針鼠の本棚

本だけではありません。

角瓶―黄角

 蒐魂閑話:角瓶Ⅱー黄角1図

 

 サントリー角瓶は1937年に特級酒として発売されました。角瓶は今でも延々と続いていますが、1990年代から2010年代、白角やら黒角などが発売され、今までの角瓶はラベルが黄色いことから、黄角と呼ばれるようになりました。黄角が角瓶の本家ということになります。その頃、草片番頭は角瓶を浴びるほどではありませんが、かなり飲んでいました。空いたボトルに造った梅酒を入れ、ずいぶんたまっています。

 角瓶については、50mlのミニボトルについて蒐魂閑話に書きました。そこで角瓶の歴史をと少しばかり書きましたが、今回は黄角の容量の違う瓶や、700ml(昔は720ml)のレギュラー瓶を棚からとりだし、時代で追って見て生きたいと思います。棚には角瓶のすべてがあるわけではないので、見当違いのことを書くかもしれません。筆者の角瓶への思い入れだけでも感じていただければと思います。

 サントリー角瓶は1937年、サントリーの前身、寿屋が1937年(昭和12年)に発売した純国産ブレンドウイスキーです。最初の名前は「サントリーウヰスキー12年」といったそうで、「角瓶」ではなかったのですが、拮抗模様の角型ボトルの容姿から、角、または角瓶とよばれたものですから、やがて正式な製品名が「角瓶」になったそうです。薩摩切子のイメージで作られているそうです。

 角瓶が広がる時代的要因などは、サントリーの詳細な歴史をみていただくとして、角瓶より前に、将来サントリーホワイトにつながる白札、将来のサントリーレッドにつながる赤札というウヰスキーの販売があったことも知っておくと面白いでしょう。さらに、サントリーは今もある赤玉ポートワインで起業した会社であるのです。

 草片番頭がウイスキーを晩酌として飲み始めたのは、痛風が高じてビールを控えなければならなくなりハイボールにしたことからです。角のハイボールはとてもうまい。それで三十年近く飲んでいると思います。角がハイボールとして知られるより10年も前からです。

 

最初に黄角を大きさの順に並べて見また。1440ml、720ml、450ml、180ml、50mlです。レギュラーサイズが720ml(今は700ml)ですが、「720」という数字がどこからでてきたのか、少しばかり調べました。やはり、日本の古くからあった酒、日本酒を見る必要があると思いました。一升瓶、五合瓶を思い浮かべます。一合とか一升とかどこからきたのか、SNSで調べて見ると、そうなのかと思う説明がありました。いつも当たり前ということで、考えもして見なかったものに、理由があるのです。

  

いきなりですが、お城に飛びます。百万石のお殿さまという言葉が頭に浮かびました。五万石の城などといういい方をすることもあります。石(いし)を(こく)と読むわけです。いったいこれは何か?調べた結果。一石とは人一人が一年間食べるお米の量だそうです。五万石というと、五万人を召抱えることができるお城ということになります。

一石の十分の一が一斗。一斗樽といいます。一斗の十分の一升、ここで一升瓶がでてきます。その十分の一が一合となるわけです。

それが古来の量の単位だったわけですが、明治に西洋の量の単位、リットル、ミリリットルとそれらをあわせ、一合をおよそ180mlにしたということです。その四倍が720mlでウイスキーのレギュラーサイズの量でした。その四分の一の一合瓶が180mlの小瓶になり、倍が1440mlの大瓶のウヰスキーになったわけです。これも四号瓶ということになります。180mlの小瓶はレギュラーサイズ全体を縮小した形のものと、ポケットに入る形の、いわゆるポケット瓶があります。450と500の中瓶もあります。

時代によるラベルの変化などは、ミニボトルと重なりますので、細かなところは省いて、大きな変化を書き出しておきます。まずアルコール度は43度が基本でしたが、1992年ころまでで、それ以降は40度になります。43度の瓶で古いほうは「特級」が表示されていますが、ないものは新しいと考えられます。そのころ、サントリーのマークが向かい獅子から、響の字をコンピューターに書かせたような簡略化したものになります。そのデザインは、あまり好みではありませんでした。さらに量も720mlから700mlに変わります。

もう一つ大きな変化は、響マークが終わって、また向かい獅子になった2008年頃です。瓶の肩が角ばりました。それが今も続いているのです。

量と時代の変化を、図1のほうにのせましたが、図2では細かな変化を瓶の大きさから見ていきたいと思います。

蒐魂閑話:角瓶Ⅱ-黄角2図

1990年代半ばごろ、半角という、レギュラーサイズの高さを半分ほどにした、360mlの角が発売されました。2合瓶といったところです。二本ありますが、一つは響マーク、もう一つはその後にでたともの思われる。向かい獅子マークです。アルコールはどちらも40度これには白角という種類も出ましたが、棚にはありません。

1992mlという、取手のついた超大瓶がありました。一升よりちょっと多いといったところです。空瓶が五本ほどありまして、そのうち、時代の違う二つの取ってつきの大瓶を掲載します。一つは響マークで、もうひとつはその後もどった向かい獅子マークです。いずれも40度です。

1440mlの大瓶にも二つありました。1980年代と思しき、アルコール43%の向かい獅子マークのものと、響マーク40度のものです。

中瓶といっていいのでしょうか。響マークの瓶は500ml、その後の向かい獅子のマークのものは450mlでした。この中瓶の歴史はよくわかりません。

 あと変わった瓶を紹介しておきます。響マークの時代ですから1990年から2007年のものですが、瓶の後ろにはひし形のラベルのあるのが昔からの瓶であり、今もそうなのですが、その時(いつ飲んだのかおぼえていません)のものは長方形になっているのです。中身のあるのは取っておきませんで、空瓶だけ3本もあります。由来などはまったくわかりませんが、箱が残っており、後ろにその長方形のラベルが見るようになっています。

 最後に、棚にある、レギュラーサイズの箱を何種類かと、おそらく1980年代の特級表示の贈答用箱入りをのせておきます。当時のお中元お歳暮の匂いが漂っています。

 黄角については、ペットボトルの空もたくさんあります。鉢に水やりのときに使ったりしています。大きいのは4リットル、小さいほうは2.7リットルです。実によく飲んだと思います。業務用のペットボトルは5リットルのものもありますが、それは買ったことがありません。

 切子スタイルの角瓶は、それが出てから、他の会社が真似をして、同じような瓶のウイスキーをだしています。いずれここでご紹介します。

 次は角瓶の分家、白角、黒角、などなどをブログに載せるつもりです。

夏目漱石ー吾輩ハ猫デアル2,3,4

2020年に掲載した「夏目漱石-吾猫」には「吾輩は猫である」の明治の元版と、袖珍本を手に入れたときの苦労しか書いていない。そのときは眩暈の最中で仕方のないことだが、これでは「吾輩は猫である」の人気だとか面白さが伝わってこない。ただ、買ったぞーという意気込みしか見えない文であった。人生最後に手に入れた本のようで、お恥ずかしい限りだが、杖を使いよろよろ歩いていたそのときは本当にそう思っていた。

その後、久世光彦のブログを作るにあたり、いくつかの本を読み返した(拾い読み)とき、夏目漱石の項があり、吾輩は猫であるを自分は50回読んだとあった。すごい、と思うと同時に、自分はまともに一冊読んでいないと思い知らされ、買った明治の吾輩は猫であるを読もうかと思ったのだが、とても無理、そこで日本の古本屋で「我輩は猫である」を調べると、あった。岩波書店昭和五年の初版本が運良く出ていて、早速購入し、やっと一冊きちんと読み終わった。

そういうこともあり、今回は、「吾輩は猫である」の後版の本や、他の作家が書いた「吾輩は猫である」などを棚から取り出して、吾猫2として、まとめ、明治版の「吾輩ハ猫デアル」の版によるカバーなどの違いを、吾猫3としてまとめ、さらに吾猫4として、いうなればパロディーの本を掲載した。

夏目漱石ー吾猫2図

吾猫2

まず、またまた縮刷版「吾輩は猫である」である。前に掲載したのは、121版で大正最後のものだが、今度手に入れたのは91版で、やはり大正だが、天金で、かなり状態はいいものだった。好きな本で、もう一度新たに棚に入った本を掲載したい。この本はまだ気になって明治版がほしいと収集癖の塊になっているのだが、明治44年7月2日に初版が出ており、明治は45年7月30日に大正と改元しているので、約1年の間に何刷りになったかわからないが、ほとんど初版を探すことになり、これは資本的にも無理だろうと半分はあきらめている。

