【日記】今日はとくになにもありませんでした。

2017/04/27
過去/未来に対するイメージに、色あせた過去/輝かしい未来みたいな対比がよくあるような気がするのですけど、これ逆じゃないのかなとふと思いました。過去から現在そして未来にかけてあらゆるものが風化し劣化し老朽化し錆びていくわけじゃないですか。すると過去に向かうほど風景は新しくなっていき、逆に未来に向かうほど色あせていくような?と、ふと思ったのですね。いやいや過去は過去で古いものはあったろうし、未来は未来で新しいものはそりゃあるはずなので、恣意的な考えには違いないわけですけど。色あせていくのはもっぱら「記憶」なわけですよね。

2017/04/26
変な夢を見ました。自分は、空き缶や鍋になにやら怪しい液体を流し込んでいて、怪しい液体と怪しい液体が混ざるとゴボゴボと化学反応が起きて煮え立つわけです。そのゴボゴボが缶や鍋に反響してまるでブレイクビーツのような音楽を奏でるのです(というか夢ではほとんどアーメンブレイクのような音が鳴っていた)。自分はその様子を遠巻きに眺めているのですけど(危ないから?)、そこに誰か知らん人が現れてそのゴボゴボ缶ジュースを飲もうとするので「それ飲んだらあかんやつやで!」と慌てて止めようとする、てあたりでたぶん目が覚めました。で、目覚めたときにいやいやいや荒唐無稽すぎるだろ!と。でも日記のネタにはなるかもなあと忘れないうちにメモをとりました。まあこうして書いたら書いたで荒唐無稽以外のなにものでもありませんでしたが。駄菓子で口にいれたらパチパチはじけるキャンディーがあるじゃないですか。あれを缶ジュースにでも放り込んだらパチパチ反響しておもしろい、みたいなののすごい版なのかなと。それで、いや未来にはそんな駄菓子が登場するかもしれないじゃないか!と思いました。自分が思ったのは“ねるねるねるね”のような知育菓子?で、「怪しい液体を混ぜてきみだけのアーメンブレイクを鳴らそう!」みたいなやつです。

2017/04/25
そのアプリを起動すると、スマホ使用中にランダムなタイミングでランダムな種類のポップアップ広告が表示されて、ポップアップ広告をいかに速くそしていかに正確に消すか/閉じるか(より正確に閉じるボタンをタップすると高得点)、その迅速さのアベレージによってハイスコアを競う「ゲーム」がはじまります。

2017/04/24
駅構内を根城としていた鳩たちは駅利用者からいくばくかのエサの施しを受けながら生きていた。そんなある日、鳩たちは人間たちの奇妙な行動を目撃する。それはハロウィンであった。トリック・オア・トリート。鳩たちは効率よいエサの取得方法を学んだ、「エサをくれなきゃハトビームくらわすで!」クルッポー。駅利用者は為す術もなかった。そんなとき、東京湾にゴジラがあらわれ東京本土へと上陸した。破壊される街、崩壊する日常、人間たちは為す術もなかった。それは鳩たちの日常とて例外ではなかった。ゴジラに手をこまねいている人間たちに業を煮やした鳩たちは、自らが立ち上がることを決意する。『ゴジラvs鳩』ドーン!!

2017/04/23
駅でみるからにまるまるっとお太りになった鳩をみかけて、駅の利用者の誰かがこっそりエサを与えているのかなあと。以前どこかの駅にあった貼り紙を思い出しました。“鳩にエサをあげないで下さい”と書かれている注意喚起の貼り紙なのですが、鳩のイラストが描かれていてその鳩がひとことアピールしているわけです「エサはいりません!」。いやいやいや、鳩はめっちゃエサほしいでしょ!鳩はめっちゃエサほしいでしょ!(別に大事なことでもないけど二度言いました)。

2017/04/22
「お子様ランチ」の記憶について。自分が子供のころ、それもかなり幼少のころに食べていたお子様ランチのことを思い出そうとして、やはりほとんど忘れているなあとわかりました。思い出せる断片から埋めていくと、まずすぐに思い出せるのはたぶんケチャップライスで、その盛りつけられたケチャップライスの上に旗(国旗)が飾られていた、というのは真っ先に浮かんできます。お子様ランチあるあるですね。あとはもうほとんど曖昧で、たしか一口大のハンバーグが二、三個あったかも、たしかプリンがあったかも、たしか付け合わせ程度のスパゲッティーがあったかも、で終わりです。いや、さすがにこれでは少ないだろうって思うのでサラダ的なものがあったかもしれないと補完しようとするけれど、今となってはもう思い出すのが難しいですね。まあ子供が食べることに配慮した分量なら案外こんなもんなのかもしれません。あと記憶してるものとしては、オマケとしてついてくるしょーもないオモチャで、そのオモチャがどんなものだったかは全く覚えていないんだけど、しょーもなかったという印象だけがいつまでも記憶されてるようなのです。そもそも子供のときの自分がお子様ランチになにか特別な感情を持っていたことはほぼないはずで、子供ながらに「子供だましやん」みたいな冷めた気持ちはあったのです(というか自分に限らずけっこうな子供がそう思っていたかもしれませんが)。じゃあなぜお子様ランチを注文していたかは、それは普通のメニューは食べきれないからであって、本当ならラーメンとかカレーとかスパゲッティーとかハンバーグとか食べたいけれど、絶対食べきれないから(デザート/スイーツ類ですら食べきれない)そうなると消去法として「お子様ランチ」にするしかないってことになるわけですね。で、もう注文する段階から冷めた気持ちになっていて、ケチャップライスに刺さった旗にしても、しょーもないオモチャにしても、「こんなもんで子供が喜ぶわけないやろ!」くらいのことすら思っていたわけですね。いやなお子様ですよね。でも、今こうして「お子様ランチ」のことを思い出そうとしてわかるのは、この通りにそんなどうでもよい子供だましの部分こそがお子様ランチのイメージとして記憶されているということで、むしろそのどうでもよい子供だましは今後も強い印象としてずっと残っていくのだろうと思うと、おかしさがこみあげてきますね。

2017/04/21
「肉リマン」(にっくりまん)についてのなにか引っかかるモヤモヤさについて考えていたら、それはたぶん“ロッチ”(株式会社コスモス)なのだ!という考えに行きつきました。仮に「肉リマン」がビックリマン全盛期に登場していたとしたら、ものすごいロッチフィーリングがあったと思うのですね。ビックリマンでもないようなキン肉マンでもないような、肉リマン!パチモン感ですね。自分はそういうパチモン感は好きなほうなので、「肉リマン」はロッチフィーリングにあふれていたんや!な、なんだってー!みたいに勝手にこじつけて自己解決しました。あとコラボということでふと思い出したのは、ポケモンと戦国武将がクロスオーバーしてしまった「ポケモン+ノブナガの野望」というゲームで、絶対世界観が混ざらなそうなものを混ぜてみた!っていうその意欲には感動すらあるわけですが、このインパクトに匹敵するものにはなかなかお目にかかれないですよね。ターゲットどこなんだよ!ていう。

2017/04/20
某スーパーで「醤油」が激推しされていて、飲料水/ミネラルウォーターの棚のすぐとなりの棚でズラリ陳列されていて、醤油のボトル(ラベル)デザインもパッと見醤油っぽく見えなかったので、遠目からは新商品かセール品の飲料水かなんかなのだろう、と思っていたらまさかの「醤油」っていう。そんなに醤油を推されましてもね。話は全く関係なくなりますが、別の某スーパーで「ビックリマン」(チョコ)が売っていたのですけど、そのシリーズに漫画“ワンピース”のキャラをビックリマンデフォルメ化した、その名も「ワンピースマン」というのがあって「え!?」てなりました。だってワンピースマンですよ?しかもまだシリーズはあって、ほかには“キン肉マン”をビックリマン化した「肉リマン」(にっくりまん)というものがあって、やっぱり「え!?」てなりましたよね。たぶんネーミングの段階で「さすがにキン肉マンマンはちょっと」てなったのかもしれません。キン肉マンマンいいじゃないですか!キン肉マンマン!

2017/04/19
住宅街の一角、ほぼ毎日のように見ていたはずの建物=家が無くなって、更地になって、それでようやく「あ、家が無くなったんだ」と気がついて、そしてその更地にもともとどんな家が建っていたのかほとんど覚えていない、ということにもようやく気がついたりします。といっても住宅街にあった家なんてどれも似たようなものでしょうし、でも“似たような”ものであるということはつまりは“同じではない”ということでもあるはずですが、自分はきっと「住宅街にあるどれも似たような家」と、どの建物も同一カテゴリーにまとめて認識していただけなのだろうと思います。人間の脳の記憶の仕組みについてなんかそういう話も聞いたことあるような気もしますよね。それでも特徴的な建物はまだ覚えているほうで(しかしよくよく思い出そうとするとその建物が何階建てだったかすでに曖昧にしか覚えていない)、でも更地に新しく家が建ったらその新しい家のイメージに引きずられて、以前にどんな家があったかなんて急速に忘れていくのだろうと思います。ほんの何日か前まで見ていたはずの建物=家なのになーんにも見ていないのだなあ、と思いました。

2017/04/18
駅でとある広告が目に入ってきて、それはスタディサプリの広告なんだけど、キャッチコピーで「神授業」て謳っているわけですね。神、神、神、ザ・神いわゆるザ・ゴッド。インターネッツなんかだとなんでも神になってしまう神の大盤振る舞いの昨今だと思いますが、あれですよねニーチェも「神は死んだ」と神をディスって久しいわけですから今さらなことなんでしょう。そこで思うのは、そんなふうに神が希薄化/遍在化して神密度がうすーくなってしまった現代において、じゃあなんらかの人智を超越した概念、上位概念的なものを表現するときにはどんな言葉を当てはめればよいのだろうか?と考えたときに、やっぱり「神」しかないってことなのかなあ?てなると、神のその可変っぷりがすごいなって思いますよね。

2017/04/17
ちょいとした所用でKURE5-56(浸透潤滑剤)を買ったのだけど、たぶんほとんど使わないだろうからちっさいサイズのを買ったわけですね。それでも予想通り使いきることはなくて、そういえばドアの蝶番がちょっときしんでたなあと思って、蝶番にほんのちょっとだけ吹きつけたんですね。ほんのちょっとだけね。そうしたらまあ当たり前なのかもしれないけど全くきしみがなくなって、すげえええええ!と思いました。すごーい!あのよく切れるセラミックナイフ(セラミック包丁)で力を入れずにトマトをスッてカットしたらギャラリーが「おおおお!」みたいなアレに近いものがあります。“ちょっと”といえば、洗面所に100均で買ったデジタル時計を置いているのですね。たぶんザ・ダイソーで買ったやつですね。で、さすが100均だけあって防水なんかされてなくて、ほんのちょっと、ほんとうにほんのちょっとですよ水がかかっただけでデジタル液晶が表示されなくなってしまうわけですね。でも一日もすれば乾いてまた時刻が表示されるようになるので、なんだかんだでザ・ダイソーすごいなって思います。ザ・すごーい!

