この本は、前防衛大臣の「森本敏氏」と防衛族のドンである「石破茂氏」と憲法学者の「西修氏」が国防論について議論をした話です。

 

これまで、タブーだった国防軍や集団的自衛権について論じているので、面白いですね。

 

特に、中国が軍拡をしているので、日米同盟を含めて、日本がどのような対応を取るべきかを実践的に論議している点が重要な点だと思います。

 

以下、各章のまとめです。

 

第一章 日本が直面している国防上の脅威とは

 

1:「中国・北朝鮮・ロシアの脅威」と題して、中国は尖閣諸島に関しては本気であるとしています。また、東アジアの不安定は北朝鮮と中国であるとしています。ロシアは、リーマンショックのせいで、国内の経済が悪化し、領土問題で柔軟にするべきではないと言う対応をしたとしている。

 

2:「生物・化学・原発テロの脅威」と題して、実際に起きるまでわからないのがテロとしています。また、アメリカを含め、先進国が恐れているのは、核兵器とテロが最悪の組み合わせとしています。また、ジャンボ・ジェットが原発に飛び込む恐怖も怖いとしています。そして、軍事力や防衛力は多様化していて、海上保安庁、警察、消防と線引きができなくなっているとしています。

 

3:「海外で働く日本人テロの脅威」と題して、海外駐在員が突然テロに巻き込まれる恐怖がある。また、海外で120万人の日本人がいるとしています。

 

4:「サイバー空間での脅威」と題して、中国や北朝鮮はサイバー攻撃に力をいれているとしています。また、金融機関や原発がサイバー攻撃されたら、とんでもない事になるので、交戦規定が必要になるとしています。

 

5:「軍事的な非常識が生む脅威」と題して、大阪本市長がアメリカの司令官に「軍隊は、風俗業を利用してもらわないと性欲をコントロールできない」と発言して、米軍を怒らせたとしている。橋本市長の発言は三つの理由があるとしています。

 第一に政治家として発言する以上、話の中身はもちろん、周辺諸国やその国民がどう受け止めるかについて、外交上、政治上の十分な配慮があってしかるべきだろういうことである。

 第二に、橋本市長が執拗に繰り返した「日本だけがフェアに扱われていない」という発言は、全く無意味であり、いくら繰り返したところで、日本が過去にやってきたことを正当化できるものではないし、免罪にもならないということである。

 第三に、尖閣諸島をめぐる中国との緊張関係や竹島をめぐる韓国との緊張関係が高まっていたあの時期に、国民的に人気の高い政治家がああいう発言をすることで、全ての責任が日本にあるという米国に理解させてしまったことである。

 

 

第二章 既にはじまっている「戦争」

 

1:「そもそも戦争とは何か」と題して、国際連盟、不戦条約によって、戦争は違法行為と世界では言われています。また、米国の9.11同時テロや2001年のアフガン戦争、2003年からのイラク戦争の三つによって、戦争の形態が変わってきたとしています。理由は三つあります。

 

 第一の理由に、国家が宣戦布告し、国家の軍と軍が正面から戦闘を行うという伝統的な戦争の概念が変わってきた。むしろ、テロリストグループや反政府勢力などが戦争の主体となっている。

 第二の理由に、このように、戦争の主体が変わる事によって、戦争の法的定義も、武力行使の概念も、戦争の形態も変化してきたということである。テロ活動に対しても国連の安保理決議によって、国際社会が対応しようとしてきたとしている。

 第三の理由に、対テロ戦争を遂行する事で同盟関係も変わらざるを得なくなった。なぜなら、同盟関係とは共通の敵に対して、どう立ち向かうという戦略をもとにした国と国との関係である。しかし、対テロ戦争になると、何が共通の敵であるのかわからなくなってしまったとしている。

 

2:「日本人に欠如している世界の軍事常識」と題して、政治家も必要な軍事知識をしっかりともつべきだとしています。また、マスコミも軍事知識をしっかりと学ぶべきだとしています。鳩山元総理も学ぶほど、海兵隊の重要性がわかったというほどの無定見であり、菅元総理大臣は、「総理大臣は、自衛隊の最高指揮官だということを昨日知った。防衛大臣は自衛官ではないんだね。」というほど、笑えない冗談を言っているとしています。

