2013年03月09日

WBC日本対台湾戦で帰らない客が一番すげえと思った夜

昨夜のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、日本台湾戦は凄い試合になりましたねえ。
序盤までは、キューバ戦と同じような展開で、塁には出るけど点が入らないという嫌な展開、ただ、日本はこれまでの試合、終盤に得点する傾向が強かったことから、このまま、完封されることはないだろうなとは思っておりましたが・・・。

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従って、同点となった時点で、日本は大喜びしてましたが、私はむしろ、糸井が三塁でタッチアウトになって2死となった事の方にがっかりしましたよ。
「あ、これで同点どまりだ」と。
で、その前まで物凄い気迫で投げ込んでいた田中まーくんも、この攻撃の間にテンションが下がってしまったようで、明らかに前の回までとは違いましたから、3番打者にあっさりと打たれた時点ですぐに変えなきゃ・・・と。
相手チームはカウントの途中だって、厳然と交代させてんですから。

その意味では、9回に好投したストッパーの牧田和久を、その回だけであっさりと引っ込めたのは正解ですよ。
摂津にしても、田中まーくんにしても、替わった直後は好投しても、回が進むと打たれる・・・という現実があったわけで、やはり、この辺の対応力は世界の代表チームはさすがです。
従って、リードを許した時点で相手にはリリーフエースが控えていたことを考えれば、「あ、これは負けたな」と。
(そもそも、打線も大幅に組み替えるとか言いながら、殆ど変わってなかったじゃないですか。結局、長野も途中から普通に出てたし。)

その、日本代表を救ったのは9回表2死からの鳥谷の盗塁と、井端の起死回生の同点打・・・と、そして何より、小フライを飛び込んで捕球した牧田のファインプレーでしょう。
(中田の決勝犠牲フライについていえば、日本はあれでもう勝ったつもりで大喜びしてましたが、無死1.2塁で犠牲フライの1点しかとれなかったんですよ。手放しで喜んでて良いのか・・・と思ったら、その裏、杉内が打たれて一打逆転サヨナラのピンチだったわけで。)
まず、鳥谷は良く9回2死から走ったなあと思いましたし、井端も良く、あの投手から打ったなあ・・・と。
おそらく、走者1塁でも、2塁で井端敬遠でも、内川勝負だったら負けだったんじゃないですか。
でも、それもこれも、牧田のあのファインプレーが全てだったと思います。
WBC第一回大会の時、韓国の美技の前に完全に封じ込められていた日本に対し、多村仁選手がフェンスに激突して捕球したプレーで、日本選手は皆、自分たちの泥臭さという原点を思い出したんじゃないかと思うのですが、牧田のファイト溢れるプレーも、それと同じ効果をもたらしたんではないかと・・・。

でも、一番のMVPはあの時間になってもまったく帰らなかった観客でしょうね。
さすがに東京ドームの客は目が肥えている!
福岡ドームだったら、絶対にああいうことはないな・・・と。
家は近いはずなんですけどねぇ・・・。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白

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2011年06月30日

講演、「黒田家と江」を終え疲労困憊

親愛なるアッティクスへ

本日の福岡城市民の会様より依頼の記念講演・・・、どうにか終わりました。
かなり、疲れました(笑)。
これで福岡での予定は一通り終了しましたので、明日よりまた、宇都宮へ向かわなくてはなりません。
で、昨日も申しましたように、本日の講演は、先方様より頂戴していた「黒田家と江」という演題ですが、そもそも、福岡藩黒田家と今年の大河ドラマの主人公・お江・・・には特に関係はないんですよね。
従って、最初、話を伺ったときは内心、「う〜ん」という、少し首を傾げるような思いがあったのですが、「ま、何とかなるだろう」という思いから引き受けました。
まあ、ある意味、腕の見せ所ですしね。

で、先般、栃木県にいる頃、せっかくの機会なので休みの日は史跡巡りに精を出していたのですが、その際、埼玉県の川越市へ行った折のこと、町のいたる所に「大河ドラマ お江 ゆかりの地、川越」と書かれたポスターがあるのに気づきました。
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(←川越の地ビール・コエドです。小江戸にかけているんですね。)

ただ、私が知る限り、どう考えても、お江と川越の関係が思い浮かばないんですよ。
で、観光案内所で尋ねたところ、「家光が生まれた間が川越に移築されている」そうで、つまり、家光を産んだのはお江・・・ということでしょうが、係の人も「まあ、こじつけですけどね」と言って笑っておられました(笑)。

であれば、まあ、「黒田家と江」というのもありかな・・・と(笑)。

で、お江さんと黒田家との関係ですが、まず、天正11年(1583年)の羽柴秀吉と柴田勝家が激突した賤ヶ岳の戦いで黒田官兵衛孝高(如水)は敵将・佐久間盛政の猛攻に対し、著しい奮闘を見せてますから、その後の越前北ノ庄城攻囲戦でも当然、攻囲軍の中にいたと考えられ、あるいは、如水も三姉妹の収容にも立ち会ったのかもしれません。
これが、攻める側の黒田家と攻められる側のお江という、黒田家とお江との最初の接点だと思われます。
その後は、)臣家家臣としての黒田家と主君の血縁者の正室としてのお江同じく、主君の寵姫(淀殿)の妹としてのお江F狙邁伐反辰箸靴討旅田家と二代将軍の正室としてのお江という関係になるかと思われますが、ただ、お世辞にも関係は深いとは言えず、何度か顔を合わせた程度だったのでは?

で、次に考えられるのが縁戚としての黒田家と江です。
まず、黒田長政継室・栄姫(大凉院)の母の母は徳川家康の実母・於大の方ですから、つまり、於大の方からすると、最初の嫁ぎ先での孫が秀忠で、再婚した家の孫が栄姫ということになるわけで、従って、長政とお江は配偶者同士が従兄弟同士という関係となり、長政の子と、お江の子となると血の繋がった又従兄弟同士となるわけです。
もう一つ、栄姫の実兄・保科正光が秀忠の隠し子(保科正之)を養子に迎えている・・・という関係があります。
つまり、お江から見れば、栄姫は夫の隠し子が養子に入った先の娘・・・ということになるわけです。
ちなみに、栄姫は名奉行・大岡越前の大叔母にもなります。

ただ、福岡藩二代藩主・黒田忠之の引き起こした「黒田騒動」と呼ばれる御家騒動にはお江の息子たちの確執が微妙な陰影を投げかけております。
機会が有れば、続きも書いてみたいと思いますが、まずは、これにて。
                                         平太独白

heitaroh at 17:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!私小説 

2008年03月31日

祝!石の上にも三年の3周年記念! 付属報告編

親愛なるアッティクスへ

ついに、明日より四月・・・。
ガソリンは下がるそうですが、代わりに色々な物が値上がりするようですね。
取り急ぎ、ビールを買いだめしてきました(笑)。
とりあえず、上がるのは、サッポロだけだそうですが、ま、他のもいずれ上がるでしょうから買っておいていいかな・・・と。
どうせ、これから暑くなるんだし・・・と。

