2009年07月01日

ブログ、引っ越します

突然ですが、今月からブログを引っ越します。

新しいURLはこちら。
http://cafe-hendrix.air-nifty.com/downtown_diary/

「DOWNTOWN DIARY」という名前は変わりません。
今まで以上にビンビンに更新していきたいと思います。
お気に入りに登録、リンクしていただいている方は、お手数ですがURLの変更をお願いします。

どうぞこれからも「DOWNTOWN DIARY」をよろしくお願いします。

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2009年06月24日

【映画】 ターミネーター4 / マックG監督作品

ta-mine-ta-4

面白かった!オレはターミネーターの熱心なマニアでもなんでもないけど、新作が公開されるとついつい見ちゃうんだなあ(笑)。
シリーズ化されてるとはいえ、純血のターミネーターものは「T2」で終わっちゃってるとオレは思ってる。で、最高傑作が「T2」だという確信もいまだ揺るがないんだけど、そういうこだわりはヌキにして、これもなかなかの出来だと思う。純粋に楽しめた。今回は子供も一緒に見たんだけど、やっぱり面白いって言ってたなあ。「T4」は人間ドラマ的な要素ほとんどないから、子供には逆にわかり易く感じられたんだろう。

一応シリーズ化されてる前提条件として、「T1」からの最低限の整合性は保たれている。サラ・コナーやシュワちゃんがちらっと出る演出も心憎い(サラは声だけの出演だったけど)。
ターミネーター・シリーズって、前作まではタイムスリップが必ずストーリーに絡んでたんだけど、今回はそれもなし。完全に未来に舞台を固定し、シンプルに「人間」対「機械」の大アクション映画にしたのが良かったんじゃないかな。とにかくわかりやすい。豪快なアクションにハラハラドキドキ。2時間思いっきり楽しんだ。

ターミネーターも、人間型のヤツだけじゃなくて、オートバイ型とか、ウミヘビ型とか、乗り込んでる空母とか、いろんな種類が出てくる。CGをふんだんに使ったアクションシーンも派手派手。これまでのターミネーター・シリーズにスターウォーズの味を加えたような気さえするなあ…。
前作までとは全然別モノになっちゃったけど、これはこれでいい。オレは好きだ。

なんでも、あと3つは続編が決まってるらしい。いいね、いいね。どんどんやってよ、釣りバカ日誌みたいにさ(笑)。
でも、どうせ続くんだったら、この映画で出てきたサム・ワーシントン演じるマーカス・ライトはぜひ復活してほしいな。彼の存在感は、主役のジョン・コナー以上。あんな魅力的なキャラは一回で終わっちゃもったいないぞ。

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2009年06月23日

【映画】 ハゲタカ / 大友啓史監督作品

ハゲタカ

普段の自分ならまず見ない類の映画。にもかかわらず映画館に足を運んだのは、少し前に柴田恭平がこの映画について熱く語っているのを見たからだ。柴田恭平は、この映画で役者人生の中で一生に一度あるかないかというぐらいの重いセリフに出会えたと言っていた。
オレ、この役者さんけっこう好きなんだ。癌を患い命を削りながら現場にこだわる恭平。だったら自分も、その入魂の演技を映画館の大きなスクリーンで観ておきたいと思ったのである。

日本の基幹産業である自動車業界の老舗が、ある日突然外資系ファンドに買収を仕掛けられる。それを防ごうとする天才日本人ファンドマネージャーとの攻防がこの映画の大筋だ。
自分はこういう世界はまったく知らない。だけど、村上ファンドやホリエモンが何をやっていたかはなんとなく知ってるし、ブルドックソースやアデランスが外資から買収を仕掛けられたのも記憶に残っている。映画はまるでその現場を実写してるみたいだと思った。
更に映画では、外資ファンドが実は中国政府のヒモ付きだったり、トップを張る若いトレーダーが残留日本人孤児3世だったりと、今の日本と中国との微妙な関係も浮き彫りにしている。

要するに、これは「衰退する日本の製造業」と「力を付けてきたアジアの大国」という図式を白日の下に曝け出した映画なのだ。
日本の製造業の衰退ぶりってのは、特に地方に行くとひしひしと感じる。自分の故郷近くの町がそうなんだけど、上場企業の製造拠点がある町は、町の暮らしがそっくりその企業中心に回っていることが多い。高度成長期から現在までの長い期間で、そういうシステムが自然とできあがってしまったのだ。だから、工場が閉鎖したりすると町はいきなり沈没する。従業員の再雇用を受け入れる余地はほとんどなく、商店街はシャッターが下りた店ばかり。若者たちは町を出ようとあがき、残った者は日々の葛藤を食い潰すかのようにコンビニの前でキツイ目つきでたむろう奴らばかりだ。
かつて若者たちは“工場で奴隷みたいにこき使われるのはゴメンだ。こんな町からは早く逃げ出したい”と叫んだ。だが、今思えば、当時はこき使われる余地があるだけまだマシだったのだ。今の若者は奴隷ですらない。映画で描かれている派遣の若者のように、今や彼らを処遇するのは人事課ではなく資材課なのだ。若者はパーツとしてモノ扱いされ、遣い捨てられる。

誰もがうすうす気がついている。日本が製造業で世界のトップを張れる時代は終わったのかもしれない。SONYやPanasonicのネームも地に堕ちた。こんな名前、もはやアジアですら誰も見向きもしない。
にもかかわらず、俺たちはその再生を信じたい。日本が守り続けてきた誇り高き職人性と技術力が、利益追求型の経済に打ち勝つことを願いたいのだ。

柴田恭平のセリフはこんな時代だからこそ輝く。

「日本は、まだまだ捨てたもんじゃない。」

ガツン!ときた。
これが正しい認識なのかどうかはわからない。でも、絶望的な状況でも捨ててはいけない誇りがある。
ホンダがF1から撤退したのはショックだった。採算ベースを考えれば仕方のないことなのかもしれない。だが、F1参入が日本の誇る自動車技術のひとつの頂点だったとすれば、夢の象徴を失った企業に夢を持った若者は集まらないのではないか。どんな状況でも守っていかなければならないものはある。魂のない企業に人は育たない。
そんなものは幻想だと笑われるかもしれないが、たとえ90%撤退を余儀なくされても、そういう幻想を持ち続けなければ明日は見えないんじゃないか。映画を観て強くそう思ったなあ、オレは。

hendrix69 at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!映画 

2009年06月19日

Leyona 10th Anniversary MUSIC IS MAGIC / 2009年6月19日(金) SHIBUYA AX

Leyona 10th Anniversary MUSIC IS MAGIC
開場:18:00  開演:19:00
出演:Leyona
[SPECIAL GUEST]
Keison、斉藤和義、佐藤タイジ、Spinna B-ILL、仲井戸"CHABO"麗市、HIFANA、東田トモヒロ、BLACK BOTTOM BRASS BAND、blues.the-butcher-590213(永井"ホトケ"隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ)、三宅伸治
[SPECIAL BAND MEMBER]
會田茂一、エマーソン北村、大儀見元、笠原敏幸、椎野恭一、鈴木正人、TOKIE、Dr.kyOn、沼澤尚、山本タカシ、Latyr Sy


いやあ〜正にパーティー!素晴らしく楽しい一夜だった。デビュー10周年といえど、若い女性ボーカリスト一人のために、これだけのメンツが集まったことが過去あっただろうか?
上にこの日のゲストを書いたけど、Leyonaがこの10年でコラボした人はまだまだいるのだ。もはや準メンバーといってもいいような吾妻光良&スィンギン・バッパーズやバンバンバザール、G.LOVE、土屋公平、リクオ、元憂歌団の木村さんや石やん、初期のLeyonaバンドのキーボードだったSFUの奥野真哉。それから、それから…。きりがないんでもう止めるけど(苦笑)、わずか10年でこれだけ多くの人と仕事したってのは、それだけ彼女に人を惹き付ける魅力があるってことなんだろう。

Leyonaは最近10周年を記念して初のカバーアルバム「MUSICISMAGIC」をリリースした。このライブもそれと同じタイトル。だから、セットリストは基本的にはこのアルバムの曲になるのかと思ってたんだ、オレは。
大ハズレでした!(笑)もちろん新譜からも何曲かやったけど、セットリストは10年のキャリアの集大成的なもので、それをバッキングメンバーや共演者を変えながらLeyonaが歌いこんでいく内容だった。いやあ〜これはこれで大満足だよ、もちろん!
自分は前から3列目、ステージに向かって右手側の席。結果的にはこれも良かったなあ。AXはステージが高いから、最前列だとバンドの時は奥が見えなくなってしまうのだ。今回の席は沼澤さんや椎野さんのスティックさばきまではっきりと見えてゴキゲンだった。

ライブは定刻から10分ほど遅れてスタート。
最初に登場してきたバッキングは、會田茂一、エマーソン北村、鈴木正人、沼澤尚という現在のLeyonaバンドのメンツ。そこにBLACK BOTTOM BRASS BANDの賑やかなホーンの音色と一緒にLeyonaが踊るように登場してきた。スペシャルな夜の幕開けに相応しい華やかさだ。曲は「Town to Town」。オリジナルはkyOnのソウルっぽいキーボードが印象的なのだが、この日はまるで行進曲のような楽しいアレンジ。Leyonaに促されて早くも客席は総立ちになった。
続けて間髪入れず「The Beat Goes On」。すごいノリだ!沼澤さんの跳ねるようなドラミングにパープルのチューブトップを着たLeyonaが踊りまくる。オレもこの辺から完全にスイッチ入っちゃったなあ。

3曲目からは山本タカシもバンドに加わった。タカシはデビュー以来ずっとLeyonaの隣でギターを弾いていた人だ。今のバンドのギター、アイゴンももちろんいいんだけど、タカシがバンドを抜けちゃったのはちょっと寂しく思ってたんで、この客演はすごく嬉しかった。願わくば、タカシにはこれからも何らかの形でLeyonaのキャリアに関わっていって欲しい。個人的には、傑作アルバム「niji」なんかは、Leyonaとタカシの共作といってもいいぐらいに思っているんで。

前半は「風をあつめて」や「ナツメロ」等、初期のレパートリーを中心にしたセット。タカシのアコギだけをバックにした「500マイル」は胸に沁みた。「Fatou Yo」はいつものようにラティールのボーカルも加わり、このあたりは2代前のLeyonaバンドの感じだった。

中盤からは1曲ごとにゲストが登場してくる贅沢な流れ。
まずは佐藤タイジとTOKIEを迎えての「ありったけの愛」。久々に見るタイジはやっぱ熱い!あのワシャワシャかき鳴らす御馴染みのギターワークで客席を煽りまくる。
TOKIEも久々だなあ、見るのは。彼女はパーマネントなメンバーとしてLeyonaと関わったことはないはずだけど、イベントやツアーで何度か一緒のステージを踏んでいる。その美貌は相変わらずで、ビートに身を委ね揺れるようにアップライトベースを弾きまくる姿はほんとステージ映えする。
TOKIEはこの一曲だけじゃなく、スペシャルバンドのメンツとしては最も多くの曲で演奏していた。

Keisonや東田トモヒロのようなサーフ系、Spinna B-ILLのようなソウル系の同年代ミュージシャンとの共演はLeyonaの音楽性の幅広さを十分にアピールしていたと思うが、一番ユニークだったのはHIFANAの2人との共演だろう。
この組み合わせ、オレは観るのは実は2度目なのだ。Leyonaがデビューして間もない頃、ラフォーレ原宿であったイベントでこの2組の共演を見た。あの時は会場で土屋公平さんにもあったし、グルーヴァーズやSUPER BUTTER DOGのライブもあったっけ。あれから10年かあ。早いなあ…。
演奏されたのは「GOFUNKE〜ごふぁんけ〜」。人力テクノっつうのかな?こういうの。自分は世代的にテクノポップ全盛期を経験してきてるけど、近い世代のはぶっ飛びすぎててどうも馴染めない。だけど、こういうわざとローテクでやってるようなのはすごく面白いと思う。Leyonaもサンプラーと自分の声とを合わせたりして楽しんでいた。いやあ〜こういうのを見ると時代が一回りした感じがしますね。