次に最初に述べた、岩波版(昭和5年)の「吾輩は猫である」である。生まれて初めて読み通した、吾輩は猫である、である。内容は面白かったのはもちろんだが、表紙に植物と黒っぽい猫の絵がある。珍しいことには本の奥付裏に社主岩波茂男(1881、明治14-1946、昭和21)の漱石に対する謝辞が書かれている。岩波茂男は1913年(大正2年)神田に古本岩波書店を開き、岩波書店の処女出版は、古書の岩波が自費出版した夏目漱石の「こころ」だそうである。

 

 そこに、表紙の絵は漱石自筆の「あかざと猫の画」とある。あかざは雑草のたぐいである。この絵から、「吾輩は猫である」の主人公が黒猫とまちがわれやすいが、本文中には「吾輩はペルシャ産の猫のごとく、黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している、P9」とある。ということは淡色猫でも、トラ猫、でもなく、少し明るい灰色がかった斑入り猫とでもいうのだろうか。

ところで、「吾輩ハ猫デアル」は雑誌「ホトトギス」に掲載されていたのだが、そのころ、本当に漱石のところに飼われることなった猫がいて、しかも、本当に名前がなく、「ねこ」としか漱石は呼ばなかったようである。草片文庫番頭が思うに、漱石は「吾輩ハ猫デアル」の書き出しに、名はまだない、としたので、モデルの飼い猫に、本が書きあがってから、自分の猫にも名前をつけるつもりだったのではないだろうか。その猫は雑種の縞猫だそうである。

飼い猫は明治41年9月13日に亡くなっている(漱石の思い出、後述)。この本には、自筆の飼い猫の死亡通知(14日になっている)が掲載されている。猫をかわいがっていたのだと思う。飼い猫のことなどは、次男の夏目伸六のエッセー集「猫の墓」に述べられているというが、未見である。

話は別の本に移る。「吾輩は猫である」が漫画になった。大正8年出版の近藤浩一路著『漫画吾輩は猫である』である。小説を切り貼りし、漫画を付した面白い本である。近藤浩一路(明治17、1884-昭和37、1962)は画家でもあり、新聞社で漫画記者として政治漫画を描いた美術家である。

 「吾輩は猫である」はずいぶんたくさんの出版社が文庫化しているが、表紙の気に入った角川文庫版を紹介しておく。表紙がとてもよいのと、中村不折と橋口五葉の原本の挿絵が使われているのはとてもよいと思う。

 さらに英訳本だが、ずいぶん古くにだされているようだが、本棚にあるのは研究社からでている「I AM A CAT」である。英訳者は柴田勝衛と甲斐元生。

 さて、夏目漱石の普段の生活をある意味では赤裸々に記した本がある。夏目鏡子夫人が話したことを、娘の主人、作家の松岡譲が記録した、岩波書店発行の「漱石の思い出、昭和4年」である。かなり汚れた本だが、ネットの「日本の古本屋」で見つけたもの(昭和15年9刷)である。初版は大正4年の本だから、漱石(1867-1914大正5年)がなくなって13年後ということになるだろう。本には漱石が精神的に病んでいた時期の振る舞いが多く書かれており、また何度も泥棒に入られたことなど詳しく正直に書かれている。漱石の文学作品が書かれた土壌といったものがよく見えてくる。目次の中から猫の入ったものを拾ってみよう。「猫」の家、「猫」の話、「猫」の出版、猫の墓とある。先述の飼い猫の毛色などはここに書きとめられているわけである。

 この本は珍しく読み通してしまった。最後に年譜も書かれている。

夏目漱石ー吾猫3図

 吾猫3

 「吾輩ハ猫である」は上中下とあり、明治38年から40年にかけて完成されたものである。上編の自序には、挿絵の中村不折、装丁の橋口五葉に本のできへの謝意を表し、海鼠のような文だから、この一巻で消えてもいいと書いてある。その時点では続きをだすことは考えていなかったのであろう。だから初版本に上編という記載がない。中編の自序には続編を書いたが長くなったので、書店のほうから三冊にしたいということで、中編としたとある。さらに下編の自序には下編の文の活字数が少ないので伸ばしてほしいとの要望があったことが記されている。そうやって出来上がった三冊の「吾輩ハ猫デアル」である。

 以前ブログに掲載した、明治の「我輩ハ猫デアル」のオリジナル版によるカバーなどの違いなどに触れておきたい。特に上編に違いがある

初版のオリジナル本は3冊そろって250万円で古書店にでている。とても手元に置くなどということは火星に着陸するのと同じくらい無理である。そこで、初版(復刻版、ホルプ、1974)と所蔵している本と比較してみる。所蔵している本の発行年月日、ページ数は下記のとおりである。

 

上編 11版明治40年8月25日 

初版 明治38(1905)年10月6日 290P

中編 7版 明治40年8月25日 

初版 明治39(1906)年11月4日 238P

下編 再版 明治40年6月4日 

初版 明治40年1907)年5月19日 218P

 

 上編のカバーの猫の様子が初版本と11版ではだいぶ違う。初版本には「上編」という言葉がないだけではなく、猫の絵が初版より細い枠に入り、コントラストがはっきりしている。

いつから装丁がかわったのか、ちょっとばかり考察などという専門家がやるようなことの真似事をして楽しんで見たい。

針鼠の本棚にある上編は11版の明治40年8月、初版から1年11ヶ月後の出版本である。

11版の奥付を見ていて、おかしなことに気がついた。一般の本の後付には、後版の発行日の前に、初版の印刷日と発行日が書かれているのが常である。持っている中編と下編には初版本と同じ日付が書かれているが、11版の上編は違うのである。明治38年10月6日ではなく明治39年11月4日発行とある。これはなにか。

中編の初版は明治39年11月4日と、もっている上編11版にある初版と思しき日付と同じである。

ここで、中篇をだすにあたり、「上編」を新たな装丁にしたと考えうる。カバー、表紙の図柄を新たにするのに一年ほどは必要ではないだろうか。上編の六版が売りに出されていたが、初版と同じで表紙に「上編」は記載されていなかった。

この推理はいかがだろう。

さらに持っている11版という数字は本当の初版からの数字ではない可能性もあるということに気がついた。ご存知の方は教えていただければ幸いです。

 

 中編7版が本棚にはあり、明治40年8月25日発行となっている。初版の日は先に書いたとおり、明治39年11月4日で、およそ毎月増版されている計算になる。中編の初版本と7版の違いも大きい。カバー絵が初版は黒っぽい地にネガの状態の絵が印刷されているが、7版のものはそれが反転され、茶に近い色で印刷されている。画面に猫はいない。

 下編は紺に近い色で猫がすられている。持っている本が再販本で、初版から一月たたないうちに再販されている。もちろん初版との図柄の違いなどはない。

「漱石の思い出」に、当時毎月千部くらい決まって検印をおしていたとあり、一年で1万二千部ということになる。印税は一割五部で、質屋に入れていたものが出せたとかかれている。上中下どれもよく売れたようだ。

 

 手に入れた明治本は手製の帖に包まれ、本の一冊に、所有者あてと見られる毛筆の手紙が入っていた。その文章からすると、かなり古い。さらに大阪の菓子屋の栞が挟まっていた。むすめ印と右から左に菓子の名前が書いてある。所蔵の上編と中編の発行日が同じで、明治40年の8月25日、下編が同年の40年6月だから、前の持ち主は、上と中が新たにでたところで、三冊同時に買ったのではないかと想像している。帖を作るほど大事にしていたのだろう。番頭も帖ごと意思を受け継ぐつもりである。

 夏目漱石ー吾猫4図

吾猫4

 「吾輩は猫である」の偽作というより、パロディーだったり、関係つけたりした題名の本がたくさん出版されている。これも漱石の猫への尊敬と憧れから作られたものだと解釈している。

 よく知られているのは、内田百件の昭和25年の「偽作 吾輩は猫である」だろう。百件は漱石の弟子とも自称しているようだ。この本は針鼠の本棚で、内田百件ーネコとして、「ノラや」「クルおまえか」とともに載せたたが、書影だけは今回も掲載するが、感想はやめておこう。漱石よりネコ愛に関してだけは勝っている作品である。

 昭和27年、「我輩も猫である」という作品が要書房から出版されている。高田保の著書である。194ページと短いものだ。猫というタイトルで雑誌に発表されたもので、思想的な背景が色濃く出ているはなしである。作者のことばに、現在の日本は目茶目茶で、誰にもわかっておらず、――猫の料簡にでもきいてみよう、漱石の猫の向こうを張るつもりはないーーーとある。戦後すぐに雑誌にかかれたものである。

