2011年07月10日

ブログ

このブログ、久しぶりにチェックしたところ最近でも訪問者がおられるようです。
まーたぶん何かの検索に引っかかってのことなのでしょうが、ありがたいものです。

とはいえ、ヘミも卒業(?)したのか、ここ数年聞いてないので今後このブログはあまり更新することも無いと思い、ちょっと宣伝を。

私の公式サイト(?)設置してあります。
こことは違ってスピ系、オカルト系ネタは封印してます。
オフィシャルに自分を打ち出す場合、そういう面は拒絶される方が多いので・・

新たなブログもやってます。
興味がある方はぜひ。
ちなみに、向こうでこのブログのことはオフレコです(笑)。

まーもともと匿名だってことが前提で書いてたブログなんで・・

このブログを長いこと続けたおかげか記事を書くネタは若干オカルト色にそまってますが、
基本真面目に考えてのブログです。
このブログとのリンク(この記事)はその内削除するかもしれません。




追記… リンクを削除しました。興味のある方はコメント欄にメールアドレス等連絡先を記していただけば返信いたします。
コメントは投稿時は非公開の設定ですので、個人情報等が気になる方は、公開せずにメール送信後、削除させていただきます。

2010年08月30日

久々にブログを更新です

何年(?)もほったらかしにしていたにもかかわらず、訪問してくださっている方々がおられるとわかり、
急きょ何か記事にしなくてはと焦ったのですが、何を記事にすればいいのやら。


何はさておき更新です。
あれから私も何度か意識が更新されております。
何のことやらではありますが、相変わらずの指先任せのオートタイピングです。

ということで更新に先駆けて棚の奥から引っ張り出したゲートウェイをWave気ら聞いてみたのですが、気持ちよくうたたねをしただけでした。

その気持ちよさは相変わらず最高で、目覚めたときの爽快感は病みつきです。
そんなこんなで三日ほどWave気CD1の、Track2を聞き続けてみたところ、
その後数日間やたらとリアルで鮮明な夢を見続けることになりました。

単に昼寝をした分眠りが浅くなって夢を見たとも考えられます。
私の本来の目的は今もビジョンを見ることです。
夢とビジョンは同一では有りませんが、時たまややこしく
「関連しているのでは?」
と考える内容であったりもします。

ただ、基本的にビジョンは夢ではありません。
衝撃的に受け取るものであり、理屈なしで納得させられるものです。

ただし、物事に対しての “判断” は非常に重要です。
むやみやたらに納得してはまずいのでありますが、人は経験から物事を判断することが出来ます。
経験は大切です。

経験から判断できないことが起こった場合は最善の手段は 「放っておくこと」 です。
勝手に状況に変化(もしくは変化なし)があり、それが経験となっていくわけです。

ということでおかしな夢を見た時は取り合えず放っておきましょう。
もしくは夢判断・夢占いの楽しいネタに使いましょう。


2009年10月26日

そういえば

先日私結婚しました。

最近は慌しい日々だった所からようやく開放された感じで、
「このままじゃいかんな」
とか考えていた折、就職活動もしてないのに仕事の話が入ってきた。
以前勤めていた関係の仕事だが、タイミングが絶妙だ。

人生は「運が良い」とか「運が悪い」とか、判定基準を自分で創って見つめがちだけど、そういった思考のフィルターを儲けずにただ、「受け止めていくだけ」というスタンスで感じてみると解ることがある。
何だかんだでうまく出来ているのだ。
フィルターをかけていると実は見逃してしまっていることが多くあるのだと思う。

とはいえ、制作の仕事も溜まっているし、こなしていけるのか・・
この先どうなることやら・・ というのが現状w

この「不安」こそが解っていても取り除けない何よりも強力なフィルターだったりする・・!