2017/04/16
道すがらに、子「なんで重いものは風で飛ばないの?」親「重いからだよ」というやりとりをしてる親子を目撃してしまって、そういう物理現象の根本的なこと質問しちゃらめえええええ!とはために思ってましたが、じっさい説明しようとしたら難しいですよね。まずこの世界には四つの属性があってね、あ、いちおう無属性も含めたら五つあってね、でね、それぞれの属性にちなんだカード計50枚でブック(デッキ)を組んでね、でね、カードのクリーチャーを土地に召喚していってね、でね、なんやかんやしてね、バトルしていくんだよ?

2017/04/15
電車に乗っているとき、ハードカバーの本を読んでいる女の子がいて、ページに「りぼん」とか「なかよし」の付録についてきそうな付箋を大量に貼っていて、こ、これがリアル女子力なのか!と思いました。

2017/04/14
わけあって文章を書くリハビリをしなければならなくなったので、これから一週間か二週間たぶん毎日ひとことふたことの日記をポストしていきます。今日はとくになにもありませんでした草。

ブログに日記をつけるなんてくだらんと思います!

ちゃんちゃらおかしいね、そのバイタリティあふれる宇宙と中辛って。つまりエブリ・バディ・ダンス・ナウみあるから。やわらか、てきみたちは言うんじゃなかったか。いや、「かわいい」じゃなかったか。そうではなかったのか。間違えたかもしれない。考えてみるまでもなく、これは実際、微睡み、でしかないだろうさ。ある、ありえるのだよ。あのときの実に早い早い早朝だ。おそらくまだ夜明けはまだ遠かったろう。きっとあのとき、世界はいつまでもその内側=内面から滲み出ていたはずなのだ。あのサンシャインによって、ふわりとゆっくりした生半可ではないスピードで、スピードアップしていったのだ。あるいは、私のリトルデーモンになってみない?といった選択肢すら、急激に、ふつふつと=たどたどしくマグマのように、まるで精霊などというありきたりなものでもなく。もっと純然たる嘘のようなものにまみれて、包み隠され。ほどなくして、容赦なく猫舌な自分たちへの「ゲーム」となるのだ。そうだ、「ゲーム」なのだ。いわゆるインド人を右に、だ。輝けるそれら世界の内側からようようと発散されてくる。とりま発散されてくる。君は我田引水が得意なフレンズなんだね!もはや慣性の法則に従うしかない、みたいな話があるじゃないですか。邂逅。すぐさま、あらゆる脳内のロジックと、エンドルフィンと、人差し指で指し示せる範囲のあの宇宙に。ゆらめいて、ゆらめいて、なんでも吸い込む〜夢の泉の物語。そしてストーリーが誕生していくそのさまを見つめながら。この瞬間にきみたちはいきなり信じられない「概念」に目覚めてゆくだろう。感性を解放せよ。低糖度バナナ。いつになくすべての頭脳とその内側にある、その他とをフル稼働させて。もがくのだ。来たるべきあたたか〜い宇宙のどこかで。果てで。どこでも、どこからでも、躍り出たいから。言いかえるならば、ピョイーンだ。決して追い求めてはいけない。お芋。ただ、いつのまにかそこから、そこかしこから光が射してくるだけだ。だから信じようじゃないか。きみたちよ。(※この文章は人工知能=AIによって自動生成された文章のようにみせかけた100%人間が書いた文章です)。

【日記】極度に発達した日常系はエキサイティングと見分けがつかない

『日常系』というある作品群を指すインターネッツジャーゴンがあって、それについて考えてるときに感じていることをざっと書いておきたいと思いました。なんらかの日常系論!みたいなものではなくたんなる私的な雑感/雑語りです。日常系というものの周辺に散見されることがある、日常系は「癒し」であるとか「尊い」であるとか「内容が無い(空気だ、雰囲気だ)」であるとかいう言われかたへの、うーん……自分はそういう受け取りかたではないっぽいんだよなあ、という自分の受け手スタンスみたいなものが今から書くことです。いや、日常系とは癒しだとか尊さだとか空気的/雰囲気的(あるいはアンビエント的/フィールドレコーディング的)だとかのようなものじゃあない!と言いたいわけではなくて、そのようなものを感じることはありますし、おおいにありますし、そういう要素はそれはそれで好きでそのようにも受け取っていて(さっきと矛盾しとるやん!)、でも自分が“日常系”に求めている(と思われる)ものは、「日常系はエキサイティングなのだ!」というところなのですね。先日の日記にも少し書いたのですけど、あfろ『ゆるキャン△』という漫画がありまして、これがすっごいゆるくてすごいんです!みたいに書きましたけども、ゆるいからすごいということでもなくて(ゆるいのもすごいんですけども)、そのゆるさが自分にとっては“エキサイティング”なのですね。ふおー!すげー!ってなるのですね。「ゆるキャン」はゆる〜くキャンプ/アウトドアしていく漫画でして、作中に「高ボッチ高原」という高まった高原が登場したんですけれども、登場したときに「えええええ!?」となったんですよ。なんだが冗談みたいなフィクションみたいな名前の高原じゃないですか。いかにも漫画に登場しそうな。でも実際に長野県に存在する高原なのですよね。気になって調べてはじめて知りました。すぐ調べてしまいました。知ってる人は知ってる高原なのだと思います。知らない人は知らない、自分は知りませんでした。事実は漫画よりも奇なりみたいなネーミングの高原。その高ボッチ高原というまるでフィクションじみた舞台で、まさしくフィクションが繰り広げられることの……というか繰り広げられるというほどの展開はないわけですが、この、なんというか、高ボッチ高原でゆる〜くアウトドアする……?なにそれ!?っていうフィーリングですよね。うまく説明できてませんねきっと。この「なにそれ!?」っていう感情がいまいち言語化できてなかったわけですけど、この感情はきっと“エキサイティング”というふうに呼べるものなのですね。自分にとっては。自分が“日常系”に触れているときに、けっこうな「なにそれ!?」に出会うときがあるわけなんですけど、たぶんこれは日常の再発見とか日常のパラダイムシフトとか日常に見いだすフェティシズムとかなんやかんやそういう言い方もできるんだと思いますが、自分にしっくりくる言語感覚に近づけていくと「エキサイティング」になるということなのでしょう。なので、癒しというのもある意味でエキサイティングなのですね。日常系は日常の些細なこと、あるいは個人の些細な感情・感覚をクローズアップしていく過程で、なにそれ!?を浮き彫りにしていくことがあると思うのです。なにそれ!?の塊というかなにそれ!?の泉というか、この観点でほんとうにすげえええええ!!!と思っているのは三上小又『ゆゆ式』という作品で、例えばあの「なんつってっつっちゃった」があるわけじゃないですか。このセリフ/文字列は、「なんつって(なんちゃって?)」と「つっちゃった(言っちゃった?)」が突然合体して、似たような語感/リズムが繋がってしまうことによっておかしみが出てしまうという、日常に潜んだ些細な感覚をそりゃもう極度にクローズアップしたものなわけです。「ゆゆ式」はこういった日常に潜む些細な「なにそれ!?」を見つめていく作品なんだと思っていて(いやまあ魅力はそれだけじゃないんですけどね)、そこがとてもかなりすごくエキサイティングだ!と思うところなのですね。「ゆゆ式」についてはものすごいたくさんのなにそれ!?があって例えばー例えばーと書いていきたいくらいですが。自分は“日常系”と呼ばれる作品群をそのようにおもしろく感じているわけですけれども、それは「なにそれ!?」という価値観によって世界をまなざす視点を与えてくれるからなのですね、たぶん。でで、そのようなまなざしを持ちながら、ゆる〜く物語が駆動していくことの驚き……驚きであり新鮮さであり、まさしく高ボッチ高原でゆる〜くアウトドアでって、なんなんだよそれ!?っていう、高ボッチ高原ってなんなんだよ!っていう、そんなんでエンターテインメントが成立するの!?フィクションが成立するの!?っていうおもしろさがあると思うんですけどね……でもそんなゆる〜い漫画はあるわけです。でまあ、このようにざざっと雑語りをしてみると、「いやそんなん日常系に限らず昔からあったもんなのでは?」みたいなエクスキューズが立ち上がってくるわけですけども。たぶんあるんだと思います、たぶんていうかあります。具体的な作品名を出さずとも日常に焦点を当てた作品っていうと有名なあの作品とかあの作品とかはすぐに出てくるはずで、昔からあるわけですね。じゃあ現代でいうところの雑に括られた日常系というジャーゴンをことさら持ち出すほどのものじゃないやん……とはやっぱりならずに、呼び方はこの際どうでもいいわけですよね(どうでもよくはないです)。日常系と簡便的に(あるいは乱暴に括られて)呼称される作品群が現代に次々生まれていて現代の感性/感覚で“日常”というものを捉えている(はずで)、その作品が自分にはエキサイティングに見えるときがある、というその自分の認識のほうの話でした。うーん……みごとにまとまりませんでしたね!