 絵がとても面白く、高田にたのまれ絵を描いた富田重雄があとがきを書いており、自由勝手にに好きなように猫を描けたといっている。この本は高田保が転生してからまとめられたものである。あとがきにはさらに、本人は漱石の真似はいかんよというだろうが、タイトルを富田ら友人がつけたとある。それは漱石の猫にあやかって、よく売れ、遺族に印税が多く入るようにという配慮だったとある。戦後の時節柄だろうが、こんなこと書かなくてもいい。いっそ、「我輩が猫である」にすればよかったのにと悲しくなった。

 最後に、楽しい猫をのせておきたい。

 奥泉光の「『吾輩は猫である』殺人事件」である。新潮社創立100年、純文学書き下ろし特別作品第一弾と帯にある。1996年発行、506ページのミステリー大作。

 この本は何か気になっていたが、殺人事件とあり、本棚にははいっていなかった。だが漱石の猫第二弾を針鼠の本棚に乗せるに当たり、とりあえず手に取ってみようとおもったら、うんよくメルカリに初版帯付がでていた。そこで、届いた本を開いて見たわけである。

 いや、驚いた。死んだはずの名無しの猫は、生きていて香港にいく。そこで、日本でクシャミ先生が殺されたことを知り、香港にいる、お国がさまざまな猫たちと犯人探しの推理を行うわけである。香港には吾輩は猫であるの出演者たちもきており、あのままの性格で活動をしているのである。

 五百ページを超えるこのミステリーを、読んでしまった。面白いのである。展開がきてれつなところもあるが、ともかくよく書いたものだと、作者に賛辞をおくりたい。

 この作者は何者か知らなかったが、大学の教授職を果たしながら書いている。うらやましい限りである。本の付録は対談『吾輩は猫である』殺人事件をめぐって、の奥泉光と柄谷行人の対談である。どちらも漱石の猫に沈溺している。作者は小学校五年生の時の読書感想文に漱石の猫をかいていたそうで、最後まで読んだ人は少ないのではないか、自分もあわてて読んだ、意外と難しい小説だといっている。まさにその通りである。柄谷の一番まねをしたくなる小説だというのもうなずける。といったぐわいで、付録も面白かった。

 この本は装丁の黒猫がすばらしい。箱など捨ててしまって、そのままかざっておきたいほどだ。画は西田忠重、装丁は新潮社装丁室である。西田は木版画家で、黒ねこの作品が多い作家だということを始めて知った。猫の描写が若々しく、てっきり若い画家だと思ったのだが、1942年生まれとあった。もう八十を越している。この本で漱石の猫を締めくくれたのは漱石の猫愛好家としては大変よかった。

 

蒐魂閑話アリスーウヰスキー、リキュール図

 

 ルイスキャロルの、不思議の国のアリス、を知らない人は少ないでしょう。キャロルの想像力は、途方もない数の世界中の人間に、妄想の世界がこんなに楽しいのだと、教えてくれました。貴重な本の一冊です。ルイスキャロルが数学者だということもよく知られています。実は本名はチャールズ ラドウィッチ、ドドソンといいます。1865年に出された本です。最初の本の出版費は全てキャロルがだしているそうです。自費出版です。

アリスのついた美術作品、小説、漫画、映画はもちろん、ゲーム、そして、店の名前など世界中にあります。日本にもいくらでもあります。そこで今日の話題になるわけです。

アリスのウヰスキー。日本の古いウイスキーに興味のある人なら知っていますが、よほどじゃないと、わからないと思います。

草片番頭自身も、あるお酒のミニボトルを買ってから知ったことです。それは、古いリキュールで、雑酒というシールが貼られているものでした。ウヰスキーのミニボトルに興味を再び持ち始めてまだ数年です。お酒のボトルが何年ごろに発売されたものか調べる手段として、ボトルに張られているラベルに書かれている事柄が大事なことを知りました。国税庁の酒の等級と分類です。1953年から1989年4月まで、特級、一級、二級というラベルが貼られます。さらに、1962年より前のものは、ウヰスキーやリキュールなどは「雑酒」という分類になります。

雑酒のラベルがあると、アンティークとして値が高くなります。あるとき、ちょっと面白い形の雑酒ラベルのついた、アプリコット ブランデーがネットにでていて買い求めました。それが、アリスのお酒でした。その後、アリスなんだ、と思い、少しばかり調べたわけです。

1960年頃から1970年頃まで出されていたお酒です。販売会社は旭興業KK(中央区日本橋本石町4の6)で、作っていたのは、山梨の富士発酵工業KK(山梨県塩山市下塩尻)と、太平醸造株式会社(山梨県山梨市上神内川)です。 

旭興業は1963年に「アリスウヰスキー」を発売しはじめたとありました。アリスはウヰスキーやリキュールのブランド名なわけです。

アリスの酒を作っている一つ、太平醸造は1947年に設立された会社が、1951年に名前変更した会社です。1971年には番頭もよく知っているサントネージュワインと社名がさらに変更されています。

アリスの酒を作っているもう一つ、富士発酵工業は1905年と創業ははやいのですが、1953年からウヰスキー製造開始、2001年倒産ということです。

ブランドのアリスという名前は誰が付けたのか、不思議の国のアリスからつけたのか、といった疑問は、ちょっと調べただけですし、解決はしませんでした。しかし、先に書いた雑種ラベルのあるアプリコット ブランデーのネックのところに張ってあるラベル(図をごらんください)に女の子の絵が描かれています。古くてはっきりはしませんが、どうも不思議の国のアリスのようです。旭興業の誰かが、不思議の国のアリスが好きで、この名前をつけたのかもしれません。

 さて、ミニボトルのことですが、アリスのウイスキーが欲しいと思っていたところ(かなり高値になっています)、ヤフオクで北海道から、古いミニボトル20本ずつほどまとめられ、10束以上出品されていました。かなり汚れてはいます。アリスのウヰスキーが混じっているものを含め、何束か落札することができました。すると、アリスのウヰスキーが二種類、それにリキュールが数種類ありました。

 そこで、今回、ここにまとめたわけです。

 アリスのウヰスキーは何種類かあるようですが、手に入れたミニボトルは、特級の「VOAメリット」と一級の「イエローメリット」50mlです。どちらも、大平醸造のつくったもので、特級はアルコール分43%、一級は42%です。

 アリスのリキュールは多くの種類があるようです。手元にあるものだけ、製造所ごとにまとめておきます。ビンの形やラベルは一部を除き必ずしも好きなものではありませんが、歴史的な面白みはあるかもしれません。リキュールの多くはカクテルに利用されますが、昔はこういった形のものがあうカクテルバーなどが多かったのかもしれません。

 アプリコット ブランデーは大小のミニボトルがありますが、雑酒記載の大きなボトルのキャップはプラスチックで、ALICEとあります。一方、小さなボトルは金属で、頭に、アリスの酒に共通に見られる、字なのか絵なのか分からないマークがあります。小瓶のほうには裏にラベルがないので比較が難しいのですが、大きいほうが古いのかもしれません。他のリキュール類はどれもプラスチックの蓋です。

 ミントのリキュールに透明と合成着色料のついた青色のものがあります。透明のほうは、カクテルを造るときに、色がついていないほうがいい場合に使うのでしょう。カクテルなど縁がありません。そんなことに今頃気がついているのです。

 本にもどりますと、不思議の国のアリスは、高山宏訳、佐々木マキ絵の本(亜紀書房、2015年)を最近読みました。いずれ閑話ではなく、本来のブログで紹介したいと思います。

 

 

A 製造:富士発酵工業株式会社

0アプリコット ブランデー 図左:雑酒一級 100ml 35度 エキス30度 右:小瓶(記入ラベルなし) 

1 Alice Caloric Punch

2クレームド バナナ 100ml アルコール? 合成着色料含

3クレームド メロン 100ml 24度 エキス50度 

4ペパーミント (透明ボトル)100ml 20度 (緑ボトル)同、合成着色料含

5クレームド バイオレット 100ml 25度 

 

B 製造:太平醸造株式会社(山梨県山梨市上神内川

6グリーンティー 100ml 20% エキス30% 合成着色料含

7スロージン 50ml アルコール29% エキス20% 

 



