テレビを観ていて出演してるパーソナリティの発言に共感する事なんてホトンドないんだけど、今夜の『スタメン』での爆笑問題の太田光の発言には、なかなか共感するものがあった。

ホワイトバンドってのは、もはや説明はいらないだろうが、いちおう謳い文句を書いておく。


ホワイトバンドホワイトバンドは、貧困ゼロを求める意思表示のバンドです。
ホワイトバンドをつけることで、「貧困をなくそう」とあなたが思っていることを表します。
ホワイトバンドをつけることで、あなたも世界中で行われている、貧困を終わらせようとするムーブメントの一員となります。
つまり、大切なのはバンドを身に付けることなのです。


この活動の目的は政策提言にある。ホワイトバンドの売上を寄付することが目的なのではなく、ホワイトバンドを身につけることによって難民問題に関心を持とう、それによって国の政策に働きかけていこう、というのが活動の目的だ。
しかしこの政策提言という目的が意図的か無意識的か知らないが、積極的にアピールされなかった。そのため『活動団体が寄付金を1円も納めていない』という事実に気づいた人たちの疑惑と不満が大きくなり、ネット上では大問題となった。
この一連の騒動は『ホワイトバンドの問題点』というサイトにまとめられている。

もともと身につけるのは「白いモノならなんでもいいから、とにかく意思表示をしよう!」という活動だったのだが、商魂逞しくプラスチックの白いブレスレッドを1個300円で販売しているのは個人的にも「どうなのか?」と思うし、それをクラブイベントなどの呼び込みに使ってるのも納得できないのだが、それはまあ置いとこう。

番組では12月8日のジョン・レノンの命日に関する特集があったのだが、ジョンのラブ&ピース活動について太田光の熱い発言があった。要約しておくと-------

ダブル・ファンタジー「殺された当日、当時は気持ち悪いとさえ思ったダブル・ファンタジーのジャケットがレコード店にずらりと並んだ。けっして美男美女とは言えないジョンとヨーコのキスシーンがアップになっているジャケットだ。
ジョンの平和活動は様々な批判や妨害に遭いながら続けられた。その最大の障害は「ビートルズを解散させた女」として世界中から浴びせられたヨーコへの心ない非難だったはずだ。それはジョンにとってどれほど悲しいことだっただろうか。
ジョンのラブ&ピースの形は最終的に『自分とヨーコとの間に存在する愛の力だけは確かなモノなのだ』と確信することに収束していった。大人になって改めてダブル・ファンタジーのジャケットを眺めると、それが痛いほど伝わってくるのだ」
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『やらない善より、やる偽善』という言葉がある。それはそうかもしれない。しかし完全にファッション化された日本のホワイトバンド活動はなにかを生み出すのだろうか?

たぶん何も変わらないだろう。選挙にも行かず、国際問題にも無関心で、ODAの意味さえ知ろうとしない連中が、ホワイトバンドを腕に巻いて、深夜のクラブで糞みたいなJ-RAPに合わせて踊ったところで世界は何も変わらないし、ホワイトバンドの売上で東京タワーをライトアップしたところで難民の悲しみは癒されない。
「どんな小さなきっかけでも物事に関心を持つことが先決だ」という正論は理解できるが、現実感が乖離した問題をいくら語ったところで、本質なんかまったく見えやしないのだ。

いま緊急にやらなければならないのは、ホワイトバンドなんか腕に巻くよりも、自分の恋人や親や子供や身の回りの人々に、自分の持てる最大の愛情を注ぐことではないのか?
連日のように幼児が殺され、子供が行方不明になり、年間の自殺者が3万人を大きく上回り、金のためなら他人の命さえ顧みず、株の値動き一つに血眼になってる守銭奴が溢れ返るこの日本で、いま大切なのはせめて身近な人を強い愛で抱きしめてやることだ。他人の存在価値を自分と同等に認め、自分を愛するのと同じくらいのエネルギーで他人の命を顧みることだ。
それが太田光の言う『ジョンが死ぬ間際までヨーコに示し続けたラブ&ピース』というものだと思うのだ。

遙か彼方の問題を語ることは案外簡単なのだ。それは自分がそこにいないから。身近な問題はたとえそれがどんなに小さな問題でも難しく重いモノなのだ。それは自分が汗や涙を流して解決しなければならないからだ。
たった今、ニューギニアでM7級の地震が起こったとニュースが流れたが、ホワイトバンド巻いて夜遊びしてる暇なヤツは現地の救援にでも駆けつけてみてはどうだろうか。ドラッグきめて踊ってるよりはよっぽど世界のためになるよ。

そういえば番組の特集の終わりに宮崎哲哉が「ホワイトバンド買った人は、義務として新聞に載るアフリカ関連の記事を毎日読むべき」と言っていたが、まったく同感だ。