ここで短いインターミッション。ステージは大勢のスタッフがセッティングを始め、なにやら次はデカイ編成のバンドが出てくるぞ、ってなムード。
登場してきたのは4人の男たち。永井"ホトケ"隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ。blues.the-butcher-590213だ!普段JIROKICHIでラフな格好で演奏してるのとは違い、全員がタキシードを着込んでいる。そこにブルーのミニのワンピースにチェンジしたLeyonaが飛び込んできた。
曲はMama He Treats Your Daughter MeanとThe Blues Is Alrightをメドレーで。カッコよかったぜ〜これは!沼澤さんの叩くビートは普段とはちょっと違ってスイングっぽいタッチ。ホトケさんのギターとKOTEZのハープは実にブルージーだった。この日は清志郎・CHABOの流れで足を運んだような人も多かったみたいだけど、シカゴブルース・マナーの豪快な演奏には相当びびったんじゃないかな?Leyonaのドスの利いたボーカルも最高だった。んー、ジャンルレスなLeyonaだけど、やっぱこのスタイルがオレは一番好きかもなあ。
メンバー紹介の時にはブッチャーこと故浅野祥之さんの名前もちゃんと言っていた。こういう心配りが素敵だよなあ、彼女は。

場内の興奮冷めやらぬ間に登場してきた次のゲストは斉藤和義。「せっちゃんのためにミニにチェンジしてきた」と言うLeyonaに、「その下は当然ノーパンだよね?」と返すせっちゃん。相変わらずエロエロモード全開だ(笑)。
曲は「五秒の再会」。2人ともギターを持ち、せっちゃんはジョン・レノンが登場する歌詞を意識してか、「NEW YORK TIMES」のロゴがあるTシャツを着ていた。
そうそう、このデュエットが実現したのは、ちょうどLeyonaがスパイスマーケットをやってた頃だ。このカップリングをLeyonaから聞かされた泉谷と清志郎は、「俺たちを差し置いてなんて奴だっ!斉藤ここに連れて来いっ!」とまるで娘に恋人を紹介された男親みたいな反応をしたそうな(笑)。

次はいよいよ三宅伸治の登場。2人の関係は会場の誰もが知っている。会場からは大きな大きな拍手が起こった。その中をギターケースを提げて現れた伸ちゃん。おもむろにケースを開けるとそこには大きな花束が…。場内はやんやの大喝采。「これはヤラレちゃいますよねえ…」とLeyonaも嬉しそう。
2人だけでの「デイドリーム・ビリーバー」は最高だった。今、この歌詞をじっくり聴いてると涙が出そうになっちゃうんだけど、この日はそういうことは考えないようにしながら聴いてたんだ、オレ。だって、これは洋楽ばかり聴いて育ったLeyonaが、初めて日本語の歌詞の素晴らしさに目覚めた曲。“あの人”が歌ってたってことだけじゃなくても、重要な歌なんだ。

後半は現Leyonaバンドに、山本タカシ、ラティール・シー、TOKIE、kyOnを加えたゴージャスなスペシャルバンドが実現。「NITE CLUB」や「travellin' man」などダンサブルな曲を連発して会場を興奮の渦に叩き込んだ。
最高に気持ちよかったのは「Sweet Baby Love」。南部テイストの入ったミディアムなアメリカンロック。タカシ+アイゴンのツインギターでのリフがすごく気持ち良かった。
会場との合唱が聞かれた「LOVE」、そして「FREE YOUR SOUL」でバンドはいったん袖へ引っ込む。

ステージはいよいよ最後のゲストの登場を残すのみとなった。
照明が落とされ、Leyonaとゲストが座る椅子を囲むように大きなキャンドルがいくつも用意された。そしてキャンドルに灯が点る中、一人の男がすっとステージへ…。仲井戸“CHABO”麗市だ。
LeoynaはCHABOがステージに現れただけで、もううるうるしていた。CHABOは「三宅は花束だったけど、オレは量より質で…」と一本のバラをLeyonaに差し出す。笑顔で受け取るLeyonaはCHABOとしっかりとハグ。頭をなでなでするCHABOは、なんか父親みたいに見えたなあ…(笑)。因みに、この日彼が被っていた帽子は、去年の誕生日にLeyonaがあげた物らしい。
Leyonaはデビューの際、「CHABOさんのプロデュースじゃなきゃ嫌だ」となんとも大胆なことを言ったらしい。それに応えたCHABOは、自身のバンドCHABO BANDを引き連れてレコーディングに臨んだのだ。この日、CHABOは「Leyonaを始めて聴いた時、その声とリズム感、音感にとにかく驚いた。日本でもこんなすげえシンガーが出てくるようになったんだと思った」という風なことを言っていた。これは最高の、これ以上ないぐらいの褒め言葉だよなあ…。
デビューシングル「オレンジ」は、CHABOの伸びやかなスライドギターが聴けるバンドバージョンと、アコギによるLeynaと2人だけの演奏の2つが収録されている。この日演奏されたのは、2つ目のアコギバージョンの方だった。素晴らしかったなあ…。歌詞の通りに、キャンドルの灯火の中、オレンジ色のスポットライトが2人を包む。
エンディング、CHABOがモニター前を何やら指差してLeyonaに微笑みかける。それは一枚の写真だった。小さな一枚の写真をLeyonaが客席に向かって掲げながら2人は袖に引っ込んだ。
清志郎その時の写真がこれだった。当然、この日いるべきだった人。でも、盟友と愛弟子との共演を、絶対見ていたと思うな、清志郎は。もしかしたら、せっちゃんとのデュエットの時と同じように、天国で地団駄踏んで悔しがってたかもなあ…(笑)。

アンコールはまたまた衣装チェンジ。Tシャツにジーンズというラフな格好で髪をアップにして出てきたLeyona。バックはまたまたスペシャルなバンドで「STARS」と「ダンスミュージック☆あいつ」を。
「ダンス…」は凄かった。アルバムよりもテンポを上げ、クラビネットっぽい音色のキーボードと、ツインギターが絡みまくる、やや暴走気味とも思えるような強力なアレンジだった。
更に、CHABOを除いたこの日の出演者全員による「Monkey Man」。サビに入るカウントを観客全員にコールさせたりしての超ロングバージョン。実は、僕のところからは舞台袖が見えたんだけど、CHABOも最初の方はそこにいたんだよね。てっきり出てくるのかと思ってたんだけどなあ…。

この日の出演者を一人ひとりていねいに紹介した後、ステージはLeyona一人に。
ここでLeyonaはふるさとの広島県三原市の話をした。小さな街の一軒しかなかった楽器屋で、半年に一度ぐらいライブをやらせてくれるコンテストがあり、当時まだバンドのなかったLeyonaは独唱で出たという話だ。
その時歌った、彼女が最も好きな女性ボーカリスト、ジャニス・ジョプリンの曲が最後の最後の曲となった。
「メルセデスベンツ」。名盤「パール」に入ってる名曲だ。照明の落とされたステージで、Leyona独りだけにピンライトが当たり、切々と歌いあげる。素晴らしかったなあ…。歌う前、Leyonaがふーっと息を吸い込んだのが、客席にもはっきりと聴こえた。それだけ気持ちをこめたってことなんだろう。

すべてが終わった時、時計は10時半を回っていた。
3時間半超えの長尺ライブ。その間、Leyonaは出ずっぱりだった。一曲一曲に心をこめて歌い切り、たくさんのゲストを迎えるステージの進行も一人でやり遂げたのだ。堂々たるステージング。気丈に見えた彼女だったが、永井ホトケさんの公式サイトによれば、楽屋に戻ったLeyonaはただただ涙だったという。あれだけのゲストを迎えてのスペシャルライブ、やっぱり相当のプレッシャーがあったんだろう。
でも、この経験は絶対にこれから生きてくるはずだ。20周年、30周年の際には、またこんなゴージャスな夜が迎えられることを、オレは楽しみに待ちたいと思う。
Leyona、ほんとにデカイ存在になった。忌野清志郎亡き後、これだけ世代を超えたミュージシャンを集められる人ってのは、Leyonaぐらいのもんなんじゃないだろうか、ほんとに。

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2009年06月18日

【映画】レスラー

レスラー

この映画の主役は、ランディ“ザ・ラム”という初老のプロレスラーである。80年代には会場に満員の観衆を集める人気レスラーだったのだが、年齢とともに凋落。今は衰えた身体をステロイドとクスリで騙しながら、場末のリングで細々と試合をしている。生活も荒み、家族とは別離。昼間はスーパーマーケットで働いているが、トレーラーハウスの家賃にも困るような暮らしぶりだ。
ある日、ランディは試合後の控え室で心臓発作を起こしてしまう。一命は取り留めたもののリングからは引退せざるを得ない。だが、プロレスラーからただの男に成り下がったランディには何も残っていない。失ってしまった人生を、ランディはスーパーの仕事と、疎遠になっていた娘との関係を修復すること、そして同世代のストリッパーとの淡い恋とで取り戻そうとする。
それは少しずつ形になりそうだったのだが、一夜の過ちからその芽を自ら摘み取ってしまった。すべてを失ったランディは、ドクターストップがかかっているにもかかわらず、プロモーターから持ちかけられた20年前の名勝負の再戦のため、再びリングへ…。

ストーリーを書くと陳腐に聞こえるかもしれない。日本人なら「明日のジョー」の二番煎じじゃねえかと思うかもしれない。でも、ランディ役を務めた一人の俳優が、そんなありふれたストーリーをものすごくリアルなものにしてしまったのだ。

ランディを演じたのは、あのミッキー・ローク!80年代、二枚目俳優として一世を風靡するも、近年は人気が急落。俳優と並行して行っていたボクシングの影響で端正な顔面は崩壊し、その整形手術にも失敗。加えて酒とクスリに溺れた生活が彼の容姿を著しく変貌させ、今や二枚目俳優の面影はほとんどない。オレなんて、最初スクリーンに出てきたロークを見て、一瞬誰だかわからなかったぐらいだ。
そんな彼が、一世一代の大勝負を賭けて臨んだのが、このランディ“ザ・ラム”役だったわけ。この映画の何が切ないって、主人子ランディの生き様がそのままミッキー・ロークの半生そのものに見えるところだろう。

ロークの不自然にビルドアップされた身体は明らかにステロイドの使用が伺える。隠し持ったカミソリで出血するギミックは本当に自らの額をカットしたらしい。危険なプロレスシーンも、かなりの部分は吹き替えなしだったという。この映画、ミッキー・ロークは並々ならぬ熱意を持ってのぞみ、本物のプロレスラーになりきったのだ。
ロークの入れ込みぶりは監督のダーレン・アロノフスキーにも伝わった。製作会社は、落ち目のロークを降ろし、数字の取れるニコラス・ケイジで撮り直せと圧力をかけたらしいが、アロノフスキーはがんとして首を縦に振らなかった。その結果、制作費を大幅に削られることになったというが、それでも彼はロークに賭けたのだ。

もうあとは何の説明もいらない。オレは客席で固まってしまった。まるでドキュメンタリーだぜ、これは…。
老いとの絶望的な闘い。全てを失ってもなお這い上がろうとする凄まじさ。夢と現実との狭間でもがき続ける孤独な魂…。ここまでさらけ出したミッキー・ロークの男気を、オレは心の底からリスペクトする。

それから、ランディと熟女ストリッパー、キャシディとの関係も強く心に残った。
老いたレスラーと年増のストリッパー。老いへの不安を隠しつつ、それぞれの仕事にプライドを持つ2人は実は似た者同士なのだ。心の奥ではキャシディも孤独でランディに好意を持っているんだけど、プロの踊り子としての誇りが店外での付き合いを許さないのだ。それが切ない。
そんなキャシディも、最後の最後は会場へ走ってリングに上がろうとするランディを止めるんだけど、それを振り切ってランディは観衆の待つリングへと向かう。自分が輝いていた頃のテーマ曲、ガンズ・アンド・ローゼスのスイート・チャイルド・オブ・マインにのって…。このシーン、オレは泣けて泣けてしょうがなかった。
リングに上がる前のミッキー・ロークの顔と言ったら、もう…。悲しみと、諦めと、精一杯のプライドと、キャシディへの愛情とが入り混じった、なんともいえない表情で彼は振り向くのよ…。

試合前のマイクアピールで彼は観客に語りかける。自分はもうボロボロだと…。だが、引退を決めるのは医者でも自分でもなく、ファンだと。ファンこそが家族だと力強く宣言するのだ。
試合が始まり、やはり彼の心臓は異変をきたす。それでも彼はトップロープから飛んだ。自らの身体を張った大技“ラム・ジャム”をやり遂げるために…。映画はランディが飛んだ瞬間に暗転し、ブルース・スプリングスティーンによるテーマ曲が静かに流れて終わる。