草片語草-日影丈吉ー短編図1
草片語草-日影丈吉ー短編図2

第18回(1990年、平成2年)泉鏡花文学賞はベテランの日影丈吉が受賞した。白水社の書きおろし特別シリーズ「物語の王国」の5冊目にでた「泥汽車」である。幻想味の強いノスタルジックな作品集である。読み易く情景が目に浮かぶような短編集。1989年12月に発刊されているが、丈吉は1991年の9月に83歳でなくなっているので、最後に書かれ、目にした自著の一冊だったのだろう。それにしても80にして秀作短編の書きおろし。見習えるものならそうありたいと思う。

日影丈吉は草片番頭が若い頃からミステりー作家として意識しており、建石修司装画の二冊の短編集「恐怖博物誌、幻想博物誌、1974、学藝書林」は綺麗な装幀で本棚におさまっている。建石修司のページいっぱいの画が前者には5枚、後者には6枚ある贅沢なものである。実は建石修司の鉛筆による細密画にぞっこんになり、建石の細密画の描き方の本を購入して、見様見真似で鉛筆画を描いたことがある。素人がいくら一生懸命描いても、ただの鉛筆画で幻想のかおりが漂ってこない。そんなことで、建石修司の画があるというだけで本を買ったりしたが、そういった本はたいていが幻想的な文学作品で、満足するものであった。典型的なのは、すでに草片語草で紹介した中井英夫の本である。

1974年の恐怖博物誌と幻想博物誌は学藝書林のロマン叢書の一冊として出版されており、前者だけに著者のあとがきがあって、この本は、1961年に出した東都書房の「恐怖博物誌」に収録し切れなかった作品に、その後のものを加えて二冊にしたものだと書かれていた。さらにこの二冊には附録の小冊子があり、それぞれに瞬編小説がかかれている。

よくよく目次を見ると、恐怖博物誌の5編、幻想博物誌の6編すべて動物の入ったタイトルである。動物幻想小説集と言っていいわけである。それを知ったら、元版を是非手に取りたい。そう思って、ネットで調べると、東都書房の「恐怖博物誌」は相当な価格になってしまっている。それでも運のいいことに、ヤフオクに一つだけ手が届くものが出品されていて、落札することができた。

それを今読んでいる。

目次には猫 蝶、鼠 鴉、蟹、鵺 狐それぞれ一つの漢字が絵として描かれている。是非図をみてください。一番最初の小説は一番最後に描いてあるキツネである。目次がページの順になっていない本など初めてである。それだけではない。目次の漢字一字のタイトルは小説のタイトルではない。タイトルに入っている動物の漢字を拾い出して、目次に置いている。ちなみに、最初の「狐」の正式なタイトルは「狐の鶏」である。

 さて、最初にページ順に置かなかった理由を考えてみた。横に読んだり、縦に読んだり、斜めに読んだり、だが何も出てこない。それでは好きな動物の順か、猫が一番好きというのはなんとなくわかる、次に蝶、次に鼠と続くのだが好きな順なら、その小説を一番初めにもて来ればいいだろう。最初はキツネである。という具合で、著者は動物好きとしかわからない。1974年の二冊には、その五つの動物に、犬、鶏 蛇、馬が加わっている。

 さて、その元版の「恐怖の博物誌」を読んだ。舞台は昭和戦争の時代だが、現代に置き換えてもこんなに面白いミステリー幻想小説はない。もっと早くに読むのだったと言う思いだ。最初の「狐の鶏」は第9回日本探偵作家クラブ賞を受賞している。昭和31年(1956年)のことである。日本探偵作家クラブ賞というのは、今では日本推理作家協会賞と名前を変えているが、専門家の中での評価を示すものである。

 日影丈吉は東京深川の生まれでアテネ フランス卒業と書かれている。フランスに留学、フランス作家の翻訳もしているが、若い頃は俳句や童話も入選するほどだったという。

 図2に載せた「味覚幻想 ミステりー文学とガストロノミー 1974 牧神社」という本は料理とミステりーの案内書、随筆というものである。フランス留学後に、フランス料理の研究をし、フランス語を料理人たちにおしえていたという。フランス料理にかかわる本をいくつかだしている。 さらに、恐怖博物誌をはじめ、どれも著名な画家の挿絵がはいっていることは書いたが、この本にも作者がわからない不思議な版画(絵?)が6葉もはいっている。日影丈吉はアテネフランスでフランス語を学ぶと同時に、洋画の教室にも通っていたという。

 なんともうらやましい広さをもった人だろう。

 1974年には未完短編集成が四冊、牧神社より刊行された。出た当時は買える身分ではなかったが、この本も古書値が上がっていき、帯つきそろいのものなど手が出なかった。後に古本屋でであうと、一冊づつだが、帯つきの物を揃えた思い出の本である。惜しむらくは、装丁が村上芳正であることと箱の材質がもう少ししっかりしたものであったらとおもうところだ。村上芳正は好きな装丁画家であり、この画家にあった小説作品の本はたくさん持っている。だがこの人の描く人間の顔は日影の登場人物にはあわない。

 


蒐魂閑話イ・モンクスーミニ図

イ・モンクス

 

イ・モンクスのミニボトルは、キングオブキングスの古いミニボトルを探していたときに出会いました。キングオブキングスのボトルと同じように、片側にもち手がついている上半分が茶色、下半分が白い陶器です。しかし、キングオブキングスのような、名前やマークが焼きいれられてはおらず、印刷したラベルが貼ってあります。一方、イ・モンクスのボトルはワックスでシールしてあり、いい景色をつくりだしています。いかにも手作りの感があって、好きなボトルです。容量は48mlで、アルコール度数は43度です。日本では特級ウヰスキーです。

 このウヰスキーはエディンバラのキングフィッシャー社が1893年に発売を始め、後に人気が出て、多量のモンクスが輸出されたということです。そのため、1982年には、女王から賞を送られています。

 イ・モンクスは1980年代に終了していますが、760mlの陶器ボトルをメルカリやヤフオクではよくみかけます。実は飲んだことがないのです。だから味を知りません。いつか機会があったら飲みたいものです。

 ミニボトルがいつごろから発売されているのかわかりませんが、持っているものをみると、みな形が違います。どれも特級表示があり、通関コードもあるものもあります。箱に入っているのは酒税証紙もありますので、1974年以前のものと言って差し支えないでしょう。

輸入しているのはすべて木下商事株式会社ですが、大阪と京都、さらに住所の違うものがあります。五つのボトルの中でひとつ取っての形が違い、色も濃く古いと思われるものは大阪木下で、住所が大阪市北区中崎西2丁目4-41とあり、三つは同じで北区道本町85番地です。残る一つは京都木下商事とあって、住所は京都市南区上鳥羽高畠町36番地です。ウキペディアで大阪北区中崎西をしらべたところ、道本町は中崎の一部で、1978年以前の住所だそうで、中崎西2丁目となったのはそのあとのようです。ということは、大阪の住所のもので、三つあるものが古いということが判明しました。さらに大阪木下商事株式会社を調べると、住所はちがいましたが、お酒を扱っている会社として存在しているようです、京都の木下商事を調べると、木下インターナショナル京都支社として、前述と全く同じところにお酒を扱う会社としてありました。詳細はわかりませんが、イ・モンクスを扱っていた会社の発展したものではないでしょうか。

 陶器のボトル以外に、二種類のガラスのボトルもあります。フラスコタイプのものと、通常のボトルのタイプです。度数は43、容量は48mlと陶器ボトルと全く同じで、輸入元も大阪の木下商事です。付属物などを見ると古さは陶器ボトルと同じ時期のものだろうと思います。

 普通の形のミニボトルには砲台のボトルおきが付属していました。このようなものは興味がないのですが、Ye Monksのラベルがついてありましたので掲載しました。

 このYe Monksの意味はわざわざ書かなくてもいいのかもしれませんが、僧侶のことです。ウヰスキーのマークも赤い僧侶の横顔です。赤いのはお酒を飲んで赤くなっているとすると、聖職者がそれでいいのかといいたくなりますが、ウヰスキーのおおもとをたどると、薬として、僧侶が作っていたということがもろもろのものにかかれており、なるほどと納得のいくことです。

 ところで、Ye=イ ってナンダと思っていたところ、Theの古語だそうです。The Monks、最高の僧侶たちとは美味しいお酒を作ることのできる僧侶たちといいたいのかもしれません(勝手な想像でした)。

 

 