【近況】当ブログの日記をつければかわいかろう(前編)

【動画】〈ワンツー・どん / うちゅうじんのテレパシー〉:Youtube(URL)。で、こちらは最強にカワイイ輿水幸子の子供番組風MV(ニコニコ動画)。【あいさつ】声に出して読みたいゲームタイトル→セクロス!ゼビウス!ゼクセクス!エグゼドエグゼス!……どうも、当ブログです。ブログの更新は今日じゃないと思った? あとぜひ声に出して読みたいゲームタイトルといえば「頭脳戦艦ガル」がありますよね。頭脳戦艦ガル!頭脳戦艦ガル!脳を鍛える大人の頭脳戦艦ガル! さて、先日とあるスーパーに行ったときのこと。レジの横でアイスが売られていて、「アイス各種すべて50円!」と書かれているわけです。どれどれとアイスケース中をのぞくと二種類のアイスしか置いてなくて、かくしゅ……?という気分になりました(まあ嘘は書いてないですよね)。しばらく経ってからまた来店したときには五種類くらいに増えてて、なんだかちょっとがっかりしました。あと別のとあるスーパーではハロウィーン商法なのか、ハロウィン関連商品と一緒にハロウィンとは関連なさげだけど、でもオレンジ色っぽい商品を(例えば亀田の柿の種とかを)むやみやたらに並べていて、「とりあえずなんでもええから売っとけ!」感が出ていてその雑然さがとてもよいです。商魂! 【動画】〈Average White Band / Let's Go Round Again〉:Youtube(URL)。【動画】〈The Pointer Sisters / Automatic〉:Youtube(URL)。【動画】〈TOKIO / ハートを磨くっきゃない〉:Youtube(URL)。【日常】最近考えていることは、ぼくがかんがえたさいきょうのSIMPLE2000シリーズで、『THE めんどくさい』というものです。古今東西ゲームのあらゆる“めんどくさい”エッセンスが詰めこまれたゲームになっています。例えば、基本的にムービーはスキップできません。セーブはもちろん無くてクソ長いパスワード方式です。パスワードの入力はボンバーマン方式です。移動速度が遅いです。メッセージ速度が遅いです。初代ドラクエみたいに階段を登り降りするときはわざわざ“かいだん”を選択したり、会話するときにはわざわざ“はなす”を選択します。画面が切り替わるごとにロード時間があります。コンボイの謎みたいに敵の攻撃(弾丸など)が背景と混ざってて見えにくいです。すぐ処理落ちします。カギなどのアイテムを取り損ねたりフラグを立て忘れたりするとすぐ詰みます。魔法の攻撃モーションや演出が派手で仰々しくて毎回見なくてはいけません。無駄にいろんな場所をたらい回しされるようなお使い作業ゲーをさせられます。NPCの仲間が勝手に動きまわるけど邪魔で足手まといになります。微妙に難しいパズル系の謎解きがたくさんあります。無敵時間がわかりにくいです。ダメージ受けたときのノックバックが酷いです。初見で回避しにくい即死系トラップは充実しています。延々お金を稼がないと(稼ぎプレイしないと)武器とか買えません。使い道がわからない貧弱な武器ばかり用意されています……などなどある種のめんどくさい愛にあふれたぐだぐだなゲームで、そのめんどくささの概念が顕現したボスが存在していてそのボスを倒すごとに“めんどくささ”が解消されていき、ゲームが快適になっていきます。モンスターハンターならぬめんどくささハンターですね、めんハン。たぶんタイトル画面で二万回パンチするとエンディングが見れます。I Wanna Be The Guyみたいな理不尽即死ゲーが流行るんだからアリなんじゃないですかね? 【動画】〈上坂すみれ / 恋する図形(cubic futurismo)〉:Youtube(URL)。【動画】〈Xpansions / Move Your Body〉:Youtube(URL)。【動画】〈Shannon / Let The Music Play〉:Youtube(URL)。【動画】〈Nas feat. R. Kelly / Street Dreams (Remix)〉:Youtube(URL)。【動画】〈いい大人達が8BIT MUSIC POWERを本気で遊んでみた。〉:ニコニコ動画(URL)。これすごいですよね。最強に強まったチップチューン・アルバムのあれですね。【映画】よーし!河嶋桃の活躍っぷり(笑)を見てくるぞってかんじで劇場版『ガールズ&パンツァー』をみてきましたよ! かなりおもしろかったです。TVシリーズでもわりとぶっ飛んでたと思うんですけど(プラウダ戦での包囲網突破とか黒森峰戦でのマウス攻略とかね)それを上回ってぶっ飛んでましたね。まさしく“ぶっ飛んで”ましたよね。もはやギャグというか、戦車の砲撃で建物がドーン!と派手に爆発するとかドリフ的ですらあるわけですが、戦車の砲弾てあんなに威力があるもんなんですね。戦車内からの視点がこわい、砲弾がヒュンヒュン飛んでくる。威力があると言えば自走砲ですけど、戦略シミュレーションゲーとかだと自走砲ってかなり強力で、まあゲームだからなんだろうなあ……とか勘違いしていましたが、ガルパンみたら「自走砲ヤバイ!」てなります。ゲームと言えば、遊園地内の迷路で右往左往してる様子に既視感があって……これバトルシティーや! そういやナムコって戦車ゲー結構あるんですよね? グロブダー、ブレイザー、アサルト、タンクフォース、サイバースレッド、サイバーコマンド、トーキョーウォーズ、ほらね。あ、そういえば桃ちゃんはいちおう活躍していましたね(笑)。よかったね! 【映画】劇場版『selector destructed WIXOSS』をみてきましたよ! おもしろかったです。TVシリーズの悪役的位置づけ「ウリス」(五十嵐留未)についての補完的な内容になっています。WIXOSSにはわりと露悪的な女子が出てきますが、あきらっきー(蒼井晶)とか繭とか、ウリスもそうで、でもどちらともちがうウリスなりの美学があってその鮮烈さはやはり印象的です。闇堕ち感がすごい。さらに重い話だったんですね……。で、劇場版はTVシリーズ2クール分を再構成して凝縮してるような作品ではありますんで、やっぱり駆け足的なところはあって、なんなら全編、五十嵐留未視点から新たに話を作ったものをみてみたかった、て思いますが完全新作みたいになるとそれはそれで大変ですよねー。【映画】劇場版『響け!ユーフォニアム』をみてきましたよ! かなりおもしろかったです。TVシリーズをそうとううまく劇場版に落とし込んでるように思えます。かなり圧縮されてるはずなのに自然にみれました。すごい。印象に残ったのはやっぱりというか、中世古香織で、あのシーンですよね。再オーディションに挙手するところですよね。スッて。あの佇まい。挑まんとする者のまなざし。あのシーンがもうね、めっちゃカッコいいですよね。デカリボンパイセンの気持ちがよくわかりました。シンクロしました。ふわわ、香織先輩……!てなりますもん。【映画】映画『聲の形』をみてきましたよ! かなりおもしろかったです。原作は全く知らなくてほどんど前知識がないまま映画館に行きました。聴覚障害の女の子が出てくる、なんかそれでイジメが起きるらしい……くらいのことしか知らなかったわけですが。なるほど、こういう話かー。印象に残ったのはいろいろありますが、特にやっぱり西宮結絃ですね。最初、少年……ではないんだよな?と思っていたけど、それでもけっこう驚きましたね。演じているのが悠木碧で、え?過去に少年役とか演じてたことあったんでしたっけ?でさらにびっくり。あとはBGMで、特にピアノの音ですね。なんかゴトッゴトッて環境音が聴こえてきて、キータッチの音かあるいはペダル踏んでる音なのか?と思ったけどピアノの機構とかよくしらないのでわかりません。環境音というかピアノから出ているなら楽器の音ですよね。あとは花火のシーンで、花火の音圧で空間を満たしておいて次の瞬間に音をバッサリとカット、花火の光跡がゆらゆら残像を残す……すげえ演出やな! 【動画】〈Priscilla Sharp / Floored〉:Youtube(URL)。【動画】〈2 Unlimited / Get Ready For This〉:Youtube(URL)。【動画】〈Abyss X / L.A.S.H.〉:Youtube(URL)。【動画】〈Roger & Schu / Deine Jungs Meine Jungs (feat. Adriano)〉:Youtube(URL)。【小説】読んだものをざっと→野崎まど『バビロンI 女』。柚木麻子『王妃の帰還』。櫛木理宇『赤と白』。平坂読『妹さえいればいい。』(4巻まで)。ヤマグチノボル『ゼロの使い魔(21)』、最果タヒ『渦森今日子は宇宙に期待しない。』。柚木麻子『私にふさわしいホテル』。ツカサ『ノノノ・ワールドエンド』。竹宮ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる』。ハセガワケイスケ『いのち短しサブカれ乙女。』。森橋ビンゴ『この恋と、その未来。二年目 秋冬』。機本伸司『恋するタイムマシン 穂瑞沙羅華の課外活動』。武者小路実篤『お目出たき人』。石川博品『メロディ・リリック・アイドル・マジック』。大森望・日下三蔵:編『アステロイド・ツリーの彼方へ 年刊日本SF傑作選(2015年日本SF短編集)』。【本】小説以外も読んでいます。最近読んだものではKevin Kelly(服部桂:訳)『〈インターネット〉の次に来るもの』がとてもおもしろかったです。今後やってくるであろうテクノロジー(サービス)の展望を12の動詞(の現在進行形)になぞらえて語っているものです。原題は“不可避”(The Inevitable)なんだそうで、未来はそのようになっていくことは不可避である!との著者の力強い信念と、ポジティブな視点で今後のテクノロジーを照らしていくような内容です。ある種のSF観点からも楽しめると思います。【本】浦久俊彦『138億年の音楽史』もけっこう興味深い内容でした。“音楽”をかなーりマクロな視点から語る内容となっていまして(タイトルからして138億年の〜ですからね)、目次をみても、第一章 宇宙という音楽/第二章 神という音楽/第三章 政治という音楽/第四章 権力という音楽……みたいな章立てでして、このいかがわしさ。たぶん一般的に知られている音楽の歴史としての西洋音楽史にたどり着くのは第七章 芸術という音楽あたりからで、音楽の歴史なげえな!ってなります。【雑誌】『ユリイカ 総特集アイドルアニメ』(2016年9月臨時増刊号)を読みました。アイドルアニメで一冊くるのかーってわりとハッとさせられましたが。けっこうキンプリを推してて、「無限ハグ」とかいうものを知りました。日常系というか女子空間についての論考もいちおうありましたが、「ゆるゆり」とかをアイドル文脈で語ることもできるのかもですね。【動画】〈Frits Wentink / Glints〉:Youtube(URL)。【動画】〈Frank Haag / When You Leave (The Mole Remix)〉:Youtube(URL)。【動画】〈Appleblim & October / Other Side of the Sky (Appleblim Remix)〉:Youtube(URL)。【動画】〈Barker & Baumecker / Schlang Bang〉:Youtube(URL)。