エンドロールが終わった後も、オレはしばらく席を立てなかった。長い長い余韻が残った。いろんなことを考えた。

プロレスとは虚構の芸術である。現実には恨みも何もない相手と本気で殴り合い、時には凶器を使って身体を傷付けてまで観客の興奮を煽る。リアルファイトではないが、流す汗と血は紛れもなく本物。そして、試合から得られるレスラー・観客双方のエクスタシーも紛れもなく本物なのだ。
そのリアルなエクスタシーを作り出すために、プロレスラーは無茶な技を繰り出し、時にはステロイドやドラッグを使ってまで自分の肉体を極める。健常な身体や平穏な暮らしを犠牲にしてもだ…。
そんなことに命を賭ける生き方を理解できない人もきっと多いだろう。でも、たとえ虚構であれ、非日常的な興奮に魅せられ、そこに身を捧げてしまう生き方に共感してしまう人だって同じくらい多いはずだ。

少年時代、自分は熱烈なプロレスファンだった。そして、今でも自分はプロレスラーの武骨な生き方にどこか憧れを持っているのだ。かつて、すべての格闘技の中で一番強いと信じていたプロレスラーが、実はギミックだらけだったことを知ってしまってもその気持ちはいささかも変わらない。
そこには三沢光晴の死という事実も多少影響していたかもしれないし、更に言うなら、ランディが死を覚悟してまでリングに上がり続けたその理由は、忌野清志郎が咽喉癌の宣告を受けても喉にメスを入れることを拒否し、最後までボーカリストであろうとし続けた理由と共通しているとオレは思った。

場末のストリッパーを演じたマリサ・トメイもあっぱれ。
なにしろ、上も下もさらけ出してポールダンスまで披露しているのだ。その脱ぎっぷりは豪快と言ってもいいぐらい。実際、彼女のカラダはとても44歳のものとは思えない。素晴らしくエロチックだった。女優魂だよ、正に。日頃そうとう鍛錬してるんだと思う。ある意味、ミッキー・ローク以上に闘ってたな、彼女は。

切なく、誇り高い映画。見終わった今もまだ胸がじんじんしている…。

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2009年06月13日

Monthly CHABO vol.12 「南青山夜会」 仲井戸“CHABO”麗市 with 梅津和時 and たつのすけ / 2009年6月13日(土)南青山MANDALA

CHABOT小

いきなり物販の話から始まるのもなんだけど(笑)、オレ、このライブから発売されることになったNEW Tシャツ、すごくいいと思うんです。“元気になる”というコンセプトで作られているらしいんだけど、これは間違いなく“あの出来事”から元気になろうということでしょう。そういう願いをこめてグッズを作ったスタッフの気持ちがまず素晴らしいと思ったし、周りもそうなんだから、CHABO自身も今きっとそういう風に自分を奮い立たせているんだろうと思った。
この日のライブ、心ならずも清志郎への追悼ライブとなってしまった先月からまだ20日しか経っていない。だけど大丈夫。きっとCHABOはCHABOらしい元気なステージをやって、マンスリー・ライブの有終の美を飾ってくれるだろう。オレはそう確信していた。そして、その期待にCHABOは十分すぎるほど応えてくれたのだ。それが何より嬉しかった。

因みに、このTシャツをデザインしたのは、久原大河さんという人。梅津さんや新井田さんのフライヤーでもお馴染みのイラストレーターだ。オレ、この人のことは前から注目していて、絵のタッチとか、絶対CHABOに合うと思っていたから、ついに大河さんデザインのグッズが実現したのはすごく嬉しい。どういう経緯でCHABOのチームに関わることになったのかはわからないが、おそらく大河さんも“あの出来事”の後、かなり思うところがあったんだと思う。イラストもかなり凝っていて、たとえばギターのネックの「GIBSON」のロゴが「CHABOSAN」になっていたりしている。CHABOも、MCで“夜中にじっくり見て確かめてくれぃ!”とか言ってたな…(笑)。
はっきりしたコンセプトがあるし、これは今までのCHABOグッズの中でも群を抜いて素敵な逸品なんじゃないだろうか。オレなんか、2種類とも買っちゃったもんね(笑)。願わくば恵美社長、大河さんとのコラボは一回こっきりじゃなく、是非これからも続けてください。で、今度は是非CHABOの顔を描いてもらってくださいよ!やっぱし、大河さんの魅力は人物画だと思いますんで。

しまった、物販の話が長くなっちまった(苦笑)。
ライブは予定の18時から10分遅れでスタート。今回は仕事帰りで会場への到着が遅れてしまったため、席はずーっと後ろ。来賓席のすぐ前で見ることになった。なんとか席を確保してほっと一息。ジン・トニックをひっかけてると、開演直前に竹中直人さんと三宅伸ちゃんがすーっと入ってきた。そんでオレのすぐ斜め後ろの席へ…。うーん、後ろは後ろで緊張するなあ(苦笑)。

オープニングはCHABO独りによる「ねぇ HISAKO」。CHABOが6月にだけやる曲だ。ギブソン・ナイロン弦の柔らかい音色が優しく響く。今この時にこの曲を聴けて、なんかほっとした。
それが終わると、CHABOは一年かけてやってきたMANDALAマンスリー・ライブを改めて振り返り、来てくれたゲストの事などを丁寧に紹介する。いつも思うんだけど、CHABOってこういうところがすごくきちんとしてるよね。つくづく真面目な人なんだなあって思う。

梅津さんは2曲目から登場。プリントシャツの襟をスーツの上に出してサックスを手にした梅津さん、粋だなあ〜。今年還暦を迎えるってCHABOにさんざんからかわれてたけど、とてもそんな歳には見えない。早くこんな小粋なおじさんになりたいぞ、オレも(笑)。
ドブロを手にしたCHABOは「You Gotta Move」を弾き出す。これは先月もアンコールで歌われた曲だけど、印象が全然違って聴こえた。5月は落ち込む気持ちをなんとかアップさせようとしているCHABOの葛藤が見えような感じだったが、この日は堂々とした前向きなタッチ。梅津さんのブライトなサックスもずいぶんと助けになっていたと思う。
続けてもう1曲ブルースを。いきなりの「Everyday I Have The Blues」だ。たつのすけも登場してきてピアノを弾き出すとブルースが勢いよく転がり出した。最近はアンコールでよく演奏される盛り上げ曲なんだけど、あえて序盤に持ってきたところにCHABOの前向きな意思を感じる。
続けて課題曲「BLUE MOON」を挟み、このマンスリー・ライブから生まれた「ねえ神様」。歌われている内容は盗難にあったギター達を思う気持ちが溢れ、切ないものではあるんだけど、軽いレゲエ・タッチのアレンジが悲しみに沈むだけではないCHABOの意思を反映していたと思う。

いつもと同じようにカバーもたくさん演奏された。
特筆すべきはビートルズのカバーが2曲演奏されたこと。まず、これは初めてのお披露目だと思うんだけど「Honey Pie」。曲の頭ではイントロのSEを真似してみせたんだけど、いまいちお客さんには伝わんなかったみたい(苦笑)。CHABOは苦笑しながら“ホワイト・アルバム、聞いてくれ〜ぃ”と一言。
もう一曲はなんと「All My Loving」。ど真ん中のカバーですね、これは。フライングキッズの浜崎貴司のライブにゲスト出演した時に生まれたものらしいが、よかったぞ〜。
そのほか、カーティス・メイフィールドや、ポーグスの「フィエスタ」、キンクスの「アルコール」等が演奏された。特にポーグスのカバーは、梅津さんのサックスの音色がケルト音楽っぽい雰囲気を十分に醸し出していて素晴らしかった。

中盤のポエトリー・リーディングは、いつもより長めで構成もよく考えられた見応えのあるものだった。
まずは梅津さんとCHABOの2人だけで「慕情」。オレ、これを持ってきた理由がなんとなくわかるような気がする。いなくなってしまった誰かを偲びつつ、これからの日々に踏み出そうとする想いを、この詩にこめたかったんだろうな、CHABOは。そして「はぐれた遠い子供達へ」。この2編がポエトリー・リーディングでセレクトされたのはあまり記憶にない。やっぱり“想い”だろう、CHABOの。
「ヒッチハイク」は梅津さんがピアノでバッキング。たつのすけも加わっての「HUSTLE」と続き、悲しみに暮れた日々から表へ飛び出そうぜ、そんなCHABOの明確な決意が表明された。
「64年型タイプライター」はステージが赤い照明に照らされ、CHABOの言葉と梅津さんのフリーキーなサックスが絡み合う。いいぞ、CHABO!サイケでロックなCHABOが戻ってきたんだ。普段はへヴィな詩に席で固まうオレだけど、この日ばかりはなんだか嬉しくなってしまったなあ(笑)。
昨年、梅津さんが演歌のカバーを集めて出したというアルバムにちなんで、「りんご」という詩も読まれた。梅津さんの吹く「リンゴの唄」は強く心に余韻を残した。誰でも知ってる曲だけど、なんかブルースみたいだなあと改めて思ったりして。
珍しいところで、ナイジェリアのアサという女性ボーカリストのカバーもあった。曲名は忘れちゃったけど、後半CHABOは叫んでたぜ。“悲しみをぶっ飛ばせ!”って…。

そして、間髪いれずにリズムマシーンが鳴り出すと、「ハイウェイのお月様」が。
オレ、マンスリー・ライブの最終回ゲストが梅津さんでほんとに良かったと思う。やっぱりこの2人はツーと言えばカーなんです(笑)。コンビネーション抜群で、純粋に音楽の力だけでぐいぐい観客の集中力を引き揚げてしまう。それに加えて、たつのすけのキーボードがいっそう色彩のある空間を生みだしていた。
そうそう、なんと梅津さんがボーカルをとった曲も披露された。これはカバーだったんだろうか。「ベトナミーズ・ゴスペル」と紹介され、梅津さんの朴訥なボーカルがとても素敵で、深く心に染みた。

ちょっとしんみりしてきたかな、と思ったら、ここでまたリズムマシーンが鳴り出し、マーサ&バンデラスの「Dancing in the street」が勢いよく始まる。これまでのマンスリーでも何度か演奏された曲だが、この日はこれまでで一番のノリの良さ。CHABOと梅津さんによる客席乱入も飛び出した。これは嬉しかったなあ!、自分はもちろん、後ろのほうの席のお客さんは立ち上がってCHABOに声援を送っていた。みんな笑顔、笑顔、笑顔。
ほんと、先月とは全然違う。CHABOがこんなに元気なステージをやってくれている!オレはただただ嬉しかった。当たり前だが、まだ全然悲しみが癒えたわけじゃないだろう。それはCHABOだけじゃなく、ここに集まったみんなだってそう。だけど、とにかく、とにかく前へ進もうじゃないか。悲しみを明日への活力に変えようじゃないか。あの乱入は、そんなCHABOの強く確固な意思だったのだ。もう一度言うけど、ほんと嬉しかった、あの乱入は。

嬉しさはまだ終わらなかった。次に飛び出したのは、なんと「キモちE」!!!
いつものように立ち上がって踊る人もいたりして、すごい盛り上がり。最後はタオルを頭に巻き、なぜかそこにライトをつけた(笑)ギターテックの鈴木マチャミが3人のプレイを止めに入るという流れでエンディング。うーん、最高!元気なCHABOが見られると確信してはいたけど、ここまでやってくれるとは!