最新科学小説全集ー初訳図

 何度も書いているが、草片文庫番頭の自発的に読んだ最初の本の一つは、小学六年のときの図書館で借りた乱歩訳のランポの黄金虫で、同時期に虫垂炎で入院したとき、自分で望んで光瀬隆の小学生向けSFを買ってもらった。ということで、推理小説とSFが読書の最初の本たちである。中学になると、夢中になって創元推理文庫のSFを次から次へと読んだ。高校になってからもSFで、早川書房のSFシリーズは高くて手が出なかったので、文庫本のSFを読んだ。日本人のSFはローカルで面白いと思わなかった。ということで、翻訳の文体で若い頃を過ごしてしまったわけである。五十数年後の今思うと、日本語の詩的な文体を学ぶことができなかった恨みはあるが、地球を飛び出し、空想の世界に当たり前に入ることができるようになった。奇想の思考が当たり前になり、脳が世の中を何倍もの空想で楽しむことがでるという、豊かさが得られた。

空想科学小説の発祥は、ジュールベルヌのフランス、それにHGウエルズやコナンドイルのイギリスと考えられるが、今思うとアメリカのSFもずいぶん読んだと思う。第二次世界大戦後は、アメリカのSFが全盛期をむかえたという。

日本において、昭和初期にはウエルズの透明人間などが訳さているが、本格的なSFの翻訳というのは戦後十年、番頭がやはり小学生の頃である。調べたところ、最新科学小説全集というSFシリーズが昭和31年から32年にかけて元々社という神田の出版社から出されていた。当時知る由もなし、今になって興味がわいて揃えることになった。B6判箱入りの本で、口絵にカラーが入っている本もある。本にはSFや宇宙にかかわる文章のある小冊子と、登場人物の名前などが書かれた栞がはいっている。内容はアメリカのSFが中心である。

ただ、一期12冊、二期12冊の出版予定が、出版社倒産により18冊のみだされた。出版された本と倒産で出版されなかった本の多くは後に早川のSFシリーズ、創元推理のSF文庫に再訳出されており、今でも読むことはできる。

この叢書で最も興味をひいたのは、そのすべてに、「翻訳権所有(本邦未紹介新訳)」とあることだ。日本で初めて訳されたものということで、今では著名なSFである。

18冊の中にアメリカのバート・ハインラインのものが3冊、レイ・ブラッドベリーのものが2冊、フレドリック・ブラウン、ジョン・ウィンダム、ロバート・シェクリー、ヴァン・ヴォークト、ポールアンダーソンがある、それにイギリスのアーサーCクラークは王立天文学協会会員、英国宇宙旅行協会会長だそうだ。この人たちのSFは創元推理文庫で読みに読んだ。

18冊の中で、いくつか読んでいない気になる本がある。特にイギリスのCSクライブ・ステープルス・ルイスの「沈黙せる惑星」(17)である。どこかで見た名前だと思ったら、「二ルスの旅」のルイスである。解説によると、この人はイギリスの文学教授であり神学博士。人間を中心に書かれたSFで、多くの専門書も書いており、後に子供向けの本を書くようになったという。是非、これから読もうと思う。(1)のラファイエット・ロナルド・ハバードも知らなかった。哲学、教育、宗教の学者で、「宇宙航路」も面白そうだ。この本の解説がすごい、時間・空間の相対性について、野尻貞夫の理論解説が28ページにわたって書かれている。(6)の「人工衛星物語」のディビット・ダンカンは脚本家でもあり、アウターリミッツの映画版をつくった人である。(13)のウイルソン・タッカーはスペースオペラという語を作った人だそうで、(19)のリイ・ブラケットはキャプテンフューチャーで知られたSF作家エドモンド・ムーア・ハミルトンの奥さんだそうである。

一つだけ書き留めておくと、18冊の中に、宇宙ではなく「脳」にかかわるSFが2冊ある。医師でもあるアラン・エドワード・ナースの「憑かれた人々」(8)、ポール・アンダーソンの「脳波」(14)だが、前者はまだ読んでいないが、後者は文庫で中学生のとき読んだ。「脳」は宇宙と同じく謎の広がりを持つ複雑なもので、想像力がかきたてられる。

 

最新科学小説全集をまとめておく。

出版社:元々社

発行年:昭和3132年(19561957

版型:B6判箱

出版順は番号とは必ずしも一致しない。

 

1

1 宇宙航路:Return to Tomorrowラファイエット・ロナルド・ハバードLafayette Ronald Hubbard19111986、アメリカ):尾浜惣一訳 S31-4-25 239p

2 人形つかいThe Puppet MaSterS:ロバート・アンスン・ハインラインRobert AnSon Heinlein19071988、アメリカ)石川信夫S-31-4-25 253p

3 発狂した宇宙What Mad UniverSe:フレドリック・ウイリアム・ブラウンFredric William Brown19061972、アメリカ):佐藤俊彦訳 S31 5 15  199p

4 海底の怪Out of the Deeps (The Kraken WakeS):ジョン・ウィンダムJohn Wyndham 1903-1969、イギリス):国松文雄訳 S31-8-10  200p

5 地球脱出記:An Earth Gone Mad ロージャー・ディー山田純訳 S31-6-10  175p

6 人工衛星物語:Dark Domintion:ディビッド・ダンカンDavid Duncan1913-、アメリカ)間野英雄訳 S31-7-20  193p

7 華氏四五一度Fahrenheit 451レイ・ブラドベリー((Ray Douglas Bradbury19202012、アメリカ南井慶二訳:S31-6-25  186p

8 憑かれた人:A Man Obsessedアラン・エドワード・ナースAlan Edward Nourse,19281992、アメリカ)下島連訳:S31-8-25  215p  

9 人間の手がまだ触れないUntouched by Human Hands:ロバート・シェクレイRobert Sheckley, 19282005、アメリカ)松浦康有訳:S31-9-10 223p

10 火星人記録The Matian Chronicles:レイ・ブラドベリー:斎藤静江訳:S31-10-25  234p

11 月世界植民地Earthlight:サー・アーサー・チャールズ・クラークSir Arthur Charles Clarke19172008、イギリス):石川・船津訳:P31-10-10  204p

12 新しい人類スランSlan:アルフレッド・エルトン・ヴァン・ヴォーグトAlfred Elton van Vogt 19122000、カナダ:尾浜惣一訳:S31-9-25 207p

第2期

13 未来世界から来た男:Man from Tomorrow (Wild Talent):ウイルソン・タッカーWilson Tucker,19142006、アメリカ)落合鳴彦訳:S31-1120 190p

14 脳波Brain Wave:ポール・ウイリアムス・アンダースンPoul William Anderson19262001、アメリカ):山田純訳:S31-12-10  186p

15 百五十年後の革命Revolt in 2100:ハインライン:南井慶二訳:S31-12-10 220p

16 地球の緑の丘The Green Hills of Earth:ハインライン:石川信夫訳 S32 1 20 200p

17 沈黙せる遊星Out of the Silent PlanetCS クライブ・ステープルス・ルイスClive Staples Lewis  18981963、イギリス)大原竜訳 S32-2-10  190p  

19 文明の仮面をはぐThe Big Jump:リイ・ブラッケットLeigh Douglass Brackett, 19151978、アメリカ):松浦康有訳:S32-2-25  172p

 

2期(出版されなかった本)

 18 時間と空間の冒険 マッコーマース

 20 恐怖物語 グロフ コンクリン編 短編 

 21 宇宙製造者 ヴォークト

 22 混沌と戦う人々 ウイリアムス

 23 虚夢Aの世界 ヴォークト

 24 天界の王 エドモンド ムーア ハミルトン 

 


蒐魂閑話:壽屋ーミニボトル図改訂

 (改訂版)

 

 サントリーははじめ壽屋でした。1963年にサントリー株式会社になりました。壽屋、KOTOBUKIYA名義で発売されたウイスキーは少なくとも60年以上前のものということになります。

 壽屋と書かれたウイスキービンがわが家に三本あります。「Suntory Whisky」と書かれた、売り出し名「白札」の空ミニボトルと「赤札」の空ポケットビン、それにLUMONNDOと書かれた未開封の大瓶です。

 サントリーは鳥井信治郎が1899年に鳥井商店を大阪で開業し、葡萄」酒の販売を始めた会社です。1906年には壽屋洋酒店と改名し、1921年に株式会社壽屋になり、1963年にサントリー株式会社になったと、土屋守氏がネットにのせているサントリーの歴史に書かれています。土屋守氏のネットの「JW(Japanese whisky)物語」はとても参考になります。

 壽屋は1911年に「ヘルメスウイスキー」をだしていますが、このウイスキーは本格的なものではなかった(混成酒)ということです。

1923年、鳥井さんはアルコール製造では当時日本一だった摂津酒造にいた竹鶴政孝を壽屋に招き入れます。関東大震災が起きた年です。摂津酒造にいたときに、ウイスキーづくりをスコットランドで学んできた竹鶴は、大阪山崎に日本初めてのウイスキー蒸留所を完成させました。1924年のことです。