2009年10月15日

猫の不思議

我が家の猫は(どの猫もそうだろうけど)気まぐれである。
抱きかかえようとすれば抱かれることを拒否するし、そうかと思えば甘える時はこちらの事情はお構い無しに膝に飛び乗る。

最近までそういうもんだと気にも留めなかったのだが、ちょっと気付いた事がある。

先日忙しく作業を続けていた私は寝不足が続いており、さらに完徹するハメになって体力的にも精神的にもギリギリの状態だった。
で、座り込んで考え事をしていると膝に猫が乗って動かなくなった。
追い払う気力も無かったので、取り合えずそのまま膝に乗せていたら数分で降りてプイッと出て行った。

気が付いたら私は眠気もすっきり、体力もいくらか復活していた。

また、先日激しい腰痛に襲われた私は動くこともままならない酷い状態で苦しんでいた。
で、ソファーに腰をかけて考え事をしたりメールを打ったりしていると、膝に猫が飛び乗った。
しばらく膝で抱きかかえていると数分で飛び降りてプイッと出て行った。
すると今度は腰の痛みが半減して動けるようになっていることに気が付いた。


動物や植物には癒しの力があるとか言うが、まるで体力を回復してくれるアイテムのような働きぶりだ。 痛みや疲れを引き取ってくれたようにさえ思う。

猫の気まぐれな行動は、実は人知を超えた範囲で行われているものなのではないかと思う。
偶然っちゃあ偶然だろうし、もう二度とそんな気の利いたサービス(?)はしてくれないかもしれない。 なんせ気まぐれなのだ。(逆にエネルギーを奪われている時もある気がする)

まぁ、そういうありがたい効果を実感したことで私の猫を見る目は一変した。
感謝感謝の気持ちで可愛がっていきたいと思う。


間違っても

「さぁ猫ちゃん、おいでおいで」「私を癒して〜 回復させて〜」

なんて打算的な飼い主になっちゃあいけないw きっと見返りなんて無いだろう。



2009年08月24日

続き

前回、理性や感性まで取っ払ってしまおうと書いたが、その点をもう少し考えて見る。
理性・感性というものはその人の個性である。
個性というのはその人の習性、クセのようなもんだ。
アイデンティティーという言い方で尊重されたりもするが、絶対的なモノではなく、味付け程度の価値だと私は考えている。
覚醒するためには “ 個 ” であることを置いておく必要がある。
だから個性は取り合えずいらない。

でもやはり “ 個 ” でありたいと人は思う。
個として覚醒したっていいのだが、そのための引き金として個を外すのだ。
それがフィルターを外すことだから。
ある意味自己否定が始まりなのかも知れない。
本来自己を否定する必要は無いと思うのだが、しがみついて手離したくないと依存している場合は困難であり、限界があるのだ。

ただぼんやりしたり、朦朧としたりするのではなく “ 見よう ” という意思を持って視点となる感じ。

すると、何も見えない。
何も見えないことに抵抗せず、それを知る。
変化など無いし、それが当然だからそれでOK。
でも何かを探してもいいと思う。
それが視点の当然の働きだから。

で、何も見えないし感じないのに理解やその時求めていた何かが訪れる。
透明で綺麗な感じの理解。

それはそれ以上の言葉になるものではないと思うが、詩人はそれを詩に詠い表現してしまったりするからたいしたものだと思う。

用は価値を知るわけだ。


まだまだ私は探求中だからうまく説明できないが、こういう経験を時々繰り返すだけで楽しくなってくる。
きっと背負っていた不要な重荷を降ろして少しずつ身軽になれるからだと思う。
なんというか、自由になりたいのだ。

思考は思考の外に出ることが絶対に出来ない。

思考は自分自身を縛り付けているのだが、その縛りを解くことは出来ない。
だけどあきらめをもった思考になることは出来る。
すると逆に思考の行動可能領域が広がるのだ。
ま、そこにどんな価値があるかはわからないが。

hemisync1 at 22:38|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)雑談 

2009年08月22日

ドラッグについて

芸能人は大変だ。
ファンや多くの観衆、視聴者の前で彼らの望む姿でい続けなければならないってのは相当辛かったと思う。
酒井法子さんなんかは未成年の頃からずっと清純で天然なキャラで通してたわけだけど、人間荒れるときは荒れるのだ。

私なんかも今はだいぶ常識人(w)だと思っているが、中学辺りから親に対して、学校や社会に対して、抵抗や反抗の意識が芽生えたわけで、多くの人と同様に反抗期を経験している。
「 人に決められるのではなく自分で生き方を選択したい 」 と、常識もまだ身に付いていないくせに偉そうなことを考えていたわけだ。

その結果、けっこうメチャクチャやったし、その時はそれこそ最高の武勇伝のようにさえ感じていた。
今となっては何をしたか言える訳もなし、たんなる人生の汚点となっているのだが。