後半はじっくりと清志郎に捧げたカバーを。
前回のライブでも演奏されたグラハム・ナッシュのカバー「Southbound Train」はやっぱり効いたなあ〜。オレ、白状するとこの時だけはぽろっと涙をこぼしてしまった。もうCHABOのライブでは絶対めそめそしないと決めてたんだけど、畜生、ダメだった…(苦笑)。
この曲は、あの輝いていたバンドでの日々が歌い込まれている。そして、ポケットいっぱいの“アイデア”だの“世間知らず”だの、わかる人にはわかる清志郎ワードがさりげなく散りばめられているのがたまらない。やっぱこれはなあ…。クるよなあ…。くぅ〜っ…。

本編最後は「ガルシアの風」。今この時期に歌うことに葛藤があったとCHABOは言っていた。おそらく“どうにもならぬことなど何もない”みたいな達観したフレーズを、今歌う気持ちにはとてもなれないってことなんだろう。でも、せめて歌ぐらいはポジティブにと“あえて”歌うことにしたとCHABOは言っていた。
たつのすけはアコーディオンを手にし、梅津さんのサックスとともに優しくCHABOを包む。曲の後半で梅津さんはステージを降り、ゆっくりと客席を歩きながら楽屋へ消えていった。それを追うようにたつのすけも楽屋に消え、なおもサックスとアコーディオンが山びこのように聴こえてくるという、なんともドラマチックなエンディングであった。

アンコールではRCサクセションの曲が立て続けに演奏された。
まずは「いい事ばかりはありゃしない」。やっぱり、RCナンバーを奏でる梅津さんのサックスは最高だ。
そして、驚きの「国立市中区3-1(返事をおくれよ)」!ビビった!清志郎も最近はやってなかった最初期のRCナンバー。オレなんか歌詞も思い出せないぐらいご無沙汰(苦笑)。そうそう、聴いていて、高校時代のダチが“国立市中区3-1 忌野清志郎様”でファンレターを出したことを突然思い出した。その手紙はなぜか返送されて来なかったんだ。だから、清志郎のもとに届いてると信じてたんだよ、そいつは。どうしてんのかなあ、今頃。どっかの空の下、オレと同じように訃報を悲しんだのかなあ…。

そしてそして、驚きの「スローバラード」!
泉谷やエレカシと共演したライブでもさわりの部分を歌ったことはあったけど、フルで歌ったのは初めてだと思う。たつのすけの生ピアノも素晴らしかった。梅津さんのサックスは言わずもがな。うん、これは梅津さんがそばにいたからこそ歌えたナンバーだったのかもしれない。歌う前、“オレはボーカリストじゃないから…”なんて謙遜してたけど、これはもう歌の上手い下手じゃない。想いの大きさがひしひしと伝わってきた。
曲が終わると、いつまでもいつまでも、本当にいつまでも鳴り止まない大きな拍手が起こった。オレ、この日は観客も本当に素晴らしかったと思う。こんなにあったかいライブをCHABOと一緒に作り上げたこの日の観客の一員でいられたことを誇りに思ってしまうぐらいだ。梅津さんも感激したのか、CHABOの後ろに下がってそっと涙をぬぐう。その姿に思わずこっちもほろり…。

そして、今のCHABOの心境を最も色濃く反映しているような「After The Storm(嵐のあとで)」。“友だちが奪われて寂しい、君の笑顔が曲がり角から表れてくるような気がする”と切々と歌うCHABOの姿は胸に迫った。

最後が近付き、CHABOは一年間世話になった南青山MANDALAのスタッフ、自身のスタッフの面々を一人ひとり紹介した。
思えば、この一年はほんとうにいろんな事があった。オレなんかどうしてこうも神様はCHABOに試練を与えるのか、と怒りにも似た気持ちを覚えたぐらいだ。そんな激動の一年を、CHABOはここMANDALAでマンスリー・ライブを行いながら、淡々とやり過ごしてきたのだ。
たぶん、CHABOはMANDALAでの一年をずっと忘れないだろう。オレもここで折々のCHABOを感じられたことをずっと憶えていると思う。いいハコだったなあ、南青山MANDALA。願わくば、CHABOにはぜひまたここでライブをやって欲しいものだ。

最後は、3月のPIT INNでの梅津さんとのライブ「新宿夜会」で生まれたという「祈り」。清廉なムードの流れる中、何度も天を指差すCHABO。
いつものように「What a Wonderful World」が流れる中、3時間20分の長いライブは終わった。
3人がステージを去った後には、グラハム・ナッシュのオリジナル「Southbound Train」が流れ、お客さんもほとんどの人が席を立たずにじっと聴き入っている。そして曲が終わるとまた大きな大きな拍手が…。
ああ、なんと言ったらいいんだろうか、この余韻を…。Leyonaがよく言うMUSIC IS MAGIC、それはこういうことを言うんじゃないだろうか。素晴らしかった。本当に素晴らしい夜だった。いつまでもいつまでも余韻が残った。マンスルー・ライブの有終の美を飾るに相応しい、本当に素晴らしいライブだったと思う。

この夜は、CHABOだけでなく、観客もとりあえずは前に進み始めたってことを実感できた時間だったと思う。自分にとっては、ある意味先月の追悼ライブ以上に重要な夜となった。そう、この日のライブの余韻は“あんなこと”からそれぞれが日常に帰っていく過程を、CHABOの歌を通して観客一人ひとりが確認していた時間だったのではないかと思うのだ。
大河さんがシャツに描いたメッセージで言うならば“CHABO JUMPS AGAIN, AND YOU?”ってこと。生きることは悲鳴とイコールなのかもしれない。生きることとは日々何かを失っていく事とイコールなのかもしれない。でも、でも、とりあえずは生き続けようじゃないか。歌い続けようじゃないか。一時の強がりであっても笑い続けようじゃないか。ステージのCHABOを観ていて、そういうことって人生にはとても大事なことなんだと気付かされた。

もうすぐ夏が来る。いなくなってしまった人たちのためにも、残されたオレたちは精一杯の日々を生きていかなきゃな…。

そうですよね? Dear 忌野清志郎…。

2009年06月10日

HEATWAVE 30th ANNIVERSARY TOUR vol.1 "solo! duo!! trio!!!" / 6月10日(水)横浜サムズアップ

"trio!!!" (山口洋+池畑潤二+渡辺圭一)
6月10日 (水) 横浜・Thumbs Up
開場/開演=18時30分/19時30分


HEATWAVEの30周年を祝う短いツアーの千秋楽。
この日は開演前に個人的に嬉しいサプライズがあったんだ。横浜サムズアップは、メール予約した場合には開場の30分前にチケットを予め店で引き換えておくシステムになっている。で、そのタイミングで行ったら、店の前にTシャツ姿の男の後姿が…。“誰かに似てるなあ…”と思った矢先にふっと振り向いたその人は…。なんとヒロシ・ヤマグチ本人だった!オレ、不意を突かれちゃってさあ、思わず「うぉ!びっくり!」なんて言ってしまったんだよ、本人の前で(笑)。アニキはくすりと笑って右手を差出し、「ありがとう…」と。くー、最高だぜ!この予期せぬハプニングに、オレは開演前から気持ちがハイになってしまったのであった(笑)。

サムズアップはテーブル席メインの会場。基本的には食事をとりながらライブを観るというスタイル。一人で行くと誰かと相席になっちゃうからちょっと苦手という人もいるらしいが、オレはこの店、大好きだ。基本的にアウェー状態が気にならない性格ってのもあるんだけど、見知らずの人と顔付き合わせてメシ食いながら音楽を楽しめる場所ってのもなかなか貴重だと思うんですよ。だって、ロンドンのパブとかアメリカ南部のジュークジョイントなんかはこんな感じなわけでしょ?もともと音楽ってのはこんな風に楽しむもんだと思うんだよね。ロック観に来て恥ずかしがってる場合じゃねえっての。食いもんも旨いし、サムズはほんと大好き。

ドラムセットの後ろには、4本の羽根が象られたイラストが。今回のツアーはキーボードの細身魚がいないけれど、それでも常に4人でステージに立っているというHEATWAVEとしての意志の表明なのかもしれない。バンドとしての絆を感じた。

1曲目は「I HAVE NO TIME」。これは千葉と同じだったんだけど、これ以上ないぐらいカッコいいオープニングだと思う。決意表明のような熱い歌詞に輪郭のはっきりしたリフ。それが池畑さんのドラムでぐんぐん加速していく。奮い立つような興奮を覚えた。
山口洋は曲のほとんどをアコギでやるんだけど、あたり前だがアコースティックな感じはほとんどない。池畑さんのドラムと渡辺圭一のベースによるリズム隊もものすごく骨太。ルースターズ直系の池畑ビートのぶっとさは言わずもがななんだけど、オレは圭一のベースもすごく好き。この人のプレイはすごくイマジネーション豊かなんだよね。ボトムのキープだけじゃなく、時としてベースでリードギターのソロみたいなメロディックなフレーズを弾いたりする。この曲の時も後半ソロを挟んでたけど、これがとても効果的で、とても3人でやってるとは思えないような奥行きのある演奏になっていた。

2曲目が「ガールフレンド」。一転して静けさの漂うナンバー。光と影。喧騒と孤独。興奮と静寂。HEATWAVEの音楽性の幅広さを物語るような展開だと思う。オレはこの2曲ですっかりステージに心を持ってかれちゃったな。

オレ、まだHEATWAVEのライブを観るのは3回目なんだけど、このバンドの音には80年代のイギリスのビートバンドの影響を強く感じる。
山口洋はオレと数歳しか違わないから、たぶんティーンエイジャーの頃に聴いてた音楽はかなりカブってると思うんだ。自分が高校時代から大学生ぐらいまでの欧米のロックシーンってのは、表面的にはちょっと停滞期だった。MTVに代表されるようなビジュアルで売る音楽が主流で、荒々しいロックは表舞台から一歩下がったような感じ。ただ、イギリスからはパンクロックの影響を受けつつも、そこにニューウェイブ的な味付けを加えたような新しいビートが生まれつつあった。
HEATWAVEの音には、あの頃のそんな洗練されたテイストを感じるんだ。パンクの影響を受けたバンドは日本でも数多いけど、ライフ・アフター・パンクの空気を正しくキャッチ&リリースしてる人たちは意外に少ない。HEATWAVEは、R&Bやアイリッシュトラッドなどの伝統的な音をベースにしつつ、パンクの荒々しいビートや洗練されたニューウェイブのフレーバーを加味したサウンドを聴かせてくれる。そこがイイんだ。
プラス、男・山口洋の閉塞した世界を切り裂くような、熱く男臭い歌詞の世界。この組み合わせは唯一無二なんじゃないのかなあ。

なんとなくだけど、オレ、今の山口洋は何か重い荷物を抱え込んでいるような気がする。実際、ツアー中はブログの更新を止め、直前の書き込みでも何か個人的な問題があることを匂わせるようなことを言っていた。
実を言うと、この日のライブも出だしはちょっと自分の内面と葛藤しながら音を出しているようなタッチを感じた。これは、サムズアップが着席の会場であることも微妙に影響していたのかな。2週間前の千葉ANGAの時は、最初からフロアがヒートアップしていて、そのまま最後まで突っ走れたようなところがあったが、この日はなかなか客席があったまらなかったからなあ…。

ただ、それも2部になると空気が一変した。スタートの「KIFE GOES ON」から気合入りまくりの演奏。これは千葉のそれを何倍も上回っていたと思う。とにかくすごかった!激しくアコギをかき鳴らす洋に池畑+圭一のビートが激しくぶつかり、ものすごい波となって客席を覆い尽くす。
そう、驚いたことに、わずか2週間しかない短いツアーだってのに、バンドはまた前に進んでたんだよな。「BORN TO DIE」「それでも世界は美しい」「PRAYER ON THE HILL」「フリージア」…。どれも千葉でもやった曲なのに、違った展開が感じられた。
30年だよ、HEATWAVE。それなのにまだ進歩してる。こんな短い時間なのに…。柔軟性のあるミュージシャンってのはこういうもんなんだなあ、ってしみじみ思った。

圧巻だったのは一回目のアンコール。
“ツアー最終日だから、ちょっと楽しいことやろうか?”と言い出した洋は、おもむろにカントリー・ジェントルマンを手に…。来た来たっ!と思っていると、池畑さんがものすごいイントロを叩き出す。ルースターズの、というよりすべての福岡出身のビートバンドのDNAに組み込まれたナンバー、「TEQUILA」だ!これを間髪いれずに「WIPE OUT」へ繋げるという怒涛の展開。更に「Do The Boogie」も飛び出すという大R&R大会!これは店中が大興奮だった。オレなんか、もう頭の中が真っ白になったもん。
千葉ではなかった「新しい風」なんかも聴けたし、ツアー初日と千秋楽を観る事ができて本当にラッキーだったと思う。

洋は「今回はトリオだったけど、今年中に4人でまた絶対にやるから!」と言っていた。うん、やっぱ観たいよ、フルメンバーで。3人でもこれだけ濃いんだから、魚が入ったらどうなっちゃうんだろうなあ、ほんと。

hendrix69 at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音楽 

2009年06月09日

5月2日が過ぎて変わったこと

5月2日が過ぎて、オレは人生観が変わったような気がする。
なんつうか、死ぬのが怖くなくなったんだよな。生きてる上で、先のことを考えて計画することってあるじゃん。ウン十年ローンで家を建てるとか、足腰立たなくなった時の事を考えて身体を鍛えるとか…。なんか、そういうことも含めて、未来のために今何かを我慢するのは馬鹿らしくなった。

