【日記】日記を読むとき、日記もまたこちらを読んでいるのだ。

2018/05/22


先日、例によって岩手で写真を撮りながら歩き回っていたわけですけど。とある駅に立ち寄ったときのこと。田舎はランドマークに乏しいので駅を目的地というかチェックポイント代わりにしているわけです。駅に着いて、駅舎──というかほとんどただの小さな待合室に入って、ちょっと休憩するかなーと。水分を補給して、カロリーメイトを食べて、ひと息ついて。で、駅の近辺の写真でも撮っておきたいなーと、待合室から出たら、いつの間にか一匹の野良猫が近付いてきていたのですね。あ!!猫!!写真!!写真!! 以前、野生の鹿(たぶん鹿だったのだと思う)を撮り逃した経験から、あわててスマホを構えて大きく写るようにズームして(デジタルズームだから画像が荒いですよ)ってわちゃわちゃしてたら、別の方向からもう一匹野良猫が近付いてきていて、えー!?って。なにこの状況!? おそらく、ふだん駅の利用者か近所のひとがこの野良猫たちにエサを与えているんではないかと。自分のこともエサをくれる人間だと察して近寄ってきたんだと思います。このとき残念なことに猫にあげられるものはなにも持っておらず(カロリーメイトは食べてしまったので、というか猫がカロリーメイト食べれるのかは知りませんが)、他にはのど飴を持っていたけどさすがに猫は飴とか食べんよなあと。おそらくは食べ物を期待しているのだろう野良猫二匹にもうしわけなく思って、その場を離れることにしました。なんだかどこかで聞いたことのあるような出来事が起きたわけですけど、こういうことって実際にあるんだなーと。

2018/05/17


2018/05/07

日記をのぞくとき、日記をのぞいているのだ(一方そのころ、宇宙のエントロピーは増大しているのだ!)。上の写真はちょっと実験的に撮った&加工した写真です。なかなかよく撮れてるんじゃない?て見えてるとしたらそれは「アプリ」の力(パワー)です。──それでは「“普通に好き”ってどれくらい好きってことなのか問題」について考えていきたいと思います。ありますよね「普通に好き」って。普通に好きって、それは「とくにどうとも思っていない」ってことなのか、それとも単に「好き」ってことなのか一体どうゆうことなんやと。はっきりせんかいと。普通に好きという感情を自分の場合で例えると──まあ食べ物で例えるとわかりやすいですかね、「おもち」ということにします。「おもち好き?」って質問されたらわりと困るというか、「え?おもち?うーん、まあ別に嫌いじゃないけど、普通に好きですかね」って。これですよね、普通に好き。このときの自分の感情の流れを追ってみると、「え?おもち?いきなりなんでおもち?おもち好きかどうかって?うーん、おもちなんて正月以外であんまり食べないし、正月にも必ず食べるってわけでもないし、あ!でも“力うどん”とかにおもち入ってますよね、でも力うどんだってそう頻繁に食べるもんでもないし、じゃあ嫌いかっていったら決して嫌いではないし、あ!きな粉もちはあんまり好きじゃないかな、おもちがどうこうじゃなく“きな粉”があまり好きじゃないんですよね、まあきな粉もちに限定した話でもなかったよな、正月とかにおもちが出てきたらそれなりにテンションは上がるはずだし、好きと言ってよいのでは? あ!でもべつにとびきり好きってわけでもないよな、好物かどうかでいったらべつに好物ってほどじゃない、たぶん鶏の唐揚げのがまちがいなく好物! けれども好きか嫌いかで考えるなら好きとは言えるよな、まあ普通に好きだよな」というような流れ。たとえば、Amazonレビューみたいに「好き」の度合いを★の数に換算してたとえるならば、★3か★4あたりが「普通に好き」の範囲なのかな?とか考えてみるけど、おそらくもっと微妙な範囲なんじゃないかなあと──★2.5〜★3.5あたりの範囲くらいがニュアンスとしての「普通に好き」の範囲なんじゃないかと思うんですけどね。★4になったら「けっこう好き」「(単純に)好き」だと思うし、★5になったらあまり疑問の余地なく「好き」「大好き」なのではないかなと。じゃあ「普通」ってことなら★3でええやんてことになりますが、もちろんそれでもいいんでしょうけど、それだとあまりにも普通っていうか「普通に普通」ってことですよね。え!? 普通に普通? なにそれ!!! 普通に普通!!! 「普通に好き」とあえて“好き”と付け足して強調しているからにはただ「普通」なわけではない、普通とは微妙に違うんやで!てニュアンスを含むわけですよね。たぶん。だからたぶん“ゆらぎ”があって一律な感情ではないってことでもありますよね。ニュアンスには個人差があると思うので。で、「普通に好き」には大きくわけてふたつのパターンがあるのではないかと思っていて、それは「好きと断言するほど好きなわけじゃないけどまあ好き」という「消極的な好き」のニュアンスと、「あんまり好きではないけど嫌いと断言するほどではないし、でもどちらかということならまあ好きということにしよう」という「消極的な嫌い」のニュアンスとがあるのではないかと考えるわけですが。どちらにしても二元論では表現しきれない微妙なニュアンスを汲み取る/端的に伝える手段として優れているんだろうなあということは言えそうですよね。コミュニケーションにおいて“嫌い”(否定的)より“好き”(肯定的)を表明したほうが不要な摩擦が少なくなるとかもあるんでしょうし。「え?普通ですが?」て言うのも不必要にトゲがあるように受け取られそうだし。それに、自分自身の気持ちが明日にはどうなってるかの保証なんてないので、明日になったら「やっぱり嫌い!」「やっぱり好き!」と気持ちがハッキリすることだってあるかもしれないので、どちらともつかない段階で気持ちを決め付けないってのはそれなりに大切なのかもしれないですよね。言霊思想じゃないですけど「嫌い」「(単純に)普通」あるいは「関心がない」と決め付けてしまうことによって、その言葉に引き寄せられていくということはあると思うので、そういう意味でも普通に「好き」とポジティヴな方向への希望を持たせておく、みたいなこともあるんじゃないのかなあと(それはそれで抑圧的でもあるんでしょうけども)。それで、自分がなんでこんなことを考えているかというと、「普通に好き」なんて表現は実はぶっちゃけどうでもよくて、言葉(あるいは感情)には“ゆらぎ”があるんだよなあってことで。「普通に好き」なのかどうかはその瞬間ごとに微妙にグラデーションがあるはずですよね。常に一律の意味に収束できるかっていったらそんなことはなくて、ゆらぎがあって、いつでも言外の意味は含まれていて、気持ちは確定されていなくて、なにかを決め付けるなんてなかなかできないってことはありますよね──てことを考えていたわけですね。言い方を替えるなら、わからないものはわからないものとしてある、事実としてそこにあるってことですね。なぜなら言葉を操る自分自身が自分の気持ちを十全に理解しているとは限らないからだし、さらにはその気持ちを十全に言葉へと変換できているとも限らないからですね──ってまたこの話ですか! それが言葉を操ることの難しさで(むむ、なにやら知ったようなことを書いているな!)コミュニケーションの難しさでもあって、一律にできないんならまともなコミュニケーションなんかできないじゃん!てことでもなくて、曖昧なら曖昧なりにそれでも曖昧に言葉を操って日常を暮らしているわけですよね──ていうことを日記を書きながら実感するのが、まさしく「日記」なんでしょうかね。

2018/05/01





【日記】ふ、ふん!勘違いしないでよね!これはただの義理日記なんだからねっ!(たまに日記を書きます)

2018/04/29
沼ちよ子 - めんけぇなぁえみちゃん(WEBコミックぜにょん)
秋田の方言てよくわかんないじゃないですか。

2018/04/26

某スーパーできのこの山を作れる知育菓子「作ろう!きのこの山」というのが売られてて、これ「きのこの山」を作れてしまうんですよ。まさしくきのこの「山」を手に入れたも同然のお菓子なんですね。きのこを栽培する権利をやろう、みたいな。すごくないですか。あと作ろうシリーズにはアポロチョコを作れる「手づくりアポロ」てのもあるんですよね。で、ハート型とか富士山型とかやろうと思えばいろんな形のアポロチョコを作れてしまうんですよ。DIYスピリッツ! これもうアポロ関係なくない?っていうかハート型のアポロチョコはコンビニなんかでも売られてて買ったこともあったはずで「へえーこんなアポロチョコもあるんだ」と思ったんだけだど、これもうアポロ関係なくない?っていう(二度言いました)。アポロチョコってアポロ宇宙船のフォルムからきているので円錐フォルムじゃなくなったらアイデンティティーがどっかに行くんだけど、もしかしたらトポロジー的には同じやん?ほら富士山とかほぼ同じ形やん?みたいなことなのかもしれないですよね。幾何学! (株式会社)明治さんはこれに便乗してというかなんなら「作ろう!おやつはカール」とか出したらいいんじゃないでしょうか。これでカールが売られてない地域でもカールが食べられる! そうゆうDIYスピリッツ。あと、きのこの山とたけのこの里をモチーフにしたオセロゲーム「きのこの山VSたけのこの里」ていうのがあって。これもうわけわかんねえなっていう(現代ですよねー)。ものすごい遊びにくそうですよね。せめてどっちかホワイトチョコ仕様にしてくれるとかのユーザビリティへの配慮は、このゲームにはないのです! ユーザビリティ!ユーザビリティ!(ユーザビリティ言いたいだけ案件)。──さて、話は全く関係なくなりますが。カメラと自分との関係について(スマホカメラと写真について)の雑感。最近、カメラと自分との関係について考えてみることがある、てことに関連してなにか書こうと思っていたのだけど、まとまる気配がなかったので断片的なことだけいくつか書いていきたいと思います。つい最近、写真を撮ってるときに自分がイメージする写真と実際に写っている写真とのズレを感じて「あれ?」って思うときがあって。それはガラケーからスマホになったことで「カメラ」が変わったからで、今使ってるスマホカメラは広角レンズなようだってことはわかっていたのだけど、「広角レンズ」がどのような効果をもたらすのかってことはほぼなんにも理解していなかったのですね。なんか広い画角で撮れるんだよね? くらいにしか。で、写り方がなんか違うってことはスマホを初めて手にした最初期からわかっていて、自分のような素人目にも違和感(違和感と表現しますね)があるくらいにはわかっていて、どうやらこれが広角レンズというものなのだなと。それから一年は使ってきて今になって「あれ?」って思ったわけですね。ガラケーカメラ時代はカメラにあまりクセがなくてわりとイメージした通りに写るというか写せたというか(うまく写せるという意味ではないです)、たぶん慣れもあったのだと思うのですけどガラケーのカメラなんだから汎用性としてもそうなんだろうなと。スマホカメラはガラケーカメラ時代と同じ感覚で使っているとなにかと「ズレ」が生じるのですね。ある風景の写真を撮ろうとして、ガラケー時代の感覚で「このあたりの位置だよな」と構図をイメージすると、遠いのですね。広角は広い範囲が写るって意味を理解していないので、広く写る=遠ざかるってことを未だに体感として感覚として捉えていないってことなのです。なので、イメージに寄せていくために対象に(風景に)自分から近付いていくわけですけれども、この「近付くってなんなんだろうな?」って。いやいやいや、なんなんだろうな?て疑問持たれてもその疑問自体がなんなんだよってことですけれども。スマホカメラに慣れていけば(広角の視野に慣れていけば)イメージ通りに使うことができる(?)んでしょうけれども。ちょっと違う話をします。風景のなかに遠目に大きい看板があったとします。その看板に注目したとき、その看板の質感とか文字の大きさとか自分がいる場所からの距離などから看板の大きさを想像して、あの看板はたぶんこれくらいの大きさなのだろうと予測しています。そのとききっと看板は実際に目に見えているものより大きく見えているのですね。でもカメラで撮ってみると看板は思いのほか小さく写るわけです。つまり看板が大きく感じられているとき、脳内で補正/補完しているわけですよね。これと似たようなことでスキャナーアプリを使おうとして、本をカメラでスキャンしたとしますね。目で見ているときは活字が(文字が)行となって、整然と真っ直ぐ並んでいるように見えます。というか実際に整然と配置されています。でもスキャンするためにカメラで撮ると「行」は歪んで写ります、紙だから微妙にたわんでしまっているしカメラの角度の問題なんかもあるでしょうし。でも活字が整然と並んで配置されているのは事実で、そして脳内はそれふまえて見えているものを補正/補完しているってことですよね。本を読んでいるとき紙が多少たわんでも傾けても別にたいして気になりませんから。「カメラで撮ることによって再帰的にそこに写っているものを考えている」ということに関しては、そういうことでもあるわけですよね。自分は風景を見ているようで見ていないってことでもあり、あるいは自分が思っている以上に「見ている」かもしれないし。どちらにしても自分は自覚はしていないってだけで。自分が間違いでカメラは自覚しているってことでもないですよね。「カメラで撮ることによって再帰的にそこに写っているものを考えている」ということに関してある記事を思い出していて、“知っていることを書くのではない。知りたいと思ったことを書いているんだ”(Lifehacking.jp)というジャーナリスト/コラムニストでピューリッツァー賞受賞者のDonald Murrayが文章を書くときの姿勢を紹介している記事なのですが、これだよなと。自分はこの記事を知ったときにこれだよなと思ったというか、自分がブログで文章を書いている理由は少なからずこういうところはあるよなって気付いたときがあって。自分はおそらくは「文章」というものそれ自体を知りたがっているところはあるんだよなって。よくわかりませんけど。写真を撮るという行為もきっと近いところはあるはずで、自分は自分が見たものを知りたいとは思っているはずなのです。だから、カメラと自分との関係について考えているのは、そこから何かを解体できるだろう──引いてはそれが写真に写っているものを考えることであるし、たぶん自分は自分の気持ちを知りたいということでもあるのですね。

2018/04/22
FLAMINGOSIS live in the POWWAW(Youtube)
Flamingosisのライヴパフォーマンス。かなり好きなかんじのサウンド。めっちゃおもしろい!

2018/04/18

突然ですが、「ふえるワカメ」に対向して「減るワカメ」というものを考えてみました。減るワカメは食べると時間とともに減っていくワカメです。厳密には減る=消えます。消滅します。食べたあとにじわじわ減る=消えるのでダイエットにもってこいなのではないか?と思いました。が、ワカメってもともとカロリーほとんど無いのであまり意味はないですよね。じゃあそこでと考えたのが「減るごはん」です。食べると時間とともに減っていきます。これならダイエットにもってこいなのではないかと思います。なんか未来にはありそうじゃないですか、「減るごはん」。減る=消えるって質量保存の法則的にはどうなってんの?と疑問が残りますけれども、知りません。消えた「ごはん」がどこに消えるのかは誰にもわかりません。たぶん異世界とかに飛んでいきます(なげやり)。──先日、奇妙な夢を見ました。どんな夢かというと、なんかおかしな街(市街)で写真を撮ろうとするんだけど、なぜだか一枚も撮らない──という夢でした。奇妙な夢といっても夢なんてすべからく奇妙なものでしかないわけですが、自分がなんだか腑に落ちないのは「写真を撮ろうとしているのに撮らない」というところでして、目覚めたときに「え?なんで?」と思っていました。その街はあきらかにおかしな街で、夢特有の造りものめいたカリカチュアライズされた街で、自分は夢の中でも「なんだかおかしいな」と感じていたようなのですくなからず明晰夢的でもあったのだと思います。で、そんなおかしな街なので自分はスマホカメラを向けるわけですけれども、観光客っぽい集団がわいわいやってきて押し流されてしまうだとか、そういうこれまた夢特有の現象が起きてチャンスを逃してしまうわけです。それでやっと撮ろうと思える場面になってスマホを向けると、今度は(よく覚えていないのだけど)「うーん、なんかコレジャナイ」みたいに思ってしまって結局シャッターを切らないのですね。そうやって一度も写真を撮ることはなかった──という内容です。なので目覚めたときに「いやいやいや、撮るだけ撮ったらええやん!」と。夢がおかしなことはわかっているけど気になるのはおかしいってことではなくて、なぜ自分は写真を撮らなかったのかそのときの「気持ち」が気になるのですね。でも目覚めたときには急速に夢の内容も忘れていくので、自分の気持ちもよくわからないままなんですよね。まあ夢だからその内容に特に意味なんてないんでしょうけれど、気にはなりますよね。──さて、話はあまり関係なくなりますが。「カメラと自分との関係」みたいなことについて最近考えたりすることがあります。カメラは拡張身体的ではあるけれど、自分ではない眼を持つことなのだ(あるいはそれゆえにどうしようもなく自分なのだ?)みたいなことをです。これは自分がカメラ付きケータイ(ガラケー)を初めて持ったときからぼんやりと考えていたことで、「カメラを持つことによって自分は以前よりも風景に注目するようになったよな」と感じていることから、カメラと自分との関係(あるいはカメラを持つということの影響)を考える機会がうまれてきたのだと思います。で、今なにかここに書けるほどの思索があるわけじゃなくて、それらは曖昧で断片的なものでしかありません。写真論の本でも買って読んでみればこのようなことについて語られていることはあるんだろうと思うのだけど、もうちょっと自分で考えてみてからでもいいかなと。考えることがまずはおもしろいので。「カメラを持つことによって自分は以前よりも風景に注目するようになったよな」とは矛盾することもあって、逆に「カメラで撮るからあまり風景を注目していないときもあるよな」ということも思っていて、以前の日記にも書いた「カメラで撮ることによって再帰的にそこに写っているものを考えている」状況というものの気付き、そのひとつはたぶんこれなんだろうなあと。まだまだ自覚してないことがあるんだろうと思います。まあこういうことを考えていると「カメラを持つ」ということがおもしろく感じられてこないでしょうか。

