とうとう6月に入りました。梅雨入り間近なはずですが、意外と好天続きのこの頃ですね。
ところで6月は春?夏?
横にいた医局事務○田さんに訊いたら3,4,5月が春で6,7,8月が夏だとのこと。言われてみればそうですね。じゃ、今日は夏の6月なのですが、まだ春のさよならへむくの続編が残っていました。季節感のないお題で申し訳ないのですが、愛すべき名物スタッフ(司会者?)の愛の溢れるさよならヘムクなので、季節を超えてご紹介します。

ちなみに彼の記事がこちら↓

http://blog.livedoor.jp/hemc/archives/53142125.html
http://blog.livedoor.jp/hemc/archives/51148734.html

毎回彼ならではのポップな文章ですが、今回もさらにポップです。当ブログの自主規制ラインすれすれの福利厚生関連の記載も含まれていますが、彼の人となりと当センターに対する愛情を100%お届けするべく、本日も原文のままお届けします。

では○橋先生のさよならヘムクです。最後まで読んだら、写真を見てずっこけてください。○チュー、最後までやるなー。

HEMC愛ここに極まる

名古屋市立東部医療センター 救急科 ○橋 一   

 

『さよならヘムクを至急送られたし!』松山先生からそんな書き込みがFacebookに入った。忘れていたわけではない。『(○田先生も含め)君達のさよならヘムクは一言では済まさない』と通達はされてはいたのだ。ただ、書くことによってHEMC生活を一切合切精算するような気分になりそうだったので筆が進まなかった。しかも『今月号の目玉記事にする』、というのである。無茶である。前のDMATブロック訓練の時のようなポップな文体を求められている気もしたが、今回は趣向を変えてエッセイ風の文体にし、HEMCの思い出を徒然なるままに振り返ってみようと思う。少しでも目玉に耐えうると良いのだが・・・。

 

土着民。正に自分は名古屋の土着民である。幼稚園から予備校まですべて名古屋。大学こそ名古屋を出たが、名古屋の隣の長久手市である。到底出たとは言い難い。初期研修先の病院といえば、自宅そばの自分の産まれた病院をわざわざ選択する始末であった。

そんな自分が外に出ようと決意したのは閉塞感と焦燥感ゆえであった。初期研修から8年目を超すまで同じ所にいた。それにより自分の中に生じた微かな驕りに気付いて以降、焦燥感はこのままではダメになるというヘンな確信に変わった。変革の時が訪れたのだ。

救急外来ローテーションの際に気付いた重症救急への興味を掘り下げることとした。関東も考えたが、情報収集の結果、神戸に三次救急のみを取っている希有な病院があることを知った。ホームページの医師募集フォームを入力してぽちっと送信する。時は201547日。そう。この瞬間から自分とHEMCとの関係がスタートしたのだ。

見学に行って、○上先生・○賀先生・○田先生に良くしていただいたのを憶えている。当直もお願いしてあったが、見学者バリアーにより24時間で肺塞栓の転院搬送の1件のみであった。後に囁かれるMの呪いはこの時はまだ効力を持たなかったのだ。雰囲気がなぜか気に入ってしまった。こういう直感は大切にしている。イヤな感じがしなかった。ほぼ自分の意志は決めた上で2回目の見学に行き、最終決定とした。妻も神戸はオシャレで、美味しそうなものたくさんありそうだからとあっさり了承してくれた。
 
井の中の蛙、大海に出る。一人暮らしが初めてで、当初単身赴任であった蛙は就業前から容易にホームシックに陥った。待ち受ける未知の大きさに恐れおののいた。慣れぬクッキングをしてみても気は紛れなかった。本格的な始業開始前に開催されたHEMC BBQは人見知りにとって鬼門であった。しかし、準備と称した六甲山ドライブは楽しかった。一緒に行った看護師さん4人はその後も話しかけやすい存在となり、正に女神となった。文字通り最後の最後までお世話になった。