そして、5年後、1929年4月1日に売り出されたのが、本格的なウイスキー「白札」ということです。一級ウイスキーです。

ともかく、「白札」はサントリーばかりではなく、日本のスコッチとしての第一号ウイスキーであるわけです。720mlの瓶で、四円五十銭もしたそうです。当時1円は今の一万円ほどの価値になります。

 その壽屋、「白札」のミニボトルが手元にあるのです。不確実ですが、ヤフオクで何本かの酒の空瓶をただのような値段で買った中にあったものだと思います。白札小瓶は空瓶でもとても高価なものです。

 茶色の小瓶で、ラベルに「Suntory Whisky」としか書かれていません。当時の宣伝パンフなどには「白札」とありますので、壽屋は「白札」という名前で売り出したようです。ビンのラベルにはKOTOBUKIYA LTDとあり、下のほうに株式会社、壽屋 大阪―東京とあります。PURE MALT and POT STILLと小文字で書かれていますが、ピュアーモルトというのは、蒸留所の原酒をつかい、ポットスティルは単式蒸留装置を用いたものということです。

ラよく知られているサントリーの向獅子のマークは首のラベルにありますが、本体ラベルにはsuntoryの字が二本クロスしているマークを使っています。製薬会社にこのようなマークを使っているところがありました。不思議なのは、Rare Old Island Whiskyとカリグラフィーで大きく書かれています。Islandはイギリスを意味しているのか、島国の日本を強調したいのか、日本ならば面白いと思うのですが。

 この貴重な茶色の小瓶は宣伝、試飲用につくられたのかどうかわかりませんが、1929年の発売当時からあったとは思えません(?)。いつごろ、発売または配られたのでしょう。我が家の小瓶のラベルの裏に年号日付らしき青い印が押されています。反対側から瓶の中を通して見ると、1950らしき数字が見えます。年号だとすると1950年のものになりますが、はっきりしません。そうだとすると、70年前、先に書いたように、壽屋とありますので、少なくとも60年前に作られたものということでしょう。

 「白札」は壽屋がサントリーになったときと同じ頃、「ホワイト」と改名され、今も飲まれています。

 次の壽屋にうつりましょう。これは赤札ウイスキーです。赤札は白札の次の年、1930年に発売されています。

ここにあるのは赤札のポケットビンで、アルミ?、アルマイト?でできているキャップの猪口がついています。これもめずらし物だと思います。ポケットビンはスキットルの形をしていて、ポケットにするりと入る、旅のお供です。日本ではいつから売られるようになったのかわかりませんでしたが、ニッカのポケットビンが1950年に売り出されたという記事がありました。赤札ポケットビンのことは全く情報がありません。

このポケット瓶を手に入れたのは、白札も赤札も知らないときのことです。数十年前、近くのお寺「高幡不動尊」境内で行われる古道具市「ござれ市」でみつけたものです。茶色のウイスキービンが好みだったこともあり、古そうなので買い求めたものだとおもいます。

実は、このブログを書いたときには、白札のポケット瓶と書いてしまいました。赤札のことを全く調べなかったからです。赤札のレギュラー瓶とラベルが色もデザインも同じです。

 海老茶色のラベルに、白と同じマークや文字が描かれています。ビンの裏には、英語により日本で蒸留された、唯一スコッチと同様のウイスキー-であることが述べられたラベルが貼られています。

 赤札も白札が名前を変えた頃と同時期に、レッドと変わり、今も飲まれています。

 最後に大きなビンの壽屋を紹介します。「白札」と「赤札」の大瓶は残念ながらありませんが、「LOMOND」というウイスキーが未開封であります。このウイスキーは、ござれ市に出店していた古物商主人に、古い「角瓶」をお願いしておいて、それを購入したときに、何本かかなり古いウイスキー数本をもらった中にはいっていたものです。ずい分汚れていました。その中にはスコッチのシングルモルトを含めいろいろありました。

LOMONDは二級とあります。ラベルにはBlended Whisky Extra Specialとあります。720ml、47%と通常より少し強いお酒です。

LOMONDとはスコットランドのローモンド湖からとったのでしょうか。LOCH(湖)LOMONDのあたりはスコッチの生産地です。そのままの名前のスコッチがあります。

ところが、LOMONDは市販されていなかったようで、価格もわかりません。ちらっと、関係者に配ったウイスキーだと書いたものもありましたが、正式な文章は見つかりませんでした。

ラベルが面白い。鳥の足をもった、竜のような生き物が描かれています。キャップを覆っている鉛の首にはもっと鶏に近い図があります。伝説の鳳凰でしょう。昔の百円銀貨の裏です。

なぜ鳳凰なのかおもいながら、スコッチの歴史をみていたら、古くからのスコッチウイスキー、バレンタインの貯蔵庫では、盗人対策にガチョウを飼っていたということが書いてありました。ガチョウは人が来ると、があがあとうるさく鳴くのでいい警備員だそうです。神話の中のガチョウは黄金の卵を産むそうで、バランタインの会社のバッチにまでなっているそうです。

いまバレンタインの輸入元はサントリーとバランタインの合弁会社です。サントリーにとって、バレンタインは憧れのウィイスキーだったようです。とすると、LOMONDの絵はバランタインのガチョウにあやかって、鳳凰にしたのでしょうか。鳳凰の卵は不老不死の霊薬です。ウイスキーにはうってつけかもしれません。

勝手な想像はこれでおわりにしましょう。ともかく壽屋のウイスキー「白札」それに「赤札」は日本のウイスキー発展の基礎を作りました。いまジャパニーズウイスキーということで、日本はイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアとともに五大生産地になっています。番頭はむかしから日本のウイスキーを「ジャコッチ」と呼んだりしていました。だがこれもスコッチ、英語を意識しすぎた名前かもしれません。もう一度、日本のウイスキーに日本独自の名前を考えてみることにします。ニッポンスキー(Nipponsky)。日本好きにつながります、お笑いでございますか。

 

前の版のブログでは大きな間違いを犯していました。壽屋が二番目に出したウイスキーの「赤札」ポケット瓶を「白札」と書いてしまったのです。ここに訂正したものを再掲載します。ヤフオクに同じものが出ていたのをみつけ、赤札とあって自分の大きな間違いに気づいた次第です。お恥ずかしい限りです。

 

 

第二ブログ 「アホラ サロン」

漫画「コロニャン」、アホラ画廊 掲載

http://hedgehog0808-ahora/livedoor.blog/

 

 

星空文庫 

小説作品を小説掲載サイト(星空文庫 https://slib.net)に掲載しています。作者名「草片文庫」で二つ投稿しています。

無料で読めます。下記の作者のURLを開いてください。

 

茸小説 :作者(草片文庫)https://slib.net/a/23111/

幻視小説:作者(草片文庫)https://slib.net/a/23121/

 


皆川博子ー幻想

皆川博子図1

皆川博子図2

 皆川博子は幻想系の小説家として数少ない好きな作家の一人である。草片文庫番頭が20代のはじめ、中井英夫の小説にとらわれていたときは、全く知らないと言っていい作家だったが、中井英夫の新作が途切れ途切れになってきたとき、赤江瀑と皆川博子の小説に目がいくようになった。1970年代後半から1980年代は、赤江の作品がかなりのはやさで出版されるようになった。一方、皆川の本は70年代半ば過ぎからポツリポツリと出版され、1984年から87年にかけては殺人事件ものが目に付く。90年代には幻想系の短編集もかなりの数が出るようになって、そのころよく読んだと思う。どの本から読み始めたのか定かではないのだが、白水社の1974年の「壁」からかもしれない。推理作家協会賞を受賞している。この本は「旅」シリーズの一冊で、澁澤龍彦の「城」、中井英夫の「墓地」、赤江瀑の「海峡」など泉鏡花賞受賞作家が書いている。このシリーズは全て棚にあったのだが、今は散逸してしまった。

皆川博子を幻想作家として意識したのは、「壁」の次の年にでた「愛と髑髏と」を読んでからかもしれない。それからは「水底の祭り」など初期のものを古書店で買い求めた記憶がある。皆川博子が泉鏡花文学賞をいつとるか楽しみになったわけだが、候補にはなっているが受賞はしていない。泉鏡花賞は他の文学賞とは違うスタンスの文学賞で、未だに受賞作をおいもとめている。しかし多くの賞を受賞してしまったためだろうか、泉鏡花賞受賞作に皆川博子の名前がないのは残念である。