2018/04/13

なんかびみょうにアイドル事変みがあるアニメ。

2018/04/11

今日風すっごいつよいよ!今日風すっごいつよいよ! さて、「ブーメラン発言」ってあるじゃないですか。ブーメラン発言って言うほど“ブーメラン”じゃないよね?っていうか、「ブーメラン発言のブーメランって比喩はほんとうにふさわしいのかどうか問題」について考えたいと思います。ブーメラン発言とは、誰かに対して放った言葉が自分にも返ってくる──という状況を指摘する表現ですね。放った(言った)本人に返ってくるからブーメランとたとえられているわけですね。本人に返ってきてダメージあるやろそれっていう。天に向かって唾を吐く、みたいな用法に近い表現ですよね。この「ブーメラン」という比喩に違和感を感じるというか、比喩としてあんまりふさわしくないよね?っていうことを考えていました。 屮屐璽瓮薀鵝廚辰禿蠅欧燭△罰擁に当たったら返って来ないよね? 自分なんかはブーメランというとビデオゲームに登場する武器としてのブーメランをすぐに思い浮かべますが、ゲームなんかだと投げたブーメランが敵キャラを貫通して戻ってくるなんてことはザラにあるんだと思いますけど、それはゲームだからであってふつう獲物に当たったら落ちて返ってこないですよね。◆屮屐璽瓮薀鵝廚辰討修發修發修鵑粉蔽韻吠屬辰討るように投げれるもんなの? 自分は子供のころプラスチック製のおもちゃのブーメランで遊んだことがありますが、ちゃんと戻ってくるように投げるのにはそれなりのテクニックが必要だったと記憶しています。素人が投げても綺麗に戻ってくることってなかなかないんじゃないでしょうか? たいていはポーンて飛んでいったっきりか微妙にカーブして適当にそのへんに落ちませんか。あるいは誰もがいつのまにかブーメランのTATSUJINになっていることがあるんでしょうか。そもそも「ブーメラン」が返ってきたとして、それを黙って見ている人っていないのでは? ブーメランが弧を描いて返ってきたとして「おれは今からブーメランに当たるぞー!ジョジョーッ!」なんて突っ立ってる人っていないですよね。返ってきたならキャッチするなり、べつにキャッチすらしなくてもよくて避けたっていいわけですよね。──とまあこのような不自然な状況があると思うんですけど、まあそんな「こまけぇこたぁいいんだよ!」てことなのかもしれないですよね。こまかいことがどうでもいいなら例えば、投げて返ってくるんだったらバナナでもええやん!地球は丸いんだからバナナを投げたら地球一周してきて投げた本人の後頭部に当たるやん!なんてことも言えるはずですが、そんなことを言おうものなら、「そんな怪力の持ち主いるかよw」「障害物に当たるだろw」「地球一周w」「じっとしてないでよけろよw」「バナナは食べるもんだろw」って当たり前のツッコミが入ると思うんですよね。地球一周でバナナがヤバい! でもブーメランだったらなぜかそのような不自然さ不都合さは無視されてギュンギュン弧を描いて返ってくるわけです。で、どっちかというと自分はこまけぇこたぁいいんだよ!勢の人間のはずで、「頭痛が痛い」とかこぞって使いたがるような人間なので、ぶっちゃけどうでもいいんですけれども。どうでもいいはずなんですけれども、でも自分はべつにいいけど(そして“ブーメラン”だと誰かに指摘することもたぶんないと思いますけど)、「それブーメランだよね」と誰かに指摘してる人はこれらの不自然さにどのような整合性を持っているのかは気になりますよね。自分はその整合性を得るための理屈のほうにはかなり興味はあるんてすよね。ブーメランってそもそも──みたいに言われたら瓦解するかもしれないもので、他人とコンセンサスを共有することって難しいわけじゃないですか、それが指摘する相手に対してならなおさらじゃないですか。なので──ブーメランに代入されるほかのなにか、新しい「ブーメラン」を考えたらいいと思うんですよねそれは獲物に当たってもちゃんと返ってきてあるいは素人でも誰でも簡単に扱えてあるいはどんな場合でも必ず返ってきて本人がよけても逃げても追尾してホーミングしてきてダメージを与えるそんな都合のよい夢のようななにかそんななにかとはなにかとは──そんなもんないやろ!それはもう魔法なんや!つまり魔法のブーメランなんや!本人にダメージを与えるんだから呪いの武器なんや!呪われた魔法のブーメランなんや!(なんか結局ブーメランて比喩はそこそこアリなんじゃないかみたいなオチになってしまったパターン。呪われた魔法のブーメランって不思議のダンジョンに落ちてそうですよね)。

2018/04/05






これらの写真は全てガラケー撮影です(モノクロ加工しています)。ガラケーで撮っていることにくわえて画質も頓着していなかったのでたぶん最低画質(あるいはデフォルト)で撮っていたはずなので、粗さはあると思います。三枚目の写真はモノクロ化したらほとんどシルエットになってしまったのだけど、これはこれで印象的ですよね──と思って真っ黒のままにしています。六枚目の写真はもとは失敗写真でして、空と雲をメインに撮っているようなんですけれどもそのため露出が調整されて暗〜くなってしまった、てやつですね。この写真を遊び半分に(というか実験的に)アプリであれこれ加工していたら、わりと印象的な写真だったのだと気付いたので改めてモノクロ化してみることにしました。もとの暗さからかけ離れない程度に明るさを調整しています(それでも暗いと思いますが)。

2018/04/03
篠房六郎 - おやすみシェヘラザード(やわらかスピリッツ)
「だがそれでも先輩が私の秘められた性癖(扉)をこじ開けようと言うのなら、私はそれに応じるのにやぶさかではないだけのこと!!」。ふーーーん。ふーーーーーーーーーーんんん!!!!!!!!!!

【日記】ゆるログ△(たまに日記を書きます)

2018/03/28

この写真は未加工です。たぶん街灯の光でなんかうまい具合にぼんやりした色合いになったという。ところで、Google翻訳に「sachiko is kawaii.」と入力すると「幸子は幸子です。」て翻訳されるってやつ。どうせネタなんだろと思ってためしたら──マジですやん!!! kawaii=輿水幸子だったんや!!!!! ナ、ナンダッテー!!!!!

2018/03/25
Eight Kawaii Artists Using Grotesque Sounds to Redefine “Cute” Japanese Music(Bandcamp Daily)
Bandcampで日本のkawaii音楽シーン特集が掲載!冒頭の紹介部分を翻訳したよ(Dance to Death:死に舞 on the Line)
Bandcampによる“kawaii music”特集。自分は下のブログ記事で知りました。

2018/03/22

この写真は周囲を若干トリミングしています。さて、「優先順位に割り込ませる難しさ」の話をしていたと思うんですけど。現代は趣味/娯楽がとんでもなく多様化していて、興味・関心がある=優先順位が高いものを接しているだけでいっぱいいっぱいじゃないですか──っていうことに関連する話になると思います。じゃあ自分にとって優先順位が高いことについてなら「なんでも情報教えてほしい!」「なんでもおすすめしてほしい!」のだろうか?って考えてみたら、うーんそうとも言えないというか。そうとも限らないよあというか。いや、おすすめしてほしくないってことじゃないんですけど。そうではないんですよ。(自分にとって)一番わかりやすい例だと、映画を観ようとしているときで。特に期待している新作映画の場合だとその映画の情報にはほぼ触れない状態で映画館に行ったりするわけですね。これはたぶん“映画鑑賞あるある”なんだと思いますけど。可能なかぎり事前情報には触れない、ほぼなんにも知らない状態で映画を観る──っていうのがベストなんですね、自分にとっては。まあそれでも完全にすべての情報をシャットアウトできるなんてことはなくて、誰が監督なのかとか主演は誰なのかくらいは目に入って来てしまうので、それはもうしょうがないですよね。なので例えば映画「聲の形」をみたときは、山田尚子監督なんだなーってことくらいしか知らないで観に行ったので、西宮結弦=悠木碧だとももちろん知らなくて、エンドロールでキャスト紹介が流れてきたときにはじめて「え!?悠木碧だったんだ!?」て驚きがあったりしたわけですね。で、なぜ事前情報に触れたくないかはこのような驚きを求めているからだとか、(可能な限り)先入観にとらわれないで観たいからだとか、いろいろ知らないほうが初見の情報量が多くなって読み解いていく自由度が上がるからだとか、なんやかんやと理由はあると思うのですけど。やっぱりなんにも知らないほうが「え!?」って、ツッコミポイントが増えるからなんだろうなーと。なもんで、自分は映画の公式サイトも見ないし、Youtubeのティザームービー/トレーラーも見ないし(ティザームービーやトレーラーはまっっったく見ないですね)、映画の紹介記事も見ないし、ネットの感想はちょっと参考にしたりはするけどほとんど見ないし。まあ改めて考えたらほとんどなんも見ないんだよなーと。これはあくまで新作映画の話なので過去作品だとまた少し変わってくるはずですが。ということは興味・関心があるものは情報があろうがなかろうが勝手に接していくというか? これは、自分がYoutubeで動画(音楽)を漁っているときもたぶん似ていて。まず自分がすでに興味・関心があるアーティストなりジャンルなりがあるわけですが、その動画の関連動画で紐付いているものからまた関連動画へ──みたいに延々と辿っていくとか。そうやってるとレコードレーベルに辿り着くのでまたそこから延々と辿るとか。そのように気まぐれでジャンプしていくと徐々に知らない場所に踏み出していくような感覚はあって、なにかを参考にしてるわけじゃないから(Youtubeのアルゴリズム次第だから)なんにも知らないがゆえの「え!?」みたいな出会いはあるわけですよね。予想外の出会いが。そうゆう“探すことのおもしろさ”とか“出会うことのおもしろさ”はやっぱりあるわけですよね。でで、ここで思い出すのが“2ちゃん”(あ、今2ちゃんて無いんですよね)によくある「◯◯のおすすめ教えて」系スレのことで。アニメとか漫画とかのおすすめを教えてってやつですね。このおすすめ系のスレはたぶんほぼ毎日スレが立ってるような定番/定期スレでして、よくもまあ毎日こんなにおすすめされたい&おすすめしたい人間がいるもんだよなあって思ったりもするわけですが。そこで、おすすめしたい勢は適当にこれがええんやない?とかこれは絶対おすすめやで!て書き込むことになりますけれども、たいていがべつに詳細な説明があるわけでもなくあってもひとことふたこと感想を付けてるくらいでほとんどが作品名をただ羅列していくだけになって、それが大量に寄せられる結果となるわけですね。その大量のおすすめのなかからスレ主(>>1)がまあどうにかしてたぶん直感とか独断とかその場の気分で気に入りそうな作品を選んでいくことになるんだろうという流れです。なんというか、そんな大量のおすすめから選ぶ基準ってなんなんやろ?っていうか選べなくない?っていうか「優先順位に割り込ませる難しさ」を垣間見るかのようなスレだよなーと思ったのですね。たぶんこの発想は少し間違っていて、おすすめどうこうもあるんだろうけどこの一連の流れは雑談でありコミュニケーションなんだよなーってことですよね。おすすめされたり、おすすめしたりするコミュニケーションが楽しいってのはありますよね。でで、ついでにもうひとつ思い出すと、“「そのアイテムはゴミ」「そのボスはソロできて当たり前」初心者が注意すべきネトゲあるある「上級者四天王」が的確”(ねとらぼ)この記事ですね。おそらくは本人は善意で教えてくれているんだろうけど──っていう内容ですね。この記事を発見したときは自分がちょうどソシャゲに熱中しだしたときだったので目についたんだと思います。この記事のようなことが良いか悪いかはとりあえず置いといて(ぶっちゃけケース・バイ・ケースなんでしょうね)、こういうことってべつにネトゲに限らなくて趣味・娯楽全般(もしかしたらそれ以外)にもあてはまることはあるんだろうなって。なんだか話が散らかってきたかもしれませんけど──興味・関心があることって自分で探したりだとか自分で勝手に出会いにいったりだとか、知らないことに出会うことがそもそも楽しいというか、そうゆう試行錯誤や失敗やイレギュラーなんかも含めての「楽しさ」はあるんだよなーってことを思ったのですね。たぶん勝手に好きになっていくんだよなって。ここで話が冒頭につながると思うんですけど──そう考えると「優先順位に割り込ませる難しさ」を感じてしまうんだよな、てことなんですね。

2018/03/19
Flamingosis Brooklyn Rooftop Session(Youtube)。Flamingosisのパフォーマンス。かっこよくないっすか。

2018/03/14

ワイアラエの奇蹟!(べつに声に出して読みたいというほどではないけど「いや、まてよ?もしかしたらこの機会を逃したら二度と声に出して読む機会はないのでは?いやいやそんなことはないだろう、またいつかチャンスはある、うんきっとチャンスはある、まだあわてるような時間じゃない、よしとりあえず明日また考えようそうしよう、声に出して読むかどうかを決めるのはそれからでも遅くはない──いや、本当にそうか?本当にそうなのだろうか?もし今夜眠りについたあと地球に巨大隕石が落ちてきたらどうする?そんなことはありえないと断言できるのだろうか?まあもちろん断言できるくらいには起こりようがない低い低い低い可能性なのだろう、しかしその起こりようがないと思っていたはずの低い可能性がまかり間違って起きてしまったら──今しかないんじゃないか、声に出して読むのは今だったんじゃないか?チャンスはまさしく今この瞬間なんじゃないか?そうだ、チャンスは今なんだ!」くらいには思える声に出して読みたいゴルフゲームのタイトル)。どうも、当ブログです。あなたが声に出して読みたいゴルフゲームのタイトルはなんでしょうか? さて、スマホゲとかソシャゲとかやっているとログインボーナスで「石」が配られたりしますよね。そこで、逆に「石を配るゲーム」があってもよいのではないか?とちょっと考えていました。いつも配られてばかりで配られ飽きた全国のゲームプレイヤーのための、石配りゲーム。タイトルは「カットビ!石配達くん」(え?どこかで聞いたことありますか?)。で、石を必要としている状況とか場所ってなんなんやろ?と思って、パッと思いついたのが「賽の河原」です。あの石を積んでは鬼が崩すってところですね。賽の河原だったら石が必要なはずなのでプレイヤーはそこに石を届けに行くってわけですね。ピザの配達のデリバリーみたいに(重複表現)。それで、賽の河原ってそもそもどんな場所なんだっけと思ってWikipediaで調べたら──こ、これはちょっとストーリーが重くなりそうだなあ、と。考えるのを断念しました。あとほかに考えたのは、「石が勝手に動いて全国に配られていくのをじっと見守るゲーム」です。宇宙の意思に従って配られる使命を与えられた「石」は人間には認識できないくらいの速度でゆっくりゆっくり動いていきます。植物の成長速度がゆっくりすぎていつのまにか育ってる!みたいに感じるのと同じように「石」もかな〜り遅いスピードでじりじり動いていきます。それをただ観察するだけっていうアクアノートの休日みたいなアンビエントでチルいローカロリーなかんじのゲームです。なかなかよさそうじゃないですか? プレイヤーはまずその使命を与えられた「石」を探すところからゲームスタートです。──さて、話はまったく関係なくなりますが。先日、とあるアニメが自分には合わなくてNO THANK YOUになってしまった──ということをちょっと書きましたけども、それに関連することで。現代は趣味/娯楽がとんでもなく多様化していてさらにはそれぞれの趣味/娯楽の数がそもそもとんでもない数があって、「どれを選んでいくか」「どれに深く関わるか」ってかなり悩ましい問題なんじゃないか、みたいなことを考えたりしていました。なんというかずいぶん昔から言われている「世界はクラスタ化していく!」っていう話のようなものというか。自分は前にも書きましたが、基本的に気になるものを気の向くままに触れていきたい接していきたい、という姿勢で趣味/娯楽に接していて。それでもまあリソースは限られているので“優先順位”はどうしてもあるわけですよね。現状すでに興味関心があって触れているものがあって、なんならすでにそれだけで割り振るリソースはぜんぜん足りてなくて、なのでそれ以外はどうしたって優先順位は下がってしまうわけですね。これは自分だけじゃなくて多くの人がそうなんだと思います。でも周囲を見渡せばあらゆる趣味/娯楽のあれがすごい!これが楽しい!それが面白い!で飽和していて(というか趣味/娯楽以外のそのほかも)、見るもの全てがなんでもかんでもあらゆるものが「おもしろそう!」なわけですよね。でで、そういう状況での「優先順位に割り込ませる難しさ」を考えていたわけですが──これってもうどうしようもないっていうか、好きなものを好きに接していくしかないっていうか、それで世界がクラスタ化していくのはたぶん自然なことなんだろうな(?)て思ったというか。このことについてはまた別の機会にちょっと書いてみたい気もするんですけど。ででで、「布教」というものについて考えていて──ありますよね「鑑賞用」「保存用」「布教用」に同じ品物を複数買うって。この「布教用」をAmazonとかで実装できればおもしろいんじゃない?って思ったのですけど。「布教」ボタンみたいなものを用意して、ポチれば購入と同時に布教されるっていう。すでに“欲しいものリスト”ってのがあるわけですけど、「布教」すれば欲しがっている誰かに届くってわけですね。あるいはもっと自由度を高くして、Web投げ銭みたいに「布教を受け付けている人」に自由に自由な品物を布教できるようにする、とか。まあ問題もかなりあるはずで、特にフィジカルな品物は贈られても困るかもしれないとか(かさばるから)、嫌がらせもやろうと思えばできてしまうとか(例えば漫画の途中の巻だけ贈られても、同じ巻だけ大量に贈られても、とか)調整は必須なんでしょうが。そう考えると結局は欲しいものリストで事足りるってことなのかもしれませんけれども──でも誰かがプレゼントしてくれるってのは「優先順位に割り込ませる」かなり強力な動機にはなるんじゃないかなって思ったんですよね。それはそれでせっかく贈ってくれたんだから無視しにくい、無理にでも割り込ませなきゃ──みたいなことでもありますかー。難しいですよねー。でまあこのようなことを考えていたら「アンチ」という存在は時間やお金やモチベーションなどのリソースをある対象(作品)に少なくとも注いでいるという意味では(人によってはもしかしたらファン以上に)、よく言われるようにやっぱりファンに近い存在なのかなあとか思って。それでも、うーんファンに近いのか???って疑問は残ったままなんですけど。それでつい最近感じたのが、自分は今期のアニメで「りゅうおうのおしごと!」をかなり楽しくみているのですね。原作は読んだことないんですが。好きなキャラはやっぱり姉弟子とあとイカちゃんもかなり好きで、もしかしたら神鍋歩夢&釈迦堂里奈コンビが一番好きなのかもしれないけど、やっぱり姉弟子がカッケーな!って思って空銀子さんと祭神雷の対局すんごいみてえええええええええええええええ!!!!!!!!!って。でもネットとかの反応をたまに拾うと不満や不評の声もあるようで、ウソー!?!?って(まあ不満が一切出ないことはないんでしょうけど)。原作のあれやこれがかなりカットされている、みたいなことらしいんですが。つまりは原作のファンからしたら「ちょっとね」てことがあるんでしょうね。期待していたあのシーンが削られてる!?みたいな。でも自分はアニメ「りゅうおうのおしごと!」をすんげーおもしろいやんっ!!って思ってて、なので原作ファンももっと喜んでええんやない!?て思うっていうか、この行き違いというかなんというか──こういう行き違いが(残念なことに)転化してしまうことが、もしかしたらアンチ≒ファンてことなんかなーと。うーん、いまいちよくわかってません。

