2005年05月19日

外務省が外務省であることの弊害

親愛なるアッティクスへ

高級官僚の堕落という問題は、やはり教育というものを抜きにして考えられないのでしょうが、ひとつには、戦前のように何のために高級官僚になるのかという命題が、今や国家自体になく(明治から戦前までは、何も言わないでも、「坂の上の雲」を目指すという命題が国家にはあったわけで)、その点、現代の日本はアメリカにおんぶに抱っこをされていることで、親方日の丸ならぬ、親方星条旗の意識から抜け出せない官僚の志を低くさせているのだと思います。
極論すれば、大学に入るまでが、すべての命題となっており、なぜ官僚となるのか、官僚となって何をするのかが、はっきりしないままに官僚となることが問題なのではないでしょうか?

しかし、それにしても、日本の外交は何故に、こうも貧困になってしまったんでしょうか?
戦前は山座円次郎、吉田茂、重光葵、松岡洋右、幣原喜重郎と綺羅星のごとく人材を輩出したのに、(草葉の陰で陸奥宗光は泣いていると思います。)これは時代と制度とマスコミが外務省を霞ませただけで、太陽が隠れれば月は輝き出すのかと思っていましたが、どうもそうではないようですね・・・。
愚考するに、外務省の停滞、これこそ、「外務省外務省であることの弊害」なのだと思います。

即ち、外務省ではなく外務庁こそがあるべき姿だということです。少なくとも、今の日本国民の認識がそうなのです。
直接、国民の生活に関係ない外交であるから、誰からも注目も賞賛も浴びない。
それが、外交官の覇気も失せさせ、気位が高いだけの官庁にしてしまったと言えなくないでしょうか?
以前、キケロにそう言ったら、彼は「それはあなたの勘違いだ。外交というのは大事な物であって・・・。」と言われました。
では、その論で言うならば「防衛はどうなのだ?」と私は言いたい。
防衛庁防衛庁であり防衛省ではない。
防衛は必要ではないのか?重視されなくていいのか?
これ即ち、防衛が大事だと国民認識していないからにほかならず、一方で、外交は大事だと誰も認識していないにも関わらず、外務省であり続ける・・・。
そこのところのねじれこそが、外務省の質の低下をもたらしている一因なのではないでしょうか・・・。

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heitaroh at 19:10│Comments(2)TrackBack(1)clip!政治システム 

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1. 外務省のHP(教科書&靖国)  [ 時事を考える ]   2005年06月15日 23:48
教科書検定制度をHPで海外に紹介…外務省とのこと、小泉さんが何故靖国に参拝するの

この記事へのコメント

2. Posted by 池田平太郎   2005年06月23日 13:33
>ジンマーマンさん

>福沢諭吉の立身出世は現代において実現しましたが・・・

爆笑!!
大隈重信がお札にならないのは、現世ですでに立身したから・・・。
なかなか、納得できるような気がします。

ノーブレスオブリージュ・・・ですか。
今、その役割をしているのが、二世議員でしょう。
現実にその人たちの方が力を持っていると言うところにも、日本にも、こういうものを許容する風土があるのだろうと思います。
1. Posted by ジンマーマン   2005年06月23日 02:01
福沢諭吉の立身出世は現代において実現しましたが、けれども彼らはノーブレスオブリージュを忘れてしまったんですね…。ご指摘の親方星条旗がプライドを阻喪させる要因でしょうねぇ。彼らのゲマインシャフト破壊するためには人事における風通しの良さも必要だと思います。つまるところ官僚というものはいかに有能であれ、組織の論理を優先するものですから、その科挙的な閉鎖性を打破するためには、民間の有象無象を一定比率、採用すべきと思います。後は官に対する民としての政治家の力量と器しだいでしょうか…。

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