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(←福岡タワーを真下から見上げた画像です。見上げるほどに高い・・・繋がりですね(笑)。)

で、まずはご報告です。

このたび、別館だったgooの方の平太郎独白録を今月一杯を持ってリストラすることにしました。
これからは、本館である平太郎独白録 親愛なるアッティクスへの方に一本化する次第です。
お手数ですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

これは、先日から申し上げておりますように、始めた当初は平太郎独白録- livedoor Blogからのスタートだったのですが、3ヶ月くらい過ぎた頃、「ライブドアのブログがある日、突然、消えてしまった」という記事を目にしました。
そこで初めて、書き留めた物が消えてしまう危険性に気づいたことで、「これはならじ」予備としての別館併設必要性を思い立ったわけですが、このブログも三年を過ぎた今、予備を残しておく必要性はなくなったのではないかと思い至りました次第です。
(つまり、それほどの物でもないし、消えたっていいんじゃないの・・・と。)

で、そんなこんなで、これまで両者を併設していながら、なぜ、gooの方をリストラするのか・・・という点ですが、それは特に、gooの方が悪い・・・というわけではなく、偏に私の個人的なブログにおけるニーズによるもの・・・(というよりも、私の個人的な嗜好の問題)です。
むしろ、ブログ内検索に関しては、エキサイトは非常に出来が悪く、「これは、以前、書いたあれがあったよな・・・」と思い、検索してみると、検索にやたら時間かかる上に、「キーワードに一致する結果が見つかりませんでした」と出る・・・。
で、ならば・・・と、一文字、二文字減らして、同じ、ワードで検索してみると、またもや時間がかかったあげくに、しっかりと、その文言で検出される・・・という体たらく。
それを、gooで検索すると、その場で、過去の古い分からずらっと一瞬にして挙げてくれるんですよ。

それに、個人的な感覚ですが、エキサイトは、どこか閉鎖的な臭いがします。
エキサイト・ユーザーだけを囲い込んでしまおう・・・みたいな。
人の目に触れる機会もgooの方が多いんじゃないですかね。
何か、そんな気がします。

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2008年03月06日

昭和43年の全共闘にみる親の立場の学生の分際論

親愛なるアッティクスへ

正月にBSで、昭和43年を振り返る番組をやってましたが、そこで採り上げられていたものこそ、「全共闘」でした。
と言っても、実は私も全共闘世代・・・などという言葉で、その名前だけは知ってましたが、それ以上の詳しいことはまったく知りませんでした。

当時、私は、これら全共闘を含めた一連の学生運動というものについては、テレビで祖父、父も含めた三世代で見ていた記憶があります。
(ちなみに、私は小学校入学間もない7歳。父は30代半ばで、祖父は60代半ばでした。)
ただ、うちの家族は、まあ、九州という土地柄もあるのかもしれませんが、皆、これらの学生運動には批判的でしたね。
父が、「昔は、学校など、行きたくても行けなかったんだぞ!」、「親に養ってもらっておいて、勉強はしないで、こんなことばっかりやりやがって!」、「やるんなら、自分で稼ぐようになってやれ!」と憤激した言葉を浴びせていたことは、はっきりと覚えています。
(ましてや、明治生まれの祖父が、どういう理解を持っていたかは、想像に難くないでしょう。ちなみに、これら学生運動を弾圧した、当時の佐藤栄作首相は、私の祖父と、ほぼ同世代に当たります。)

これは、当事者であった団塊の世代の人たちからすれば、もちろん、反論もあるでしょうし、私自身も、あの場にいたら、果たして、無関係でいられたかどうか少し疑問なところでもあります。
しかし、親の立場になった今だからこそ言えることでしょうが、私には、父や祖父らの言い分もわからないでもないのです。

現在でもそうですが、地方から、東京の大学に子供を通わせるというのは、やはり、大変な負担なんですよね。
先般、私の先輩が、子供を東京の大学に通わせることになったところ、親の出費は、一人当たり年間400万円になる・・・と嘆いておられました。
となれば、もし、これが2人なら年間800万円になるわけですよね。
800万円となると、少々、裕福な家庭でも大変な負担ですよ。
(一例を挙げるならば、年収2千万円の家庭と言えば、地方では「高額納税者リスト」の上位にランキングされる、押しも押されぬお金持ちなのでしょうが、ここでさえ、年収の半分近く、4割を持って行かれる事になるわけですから、改めて、その負担の大きさがおわかりいただけると思います。)
ましてや、当時は、日本全体が今ほど裕福ではなかった時代ですから、親の負担たるや、いかほどのものだったでしょうか・・・。
食うや食わずやで生活している親からすれば、「そんな学生運動なんかやってるんだったら、田舎に帰ってきて農作業手伝ってくれよ!」というのが本音ではなかったでしょうか。
であれば・・・と。

ちなみに、当時、同じく、私の父が言っていた言葉があります。
それが、「今時の若い奴らはのくせに、みたいにを伸ばしやがって!これじゃ、男か女かいっちょん(まったく)わからん!」というもの・・・。
・・・間違っても、この世代の人たちに限って、「今時の若い者は」などとは決して言わないだろうなと思いましたよ。
ということで、今時の若い者の皆さん、安心してください。
あなた方の親御さんたちは絶対、「今時の若い者は!」と言わないはずですから・・・(笑)。

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2007年10月27日

やはり、引っ越しました!

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親愛なるアッティクスへ

しばらく、こちらで復活しようかな・・・としていたのですが、やはり、まだしばらくは、元のところで更新します。→平太郎独白録 親愛なるアッティクスへhttp://heitaroh.exblog.jp/

お騒がせしますが、とりあえず、新しい記事は新居の方に載せてます(笑)。

あ、もっとも、当分はこちらはこちらで残しておきますし、コメント、TB共に、こちらへ連絡が来るようにしておりますので、何卒、ご理解のほどお願い致します。

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2007年09月14日

煙突から降りられない女性で思い出した聞かなくなった話

親愛なるアッティクスへ

先日、どこやらで、煙突の上に登った若い女性が、登るのは登ったものの降りられなくなって、レスキュー隊が駆けつけて救助される・・・という騒ぎがありましたよね。
私が子供の頃は、割と普通に周囲に銭湯の煙突などがありましたから、よく、耳にしたことがあるんですけど、あれって、登るときは登れても、一旦、上に上がってしまうと降りられなくなるものだそうですよ。
また、昔は、よく、子猫が、木の枝の上に登って降りられなくなる・・・ということがあったとも聞いています。
猫が、枝の上に止まって、3日も4日も、ずっと、じっとしているから、「?」と思っていると、そういうことらしく、そんなときに、人間が迂闊に可哀想だなどと思って、降ろしてやろうとすると、パニックになって、人間に飛びかかって来る・・・とも聞きました。
いずれにしても、最近では、もう、聞かない話ですけどね。