【近況】当ブログの日記をつければかわいかろう(後編)

【あいさつ】ここ最近で「え!?」と思ったことは、雑誌ダ・ヴィンチの表紙でたまたま目撃した「オトナ女子マンガ特集」の文字列です。オトナ……女子……だと!? オトナ女子ってなんなんだよ! いやまあ言いたいことはわかりますよ? オトナの女子なんですよね?……ということは、じゃあコドモ女子とかもいるわけですよね。トートロジー!!!ゲシュタルト崩壊!!! あとほかに「え!?」と思ったことは、さけるチーズってありますよね。あれの昆布版が売っていて、その名も「さける昆布」。……いや、うん、いいんですよ? 昆布がさけちゃならない決まりなんかないですし、昆布おおいにさけるべきでしょう。でも、ネーミングにある種のおかしみがありますよね、さける昆布。昆布を……さくんだなっていう。さける昆布。さける昆布。さける昆布をどうぞよろしくお願いします。【動画】〈にゃにゃんがプー / ニュー餅太郎〉:Youtube(URL)。まさかの便所飯MV。【動画】〈Sprutbass / Schengen-Funk〉:Youtube(URL)。【動画】〈Obey City / Airy ft. Kelela〉:Youtube(URL)。【動画】〈Vector Graphics / Destine〉:Youtube(URL)。【小説】野崎まど『バビロンI 女』を読みました。講談社の新設レーベル“講談社タイガ”から。東京地検特捜部検事……えー、検察官が主人公ってことで、たびたび漢字がつらつら並ぶと目が滑っていきそうですが。野崎まどってこんな話も書けるんだーみたいな、わりとお堅そうな調子で政治の世界を描いていくのかと思いきや、いつもの野崎まどっぽい流れの急展開もあったりしてなかなか楽しめます。【小説】平坂読『妹さえいればいい。』を読みました。おもしろいです。“はがない”でお馴染みの平坂読の新シリーズです。エロマンガ先生と同じような、ライトノベル作家/ライトノベル業界モノですね。エロマンガ先生側はライトノベル作家像にけっこうな浮世離れしたファンタジーさもありましたが、当作品側はもうちょっと現実寄りなんでしょうか。毎回毎回女子キャラが全裸になるのはなんらかの信条なんでしょうか。ここまでくるともはやお約束のギャグみたいなもんですかね。【小説】大森望・日下三蔵:編『アステロイド・ツリーの彼方へ 年刊日本SF傑作選(2015年日本SF短編集)』を読みました。当初、買う予定はなかったんですけど、野崎まどの名前があったので買うことにしました。あと上遠野浩平とか森見登美彦とかも選ばれています。それから今回は漫画が二編も入っていて、なんなら漫画に特化したSF傑作選とかあったらいいのに、みたいなことを思います。ウェブ媒体での公開とかもあるはずですし、けっこうできないもんでしょうかね。今回のなかでお気に入りなのは飛浩隆「La Poesie sauvage」ですね。電子的書字空間というサイバースペース/ネットワークに現れる野良の詩集“禍文字”なる現象/事象と対峙するという話。なんやそれ! 【動画】〈Jorgio Kioris / Pushin' (Original Mix)〉:Youtube(URL)。【動画】〈Aphex Twin / We Are the Music Makers〉:Youtube(URL)。【動画】〈Moodcut / Late Night Ham (Moon B Rework)〉:Youtube(URL)。Raw House / Raw Techno周辺で探していたらたまたま発見したトラック。良くないですか。【動画】〈Torn Hawk / There Was a Time〉:Youtube(URL)。【音楽】『VILOD / Safe In Harbour』(2015年)を買いました。Ricardo VillalobosとMax Loderbauerによるユニットそれが“VILOD”です。で、Ricardo Villalobos物件なのでMinimal / Click Houseっぽいやつなのかなあと思っていると、だいぶオーガニックなかんじになってまして。この手触りはElectronicaというか……ライナーノーツ(Kohei Terazono)にもあるように、これはRicardo Villalobos&Max Loderbauer解釈による現代的なJazzなんや! お、おう。全編にわたる繊細さと大胆さの同居はすさまじいものがありますし、おもしろい!……んだけど、いま自分が求めているのはこういうんじゃないんだよなあ、というところもあり。でも繰り返し聴いてるうにやっぱりすげえええええ!ってなるのかも。“Perlon”より。【音楽】『Greeen Linez / Things That Fade』(2012年)を買いました。おもしろーい! 80年代後半〜90年代前半のフィーリングを凝縮させたような、そのあたりの時代の極度なイミテーション。このやりすぎなイミテーションさは生半可ではない! いちおうざっくりとはシティポップ(City Pop)とかって呼ばれたりするフィーリングで言い表されるようですけれども、自分は“ジャスコテック”(Juscotech)という価値観/文脈から“Greeen Linez”に流れ着いたんですよね。かつての(80's〜90's)Jazz Funk、R&B、Fusion、Old School Houseなどなどの幻影/残像を現代に再構築した、みたいな。幻影の塊です。例えばほかでパッと思いつくのではZombyの「Where Were U In '92?」のレイヴ方面のイミテーションなんかもそうなんだと思いますし、そういう一種のレトロフューチャーなのです。おすすめです。“Diskotopia”より。【音楽】『V.A. / Skweee Tooth』(2009年)を買いました。やったー、今さらながらに買えたー! スカンジナヴィア発祥のヘンテコファンキーサウンド“Skweee”のコンピです。2009年! これで2009年の感性とかビビるものがありますが、やっぱりSkweeeはおもしろい! で、Skweeeとはなんぞや?ってひとことで言い表せないモヤモヤさがありますが、他方ではBeatsとかBoogie文脈で解釈されてるところはあるんだと思います。アナログ・シンセ感(ヴィンテージ・シンセ感)を前面に出したよくわからないシンセ・ファンクってことになるんでしょうけど、このよくわからなさの割合にはたぶんコンピュータライズド・レゲエの要素が絡んでいるようで、レゲエわっかんねえっす! でも、改めて聴くと想像以上にElectronicaとしてのキャラクターもあるというか、Electronicaがファンクネスを獲得したみたいな視点なんかもアリ。好きなのでベタ誉めっぽくなってしまうけど、ほんとおもしろい!! 特に好きなトラックは〈Joxaren / Fel I Facit〉と、あと〈Mrs. Qeada / Liikutuksia〉ですね。このブリーピーでロービットで、てのはSkweeeの個性のひとつですよね。断然おすすめです! “Ramp Recordings”より。【音楽】『Especia / CARTA』(2016年)を買いました。おもしろい! Especiaもかなり多方向のコンテクストを内包しているかと思いますが、自分が知ったきっかけはやっぱりジャスコテックの感覚/文脈だったわけですけど(というかYoutubeでGreeen Linez周辺の関連動画を漁っているときに知ったはず)、まーこの強まった80年代〜90年代感たるや。トータル・コンセプト的に前面に出しています。アピールのされかたとしてはアーバンで洒落たシティポップ(やや重複表現)ってことになっているはずですけども。ナウなヤングにバカウケっぽさ、昭和ラグジュアリーっぽさ、そういう現代にピョイーンと跳躍してきた“ナウみ”に興味ある人にはとにかくおすすめ。個人的には〈Fader〉や〈サタデー・ナイト〉のようなBoogie系は大好きです。〈Boogie Aroma (CARTA ver.)〉はシングルカットではタイトル通りBoogieだったやつで、アルバムではHouse(やっぱりオールドスクールな)になっててちょっと残念ではありつつ、でもこれはこれでカッコいい! “Victor Entertainment”より。【音楽】『細江慎治 Works Vol.5 サイバーコマンド』(2015年)を買いました。往年のナムコ・アーケードゲー・サウンドでもある、細江慎治作品をコンパイルしているシリーズですね。ガルパンつながりではないんですけど、あ!そういえば出てたんだった!と(なんだかんだでガルパン繋がり)。ナムコのサントラはわりと持っているので、サイバースレッドもスターブレードもあるんですけど、サイバーコマンドは初CD化っていうこともあって買ってみました。ゲームミュージックは古いタイトルがなかなか手に入りにくいこともあって、こういうアーカイブはもっとやってほしいですし、今の時代はデジタル・ダウンロードもサブスクリプションもあるのでもっとゲームミュージックを!て気持ちになりますね。で、聴いていたら……あれ?Galactic Dance(Youtube)が入ってないじゃない!と思ったら、あれはギャラクシアン3関連で勘違いしていました。というか、ギャラクシアン3シリーズもいずれ出るんですよね? “Sweep Record”より。プレビューがありますんで聴いてってください→Youtube(URL)。【漫画】ハトポポコ『平成生まれ3』を買いました。平成生まれもついに完結したわけですが、これ三巻の「3」じゃなくて、平成生まれ2は二巻まで出てて、そのあとの「3」で……ああ説明がややこしい! そういうややこしさもひっくるめて、なんだかよくわからないままに完結してしまった漫画でしたけども。なんだかよくわからないおもしろさがありましたよね。いや、かなり好きな漫画なんですよ?(なんだかよくわからない感想のまま終了)。【漫画】桑田乃梨子『箱庭コスモス』を買いました。ふしぎな現象に人一倍興味がある、主人公・永原風和を中心とした女子学園コメディー? 永原風和はふしぎなことは大好きだけど、そのほかのことはわりとどうでいいというキャラクターで、学園のアイドル的存在、双子の先輩・御薗燿子/鏡子(まるで学園の王子/姫)のことも邪険に接していたら逆に気に入られて……みたいな。ふしぎっていうかオカルトとかスピリチュアルとかそういう、オカルト女子。ふしぎのためなら御薗先輩にも媚びてみるけど、背景に花がふわー少女漫画空間……じゃなくてなんか魔法陣みたいなのがふわーで、ねーよw 【漫画】あfろ『ゆるキャン△』を買いました。おっもしろい! ゆる〜いキャンプ/アウトドア趣味を描いた作品ですけども。基本的にアウトドア女子がただキャンプしてるだけっていう……この、すんごいゆるさがすごい! 現代っすなーて思ってしまいます。あと高ボッチ高原ていうのが出てきて(二巻)実際にあるんですね、高ボッチ高原。高まってますからね。良い漫画に出会ってしまった感あります。おすすめ! 【漫画】平尾アウリ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』を買いました。おっもしろい! 地方で活動する別段有名でもない地下アイドルグループ、さらにそのなかでも人気がかんばしくないメンバー・舞菜を熱狂的に応援する一人のアイドルファン・えりぴよさんの生き様を、まさしく生き生きと描いていく作品。えりぴよさんの熱量・行動力がほんとすごくて笑えてくるほどで、フィクションですよね?と思いつつ、でも実際アイドルの熱狂的なファンてこういうもんなのかもなあと。おすすめ! 【動画】〈Takeuchi Mariya / Plastic Love (Night Tempo 100% Pure Remastered)〉:Youtube(URL)。【動画】〈GALETTe / じゃじゃ馬と呼ばないで〉:Youtube(URL)。微妙に古くさい曲調がよいかんじ。じゃじゃ馬にさせないで(Youtube)じゃないです。【動画】〈浜崎容子 / 雨音はショパンの調べ〉:Youtube(URL)。