 皆川博子の著作本は澁澤、中井、赤江本と同じ傾向の装幀者が関わっていて綺麗な本が多い。本棚に皆川博子の本が全てあるわけではないが、並んでいるものだけを見ると、1970年代から1990年はじめまでの本の装幀者は、坂田政則、井上正篤、立石修司、金子國義、東谷武美、吉岡実、司修、岡田嘉夫で、1990年になると中島かほるがしばらく続く。2000年前後に、北見隆、及川健のものも見られるが、それから2012年まではほとんどが柳川貴代である。本棚にある本は2013年出版の「影を買う店」が最後だが、坂野公一、吉田知美の装幀である。

 皆川博子の作品の背をみると、最近のものはどれも背幅が広い。ようするに分厚い長編である。児童小説から始まり、幻想、日本のミステリー、浮世絵などの時代物、世界をまたにかけた大部のミステリー、と大きな広がりと厚みをもった皆川小説だが、草片文庫番頭はやはり幻想短編集がこのみである。

 このブログでは装幀者に着目した図1と棚にある本を出版順に並べた図2をつくった。読み返してみたいとは思うのだが、まだ読んでいない本が五万とある。最近は戦後直後の本に目がいってしまって困り果てている。

 

 

オールドパー1ミニボトル図

オールドパー1-ミニボトル クラックルビン

 

茶色の小瓶が好きです。その前に茶色が好きです。着るものも茶色が多い。茶色は好まれる色ではないようで、囚人服のイメージがあるとのご指摘もありました。

 次に、クラックルのガラスが好きです。Crackleとはヒビ、細かいヒビ模様ということで、清水焼のようなヒビの入った焼き物はcracklewareということになります。

 Crackは割れる、砕ける、ひび割れるという動詞で、鋭い音を出すなどの意味もあり、crackleもぱちぱちという音がするという意味があるそうで、

静電気でぴりっとくるのはcrackle by static electricityとなるわけです。余計な話でした。 

 ともあれ、ひび割れ模様の茶瓶が好きなのです。

それに至った経緯はウイスキーです。若いころはウイスキーを好んで飲んだわけではありません。毎日飲むようになったのはずいぶん後になります。通風になり、ビールなどは避けなければならいことから、ウイスキーになったわけです。毎日飲んでいたのは亀甲模様のサントリー角です。角は子供のころから知っていました。この瓶が好きでした。

若いころは、外国のウイスキーなど高くてそう買えるものではありませんでした。最初に外国のウイスキーをおいしいと思ったのは、ジャックダニエルでした。スコッチではなくバーボンです。ウイスキーに目が行くようになり、有名なスコッチ、オールドパーを目にします。オールドパーの茶色の瓶、しかもひび割れたような模様。いいなあと思い、そこでクラックルという言葉を知ったわけです。

オールドパーは、グリンリース兄弟が1909年(明治42年)に商標登録をしたブレンドウイスキーです。

 グリンリース兄弟は1871年(明治4年)にグリンスリースブラザーズ社をロンドンに設立し、ウイスキーを製造し始めました。この会社は1925年にアレキサンダー、マクドナルド社に吸収され、社名はマクドナルト グリンスリースとなります。オールドパーが世に出たのはマクドナルト グリンスリース社になってからという事なのでしょうか。

 グリンスリース兄弟が、オールドパーのいれものとして、クラックル茶色の四角い小瓶を考えたのは、それまで一般に使われていた陶器ボトルの形状からだという話です。

 名前の由来は色々なところで書かれているし、オールドパーの歴史には必ず出てきます。152歳まで生きた農夫Old Parrにあやかったもので、瓶の後ろや箱に書かれているParrの肖像はルーベンスの筆によるものだということです。Parrの逸話は色々なものに書いてあります。

 ともあれ、茶色のクラックルボトルのウイスキー、初期はイギリスで大流行、後にアジアに流行ったそうです。岩倉具視使節団が持ち帰えり、岩倉が好んだウイスキーと様々なところにかかれています。だが、SNSでこんなことを拾いました。岩倉具視の件をオールドパーの会社に尋ねたところ、岩倉具視が持って帰ったという記録はないということだそうです。ウイスキーオールドパーのはじまりは1909年(明治42年)、一方、岩倉具視使節団は1871年から1873年で、持ち帰ったものがオールドパーなのかどうか疑問が残るようです。

オールドパーはマイルドで美味しいウイスキーとしか頭に残っていません。

 コロナの期間中、体調のせい(コロナにかかったわけではありません)で一時酒が飲めなくなりました。ヤフオクやメルカリをみていると、ウイスキーの様々な形と色のミニボトルがでているのに気付き、ほしくなったわけです。飲めないならせめて形を楽しもうといったところでしょうか。そこで、クラックル茶色の小瓶、オールドパーのミニボトルをたくさん手元に集めてしまいました。ラベルが異なる年代の違うボトルたちです。

 さて、並べてみて、どれが一番古いのだろうと推測ゲームをしました。ミニボトルの瓶をいつから生産しているのか、ウイスキーの本をまともに読んだことがないのでわからないことばかりです。

 まず、眺め回してみれば、長いボトルの首は長いか、首に扇形のラベルがあるか、酒税証紙がボトルにあるかないか、正面ラベルの様子などをざっとみました。虫眼鏡でラベルをじっくり見て、さらに輸入業者の歴史も考え、最も古いミニボトルはどれか、自分の部屋にあるだけのオールドパー、クラックル茶色の小瓶を並べて推理を楽しんだわけです。写真にしたのは、ああだこうだと考えた末の結果で、素人のやったことです、まちがいだらけかもしれません。信じないで下さい。

 まず頭文字が黒いほうが、赤いものより古い。とありましたので、それでわけます。次に酒税印紙があるものは1974年以前ということがわかります。その辺のボトルはみな首が長いものです。さらに首に「Old Parr」と書かれた扇型のラベルがはってあります。初期のものには貯蔵年数、12年という数字がかかれていないということです。容量は48ml、そういったものを古いものとしてならべ、それ以外の違い虫眼鏡でみますと、楕円の中が四角っぽい正面ラベルに、生産地が「Leith Scotland」と赤字であるものと、かなり小さな黒文字で「Edinburgh Scotland」とあるものがありました。Leithはスコットランドの首都であるEdinburghの北の港町です。

 Leith Scotlandとあるものを、1番にしました。その中でどれが一番古いのか、輸入業者から考えてみました。まず箱に入った瓶の輸入業者は「京都木下商事株式会社」。さらに「兼松江商株式会社」、「丸善株式会社」、「株式会社近藤商店」があります。どれも古くから、または昔の輸入業者です。会社を調べると、京都木下商事は現在同じ地域に似たよう名なの商社がありましたが、古い情報は手に入りませんでした。オールドパーを中心にいれていたのは「兼松江商」ですが、会社がこの名前になったのは1967年からで、1973年からはオールドパー株式会社がオールドパーを一手に入れていたようです。このボトルは1967-1972頃のボトルと推測できます。さらに兼松江商株式会社になったとき本社は東京にうつりますが、このボトルの住所は神戸市生田区になっており、まだなりたての頃と考えると、1967年前後のものと考えていいのかもしれません。

「丸善」は本屋として著名です。輸入業としての歴史に関しては見つけることとができなかったのですが、このラベルの住所が、日本橋通2丁目とあり、1973年の住居表示変更からは「通り」がなくなったことから、このボトルは1972年頃までのものとなでしょう。東京都「近藤商店」の情報も全く見つかりませんでした。ということで、「Leith Scotland」と書かれたボトルのどれが一番古いものか特定はできませんでした。とりあえず兼松江商のボトルを1の代表としました。

次に1とほぼ同じだが、Leith ScotlandEdinburgh Scotlandと変わったラベルのものを2としました。ここにだしたのは、「(KG)兼松江商株式会社」のラベルのあるビンで、ただ1のものとちがって、住所は東京になっています。ということは1970年代中後半ということになると思います。

Old Parrの頭文字は黒いが、首のラベルもない背の低いボトルがあります。「オールドパー株式会社」のラベルが裏にあります。オールドパー株式会社は1973年から1988年オールドパー総代理店でした。このボトルは、会社としては最も古い時期、1980年代のボトルではないでしょうか?しかも、このボトルは容量が50mlとなっており、現在のボトルと同じ容量です。ということから、このボトルは首長からずんぐり型へ移行した時期のものと判断して、移行期のボトル3ということにしました。