忌野清志郎って人のスゴイところは、批判を受けようが、行動に一貫性がなかろうが、今やんなきゃダメだって思ったことは即やったことだと思う。はっきり言って、オレなんか清志郎のやってたことで未だにわかんねぇことがいっぱいある。ひょっしたら本人だってわかってなかったことがいっぱいあるかもしれない(苦笑)。
でも、人生それでもいいんだって思うのよ。だって、理屈で語れる人生になんの意味がある?明日オレは家を出たらトラックにひかれて死んでしまうかもしれない。医者に行ったら癌の宣告を受けてしまうかもしれない。そんな時に後悔したって遅いのだ。死んじまったらみんな灰になって、両手で抱えられるぐらいの小さな箱に入るしかないんだから…。

考えてみると、オレ、自分の人生の務めの半分ぐらいはもう果たしてると思うんだ。
家のローンはまだいっぱい残ってるけど、それは死んでも保険が下りるから平気。いちおう家庭を持って子供も作った。下の子も来年は小学生。オレが死んだら多少はしんどくなるだろうけど、女房は強い女だからなんとかするだろう。仕事だって一応は形になったものをいくつか残してる。
そう考えると、オレなんかほとんど暇つぶしで生きてるようなもんですよ、今(笑)。

明日死んじゃったってそれはそれでしょうがないわ。そういう運命ならばね。
別にその辺でのたれ死んだっていいけど、まあどうせ死ぬなら大事な人のために死にたいわな。それが今ならそれでもいい。たった今、大事な人が死にそうな状態にあって、オレの命なり身体なりを差し出せば助かるって言うんなら、喜んでオレは差し出しますよ、自分の身を。どうぞ自由に切り刻んでくださいな(笑)。

人生ってのはほんとに短いんだな…。思い知ったよ、今回の件で。短い人生で一番大事なのは“自由”ってキヨシはシャウトしてたっけ。ほんとにその通りだとしみじみ思う。
決めたぞ、オレは。これからはやりたいことをやって、言いたいことを言う。
実際はなかなかそうはいかないかもしれないけど、男43にしてオレは開き直ったぞっ(笑)。

で、思ったんです。オレみたいなハンパな奴ですら人生観変えるぐらいなんだから、今回の一件で、同業のミュージシャンなんて余計そう感じているんじゃないかと。
たとえば、解散したバンドのメンバーで、今更再結成なんてカッコ悪いことできるか!って考えてたミュージシャンは多いと思うんだ。そういう人たちにこの件はかなりショックだったのではないか。
リスナーの立場のオレだってそうだ。これまでは、よっぽどのことがない限り再結成なんてのはバンドの美学に反すると思ってた。だけど、少しでも解散を惜しむ気持ちがあるのなら、それは万難を排してやるべきなんじゃないかと考えが変わった。
だって、死んじまったら何にもなんないんだよ。みんな灰になって、両手で抱えられるぐらいの小さな箱に入るしかないんだよ。後悔しても遅いんだよ。人間生きてるうちが華なんだよ。

5月2日が過ぎて、オレは考えが変わった。
HARRYが、蘭丸が、気持ちの奥の1%でも再結成をしたい気持ちがあるのなら、Street Slidersは再結成すべきだ。それはカッコ悪いことでもなんでもない。

2009年06月08日

『ROCKIN'ON JAPAN 特別号 忌野清志郎1951-2009』

忌野清志郎 ロッキングオンジャパン特別号―1951-2009

オレは初期のRCにかぶれた、ただのへそ曲がりなだけなのかもしれないけれど、このところの忌野清志郎の持ち上げられ方にはどうにも違和感があった。はっきり言うとすごく気持ち悪かった。いったい、みんなはこの男のどこに惹かれていたんだ?誰にもマネできない唯一無二のボーカリストだったから?家庭を愛し、「愛と平和」を訴える“イイ人”だったから?葬式に4万3千人も集める“キング・オブ・ロック”だから?清志郎を通じていろんな知り合いができたから?

オレは違う。

そりゃあ、忌野清志郎という人間が極悪人よりはイイ人の方が素敵に決まってる。だけど、仮に清志郎が牢屋に入るような人物だったとしても、オレは今と変わらず彼を愛しているだろう。だって、清志郎が作った歌がどうしようもなく好きだから。自分が忌野清志郎という人間を愛して止まないのは、まるで日記に書くような言葉で、オレをにこりとさせたり、ほろりとさせたりする「表現者」だからなんだ。

特別号には、かつて清志郎が行った4本のインタビューが収められた。そのどれもが、彼が「表現者」として自身の作品を語ったものであることを、何より嬉しく思う。
嬉しいというより、なんだかほっとした。このままだと、忌野清志郎という人物像がどんどんどんどん膨らんでいってしまうようで心配だったのだが、ここに収められたのは等身大のミュージシャン忌野清志郎。うん、渋谷陽一、いい仕事しました(笑)。

だから言っただろ?清志郎は「反骨のロッカー」なんかじゃないんだよ。ただ自然に、目に見えるもの、感じたことをバカ正直に歌ってただけなんだ。

学生時代、痩せた女につきまとわれた彼は、「痩せこけた女」というひどい歌を作った。
思い込みの激しい女たちからどうでもいいような贈り物をもらった彼は、「ファンからのおくりもの」という歌を作って、そんなくだらねえものは棄ててしまうと告白した。
生き方を変えてしまうほどの大失恋にあった彼は、「お墓」という大衆歌にはあるまじきタイトルの歌を作って過去を葬った。
極貧状態で石井さんと出会った彼は、「ラプソディ」という歌を作って、ともに人生を歩むことを決意した。
ロックが日本でも巨大な“業界”となりつつあった時、彼は反核・反戦を歌って“あえて”物議を醸し出した。
「忌野旅日記」のあとがきで、彼は“ゴーストライターありがとう”と掟破りの謝辞を述べた。

キャリアの折々での清志郎の肉声をきちんと受け止めれば、彼が決して“ロックの王様”となるようなミュージシャンではなく、むしろ異端といっていいぐらいの独特の感性を持った正直な「表現者」であったことがわかる。
歌ってることや、やっていることはその時々で違っていても、清志郎の態度は常に同じ。世間に自分がどう見られるかなんてことはまるで考えず、思ったことはすぐに歌い、実行し、やってしまう。しかも、いつ何時も自己陶酔に陥ることなく、苦しみながらも決してユーモアを忘れなかった。

「カバーズ」での反戦・反核のメッセージからか、清志郎を“中核派”なんて言った奴がいる。バカじゃねえかと思う。いったい歌の何を聴いてんのかって思う。あんなメッセージなんかどうでもいいんだよ。だって、清志郎は“歌ったが勝ち”としか思ってないんだから。そこに賛成やら反対やらがあるのは当然だ。そうやって遊んでくれよ、たかがロックなんだからさ…。清志郎はそう思っていたに違いない。
清志郎にとっては、「反核」も「失恋」も「愛と平和」も全部同じなのだ。歌は、歌ってしまえばあとは勝手に世界へ旅立っていく。その無責任さとパワーを清志郎はよく知っていた。だからこそ、どんなに大きな存在になろうと清志郎にタブーはなかったのだ。どんなテーマでも歌うことを躊躇わず、周りの騒ぎをよそに涼しい顔できわどい歌や変てこな歌を歌い続けた。そんな生き方をオレは「真摯」だと思う。

『ROCKIN'ON JAPAN 特別号 忌野清志郎1951-2009』には、「真摯」な「表現者」であった忌野清志郎という人間がきちんと据えられている。決して“いい人”なだけではない、エキセントリックな表現者としての彼の資質もきちんと据えられている。そこが素晴らしいと思うのだ。
限られた時間の中で、稀代の表現者・忌野清志郎の資質をきちんと引き出したインタビューをセレクトするのは、大変な作業であったことだろう。

CHABOのインタビューに関しては…。いろんなことを思ったし、胸が詰まった。だけど、オレは今ここでは何も語りたくない。
インタビューの中でCHABOの言った一言が頭に残って離れないのだ。“一番つらくて悔しいのはキヨシや奥さんの景子や子供達…”。親友のCHABOだって悲しいはずなのに、この期に及んでそんな気遣いをしてるんだよ、この男は。オレ、何よりもこの一言が一番胸に刺さったな。
そうだよな、CHABO。オレもたかが一ファンの分際でわかったようなことを言うのは止すよ。“あえて”沈黙する。それが「真摯」な態度なのでは、とは思ったんだ。だって、オレなんて、ただどうしようもなく悲しいだけなんだからさ…。

hendrix69 at 21:18|PermalinkComments(9)TrackBack(1)clip!忌野清志郎 

2009年06月07日

ボスと社長

「ROCKIN'ON JAPAN特別号 忌野清志郎」、素晴らしいと思う。
“過去のインタビューを集めただけじゃねえか…”なんて意地の悪い見方をする人もいるみたいだけど、とんでもないぞ!こんな短い期間で追悼に相応しいインタビューをチョイスするだけでも大変な作業なんじゃないだろうか。

内容の感想はもう少し後にしたいんだけど、今はひとつだけ書かせて欲しい。
オレはこの中の一枚の写真に釘付けになったんだ。それはページ中ごろの見開きで、清志郎とミック・ジャガーが肩を組んで笑っているという強力な2ショット。
ローリング・ストーンズ関係に詳しい人なら、誰がこの写真を撮ったのか、すぐに予想が付いたと思う。ミッキーこと有賀幹夫だ。
ストーンズは、公式カメラマンの採用や写真の使用許諾について、ものすごく厳しい制約を設けている。来日公演の写真とかがスポーツ紙によく載るけど、実はあれだって撮ってるのはすべてストーンズ・サイドが認めたオフィシャル・フォトグラファーなのだ。ストーンズの写真なんてのは、誰もが手軽に撮れるシロモノではないのである。
有賀さんは日本人で唯一ストーンズ・サイドからツアーの撮影を認められた人物。そして、かつてはRCサクセションや清志郎のライブ写真も撮っているカメラマンなのだ。RCとストーンズ両方を撮ったことのあるカメラマンなんて、おそらく日本ではこの人以外いないと思う。だから、清志郎とミックの2ショットは間違いなくミッキーの撮った写真。そう確信した。

それから、オレはこの写真がこの時期に載っている事自体が非常な驚きだったんですよ。
だってね、ストーンズの写真使用許可ってものすごく厳しいはずなんだよ。たった一枚の写真でも、その使用許諾においては何重にもわたる厳重なチェックを行うという噂。雑誌といえど、掲載が決まるまでには膨大な手間と時間がかかるはず。
この追悼号の場合、5月の始めに訃報が届き、追悼号を出すことが決まって、写真をチョイスして、ストーンズ側に使用許可をとって…。たぶん、その期間はおそらく2週間ぐらいしかなかったんじゃないだろうか。それが今手元にある。こうして日本中のロックファンがミックと清志郎という奇跡の2ショットを目の当たりにできている…。考えられない。普通じゃ絶対に考えられないことなんだよ、これは。

気になって、有賀さんのブログを見たところ、案の定。そこには、奇跡のようなエピソードが書かれてあったのだ。

オレ、感動しちゃったよ。これ、間違いなくミック・ジャガーが心を動かしたんだと思う。
20年前の清志郎との対面をミックが憶えているとは思えないけど、有賀さんの情熱が届いたか、天から清志郎の力が働いたか…。

見せてもらったぜ、「夢」が現実になった瞬間を。ほんと、追悼号にこの写真が載ったってのは奇跡みたいなことなんだ。清志郎はここでも見せてくれたんだな、「夢」の続きを!