【日記】マルカンデパートという空間

「マルカンデパート」という建物があります。岩手県は花巻市の花巻駅から徒歩10〜15分程度の上町商店街にその建物はあります。地方各地から伝え聞くところによる地方商店街の状況とおそらくは似たようなもので、上町商店街もかつての活気があるとは言いがたい状況となっていますが、いちおうは花巻市の中心地と呼べる場所で、そこに『マルカンデパート』(マルカン百貨店)はあります。地方にはまだ残っているのだろう、古くからある地方デパート/百貨店の生き残りです。いえ、生き残り……だったのです。このマルカンデパートが2016年6月7日をもって閉店(閉業)となってしまいました。理由は、建物の老朽化による耐震性の問題である……ということになっています。事実、創業から43年という年月が経っているようです。花巻市民にとっては花巻市のシンボルのひとつであったろうと想像できますし、そして自分にとっても大きな存在でした。マルカンデパートから地下食品売り場が無くなった(閉鎖された)のはここ4〜5年前あたり?のことらしいのですが、そのあたりからマルカンデパートもそろそろ危ないのかもしれない、みたいな懸念を感じていました。地下食品売り場といえばデパートの顔ともいえる部門なわけですから。そんな懸念(あくまで懸念)を抱きながら、近いうちマルカンデパートについてなんらかの文章を書いておきたい……という気持ちがわき上がってきていました。その矢先の閉店という知らせでした。なんとも不本意な形となってしまいましたが、このエントリーでは「マルカンデパート」について、かなり個人的なことを綴っていこうと思っています。“マルカンデパート”は花巻市のシンボルのようなものだと書きましたが、花巻市内にとどまらず岩手県内でもわりと名前は知られているはずでして、その理由は“食堂”にあります。マルカンデパートの六階には「大食堂」があり、そこで提供されている「ソフトクリーム」が岩手スイーツとして有名(?)なはずなのです。大食堂は北側と、西側(西側の一角)がガラス張りで見通しのよい造りとなっていて、“展望大食堂”などと呼ばれたりもしています。といっても六階の高さで市街が一望できるなんてこともなく、まあ特筆すべきほどではないのかもしれません。大食堂の印象は「薄暗い」です。幾つも並べられているテーブルにはガラスコップとポットと割り箸立てが用意されていて、ポットには熱いお茶が入っています。それをガラスコップに注いで飲むというわけです。どこかのラーメン屋かよという風情ですけれども、これが地方デパートの風情なのでしょう、たぶん。特に変わったメニューはないと思います。デパートにはよくありそうな、クリームソーダやパフェの類いやナポリタン(スパゲッティ)やハンバーグなどがありラーメンや蕎麦があり……といった誰もが思い描くデパートのメニューが揃っています。それらが、大食堂の入り口両脇のガラスケースに食品サンプルの形で陳列されています。これもデパートではお馴染みの光景なのだと思います。そんなマルカンデパートの大食堂でほぼ唯一知られているのが「ソフトクリーム」です。このソフトクリームは“縦に巨大”なソフトクリームとなっていまして、180円(2016年時点)で提供されています。食べにくいので割り箸ですくって食べるのが良いとされています。それがマルカンデパートのスタイルです。自分が子供のとき、このソフトクリームが食べきれなくて、たいてい家族の誰かと分けて食べていた記憶があります。……といった感じになりますけれども、マルカンデパートの評判はほぼこの大食堂とソフトクリームによるものだといっても過言ではありません。それ以外は、ただの“古くさい地方デパート”そのものでしかありません。自分が子供のときは、マルカンデパートから感じるその“古くさい”感覚を……ジャスコやイトーヨーカドーのような明るくて広々とした商業施設とは違う、その奇妙な感覚を表現するための言葉を、自分は持っていませんでした。だいぶ後年になって、マルカンデパートを形成していたその奇妙な感覚とは「昭和っぽさ」なのだと理解しました。マルカンデパートを形容する向きに“昭和の趣が残る云々”といったような表現が散見されるときがあるかと思います。さて、自分にとって、マルカンデパートとの関係を書いていきます。かなり個人的なことになります。マルカンデパートと自分との繋がりはなにかというと……それは主に「ゲームセンター」ということになります。七階にはかつてゲームセンターがありました。マルカンデパートのゲームセンターを形容するならば「地味」の一言に尽きます。雰囲気は昭和のゲームセンターをイメージしていただければ、大きく間違いはないと思います。ビデオゲームのテーブル筐体がいくつもあって、脇にはピンボール・マシンもあって、両替機のそばにはアイスが売られていて、ゲームセンターCXでもよく取り上げられる10円玉を弾いて遊ぶあのゲームも確かあったはずです。後年にはテーブル筐体は減っていき、汎用筐体に入れ替わっていきましたが。マルカンデパートのゲームセンターは本当に地味で、当時、上町商店街には“花巻デパート”(現在は建物自体ありません)という別のデパートもあったわけですが、そちらのゲームセンターには華やかなゲームも入ってくるのに、それに比べてマルカンデパートときたら……地味なゲームばかりが印象に残っています。来場客で賑わっていた記憶もべつにありません。古いゲームがいつまでも稼働していて、特にすぐに思い出すのは「スラップファイト」(東亜プラン)で、かなり長い期間稼働していた記憶があります。いつしかスラップファイトが消えて、「ようやく無くなったか」と思っていると、しばらくしたらまた復活している……なんてことがあったはずです。スラップファイトをはじめとして、東亜プラン系のゲームはわりとあったと記憶しています(つまり硬派で地味です)。あるとき、「グラディウスII」(コナミ)が稼働していたときがあって、珍しく華やかなゲームが入ってきた!(それでも時期的には遅い稼働だったはずです)と思っていたら、レバーが四方向仕様で斜め移動ができないという残念っぷりでした。まあなんというかある種のデパート感を感じていただけるでしょうか。そんななかで、自分が強く印象に残っているゲームは「ワードナの森」(東亜プラン)と「イメージファイト」(アイレム)です。イメージファイトは世界観も好きだしBGMもすごいカッコイイし、本当に好きなゲームで、アーケード・ゲームでは数少ないノーコンティニュー(ワンクレジット)でクリアしたゲームなのでよく覚えています。ワードナの森はラスボスのワードナがどうしても倒せなくて、あの鬼畜攻撃はありなのか!?と憤慨していたので、やはりよく覚えているというわけです。他にどのようなゲームがあったかを羅列していけば、このゲームセンターがいかに地味だったかが多少は伝わるんじゃないか……と考えましたが、今になって印象に残っているゲームはことさら地味なものばかりに偏っているのでしょうから、ひとまずその記憶は置いておくことにします。自分にとって“ゲームセンター”という場所のイメージは、ほとんどがこのマルカンデパートのゲームセンターで形成されたんだと思っています。それとは対照的に(自分にとって)きらびやかなゲームセンターのイメージは、隣の北上市にかつて存在していた“エンドーチェーン”(やはり地方デパートです)のゲームセンターに集約されていますが、今回の話とはちょっと外れていくのでこれもひとまず置いておきたいと思います。マルカンデパートのゲームセンターは地味で古いゲームがいつまでもあって、決して色鮮やかな思い出として記憶されているわけではないのですが、それでも確かにあの場所が自分の居場所であった……という強い自覚があります。自分と、マルカンデパートのゲームセンターにどのような繋がりがあったかを考えるときに、自分は単純に「ビデオゲームが好きだから繋がりがあったのだ」とずっと思っていたわけですけれども、というかそれが当たり前かのように思っていたわけですけれども、その最初期にはおそらく別の理由があったはずなのです。振り返ると……自分は子供のころ、すぐに熱は出すは湿疹は出るわ腹は痛くなるわ喘息にはなるわ……といった貧弱な子供だったのですけれども(喘息はいまでも残っているのですけれども)、まあ自分がことさら貧弱なわけでもないはずでして、子供とはえてしてそんなもんだろうとは思うのですが、周囲の子供と比べたら人一倍その気質はあったようで、そのせいでよく病院のご厄介になっていたわけです。病院に連れられていった帰りにはマルカンデパートに寄って、親、基本的に母ですが……は買い物でもしてくるからと自分をゲームセンターに残していったわけです。自分はゲームセンターで小一時間くらいゲームをして、その間に母は買い物などの用事を済ませるわけですね。当時のゲームセンターはまだまだ悪いイメージ(健全な場所ではない)がつきまとっていた時代ですから、母のゲームセンターに対する無頓着ぶりがうかがえますけれども(良く言えば寛容だとも言えるのかもしれませんが)、まあデパート内にあるゲームセンターだからという安心感はきっとあったのでしょう。おそらくは、これが自分とゲームセンターの最初期の繋がりだったのですね。自分が、周囲の子供よりかは明らかに病院の厄介になっているのだろう……というその状況に、心細さや不安はもちろんあって、その心細さをまぎらわせてくれる存在が、自分にとって「マルカンデパートのゲームセンター」だったのだ、と近年になって思い至りました。そういう原体験があって、いつしかゲームセンターは心細さを埋めるものではなく、自分にとってただの娯楽へと、ただ楽しむだけでいい存在へと変化していったのだと思っています。そして、マルカンデパートの記憶とともに、大きな存在へとなっていったわけです。確かにあの場所が、自分にとっての居場所であった時代があったのです。……先日、マルカンデパートが閉店(閉業)となる少し前、自分はマルカンデパートに足を運びました。過去にいつもそうしていたように、六階の大食堂から階段を使って七階に向かいました。かつてゲームセンターがあった七階に行くと、そこはがらんとした空間で、自販機と長椅子だけが設置されている簡素な休憩所(?)となっていました。ここに存在していたゲームセンターがいつ無くなったか自分は知りません。ずっと昔だったはずです。店内各フロアでは閉店セールを行っていて、閉店セールの値札があちこちに貼られ、商品も補充がされていないのでまばらになっていました。大食堂のメニューも平常時と同じというわけにはいかないのか、メニューの数は減っていました。大食堂では記念写真を撮っている人たちも見かけました。もう自分の知っているマルカンデパートはここには無いのだな……とぼんやり思っていました。先に書いた花巻デパートやエンドーチェーンなど、すでに跡形もなくなった建物があり(自分が子供のときお世話になった病院も現在はありません)、それらの建物が自分の記憶とともにどんどん薄れ、消えていくなかで、ほとんど最後の砦のように存在していたマルカンデパートでしたが、いよいよそのマルカンデパートもなのか、と思っていました。とあるニュースによると、マルカンデパートの大食堂はもしかしたら経営が引き継がれるかもしれないとの情報があります。どのような形でマルカンデパートという存在が残るかはわかりませんが、もしなんらかの形で残るのならそれは嬉しいことであり、でもきっと同じではありえないのだと思えば複雑な気持ちもあります。花巻駅から東北本線に乗って、一関(いちのせき)方面へと向かうと(逆に一関方面から花巻へと向かうと)電車の窓からは上町商店街のあたりが望めます。そこから突き出ている建物がマルカンデパートなのだとわかります。この風景もいつか変わってしまうときが来るのかもしれません。