 

3:「戦争は政治と切り離せない」と題して、中国は「第一列島線」などの尖閣諸島を含む「核心的利益」を唱えて絶対に譲る事ができない立場としています。また「戦争は政治と切り離せない」と言ったのは、クラウセビッツである。現代と戦争の形態は変わっているが、「戦争は他の手段を持ってする政治の継続」という言葉は、今でも通用する。戦争に導くのも回避するのも政治である。外交も行うのも政治である。政治家に課せられている使命は極めて重大と言うことを知っておくべきだとしている。

 

また、安全保障の中核にあるのは、抑止力という概念である。抑止とは、相手の行動を自発的に思いとどまらせる事です。思いとどまるのは、二つある。第一は、自分の思った通りに行動した場合に利益がない、あるいは自分にとって損になることがわかった。第二は、やろうとしても、相手や周囲がさまざまな手段で妨害してくることが明らかだという場合である。

 

そして、核の抑止力が機能するには、三つの条件がある。一つの条件は、合理的な判断基準です。二つの条件は、もし、抑止力が機能せず、相手が行動を起こした場合には、これを排除、阻止する能力を整備しておくこと、確実に報復する能力と決断力を持っておくことである。三つ目は国際社会の秩序の確立が必要である。つまり、国際社会の秩序を維持するための法、つまり、国際法とそれを担保するための実効性のある措置である。

 

 

第三章 自民党がどうして国防軍を主張しはじめたのか

 

1:「歴史的敗北が議論のきっかけに」と題して、2009年に民主党に自民党は負けた事で、新要綱を7つ提示した。1;日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す。2:日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論排す。3:自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する。4:自律と秩序ある市場経済を確立する。5:地域社会と家族の絆・温かさを再生する。6:政府は全ての人に公正な政策や条件作りを努める。7:将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わないよう、財政の効率化と税制改正により財政を再建する。

 

2:「避けては通れない改憲論争」と題して、自民党の「日本国憲法改正案」は四つの特色があり、一つは、憲法解釈上の問題点を解決しようとしたこと。二つは、憲法を国家権力を規制するという初期の立憲主義に拘束されていないこと。三つは、自民党なりの価値観がでていること。四つは、第9条の改正や国家緊急事態事項の創設など、かなり踏み込んだことがあげられる。

 

3:「なぜ憲法を改正する必要があるのか」と題して、現行憲法に欠けているのは、一つは、国家の非常事態に対する規定である。もう一つの規定は軍隊に関する規定である。

 

4:「なぜ国防軍」と題して、自衛隊の守る自衛は自分自身のものになって、自衛隊が自分自身を守る為で、国民を守るものではなくなってしまうので、国防軍としたとしている。また、日本は軍隊をもって、集団的自衛権をもつことによって、アメリカと同じ立場に立って、基地を縮小する方向になるとしています。

 

第四章 自衛隊は軍隊か

 

1:「そもそも自衛隊」と題して、自衛隊は、警察予備隊がルーツであり、外見は、軍隊だが、中身は、警察であったとしている。また、自衛隊は、東西冷戦で役割を終えたとしている。

 

2:「国際標準の軍隊の条件」と題して、国際標準の軍隊は、ネガティブ・リスト(禁じられていないこと)はできる。それに対して、自衛隊は、できると定められていることしかできない。(ポジティブ・リスト)。警察も権力の対象が国民なので、権力が厳しく制限され、ポジティブ・リストで動くとされている。

 

3:「憲法から見た自衛隊」と題して、1:マッカーサー・ノートは侵略も自衛の為の戦争も禁じた。2:ケーディスが自衛のため戦争を禁じる項目を削除した3:芦田修正によって、自衛のためなら、軍隊を持つことは可能になった。4:極東委員会は、芦田修正によって、将来、日本が自衛のための軍隊を持つ場合を想定して文民条項を挿入した。

 