良かったなあ、有賀さん!おめでとう!
この素敵な写真が日の目を見たことを、オレは素直に喜びたい。

hendrix69 at 17:46|PermalinkComments(8)TrackBack(0)clip!忌野清志郎 

「500マイル」を歌い続けると彼女は言った

Leyona

「Metro Music Oasis Vol.26」出演:Leyona / 6月5日(金)東京メトロ銀座駅構内
1stステージ 17時00分〜17時30分
2ndステージ 18時30分〜19時00分


自分が毎日乗っている地下鉄の運営会社・東京メトロはなかなか面白い所だと思う。情報誌顔負けの気合の入ったフリーペーパーをいくつも出していたり、東京の名所を紹介する番組のスポンサーをやったりと、ただの交通機関に留まらず、自分達が意識的に東京という都市の文化発信をしようとしているところが見受けられる。
このメトロ・ミュージック・オアシスってのもそんな試みのひとつ。丸の内線・銀座線・日比谷線と三つの地下鉄が交差し、多くの乗降客が集まる銀座駅の一角を使って、無料で良質の音楽を聴かせるという、音楽好きにはたまらない企画なのだ。何年か前にはバンバンバザールもこれに出たことがあった。

今回は待望のLeyonaの登場。やったね!雑踏の中で聴くLeyonaってなんかすごくハマるような気がする。オレ、この日の午後は仕事サボって駆けつけましたよ。何しろタダだし(笑)。
自分にとって、この日のライブのポイントは2つあった。ひとつは久々にパーカッションのラティール・シーとの共演が見られること。もうひとつは、おそらく終了後にはLeyonaと直接話す機会が持てるだろうということ。前にこのイベントを見たとき、終了後にバンバンバザールが即席のサイン会を開いていた。このイベントは、なんとなくそういうことをやりやすそうな雰囲気があるんだよなあ…。もともと、Leyonaはイベントの時などは、自分の出番が終わると普通に物販に立ったりする人なので、きっとこの日もそうするだろうという確信があったのだ。

自分が観たのは17時からの1stステージ。
予定より少し遅れて、銀座駅の駅長さんのお話の後にLeyonaが登場してきた。ラティールとは久々のデュオだったにもかかわらず、息はぴったり。今年の春に出たミニアルバム「MELODY」からの曲を中心に、ラティールもボーカルをとる「Fatou Yo」や「Love」なんかも含めた約40分のステージ。時間は短かったけど、ギターを抱えて汗びっしょりの熱演だった。
普段と違い、買い物帰りのおばさんや営業の時間調整のサラリーマンみたいな人も含めた幅広い客層に最初緊張気味に見えたLeyonaだけど、そこは百戦錬磨の彼女、最後は観客も参加した「Love」のコーラスもで、客席がひとつになる気持ちのいいグルーブを作ってくれた。
オレは、今月19日に彼女のデビュー10周年を祝うイベントライブに行くことになっているんで、この日はその前哨戦でもあった。相変わらず自然体のLeyonaのプレイを目のあたりにして、19日もいいライブになることを確信したな。

終了後は、予想通り2ndステージまでのインターバルを使ってCDの即売と即席のサイン会が行われた。
自分も彼女の新譜「MUSICISMAGIC」を買って、彼女と話をする機会が持てた。オレは、そこでLeyonaに10周年のお祝いを直接伝えることができた。いやあ〜ファン冥利に尽きます!(笑)
それと、オレはLeyonaにひとつお礼が言いたかったんだ。それは、清志郎があんなことになってショックが癒えぬ中、5月5日に横浜サムズアップであった彼女とバンバンバザール、吾妻光良さんとのライブに行った時のことだ。Leyonaはアンコールでかつて自分を可愛がってくれた忌野清志郎と共演した「500マイル」を歌ってくれたのだ。これはすごく沁みた。落ち込んでいた僕の心に、この歌はものすごく沁みた。ものすごく気持ちが癒された。
Leyonaは、常々音楽は人の気持ちを温かくするMAGICがあると言っている。オレにとって、あの時ほどそれを強く感じた瞬間はなかった。それをLeyonaに直接伝えたかったのだ。
短い時間だったからそんなに深い話はできなかったけど、気持ちは十分に伝えられたと思う。そして、彼女があの日、特別な思いで「500マイル」を歌ったこともよくわかったよ…。
最後にオレが「これからもずっと500マイル、歌ってください」と言うと、Leyonaはまっすぐにオレの目を見て、「はい!」と言ってくれたんだ。

なんかね、来て良かったと思ったよ。すごく。
忌野清志郎のいない世界で、清志郎のスピリットを受け取った人たちは、彼の意思を継ぎながらそれぞれの道を歩き出そうとしている。それがはっきりと伝わってきた。
19日に行われる「Leyona 10th Anniversary MUSIC IS MAGIC」には、CHABOも三宅伸ちゃんも出演が決まっている。きっと、どうしたって本来ならその場に当然いるべき人の不在を感じずにはいられないだろう。だけど、めそめそしてたって何もはじまらない。そう思った。19日、がっつり楽しんでこようと思います!

ありがとう、Leyona。オレも負けちゃいられないと思ったよ。

hendrix69 at 17:09|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!Leyona 

2009年06月03日

トランジスタ・ラジオ

ソロでバンドでたくさんのアルバムを残した忌野清志郎だけど、自分にとってはやっぱり「RHAPSODY」「PLEASE」「EPLP」の3枚は別格。一番多感な時期に出会うべきして出会ったアルバムだからだろうなあ。実際、今の自分を形成しているかなりの部分は、この3枚に収録された歌で形成されたんだと思っている。
その中でも、「PLEASE」「EPLP」の2枚ともに入っている「トランジスタ・ラジオ」、この歌こそがオレにとっての清志郎の原点だ。
もし、明日から無人島に流されることになって、何か一つだけ清志郎の作った曲を持って行ってもいいってことになれば、オレは「雨上がり…」でも「スローバラード」でもなく、迷わず「トランジスタ・ラジオ」を持っていくだろう。そのぐらい大切な曲。

この歌は、それまで聴いてきたフォークやニューミュージックやYMOなんかとは、決定的に違う何かがあった。まず感じたのは“まるでオレ自身のことが歌われてるみたいだ”ということ。それと“これは本当に学生時代の清志郎が感じていたことなんだろうなあ”とも思った。
前にも書いたけど、オレはその頃、行きたくもなかったバカ高校でなんとも冴えない高校生活を送っていた。はっきり言って、オレが音楽に向かったのは現実からの逃避だったんだ。音楽で知らない扉を開け、自分だけの世界を必死で作ろうとしていたあの頃。
何をやっても、ずっと寂しさがつきまとってたなあ…。落ちこぼれるってのはこういうことかと思い知った。楽しかった中学1年の頃の仲間はみんな遠くに…。人も物事もだんだん変わっていくんだなあ。変わんねえのはオレだけじゃねえか…。なんてね。

車や女の子がロックの常套句であるように、ラジオをテーマにした曲も世の中にはいっぱいある。清志郎の今度のシングルだってそうだし、あの頃だって佐野元春の「悲しきレイディオ」だの、モッズの「ごきげんRadio」だの、ラジオを歌った曲はたくさんあった。
でも、「トランジスタ・ラジオ」の世界は、そんな歌より二歩も三歩もこっち側に近づいてきてると思ったんだ。ラジオから飛び出す未知の音楽でぐわーんと広がる新しい世界…。そんなことを歌ったロックは星の数ほどある。だけど、「トランジスタ・ラジオ」には、それだけじゃない気持ち、あの頃自分が感じていたのと同じような、ある種の悲しみがあるのを感じたんだ。
海の向こうの音楽が届ける新しい世界に夢はどんどん膨らむ。だけど、夜が明ければ自分の居場所は今日と何も変わっていないという苛立ち。そして、教科書を広げてる彼女が属してるようなあの穏やかな世界にはもう二度と戻れないという悲しみ。それは、今にして思えば少年が大人になる時に何かを失ってゆく、思春期特有の悲しみとイコールだったんだと思う。

どうしてそんな流れになったのかはもう忘れちゃったんだけど、オレは当時ちょっと好意を持ってた女の子に「トランジスタ・ラジオ」を聞かせたことがあった。その時、彼女は“悲しい曲だね、これ”って言ったんだよ。彼女のつるっとした温かい声を、オレはあれから30年経った今でもはっきり憶えてる。
でも、彼女の意見にちょっと付け足すと、オレは悲しい曲だとは思ったけど、同時にすごく励まされもしたんだよな。それと、彼女の言う悲しさとオレが感じている悲しさとは少し種類が違うような気がした。“悲しい”という気持ちを共有できたことは嬉しかったけど、やっぱり男と女は違うんだなあ、なんてことを思ってがっかりしたり…。あー、思春期ってのはややこしかったなあ、色々と…(苦笑)。

今ならわかる。RCサクセションの曲は、誰が聞いてもいいと思えるような不特定多数に向けて作られた歌ではなかったのだ。優等生とか不良とかになりきれない少数派に向けて作られた歌。それは当時の忌野清志郎という人自身が少数派だったからこそ作り得たんだと思う。
もちろん、そんな理屈はニキビ面の高校生にわかるべくもなかったけど、世代も住む場所も違う人物が自分と同じような気持ちを歌っているという事実は、鬱屈した田舎の高校生にはものすごく大きな救いとなった。
「トランジスタ・ラジオ」こそが、自分と清志郎との関係性を、いや、もっと大きく出れば自分とロックとの関係性をも決定的なものにしたんだと思う。少年のような声で少数派のために自分自身の歌を歌ってる忌野清志郎という人物の存在に、ちっぽけだったオレは、本当に強く強く励まされたんだよ。

「トランジスタ・ラジオ」は、夢見る頃をとうに過ぎた今でも、時として激しくオレの心を振るわせる。
忘れもしない2003年の8月17日日比谷野音。伸ちゃんがあのイントロを“ガーン!”と弾き出し、一転して梅津さんがメロディアスなサックスを奏でた時、不意に涙がこみ上げてきて止まらなくなった。毎回そうなっちゃうわけじゃないから不思議なんだ、これ(苦笑)。でも、ほんとに力のある音楽ってのはそういうもんなんじゃない?理屈じゃないんだよね。心の奥に仕舞い込まれた何かが、不意に揺さぶられて元気付けられたり感動させられたりする…。これからも、僕は一生「トランジスタ・ラジオ」を聴き続け、不意打ちの涙に驚いたりするんだろうなあ。

不来方の お城の草に寝ころびて
空に吸われし 十五の心


突然何を言い出すんだと思った?(笑)
言わずと知れた、石川啄木の詩。これ、中学時代に現国の教科書で出会って以来、ずっと好きなんです。「トランジスタ・ラジオ」をはじめて聴いた時、これって「十五の心」そのものじゃん、って思ったんだ。
石川啄木の詩が今も多くの人たちを惹きつけるように、「トランジスタ・ラジオ」はこれからも時代を超えてはぐれた子供たちの心を打ち続けるんだろう。それは泣きたくなるぐらい素敵なことだとオレは思う。

2009年05月31日

HEATWAVE 30th ANNIVERSARY TOUR vol.1 "trio!!!" (山口洋+池畑潤二+渡辺圭一) / 5月31日(日)千葉・ANGA

"trio!!!" (山口洋+池畑潤二+渡辺圭一)
5月31日 (日) 千葉・ANGA [ WEB ]
オープニングアクト=ユダ
開場/開演=17時30分/18時


HEATWAVEは今年結成30周年を迎える。でも、派手な全国ツアーやホールコンサートは今のところ一切なし。山口洋が一人でライブをやる時と同じように、小さな町の小さな店で旅芸人のように幾つかのライブをやるだけだ。まあ頑固というか武骨というか。でも、この一徹さこそが山口洋=HEATWAVEの魅力。
今回のツアーは、キーボードの細身魚を除いたトリオ編成だ。わずか11日間で5箇所を回るというもので、都内で行われるライブはなし。でも、オレは昨年末に初体験したHEATWAVEのライブが強烈に印象に残っており、この3人でのステージをどうしても見たかったんだよ。初日は千葉。十分行ける距離じゃねえか。ANGAは初めて行くライブハウスだけど、がっつり気合を入れて乗りこんだ。

千葉駅から少し歩いた雑居ビルの地下にANGAはあった。思ったよりずっと狭い店。だけど、ちゃんとしたバーカウンターがあって、いかにもロックな感じのいいハコだと思った。フロアにはお客さんが80人ぐらいいたかな。最近ありがちな全面禁煙のライブハウスではないので、フロアのあちこちから紫煙があがっている。なんか、少しだけ懐かしさを感じる光景。こんなの3,4年前までは当たり前だったんだどな。自分は数年前に煙草を止めたけど、最近のどこでも禁煙にしてしまう風潮は大嫌い。ロックって何かから解放され、発散するために行くんだろ?そんな場を禁煙にしてしまうってのは、なんかおかしくないか?既成だらけで寛容性のない社会は、結局は自分たちの首を絞めるだけだ。