だから酒井法子さんが覚醒剤やって逃げて、表の顔と違った一面があったことに非常に納得させられている。
彼女は色んなことから解放されていたのだと思う。

ま、結果として失うものの大きさは桁違いな訳だけど。



 ・・で、覚醒剤についての私の考え方だけど、やっぱりあまりよろしくないと思う。
法的にとか健康的にとかの観点からではなく、それがもたらす効果についてそう思う訳だ。

芸術家や表現者の中にはそういう非現実的な可能性を求めてしまう人もいるし、限界や壁を越えたいという思いから何かしらのトリップを求めたりすることがある。
近代のパリで多くの芸術家達がアブサンで身を滅ぼしたこともそういった人間の弱さからだと思う。

しかし実際そんなもの必要ないのだ。
意識を覚醒させるには思考や感性といった意識が身にまとっているその人自身の心のフィルターを外してやればいいだけなのだ。
これは意外と重要なことだと思う。
私は最近そういうことを発見した。

意識というのはその人にとっての視点となる部分でありその人自身でもある。
その “ 視点 ” が思考や感性を発生させ、そこからその中に答えを見つけようとあーだこーだうねるのだ。
自問自答、禅問答・・ しかしその枠の中で生み出される答え、表現はせいぜいたかが知れるのだ。

よし、じゃあ覚醒しようじゃないかってことで、ドラッグを使う人が現れる。
確かに枠は取っ払われて普段とは違った世界が見えるかも知れない。
でもその時の意識、つまり “ 視点 ” はどうかというと、混濁している訳だ。
これは酒で酔っ払った状態を考えればよく解る。
人間の肉体は覚醒剤やアルコールに対して無防備であり、まして意識的に望んだ通りのコントロールなどは望むべくも無い。
覚醒剤で混濁してたら本末転倒だ。

本当に覚醒したければ “ 視点 ” を定めてから幾重にも重なっているフィルターを、つまり思考や感性、理性、経験、あらゆるうねりを取り払ってそこに見える世界を “ 観る ” だけでいいのだ。
「 感性や理性まで!? 」 と抵抗を感じるかもしれないが、その抵抗はただのうねりである。

一種の瞑想だと思うけどこれには宗教家のような修行の必要も無い。
簡単なこと過ぎてバカバカしくて、無意味に感じてしまうかもしれない。
でもそういうもんなのだ。

とか言っている私も酒は呑む。

hemisync1 at 08:53|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)雑談 

2009年06月11日

久々に

ずっと放りッぱなりていたけど久々に更新してみました。
といっても特に記事は無いです。

最近何かと忙しいのですが、近々まとまった内容で更新したいと考えております。
最近ヘミシンクは聞いていません。
いつからか解らないくらいですw

必要性や好奇心があればまた活用すると思いますが、今はわざわざそういう特殊な時間を設ける必要性を感じていません。
あえて「特殊」という言葉を使いましたが、最近実感として認識するに、日常の全ての時間や空間、感覚に関する意識が変化しており、あえて「特殊」と捉えるべきものなど無いと感じるようになっています。

そもそも認識できるこの現実を今認識出来ているかどうかが大切なポイントです。
きっとこれまでの私のスタンスに問題があったのでしょう。

よく解らない内容でしたが今回はこんなとこです。

2009年01月11日

ヨーコさん

「 世界一受けたい授業 」 という番組で久しぶりにオノ・ヨーコを見た。
昔から私の知人には彼女を好きな人が多くて、私も結構影響されていたと思う。
まぁ、彼女はハチャメチャに頭が良いから別次元の存在なのかもしれないが、表現者としての指針を明確に示してくれるのだ。

ああいう人がいてくれると芸術の意義が明確になるからいいと思う。
番組を見ている間胸がジンジンした。

2009年01月01日

あけまして

おめでとうございます!
今年はヘミで眠って年を越しましたw
初夢見まくりでしたが内容は・・
刑務官にどやされながら延々と刑務作業orz なんだこれ?
夜中には轟音で目が覚め、なんともかんとも・・

でも見れないと思っていた初日の出も無事に拝めました。

それでは、今年が全ての人々にとって素晴らしい年となるようお祈り申し上げます。


2008年12月31日

2008年も・・

早くも大晦日。
もう数時間で2009年・・!
最近ますます更新さぼり気味ですが、覗いてくれた方々ありがとうございました。
また新年も覗いて見てください。

それでは良いお年を!
ヘミ聞いて寝ますw