そういえば、聞かない話・・・という点では、私の生まれ育った現博多駅前地区というのは、度々、ご紹介しましたように、昭和43年の博多駅地区土地区画整理換地処分以前は、「下人参町」と呼ばれた下町でしたが、昭和38年博多駅移転以前は、今のキャナルシティ付近で、線路が直角に曲がっており、そのため、ここでよく、脱線事故などがあったそうです。
さらに、亡父の話では、当時は、飛び込み自殺なども少なくなかったらしく、そのたびに、列車は一時停止し、そこで、人間の死体を組み立て、元の人間の形なるまで発車しなかったとか。
それは、何も、死者を悼む気持ちからなどではなく、列車のどこかに、遺体の一部が引っかかっていたりすると、脱線の危険性があったからだとか。

さらに、良く聞くと、必ずしも、自殺するつもりはなくとも、結果的に、撥ねられてしまうケースも少なくなかったと言います。
どういうことかというと、電車が来たからといって、傍らに立ってやり過ごそうなどとすると、猛スピードで走る列車のすぐ脇だと、風圧で吸い寄せられてしまうのだとか。
特に一番怖いのが、すれ違う列車の間に立つことで、理論的には、そこに隙間があれば、人間が立って、列車をやり過ごすのは可能なように感じますが、実際は、まず、アウトだそです。
昔は、よく、踏切を渡ろうとしたら、上りが来たので、脇に避けて立っていたら、上りが行ききらないうちに下りが来てしまった・・・なんてことがあったそうです。
まあ、すれ違う列車同士の距離によっても違うのでしょうが、よく、列車に乗っていて、隣を快速電車などが通過していくと、風圧で窓ガラスにもの凄い衝撃が走るときがありますよね。
あの状況を思い浮かべて頂ければいいと思いますが、もし、こういう事態になってしまったときには、どうすればいいか・・・。
(まあ、最近は踏切自体、少なくなっているのでしょうし、鉄道側にも、安全対策が採られていると思いますが。)
ちゃんと、策があるんですね。
こういうときは、伏せればいいんだそうです。
伏せると、巻き込まれるのを避けられるのだとか・・・。

ちなみに、この辺りでは、今でも幽霊が出るという話があるようですが、あいにく、私は46年間で、一度も見たことがありませんけどね。

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2007年09月13日

もつ鍋と言えば博多たいにみる悪貨は良貨を駆逐するの理

親愛なるアッティクスへ

安倍ちゃん、辞めちゃいましたね。
だから、言わんこっちゃない・・・と。
どうせ、後からやっぱ辞めた・・・ってことになるんなら、あのとき辞めておけば良かったのに・・・と。
ていうか、「参議院で勝ちさえすればいい内閣」だったわけで、その姿勢からして、そもそも、何をか言わんや・・・だったんですけどね。

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先日、久しぶりにもつ鍋に行ってきました。
東京の友人などが博多に来た際に、もつ鍋やに連れて行くと、皆、「えー、もつ鍋ですか・・・」と大体、嫌な顔をします。
で、「いいから」と連れて行くと、「え?これが、もつ鍋っていうの?」と。
「今まで、オレが東京で食ってたやつとはまるで違う・・・」と。
そりゃあそうでしょうね、猫も杓子も「ブーム」だからって、一斉に始めればまがい物が出回りますよ。
東京でも、最近では、随分、もつ鍋がブームになってきたようですが、私からすれば、むしろ、正式に認知されるまでに随分、時間がかかったなーという印象がありますね。

平成元年頃、バブルの頃、私は、周囲に、「もつ鍋は絶対に全国区になる!」と公言していました。
で、予想通り、それから間もなく、第一次もつ鍋ブームが起き、私の読みが当たるかに見えたのですが、直後に、ブームは終息に向かい、結果的には、今頃・・・、つまり、正式に全国区として認知されるには20年の月日を要することになったわけです。

そもそも、もつ鍋が人気を博した理由の一つに、低価格ということがありました。
「もつ」というのは、本来、日本人は食さない臓物の部分であり、これは、捨てられていた部分だったんで、安価で仕入れることが出来ていた・・・んですね。
で、その後、もつ鍋は、博多の一郷土料理程度の位置づけで推移してきたのですが(もっとも、発祥は福岡市の外れ付近みたいですが)、時あたかも、バブル高額商品が売れる一方で、あまり、バブルに縁がない一般サラリーマンにとっては、低料金腹一杯飲んで食って出来るもつ鍋が歓迎されたという側面があったようです。
しかし、もつ鍋ブームとなり、猫も杓子ももつ鍋やを始めた結果、もつの需要が増加して、もつの価格が上昇・・・、しかも、にわかに始めたもつ鍋やは、供給ルートを持っていないから、「もつ鍋」と謳えば、何だっていい・・・で、相当に、まがい物が出回りました。
この点は、博多でも然りで、当時、「なんじゃこりゃ?」というもつ鍋屋も、相当、ありましたね。
つまり、「悪貨は良貨を駆逐する」の理のもつ鍋版なわけです。

で、その後、ブームが去ると同時に、そういうまがい物のもつ鍋屋はいつの間にか消えていったのですが、次に、残った本来のもつ鍋屋を襲ったのが狂牛病問題でした。
当時、私の身近でも、取引先の一つが廃業しましたから、しゃれにならんな・・・と思いましたよ。
その点で、今、残っているもつ鍋屋は、何だかんだ言っても、そこいらを切り抜けてきているわけで、今度こそは、悪貨に負けない良貨の・・・、つまり、全国区として認知されることになるのではないかと思っています。

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2007年09月12日

湿原の川の流れに商売を実感した飯田高原

親愛なるアッティクスへ

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本日は久々に川縁の遊歩道を歩いてきたのですが、ふと見ると、いつの間にか、川中に小さな中州のような物が出来ていて、鳥が羽を休めてました。
(←少し、わかりにくいですが鳥です。)

以前は無かったと思うんですけど、まあ、元々、あまり深くは無い川ですから。


で、これを見て、先月末、夏休み最後の休日に、大分は飯田高原に行ってきたときのことを思いだしました。
「いいだこうげん」と書いて、「はんだこうげん」と読みます・・・、いや、読むそうです。
私も、先日、初めて知りました(笑)。

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湿原地帯に、木道が作られている・・・、まあ、言うならば、九州の尾瀬みたいなものですね。
見渡す限り、一面の草原・・・というのも、なかなか、良い物でしたよ。

でもって、湿原のあちこちに「入らないでください」って看板が・・・。
で、そのまま、しばらく行くと、中には「マムシ注意!」の看板が・・・。
そらぁ、入らんわな・・・って、「入らないで」より、こちらの看板の方が効果絶大なのでは・・・(笑)。
でも、よく考えたら、歩き始めて早々に、誰か、横倒し落ちた跡がありましたが、あれは何・・・?(汗!)。

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で、ここの高原には、川が流れているのですが、看板を読むと、すぐ横に、かつて流れていた川の跡があり、曰く、「大雨が降ったときに、雨が、川の隣の底土を削り取ったことから、そっちの方が深くなってしまい、以来、川の水はこちらを流れることとなり、川の流れが変わってしまった」と書いてありました。
「湿原とはそんなものだ」というようなことも書いてありましたが、でも、これを読んで、思わず、何だか、「商売も一緒だよな」と・・・。
隣より、もっと低く削られたところに水は流れていく・・・。
少子化、中国、税制、狂牛病、大型開発、庁舎移転・・・
気が付いたら、大雨で横の土が削られて、いつの間にか、水は向こうを流れるようになっている。
昔は、こっちが一等地だったのに、今では、あっちが一等地になっている・・・。

