叔父

2024年03月11日 23:45

1年ぶりくらいに叔父さんと会いました。
昨年、遅くなってしまったけど大叔父と大叔母の遺影と墓前でお線香をあげに行って以来。
母の体調を慮って、わざわざうちの近くまでやってきてくれた。

叔父さんめっちゃ元気。
仕事もしているし、地域の行事ごとのお手伝いも好きでやっているみたいで。
基礎体力のパラメーターが私の4倍くらいある気がする。

『お姉さん(母をこう呼ぶ)、横浜いるときは僕に声かけてくれれば自分が車運転しますから。どこへなりと行きたいところへ行きましょう』
と母を気遣って言葉をかけていました。

多分それは母がそろそろ免許を返納しなきゃいけない、みたいな話からの流れだった気がする。
私は無責任に次の免許更新の実技で教習所で伝説を残してから返納しろとか適当なことを言ったのに対して、なんて優しい人なのだろうか…。



2021年08月05日 23:45

長崎のバリバリ働いている方の叔父Aに無事お中元が届いた。
母が長崎にいる間は仕事で忙しい合間に様子(体調)を見にいってくれたり、家電の調子を見てくれたりとしょっちゅうお世話になっています。

飲み物の詰め合わせを送ったんですけど、叔父がお酒大好きかどうかがわからなかったからビール詰め合わせではなく普通の飲み物詰め合わせに。
それなら家族でもOKかなと思って。

入院している方の叔父Bには、iPod Classicが壊れたのでどうしよう、スマホに曲入れてsimカードは抜いておくか、みたいなことをちょいと前に悩んでいたのですが、最終的にはiPod Touchにしました。
理由はいくつかあるんですが、叔父Bにとっては一番使いやすく操作できるかなという点。

音楽と、あとはまあ病院の周りくらいですけども風景撮影するのにカメラ、撮った写真を見られるフォトフォルダだけ残して消せるアプリは全部消し、消せないけど不要に触らないほうが良さげなものは全部フォルダに入れておきました。
ただ、病院側の事情でいまなんぴとも面会できない状態となってしまったので、ワーカーさんの中で一番信頼できる方に母は説明して託した状態。

叔父Aから電話をもらいまして。
3人の子供らの近況も聴いたり。
あらかた成人しているからもう子供って年齢じゃないかもしれないけど。
上の二人はもう大学卒業して就職している。
歳月の速さに驚く。

こーんなちいさかったころはさ、

『ねずみは、髪の毛が長く伸ばしてるのなんでー?』

ってケラケラ笑ってたおガキ様だったのに。
いつになるかはわからないけど、会えたときにその話もしようっと。
(そしてうざがられる)

2019年01月31日 21:51

日々の合間、叔父のデジタル一眼レフカメラの説明書を読んだり家の中で試し撮りをしたり。
試し撮りの後にデジカメのSDカードをPCで読み込もうとしたらエラーが頻発しまして。
何回もフォーマットを薦めてくるのでそうしてしまおうか、と考えたけど、はたとかつて使ったデータ復旧ソフトをインストールしてたことを思い出して試してみる。

そうしたら叔父が撮影した写真が何枚も出てきた。
病院周りの風景とか、たぶん交流のあった人の写真などなどがでてくる。
その中で綺麗な風景の写真があったので2枚ほど。

#863603


#863393


叔父、写真が上手だったんですよね…。
過去形にしてはいけないか。上手なんです。
デジタル一眼レフの前、叔父が祖母から譲り受けたフィルムの一眼レフで自然風景、特に野に咲く花を撮ったものに綺麗な写真があって。
今も長崎の家にはにプリントアウトした写真がいくつか飾られているはず。

一眼レフが叔父のものになる前、つまり祖母が元気にしてた頃に撮ってた写真はというと、生花の先生をしていた人なので自分の作品を自身で撮影をしていたんです。
そちらの写真もすごく綺麗だった。
祖母は生花の写真で叔父は野に咲く花を、という同じ花でも異なる趣を被写体にしていたのは面白いことです。

2012年04月21日 23:45

叔父が東京に来た話の続きエクストラ。

4月4日。想定外の6日目。
叔父が帰った日。

爆弾低気圧は無事過ぎ去り、翌日、叔父は振替の飛行機で長崎へと帰って行きました。
ホテルでチェックアウトになっても寝ていないか、乗る便の時間に間に合うかが気になって
いたのですが、ちゃんと乗れたようで一安心。
母は緊張の糸が切れて大爆睡したそうです。

色んな目論見の外れた観光案内で、悔いの残ることが多かったです。
私にはどうすることもできなかったこともあれば、私の事前サーチでもうちょいましに
なったであろうことも。

来年以降にまたやるのかどうかは…叔父の気分もあるだろうけれど、それ以上に
母の気分次第かもしれない。
今回ほんとに体力的・精神的に負担をかけてしまったので。
差し出がましいことを言えば叔父にもうちょい体力をつけて欲しいし、なによりも携帯に
電話したら出て欲しい!笑
普段は使わなくてもいいから、不測の事態のときのために使い方くらいは覚えていて
ほしいなぁ…。

2012年04月20日 23:45

叔父が東京に来た話の続きその4。

4月3日。5日目。
叔父が帰る日。

しかし…この日は覚えている方もいるかとは思いますが、関東圏にも稀にみるほどの暴風雨が
襲いかかりました。
午後からその勢いは増し続け、会社からは帰宅困難者となるまえに各自早期帰宅の通達が
でるほどでした。
30分ほど様子を見ていたましたが私も帰ることにし、17時頃に帰宅しました。

間もなく母から電話があり、どうやら暴風雨で羽田からの全便が欠航。
利用客は羽田駅から退出するようお願いが出され、叔父はモノレールで浜松町に行き、
そこから横浜へJRに乗って行こうとしたところ、川崎で止まって立ち往生、という状況だと
知らされました。
母は叔父とは別行動をしていたので、逐一電話をかけて現状と聞き出したそうです。
で、母が何件かのホテルに連絡したところ、案の定どこも満室になっているなかで、前日に泊まった
ホテルが1室だけ空いてたのでなんとか確保をしたと。

私はとりあえず飛行機を翌日の便に変更し、ようやく帰宅した母とどうするべきかと悩んで、
これはもう家から川崎までタクシーで行くしかないと結論を出しました。
で、叔父を回収してそのまま横浜のホテルまで行こうと。
そんなわけでタクシーを捕まえて川崎まで行きました。
ところが叔父がここらへんにいるよ、と言ってたタクシー乗り場近辺にいない。
電話を何度かけてもでない。タクシー待たせたまんまで募る焦り。
で、改札にいったらぬぼーと立ってる叔父。
会って開口一番に「なんで電話でないの!?」とちょっと強めに言ってしまいました。
完全に昨日の母の二の足。
叔父は悪びれない様子で、いやぁ着信に全然気づかなくて、と。

とりあえず埒あかないのでタクシーのところまで叔父をひっぱり、横浜のホテルまで行って
もらいました。
家から川崎までいき、横浜へ引き返す道のり。
高速道路を使って13,000円也〜。
ちなみに長崎から羽田までの片道の航空チケット、最安値の9,800円でした。笑

もーほんとへばった。
続く。

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