地元のミュージシャン、ユダのオープニングアクトに続き、18時40分ごろにHEATWAVEが登場。ステージに向かって左手にベースの渡辺圭一、右手に山口洋、そして中央奥にドラムの池畑潤二がどんと構えるという構図。皆全身黒ずくめだ。池畑さんは帽子を被っている。如何にも年季の入ったロックンロールバンドといった趣だった。

トリオのHEATWAVEは、魚がいる時とはまた違った魅力を感じる。なんていうのかなあ、音数が少ないだけに、一つ一つの楽器の音が妙に生々しいのだ。山口さんも言ってるんだけど、HEATWAVEの出す音は最近のロックバンドと比べればかなり小さい方。アンプ直出しかと感じるぐらいで、ほとんど生音に近いと思う。でも、そこがいいのだ。デカイ音でやることがロックじゃない。ストリートでやるからロックなんだって言ったのはピート・タウンジェントだったけど、それと同じ美学をHEATWAVEには感じる。

あとで山口洋のブログを読んで知ったんだけど、ライブ前の数日間、山口洋はかなり追い込まれた状態だったという。何が原因かはわからないが、その苦しさは言葉が出ないほどの状態だったというのだ。
でも、そんなことはステージからは微塵も感じられなかった。彼は、ライブを“生きてることを唯一確認できる場所”と言ってるほど、一回一回のステージにかけている。しかも、この日のANGAはバンドとしては初上陸なのだ。ソロで2回やってようやく漕ぎ着けたバンドを招いてのステージに、ANGAのスタッフは相当に気合が入っていたようだし、男気溢れるヒロシとしては、それに是が非でも応えたい、絶対に弱音は吐けないと思っていたんだろう。
とにかく、この日のHEATWAVEは熱かった。そしてオーディエンスも熱かった。山口洋はものすごく大胆にかつ繊細にプレイをしていたように思う。ライブのほとんどはアコギでのプレイに終始していたのに、エレキを弾き倒した時とまったく同じような爽快感があった。

当たり前の話だけど、この3人はほんと巧いね。世の中には星の数ほどR&Rバンドがあるんだろうけど、これだけシャープなサウンドを聞かせるトリオはそうそうないような気がする。
ヒロシを支えるリズム隊も素晴らしい。池畑さんの変化自在なドラミングは言わずもがなだけど、渡辺圭一のベースはもう神の領域だな。土台を支えるどっしりしたビートに加え、山口洋のリフに拮抗するようなメインメロも時として爪弾き、トリオとしての表現の幅をぐっと広げていると感じた。

この日、特に印象に残った曲は、野田敏というミュージシャンが25年以上も前に書いた「カモメ」という曲。ヒロシはこれをアマチュア時代に地元の小さなライヴハウスで聴いたらしい。
俺はこの曲をまったく知らなかった。野田敏という名前すら知らなかった。それもそのはず、「カモメ」は誰かがカバーしているものを除けば音源化されておらず、ほとんど世の中に知られていない曲なのだ。ヒロシにしても、たった3回くらい生で聞いただけ。なのに、ずっと心に残っていたというのだ。そんな曲がこの世にあることは素晴らしいと思うし、そんな曲を25年も経ってステージでカバーするヒロシも素晴らしいと思う。そして、そんな曲に千葉の小さなハコで出会えた幸運を僕は素直に喜びたい。そうだよ、人生のささやかな喜びってこんなものなのさ。

一晩中 狂ってなさい
一晩中 歌ってなさい
一晩中 叫んでなさい
一晩中 一晩中 一晩中

君はなんて素敵
カモメのように自由だ
カモメのように自由だ
自由だ 自由だ 自由だ


く〜っ最高だぜ!これはいつか絶対に音源として残すべき。そう思わないか、ヒロシ?

もう一つ忘れられないことがあった。それは僕がお店を出ようとした時に突然起きたビックサプライズ。
アンコールが終わり、フロアは照明が点いて明るくなった。お店の人によるMCが流れ、オレもそろそろ帰ろうかと出口に向かったところで、緞帳の下りたステージから突如エレキギターのリフが鳴り出した。うわっと思ったら、さっと緞帳が開いてステージにはヒロシ以下3人が。ヒロシは“やっぱりもう少しエレキが弾きたくなった!”と絶叫。曲はDO THE BOOGIEだった。言うまでもなくルースターズのカバー。っていうか、from福岡のバンドがこの曲をやるのなら、それはもうカバーとはいわないのかも。ましてこの夜はドラムに池畑さんがいるんだし。
とにかく、手を伸ばせば届きそうな距離で3人が、最高のR&Rブギーをプレイしてるんだから興奮せずにはいられない。もう帰ってしまったお客さんもいたんだけど、残ったお客さんは大興奮状態だった。

オレ、このトリオでのツアー、10日にも横浜で見ることになってる。千秋楽だ。ヒロシいわく、“ぜんぜん違うバンドになって戻ってくるよ”とのこと。楽しみだ!

hendrix69 at 23:59|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!音楽 

2009年05月28日

RCサクセション、忌野清志郎との出会い

こういうことは今まであんまり話したことないんだけど、少し気持ちも落ち着いてきたし、ちょっと書いておこうかなと。でもねえ、オレの場合、いろんな人が言ってるようなカッコいい出会い方はしてないんだよなあ、RCとは…。
一番最初にRCサクセション=忌野清志郎と出会ったのはTV。それもピンクレディーのレギュラー番組なんだから笑っちゃうよね(笑)。

オレとRCが出会ったTV。それは70年代の終わり頃にやってた「ピンク百発百中」ってやつです。その頃のオレはサカリの付き始めた中2の坊主。白状するとレギュラー出演してた石野真子の大ファンだったんだな、これが(笑)。
で、ある日その番組のゲストにRCが出たんです、なぜか。当たり前ですが、もう思いっきり場違い(苦笑)。ずいぶん昔の話だから、清志郎がどんなカッコしてたのかとかはほとんど記憶にないんだけど、ひょろひょろの身体でやたら手足が細く、なんかカマキリみたいな奴だなあ〜って思ったことは憶えてます。それと、左右色違いで履いてた靴下を、司会の井上順に茶化されてたことも…。

歌ったのは一曲だけ。忘れもしません、「ステップ!」です。これが正真正銘、オレが初めて聴いたRC!強烈でしたよ、やっぱ!
オレねえ、何よりも清志郎の声に強い印象を持ったんですよね。少年のような高い声なのに太くてハスキー、歌い方もコブシが回ってる風なのに全然重くない。ガナってるのにうちの安っぽいテレビからも言葉がはっきり聞き取れる…。なんなんだ、こいつは?!って感じよ、もう。こんな不思議な声は初めてでした。
でも、その時は後から出てきた石野真子の素敵な太モモに心奪われちゃって(苦笑)、RCサクセションというバンド名も、忌野清志郎という名前もあっという間に忘れちゃったんだよね(苦笑)。
ついでに言っとくと、今はもう石野真子は好きでも嫌いでもありませんが、当時突然真子ちゃんと結婚して俺たちを悲しませた上、家庭内暴力であっという間に離婚した長渕剛は今でも大嫌いです(苦笑)。

再びRCと出会うのはそれからしばらく経って。
実は名前だけは知ってました。オレはそろそろ音楽に目覚めてきてて「宝島」とか「週間FM」とか読み出してたんですけど、その頃は毎号のようにRCが出てましたからね。でも、それが2年前にピンクレディーの番組で見たあのバンドだとは夢にも思わなかったんですよ。

それと、当時のオレはYMOの熱狂的なファンだったんで、知っててもあえてRCを聴かなかったってのもあります。
あのね、うちらの時代は、誰それのファンっつうのが即そいつのアイデンティティみたいなところがあったんで、おいそれと幾つものバンドのファンだなんて口に出来なかったんですよ。今のロックフェスって、いろんなバンドをファン同士がシェアするじゃん。あんなの考えられなかったんだよ、とてもじゃないけど…。
オレの場合、何かの雑誌でG2が“YMOみたいな線の細い音はキライだ”って発言してたんで、それに反発覚えちゃったんだな(苦笑)。なんでそんなくだらないことにこだわってたんだろうなあって今は思うけど。青かったなんだなあ…(苦笑)。

2年後、オレは高校生になってました。
でもねえ、てんで冴えない気分だったんです。なにしろ勉強しなかったから、第一希望にも第二希望の高校にも行けなくて、結局、市内から1時間もかけてチャリ通しなければなんないハメに陥っちゃいました。
オレんとこなんて田舎だからさあ、市内から1時間もチャリ漕ぐと、もう信じられないような景色が広がっちゃうのよ(笑)。世間じゃあ、カフェバーだ、クリスタルだって言ってた時代じゃん?何が悲しくてリンゴ畑を駆け抜けてつまんねえガッコ行かなきゃなんねえの?って思った。もうふてくされましたね、完璧に。冗談抜きに、オレの青春終わったって思ったもん(苦笑)。

でも、同じような挫折感持ってる奴はいるもんで、そんな不良になりきれない落ちこぼれ同士で音楽の話なんかをするようになったんです。オレが本当の意味でロックに目覚めたのはこの時期。音楽を聴いて妄想することでオレは自分を救ってました。人はそれを逃避というのかもしれないけど、あの頃はそれしかなかったんだからしょうがないじゃん(苦笑)。
洋の東西を問わずいろんなレコードを買ったり借りたりしたなあ。高校1年の夏までに、自分だけの世界がぐぃーんと広がっていきました。
そんな時ですよ、RCサクセションがすーっと入ってきたのは…。

「BLUE」が出たばっかりの頃、オレはそいつを貸しレコード屋で借りました。A面一曲目の「ロックンロール・ショー」を聴いて“あっ!”って思いましたね。2年前のあの声じゃん!そうか〜RCサクセションってのはこいつらだったのか〜!ってなもんだよ。
ほどなくして武道館ライブのテレビ中継を観て完全にヤられました。かつて井上順にいじめられてたやせっぽちのカマキリは、2年の間にものすごくデカくなってたんです。
それに加えてCHABOがものすごくカッコよかったんだ〜。当時のCHABOは、ヘアバンドで髪をこんもりと盛り上げ、清志郎に負けないぐらい派手な化粧でギター弾いてました。この2人の対比ときたら…。もう最高でした!

これはね、RC解散後にCHABOや清志郎のファンになった人には、なかなかわかってもらえない感覚だと思うんだけど、当時のRCのライブは今では考えられないぐらい毒気たっぷりだったんですよ。
変な話、オレの場合、自分が性的なものに目覚める時期と重なってたこともRCに魅かれる理由になってたと思うんだ。だって、思春期の健康な男子なんて、考えることなんかセックスのこと80%、残りの20%で音楽だの勉強だの進路だの考えて生きてるわけじゃん(笑)。
だから、「Sweet Soul Music」の“シートに沁み込んでる お前の匂い〜♪”ってとこで清志郎が鼻をつまむところとか、「あきれてものがいえない」の時に清志郎が鳥の羽根みたいな衣装で梅津さんにおっかぶさり、他のメンバーが2人を囲んでエンヤードットみたいなアクションをするやつとか、そういうのはすごくセクシャルな感じがしたんだよなあ。「雨上がり…」や「指輪をはめたい」のダブルミーニングにも、オレは早くから気が付いてました。

落ちこぼれ。ズベった女の子への関心。周りのダセえ奴らへのイラつき。ロックスターへの憧れ。FMラジオからのまだ見ぬ世界。あの頃急速に出来つつあった自分自身の世界のど真ん中に、RCサクセションは、すーーーーっと、ほんとにすーーーーっと入ってきたんです!!!!!

うーん、長くなってしまった(笑)。やっぱ酒飲んでブログ書くとイイなあ。忘れかけていた話をどんどん思い出します(笑)。
こんな話だったら1年でも書けます。長くなりそうだけど書くぞ!(笑)。書いとくべきだと強烈に思った、今。もうね、読んでる人がいようがいまいが構いやしねえや!(笑)

おーい!清志郎さん、読んでくれてる?
今日はここまでだよ〜〜ん。ぼよよ〜〜ん(笑)。(←わかる人いるかな?)

ほいじゃまた。チャオ!