4:「法律でがんじがらめの自衛隊」と題して、法律なしには、一ミリも動けない自衛隊としています。武器使用五原則によって、正当防衛か緊急避難だったのか、立証しなければ、刑事罰の対象となるとしています。

 

5:「誤解されているシベリアン・コントロール」と題して、本来のシベリアン・コントロールは、民主国家において、自分たちが選んだ政治家に軍隊を任せるという意味がある。ところが、今の日本は、官僚が軍隊を管理している状態をシベリアン・コントロールとしているので、問題であるとしている。

 

6:「自衛隊にできること、できないこと」と題して、出来ないことは、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇または武力の行使である。出来る事は、自己の安全を保持するための手段としての戦争、武力の行使である。

 

第五章 国防軍で自衛隊はこう変わる

 

1:「国防軍の組織のあり方とは」と題して、国防軍は、戦争は起きないという前提の組織ではなく、戦争は起きると言う前提の組織であるべきとしている。また、制服組と背広組の融合で、シベリアン・コントロールを取り戻す必要があるとしている。そして、軍の一元化・一体化が必要であるとしている。

 

2:「他の組織との棲み分けはどうなる?」と題して、海上保安庁法25条も改正し、海上保安庁と海上自衛隊の棲み分けをしっかりさせることが大事としている。また、領空侵犯規定も必要であるとしている。そして、海上保安庁を国境警備隊にするべきだとしている。

 

3:「現行の法律は国防軍でどう変わる?」と題して、軍隊になりきっていないのが自衛隊だとしている。また、現実は憲法改正を待ってくれないとしている。そして、国際平和協力法、国家安全保障基本法、緊急事態基本法のワンセットで、憲法改正までのつなぎをするべきだとしている。

 

4:「集団的自衛権はどうなる?」と題して、憲法9条一項もしっかりと変更して、集団的自衛権も使えるようにするべきとしている。また、憲法改正なしでも集団的自衛権を行使できるべきとしている。そして、集団的自衛権のリスクもしっかりと、明示するべきとしています。

 

5:「国防軍の規律をどう守るか」と題して、他の国の職場放棄は、「死刑」だが、日本は懲役7年ですむことがおかしいとしている。したがって、罰則からみると、日本の自衛隊は軍隊ではないとしている。また、スパイ天国の汚名も返上するべきとしている。

 

6:「憲法改正への道筋は?」と題して、まずは、96条改正をして、憲法を改正するべきとしている。また、憲法改正をしていないのは、日本だけとしている。

 

第六章 国防軍で自衛隊はこう変わる

 

1:「国防軍で日米安全保障条約も変わる」と題して、日本は独立国家にも関わらず、米軍基地があるのはおかしいとしている。また、戦後レジームを固定化したのは、岸首相であるとしています。そして、在沖米海兵隊の抑止力が沖縄がなくなれば、力の空白が出来て、尖閣は中国のものになるのは、自明の理としています。

 

2:「片務協定から双務協定へ」と題して、岸内閣によって、集団的自衛権の議論はタブーになった。また、米軍はベトナムに集団的自衛権で、介入し、ソ連もチェコへ集団的自衛権を根拠に介入した事を知っておく必要があるとしている。そして、日本が集団的自衛権を行使できることで、アメリカとイコール・パートナーとなることで、沖縄での基地問題はなくなると考えられるとしている。さらに、米軍の基地と自衛隊の基地を共有化するべきとしている。

 

3:「アジアの国へ与える影響は」と題して、中国は日本だけでなく、他の国とも同じように、領土問題をかかえているとしている。また、東南アジアの国と集団的自衛権を行使する可能性も視野にするべきだとしている。

 

第七章 誰が国を守るのか

 

1:「徴兵制はどうなるか」と題して、現在は、徴兵制は、憲法違反であるということである。また、ドイツが徴兵制を維持してきた理由は三つある。一つは、軍が国民から解離しないため。二つ目は、徴兵制とセットとなっている良心的徴兵拒否の行使ができなくなるのは困る為。三つ目は、若者たちが軍に興味をもつきっかけになるため。そして、徴兵制は、現代の時代にはそぐわない制度であるとしている。