2018/03/12
義理チョコなんていう旧態依然な文化は即刻消滅していいよねバニッシュメント・ディス・ワールド!なんて言いいましたけど、「義理」ってとても大事だと思うんですよ。大切だと思うんですよ。むしろ義理でもなんでももらえたらすごいうれしいじゃないですか。本当にうれしいじゃないですか。義理でいいからほしい!──そう正直にならなきゃいけなかったんですよね。自分に正直にならなきゃいけなかったんですよね。むしろ貧欲になるくらい求めていかなきゃダメなんですよね。求めよ、さらば与えられん──という言葉もあるくらいですしね。求めていかなきゃいけなかったんですよね! だから、もう嘘はつきません! 欲しいんです! 欲しい!欲しい!欲しい!とにかく欲しい! 義理でもいいから欲しい! 義理5000兆円欲しい!!!義理5000兆円欲しい!!!義理5000兆円欲しい!!!義理5000兆円がなんとしても欲しい!!! ──い、いや、さすがにこれは強欲すぎるよね? 求めよ、とはいっても限度というものがありますよね。さすがにね。5000兆円もらってどうするの。うまい棒何本買えるの。一生うまい棒食べ続けるの。ここは慎み深く5000兆円の1/10にしておこう。そうだね1/10ならね。な、なんという慎み深さ! なんという無欲! この圧倒的無欲ッ! 義理500兆円欲しい!!!義理500兆円欲しい!!!義理500兆円欲しい!!!義理500兆円がなんとしても欲しい!!! ──い、いやいやまて、ここはさらに慎み深さをアピールしておくべきなのではないか。念には念をおして500兆円のさらに1/10にしておこう。つまりは5000兆円の1/100=50兆円。えーい、もうなんならさらに1/10でもいいや! つまりは5000兆円の1/1000。1/1000!?!? な、な、なんという慎み深さ! たび重なる無欲! 一点の曇りもない純然たる無欲ッ! 義理5兆円欲しい!!!義理5兆円欲しい!!!義理5兆円欲しい!!!義理5兆円がなんとしても欲しい!!! ──ハッ、今なんと言った。そうじゃない、そうじゃない。さっき自分は「もう嘘はつきません」と宣言したばかりではなかったか!? 慎み深さをアピール、だと!? 自分に正直になるんじゃなかったのか!? うわ、あっぶね! あぶなかったわー! さっそく嘘つくところだったわー! てへぺろ。無欲のフリなんてやめだやめだ! 初志貫徹! 義理5000兆円欲しい!!!!!!!!!!

2018/03/07

立位体前屈!(べつに声に出して読みたいというほどではないけどふと気付いたときに「いちおう声に出してみるかな」くらいには思える声に出して読みたい日本語)。先日、某スーパーに行ったときのことなんですけど。とあるスナック菓子のPOPに「安さの理由」と示された一文があって、その理由が「安さの理由:たくさん食べよう」となっていて、え!?って。たくさん買ってもらってたくさん食べてほしいから安くしてますってこと??? 隣のスナック菓子のPOPを見たら「安さの理由:ポリポリしたい」って──ぜったい適当に考えてるやろ!!! というわけで、もうじきホワイトデーなわけですが。そういやホワイトデーにも「義理ナントカ」みたいなもんがあるんかなーと。そもそもホワイトデーって一般的にはなにを贈るんかなーと思ってググったら、やっぱりキャンディーとかクッキーとかチョコとかが出てくるわけですね。それとあんがい出てくるのが「マカロン」なわけですね。ででででたー!!! マカロン!!! あのエンゼルパイみたいなやつですね、というかマカロンって聞くとどうしてもマキロンを思い出してしまうわけですけれども。マキロン、マカロンってなんとなく女神転生シリーズの魔法みたいな語感ですよね。やっぱり義理チョコみたいに義理マカロンとかも存在するのでしょうか。「ふ、ふん!勘違いしないでよね!これはただの義理マカロンなんだからねっ!」(またこのパターン)。語感といえば──「梨っ子」。ゆるキャン△では山梨県民のことを「梨っ子」と表現していてなんかいいですよね。北海道民なら「道産子」みたいな表現があるじゃないですか。梨っ子の語感のやわらかみというかポップみがあるわけじゃないですか。ポップみ。梨っ子です、とアピールしたらなんかもうそれだけでポップじゃないですか。それってずるいじゃないですか。梨汁ブシャー!!! 例えば他県なら、徳島県とかよさそうですよね。「徳っ子」。なんかもうそれだけで徳が高そうじゃないですか。例えば自分は岩手県出身なのですが、そうすると「岩っ子」──うん、まあ、やわらかみは出せるかな!っていう。というわけで岩手県民はこれから岩っ子ということでよろしくお願いします。シタマエ!! さて、話はぜんぜん関係なくなりますが、最近ポール・ブルーム(高橋洋:訳)「反共感論」を読んでいまして。これおもしろいっすわー! もしかしたら大塚英志「感情化する社会」繋がりの気分で手に取ったのかもしれませんけど、どうなんでしょうか。まだ半分くらい読んだところなんですが、おもしろいです。読む前はもしかしたらちょっと過激な論調なんかなと思っていたわけですけど、そう思われるんだろうなとは著者もあらかじめ想定していたみたいで、ですよねー。で、つい先日“「十分がんばっているヤツに、がんばれ言うのは酷」これを言える今年のプリキュアは、強い。”(プリキュアの数字ブログ)という記事を知りまして。え、なんでいきなりプリキュア!?ってことなんですが、まあ自分がこちらの記事に目がとまったのはやっぱりカラーバス効果なんだろうなと。それで、最近のプリキュアすごいなー!と。というか最近の子供向けアニメってすごいなー!と。ただポジティヴなだけじゃダメなんだよなって──(プリキュアのことはほとんど知らないのですけど)プリキュアみたいな作品にとってはクリティカルな問題なわけじゃないですか。こういう価値観をぶち込んでくるんだなーと。最近の子供向けアニメすごいですよね──いや、もしかしたら自分が子供のとき見ていた子供向けのアニメとかにもその時代なりにクリティカルな問題は持ち込まれていたのかもしれませんけど、あまりよく覚えていません。それで、自分なんかは特にアニメのようなエンターテインメントなんかだとこういうメッセージ性が強いと「説教くせえー!」みたいに思ってしまって急に冷めてしまうわけですけれども。去年放送していたとあるアニメも「このような価値観とか問題提起を描くのはとても意義があるんだろうけど、説教くせえー!」って思ってしまってNO THANK YOUになってしまったのですね、残念ながら(自分のことはとりあえずどうでもよいですね)。とは言ってもプリキュアだと子供向けのアニメなんだからメッセージ性がストレートに伝わるくらいの強度がなければ──てことなんでしょうね。だから、上記の記事を読んだとき衝撃はありましたよね。でで、ポール・ブルーム「反共感論」で提示されているものも、基本的にはそのようなポジティヴなだけじゃダメなんだよな──っていう、まあ至極その通りだよなみたいな内容で(そんな単純な内容でもないですけど)、プリキュアの話とシンクロニシティーを感じたってわけですね。勝手なシンクロニシティーですけどね。

2018/03/01

なんだかちょっとまとまりのない話になると思います。ブログに写真を公開するにあたって写真をピックアップしたりモノクロ化したりそれで実際に写真を公開して、少し気付いたことがあったというか──考えるキッカケみたいなものが生まれたというか。やっぱりやってみて初めてわかってくることがあるもんなんだよなーと。いや、この書き方はちょっと違いますね。わかってくるというか、たぶんほとんどなにもわかっていないのだなーってことがわかった──みたいなことですね。特に岩手での写真について、自分が写真を撮っている意味を自分は表面的にはわかっていたつもりなのですが(それはもっぱら自分の「記憶の代わり」)、でも実際にはほとんどなにもわかっていなかった?ようなのです。たぶん。なので、自分は実際に写真を撮ることによって再帰的にその写真に写っているものを考えている? みたいな不思議な状況にあったのだってことですね。まあ不思議でもなんでもないっていうか、それが「記憶の代わり」ってことなんだろうなーと。うーん、うまく説明できてる気がしませんね。あと以前の日記にも書きましたけど、「Minutiae」(記事:WIRED.jp)という写真アプリのことを考えていたのですけど、やっぱりこのアプリすごいよなー!と思っていました。自分はAndroid端末なので残念ながら利用はできないんですが。このアプリは日常のランダムな瞬間、どうということはない瞬間を残すことに特化したアプリなんですけれども。でまあ、写真の歴史も長いはずなのでそういう「どうということはない」瞬間を記録してきた先人はいるはずで、そら当然いるはずで、偉大な先人もいるはずで。あるいは自分もなんらかの工夫をすればランダムな瞬間を記録することはできるんだろうと思うわけですが。問題は、それを共有する/閲覧することの難しさなわけですよね(ランダムな瞬間を記録するのだって工夫は必要でしょうけど)。上記リンク記事内に「セルフプレゼンテーションの憂うつ」という言葉が出てきますけども、ちょうどこの記事を知ったほぼ同時期に大塚英志「感情化する社会」を読んでいまして、「あ!これがもしかして感情労働という表現だったのか!?」みたいな繋がりもあったのですよね。こういう繋がりって(恣意的なのかもしれませんけど)なんかエキサイティングですよね。──それらの難しさをアイデアとテクノロジーによってカバーして、より広いユーザーが自然に共有(共有のアイデアもユニークですよね)することを可能にする、そのようなアーキテクチャーを生み出すって、すごいことなんだよなーと思います。それから最近、この「Minutiae」のような思想?に触発されて、ヴァナキュラー写真という概念があるということを知りまして。まさしくこれがあれですよねカラーバス効果ですよね!

2018/02/21






岩手で撮った写真をいくつか公開してみます。上の三枚が岩手県は花巻市上町の写真で、下の三枚が2015年秋に撮ったこの日記のときの写真です。上二枚がスマホ撮影で下四枚がガラケー撮影です(ややこしい)。スマホカメラはレンズが広角気味っぽい?のでなんかぐぐっとパースがついた写真が撮れるのでよいです。で、思うところあってモノクロ化(モノクロフィルム系のエフェクト)して情報量を落としています。情報量を落とすっていうか新たな情報を追加している?上書きしている?とも言えるのかもしれませんが。五枚目の写真は雑木林(いちおう山林?)に飲み込まれているかのような神社です。神社がどこかわかりますか。今回はわりと写真映りのいい(わりと見映えする)写真をピックアップしたのですけど、よりどうということはないあんまり見映えしない写真も公開したいなーと、いずれ。

【日記】蟹日記(たまに日記を書きます)

2018/02/19

ガラケー時代に撮った写真をうpするテスト。さすがに解像度は低いです。写っているのは、あの「スカイタワー西東京」です。ザ・スカイタワー西東京!!! それより目立つ手前のでかいタンクはなんなのか知りません。曇りの日に撮ったので暗くてぼんやりしています。このぼんやりみ。

2018/02/14

スマホから写真をうpするテスト。トイカメラ系のエフェクトを薄くかけています(あとリサイズもされてます)。「ザンギエフ」のみのガチャってすごくないですか。“のみ”なんですよ。そしてその隣が「羊羹」ってのがなんともナイスですよね。“羊羹”って字がなんかもうナイスですよね! さて先日、手軽に360度動画が撮れるネックバンドカメラなるものの存在を知りまして、すごーい!って思いました。こうゆうふうにカメラがどんどんウェアラブル化していってより気軽により簡単に動画が撮れる=記録できる時代がやって来たんやなーと。それで、思ったのは──じゃあそんな時代に写真のアイデンティティーってどうなるんだろうかな、と考えたりしていました。広範囲かつ高精細(高精彩)の動画が撮れてしまうんなら、写真なんていらないんじゃないの? 動画のほうがそら情報量は桁違いでより現実に近い風景を記録できるわけですからね──みたいなことを。でも、逆に考えたら情報量が少なくてシンプルなことがもしかしたら写真の強みになるってことなのかもなーと。先日の日記でも書いたけれど、写真はいろんな情報が抜け落ちていくわけですよね、でもそれは強みでもありえる?んですかね? 確かに動画は情報量が多いわけだけど、そのなかからハイライト=印象的な瞬間を提示しようとしたら、時間を切り詰めていかなければならない(情報量を削ぎ落とさなければならない)──それは写真的になっていく?ってことですよね。

2018/02/08
GODIVAが「義理チョコをやめよう」っていう広告を出して話題になっていたようですが。「GODIVA」と聞いたら「J-E-N-O-V-A」(FF7)とか「ma-gu-ri-vu」(ナイトストライカー)とか「YA-DA-YO」(ファンタジーゾーン)とかを思い出すのがゲーム脳ですよね? ただ連想してるだけですよね? 自分も「義理チョコ」ってものは無くなっていいと思っているんですよ。いらないですよね。そのかわりに『ふ、ふん!勘違いしないでよね!これはただの義理なんだからねっ!チョコ』という新たな概念を提案いたします。「義理チョコ」などという旧態依然な文化はここらで廃止の方向でよろしくおねがいします。というわけで、ここ数日病んでまして、体調がかんばしくありませんで、たぶん高熱が出て(体温計がないからどのくらい高いかは知らない)めっちゃ寒気がして、いつも思うけど高熱があるのに寒いってわけわかんなくないですか? 熱いか寒いかどっちかにしろって思いますよね、それで体の節々は痛いしめまいはするし──これあれや、インフルエンザや!!! 先日はほぼまる一日寝込んでまして、たぶん12時間は寝込んでまして、寝込みすぎて逆に体痛いし体ダルいし。食欲もガタ落ちなのでカロリーメイトとイオンウォーター(カロリーオフのポカリスエットですね)をもそもそと食し、擬似的なディストピア飯感を演出。一日寝込んで翌朝にはほぼほぼ熱下がったんかなーと、爆煙と土煙がもうもうと舞い上がるなか「やったか!?」みたいな気分でいたのですが、全然治ってませんでした。久々に寝込んだなーと。なので、今日も体調は全然万全ではないので日記もテキトーです。ほぼほぼ完治はしてません。ほぼほーぼ・ほーぼぼ。話は急に変わりまして──先日、コンビニに行ったのですね。レジの人が商品をレジ袋に入れてくれますね。レジの人が予測を誤ったのか少し小さいレジ袋に商品を詰めだしたわけですね。で、案の定というか商品を強引にギュウギュウに詰め込むような状態になって袋がパンパンになってしまったわけですね。これはさすがに詰め替えるのかな、と思っていたら「気を付けてお持ち下さい」とパンパンのレジ袋を渡されて、えーっ!?!?って。安中榛名(by.日常)みたいな気持ちになりました。それで、パンパンのレジ袋を持ち帰りました。