(特にこの点は、私は、下町・下人参町が一転して、オフィス街・博多駅前になるという博多駅地区土地区画整理を身をもって体験してるんですよ・・・。)
栄枯盛衰万物流転有為転変一石二鳥・・・。

「変わらないのは変えていくより難しい」とは、確か、ウィスキーのCMだったかと思うのですが、まったくですなぁ・・・と。
誰も知らないうちに、 流れが変わる事象というのは起きているものなんですよ、御同輩。

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2007年09月11日

昭和40年代に子供時代を送った者たちにとっての20世紀

親愛なるアッティクスへ

先日、たまたま、行きつけの床屋で浦沢直樹作のマンガ、「20世紀少年―本格科学冒険漫画」なるものを目にしました。
実は、当初は、見るともなしに見ていたのですが、20巻を過ぎた辺りからどうにも止まらなくなり、次に床屋に行くのを待つことなく、遂にラスト3巻ほど買ってしまいました(笑)。

まあ、ストーリーは、昭和40年代に子供たちが空想で作った人類最終計画を、その中の一人が、新興宗教の教祖になって、次々に現実の物としていくのに対し、他の仲間たちが、それに立ち向かう・・・というもので、言うならば、当時の子供たちに端を発したSFものですので、間違っても、児童文学のような純粋なものを想像されると困るのですが、作者は、我々の2級ほど上らしく、ちょうど、我々の子供時代・・・、つまり、昭和40年代に子供時代を送った者についてよく描かれてあったので、見るともなしに見始めたわけですが、それを見ていて、ふと、思ったことがあります。
それは、昭和40年代に子供時代を送った者にとって、「大阪万博」というものこそ、ある意味、人の世の「象徴」そのものではなかったか・・・ということです。

ご承知の通り、大阪万博・EXP’70というものは、先般の愛知万博などと違い、当時の子供たちにとっては、まさしく、「夢の世界」であり、いささかの翳りも感じることがない「未来」そのものだったのでしょうが、同時に、本人の実力・努力・人望などに関わりなく、理不尽なまでに、「行ける人」「行けない人」を選別したものだったように記憶しております。
(あるいは、それこそが、昭和40年代の子供たちが大人になって知った現実だったかもしれません。いくら努力しても、実力があっても、「行ける奴」「行けない奴」厳然として存在するという現実・・・。)
と、なぜか、このマンガを見て、ふと、そういう他愛ないことを思い浮かべてしまいました。

ちなみに、以下は、このマンガのアマゾン(上記タイトル)に私が書いたレビューです。
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最近、よく、「2:6:2の法則」というものを耳にする。
「どんな優秀な人たちでも、どんな低俗な人たちでも、人間が集団を構成すると、『優秀者2割、普通人6割、落伍者2割』というものになる」というあれである。
これは、子供の世界にも、厳然として存在する。いや、むしろ、子供の世界だからこそ、それは遠慮無く、如実に表現される物なのかもしれない。少なくとも、この物語の原点である昭和40年代の子供社会には存在していたと言って良いだろうか。
(その意味では、子供社会とは、微妙な階級社会であり、我々、昭和40年代に子供時代を送った者たちは、何だかんだ言っても、今でも、それを引きずっているのかもしれない。「あいつは、昔から、出来るやつだったんだから・・・」とか、「あいつは、元々は、そんなに大したやつじゃなかったんだ」とか言うのがそれであろうか。)

これを、この物語の登場人物に置き換えてみると、オッチョ山根は「上」、ドンキーサダキヨは「下」の階級に属するのであろうが、その意味では、主人公・ケンヂは本来、この物語が始まった時点では、「中」に位置する人ではなかったか?
それが、いつの間にか、ケンジがオッチョと並び称されるほどの「上」の人となっていることにだけは、大いに違和感を感じるところであるし、少なからず、興をそがれる気がする部分でもある。

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2007年09月10日

経営統合にみる人間とは指図されることが嫌いな生き物

親愛なるアッティクスへ

「我々の稼業、考えすぎるのも良くないが、考えないというわけにもいかない」
                                  平太独白

先日、思わず、呟いた一言です(笑)。

で、本題です。
経営統合した大丸松坂屋ホールディングスは、福岡市の博多大丸などの地域子会社仕入れ・発注業務共通化を進める方針だとか。
また、早速、どちらかの販売責任者が、相手方に乗り込んで、店員に指導していましたが、確かに、お互いにこれまで培ってきた独自のノウハウがあるはずで、気が付いたところを指摘しあうことは、「本来」であれば、大いに有益なのだろうと思います。
ところが、人間という業の深い生き物は、なかなか、「本来」の通りにはならないことが多いわけで・・・。

昔いたある会社で、私が唯一の業務経験者だった部署がありました。
別に責任者でも何でもなかったのですが、責任者氏にも、殆ど経験がなかったため、責任者から言われて、私が他の同僚らに色々と教えてあげる形になったのですが、ところが、何を教えてあげても、彼らは、「そんなことしたら・・・」とか、「出来るはずがない」、「そんなバカなことを」などと、とにかく、ネガティブな反応ばかり・・・。
中には、ムリヤリ、欠点をあげつらっているようなものさえありました。
こうなると、詰まるところ、いくら懇切丁寧に教えてあげても、彼らが受け入れることはないんですね。
つまり、人間というものは、本質的に、人から指図されることが嫌いな生き物なんだと・・・。
いくら有益な指導でも、それを本心から受け入れさせる為には、本人が壁にぶつかっているか、そいつが考え出したことにするかしないと、ダメなんですね。

この点では、私が壁にぶつかって苦しんでいたとき、ある上司から、「あ、それは簡単なんだよ」と言われ、以後、見事に成果を上げるようになったことがあります。
つまり、私も人のことを言えた義理ではなく、その前に私は壁にぶつかっていたからこそ、それを受け入れたわけで、最初から、頭ごなしに「こうしろ!」と言われていたら、果たして、それを受け入れたかどうか・・・。

以前、現横浜ベイスターズ工藤公康投手が、まだ、福岡ダイエーホークスにいた頃、取材に訪れた元阪急ブレーブスのエースだった今井雄太郎氏に対し、「うちの若い投手たちは、投球の軸にする球を持っていないので、今井さんのシュートを教えてあげてくれませんか。うちで、そういうシュートを投げるのは、西村(竜次)くらいだから、きっと、役に立つはずなんですけどね」と言っていました。
このとき、今井氏は、気持ちよく快諾するかと思いきや、何か、諦観したかのような顔で、「いや、向こうが聞きに来れば教えてあげるけど、聞きに来ないものに、こちらから教えてもダメ。もっと、壁にぶつかって、困り果ててなきゃ」と言っていました。