初の病院移動であったため、慣れていないことにすら慣れておらず、何から何まで出来ないポンコツに成り果てた。最初の2ヶ月は毎日病院に行きたくなかった。鬱ってこんな感じかと思ったりしたが、そう思えるって事はまだ余裕があると思うことが出来た。

むらちゅー1

そんなある日、ある一団から売店に甘いものを買いに行こうと誘われる。後に名を馳せることになるHEMCスウィーツ部(ライバルは炭酸部)にスカウトされたのだ。○仲先生・○田先生・○田先生はすでにスウィーツライフを謳歌されていた。メガネ男子四人に、後に紅一点の○本先生を加えて完成形をみた(○形先生と○村先生は入部に対して終始頑なであった)。日々の業務は部活と供にあったと言っても過言ではない。忙しくて部活参加出来ない日には冷蔵庫にそっとスウィーツが入っており、疲れた脳に染み渡った。おかげでHEMC慣れするのにブーストがかかった。今でこそメンバーが2人離散してしまったが、この5人の絆は永遠なのである.。

ムラチュー3
 
初めて乗ったドクターカーは忘れ難い経験であった。神戸港の花火でプレジャーボートが転覆した。松山先生と○井さんと出て行き、ひとりあたふたして終わった。その後松山先生とは高速艇衝突の際も一緒に当直しており、まさに水難ペアであった。

半年が過ぎる頃になぜか忘年会の幹事に抜擢される。半年未満の人見知りにそんな大役を任せるなんて正気かと感じた(幹事なだけに)が、○田先生の御尽力によりなんとかなった。開始早々に松山先生から『合格!』をもらえて心底安心した。その時着た黄色い着ぐるみによりその後の方向性が決まるとはこの時は思いもよらなかった。チューチュー叫んでいるときは心地よかった。これ以降、川瀬先生からもムラチューと呼んでいただくようになるほど浸透していった。

 

2年度目になり、麻酔科チームが53人となり責任が一気に増した(後に○上先生の愛の鞭であった事が判明する)。上の先生方にどれだけ頼っていたかということを思い知った。甘えが効かなくなった。それでも初療の看護師さんにも支えられ、何とか1年を乗り越えることが出来た。カツカツの麻酔担当と待機を供に回した○根先生・○斐先生は正に戦友とも言える存在と感じている。

大空への憧れは男の子なら少なからず持っている、ものだと思っていたが、そうでもないらしいと感じたのはヘリ講習である。身近でヘリコプターを見たうれしさで終始口角上がりながら写真撮りまくった自分と比較して、一緒に受講した○川先生と○口さんはいたってクールで、自分は明らか浮いていた(ヘリだけに)。まあ、うれしすぎたので一向に構わなかったのだが。

入職から1年もするとようやく余裕が出る様になってきていた。そんな中、忘れられない症例に出逢う。Hybrid ERでの開腹症例第一号となったその症例は自分の外傷診療ストラテジーの未熟さを如実に炙り出し、心肺停止になるという現実を突きつけてきた。その場に一早く駆けつけてきて下さった○嘉山先生をはじめ諸先生方に御尽力いただき、どうにか脳予後良くリカバー出来たことはよい教訓となっている。

DMAT研修4日目の実働訓練は悔しい記憶として脳に擦り込まれた。めくるめく押し寄せる患者に対応しきれず消防の足を引っ張りまくった。それまで受けてきた3日間の研修はテンパりの挙げ句、そっくりと忘却の彼方であった。HEMCにいたからこそ経験することが出来た立場であったのでとても貴重な体験ではあった。リベンジしたいような、絶対したくないような何とも言えない感覚である。

メディカルラリーの練習にたまに参加させていただいた。腸が飛び出たムラ-ジュをつけて○川先生を罠にかけた。見事に罠にかかった彼に対して『腸は超大事だ』と○輝先生ばりの台詞を言い放った。チームが千里ラリーで2位を獲った時は自分のことのようにうれしかった。