2018/02/01
記憶と過去ということに関して。先日のボウリングセンターの話にも関連することなのですが。過去の出来事を思い出そうとして、印象に残っている場面がほんの一部しかないということがあります。自分が小学生のときどこかの工場に工場見学に行ったときがあり、まあ課外授業で行ったんでしょうけど、今思い出せることがほんの一部しかないのですね。自分は「たしかパン工場に見学に行った」という記憶があるわけですけれども、一体どこのパン工場に行ったのかはまるで覚えていません。地元(小学校がある地元)にはパン工場なんて無かったように思いますし、おそらくは少し遠出したのでしょう。それどころかパン工場を「見学」したという記憶そのもの自体がほぼありません。じゃあなにを覚えているのかといえば、工場を見学したあとに工場の人から「適当な菓子パンをもらった」──という記憶だけが現在残っています。たぶんどこにでも売ってそうなジャムパン、クリームパンの類いだったと思います。なので、この記憶から紐付けるようにして「たしかパン工場に見学に行った」のだなと思っているわけですね。しかしよくよく考えてみると工場内部(あるいは外部)を見学したという“見学”そのものの記憶はほとんど無いわけです。なんとなくパン工場といったらほとんどが機械でオートメーション化されていて、よくわからん機械で大量にパンが生産されていて、ベルトコンベアーからパンが大量に流れてきて──みたいなイメージが薄ぼんやりと喚起されるわけですけれども。でも、それはテレビとかでよく見たことがある“工場”のイメージであって、自分が見学しに行ったときに“体験”した記憶かどうかはもはやわからないのですね。なにかそこで「たしかに体験した」のだという強い印象はなにも無くて、もしかしたらテレビでよく見る工場のイメージを体験したものと差し替えている(混同している)──あるいは工場なんて見学してないけど、見学したものとして捏造している?ことすらあるのかもしれないなあと。なので、そのように記憶を精査していくと実は「ほとんどなにも覚えていない」のだと判明してしまうことがあったりします。「適当な菓子パンをもらった」という記憶だけはなぜか不思議と今でも覚えていて、うーんなぜなのだろうか?とちょっと思ったりします。あのパン工場は一体どこの工場だったのでしょうか。そういえば、同じく小学校のときの課外授業で「たしかリンゴ狩りをした」という記憶もあるわけですけれども、これも“リンゴ狩り”をしたこと自体はほぼ覚えていないのですね。自分がハッキリと覚えているのは「もらったリンゴを食べた」ということだけなのです。特に“食べた”ということは強く印象に残っていて、なぜならリンゴをそのまま一個丸かじりしてたわけですが「途中で食べ飽きた」記憶が確かに残っているからなのです。途中で飽きて1/3くらいは残して捨ててしまったんじゃなかったでしょうか。でもこれもよくよく考えてみると「もらったリンゴを食べた」記憶があるからリンゴ狩りの記憶に紐付けているだけかもしれなくて、本当にリンゴ狩りなんてしたのか怪しくなってきますよね。あるいはリンゴ狩りはしていたのだとしても、自分が今記憶しているぼんやりとした記憶がどこまでが実際の体験なのかはなんともいえませんよね。パン工場見学と比べたらまだなんとなく体験した実感があるわけですけれども。“なんとなく”なのに実感があるのもおかしな話ですよね。何かをもらったことや食べたことはわりと記憶に残っている──というのは小学生ながらに現金な奴というか調子がいいというか、もっと他にもなんか印象に残らなかったもんかな、と思ってしまいます。

2018/01/30
きららジャンプしてるアニメOPまとめ(ニコニコ動画)。けいおん!⇒ひだまりスケッチ×ハニカム⇒ゆゆ式⇒きんいろモザイク⇒ハナヤマタ⇒ハロー!!きんいろモザイク⇒がっこうぐらし⇒あんハピ⇒NEW GAME!⇒ステラのまほう。

2018/01/25
某スーパーで「札束メモ帳」が山積みに売られていて札束を模したメモ帳ですね、「ヒャッハー!!!札束買い放題やん!!!」と思ったんだけど、なにか時空が歪んだ気が付きました。飴が売ってるコーナーでいきなり誰かから声をかけられて、横を振り向けばおばあさん。「そこのハッカ飴取ってもらえませんか」と。え?ハッカ飴?どこどこ?と思っていたら一番上の高い段に陳列されていておばあさんでは手が届かなかったもよう。ハッカ飴の隣にはニッキ飴。まさしくお年寄りが買いそうな飴をまさしくお年寄りが買っていくという瞬間に出会ってしまいました。なんという衝撃。ハッカ飴なんて自分で手に取ったこと一度としてないですからね。ハッカ飴とかニッキ飴とかなんか仏壇まわりにありそうなパッとしない飴は、たぶんあまり売れないから一番高い段に陳列されているのだろうけど、それだとメイン購買層(実際どこがメインなのか知らんけど)のお年寄りには取りづらそうですよね。それから、デカいペットボトルに入った「麦チョコ」が売られていて、POPに「このまま食べられます」って書いてあるのですね。え?このまま食べられない麦チョコとかあるの? とか思ったのだけど、まさかペットボトルからそのままラッパ飲みするようにして「食べられます」ってことじゃないよね? 麦チョコは飲みもの!みたいなことなんですかね。豪快だなー。

2018/01/17
というわけで、映画『ガールズ&パンツァー 最終章』(第1話)をみてきまし──桃ちゃん!!! さーて桃ちゃんの活躍っぷり(笑)を見てくるか!と映画館にのこのこ出掛けていったら、まさかそれなりに活躍しているんだと誰が想像できたであろうかッ。活躍、なのかなあ。「第1話」ってことで全体を通した感想をまだ書けないってのと、次回(第2話)への引きもあって今回試合が途中でぶった切られているので、なおさら書きにくさはありますね。それをカバーするかのような盛り込み要素、詰め込み要素。すごい。こんな調子で最終話まで突っ走るんですかね。で、映画館で鑑賞してるとやっぱり“音”がすごくて、というか轟音でこわっ!ってなります。 いきなり第1話から大洗(大洗女子学園)大ピンチどころか絶体絶命な状況じゃないですか。砲弾バンバン飛んできて橋は木っ端微塵になるは戦車の装甲をバッシンバッシンかするはするわけじゃないですか。こわっ! BC自由学園もあの状況での「撤退!」ってすごくないですか。まだまだ押してる状況に見えたんですけどね。でで、河嶋桃ですよね。河嶋桃さんて三年生組なんだけどあんまり先輩属性なかったじゃないですか、あんなん感じですので(え?そんなことないって?)。そうしたら今回あれですよね、サメさんチーム。慕ってくれている後輩がいたんですね、よかったね! 後輩っていうか“舎弟”ってかんじですけれども。てか君たちほんまに同じ学校の生徒なん?ちゃんと学校行ってます?ていう。なんでダンジョンみたいなところでたむろってんの?ていう。ていうか船底(船内?)なんてあったんだ?ていう(そらあるよな)。サメさんチームといえば、あの菱形の新戦車(新戦力)。なんか砲身がゴテゴテ付いてて一見強そうにみえなくもなくもなくない、ていうか「いやー、これ?」感。あまり強そうに見えないですよね(ていうか海賊旗邪魔やろ!)。ツッコミポインツ多すぎー! まあこれで晴れて河嶋桃さんにもいっぱしの先輩属性が! 桃ちゃんパイセン!桃ちゃんパイセン!桃ちゃんパイセン! え?え?え?桃ちゃんが隊長をやるんですか? 桃ちゃんパイセン隊長!!! うーん、心配しかねえ。──それから当日はもう一本映画をみていて、映画『中二病でも恋がしたい! Take On Me』もみてきたんですよね。自分にしてはなかなかアクティヴなんじゃないか。まあガルパンが一時間無い作品だったので。それでスケジュールの時間配分を間違えてというか余裕を持たせすぎて、上映まで時間がかなりあまってしまって仕方がないので駅のそばのラーメン屋で軽くラーメンを食べてそれでもまだ余裕で時間が余るのでションピングモールをぶらぶらしたり、時間余りすぎ。ふだんいかにアクティヴでないかがうかがい知れますね。それで、「中二病でも恋がしたい! Take On Me」でしたね。おもしろかったです。いつも思うのは、凸守早苗さん髪痛まないか心配ですってことです。テレビシリーズ「中二病でも恋がしたい!」第一期・第二期のその後を描いていて実質これが完結編?てことなんでしょうかね。かなりよかったです。この作品、なんというか「中二病」に向き合う姿勢が誠実なかんじはありますよね。テレビシリーズ一期・二期では中二病へ対峙するにあたっていちおうの着地はしていたものの、解決しきれているわけじゃなくてペンディングしていたところはあって、でもそれが誠実さでもありエモさでもあったりしたわけですよね。未来はどうなるかわからないけど、今はこれが信じられるのだ!っていう。エモーい! 中二病っていうか中二病という概念のなかの“邪気眼”ですよね。小鳥遊六花=邪王真眼なのでまあそのままです(“小鳥遊六花”っていちおう一発変換できる、すごい)。ででで、「中二病でも恋がしたい!」という作品は中二病──あふれ出る自意識の発露とどう対峙するか、どう向き合うかっていう物語ではあるわけですけれど、自分は「現実(日常)とフィクションの力」についての物語だったのだろうとも思っているのですね。それはなんていうか“涼宮ハルヒの憂鬱”への回答みたいなものですよね。富樫勇太や小鳥遊六花は涼宮ハルヒのような存在ではありえなくて、なんの特別な世界に生きているわけでもなくて、ただの日常に生きていて、それゆえに“フィクション”を求めているという。でもそのフィクションはやっぱりフィクション=妄想(虚構)でしかなく、富樫勇太はフィクションから一旦は離れることになってしまうわけです。中二病からの卒業(あるいは諦念)。この日常には超常的な現象も超常的な力も超常的な不思議もなにもかも存在しない、それでもフィクションの力を盲目的に信じていこうとする小鳥遊六花という存在がいます。フィクションでしかない──しかし彼女のファッションは所持するアイテムは演じるキャラは世界観は思想は行動は、現実を日常を確実に侵食して変えていくわけですね、そして富樫勇太をも。今回の映画でも富樫勇太と小鳥遊六花はなにか特別な存在になれたわけでもなくて、愛の逃避行?っていっても日本を飛び回っただけなのですね。でも高校生の二人にとっては日本をまさに縦横無尽に飛び回る逃走劇(逃走劇?)は十分にエキサイティングで、そして特別だったはずなのです。この現実とフィクションの距離感ですよね、自分はすごいと思うんですよ。距離感っていうか実際に日本を飛び回っちゃうよっていう。あるいは、いやいやいや六花、逃走中に余計な中二アイテム買うなよ!ヴァジュラってなんだよ!いらんやろ!みたいなところですか? 「中二病でも恋がしたい!」はなにか決定的な答えを与えてくれるわけではないんですけど(富樫勇太&小鳥遊六花に対置される七宮智音がいますよね)、一緒に迷ってくれる作品ではあると思っているのですね。勇太の六花に対する想い──ずっとそばにいる、という決意。これはそのまま作品の姿勢に繋がっているのだと思っています。あともう一度タイトルを見てほしいのですよ“中二病でも恋がしたい!”なんですよ。中二病のキャラクターはまだいるんですよね、ほらモリサマ様と凸守がいるじゃないですか! ということは──ということはでいいんですよね!

【日記】夢見る写真じゃいられない

今年は初夢を見ていて、例年だと元旦に夢そのものを見ていなかったり見た夢をごっそり忘れてしまったり(まあ夢とはそんなもんですよね)することがままあったわけですけれども。今年見た初夢は「どっか知らない田舎で写真を撮っている夢」だったんですね。これは岩手で写真を撮っている体験が夢として現れたんだろうなあと。というか「写真を撮っている」という夢自体を初めて見たような気がします。今まで見たことないってのは意外なかんじですね。ただし夢のなかの田舎は「どこか知らない田舎」であって、どこなのかはわからないわけなんですけど。夢なので現実のいろんな風景がミックスされてるんでしょうね。自分はそのどこだか知らない田舎の風景をスマホで撮影している──というだけの、ただそれだけの夢でした。それで、目覚めたときに「あ、今のは初夢だ」と思ったわけですけど、なにか違和感があったのですね。夢に見た内容のどこかに違和感を感じたわけですね。といっても、そもそも“夢”というものが違和感だらけなので違和感があることはむしろ普通なわけで、さらには目覚めた瞬間には見た内容の大半を忘れてしまっているのですね。だからまあそら夢なんだから違和感くらいあるよなと、そう思っていたのですが。ただなんとなくその違和感のひとつはわかっていて、それは「写真が残っていない」てことなんだろうなあと。夢のなかの自分はその風景を記録したくて写真を撮っていたはずですが、目覚めたときには当然ながら写真は残っていないのですね。まあそう考えると夢のなかでなにかを記録する行為ってのがそもそも奇妙な行動なのだなあって思いますけど。──記録と記憶ということに関して。昨年(2017年)に自分はあいかわらず岩手県で写真を撮ったりしていたのですけど。ふと思い立って花巻市にある、とある「ボウリングセンター」に行ってみようと思ったのですね。そのボウリングセンターになにか特別な想い入れがあるかといえば、まあ全くないわけじゃないけどほぼ無いに等しいところで、じゃあなぜそんなところに行こうと思ったかは「行けばなにか昔のことを思い出すかもしれない」という理由からです。そのボウリングセンターには過去(しかも自分が子供のとき)ほんの数回しか行ったことがなく、場所もよく知らなかったくらいでどんな建物だったかも覚えていません。ボウリングそのものにはなんの思い出もなく、じゃあなにを記憶しているかといえばボウリングセンター内に併設されていた「ゲームセンター」で、ゲームセンターとしてはそこそこの規模があったようなイメージがありますが、昔のことなのでそうとう曖昧です。というかゲームセンターのことしか覚えていません。あのボウリングセンターはどんな場所だったのか、それがふと気になったというわけです。──結果から言うと、「ボウリングセンター」は跡形もありませんでした。ただのだだっ広い更地だけがありました。自分はひどく衝撃を受けていました。それはボウリングセンターが無かったことはもちろんなのですが、自分は数日前にこの空き地のすぐそばを写真を撮りながら歩いていたからなのです。そのときは空き地の存在すらほとんど意識していなかったわけですね。ボウリングセンターの住所を調べている段階で「あ、この近辺この前歩いたんじゃなかったっけ?」とは感じていたのですけれども。自分はそのだだっ広い空き地だけを写真に残すこととなりました。いや、実際には行く前から身構えてはいたのですね、「無いのかもしれないな」って。ボウリングセンターが閉鎖となったのはどうやらほんの一年ほど前らしく、それなら──営業はしてなくても(閉鎖していても)建物自体は残っていたっておかしくはない、という期待はあったのです。でも結果としては遅かったのです、それもほんの少しだけ。このボウリングセンターはそれなりに長く営業していた施設ですから、誰かが写真を撮っていることはあるはずで、外観写真ならネットを探せばあるのかもしれません。しかし自分に残されたゲームセンターの記憶はどうなるのでしょうか。もし、ボウリングセンターがまだ営業していて建物に入ることができていたなら、かつてゲームセンターがあったであろう空間、その名残りを見つけることはできていたのでしょうか。そして自分はなにかを思い出すことはできたのでしょうか。──自分は岩手で写真を撮っていてこう感じるときがあります。「写真はいろんな情報が抜け落ちてしまうな」と。写真を撮り始めた当初は自分の記憶の代わりとして撮影していたわけですが、あとから写真を見直すと「ああもっと撮っておけばよかった、あの場所もあの場所も写していない!」と思ってしまって、記憶の代わりとしてはずいぶん心許ないなあという気もしていたわけです。じゃあより多く撮って写真の枚数を増やせば──と考えたときに、それでもやっぱり無理なのだと気が付きました。例えば、ただの風景を撮影していて、そのとき足元の道路のアスファルトを見れば細かい亀裂が入っているということをどれほど確認できるのでしょうか。写っている草地はただの雑草でしかありません、でもそこに咲いている花をどれほど確認できるのでしょうか。ガードレールにつけられた傷は。民家に打ち付けられた看板の釘はどれほど錆びているのか──自分はこのように考えたときに、跡形もなくなった建物のことを偲ぶしかできなくなったという事実に、本当に「遅かった」のだと思わずにはいられないのです。