この点は、視察などでも、ただ漠然と視察に行く者は、ただ漠然としか見て帰ってこないのに対し、「あそこでは、この部分は、どういうやり方をしているんだろう」というテーマをもって視察に臨む者は、確実に、成果という点で大きな差を生む物のようです。

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heitaroh at 08:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!哲学思想 

2007年09月08日

マルクスの過ちがもたらした20世紀の動乱と菊千代の指摘

親愛なるアッティクスへ

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こちらの画像は、以前、平日に仕事さぼって、海水浴に行ったときのものです(笑)。
もちろん、我が憩いの志賀島です。
でも、この辺の海も、昔に比べれば、随分と汚くなりましたねぇ。
私が学生時代までは、この辺は、まだまだ、キレイだったんですけど・・・。

先日も言いましたように、以前、「日本人がサンオイルをつけて入るから、ハワイの海が汚くなった。」という話を聞いたときに、「嘘こけー、あんな広い海に人間がチョロチョロと油つけて入ったところで汚れるもんか」と思っていましたが、この辺の海を見ると、確かにそれを実感してしまいます。

などと考えていたら、ふと、の声に気づき、改めて、辺りを見回したら、あれから、25年が経ったというのに、ここから見えている風景だけは昔のまま・・・。
思わず、往事と同じの中に立っている事に気づきました。
違ったのは、私の体重だけ・・・(涙)。

などという、くだらない感慨に浸っている場合ではなく、本題です。
以前、毎日新聞に面白い社説が載っていました。

概ね、「マルクスの抜本的過ちは、民衆は「」であると言うことを前提としたことである。当時の抑圧された状況を思えば無理からぬことであるが、その主張の下では陰惨な結果をもたらしたに過ぎない」と言った内容のことが書いてありました。
今日の民主主義も含めて、人は「弱者は善」だと錯覚しがちであり、私はここにこそ20世紀と言うものの根幹を見たような気がしております。
(日本も決して例外ではなく、やった人もやらなかった人も平等の平等社会となっており、私は日本人に民主主義は百年早かったと思っております。)

すなわち、20世紀の動乱は、勘違いこそが生み出したと。
思えば、「虐げられているものこそが善」だとし、彼らに権力を委ねれば、きっと、世の中は良くなるに違いないという、ゾルゲを始めとして、共産主義の理想に邁進した多くの人が、この入り口の段階ですでに勘違いしていた、もしくは、それに気づかなかったということではないでしょうか。
だとすれば、彼らの行為はまるっきり、歴史の中のピエロ以外の何者でもないように思えてきます。
黒澤 明が代表作「七人の侍」の中で、三船敏郎演ずる野人・菊千代の口を通して言わせた「百姓ほど、臆病で、ずるがしこく、残酷で、お人よしでまぬけ」・・・との表現こそは、実に、的確であり、民衆と言うものを見る目は、マルクスよりは、よほど透徹していたように思えます。
如何でしょうか、御同輩。

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2007年09月07日

瀬島龍三逝去に想う瀬島龍三の真実とそれを語るべき資格

親愛なるアッティクスへ

先週、元帝国陸軍大本営参謀から、伊藤忠商事最高顧問に転身し、土光臨調の参謀長とまで言われた瀬島龍三さんが逝去されましたね。
私としては、「え?まだ生きてたの?!」って感じでしたが、この方については、以前、平太郎独白録: 瀬島龍三にみる 10のものを10発揮する努力。でも触れましたが、とかく、賛否両論あるかただったようですね。

実は、上記の記事を書いたとき、この記事に対して、「瀬島氏がシベリアで何をやったかはご存じないのでしょうか? 抑留者の洗脳を主導し、抑留者を労働させる密約をソ連とおrの結んだと言われます。また戦時中の他の事件についても責任者だと言われています。全部信じているわけではありませんが、そういう風評があることを無視して瀬島氏を持ち上げる気にはなれません。」という手厳しいコメントを戴きました。
私としては、瀬島という人物は、決して、映画・「不毛地帯」に出てくる壱岐中佐のような聖人君子などではなく、保阪正康著 「瀬島龍三―参謀の昭和史」に記してあった姿こそが、おそらく、本当の姿なのだろうと思いますが、ただ、このときは、「私としては、良い悪いではなく、どんな極悪人からでも学べるところがあれば学べばいいというのが私の考え」だということをコメントさせて頂きました。

その考えには、今も何ら変わりないところなのですが、ただ、このときはこのコメントには書かなかったことがあります。
「あなたは、まさか、暖かい布団に入って、腹一杯良い物食って、それを言っておられるんじゃないですよね?」と。
つまり、当然、氷点下30度極寒の世界食事もまともに与えられない環境で、強制労働下に身を置いて言っておられるんですよね・・・ってことです。
即ち、私は、瀬島氏がシベリアで上記の通りのこと、あるいは、もっと酷いことをやっていたとしても、決して、これを責める気にはなれないんですよ。
少なくとも、私が同じ状況だったら、「俺は瀬島のようなことはやらなかった」・・・と言い切る自信はないですね。

また、瀬島氏が日本兵捕虜をソ連に売り渡したという話もありますが、仮に、その通りだったとしても、あの状況下で、誰か、これを拒絶できたのでしょうか?
また、この点では、以前、同じく終戦時に、台湾武装解除を受けた参謀だったかが、「降伏と聞いて、私がまっさきに考えたのは、配下の兵士数万人の食糧確保のことだった」と言っておられたのを聞いたことがあります。
敗戦後の現実は、暖かい布団にくるまれて寝ている平成日本人の及ぶところではないのではないかという気もします。

また、大本営参謀時代の台湾沖海戦での戦況握りつぶし疑惑などについても、彼が握り潰さなかったとしても、都合が悪い情報は上に上がっていませんよ。
かつて、幕末に名君として知られた江戸幕府老中・阿部正弘候は、「言っても受け入れられない提案はしないこと」と言っています。
組織とは、必ずしも、正しい案、素晴らしい案が通るわけではありません。
(特に、害を小さく抑える案というものほど通りにくいようですね。)
であれば、彼ばかりを悪いと決めつけることもできないような気がするんですけどね。

まあ、この方については、他にも色々と、賛否両論あるところでしょうが、ともあれ、人は棺の蓋を覆って評価定まる・・・といいます。
評価が定まるまでは、まずは、合掌ということで・・・。

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2007年09月06日

安倍・麻生的アラが見えない分だけ尊敬しやすい祖父論

親愛なるアッティクスへ

またもや、農相辞任だと・・・。
でもって、同じニュースかと思いきや、元農相だとか言ってるから、良く聞いたら、別の人だったり・・・。
で、そのついでに、外務政務官辞任だとか言ってたから、良く聞いたら、自民党の別の参院議員が辞職だとか・・・。
参議院で、問責決議案が出ることを考えれば、事実上、もう、だめでしょうね・・・。
「解散か総辞職」かって、解散なんて出来るわけ無いんだから、総辞職しかないでしょ。
だから、言わんこっちゃない・・・という。
(もっとも、野党としては、現政権のままで衆議院を闘った方が闘いやすいわけで、その意味では、本音は現政権継続なのかもしれませんね。)
ここまでくれば、いっそ、農相の後任には、安倍内閣発足以来、徹底して干しあげている谷垣さんを指名したらいいのでは・・・。
不祥事が出てくればよし、出てこなくてもよし・・・ということで(笑)。