これからは熟成年数12が表記されているボトルです。赤い字で12と正面ラベルにあります。しかし、Old Parrの頭文字は黒色で、ラベルの形状も今までのものと同じ楕円四角です。後部にオールドパー株式会社のラベルのはってあるもの、プラスチック製のキャップシールにユナイテッド・ディスティラーズ・(UD)グループ・ジャパンの名があるものがあります。オールドパー株式会社は1973年から1988年、UDは1986年から1997年、で、このタイプは1970年から1990年後半までつづくものなのでしょう。4として分類しましたが、写真は金色の箱に入っていたもので輸入業者の書かれているものはありませんでした。

5はちょっと特殊です。黒字で12と入ったボトルで、輸入はニューヨークの業者です。アメリカに輸入されたもので、アメリカの酒税印紙がはられているものがあります。どのような経緯で日本に入ったのか、またいつごろのものか全くわかりません。

6になると、熟年数12が黒くなり、字体が変化しました。それにビンの裏に楕円のラベルが張られるようになります。ラベルはParrの肖像画だったり、注意書きだったりします。輸入元は蓋のプラスチックシールにUDじゃぱんとあります。茶色っぽい箱に入っています。1990年後半以前のものだと思います。

さらに新しいボトル7は正面ラベルが大きく変化し、楕円に楕円のレベルになります。活字も変わり、6と同様の字体ですが、影がつきます。ラベルは金色ぽくなり、輸入はMDHディアジオおよびモエ ヘネシーとあります。7も8も蒸留所、Gragganmore distilleryの絵が茶淡色で描かれています。

最近(2022年)、酒売り場で購入したもの8は、7と同じ形ですが、色は白っぽくなり、MDH モエ ヘネシー ディアジオとあります。

ネットには、2004年、仏モエヘネシーと英ディアジオの二社になり、2009年にMHDモエヘネシーディオジア社になると書かれていました。

とすると、7は2004年以降、8は2009年以降となるのでしょうか。

ボトルの年代特定は、オールドパーの会社に聞けば、確実なものだと思われますが、こういった推測遊びも面白いものです。

味の違いがわかる人なら、年代と味の関係なども図示することができるのだと思いますが、番頭にはこの程度わかったことでもなかなか幸せなのです。

茶色のクラックルビン、話題はまだまだあります。オールドパーも続きます。


新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
澁澤龍彦ー荒俣宏花譜図4(使用)

 

 澁澤龍彦の著書は美本が多い、その中でも平凡社からでた「フローラ逍遥」は突出している。この本が出版されたのは1987年の連休明け間もなくのこと、新聞の宣伝あたりで知った草片文庫番頭は、すぐの日曜日に、近くの本屋に行けどまだ入荷しておらず、自宅から50分ほどかかる新宿まででて、おそらく紀伊国屋で買い求めた。

 綺麗な本だ。何しろ花の絵がすばらしい。植物文化誌研究家の八坂安守氏が泰西諸国の著名な植物図譜から選んだ銅版や石版画による花を、澁澤龍彦のあたりのいい植物のエッセイにあわせて、一ページに大きく印刷した本である。また装幀家、中島かほる氏の泰西の本から取った椿の絵をあしらった装丁があまりにもきれいだ。おかげで、あとのことになるが、配偶者、子ども二人にも買い与え、家には4冊あることになった。もちろん知人らにもすすめた。

 澁澤龍彦もあとがきに書いているが、この本の魅力は龍彦の文によるところだけではなく、八坂書房社主でもある八坂安守氏の花譜の選択によるところも大きいと番頭も感じた。この出版社が1988年から始めた植物図譜ライブラリーの1と2は針鼠の本棚に収まっている。6冊あるはずだが、図譜類は欲しいとは思っても高額で続かなかった。それは、荒俣宏氏が1990年頃から、平凡社やリブロポートから博物学の図譜類を出版し始め、そちらに財布を持っていかれたからにだが、本当は揃えたいシリーズである。

 「フローラ逍遥」が澁澤氏の亡くなる直前と言っていい頃に店頭に並んだのは、よかったと今になれば思う。ご本人も完成された本を見て、さぞ喜んだことだろうと想像できる。まさか3ヶ月ほどあとに亡くなってしまうとは思ってもいなかった。

 この本では大変な思いをしたことを書かなければならない。本に興味を持ち始め、集めるという癖の中に澁澤龍彦本が入り込んだときからのことだ。出版されたときの形のままの本を集めたいと思うと、付随している帯もついていなければならない。古書、さらに希書になると、帯などは欠落してしまい、帯がついているものの価格は数倍、数十倍、それ以上にもなる。

 「フローラ逍遥」は帯がなくていい本だと思っていた。出版されてすぐに買ったものにも帯はなかった。どこで読んだのだか覚えていないが、出版社のほうでは帯をつくって龍彦に見せたという。だが、龍彦が要らないと断ったという。さすがである。帯は装幀の美を壊す。だが、どのような帯を考えたのか気にはなった。番頭には平凡社で編集に携わっていた大学の同級生がいる。その彼にそんな話をしたことがある。聞いてあげるよということだったが、もうないってさ、少しだけど帯のついたのも出荷したそうだよ、という返事をもらった。さあ、そこからもやもやが始まった。そして、時が経つと、一般の本と同様、「フローラ逍遥」が古書店でも見られるようになった。さらに年月が経ち、とうとう帯つきの「フローラ逍遥」が古書目録にあらわれた。だが本の価格の30倍から、40倍にもなっていた。これではあきらめるしかない。さらに年月がたち、あきらめの境地に達する寸前、貯めておいたもので買える価格で出品された。それがここに載せた帯つきの「フローラ逍遥」というわけだ。帯は意外と落ち着いているもので、編集部でも相当考えたのだろうと思う。

 今でもこの本を開くと綺麗な本だと思う。帯がなくてもいい。

 このエッセイは平凡社の雑誌「太陽」に1984年から1986年にかけて書かれたものである。澁澤が気ままに植物を選んで、古今東西の著作から花をひっぱりだして、その花をことばのオブラートの中にとじこめる。花が人間臭くなり動き出す。雑誌太陽は、初代所編集長、谷川健一が創刊のことばで、「きりのない百科事典であり、同時に目で見る詞華集である」と書いているが、「フローラ逍遥」はそのものであろう。

 一方、荒俣宏は平凡社の月間アニマに1988年から1990年まで博物学的視点からさまざまな植物を記載している。雑誌アニマは自然史の雑誌で動物が主なものであったが、博物誌としての側面ももっていた。

 それを中心にまとめた本、「花空庭園」をやはり平凡社から1992年7月に刊行している。架空庭園をもじったタイトルである。「フローラ逍遥」より少しばかり大きい菊判の本である。泰西の綺麗な花譜からとった多種の花の絵の貼り箱にはいっている。装幀は中島かほるかとみまがうできだが、帯に著者はじめての自装とあった。多くの花が描かれた花譜を選んだのは、多方面からの知識を披露する博物学者のなせることだろう。一方「フローラ逍遥」は朱赤と白い椿の花と葉のみの絵で、澁澤の硬質の文をよく現している。

 「花空庭園」のはじめの言葉で、「フローラ逍遥」とのかかわりが述べられており、澁澤龍彦大魔王の下級信徒と自分のことを記し、「フローラ逍遥に」近づけるべく努力したがおよばなかったと書かれている。

 番頭が思うに、この二つの本は違うものである。「花空庭園」は花譜を選ぶのも、解説をするのも、エッセイとしてまとめるのも、荒俣宏氏一人でおこなっている。現代の本ものの博物学者である。稀覯本、特に博物学図譜本の稀代なるコレクターでもある。この本も美本の一つである。荒俣は澁澤龍彦を大魔王と呼んでいる。澁澤が稲垣足穂のことを、「わが魔道の先達」と書いたからだろう。ハクション大魔王とか思い浮かべてしまう番頭の軽薄な頭がそうするのだろうが、大魔王は軽い言葉に思えてしまって、しっくりこない。澁澤龍彦は澁澤龍彦である。

 ということで、「フローラ逍遥」と「花空庭園」は切っても切れない縁がある。そういう理由でここに並べることにしたわけである。

 さて、どちらの本が好きかとなると、個人個人の好みである。見る人が決めることである。

 「フローラ逍遥」も「花空庭園」も平凡社ライブラリーとして、新書版ででている。荒俣宏の著作はかなり本棚にならんでいる。平凡社から出された博物図鑑類は平凡社にいた学友にたのんでサイン入りがそろっている。いずれ、ブログでも紹介したいと思っている。

 

 

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