【日記】あけまみたおめでとうございまみた

初夢で見たら縁起のいいものってあるじゃないですか。一富士・二鷹・三なすびのあれですよ。ていうか“富士山”なんか夢で現れたことあります? よーし富士山を夢で見るやでー!て意気込みがあってもなかなか見れるもんじゃないですよね。悲しみ。自分なんか人生で一度として夢に現れたことないですからね。それはたぶん富士山とは縁遠い生活してるからで、逆に富士山となにかと縁がある人、親しみがある人にとっては有利ですよね。住んでるところから富士山が見えるとかそういう日常に富士山が入ってくる生活してる人は夢に見たりする可能性は高まるんじゃないでしょうか。静岡県民や山梨県民は強みがありそうですよね。それってずるいじゃないですか。静岡県民や山梨県民に妬み嫉みやっかみあといくばくかの羨望の眼差しみたいなものが集まるわけじゃないですか。で、なのでより身近で夢に見やすそうなものを初夢の縁起モノにしたらいいんじゃないかなって思うんですよね。たとえば「コンビニ」とか。コンビニだったらわりと夢に現れやすいんじゃないですかね。コンビニなら現実みがあるじゃないですか。馴染みありますよね。見込みありますよね。コンビニのどこにめでたい要素があるんじゃーい!と思うかもしれませんけど、そこはなんとか慈しみの心で、スピリチュアル的なパワーの力やらなんやらでなんとかしてですね、現代のパワースポットとしてですね──え?コンビニが近場に無い?日常生活圏にコンビニが無いって場合はどうするんだって? えー、まー、その、そうゆう場合はですね「ホームセンター」でお願いします。ホームセンター。逆に新鮮みありませんかね、ないですよね。たぶんどんなところにも霊験あらたかなホームセンターのひとつやふたつはあると思うので、よろしくお願いします。というどうでもいい負け惜しみじみた提案。──そういえば、年末(2017年)にとても残念なことがあったのですよ。ここ数年は毎年年末に、日清食品の「年明けうどん」を買っていたのですね。年明けうどんとはその名の通りに年明けに食べたらええんやで!っていう、年越しそばにあやかったおそらくはうどん県あたりのうどん推しの陰謀なのだと思いますが。別に自分はうどん推しのうどん大好き勢ってわけじゃないんですけど、なにげに毎年楽しみにしていたのですね。「年明けうどん」は年末年始の一瞬しか販売されない限定商品でもあるので、ありがたみみたいなものはあるじゃないですか。レアリティー高いじゃないですか。色違いポケモンみたいなもんじゃないですか。そう思っていたらですね、昨年末は年明けうどんが売られることはなかったのですよ。「あっ(察し)」ってなりましたよね、たぶん売り上げがかんばしくなかったのだろうなあと。まあ普通のどん兵衛みたいにオールタイムにスタンダードに常時販売されてるわけじゃなく、年末年始の一瞬だけだからそこで売り上げを確保するのもなかなか難しかったのかなあと。哀しみ。“年明け”って変換しようとしたら“年明けうどん”てすぐサジェストされるくらいには認知度はあるようなんですけどね──そう思っていたらですね、なんと今日、売っていたんですよ!! 恵みじゃー! お恵みじゃー! 年明けうどんゲットだぜ!!ってテンション=はずみでこの日記を書いております。いや、あのですね、年明けうどんだからって律儀に年明けに売らないでいいですからね、年末から売り出していいですからねって思うんだけど、なんらかの販売戦略があるのかもしれませんね。知りませんけどね。「年明けうどん」は普通においしいので買ってみたらいいと思いますよ。というわけで、富士山とか初夢で見れてませんけれども、年明けうどんはゲットできたのでこれは新年幸先の良いスタートとなったのではないでしょーか(ハードル低っ!)──そんなようなポスト平成!!!

【動画】ゆうちゅう部

★2017年Youtube巡回していたものまとめ。プレイリストとか公開したほうがわかりやすいのかもですね。★Affie Yusuf - I'm Free:(URL)。★ALPINE - Damn Baby:(URL)。★Avatism - Serpentine (Clockwork C/W Remix):(URL)。★Baba Stiltz - XXX200003:(URL)。★Chaka Khan - I Feel for You:(URL)。★Com Truise - Propagation:(URL)。★Context & Mike Skinner - Small Town Lad Sentiments (Remix):(URL)。★Courage - Latinman:(URL)。★Especia - Danger:(URL)。★Fantastic Man - Seaside Special:(URL)。★Flamingosis - Pleasure Palette:(URL)。★Frits Wentink - Rising Sun, Falling Coconut:(URL)。★Fuckthegovernment.Ltd - Paris Traxx 2:(URL)。★Ghost Mutt - Thoroughbred:(URL)。★Giganta - Spot Scene:(URL)。★Gillepsy - Endless Voyage:(URL)。★Haan808 - Explicit Manner:(URL)。★Hyetal & Shortstuff - Ice Cream:(URL)。★JD. Reid - Theory ft. Mr. Carmack:(URL)。★禁断の多数決 - ビューティフル・ドリーマー:(URL)。★Kolja Gerstenberg - Friends:(URL)。★Lance Neptune - Janus:(URL)。★Lance Neptune - Pink Violet:(URL)。★Len Leise - Another Place:(URL)。★Major Lazer - Cold Water (feat. Justin Bieber & MO):(URL)。★Major Lazer - Light It Up (feat. Nyla):(URL)。★Manuel Darquart - Next Dance:(URL)。★Marquis Hawkes feat. Jocelyn Brown - I'm So Glad:(URL)。★Momentform - Order:(URL)。★Night Tempo & ミカヅキBIGWAVE - Loveパズル:(URL)。★日本ブレイク工業社歌(逆再生ver.):(URL)。★小倉唯 - エンジョイ!:(URL)。★Opal People - 2 Channel:(URL)。★Opal People - Dumb:(URL)。★ORESAMA - ワンダードライブ:(URL)。★Orson Wells - A Connection:(URL)。★Orson Wells - Midnight Mystique:(URL)。★Paolo Fedreghini and Marco Bianchi - Spread Your Love feat. Claudia Bernhard:(URL)。★Pillar Point - Dove:(URL)。★Rabit ft. Riko Dan - Black Dragons:(URL)。★RHYMEBERRY - ちょっとやってみただけ:(URL)。★Rustie - Flash Back:(URL)。★Shigeto - Barry White (ft. ZelooperZ):(URL)。★Silkersoft - WATERLUST:(URL)。★South Rakkas Crew - Gangsta Revival ft. Gangsta Kid F:(URL)。★Szjerdene - Find Me:(URL)。★The Whispers - Rock Steady:(URL)。★The Worm - Lisa:(URL)。★Traveltech - Vir:(URL)。★VHS Logos - Marinate Mix:(URL)。★Van Halen - Jump:(URL)。★脇田もなり - IN THE CITY:(URL)。★綿めぐみ - 災難だわ:(URL)。★Wiley - Step 2001 (prod. by Zomby):(URL)。※2018/01/14一部貼り替えました。

【日記】明日、日記がヒトになる。(たまに更新します)

2017/12/28
先日ふとひらめいたことがあるので書いていっすか。ロールケーキを食べていたらこれなんか伊達巻きに似てるよなあと思ったのですね。伊達巻きの生地に生クリームを合わせて巻いたらそれはもうロールケーキなんじゃないか?て。名付けて「伊達ロールケーキ」。ダブルミーニングなんすよ!!! ──というわけで、ディストピア飯のことを考えていたら“海底クッキングマシーン”のことを思い出したんですよ。海底クッキングマシーン知ってますか、ドラえもんのひみつ道具ですよ。海底鬼岩城に出てきたやつですよ。食べたい料理の名前をカードに書いてそれをマシーンに入れるとその料理が出てくるっていう。なにそれすごい。カツ丼とか作ってましたよね。料理の原料はすべて海中のプランクトンなんです。すごくないですか? さすが未来の技術やで!って思うと同時に、これ最強に強まったディストピア飯なんじゃないか?って。だって原料プランクトンですからね。ディストピア飯度かなり高くないですか? どんなにカツ丼を完全再現していてもプランクトンなんですからね。でもカツ丼を完全再現してるんならそれはもはや「ただのカツ丼」なのではないか? うーん?って気持ちになっています。高度に発達したディストピア飯はただのカツ丼と見分けがつかない。──さて、機械が人間に近付いていくって話でちょっと考えていることがあって。AIが将棋とか囲碁のプロに勝ったとか、ポーカーのプロに勝ったとかあるじゃないですか。それで思ったのは“TAS”なんですけど、TASっていうのはTool-Assisted Speedrunのことで、ビデオゲームでツールを使ってゲームのタイムアタック/スーパープレイをやっちゃうみたいなやつですね。ツールを使うのでまるでコンピューターが操作してるかのような、非人間的なスーパープレイができてしまいます。まるでコンピューターがプレイしてるように見えるので、ニコニコ動画なんかではTASのプレイ動画のプレイヤーを「TASさん」と呼ぶことがあるわけです。なぜか人格化してるわけですね。「TASさんすげえwww」「さすがTASさんw」みたいな感じですね。で、それで思うのは──特にタイムアタックのような目的がハッキリしてるような(タイムアタックであれば最速を目指す)場合は、実際にAIなんかは理論上の完璧な最適解をわりと簡単に見つけてしまうのだろうなって思うのですね。リアルTASさんってわけですね。まあだからって人間がTASすることの意味が失われるわけじゃないはずですが、ここであるプレイヤーを思い出してしまうのですね。それは「KAS」です。なんとアンサイクロペディアにも記事があります「KAS」。KASさんとはTASさんに対抗心を燃やすプレイヤーでして「俺のほうがTASよりうまいんだぜ!」とスーパープレイをしようとするんだけども、でもついショボいミスをやっちゃって視聴者を笑かしてくれます。実際KASさんはかなりプレイがうまいんですよね、なのでそのギャップで一層笑えてしまうわけですね。それで、思うのは──AIにはこのようなプレイはできるんだろうかな?てことなんですね。微妙に下手っていうね。AIはきっとうまいプレイはできるんだと思うんですよね。でで、微妙に下手ということであれば「対戦ゲーム」にも言えると思うんですよね。強くもなく弱くもなく相手の力量に合わせてほどよく下手なプレイをする(だからといってあからさまに下手ではいけない)、てのをAIはできるんかな?と思うわけですね。将来的にはビデオゲームにはそういう「白熱した対戦を演出できる」能力が求められそうなんじゃないかと、だって誰にも勝てないような達人プレイされても楽しめませんしね(いやまあそれはそれで楽しい部分はありますけど)。それでいてAI=機械だから粗があるなパターンがあるな、みたいな下手さでもいけないですよね。対戦プレイヤーと実力が拮抗するかなんなら上回るくらいの力量だけどなんとか勝てる(実際にはAIがそのように調整してる)ってのが理想のひとつではあるんでしょうか。そうゆう人間的な下手な要素、下手なプレイ──そんなんAIにはなかなかできんやろって思ってしまうわけですが。でもわかりませんよね、いつかできてしまう日が来るのかもしれませんし。こんなん機械には無理やん?ってことが機械にできてしまうことって実際に起きているわけですから。ケヴィン・ケリーの「〈インターネット〉の次に来るもの」で、機械が人間のアイデンティティーを奪っていくプロセスが書いてありましたけど、はじめは「機械にはこんなん無理やろw」と思ってることが次第に機械にできてしまう、と。すると「ふ、ふん!全然くやしくないんだからね!そんなの機械に任せておけばいいもんね!」となって「よーし、人間はもっとクリエイティブなことするやでー!」てなる、みたいな話でした(うろおぼえ)。それはいつの時代にもあったはずで、現代には現代の脅かされているアイデンティティーがあるのだと思います。でもそれだけ人間はクリエイティブになっていけるのだとしたら、そんな未来は楽しみでもあるはずですよね。

2017/12/21
謎肉おにぎり(カップヌードル運営のネタ)は単なるネタだったわけですが、“マイコプロテイン”っていう本格的な代替肉があるそうで。糸状菌ですってよ!糸状菌! でもむりやり日常的な食べ物と融合した謎肉=謎肉おにぎりのほうがよりディストピアみがありますよね、なんとなく。というわけで──読んでみるかなと言った手前、書店でウィーナーの「サイバネティックス」を探して、それで見つかったのでページをパラパラめくってみたのですね。そうしたら数式がぞろぞろとお出ましになって「あかん!これすぐには読めんやつや!」って、そっと棚に戻しました。そっと。そういえば忘れていたけど昨年すでに手に取っていて、やっぱりそのときもそっと棚に戻していたのでした。たぶんまた忘れてもう一回くらいはやりそう。今回は見送ることにしました。そのかわり同じ岩波文庫で、柳田国男の「都市と農村」を買いました。どうやら今年に出たばかりのようなので(初文庫化)ちょうどよいタイミングですね。いま自分に必要なものはきっとタイミングよく現れるんだろう理論──というポジティヴ思考。カラーバス効果とかでしたっけ。サイバネティックスとはほとんど関係ありませんけれども。──で、また昨年読んだ本の話ですけれども。昨年(2016年)に高橋昌一郎の“限界”三部作?を読んでましてこれがけっこうおもしろかったのです。「理性の限界(不可能性・不確定性・不完全性)」、「知性の限界(不可測性・不確実性・不可知性)」、「感性の限界(不合理性・不自由性・不条理性)」の三冊です。どんな内容かというと、「人間には限界があるよね?」っていうことを登場人物たちによる対話形式で広く浅く追っていく、みたいな内容です。人間には限界があるってことは誰しも感覚的にぼんやりとは認識しているはずで、それはもっぱらフィジカル=身体的なことについては特にそうですよね。人体の構造/構成として発揮できる能力は物理的に確実に限界がある──ということですね。それで、この三冊ではそういうフィジカル面よりも、タイトルにもあるように理性、知性、感性という内面的/精神的なメンタル面の話がメインになっています。理性、知性、感性それぞれにはどのような問題/限界が見出されているのか?ということを、あまり専門的なことには踏み込まない程度に紹介する、あるいは問題提起する形になっています。ここから興味を持ったら各々の分野に関心を向けてみてね、てことですね。入門書よりもさらに手前の入門書みたいなもんですね。でで、人間にはどうしようもなく限界があるよ!てことを殊更に意識させられてしまうと──じゃあやっぱり、いずれ人間は機械と融合していくことになるのかもしれないなって思ってしまいますよね。じゃあやっぱりって、ちょっと話題が飛んだかもしれませんが。機械の身体を求めて旅をするのは銀河鉄道999でしたっけ。一度もみたことはないんですけど。といっても、現状我々は日常的に機械を使っていて当たり前に使っていて、それを拡張身体的に、あるいは実際に身体の一部として利用しているわけですよね。あまり自覚はしていませんけども──そもそも人間と機械の境界ってなに?みたいな問題提起がありますよね。昨今、機械やAIがより人間に近付いていってそれどころか部分的には人間を凌駕しているわけですよね。機械は人間に近付いていって、人間は機械に近付いていくのだとしたらなんだか奇妙なかんじですよね。

2017/12/14
コンビニで謎肉おにぎりが売っている(カップヌードル運営のネタ)そんな現代が、現代こそがディストピアだ! おにぎりという日常的な食べ物の具が“謎肉”ってところにディストピア飯度の高さがあります、きっと。というわけでサイバーパンクからのディストピア繋がりの話ってわけでもないんですけど。昨年(2016年)の年末にトマス・モアの「ユートピア」を読んでまして。「ユートピア」が刊行されたのが1516年らしくて、つまり刊行からちょうど500年だったわけなんですね。500年?て言ってもピンときませんけども、コペルニクスの「天球の回転について」(地動説)の刊行がどうやら1543年なんですね。ニュートンが万有引力の法則を発見したのは17世紀に入ってから(1665年?)です。なんとなく時代感がわかりますかね。で、岩波文庫──めったに手に取ることはないんだけど、読みにくい! 別に古い版ではないはずなんだけどフォントが小さくてごちゃっとまとまってて最近の文庫ってフォントが目にもやさしい感じの大きめなやつが多いじゃないですか、でもフォントがこう小さくてそのなんというか──そういう岩波文庫みを浴びました。“ユートピア”というどこぞにある島国=王国(フィクション)について語られているわけなんですけれども、この王国がいわゆる共産主義的なイデオロギーで成り立っているわけですね。話としてはなんか賢者然とした人物が「ユートピアっていう素晴らしい国があるんじゃよ」ってその国の素晴らしさを滔々とペラペラと説明していくことになります。でもその内容は「ぼくのがんがえたさいきょうの国家」みたいな展開になってきて、え? あのー、賢者氏ー? 国民にはもれなく仕事が与えられていてでもまともな休みはありません! 仮に休んでどこかにぶらり旅行に出るにしても、ユートピアはどこに行っても似たような市街地になってるのでそもそも旅行する意味もないんですよ!合理的やね!みたいな。奴隷がいることが前提!みたいな──そうゆう歪な価値観になってきて、あれ?これ自分が思ってたユートピア像と違うんやない?って。ここで描かれている“ユートピア”とは、現在我々が想像するところの“ディストピア”に近しいものなわけですね。いちおう古典も古典なので知ってる人にはなにをいまさらってことなんでしょうけれども。素晴らしきユートピア!でもそんな国はありえないんじゃね?っていうアイロニカルな話だったわけですね。と、本書を読んだあとにもWikipediaとか見て回って、なるほどそうだったのかーと。ユートピアとディストピアは表裏一体なのじゃ、というようなふわっとした禅問答みたいな話でもないんでしょうけど。この賢者氏、500年前の厨二病なのかもしれませんよね──中二病でも政治思想を語りたい!(中二病でも恋がしたい!のノリで)。次に読むならノーバート・ウィーナーの「サイバネティックス」なのかなーと。──それから、ディストピア繋がり?でちくま文庫の「たそがれゆく未来 巨匠たちの想像力〔文明崩壊〕」というのも読んでましてSF短編集なんですけれども、これ読んだのでじゃあその気分でユートピアも読んでみるかなってなったのですね。この“巨匠たちの想像力”シリーズは他に「あしたは戦争」〔戦時体制〕、「暴走する正義」〔管理社会〕、本作の「たそがれゆく未来」〔文明崩壊〕のみっつがありまして、タイトルからもわかるようにディストピアみの強い作品を集めた三部作となっています。本作「たそがれゆく未来」〔文明崩壊〕は文明崩壊のタイトルにもあるように、終末の世界を描いた作品をあつめていて、あるいは安部公房「鉛の卵」や、いちおう河野典生「機関車、草原に」あたりは終末後の世界観でもあるのでアポカリプス/ポストアポカリプス系の短編集ってことですね。作品の発表年を見ると、高木彬光「火の雨ぞ降る」1957年、光瀬龍「辺境五三二〇年」1963年、樹下太郎「夜に別れを告げる夜」1961年、小松左京「カマガサキ二〇一三年」1963年、松本零士「おいどんの地球」1972年──などなどとなっていて、ほとんどが50年は昔の作品ばかりで、半世紀──やな!って思います(何も言ってないに等しい感想)。50年は経過して変わっていった価値観もあるでしょうし、たいして変わっていない(ように見える)価値観もあるのでしょうし、仮に価値観が変わっていって古くなったんだとしてもそれはそれで荒唐無稽になってSF的には“フィクション”度が高まるんでしょうし、そう考えるとおもしろいですよね。巨匠たちの想像力とはどんなものなのか気になるひとや、ディストピア系の作品に興味があるひとには他シリーズも合わせてオススメなのではないかと思います。自分も他シリーズ二作はいずれ買いたいですしね。