ところで、先般、安倍総理が松岡農相の後任に赤城さんを指名したとき、赤城さんが安倍総理の祖父・岸 信介元総理の盟友の孫であるということが言われましたよね。
で、先日は、インドに行って、東京裁判の時、A級戦犯全員に対し、独り、無罪判決を下したことで知られるパール元判事の長男に会ってましたが、パール判事は、A級戦犯無罪を主張したものの、別に、日本に同情的だったわけではなく、ただ、当時の法体系では有罪に出来ないという「法律論」に則っただけのことで、(いわゆる、罪に合わせて法律を作る事後法というやつですね。)事実、判事は、「彼ら(A級戦犯)は、おそらく、罪を犯したのだろう。しかし、戦争前の法では、彼らを有罪とすることは出来ない」と記してあったとか・・・。

で、このときのA級戦犯の中には、岸元総理が居たわけで、安倍さんも、お祖父ちゃん尊敬するのもいいけど、なんかちょっと、個人的趣味、優先させすぎじゃないですか?
安倍さんの岸本総理に対する思い入れと言えば、以前、平太郎独白録: 安倍総理の通信簿 その2でも申し上げたように、安倍政権の最大の政権課題である憲法改正についていも、安倍さんにそれほどの理解があるようには思えないんですよね。
(この点は、小泉純一郎前総理は、たとえ他の案件は官僚の作文を棒読みしていても、こと、郵政民営化の話になると、俄然、ガンガン話しましたよね。事の是非はともかく、安倍さんにはこういう命題に対する理解が感じられないんですよ。)
つまり、安倍総理が「憲法改正」を口にしているのは、単に、お祖父ちゃんがやろうとしたことだから・・・というだけのことなんじゃないですか・・・と。

で、お祖父ちゃんと言えば、安倍さんの次の総理の有力候補である麻生太郎氏も、お祖父ちゃん(吉田 茂元総理)を意識しすぎではないですか?
マンガ好きというのも、お祖父ちゃんが、「愛読書は?」と聞かれて、「銭形平次」と答えたというのを意識しているんじゃないですか?
別に、無理して、口をへの字に曲げなくてもいいのに・・・と(笑)。

この点で思い出すのは、徳川三代将軍家光は、父、秀忠を尊敬せずに、祖父、家康を尊敬したと言われていますよね。
無論、創業者であり、一代にして頂点まで上り詰めた祖父を尊敬するというのは、必ずしも、悪いことではありませんし、わからないわけでもありません。
しかし、「父」ではなく、「祖父」というところがミソなのです。
つまり、祖父というのは、多くが子供の頃しかしらないから、アラが見えないんですよ。
いくら大人物であっても、身近に接すると、色々と、アラが見える「父」に対し、子供の頃しか接したことはない「祖父」は、アラが見えにくいわけで・・・。
家光が尊敬した祖父、家康も、現実には、どういう親だったか・・・といえば、長男殺害、次男飼い殺し、三男いじめ、七男追放・・・で、後は、晩年に出来た赤ちゃんたちを別にすれば、若死夭折かだったという。
今だったら、児童相談所が引き渡しを拒否するんじゃないですか(笑)。

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2007年09月05日

黒澤明の映画にみる「あの戦争」における平等 後編

親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

「公平」という意味では、まあ、逆に言えば、日本には、それだけ、人を選んでいられる余裕がなかったということでもあるのでしょうが、ただ、この「公平」という点で言えば、天皇家でも決して、その例外ではなかったように聞いております。
今のイギリスなどでも、そうでしょうが、ノブリス・オブリージュという古代ローマ以来の考え方があるヨーロッパでは、高貴な者ほど重い責任を負うということであり、となれば、もっとも高貴な者である王家の人間こそ、率先して、国家の危難に立ち向かわなければならないという発想に至るようです。
チャールズ皇太子も、フォークランド紛争のときは従軍しましたし、今の王子たちも、イラクへ行くとか行かないとかいう話が持ち上がってましたよね。もっとも、一般兵士とは、比べものにならないくらい守られているんでしょうが、だからといって、戦場に赴く以上、まったく危険がないというわけではないわけで・・・。)

その点では、まあ、さすがに天皇陛下その人は別でしょうが、他の皇族方は、結構、軍務に付いていたらしいですね。
明治以降の歴代天皇の弟たちは、皆、軍人でしたし、名目上とはいえ、閑院宮載仁親王のように、参謀総長などの軍務の枢機に預かっていた人も少なくなかったわけで、それなりに、前線に赴くこともあったらしいですよ。
さすがに、天皇の弟が戦死するようなことがあると、「天皇の弟でさえも戦死してしまった」ということで、内外に、戦局の悪化を知らしめるような事になることから、簡単に死ぬようなところには行かせないでしょうが、でも、逆に、軍部の連中からすれば、天皇の弟が「戦死」して、新たな「神社」ができる・・・というのも、国民の士気鼓舞する上では必ずしも悪い話ではなかったのかもしれませんね。
あるいは、誰か一人くらい死んでくれないかな・・・などという不埒なことを思っていた軍人もいたかも・・・。

この点では、庶民から天皇家まで、誰の頭の上にも平等に降りかかってきた「災難」だったからこそ、皆、諦めもついたわけで、逆に言えば、「平等」に降りかかってきた「災難」から、自分だけ逃れようとする者には、国家の縛り以前に、庶民感情として・・・、まさに、文字通り、庶民の「感情」が許せなかったのではないでしょうか。
実際、私が子供の頃、近所になぜか影が薄い老医師がいたのですが、医師というステイタスが高い職業でありながら、なぜ、それほどに影が薄かったかというと、どうやら、戦後40年くらいは、町内で村八分にしていたからだそうで、(もちろん、それには、下人参町自治会長であった私の祖父が、率先して、関わっていたのでしょう(笑)。)何があったかというと、祖父に晩年聞いたところでは、この老医師は、商売柄、薬品に詳しかったことで、戦時中、何らかの方法で徴兵逃れをやったのだとか。
(この辺のことは、現代でも、警察の取り調べよりも、マフィア同士の方が、犯人を割り出すのが早くて間違いがないことが多いように、政府はごまかせても、町内の住民の目はごまかせなかったのでしょうね・・・。もっとも、私が子供の頃となると、さすがに、孫を持つ祖父同士でもあり、さすがに、そこまで露骨ではありませんでしたけどね。)

まあ、天皇家から庶民まで、平等に押しつけられた大災難に対し、一人だけ、避け得た者が居る・・・となると、誰しも、「ふざけんなよ!」という気持ちにもなろうものかと・・・。
でも、想えば、巨匠・黒澤 明からすれば、この辺の、庶民の心理というのは、おいしい部分だったんじゃないですか?
それを描かなかったことを考えると、この辺に、この時代の人の、あまり、触れたくない部分があったのかもしれません。

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2007年09月04日

黒澤明の映画にみる「あの戦争」における平等 前編

親愛なるアッティクスへ

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9月を迎え、暑さも、気持ち程度、凌ぎやすくなってきたように思います。
いかがお過ごしでしょうか。
今週末は、ここ(←)に行ってきました。
一服の涼感如何?