神戸は美味しいお店が多い。○形先生と○田先生にお店を聞いて2番当直入り前のランチに行きまくった。洋食は岩屋の『SAEKI』が衣サクサクで断トツに気に入った。六甲道にある『かもめ食堂』もお気に入りであった。ラーメンのお気には岩屋の『ENISHI』で、腹持ちがハンパなく、一度食べると次の食事は抜くことが出来るという現象を幾度も経験した。妻はパンとお菓子に夢中であった。家にパンがあふれていた。食パンは住吉の『BENCH TIME』、お菓子は御影の『Maman et Fille』がお気に召したようであった。

学会でいろんな所へ行かせていただいた。札幌の夜は楽しかった。目標の一つとしていた海外発表をなんとか叶え、San Antonioへ行くことができた。英語力の無さ故、発表は石原先生におんぶに抱っこ状態であった。石原先生が留学されていたBrooke Army Medical Centerの見学ではアメリカ軍の本気を見た。熱傷を軍の総力を挙げて治療しており、そのための研究施設もあった。金魚鉢サイズのマルガリータ(テキーラベースのカクテル)はよう飲めず、○田先生にほとんど飲んでもらった(飲ませた)。○集院先生とハーゲンダッツを御一緒させていただくという貴重な体験も出来た。

 ふらっとやって来てふらっと帰る予定の名古屋人にもHEMCの皆さんは本当に優しかった。3つ言われたら1つは忘れてしまうという習性にもICUHCUの看護師さん達は根気よく付き合ってくださった。気分屋で浮き沈みが激しいと自覚しているが、温かく接していただけた。本当に良くしていただいた。自分としては働く上での人的なストレスがほぼゼロであった。病院全体が明るく、中山センター長の御人柄がそのまま表れていると思っていた。

神戸生活が残り少なくなってくると、景色がすべてキラキラして見えた。HEMCにいる時間もゆっくり過ぎて欲しいと思った(データ集め・貯まっていた書類処理で時間は本当に足らなかったのだが)。やり残したこととしてポートタワーに上ってみたり、ハーブ園からの夜景を見てみたり、北野ホテルに宿泊して朝食を食べてみたりした。こんなに神戸が離れ難くなるなんて思ってもみなかった。例年より早咲きの桜が、もう一度自分に神戸の桜景色を見せてくれた。8分咲きの『桜のトンネル』を通り、村橋家は神戸を後にした。後ろ髪を引かれまくっていたのは言うまでもない。

 

名古屋に帰ってきて、山のような荷物を片付けきらないうちに新年度が始まった。名古屋市立東部医療センターにて、かつての上司の下で今度は一次・二次救急の訓練をしている。研修医以来ではあるが、研修医の先生達と供に四苦八苦している。そんな日々を送り、見慣れた街の風景の中にいると神戸にいたのが夢だったんじゃないかと思うことがある。しかし2年弱の間に少し変わった町並みや、LINEFacebookでの繋がりが以前までとは違った何かが自分の中に存在している事を思い出させてくれる。そんな中、神戸の美味しいもの達と供に送別の色紙を小包で送っていただいた。(まだ離れて2週間強しか経過してはいなかったのだが)久々にHEMCの皆さんの温かさに触れる事ができ、鼻の奥に熱いものを感じた。自分の中にこんなにもHEMC愛があるというのを自覚した瞬間であった。

一念発起してスタートさせた大冒険は皆様に支えられて無事に終了することが出来た。そしてその中で培われた宝物を携えて次の挑戦を開始することも出来た。また皆さんのお目にかかれる時がきっと来る。その日を心から楽しみにして筆を置こうと思う。

Nagoya city East Medical Center  HEMCそっくり!

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9ヶ月の間、どうもありがとうございました。


ムラチュー4
なんとヘムクならぬネムク!?

Nagoya city East Medical Center 
HEMC
そっくり!