2017/12/07
というわけで先日、映画「ブレードランナー2049」をみてきました。とてもおもしろかったです。自分がそれとなく見聞きした範囲だとわりとビミョーな評判らしくて(まあ自分はあまり気にしませんが)、でも映画館いったら座席は半分くらいは埋まっててそこそこ入ってるんやない?とか思いました。しかしよく考えたら映画の日に観にいったのでその効果だったのかもなあと。たぶんそうですね。自分はとてもおもしろかったです。で、“ブレードランナー”と言ったら「サイバーパンクの金字塔!」の誉れも高き後世に多大な影響を与えた作品として知られているわけですけれども。でも自分は名前だけ知っていて一度も観たことはないんですよね。ブレードランナー初代を通過しないままに「ブレードランナー2049」を観てしまいました。それで、サイバーパンクかあ〜とぼんやり期待していたものがほとんど期待通りそのままに繰り広げられてて、その期待通りさにまずビビりました。これどっかでみたことある!みたいな最強に強まったサイバーパンクみ。自分がブレードランナーというものを知ったのはたぶん「スナッチャー」(コナミ)によってだったと思います。PCエンジン版(CD-ROM2)で、自分がプレイした時期はたぶん1994年か1995年くらいだったんでしょうか。ブレードランナーが公開されてからすでに10年以上は経っているわけで、その時点で「なんか古いけど有名な映画なのだろう」みたいな認識ですよね。オリジナルは知らないけど、スナッチャーというレイヤーを通してそのサイバーパンクスピリッツはぼんやりと受けとめている──みたいな。こういうことは往々にしてあるはずで、例えば自分なんかだとシューベルトの軍隊行進曲をどこかで聴いたときに、あ!これ「チャレンジャー」(ハドソン)の曲や!って。シューベルトよりも先にチャレンジャーを知っているわけですね。例えばスクエアプッシャーを聴いてジャコ・パストリアスを知ることになって、でもそのときWeather Reportもなんにも知らないわけですね。先にスクエアプッシャーを知っているわけです。こういう体験がなんかもうどうしようもなくサイバーパンクなんじゃないか?て思ってしまいますけども。現代ってそうですよね。でで、「ブレードランナー2049」ですよね──サイバーパンクとして期待していたものがほとんど期待通りに繰り広げられる、という意味ではここで描かれているものは古い想像力なのだろうなあと感じてしまいます。どこかでみたことある!いかにも!っていう。むしろ何周かまわって新しいのか!?みたいな。そのねじれというか歪さがサイバーパンクの概念を背負って立つ覚悟──のようにも感じられます。その堂々さたるや。主人公が物語のキーアイテムである木馬を鑑定してもらったときに、「本物の木だ。あんた金持ちか?」っていう──天然の木は珍しい時代/世界? うわああああああああああサイバーパンクっぽい!!! ディストピア!!!ディストピア!!!(とりあえずディストピアいいたいだけ)。いやいやいや「っぽい」ってなんなんだよ、これはブレードランナーなのだ! でも「っぽい」て思ってしまうわけですよね。このねじれ。なんかあれですよねカウボーイビバップでやってた、ビデオテープ(ベータテープ)の再生方法がわからないってのを彷彿としてしまいました。ビデオテープ=アナログテープは珍しい時代にVHSとベータの規格があるのを知らないってやつですね。またもやオリジナルより先に体験してしまっている!? そういや2049の主人公は最後、階段で息絶えてしまった?みたいだったけれど、カウボーイビバップの主人公も最後に階段で息絶えて?ますよね。階段で死ぬってのはわりとある映画的シチュエーションなんですかね。でで、そういう「サイバーパンクっぽい」が圧倒的に強まったかたちで最初から最後まで惜しげもなく繰り広げられる、それが「ブレードランナー2049」で、まさしくこれがブレードランナーなのであるぞ!という有無を言わせぬ迫力があります。いや、ほんとすごい。上映時間も長いって知ってて、実際ほんとうに長くて座席にすわってて体が痛くなってきて上映後もフラフラしながら帰りましたが、これもまたブレードランナーなのであるぞ!ってことなのでしょう。

【日記】今日も特に何もありませんでした(きまぐれに更新します)。

2017/11/30
というわけで「マビノギデュエル」なのです。ずっと欲しがっていた「デーモン:パルノック★4」が手に入ってイヤッッホォォォオオォオウ!となっていました。とても強いのです。さて──つい先日、デュエル観戦していたら「亡者の復讐★3」と「墓場数え★3」を華麗に使いこなしている人を目撃して、うおおおおおおおおおおマジっすかああああああああああ!!!と感動していました。どちらも非常にクセのあるカードでしてプレイヤーに直接ダメージを与える強力なカードなのですけど、使いどころが難しいのですね。プレイヤーに直接ダメージを与えるカードとしては「復讐の矢」がポピュラーなんですけども。コストも低いことからその瞬発力がかなりのアドバンテージになっているのですね。条件次第ではそこそこ大きなダメージも与えられるし。復讐の矢と比べたら「亡者の復讐」(相手墓地にあるカード枚数分ダメージを与え、カードを手札に戻す)も「墓場数え」(両プレイヤーの墓地カード枚数の合計が一定数のとき、墓地にあるクリーチャー数が少ない方にダメージ)もそう簡単には使えなくて、なので瞬発力も期待できないので、まずデッキに組み込む時点で躊躇してしまいますよね。使うタイミングがイメージしづらいですもん。それをあのように「亡者の復讐」からの「墓場数え」のコンボを決めるって、すすすすげえ!!!!!としか言いようがありませんでした。墓地使いのスペシャリストですやん! どっちか一枚でもそうやすやすとは使えませんて。いやー、使いこなせる人はいるもんなんだなー!と。あとすごいなーと思った人としては──「物々交換★3」(場に出てるお互いのクリーチャーを入れ替える)を使ったユニークなデッキで戦っている人がいて、おっもしろい!!!!ってテンション上りました。実は縁あって、以前にそのプレイヤーとは対戦もしてるんですよ。ものっそいぐだぐだの長期戦になったんですけども。その後もデュエル観戦で何回か見かけてて、そのたびにだんだん戦法が洗練されていってるのがわかってすごいなーと思いました。かなりトリッキーな戦い方をするんですよね。こうゆう妙な戦法を使うデュエリストが現れるとやっぱりおもしろいですよね。テンションアガりますよね。で、話はすこし変わりますが──マビノギデュエルに新カードが追加されて、えー!?なにこれ!?なにこれ!?てなっていました。というか、新カードの追加は前にもあったはずなのだけど、そのときはログインボーナスだけもらっててまともにプレイしてない時期だったらしく、なんも知らずにスルーしていたみたいです。でで、いきなり★4カード(「小公爵:エブニシュ★4」)が手に入ったので新カードたーのしー!って喜んでいました。気になるカードも色々あって「アメントゥールの黒い呪文陣★1」とか、これ「氷剣:ユキアネサ★1」ですよね。「氷剣ユキアネサ」はかなり便利なスペルカードでして、一種の強カードと言ってもいいくらいなはずですが、自分はこれ個人商店(プレイヤー個人が開設できる商店)でたしかG20000くらいで購入したんですよ。ユキアネサは限定カードなうえにめっちゃ便利なので相場も高くて、G50000超えとかもざらにあるなかでのG20000ですから安いくらいなんですけど。「アメントゥールの黒い呪文陣」は猫商店(公式商店)でG3000で買えますからね! さっそく買いました。そのうち“個人商店”の話もしたいですね。あと「神聖不可侵★4」とか「救いの手★1」(これも「呪紋:リサの紋章★1」ですよね)とか恐ろしいカードが出てきて、ほんとえー!?なにこれ!?なにこれ!?です。「神聖不可侵」(相手がスペルを使用した場合そのコスト分のダメージを与える)とか、高コストカードに対する強烈なカウンターが登場したのかもなーって。地獄の門系とか究極呪文系はコストが激高いので、そのコスト分のダメージをプレイヤーに与えられるとなったらこれは脅威ですよ。まあでもやっぱり使いどころを見極めるのが至難の技なんでしょうけども!

2017/11/23
というわけで「マビノギデュエル」なのです。「ネズミ撒布」を使ったデッキを考えていてなんやかんやと試してある程度安定したのができたっぽいので書いていきます。「ネズミ撒布」はネズミクリーチャーを増やせるスペルカードですね。で、どんなクリーチャーが対象なんかなあと思ったら「危険なリス」も増やせるらしく、へえリスってネズミの仲間なんやあって(リスを漢字で書いたら“栗鼠”なので確かにネズミですね)──で、なんとなくネズミ撒布つかってみようかなと。ちなみにラットマンは人間?(怪人?)扱いのようなのでネズミ撒布では増やせません。増やせたら便利なのに。さて、構成陣営は自然/闇で、「復讐の矢」「危険なリス★1」「乱暴なアルパカ★1」「マユの罠★2」「コマンドハント★2」「スケルトン兵士」「ネズミ撒布★2」「成長のツタ★1(+1)」「カーディルの密猟者」「魔女:チェシャ★4」「悪魔の両手★1」「捕獲★2」──です。「危険なリス」を増やして一気に勝負に出る!みたいなデッキです。短期決戦型ですね。「危険なリス」は毎ターン場に出てる同じ危険なリスの数だけ攻撃力が上がるので、ネズミ撒布で二体か三体増やして物量と攻撃力で決着をつけようってことです。弱点としてはHPが低くてちょっとした全体攻撃スペルであっけなく殺されてしまうので(あと「ドッペルゲンガーの傷」も致命的)、切り札的に使うことになります。主力として「スケルトン兵士」や「カーディルの密猟者」(表記は“密漁者”になってるけどこれ誤字ですよね)といった攻守に優れたカードを入れていて、序盤からガンガン攻撃していきます。サポート的に「魔女チェシャ」(クリーチャーを黒猫に変える)や「成長のツタ」(両プレイヤーが資源獲得するとHP/攻撃力が増えていく)を配置して注意を引き付けます。そして、使いどころを見計らって「危険なリス」からの「ネズミ撒布」どーん!ですね。「悪魔の両手」(相手戦場の両端にいるクリーチャーを破壊)を用意しているので相手の注意を両端に引き付けると効果的です。全体攻撃のカードを用意してないので数で攻められると厳しい展開になります。「捕獲」(ほとんど保険で用意してます)と入れ替えてなんらかの全体攻撃スペルを用意するのもありですけど、短期決戦で突っ走ってゴリ押しするほうがおもしろいですよね。窮地に立たされたら諦めましょう! ──それから次に「死神召喚」のデッキですね。ででででたー!!!死神召喚!!! 死神召喚は“究極呪文”と冠されている非常に強力なカードでして、これを発動できれば場にかなりのプレッシャーを持ち込むことができます。ただし、ものっそいコストがかかるし扱いづらいピーキーなカードでもあります。構成陣営はマナ/光/闇で、「ホーリーミサイル」「死神の儀式★1」「魂の売却」「人魚の歓迎★2」「マナ泥棒★1」「精神抑圧★2」「邪悪な木こり★1」「襲撃」「時計のぜんまいを巻く★3」「怨恨の墓地★3」「反射トラップ★2」「究極:死神召喚★4」──です。う、う〜ん。正直使いこなせているとは言い難いのですよね。当初はほとんどスペル型デッキにしていたのですけど、序盤〜中盤をうまく凌ぎきれないのでクリーチャーを混ぜることにしました。死神召喚のための資源をいかに集めるか?その間いかに凌ぐか?てことになります。凌ぎかたがまだよくわかっていませんけども。序盤は「魂の売却」で資源を集めて、あとは「怨恨の墓地」(“怨恨”を溜めていき、破壊されたときに怨恨分の資源を得る)が頼みの綱です。怨恨の墓地はわりと簡単に大量の資源を集められるのですが、破壊されたときにしか資源が手に入らないので「死神の儀式」(クリーチャーを生け贄にすることによって相手の資源を減らす)で怨恨の墓地を破壊することにします。で、いよいよ死神さんを召喚できたとしても、扱いがピーキーで難しいのですよ。「死神」は召喚から13ターン経過後に相手プレイヤーにどーん!と致命的ダメージを与えるわけなんですが、13ターンてめっちゃ長いですからね。もしくは相手戦場にクリーチャーがいる場合は毎ターン一体ずつ破壊して相手プレイヤーに6ダメージを与えるので、四体か五体のクリーチャーを葬ることができればほとんど勝負が決まるんですけどね。それでも5ターン前後かかるのは結構キツイんですよね。そんだけあったら色んな対策とれますから。なので「時計のぜんまいを巻く」で13ターンをぐぐっと縮めます! ぜんまいを巻くとなんと次のターンで死神の仕事が発動するので、これでほぼ勝負が決まります。死神を扱うときの問題点としては、スペルカウンター(死神召喚は発動時は“スペル”扱い)や封印スペル、変化系スペルにはめっぽう弱いので──ていうかかなり弱点あるやん! こちらもスペルカウンターくらいは用意しとかないと死神をカエルにされてあっけなくぶっ殺されます。死神は攻撃力も無いので、能力を封印されると単なる役立たずになり下がります。死神さんよぉ、ピーキーすぎんだろ! まあたぶんそうゆうところが厨二病スピリッツをくすぐると思います。

2017/11/16
“自分が生まれた町”に関する話。花巻(岩手県)のとある図書館で“その町”の郷土資料を発見した──という話のつづきです。自分が(自分たち家族が)以前住んでいたあたりの地域に、実はその昔、小学校が存在していたらしいことを知りました。え?そんな場所あったっけ?とかなり驚きました。ひとつ思い当たる場所があって、それはおそらく現在の「公民館」がある場所なのではないか?と思い至りました。たしか公民館の隣にはなにやら古ぼけた倉庫みたいな建物があったはずで(現在はありません)、そこがもしかしたらかつての小学校だったのかもしれません。あるいは、公民館そのものが実は小学校の一部だった?可能性もあるのかもしれません。小学校が廃校となって、やがてその場所が公民館となった、公民館として使われることになった──ということなのでしょうか。そんな話は初めて知るわけですけれども。自分はそこが公民館だった時代しか知りません。実はこの公民館がある場所のあたりは、さらに遥か昔にはどうやら“城”があったらしいのですね。これもつい最近になって知ったことでした。まあ城といってもまわりは田畑と山に囲まれたド田舎ですから、そんなところにある城ならたいしたものではなかったんでしょうが。でも、やっぱりそんな話は誰からも聞かされたことはありませんでした──いや、本当にそうだったのでしょうか。もしかしたら子供のときにそういう話を聞かされたときがあったのかもしれません。わかりません。遥か昔にそこには城があり、城があった場所には小学校が建てられ、やがて小学校は廃校となり公民館となった──では、今後は一体どうなるのでしょうか。公民館が(建物が)今後も永久に残り続けるなんてありえないので、いずれ取り壊されるか建て直しされるかするわけですよね。公民館が公民館としていつまで機能するのかすらもわかりませんし、仮に取り壊されることになったとしてその場所はどうなるのでしょうか。一応は城があったという史跡なのだから記念碑的なものが設置されて公園のようになるのでしょうか? まあなんとなく想像はできますよね。では、その後はどうなるのでしょうか──100年後、200年後、300年後、500年後はどうでしょうか、千年後は?一万年後は? 到底想像できませんね。以前、町の中心地にあるとある史跡に行ったときにもこれと似たようなことを考えたときがありました。「過去の人は、遠い未来に誰かがここに訪れることを想像したのだろうか?」といったようなことです。そして、このように考えたときに自分は同時に遠い未来にここに訪れるであろう誰かを想像しているのだな、と気が付きました。なんとも奇妙な気持ちになってしまいます。史跡については小学校のときの課外授業かなにかで簡単な歴史を教わったはずで、しかし自分はなにひとつとして覚えていなかったようです。大昔のことを説明されても実感が無いというか、それはもはやフィクションのようにしか感じられなかったからなのだと思います。そもそも自分が子供のときからテレビをつければ当たり前のように時代劇なんかもやっていたわけですし、過去はなんだかフィクションじみているのですよね。今、自分が生きている現在もやがてはそのようなフィクションじみた時代へと姿を変えていくのだろうなあと思うのです。そして、遠い未来にはきっと誰かがその史跡に訪れて自分と同じように過去を想像するのでしょう──そのとき自分はフィクションの住人になっているのだと思います。