で、暑さが多少和らいだということで、この季節、散々、見せられてきた太平洋戦争というものについて、少し、触れておこうと思います。
この戦争については、私も、私なりに、思うことはあるので、一度、自分なりの総括的なことをまとめておきたいんですが、おそらく、それを言うと、からもからも、総攻撃をくらうことになると思いますので、控えさせて頂きます。

で、この戦争を、当時の人たち・・・、私の祖父母の世代の人たちがどう受け取っていたか・・・という点についてですが、もちろん、辛いことであり、好む物ではなかったでしょうが、意外に、「天災」のような感覚で「仕方がない」という諦めにも似た気持ちがあったのではないかという気がしています。

で、その諦観のようなものを支えた一つには、「公平」ということがあったように思えます。
つまり、庄屋の息子も、水呑百姓の息子にも、稼いでいる奴にも稼いでいない奴にも、公平に召集令状が来る・・・ということです。
以前、祖父母とは同時代人である黒澤 明監督の戦後の映画(現代劇)を見ていて、つくづく、思ったのですが、それは、どの「幸せな家庭」にも、どんなに「不幸な家庭」にも、例外なく戦争というモノが出てくることでした。
父子家庭にも、医師家族にも、警察官にも、泥棒にも・・・です。
そこには、殆ど、ひとつの例外もありませんでしたね。

以前、平太郎独白録: 博多に秋が来たことを知らせる風物詩、梨も柿も放生会♪において、博多の放生会という祭りについて触れたのですが、その中で、「当時は、まだ、戦争が終わって、20〜30年くらしか経っていない頃ですから、参道の片隅には、傷痍軍人の格好をした物乞いなど」が居た・・・ということについて述べさせて頂きましたが覚えておられますでしょうか。
今の若い方などは、「まあ、可愛そうに」と言われるかもしれませんが、同時代を生きた私の祖父母などは、決して、いい顔をしてませんでしたね。
あるいは、思い出したくない過去・・・って感じだったのかも知れません。
一度、その人たちが、誰か、通行人とケンカしているのを見たことがありますが、「貴様らだけが被害者のような顔をするな!」という罵声を浴びせられてました。
あるいは、この辺が同時代人たちの率直な感情だったのかも知れません。
もっとも、いつの間にか、すっかり、その人たちも見かけなくなりましたけどね・・・。

一応、明日に続きます。

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2007年09月03日

賢兄愚弟・・・賢弟愚兄・・・いずれが是か非か。

親愛なるアッティクスへ

かつて、ナポレオンを評して、「人格はともかく、能力の点では、あの男は、ウラル以西ではカエサル以来の物を持っていた」と評した人がいたという。
では、ウラル以東ヒマラヤ以北・・・、いわゆる、東洋世界ではどうだろうか。
一人は、そのナポレオンをして、「予の壮挙もあの男の前では児戯に等しい」と言わしめたモンゴルの英雄、チンギス・ハーンであろうか。
では、もう一人、カエサルに当たるのは・・・というと、三国志で有名な魏の武帝、曹操が思い浮かぶ・・・。
が、中国三千年の歴史には、あまり、知られていないが、その曹操を凌ぐほどの人物がいるのである。

同年代中国の歴史年表をひもとけば、前の方、古代王朝に位置する部分に、「前漢」「後漢」という二つの漢王朝があるのに気が付く。
その、「前」の方の漢王朝を創始した劉邦という人物は、若い頃から、遊興放蕩の行いが強く、それに対し、その兄、劉仲はまじめで実直、農作業にいそしむ親孝行な人物だったという。
従って、母はいつも、劉邦に向かい、「少しは兄さんを見習ったらどうだい!」と罵倒していたとか。
ところが、劉邦は、無頼の徒に身を投じた後、時運に乗り、反乱軍の頭目となり、ついには、項羽を破って、中国全土を統一し、漢帝国皇帝となってしまった。
後に、母に、「どうです、兄さんと私とどっちが偉かったですか?」と聞いたという。

その後、さしもの隆盛を誇った漢王朝も紀元8年、王莽という人物により、帝位を簒奪され滅亡するが、王莽は古の政治を理想とし、現実を無視した政策を推し進めたことから、国内各地で叛乱が頻発するようになり、時代は再び、乱世となった。
このとき、たまたま、漢王朝の創始者・劉邦と同姓の者に劉秀という若者がいたのだが、この若者は実直温和、質素で農作業に熱心な性格であったが、それと対照的に、その兄、劉縯は家業には手を貸さず、遊侠無頼の徒に交わることを好んだ。

22年冬、その劉縯が挙兵した。
最初は思うように兵が集まらずに苦しんでいたが、慎重な性格と評判であった弟の劉秀が参加すると、蜂起軍に参加する者が次第に増え、ついには、王莽の軍を撃ち破り、一躍、兄弟・・・、特に、劉秀の名は高まった。
その後、兄弟の名声の高まりを恐れた勢力により、劉縯が殺害され、このとき、劉秀にも危険が迫ったが、劉秀は、巧みにそれをくぐり抜け、苦労の末、ついには、自立を果たし、自ら皇帝を名乗る。
これにより、中国大陸は光武帝劉秀によって統一されたのである。
光武帝は、前に滅亡した漢王朝皇帝家の劉家とたまたま同姓だったことから、自らの王朝を、漢王朝の復興政権と位置づけ、国号も「漢」と号したが、後に、これを区別するために、「前漢」、「後漢」と称されるようになった。
これが、後漢王朝の始まりである。

無頼がいいのか、実直でいいのか・・・。
兄が良いのか、弟が良いのか・・・。
その答えは、容易に見出せそうもないが、ただ、無頼派の代表、劉邦は、帝位についた後、功臣らの粛正に動いたことで、その治世に暗い影を落としているが、実直派の代表、劉秀はそういうことはなく、逆に、必要に迫られたとはいえ、度々、奴隷解放令などを公布して、人身売買を厳しく規制するなど、極めて、ヒューマンな政策を実施し、また、門限を守らなかったことで、家臣から、二度も城に入れてもらえなかったなどという微笑ましい逸話も残している。
光武帝劉秀は、高祖劉邦に比べると、日本での知名度は低いものの、中国三千年の歴史の中でも、第一級の人物として、玄人筋では評価されている人物である・・・。

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2007年09月01日

日本に二大政党制はなじまないの理

親愛なるアッティクスへ

小選挙区制に成って以来、現在の日本では自民・民主という二大政党制がすっかり、定着した観がありますが、この点で、少し、思うところがあります。
10年くらい前だったと思いますが、(ちょうど細川政権ができたころだったと思います)、私は、「どこになるかはわからないけど、最終的にどこかの一党独裁になる。小沢一郎の唱える、アメリカのような二大政党制は日本にはなじまない」と言ったことがあります。