【日記】いのち短しサブカれブロガー

元気ですかーっ!サブカってますかーっ!……いやまあサブカっててもサブカってなくてもどっちでもいいんですけどね。鳩サブレー。やぶからぼうになんの話かというと、つい先日、ハセガワケイスケ『いのち短しサブカれ乙女。』という小説を読みまして、それでです。なかなかおもしろかったです。どんな内容かというと……大学進学のために北海道から上京してきたおのぼりさんこと主人公の樋口愛李(あいりどん)は学生寮の隣の部屋に住まうサブカル上級者の朝比奈のあ(ノアちゃん)と出会ってサブカル道に邁進したりしなかったりするのだみたいなことをゆるふわにときにわたしたちの熱いサブカル活動サブカツ!的に描いていくものとなっています。サ、サブカル上級者?なんだかめんどくさそうな響きが……作品解説にもありますが、実際この朝比奈のあことノアちゃんは「偏愛と偏見と偏重」に満ち満ちているところはありまして、いやそこまででもないかもしれませんけども。少なくとも偏屈であったり偏狭ではないようなかんじはあって、まあなんかそういうヒリヒリしたキャラではないはずなのです。で、その朝比奈のあの印象的なセリフを引用させてもらいますが「流行ってるからってオシャレなんじゃない。オシャレだから流行ってるワケでもない。オシャレとは流行りに流されないこと。流行ってても流行ってなくても自分が好きならそれでいい。流行ってるから、好きだと思わされていることがダサイ。ノアは流行ろうが廃ろうが好きなモノは好き、嫌いなモノは嫌い。ファッションって、そういうんじゃないの? ただでさえサブカルってファッション感覚であつかわれるから、ノアは不器用でも自分に誠実でありたい! ファッション感覚のリア充サブカル女子とは“愛”の広さも深さも違うわ。だってノアはただのサブカル好きだから!」っていうなかなかの長台詞なわけですが……て、おい!やっぱりめんどくさそうじゃんか!ってツッコミはとりあえず置いておいてもらって、共感するところはある……んじゃないかと思います。自分は共感するところがあります。このセリフを見たとき「おおおお……!」と心のなかで小さく喝采したくらいです(小さくかよ)。この作品は、読者の立場が(心境が)サブカル初心者というか初心者以下ですらある“あいりどん”か、そのあいりどんのサブカル師匠である“ノアちゃん”のどちらに近いかによって、受ける印象は違ってくるのかもしれません。それで、朝比奈のあの上記のようなセリフをはじめとした価値観に絶対的な正しさがあるってわけじゃないはずで(「偏愛と偏見と偏重」はあって)、そこに考える余地というか良い意味でも悪い意味でも読者との軋轢を少なからず生みだしてしまうようなところはあると思っています。そこを含めてのおもしろさではあります。でで、先にも書いたように自分は朝比奈のあに共感するところはわりとあって、基本的に好きなものは好きで嫌いなものは嫌いで無関心なものはとことん無関心だという人間なので、「サブカル」(サブカルチャー)というカテゴライズもどうでもよくて、サブカルに付随する・内包される「オタク」(オタクカルチャー)もぶっちゃけどうでもよくて、とにかく気になるものを気の向くままに触れていきたい接していきたいっていう姿勢なのですよね。自分の限られたリソースをどう使うかはやっぱり自分次第でしかないので、自分にとって優先順位の高いところから興味持っていきますよねーそうなってしまいますよねー……ていう単純なことでしかないと思うわけです。こういうことを書くとサブカル好きな人やオタカル好きな人にとっては、もしかしてなんか煽られてる?て思われそうなところがまた……。そういうこともあって、当ブログでは今まで「サブカル」(サブカルチャー)や「オタク」という言葉を意識的に使わないようにNGワードあつかいとしていたんですが……まあそんなん誰も気にしてないかもしれないですよね。あれ?なんか過去に使ってるみたいですけど?ってもし発見してしまったら、その、つまり、「てへぺろ」です。サブカルとかオタクとかに内包されるしがらみがとにかくダルいというのがあって(自分がそう思ってるだけなのかもしれませんが)、もうそんなんどうでもいいっすてことなんですけども。件の『いのち短しサブカれ乙女。』でもにわかに言及されてますけれども、「浅野いにお」というサブカルの代名詞的漫画家がいらっしゃるわけですね。浅野いにおの漫画読んでます言ったら「あー……あー、うん」っていう。そういう風潮はあるところにはあるじゃないですか(朝比奈のあいわくサブカル糞野郎へのとっかかりなんだそうですが)。ネットだと(おもに2ちゃんですけども)ある作品を知っているかどうか好きかどうかでニワカやら玄人やらの線引きが延々おこなわれて辟易する……みたいなものがあるじゃないですか。そういうしがらみはひとつの例でしかなくてサブカルやらオタクやらという言葉にはほかにもダルいしがらみがたぶんわんさかあってほんとダルいので、「もうどうでもいいっす」ってことになってしまったわけですね自分としては。そういう自分が、朝比奈のあakaノアちゃんというキャラクターから感じるものはもしかしたら共感というよりかは、それでもなお「サブカルが好き」と言える彼女のその真っすぐさに、サブカルへの愛に、眩しさのようなものを感じているってことなのかもしれません、わかりませんがきっと。いや、でもやっぱり共感もしています。朝比奈のあは確かにサブカル上級者なのかも……しれないな!っていう。いやいやいや上級者て。上級者て! しかもサブカル=ヴィレッジヴァンガードみたいな図式もわりとコッテコテなような気はしていますが、どうなんでしょうか(さらりとディスる)。まあわかりやすくカリカチュアライズされているのだと思います。あいりどんはそんなこととはあんまり関係ないところで朝比奈のあに惹かれているってところに、まあなんていうかキマシタワー方向のよさみがあります……いやいやいや、あいりどんが抱いているサブカルへの憧れも真っすぐで眩しいよ!ってことにしておきます。いや本当に。ででで、なんかとりとめもなく書いていますが、なにが言いたいかといいますと、自分は「サブカルチャーもオタクカルチャーも好きですよ」ってことを言いたいはずだったのですけど。べつに隠してるつもりはないわけですけど。やっぱり他人からしたらどうでもいいのだろうなあ……なんて思うわけでして、なもんで当ブログでは「サブカル」と「オタク」の単語が出てくることは今後も無いと思います……とか宣言しておいてまた書きたくなったら簡単に手のひらクルーするかもしれないので(まあ実際このエントリーは手のひらクルーしてるので)、そのときはプークスクス!と笑っていただければと思います。あとついでみたいで申しわけありませんが、ハセガワケイスケ『いのち短しサブカれ乙女。』はとてもゆるふわでサブカルとかオタクとかはあまり気にしてない良い作品なので、サブカル指南うんちく小説とかではなくガール・ミーツ・ガール小説ですので、気になる人はお手に取ってみてはどうでしょうか(うまくまとまりましたかね!)。きっと誰のなかにもあいりどんやノアちゃんがいる、と思うのです。