2017/11/09
“自分が生まれた町”に関する話。先日、盛岡(岩手県)のとある図書館に行ったときに、“その町”に関する郷土資料をたまたま見つけたのですね。別に有名な町でもないしなんらかの情報があるとは期待していなかったのだけど、郷土資料の棚に一冊の薄い本を見つけて──それがその町に関する本でした。自分が知りたかったのはその町の「昔の姿」で、写真の一枚でも載っていないかと期待していたわけですね。まともな風景写真は一枚だけ載っていて、それはどうやら大正時代初期に写されたものらしく、鉄道が開通したときの記録?として残されたもののようでした。町の中心地=商店街近辺を高い場所からやや俯瞰でとらえた写真で、すぐにどのあたりの場所なのかがわかりました。現在の面影がたしかにあったからです。現在とは違って商店街付近にまだ田畑が多く残っていて、まあ当たり前だけどそれ以前には田畑すら無かった時代があったわけですよね──と考えるとなんとも奇妙な感覚にとらわれます。花巻(岩手県)のとある図書館でもその町に関する郷土資料を発見しています。郷土資料の棚には震災絡みの関連書籍が多くあり、あるいは震災があったことにより棚が充実していたのだとしたら皮肉なものがあります。その棚に、ものっそい分厚い辞書みたいな本が二冊。その町が「町」である時代よりももっと遥かに昔からの歴史が記述されている本でした。自分が求めていたのはやっぱり「写真」で──残念ながらまともな風景写真は載っていませんでした。その代わり、小学校の校舎の外観を記録した写真があったのです。自分が忘れていたあの木造の“旧校舎”らしき写真もあって、でもその外観を見ても「こんなんだったかなあ?」と思うしかできませんでした。写真が旧校舎だけを全面に捉えていて周囲の風景が一切写っていないせいで、なんだか印象が弱いというのもあるでしょう。もう実物を見ても思い出せないくらいに記憶が薄れているのかもしれません。思い出せない──ということに関して。自分がその町でとても印象に残っている“ある風景”があります。それはいつどこで見たのかも忘れつつある「夕暮れの風景」なのですけど、その風景を見た当時「まるで映画のワンシーンのようだ」と思い、それが強い印象として残ったのです。しかし現在その場所が一体どこだったのかを思い出せなくなっています。だいたいどのあたりの地域かはわかっているのですが──でも、旧校舎の件と同じで、今その風景を実際に見れたとしても、きっと自信を持って「ここだ」とは思えないのではないかという気がしています。

2017/11/02
というわけで「マビノギデュエル」なのです。ウィークリーリミテッドアリーナで「光属性のカードだけ使って!」てのがあったのでそのときのを。いわゆる単色(単一)デッキです。単色デッキはまともに作ったことがなくて、さらに“光”だけでってのがハードル高いかんじなんですよね。単色デッキは資源を一点集中できる反面、資源の運用が難しくなって、特に光陣営は資源を効率的に生み出すカードが少ないので、資源の運用にはなおさら難儀するような性質があるのですね。逆にゴールド陣営は資源を集めやすい性質があるようです。とにもかくにも作ったデッキはこちらです──「カーディルの猫★1」「必勝の信念★3」「ロナ★3」「襲撃」「完勝の象徴★2」「獣人:デヴィッド★2」「爆破技術者★2」「反射トラップ★2」「ネットウォリアー★1」「神父★1」「夜襲★2」「城守:ベダ★2」です。う、うーん。序盤でまともに資源を生み出せるのが「カーディルの猫」くらいしか用意できなくて、しかも条件付きです。それから、特に低コスト帯の攻撃スペルも「襲撃」以外は使いづらくて“ホーリーミサイル”も“神聖な杭”もどちらかといえば対闇陣営用で光陣営には効果がないのがきびしいです。“懸賞金”もゴールドと連携しないと意味がありません。つ、つかいづれええええええ!!! デッキの基本戦略は、「反射トラップ」で時間稼ぎ&反射トラップを主力にしつつ、できるかぎり早めに「神父」を召喚して資源を生み出すようにします、後半余裕があるなら「城守:ベダ」を召喚して相手の資源を減らす──です。「反射トラップ」はトラップなので受け身ですから攻撃力が無い(実際にはマイナス数値)わけなんですけど、「完勝の象徴」で攻撃力を付加させます。完勝の象徴は指定した味方の攻撃力を相手墓地にあるスペルカード枚数分増加させます。そして、攻撃力が0未満の場合は相手手札のスペルカード枚数分がそのまま攻撃力になります──ここが重要です。たいていデッキには少なくとも二、三枚のスペルカードが入るものなので、これで反射トラップに攻撃力を与えるわけです。相手のデッキ次第なのでやや不確定要素があるにしても、相手によっては四、五枚スペルカードを入れてる場合もあるでしょうし、そうなったらしめたものです。この戦法はデュエル観戦してるときに知りました。なるほどー!って。「必勝の信念」も攻撃力を付加させるスペルカードです。これは相手戦場にいるクリーチャー数分攻撃力が増加します。相手に依存するとはいえ発動コストが安いので非常に使い勝手がいいです(ただし攻撃力が高くなるということはそれだけ狙われやすくなるということでもあるので、使いどころの見極めは必要です)。攻撃力補助を二枚入れてるのが重複気味なのでどちらかを外して“信仰告白”(クリーチャーの特殊能力を封印する)あたりに替えてもよかったのかも。「神父」は当デッキの主要クリーチャーで、光陣営ではまともに資源を生み出すことができる数少ない存在です。ただし召喚コストがそこそこ高くて、それでいて非力なので「たしかに聖職者なのだから非戦闘的なのだろうけど、その持ってるごついハンマー的なものでもっとこうガツーンと本気出してくれませんかね!?」みたいな気持ちになります。闇陣営相手なら闇資源も減らしてくれますよ!(なにげに闇資源を減らせるカードは少ないんですよね)。「爆破技術者」は全体攻撃系の要素も兼ねています。対峙するクリーチャーが破壊された場合には相手戦場全体を爆破してダメージを与えるので、ここぞと言うときに“襲撃”でも使って対峙クリーチャーを破壊するのもありです。地味ながら有能な活躍をするのは「ネットウォリアー」で、ネットウォリアーは召喚時に対峙するクリーチャーの攻撃力を0にします。強力なクリーチャーが出てきたらネットウォリアーをどーん!と配置して無力化するわけですね。攻撃系スペルに乏しい光陣営では重要なポジションですね。ただし“フライングソード”(毎ターン攻撃力が一定値になる)みたいなクリーチャーには通用しません。「城守:ベダ」は後半の主要クリーチャーです。ターンの始めと終わりに相手の資源を減らします。城守ベダを場に出せればかなり有利になりますがコストはそこそこ高いので簡単には召喚できないのがツライですね、なにしろ光の単色デッキなので。“城守”とあるけどべつにガーディアンっぽさは無いので攻撃力はおまけ程度です。おい、もっと本気だせよ! さて、単色デッキの組み方がよくわかっていない&光陣営単色はツライ──ということでデュエルが泥試合化する局面が多かったです。高コストカードを使うにはどうやって資源を集めればいいのかよくわかりませんでした。

2017/10/26
というわけで「マビノギデュエル」あいかわらず楽しく楽しんでいて楽しいのです。強カードの「カード鑑別士」を組み込んだけっこういい感じのデッキができたので書いていきます。元はデイリードラフトアリーナ(ランダムに配られるカードでデッキを構成するアリーナ)でとある日、たまたまいい感じのデッキが作れたのでそれをアレンジしながら微調整していきました。構成陣営は自然/光/闇で、「沼地ヒドゥンスパイダー★1」「復讐の矢」「進化のまゆ★2」「コマンドハント★2」「木こり」「カード鑑別士★3」「黄金のイーグル★2」「射手(+1)」「魔女狩り★2」「カーディルの怪鳥★2」「奇襲」「ヘルハウンド★2」です。自分で言うのもなんですけどけっこう強いデッキですよ? たぶん今まで作ってきたなかでは最も強いのではないかと思います。オールマイティーに立ち回ることができてしまいます。ポイントとなるのはやはり「カード鑑別士」なのですけど、まー便利ですよね。カード鑑別士は毎ターン相手戦場の★1以下のカード(★0と★1のクリーチャー全般)を消し去ります!(この“消す”てアクションが“破壊”よりも厄介なのです!)。それでいて★2以上のカードが出された場合は資源を生み出すので、どんな局面でも基本的に損はしないという──それでいてなおかつ召喚コストも安いのでめっちゃコストパフォーマンスが優れているわけです。これで★3クラスの性能っすか?って訝しんでしまうくらいには便利すぎるカードなんですよね。対策としては例えばホーリーミサイルあたりを用意しておけば楽に対処できてしまいますが、もともとがローコストなので倒されてもそれほど痛くありません。こ、これが強カードというものなのかっ! で、デッキの基本戦略なんですけど、実はこのデッキには基本戦略らしいものがありません。微調整していく過程で自然とそうなっていきました。そのときの状況次第でできるかぎり柔軟に手札を出していくことになります=オールマイティーな状況に対応できている?てことなんだと思っていますけど、さて。短期・中期・長期、いちおうどの戦況にもついていける──はず。「進化のまゆ」「コマンドハント」「魔女狩り」あたりは、厄介かつ強力なクリーチャーを迎え撃つスペルカードです(べつにそれ以外に使ってもいいですし)。特に「魔女狩り」はまさしく強力クリーチャー対策です。いわゆる即死系のスペルなんですけど“死の宣告”より低いコストで発動できます。その代わりに“魔女”以外に使用した場合は追加コストがかかってしまいます(中盤〜後半ならそれほどリスクはないと思います)。「射手(+1)」というのは“ミュータントカード”というもので、通常のカードのバージョン違い?みたいなものです。“+1”は最初からレベルがひとつ高い状態で使えるカードです。このミュータントカードという存在が、ある意味★5並みかもしかしたらそれ以上にレアなカードになっていまして非常に強力なので、デッキに組み込んだ場合プレイヤーHPがマイナスされていくペナルティーがあります(デュエル開始時にHPが違うわけなので、ミュータントカードを入れていることが相手にもわかり警戒されます)。「射手」は防御力無視の遠距離攻撃ができるクリーチャーなのですが、通常カードだとやや非力なのですね。もっぱらサポート的な立ち回りになります。そこをミュータントで補正して主力クラスにしようって腹積もりなわけです。実際かなり強いです。そして「木こり」です。「木こり」は一見非力なんですけど自然資源を生み出す&相手の自然資源を奪う重要クリーチャーです。特にレベル2以降で場に出せば毎ターン資源を2生み出すので強力です。自然陣営には“捕獲”という厄介なスペルカードがあるので、相手の自然資源を減らせるのは魅力的です。当デッキは自然陣営にやや傾きがあるので「木こり」を入れてますが、闇に傾けるんなら“焼畑農家”なんですかね。ただし木こりよりもさらに非力なんですよね。非力だからこそ安全な場合もあるはず──なんですけど非力すぎませんかね。「ヘルハウンド」は召喚時にどどーん!と相手戦場全体にダメージを与えるのでスペルカード的にも使える有能なクリーチャーです(「黄金のイーグル」もスペル的に使えます)。ヘルハウンドは特に“反射トラップ”を出されたときの対処にすこぶる役に立ちます。「奇襲」はいちおう保険として入れています。こちらが劣勢のときに苦し紛れで使うことを想定した全体攻撃系のスペルカードです(もちろんそれ以外にも使えます)。当デッキはこの劣勢時の巻き返しにはわりと弱いところはありまして、「奇襲」ではやや決め手に欠けるかもしれません。奇襲に比べると使いどころにかなりの判断力を要しますが、お好みで「記憶除去ビーム★2」(場のクリーチャーをランダムに移動させる)、「死の光線★2」(場のクリーチャーをランダムに五体破壊する)あたりと入れ替えてもいいのかもしれません。記憶除去ビームはほとんど博打なんですけども苦し紛れに使うならかなり意味はあると思います、コストもそれほど高くないし。あとは“地獄の門”系とか、高コストクリーチャー対策としては、「ジュルナの毒矢★1」(相手が一定資源を貯めている場合にHPを大きく削る。ただしトドメは刺せません)、「亡者の復讐★3」あたりなのかなあとか考えてはいるのですけど、やっぱりかなりの判断力を問われますね。「亡者の復讐」(相手の墓地にあるカード分ダメージを与える)はフィニッシャーにもなるので使いこなせるんなら「復讐の矢」の代わりにするのもありなのかもしれません。奇襲攻撃としてはたぶんかなりの意外性があるので想定してる人は少なそうですし。まー使いこなせるんなら! もうちょいコスト低かったらいいんですけどね。まだまだ研究する余地がありそうですね。

【日記】今日は特になにもありませんでした(きまぐれに更新します)。

2017/10/12
「マビノギデュエル」あいかわらず楽しく楽しんでいるのです。最近、「これなんの役に立つねん」みたいなカードの有用性=使い方がわかってきて、こういうことだったのか!と発見があったりしました。「卑怯なインプ」とか「木こり」とか「マッド商人」とか「キノコ栽培★1」とか。「木こり」とか明らかに非戦闘員やん!弱すぎるやん!と、これまでまともに使ったことがなかったのだけど、実はかなり重要なクリーチャーだったのですね。「卑怯なインプ」や「木こり」みたいな一見弱いクリーチャーは攻撃対象としての優先順位が低くなりやすい、という強みがあったわけですね。そら相手はより強力なクリーチャーから排除を試みるんでしょうから。なるほどー!と。まだまだ使い道不明なカードはあるので、それらにもなんらかの知られざる有用性があるのでしょうね。奥が深い! それから──なんやかんやとデッキを作っているのですけど。ウィークリーリミテッドアリーナで「スペルカード(呪文)使用禁止」のルールがあったのでそのときのを。スペルが使えないとかなり地味な戦いになるというか、強力なクリーチャーが召喚されてもスペルでサクッと対処できないので無駄に長期戦になります。構成陣営は自然/マナ/闇で、「墓虫★1」「技術者:助手のリーフ★2」「成長のツタ★1」「不運の猫」「リザードマン射手」「ホホジロザメ★2」「イーグル★2」「スライム★2」「呪われた人形★1」「魔女:チェシャ★4」「魔女:ゼイナ★3」「東の神獣:青龍★4」──で、ここから微調整で何回かカードを入れ替えしたはずなんだけど保存してなくて完成デッキ(安定デッキ)はどんなだったか忘れてしまいました。忘れないための日記だというのに。スペルが使えないのでクリーチャーの特殊能力に頼るかんじになります。基本戦略としては、「魔女チェシャ」(クリーチャーを黒猫に変える)か「魔女ゼイナ」(クリーチャーのHPを大幅に落とす)で相手クリーチャーのHPを下げて、「リザードマン射手」や「ホホジロザメ」(相手戦場に全体攻撃)で掃討する、です。「助手のリーフ」や「東の神獣:青龍」(毎ターン味方の防御力を一定に保つ)は味方に防御力を与えてくれます。スペルカードが使えない状態だと、「青龍」が場に出ればほぼ自分戦場は無敵に近い状態になりますが、でも地味に殴り合うしかないので泥試合っぷりは高まります。泥試合を避けるために「不運の猫」(両プレイヤー資源獲得できなくなる)を入れたはずなのだけど、クリーチャーが出揃ってしまうとあんまり意味がなくて、やっぱり泥試合に(かといって前半に召喚すると自分の首をしめる)。ようするにまとめると、泥試合でした!!

2017/10/05
先日、劇場版「響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜」を観てきまして、完璧や!みたいに思っていました。ネタバレしてますんで気をつけてください。まあ“完璧”て褒めかたはあまりしたくないのですけど(完璧=リミットを勝手に決めているみたいになるので)素晴らしかったね!と。届けたいメロディは、響け!ユーフォニアムのテレビシリーズ第二期を劇場用に圧縮したかんじになっているのですが、あいかわらずすごいなーと。で、二期だとあのシーンがかなり印象的で、それは久美子とあすかのあの河川敷のシーンなわけですね。あすかがユーフォニアムを独奏する。劇場版ではあのシーンがカットされていて、え!?てなって。大切なシーンだったんじゃなかったっけ!?って。がっかりしてしまいました。でもまあ合宿のシーンとちょっと被るし冗長だってことなのかなあと。そうしたら最後にあのシーンがやってきて、え?え?え?──きっとテレビシリーズのときと非常に近い演出効果を狙っていたわけですよね。そうだ確かにこのシーンはエンディングとともにあるからこそ印象的だったのだ──完璧や!と興奮していました。ほんとすごかったですよね。あと、あすか先輩が久美子のことを「ユーフォっぽい」と言っていたことについて考えたりしていました。どういうところが? あすか先輩がユーフォニアムのパンフレット?を見ながら久美子のことをふと思い出していて、それがなんでか久美子の後頭部で髪に触れている?掴んでいる?シーンなわけですよね。あれがなぜなのかなと。ユーフォっぽいことと関係があるのだとしたら、もしかしたら「掴みどころがない」みたいなニュアンスなんですかね。実際、あすか先輩は久美子にそう攻撃してましたからね、他人の本心がどうしてわかるの?と──それは、あなたは他人に本心なんか見せていないよね?(そして自分自身がまさにそうなのだ)というクリティカルな指摘でしたよね。あのシーンを再び観て、やっぱすごかったですよね。久美子あかん!その説得の仕方はあかんやつやで!てまたもやハラハラしていました。あと思ったのは、高坂麗奈さんの出番少なっ!(まあ出番少なくても存在感はありますよね)ていうか、前作劇場版も今作劇場版もなんやかんやで三年生組がかなり目立ってましたよね。響け!ユーフォニアム(劇場版)はさらなる新作もあるようなので、そんときは高坂麗奈さんとかあとついでにデカリボンパイセンが活躍してくれるんでしょうね、きっと!