それは、その当時、55年体制が崩壊して、これから、どうなっていのかを考える上で、明治21年帝国憲法施行後の議会開設のときのことを思い起こしてみました。
すると、議会が開設されたときも、多数の政党が乱立して、その後、二大政党に収束され、そして最後は政友会一党独裁となったことに気づきました。
同様に、この公式を戦後の現憲法施行時に当てはめてみたならば、最初は多数のミニ政党が乱立し、やがて社会党自民党二大政党制になり、そして最後は自民党一党独裁になった・・・と。

となれば、この現象は偶然なのか?もし、偶然でないとすれば何故なのか?と、しばし、考えてみました。
結果、これは、「『バスに乗り遅れるな!』という日本人の国民性にあるのではないか」ということに思い至った次第です。

であれば、その後、55年体制崩壊後の、既存の自民、社会、公明などの政党の他に、「新党さきがけ」、「新生党」、「日本新党」などの、新たに発足した政党を含めて、多数の政党が乱立時代を経て、自民・新進の二大政党制に移行したかに見えたのですが、これは脆くも崩壊しました。
ただ、この点では、二大政党制であった時間が短すぎたことに、少し、私としては首を傾げていたのですが、その後、ご承知のように、再び、自民民主の二大政党制の時代へと再び移行してきたわけで、その意味では、この後、どこになるにしろ、日本人がこのような国民性を持つ以上、政党乱立時代を経ての二大政党制定着という「両雄が並び立つ」ような体制が定着することはないのではないかという結論に達しました。
まあ、例によって、極めて、偏った物の見方かもしれませんが、その意味では、自民・民主両党は、ここしばらくが、勝負の分かれ目・・・ということになるのかもしれませんね。
如何でしょうか、後同輩。

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2007年08月31日

ちゃんこ若で織田信長と信成は天才だと思った夜

親愛なるアッティクスへ

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昨夜は、ここにいました。
元横綱・若乃花こと、花田 勝氏が経営する、ちゃんこダイニング若ですね。
思ったより、流行ってましたね。
男二人で行ったのに、まるで、密会するかのような席に押し込まれましたから(笑)。
で、若乃花といえば、私は現役時代、この人、結構、好きだったんですよ。
小兵にも関わらず、強靱な足腰で、でっかいをぶん投げたり。
弟の貴乃花と比べると、むしろ、こっちのほうが天才肌だったように思えましたよ。
ちなみに、こちらは、若乃花さんの手形ですが、彼は意外に、手が小さいんですね。
私と、殆ど、変わりませんでしたよ。

で、天才と言えば、かつて、現役時代、マスク越しの囁き戦術が有名だった野村克也現楽天監督ですが、彼が、日本シリーズ巨人と対戦したとき、王 貞治選手などには、「足の上がりが早くなったんじゃないの?」などと囁いて、打撃を崩したのに対し、ON砲と呼ばれたもう一方の、長嶋茂雄選手には、「あれ?チョーさん、構え、大きくしたの?」などと言っても、殆ど、返事が返ってこないで、たまに返ってくると、「いやぁ、ノムさん、今日も良い天気だね」などという、チンプンカンプンな答えが返ってきた・・・というのは有名な話ですよね。
この瞬間、ノムさんは「長島は天才だ」確信したと言いますが、その点では、日本史上、いや、世界史的に見ても類を見ないほどの天才児、天才の中の天才と言って良い、戦国の英雄、織田信長・・・の子孫であるスケートの織田信成選手もまた、天才だと思います。

もとより、スケートの技術的なことなどは、私にわかろうはずもないのですが、私が彼を天才だと思う所以・・・、それが、彼のあの、号泣です。
普通、人前では、ああも、人目を憚らず泣けませんよ。
クリエーターとは、ああいうものなのだろうなと・・・。
ご先祖様と、天才の種類は違うかもしれませんが、間違いなく、彼は、先祖のDNAを受け継いでいると思います。

この点では、そのノムさんとバッテリーを組んだ、往年の南海ホークスのエース、杉浦 忠投手は、昭和34年(1959年)の日本シリーズで、4連投4連勝で、巨人をくだし、日本一になったとき、感涙にむせぶ、他の選手を尻目に、「早く独りになって静かに泣きたい」と言ったといわれてますが、(まあ、実際には、ヒーローインタビューなどで拘束された結果、仲間と一緒に泣けなかったので・・・ということだったようですが、)こういうタイプは、やはり、一つ一つ固めていくタイプで、その意味では、理論家というところでしょうか。

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2007年08月30日

皆既月食の夜に想う隕石に当たって死にたいの心情

親愛なるアッティクスへ

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先夜の皆既月食はご覧になりましたか?
私も、今まで、見たことがなかったので、是非、見なきゃ・・・と思っていたのですが、例により、すっかり忘れてしまい、おまけに、こういう日に限って、残業で、いつもより遅く帰ってしまったという。


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で、晩飯食っていると、家人が、ちょこちょことベランダに出ている・・・。
気にも留めずにいたところ、ちょうど、飯食い終わったところで、「消えた消えた!」という声・・・。
初めて、事態を悟って、押っ取り刀でカメラを持ってベランダへ飛び出しました。


なるほど、これが、月食か・・・と。
まあ、だから何だと言ってしまえばそれまでのものでしたが、割と、飽きずに見てましたね。
夕涼みがてら・・・。

私が見たときは、一旦、消えてしまってから元に戻るところでしたが、聞けば、消え始めるときがきれいだったそうですね。
真っ赤になって、もの凄く、幻想的だったとか。

で、それをみているうちに、ある方の「死ぬなら隕石に当たって死にたい」というコメントを思い出しました。

数年前、ちょうど、火星地球に最接近する・・・とか言われていた頃に、家族連れで、福岡県星野村というところにある宿泊施設がある天体観測「星の文化館」に行ったときのこと、案内してくださった職員の方との話の中で、隕石が落ちてくるという話になり、私が、「突然、隕石が落ちてきたら怖いですよね」と言ったところ、その方は、「えー?そうですかぁ、私はどうせ死ぬなら、隕石に当たって死にたいですねぇ」と少し、うっとりした顔で言われました。
好きこそものの上手なれといいますが、多くの人が、「好きなことを仕事にしたい」・・・と思う一方で、その人たちのどれほどが、本当に、ここまで入れ込めるのか・・・と少し考えさせられました。
おそらく、彼は、一生、を見て暮らして行ければ、世の中の毀誉褒貶などというものには無縁でも構わないんでしょうね・・・。
なぜか、少し羨ましかったことを思い出してしまった一夜でした。

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2006年01月03日

また戻ろうかと

519c038b.jpg思ってます。

色々、使ったけど、やっぱ、ここが一番、使いやすかったかな・・・と。
当時は、不満だった点も、テクも色々覚えたし、今なら問題ないかもね。

でも、引っ越しするのが面倒だし・・・。

やっぱ、もう少し、考えよう・・・。

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