【近況】ゼルダの伝説と漢字とひらがな

Nintendo DSで『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』(任天堂)をプレイしてて、このゲームすっげえな!と驚いています。DSで風来のシレンを遊びすぎていたせいか、ずいぶん前からDSのRボタンがイカれてしまいまして(シレンはLボタンもRボタンも頻繁に使うから?)、ゲームを遊ぶテンションもダダ下がりになっていたところでしたが、“夢幻の砂時計”はタッチペン操作が基本のようでそれならばと思って買ってみました。買ってみたところこれが大当たりすぎるというか……「傑作すぎるだろ!!」という興奮を隠しきれません。いや、まじですごいっすよこのゲーム。まあ2007年発売のゲームでおよそ10年前で任天堂で人気タイトルですから、そんなん今さらすごいよすごいよ言われなくても知ってるし!てことなんでしょうけれども。そもそも自分、“ゼルダの伝説”初プレイなんですよね。かの名作・傑作の呼び声も高い「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」(SFC)や「ゼルダの伝説 時のオカリナ」(N64)すらも素通りしてきてますからね。素通りしてきたことによって、もうゼルダ・シリーズどこから触れたらいいかわかんね状態になってしまって……かといって今から初代ゼルダをプレイしたい気にもならないので、ずるずると今まで来てしまったわけです。RPG(アクションRPG)ですし、前後のストーリーとか世界観とかの繋がりがわかんないし……っていう気の引ける距離感があったのです。で、“夢幻の砂時計”ですけれども、テトラっていう女海賊の頭領がいて、主人公はテトラたち海賊と冒険(海賊家業?)をしているようですが、このテトラが実は“ゼルダ姫”でもある……という、さっそくよくわかんない設定がでてきて「どうゆうこと!?」っていう疑問符が浮かびますが。まあそんなことはどうでもいいのです(どうでもよくはないです)。自分がこの『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』で感じているのは、このゲームはものすごい数のギミックにあふれていて、「アイデアの塊」だな!ってことなのです。とにかくゲームスタートしてからずっとなにかと感心することがあるわけですが、最初のほうでとりわけすごいと感じたのは、ゲーム中の「メッセージで読めない漢字はタッチするとルビが現れる」というなんてことはないシステムです。これは最初のほうで出会う島民からそのような説明がされます。読めない漢字があったらタッチすると読めるよっていう。これはすごいな、と。だって、わざわざそんなシステム作らなくても最初からルビふっとけばいいわけじゃないですか。たぶん自分はこのシステムをクリアまで一度も使わずにプレイすることになるはずなのですよね。漢字読めますし。でも、漢字を知らない・習ってない子供プレイヤーはいちいち漢字をタッチしながら、読めない漢字があったら解読しながらプレイすることになるんだろうな……という、この「ゲーム体験」。漢字を解読する作業が“ゲーム”として組み込まれているわけですね。でも漢字が読める人間にはそのゲーム体験は訪れないのですね。うーん……これは本当に“アイデア”だなあと思いました(いちいち全部の漢字にルビが用意されているのも頭が下がります)。タッチペン操作だからこそのインターフェースでもありますよね。といっても、もしかしたらこのシステムは別に夢幻の砂時計が初めてではないのかもしれませんが、自分が知る限りでは見たことはありません(自分が知る範囲もたかがしれていますけれども)。もしかしたら任天堂のDS作品には前例があるのかもしれませんね。でで、ここで「ポケットモンスター(ブラック/ホワイト)」(任天堂)のメッセージ表示切り替えで、ひらがな・カタカナのみか、漢字も含むのかを選べるシステムを思い出します。あれも漢字を知らない子供を意識したシステムだったはずですし(あるいはゲームボーイ時代の雰囲気を体験するためのシステムともいえそうです)、なるほどねえと感心した覚えがあります。ここから思うのは……ファミコン時代のことを考えると、そもそもアルファベット&ひらがな・カタカナ表示がデフォルトの時代……というかハードの性能的にそうせざるをえない時代があったはずですけれども、そのおかげで当時の子供はドラクエとかすんなり受け入れることができたんだろうなあ……みたいなことを考えたりするわけです。ひらがな・カタカナのみの表示だと、難しい文章表現もしにくくなるはずなので、なおさらわかりやすい・伝わりやすい文章表現をしていくことになったのだろうとも思いますし。現代はそれを逆手にとってゲーム体験にしてしまうわけですから、すごいですよね(といっても夢幻の砂時計は約10年も前なわけですが)。そんなふうに子供が遊ぶことを意識している夢幻の砂時計ですけれども、だからって決して難易度が低いというわけでもなく、むしろ普通に高いんじゃね?てくらいですが……いや謎解き部分が本気で難しいんですが、子供が遊ぶからって手加減はしないぜとでもいいたげなそのストイックさ(勝手にストイックさだと思っています)に感動すらしてしまいます。あるいはゼルダ・シリーズファンにとってはお馴染みの謎解きばかりだったりするのかもしれませんが。それで、“夢幻の砂時計”はこのような独自のゲーム体験にかなり自覚的なところがあるとうかがえますが……例えばタッチペンを利用した“メモ”システムがそうで、マップに自由にメモを書き込むことができます。そうすることによって解く謎があったりします。この謎の解き方がまたユニークなんですよね。神殿(ダンジョン)なんかだとマップにヒントを書き込むことによって攻略に役立てるわけです。神殿だと途中でセーブしても再開時は神殿の入り口から再開してしまうので(この不親切さがこれまたユニークですよね)、マップにメモを書き残しておかないと大変です。ゲーム内でもしきりに「メモしたか?」と確認してきますし、メモを残しておくことが前提となっているのが面白いですよね。それでまた、メモしてるからってすんなり行けるわけじゃなく、アクション部分がありますんで。操作は基本的にすべてタッチペン操作なのでちょっと独特っていうか的確に操作するには慣れとか技術が必要で(思い通りに動かしにくいところがこれまた面白い)、ギミックを理解しても(謎が解けても)簡単にはクリアできないよ!させないよ!っていう、この良い意味での意地の悪さですね。何度も足場から落下しました。……って、全てのギミックを書いていくことはできなくて、ものすごい数のギミックが用意されていて、ひたすら「すごい!」と言うしかありません。これらはいままでのゼルダ・シリーズのアイデアの流用とかアレンジとかもあるんでしょうけれども(ファントムから隠れながら進むのとかは明らかに某メタルギアソリッドなんでしょうが)、次から次へとよくもまあこんなに……!と思ってしまいます。勇気の紋章を海図に写しとるアイデアとか、本当にビビりましたからね。「ドルアーガの塔」(ナムコ)で宝箱出すのにスタートボタン(セレクトボタン)押すくらいのぶっとびアイデアじゃないですか、あれ。ででで、このゲーム“夢幻の砂時計”は海図を入手して船で島をめぐって冒険する、みたいな内容になっていまして、自分は今、四枚あるらしい海図のうち二枚を入手した段階で(つまりはおよそ半分くらいまではクリアした?)、勇気の神殿に辿り着いてそこのボスに苦戦しているところなんですけれども。あのヤドカリみたいなやつですね。倒し方わかんない!強すぎる!って四苦八苦しておりますが、まだこれでおそらくは物語の全体の半分くらいしか行ってないんだよな、て思うと……本当に戦慄するものがあります。こんだけ数々のギミックが惜しげもなく披露されてきて、まだ半分くらいって……どんだけなんだよ、恐ろしい!恐ろしいよ!ゼルダの伝説!!って気分になっています。そんな『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』は本当に素晴らしいゲームです。