2017/09/28
「マビノギデュエル」あいかわらず楽しく遊んでいるのですけど。「死神召喚★4」が手に入ってイヤッッホォォォオオォオウ!となっていました。この溢れでる厨二病スピリッツがヤバくてヤバいですよね。死神召喚!!!リンゴがだいすき的な。死神さんの能力値がハンパなくてHP13で防御力13ですからね? まあ死なない。輪廻も13あってたとえ死んでも何回でも復活します。攻撃力は無いのだけど13ターン後に相手プレイヤーに666ダメージをあたえる──とか、オーバーキルすぎてハンパねえっす。この厨二病み。てか13ターンて遠すぎやん!もっとサクッと仕事して! でもカエル変化でカエルになってあっけなく死ぬこともあるんですよね(実際それで殺された)。おまえ死神やろ!!!! で、666ダメージとか無駄にオーバーキルやなあと思っていたのだけど、このダメージを耐えられる状況があったのですよね。それは「大天使:ニケロア★5」で、説明文がすごいですよ。“このクリーチャーが戦場にいる限り、あなたは負けません”──これ。負けないんです。あなたは負けません!(勝てるとは言っていない!)。死神vs大天使ニケロアが揃った夢の対決、見てみたいですよね。あと、強カードの一角とされる「カード鑑別士★3」を手に入れまして、というかけっきょく猫商店で買いまして(ゲーム内通貨でカードが売り買いできるのです)、いつか手に入るだろう、いつか──「強カードなんかに負けたりしない!」とか思っていたのだけどいつまでも手に入らないので、「強カードには勝てなかったよ」みたいな気分でお買い上げしてみました。うん、カード鑑別士めっちゃ便利いいいいいいいいいいいいいい!!!!

2017/09/03
ファイアーエムブレムヒーローズで“1/2周年”を記念してログインボーナスで石(オーブ)を配布していて、「1/2周年ってなんだよ!?」とちょっとびっくりしています。まあ半年たったんだね!めでたい!てことなんでしょうね。1/2周年記念がありならそのうち1/3周年(四ヶ月)ごとにめでたい!石を配布!もありになるかもしれませんよね。いやいや、なんなら1/4周年(三ヶ月)ごとにめでたい!石を配布! いやいや1/12周年(一ヶ月)めでたい!石を配布!わっしょい! いやいや、いっそのこともう毎日めでたい!毎日石を配布!(それはただのログインボーナスなのではないか?)わっしょいわっしょい! いやいや一時間ごとにめでたい!わっしょいわっしょいわっしょい! いやいや毎秒わっしょいわっしょいわっしょいわっしょい!

2017/08/30
というわけで「マビノギデュエル」です。にわかデュエリストがゆく! 最近またデッキ組むのがとても楽しくなってきてよい傾向です。“ウィークリーリミテッドアリーナ”というのがあって、これはルールが週替りで設定されるアリーナです。デッキ編成に制限がもうけられ、この前は「★0(つまりレア度無し)のカードだけ使って!」てことだったので、レアリティー低いデッキなら任せておけ!と、そそくさとデッキを組んでみることにしました。ちょうど「ブーメラン」というイケてるカードが手に入ったところだったので、それを軸にしてみました。構成は使い慣れたゴールド/光陣営で、「カーディルの宝倉庫」「張り手」「マヒ弾」「泥棒見習い」「怖いもの知らずのゴブリン」「射手」「格闘家」「襲撃」「蛮族」「宝の番人ドワーフ」「盾兵」「ブーメラン」。「ブーメラン」はかなり使えるスペルカードで、スペルカードは基本的に使えば墓地に送られますが、ブーメランはクリーチャーを倒したときは墓地に送られず手札に戻ります。墓地に送られた場合は主に次の三つのマイナス要素があって、(菽呂冒られたカードはそのたびに墓地コストが1追加され、再使用するときに必要資源が墓地コスト分増える(つまりどんどん使いにくくなる)。∧菽呂砲△襯ードを手札に戻すには墓地から復活させなければならず、一手(1アクション)かかる。J菽呂ら復活させると墓地にある全てのカードが手札に戻るが、プレイヤーは復活させたカード枚数分のダメージをくらう(終盤になるとHPが減ってきてるからむやみに墓地復活しにくい)。──ブーメランはこれらのマイナス要素を無くせるってことで、かなり強いんですよ。もともと他のプレイヤーが使っていた狩人系?のクリーチャーがこれと似たような働きしているのを見て、なにあれチートやん!て思っていたのですね。で、ブーメランが手に入ったときに「あ、これあのチートみたいに使えるやつやん!」と小躍りしたわけですね。必要資源さえ確保できればバンバン使いたい放題なわけですよ。デッキの基本戦略は前半はブーメラン用資源を貯めて、後半はブーメランをうまく運用する!です。相手クリーチャーを一体ずつじりじり排除していくかんじですね。なので、資源確保するために「カーディルの宝倉庫」を入れてます。宝倉庫は一定ターン経過時に場に出ているクリーチャー数分のゴールド資源が得られるので、わりと簡単に4〜5資源くらいザクザク手に入って「金じゃ金じゃあ〜!」みたいな守銭奴の気分になれます。「宝の番人ドワーフ」もレベル2以降からは資源を生み出してなおかつ攻撃/防御もそこそこあるんですけど、いまいち華やかな活躍はしないってか地味ですね。資源獲得と相手の妨害に「泥棒見習い」も入れてまして(ふつうの“泥棒”は★1なので組み込めない)、レベル1で召喚しても資源を盗める確率がほぼ五分五分なのでレベル2以降から出さないと活躍しにくいという気休めみたいな戦力です。コストが安いので序盤ならフットワークが軽いってのが取りえ。逆にレベル3になるとほぼ確実に盗めるけど場が煮詰まってきてるのでそれはそれで活躍しにくいという──うまいこと考えられたゲームシステムですよねー。レア度無しデッキ、考えるのめっちゃおもしろい! でで、あと他にもテスト的にデッキを作っていて、「アルラウネ」が手に入ったのでアレを試してみようかなと。アルラウネはマビノギデュエルはじめた当初から苦戦してきたカードで、相手プレイヤーがアルラウネ使ってくると「うげー!」となっていたのですよ。マビノギデュエル公式サイトに反射トラップとアルラウネを組み込んだ、いわゆるトークン生成型のデッキが紹介されていて、初心者向けらしいので自分もいっちょやってみるかなと。これがまたいやらしいデッキでしてね──持ってないカードがあったので&自分なりに使いやすくアレンジしてこんなかんじになりました。構成陣営は自然/光/マナで「潜伏蔓★1」「カーディルの猫★1」「ジンベイザメ★2」「狩り★2」「襲撃」「意地悪な魔法使い:リリー★4」「アルラウネ★3」「ネットスパイダー★1」「妖女:メルナ★3」「反射トラップ★2」「夜襲★2」「サンダー★2」です。アルラウネと反射トラップはほんといやらしい組み合わせですよ。「反射トラップ」は自分戦場の空きスペースにトラップを設置するもので、相手クリーチャーがトラップを壊すと大ダメージを与えるという攻防一体のいやらしいカードです。「アルラウネ」は毎ターン「ツタ」を召喚するクリーチャーで、レベル3ではなんと毎ターン2つずつツタを呼び出してしかもツタには攻撃力もあるのでかなり手に負えない厄介さになります。これも攻防一体のいやらしさがあってつまりは「うげー!」の要因だったわけですね。自分が使ってみてわかりましたが、これはめっちゃ便利!そしてかなり強い! 基本戦略としては、前半は反射トラップなどで時間稼ぎ&資源稼ぎして(他にも時間稼ぎに有利そうなクリーチャーを揃えてます)、プレイヤーがレベル3になったらアルラウネどーん!で物量で押し切るかんじです。なんかゴブリン十人長の物量作戦と似てますね。ポイントとしてはたぶん「意地悪な魔法使い:リリー」「夜襲」「サンダー」あたりなんでしょうかね、テスト段階なのでまだ全体像を掴めていません。でもテスト段階でもじゅうぶんすぎるくらいに強いデッキですね。「意地悪な魔法使い:リリー」は2ターン毎に相手クリーチャーをアルパカに変えてしまうという恐ろしい特殊能力があって(なので脅威なので集中的に狙われますけど)、これで相手戦場を無力化していくわけですね。さすが★4です。特に厄介なクリーチャーをアルパカに変えられたらグッジョブです。「夜襲」は自分戦場クリーチャーと対峙してるクリーチャーに大ダメージを与えるスペルで、アルラウネはツタで戦場を埋め尽くすので効果的ですね。「サンダー」もアルラウネとのコンボです。サンダーは味方クリーチャー一体を避雷針にして(犠牲にして)相手戦場に雷を落として大ダメージを与えるスペルでして、ツタは毎ターンわらわら生えてくるからサンダーぶっぱなしてもたいして痛くないわけです。高コストなので使いどころはほぼ終盤の最終手段ですけどダメージがすさまじいのでかなり強烈なものがあります。こうしてみると、アルラウネやっぱめっちゃ強いなーと思いますよね。

2017/08/23
某スーパーに行ったらオレンジ色&紫色っぽい商品がぞろぞろと並べられはじめていて、これはあれがやってきましたね──ハロウィン! でも売ってるのは普通の商品でどこにもハロウィンだとは書かれてないんですよね。このじりじりと外堀から埋めていくかのようなアピールのしかたがさすがですよね。「ほーらもうじきハロウィンですよねー」みたいな、深層心理にサブリミナル的にするりと刷り込まれていく購買欲求!まだ八月が終わってもいないのに!べつにスーパーをディスってるわけじゃないです! 話はまったく関係なくなりますが、そういえば先日とても衝撃的なことがあったのですよ。「これってハムカツ?」という名前の商品が売っていて、駄菓子なわけですけどどうやらハムカツに似せた駄菓子なわけですね。ハムではなく魚介ペーストを使っているようなのです。だからこれってハムカツ?と。なるほどねーと。それで、まさかと思ってすぐ近くに置いてあった「BIGカツ」を手に取ってみたのですよ。駄菓子界のデファクトスタンダード、BIGカツを手に取ってみたのですよ。そうしたら“魚介類加工品”て書いてあるわけですね。魚肉すり身なわけですね。えええええええええええええええ!!!!!魚だったー!!!!!っていう。いままでチープながらもいちおうチープなハムだと思っていたのですよ。魚なんです!!!!!「とんかつソース味」とかしれっと書いてますけど(まあ嘘じゃないですよね)、魚なんです!!!!! まさしく駄菓子だったのです!!!!!

2017/08/22
「Snapchat」とか「SNOW」とかのログが消えるSNSが、エフェメラル系SNSとか呼ばれていてにわかに厨ニ病スピリッツに響くものがあるような気がしますよね。エフェメラル系ですよエフェメラル系。繰り返して発音すると舌を噛みそうです。これとは趣向が違うサービス(アプリ)に「Minutiae」というのがあるそうで、どうでもいい瞬間の写真をあえて残すように機能するってのがすごく面白いですよね。「Snapchat」「SNOW」と「Minutiae」一見、対極にありそうなサービスですけど、同じレイヤーの価値観がありそうだと思うのですね。自分が岩手で風景の写真を撮ってて感じることは、たいていがどうということはない風景の写真ばかりを撮ることになって、でもそういうどうということはない風景はもっとも簡単に忘れ去られて記憶から抜け落ちていくものなのですよね。これらのサービス(アプリ)と極度に発達した日常系は〜の話をおもしろく噛み合わせることもできそうで(まあ恣意的なんですけど)、自分が考えていたモヤモヤさが多少は明確になったのかもなーと。いやなってないのかも。

2017/08/17
というわけで「マビノギデュエル」のデッキ内容についてです。以前から使っているホーリースピアデッキをブラッシュアップしながら使っていたわけですが、なかなか手に馴染んだものができたのかもなーと。当初はレアリティー高いカードをあまり持ってないことから苦肉の策で組み上がったデッキだったのですけども、自分では意識してませんでしたがどうやら手が速い短期決戦型のデッキになったようです。長期戦になるとかなり不利になるかんじ。というかたぶん勝てない。で、「囚人シェール」と「物々交換」は活かせてないので外したり(物々交換はコストが高い!)、なんやかんやとカードを入れ替えしながら現状このようなデッキになりました。構成陣営はゴールド/光で、「ハーフゴブリン」「張り手」「召喚手数料★2」「エブゲニア宮の警備兵」「怖いもの知らずのゴブリン」「ゴブリン爆破兵★1」「宝の番人ゴブリン」「襲撃」「盾兵」「ゴブリン十人長★2」「守護のゴーレム★2」「ホーリースピア★3」です。みごとなまでにローコスト/ローレアリティー。基本戦略は前に書いたのとだいたい同じで、コスト低いクリーチャーでチクチク攻撃しつつ相手が強力クリーチャー召喚/資源が尽きてきたらホーリースピアをどーんからのゴブリン十人長て流れ(あるいはどうしようもなくなったらやぶれかぶれでホーリースピアどーん)。ポイントとなるのはたぶん「張り手」「召喚手数料」「盾兵」で、特に「盾兵」は味方の防御力を増やしてなおかつ攻撃/守備も手堅くてローコストで、て当デッキでは頼れる主力ですね。でで、短期決戦型なので資源が早い段階から尽きてくるので、その回収策として「召喚手数料」を入れていて、これは相手がクリーチャー召喚時に使用した資源の半分の資源を手数料として得られるもので、序盤に使ってもあまり損は無いですけど、使いどころは相手が資源を貯めてるあたり(強力クリーチャー召喚の準備をしてるあたり)で墓地に潜ませておいて便乗するってかんじですね。一応「宝の番人ゴブリン」も資源を生み出すのですけど、攻撃に集中してると召喚するタイミングがつかめないのでケースバイケースなところはあります(短期決戦を仕掛けるなら一手のロスが響くので)。地味に決め手となるのが「張り手」でして、これは自分プレイヤーと相手プレイヤーに直接ダメージを与えます。相手のHPが一桁台になったら張り手で仕留められる有効射程なので、当デッキ編成としてはかなり重宝しています(しかもコストが安い!)。なので、いかに速く相手のHPを一桁まで削れるか(より確度を高めるならHP5以下くらいまで削れるか)に勝敗がかかっているとも言えます。ででで、このデッキで戦っていて「守護のゴーレム」ほぼ使ってないのですよね。守護のゴーレムは隣にクリーチャーがいないと麻痺して動かないという(なんやそれ!)ぼっち属性が好きで入れていたんですよ。動けばそれなりに強いし動かなくても防御力はあるから壁にはなるかなーと(ひどい)。でも役に立ってない!ていう。おまえ一応★2なんやろ! あと問題点としては、特にカウンター系(スペルカウンターとかサモンカウンター)や広範囲攻撃系などのスペル対策はまったく配慮されてない!てところなんでしょうか。相手にマナ陣営が含まれていたらスペルカウンターを警戒してないとホーリースピアが無用の長物と化すのかも──今までは、たまたまスペル型デッキの相手にはぶつかってなかったからよかったんですけどね!

2017/08/16
先日、健康診断に行ったときに、健康診断中の待ち時間が長いので診療所に置いてある雑誌をペラペラ流し読みしていたのですね。雑誌「Newton」が素数特集をやってて、エラトステネスの篩とかメルセンヌ数とか──それで、ある1089桁の素数をタテヨコ33×33マスに並べると各行列、対角線が全て素数になる!!!なおかつそれぞれを逆さから読んでも素数になる!!!みたいな、“たけやぶやけた”のものっそいすごいバージョンの素数が紹介されてて、なにがすごいかわからないけどすごい!!!てなりました。こんなんが存在する宇宙ってすごすぎないですか。あと「筋肉をつけよう!」ていう記事もあってNewtonってすごいなって思いました。さて、話はまったく関係なくなりますが。「マビノギデュエル」のイベントアリーナで14連勝もしてしまって、これは日記に書いておかなあかんのやない!?と思ったので日記を書くことにしました。といってもこのアリーナは対コンピューター戦(AI)なのでそんなおおげさなことじゃないのかもしれません。でも連戦するごとにプレイヤーHPが1ずつ減っていって(基本値はHP25)14連戦目の開始HPはたったの12ですからね?基本値HP25の半分以下ですからね?いやいやいや勝てるかよ!っていう。でも勝てたのですよ。すごいんじゃない!!!たぶん明日はデッキ内容について書きます。
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