好きなのです。ただ抹茶の香りは作られたものという感じを持っていますが、煎茶は天気のよい日に陽のあったっている緑色の葉のイメージがわく香りで、そちらのほうが毎日嗅ぐには気持ちが良いとおもうわけです。

 煎茶の仲間に玉露や番茶があります。玉露、煎茶、残りが番茶などと書いてあるのですが、番茶も飲む場によって玉露よりおいしく感じることもあるでしょう。

実は今日のブログはお茶の話ではなく、「蒐魂閑話」ですので、お酒の話です。といって酒会のあとのお茶漬けの話ではありません。そういえば抹茶のお茶漬けってどんな味でしょう。

今日はお茶の香りと味のするお酒、お茶のリキュールの話です。昨今、国際的に緑茶は好まれるようになりました。お酒に果実、花、あらゆるものを突っ込んで作るスピリッツのなかで、日本独自の味として(今は国際的につくられている)お茶のリキュールが古くから作られていました。

スピリッツにお茶、特に抹茶を浸し寝かしておき、ブランデーなどの酒を加えて作りだされている甘いお酒です。

日本ではサントリーが「ヘルメス」の名称でリキュールのブランドをもっており、ヘルメスのグリーンティーリキュールが古くから作られています。一方、山梨にあるモロゾフ酒造(モンデ酒造)も独自のお茶のリキュールをつくり販売をしていました。

ヘルメスもモンデも大中小の特色あるボトルをだしていて、それを紹介したいと思います。

サントリーがヘルメス(Hermes)というブランドでリキュールを発売したのは1947年のこと、ペパーミントのリキュールでした。それからおよそ13年ほどあと、1960年に緑茶のリキュール「ヘルメス・グリーンティーリキュールを登場させました。このリキュールは宇治の玉露と抹茶を中性スピリッツにいれ、最後にブランデーとシロップを入れた甘い酒です。

ちなみに、リキュールのはじめは古代ギリシャで、ワインに薬草をいれた水薬だそうで、錬金術師として知られるヘルメスが蒸留技術を作り出したことで、蒸留酒がつくられ、今のリキュールに発展したそうです。そういうことからサントリーの鳥居さんでしょうか、ヘルメスの名をいただいてブランド名を「Hermes」にしたということです。

手に入れたヘルメスのグリーンティーリキュールはアルコール分25%、エキス分47%で、720,180、50mlの大中小で、四角柱の白い陶器の瓶にはいっています。陶器は有田焼の深川製磁製です。深川製磁は1894年(明治27年)、深川忠次が設立した老舗です。

グリーンティーリキュールの瓶は落ち着いた薄い青色で「茶」とある洒落たものです。この「茶」誰の書か、調べたのですが分かりませんでした。どなたかご存知の方は教えてください。実はヘルメスグリーンティーはまだ空けておらず口にしていない。そのうちあけようと思う。

もう一つの抹茶リキュールは、山梨県石和町のモンデ酒造の製作した、これも古いものです。モンデ酒造は最初1952年(昭和27年)に別の名前、「東邦酒造株式会社」で設立された会社で、そのご、1960年にはモロゾフ酒造株式会社と改名されています。それが1972年にモンデ酒造となり、今はワインやブランデーも製造しているということです。モロゾフ名義の頃のリキュール類が針鼠の本棚にたくさん溜まっています。

モンデの抹茶リキュールは昭和33年(1958年)に発売開始されていますので、ヘルメスのグリーンディーリキュールより2年早く発売されていることになりそうです。しかもこのリキュールは昭和42年(1967年)、パリの国際食品品評会(MONFE・SELECTION)で金賞を受賞しています。モンデ酒造がモロゾフ酒造のときです。それがきっかけで、社名をモンデ酒造にかえたようです。

モロゾフ酒造の抹茶リキュールの瓶は、ピルスナー型のガラス製手無しトロフィーといった形をしており、上部の口のところは金色の金属(おそらく銅の種類)で、胴体のところは黒を基調とし、金で能を舞う姿が三種類描かれ、さらに謡の歌詞が書かれています。さらに上部と下部に金の線があり、台の部分も金色です。日本調でもあり、ギリシャなどに見られるようなヨーロッパ色のものでもあります。ガラスは厚い緑色のもののようです。

 このリキュールはアルコール25%、エキス分45度とあります。襟のところにあるラベルには右からお茶とかいてあり、O-chaとも書いてあります。合成着色料含有とあります。

 ヘルメスのものとおなじく、18.6オンス、550ml、3.4オンス、30mlの大中小があります。襟のところにあるラベルには英文が多く使われ、Imported by house of Koshu Beverly Hills, Calfiという文があります。ところが古そうな一本の小瓶には全く英文がなく、モロゾフ酒造株式会社と石和の住所が書いてあります。輸入、甲州(屋)カリフォルニアのビバリーヒル、という意味になる英語がどのようなことなのか、ここでは考えないことにしたいと思います。会社の経営の推移を調べないと分からないでしょう。モンデ酒造は現在、当時の場所(石和)でワイナリーを経営しワイン製造をしています。

モロゾフ中瓶のお茶のリキュールを開けて飲んでみました。何年経ったものか分かりませんが、モンデがモロゾフになったのが1972年ですから、最も新しいものとしても53年前のものです。抹茶の香りはあまり強くありませんでした。抹茶の渋みは十分に感じるとても甘いリキュールでした。

 



茸霊魂ブログ図


茸霊魂目次

 

 たましい   

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 宮茸     97

 洗魂茸    129

 宿      159

 まつご茸   193

 鉄砲茸    219

 


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