ブロガーは常になにかを伝えたがっているしつまりはやっぱり伝えたいことなどなにもないわけです

ネットの端っこ(比喩)にあるブログのブログ哲学とやらはどんなもんなのか、それを書いてやろうじゃないかと思い立ったはいいものの、予想以上に整理できなさそうで……自分のブログ哲学?そんなもんねーよ!ばーかばーかばーか!!とか言いたい衝動に駆られています。でもひとことで表せば「書きたいから書くんですよ」以上のことにはならなそうで……じゃあそれでいいやん!とはならないのがブロガーのロマンシング・サガなわけです。少し、昔の話をします……自分が文章を自発的に楽しんで書くということの原体験がなにかと考えていたら、中学生のときにまで遡ることになりそうで、うげげかったるい昔話になりそうだ、と面倒になっているところです。自分が中学生のときですけれども、「あるノート」がありました。そのノートはお笑いのネタ帳のようなもので、仮に“お笑いノート”としておきます。お笑いノートは友達と三人で作っていて、くだらないギャグや落書きを乱雑に書きなぐっていただけのものです。内容としては本当にクッソしょうもないものばかりで、友達の一人はたいていつまんない下ネタを書いていて、内輪だけで成立するようなどうしようもないノリのノートだったわけです。つまりゴミクズです。でもそのあまりにも酷すぎるしょうもなさにゲラゲラ笑っていた記憶があります。このお笑いノートがどのようなきっかけで発生したかは覚えていませんが、どこから影響を受けていたかはおおよそわかっています。それは「ゲーム帝国」と「ファミ通町内会」です。自分たちでもあのような面白い投稿ネタを真似してみたくて、たぶんそれで始めたんだと思いますが……で、生まれてきたのがこれ(ゴミクズ)っていう。完全に初期衝動だけで作られていたノートだったわけですね。お笑いノートは最終的に三冊くらい作られたはずで、なぜか後年までずっと自分が保管していました。あるとき卒業アルバムを見るような感覚で、ふと思い出してはお笑いノートを開いて「フフッ」という忍び笑いをもらしていました。ある種の黒歴史ノートなわけですが、自分はこれを恥ずべきものだと認識したことはたぶん一度もありません。ただただひたすらにくだらなくて、果てしなくなんの価値もないノートだった……というだけのことです。このお笑いノートは今はどこに行ったかもうわかりません。たぶん捨ててしまったのだと思います。……さて、時間はこのブログ開設より少し前まで飛びます。自分は、当ブログをはじめる前に、一度べつのブログを作っていたことがあります。たしかブログブームのようなものがあったはずで、それに乗じてはじめたようなものです。旧ブログは一年くらい?は続いたのですが、書いてて全然楽しくもなく、やめるときも特に感慨はありませんでした。旧ブログを始めるときは書きたいことが沢山ある気がしていたのに、いざ書こうとすると「自分はとりたてて伝えたいことはないのだなあ……」と気が付いていった、というよくありそうなパターンですね。そもそも文章とかまともに書いたことがほぼなかったので、なにを書けばいいのかも知らないし、書けるわけもないのかなっていう。自分はそのとき、いわゆる“テキストサイト”と呼ばれていた文章系のウェブサイト/ブログに感銘を受けていたんですけど、それらのサイトを熱心に読んでいたというほどでもなく、自分にテキストサイトと同様のことができるという自信があったでもなく、旧ブログではなんの当たり障りもない誰に向けているのかもわからない空虚な文章を書いていました。黒歴史のように後から「これはひどいwww」とネタにできるようなインパクトがあるでもなく微塵もなく、誰がみても「お、おう」としか感想が出てこなさそうな、こんなんスパム広告みてたほうがマシやろっていう感じの有り様だったわけです(ある意味では真の黒歴史だと言えるのかもしれませんがね!)。自分と文章が乖離しているのを感じていました。自分が書きたいものはこんなんだったんだっけ?これがブログなのかな(これが文章を書くということなのかな)……というふわっとした手応えしかなかったわけですね。いかにもよくありそうな話です。それで、そんなんで続くわけもなく、ほぼ自然消滅みたいなものです。……旧ブログをやめてから少し経って、自分はまた文章を書きたい気持ちになっていました。性懲りもなく。なぜ書きたい気持ちになっていたかは今となっては不明なのですけど。色々考えられるはずですが、「やっぱり伝えたいなにかがあったのだ!」という感じなのか?といったらそうではないような……。いちおうとある影響はあるはずで、そのひとつは2ちゃんねるの「ニュー速VIP」の存在で(当時VIPPERはものすごく注目されていましたよね)、もうひとつは「カラスヤサトシ」の漫画なはずなのですよね。特にカラスヤサトシの漫画は「すげえ!すげえ!地味にすげえ!」と興奮しながらみていたので(アフタヌーン本誌)、確実すぎるほどに影響されているのだと思っています。影響されているし一方的に共鳴してもいました。このふたつに共通することは「クッソしょうもない」ってことなんですよね。こいつらやべえええええええ!!!しょうもねえええええええ!!!!でも面白いからいい!!!っていう無邪気さというか、それはきっとある種の強かさでもありますが(カラスヤサトシ先生こいつら呼ばわりしてすいません)、この形容しがたいものに知らぬ間に突き動かされるかたちで、当ブログが生まれたことになっています、どうやら自分のなかでは。自分は当ブログを開設するときに「誰かになにかを伝えようとするのはやめよう」という気持ちになっていたのは事実です。でも!やっぱり自分の想いが誰かに届いてほしかったんだ!みたいなことを書ければ熱いストーリーでカッコイイのだろうなあ、とは思うわけですが実際にはそんな動機ではなかったのですね。自分はしょうもないことしか書けないからしょうもないことを書くし、誰かを面白がらせるためではなくただ自分が楽しむために書いてみよう……という姿勢に切り替わった瞬間がここにあります。当ブログの初期のエントリーにATOKの日本語テストだったかをやってみた、というものすごくどうでもいいエントリーがあります。当時より少し前にあった「なんとかバトン」とか「なんとかに100の質問」とかのような、他人にとっては心底興味がわかないだろう“回答してみた系”のようなものです。このエントリーをぶち上げたときに(自分のなかでは“ぶち上げた”感覚なのです)、自分は内心「ククク……」と忍び笑いをしていたのです。自分と文章が(表現が)繋がったような手応えを感じていました。当ブログは昔から(今もですよ)、見てくれている人はかなり少ないのはわかっています。誰にアピールしているのかしらん日本語テストの結果を公開するとか……これは最っ高にキテる!って気分になっていたのですよ(このあたりがカラスヤサトシ的フィーリングなのです)、信じられないかもしれませんが。このようにして自分は自分の書きたいことを(アイデンティティーを)取り戻していった、と言えそうなわけです。なわけですが……さて、これらの話は多分に牽強付会なところがあるのだと思います。なので、適当に信じたり信じなかったりしてください。自分はこれらのことをハッキリと自覚しながらブログを書いていたわけではなく、後から気付いていった(それはこじつけかもしれなくても)ことがほとんどなわけです。自覚していたのはブログ開設当初の「誰かになにかを伝えようとするのはやめよう」という正直な気持ちだけだったのかもしれません。そして、これはあくまで自分の話でしかありません。ブロガーには(ブロガーじゃなくてもいいですが)それぞれ書きたいなんらかの動機があるのだと思います。自分は今、無性にあの“お笑いノート”を見たいという気持ちになっています。でもあのノートはもうどこにも存在しないのです。その代わり、自分の目の前にはこのブログがあるのです。……以上が、ネットの端っこにあるどこにでもあるブログのどこにでもあるかもしれないブログ・クロニクルです。書いてきていまさらなのですが、これはブログ哲学じゃないじゃん!てことなわけですが(ブログ哲学の前段階ですよね)、そういう疑問は飲み込んで頂けると嬉しいのですが、ラスボスが己の心情を語りだしたら物語は終盤だというのと似たようなもので、ブロガーがブログ哲学を語りだしたらブログは終わりなのかもしれないので、やっぱりブログ哲学なんか語りません!!!!!!ウェーーーーーーイ!!!!!!!!!

ブロガーは誤読されたくないと思っているしつまりは誤読されたがっているわけです

ネットで「誤読されたくないばかりに予防線張りまくって説明過剰・過多になる人の文章がある」という話を見て……ううん?という違和感を抱きました。実際そういう人の文章はどこでも見かけたことはあって、自分も似たようなことを感じたことはあるからです。そういった人の文章は自分はわりと好きでして、自分の中ではいつも「ピューと吹く!ジャガー」に登場する“ハマーさん”を思い浮かべてしまいます。変に言いわけじみてていらない予防線をはりまくってペラペラと喋り出すあのキャラですね。まあウザい感じに描かれてはいますよね。で、そんなハマーさんみたいな人というのは別に珍しくないはずなのでわりと見かけるわけですし(多分に印象論的ですが)、かくいう自分にもその傾向はあるのです。なんて書いたら自意識過剰なのかもしれず、もしくは「いやいや、あんたはむしろもっと説明が必要なくらいやろ」と思う人はいるのでしょう。実際エキスパートなハマーさんと比べたら自分の文章など説明不足にもほどがあるのかもしれません。でも、正月元旦にポストした(すぐ↓にありますよ)文章のように読む人の思考を先回りするようなことは、多かれ少なかれやっぱりやっているわけです(そして、その先回りは読む人の思考形態をかなり一方的に決めつけてもいるわけです。読む人は「いやいやそんなん思ってないですから!」とツッコミたいときはありますよね?←このように勝手に先回りすることですよね、ハイ)。でで、思うのは……別に自分に向けられた話でもないのですけど、「自分は誤読されたくないがために読む人の思考を先回りしているんだっけか?」ということなわけです。ちょっと考えてみたわけです。誤解(誤読)されたくないという思いは……まあそら無くはないですよね。可能な限り文章が伝わってほしいという思いは当然ありますよね。しかし、複雑なことに、“誤解されたい”という思いも同じようにあるわけです。いや、複雑というよりか一般的な感情なのかもしれませんが。簡単にわかった気になるんじゃねえ!的なやつですか?ちょっと違いますか。結局のところ、どのように文章を書いたとしても、それが十全に正しく解釈され・理解されることはあり得ないのだろう……という前提があり、それはなぜなら文章を書いている自分自身が自分の感情を、伝えたいことを十全に把握してもいなければ、それを十全に書けているわけでもないからです。なのだし、文章というものは多くの情報がこぼれ落ちていくものでもあるからです。さらに、そこに自分の意思が加わって伝えたいもの、伝えたくないものを自覚的にあるいは無自覚的に選別していくわけですから、現れた文章は最初から偽りだらけだとも言えます。よく、頭に浮かんだものをそのまま表現できたらいいのに……なんて思うことはあるはずでして、例えば漫画とか小説とか音楽でもいいし、もちろんブログでもいいし、なにかを表現したいひとは一度や二度はそんな妄想はするんじゃないでしょうか。SFガジェットならありそうですよね、そういうの。思考しただけで伝えたいイメージがパッと出力される、みたいな夢のアイテム。でも、その思考したそのままを出力できたとしても、それはより純粋な伝えたいかたちに近付くのだろうか……?という疑問は持ってしまいます。……さて、自分のことになりますけれども。自分はブログで文章を書くとき、それをポストするとき、どのように伝えたがっているのか……そもそもなぜ文章を書いているのか、てことになりますけれども。自分にとって文章を書くことは(決してひとつではありませんが)ある種の“ゲーム”なんだと思っています(いわゆるゲーム脳的発想ですね)。それはこのブログ開設当初から自覚していることでして、「自分は自分が思考していることを文章にすることが(表現することが)できるのだろうか?」ということに自分自身で回答する、それはきっと言葉を探して組み立てていくゲームのようなものなのだろう……と認識しています。率直にいうと娯楽です。なので、思考すること書くことそのものがまずは“楽しい”というのがあります。だから先に書いたような夢のSFガジェット・思考イメージ出力アイテムがあったのだとしても、自分はこのようにわざわざアナクロに文章を書くことを選ぶのだと思います。いや、わかりません。楽だからSFガジェットを使って簡単にパーッと伝えるのかもしれません。それはそれで楽しそうですし。この自分のブログ哲学を書こうとするとかなり脱線しそうなので今回は書きません。まず、自分が楽しめるかどうか自分に伝わるかどうか(もう少しだけ離れて自分のような人間=他人に伝わるかどうか)という自己満足が先にあります。過去の自分の文章を読むと「こいつなにが言いたいんだ?」と思うことはありまして、つまり自分にすら伝わっていないのですね。だから、過去を忘れた未来の自分に伝わるような文章を書き残しておきたいとは思っていて、そこが出発地点であるわけです。ゆえの日記でもあるわけです。一方で、「未来の自分が誤解して読んでもいいのではないか、未来の自分が違う解釈をしたのだとしても、それはそれで面白いのではないか」とも思うのです。これは自分ではなくそのまま他人に向けても当てはまりますよね。ででで、人間つねにどちらか両極端にいるわけでもなく、たいていは波のように揺れていますよね。誤解されたくない・誤解されたい、そんなどちらか両極端に集中してるわけじゃないはずです。今は、読む人に(それは未来の自分も含まれています)誤解されたくないという方向にたまたま傾いていますが、そんなの将来的にはわからないわけです。明日にも、やっぱ誤解されていいやと気が変わることだってあるんでしょうし、たぶんコロコロ変わるのだと思います。そして、たぶんこれらの思いは杞憂にしかならないんだろうなあと思います。いつも文章の解釈なんて適当にされてますよねーってことなのです。なのでして、説明過剰な人の文章が、予防線だらけの人の文章が、誤読を恐れて・回避するためにやっている……というだけではないはずで(まあそもそもそんな限定的な話でもなかったはずですが)、だってあえてそういった文章を書く楽しさはあるんですし、自分はそんな人の文章を面白いと感じているときはあるのです。ブロガーってそんな単純ではないっすよねってことを言いたいつもりが、なんだか単純なことに集約させてしまって……ううーん、やっぱりハマーさんは面白かったんですYO!
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