2009年05月23日

仲井戸CHABO麗市 monthly CHABO vol.11 CHABO SOLO 「COVER Night !!」/ 2009年5月23日(土)南青山MANDALA

CHABO MANDALACHABOは男らしかった。そして、何よりもプロフェッショナルだった。オレはそう思う。
“あのこと”があって間もないライブ。無二の親友の逝去。どう考えたってCHABOの気持ちが乱れていないわけはない。このところ、CHABOの公式サイトにはCHABOを心配するファンの声が多数寄せられていた。僕だって心配だった。CHABOが望むんだったら、事前から告知されていた“Cover Night”の体裁を変えてもいいと思ったし、なんだったら最悪ライブを中止にしてくれたっていいとさえ思っていたぐらいだ。
でも、一方でCHABOならきっとやるだろうなという確信もあった。音楽を作ってギターを弾き歌うことを、誇りを持って“仕事”と言い切り、一本一本のライブを大事にするCHABOならば、絶対に何があってもステージに立つだろうと…。

果たしてそのとおりになった。しかもライブ冒頭で、最初から告知してあった“Cover Night”という枠は守ると約束した上で、昨日・今日の2日間を忌野清志郎への追悼ライブにすると、はっきりと宣言したのだ。そして、3時間10分の長いステージを見事にやり遂げた。
あっぱれだと思った。男だと思った。素晴らしいミュージシャンシップだと思った。この難しい時期に自分の仕事をきっちりとこなし、かつ天に眠る親友をしっかりと見送ったCHABOを、僕は一人の男として心から尊敬する。今日はミュージシャンとしてはもちろん、一人の男としてのCHABOの生き様を見せてもらったように思う。

いつもとは違い、賛美歌が流れる中をサングラスをかけたCHABOが登場。その瞬間、客席からは長い長い拍手が起こった。そうだ、みんなわかっているのだ。この日どんな気持ちでCHABOがステージに立っているのかを…。よくぞステージに出てきてくれた。頑張れ、CHABO。俺たちが付いてる。何が起ころうと、俺たちは最後までCHABOを見届けるぞ。そんな拍手だったんじゃないのかな、あれは。

冒頭はジョン・レノンのカバー「Oh My Love」のインストだった。ギブソンのナイロン弦を滑るCHABOの手がかすかに震えている。でも、オレは演奏の出来なんてどうでもいいと思った。この夜は特別なものなんだから…。
エルトン・ジョンの「ユア・ソング」。これは先月のポンタさんとのライブでもやっていたけど“ここにいるはずの君がいない…”という意味が以前とはがらっと変わってしまったことに気付き、早くも胸が締め付けられるような気持ちになってしまった。それでも、その後のMCでCHABOは“エルトン・ジョンの曲はこれと「なんとかロック」しか知らない”と言って笑いをとってくれ、ほっと肩の力が抜けたんだけどね。

ライブ本編はすべて洋楽のカバー。憶えてるところだと、「ハートに火をつけて」(これはドアーズ版じゃなくて、スペイン人みたいな名前のシンガーの方のバージョン)、マリアンヌ・フェイスフルの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」、サイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」、アレサ・フランクリンの「小さな願い」、キャロル・キングの「君の友だち」、スティービー・ワンダーの「太陽の当たる場所」、ルシンダ・ウイリアムスの「アー・ユー・オーライト」等が演奏されたはずだ。

改めて思ったんだけど、最近のCHABOはカバーを本当に多く歌ってきた。そして、気が付くとその日本語詞はみんな清志郎への想いが溢れたものばかりなのだ。
「太陽の当たる場所」では“太陽のあたる場所へ、君を連れて行こう。オレの肩につかまればいい…”。「小さな願い」では“朝起きると顔を洗う前に奇跡が起きることを願う”。「君の友だち」では“本当に辛い時、友だちとして自分は何が出来るだろう…”。ほんとうに、どれもこれも親友の身を案じる気持ちをストレートに歌いこんだものばかり。最近のCHABOの中で、如何に清志郎を想う時間が多かったかがよくわかる。
「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」はジャガー&リチャーズの作だが、MCでは清志郎からRCへの加入を薦められた留守電のバックに“アンジー”が流れていたというエピソードを話した。“あいつなりに一生懸命考えたんだろうな。バカだよな…”と、ぼそっとつぶやくCHABO。そのさり気なさにかえって喪失感の大きさが感じられ、たまらない気持ちになった。

個人的には、この日が「Cover Night」という枠のライブでかえって良かったと思う。
だって、追悼ライブに奏でられる曲がCHABOのオリジナルだったら、この後聴く時もしばらくはそのイメージを払拭できなくなってしまうだろう。それは辛い。あまりにも辛すぎる。
実は今、僕にとっては「夢介」がそんな状態なのだ。聴きたくて聴きたくてたまらないのに、どうしても清志郎の闘病とその後の死というフィルターを通して曲を聴いてしまう自分がいる。辛くて最後まで聴き通せないのだ。もう、そんな曲がこれ以上増えて欲しくない。まして、かけがえのないCHABOのアルバムでそんな思いを味わうのは絶対に嫌だ。
RCや清志郎、それにCHABOの曲は、僕にとってライブで聴くためだけの音楽ではない。日々の暮らしのいろんな場面で流れる生活のための音なのだ。そんな大事な歌たちが悲しみのベールを纏ってしまうのは辛い。すごく辛いんだ。そういった事態がCover Nightという枠があったおかげで回避できたと思ったのである。本当に勝手なファンの思い込みなんだけどね…。

でも、もしかしたらCHABO自身もそう思っていたかもしれないと思うのだ。最近のCHABOのオリジナルの中にも、清志郎との関係を歌ったと思われるものはあるにはあるが、癌の再発が告げられてから書かれたものは僕の知る限りない。
これは想像でしかないのだけれど、あまりにも辛い出来事を前にした時って、詞は書けても曲はなかなかできないものなのではないだろうか。だからCHABOは、自分の今の言葉に近いフィーリングの歌を探し、既存の楽曲に自分の想いを託す作業をしたんだと思う。最近のカバーの多さはそんな理由があったんじゃないだろうか。

この日のライブ本編で一番辛かったのは、ポエトリー・リーディングとその後に奏でられた中盤の何曲か。
ポエトリーは2本だった。最初は短い詩「バス停で待ってる」。そして次がエッセイ集「一枚のレコードから」の中から「カフーツ」の朗読だった。これは本当に聴いてて辛かった。暑かった1994年夏の思い出とともに、ザ・バンドの名盤「カフーツ」の話が語られるんだけど、この夏、清志郎とCHABOは本当に特別な夏を過ごしたことを思い出さずにはいられなかった。日比谷野音での一夜限りのライブ、GLAD ALL OVERに向けてのかけがえのない日々。北海道でのテレビ収録、清志郎の家でのリハーサルの日々…。蝉の鳴き声をバックに語られる宝石のような時間の断片を、CHABOは必死にかき集めているように見えた。2人とも大好きだったというザ・バンド。カバーされたのは「ムーン・ストラック・ワン」だったろうか…(違っていたらゴメンなさい。ここら辺はあまり自信がありません)。

後半はもう、ストレートな想いを吐き出した言葉の連続。

がんばっているけど、君の不在を受け止められないんだ。
夏がまた嫌いになりそうだ。
今は音楽も聴けない。あの頃のことを思い出してしまうから…。


涙を流して何度も天を指差しながら歌うCHABOは、本当に悲痛だった。僕はこの日は絶対に客席で涙を流すまいと思っていたんだけど、後半はダメだったなあ…。あのCHABOが、音楽を何よりも大切に思うCHABOが、それすら傍に置けないほど打ちのめされている…。そう思うだけで胸が潰れそうだった。

作者は忘れてしまったけど、「ハート・ライク・ア・ホイール」の歌詞も心に刺さった。CHABOはこんな風に歌っていたのだ。

“心はまるで車輪のよう。折り曲げてしまったら、直すことは出来ない”

アンコール。僕の心は複雑だった。CHABO、もう十分だよ…。もうゆっくり休んでくれよ…。僕はためらいながら手を叩いていた。でも、アンコールはあったのだ。CHABOは出てきた。いつものように…。
ドブロを手にしたCHABOは、清志郎の思い出がいっぱいだというサム・クックのカバー「ユー・センド・ミー」(間奏に“ティーンエイジャー”や“モーニングコールをよろしく”のフレーズを挿入)、少しづつでも前に進もうとする意思を示そうとするかのような「ユー・ガッタ・ムーブ」、そして、清志郎が闘ったブルースにケリを入れるかのようなローウェル・フルスンの「エブリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」をプレイした。

その後は、なんとRCサクセションの、忌野清志郎のカバーだった!
まず最初。MCでCHABOは言った。“君ぼく”と。「君が僕を知ってる」だ。演奏終了後、CHABOは堂々と「日本が生んだミディアムテンポのR&Bの最高傑作だ!」と叫んだ。そのとおりだと思う。そして、そう言い切ってしまえるほど誇りを持ってこの曲を演奏しているということに、改めてCHABOの歩んできた道の長さと、RCサクセションというバンドの偉大さと、清志郎というソングライターのデカさを感じた。

カバーはこれで終わらなかった。「いいことばかりはありゃしない」、そしてなんと「雨上がりの夜空に」が演奏されたのだ。
後から聞いた話だと、「雨上がり」は前日はなかったらしい。実際CHABOはこの日照明の後藤さんに“後藤、ゴメン。やっぱりこれを挟む!”と言っていたから、関係者も知らなかったことだったんだと思う。
しかし、なんと悲しい「雨上がり」だったことか…。コブシを振り上げながら悲しみの涙に暮れた「雨上がり」。でも、僕は今思うんだ。CHABOが清志郎がいなくなった今もこの曲をやってくれた。そのことだけで意味があるんだと。

曲が終わった後のこの曲の歌詞に関するエピソードも印象に残った。どういう話かっていうと、この曲がシングルバージョンとアルバムバージョンとで歌詞が違うこと、それが担当ディレクターのオヤジの意見でそうさせられちゃったということ、そして今でも若手バンドとイベントでこの曲をやると、シングルバージョンで覚えてくるバンドがけっこういるんで、合わせると歌詞が違っちゃうという話だ。
そして最後に、“だけど俺たち、「違う!」って言えねえんだよな…。RCっぽいだろ?”ってぼそっと言ったのが、何故かすごく心に残った。この日のライブで唯一CHABOが表情を緩めた瞬間だ。やっぱりRCの話をするのは楽しいんだろうなあ。客席の僕らはもう泣き笑いだ。
なんか、オレは嬉しかったんですよ。CHABOがこの期に及んでこんな話をしてくれるってことが。これはCHABOが、自分のライブにくる客がRCというバンドのカラーをよく知ってくれているということを知っているという前提があってこそ、CHABOがファンを信用してくれているからこそできる話だと思うからだ。

セルフカバーは「夜の散歩をしないかね」で終わった。後半の裏声にオレはびっくりした。僕はこれまで何十回もCHABOのライブを見てるけど、あんなCHABOの声は初めて聴いた。あの声は清志郎そのものだと思った。

最後の最後はグラハム・ナッシュの「嵐が去った後」。ここでもCHABOの歌詞はあまりに赤裸々。言葉の一つ一つが胸に突き刺さった。心が痛かった。だって、CHABOは切々とこう言うんだよ。

君に会いたいんだ。話があるんだ。友だちが必要なんだ。友達を突然奪われて悔しい…。

最後の最後、CHABOは清志郎宛ての手紙を読んだ。
その中でCHABOははっきりと言っていた。

「なあ清志郎、歌い続けること、だよな?」

3時間10分。CHABOはやり遂げた。やり遂げたのだ。オープニングと同じように賛美歌の流れる中ステージを去るCHABOに、いつまでも拍手は鳴り止まなかった。

こうしてCHABOにとっても、ファンにとっても特別な夜は終わった。
僕はこの日、よく一緒にライブを観ている同年代の友だちと一緒だった。彼は9日の葬儀式に行けなかった(行かなかった)んだけど、“これでやっと自分の中で区切りが付いた気がする”と言っていた。
僕も同じ気持ちだ。僕は葬儀式にも行ったけど、なんて言ったらいいんだろうか、あの葬儀式はGODとかKINGとか言われているパブリック・イメージの忌野清志郎の送別みたいなタッチで、今回の追悼ライブは、RC初期から清志郎を見ている人が抱いている清志郎のイメージ、かつて僕たちと近いところで歌っていた清志郎=栗原清志への追悼みたいなタッチがあったと思う。
これは個人的な感じ方なんだけど、僕は以前からCHABOのライブで感じる観客のタッチは、清志郎のそれよりも、かつてのRCのファンに近いような感じがしていた。だから、なおのことこの夜をそう感じたのかもしれない。巧く言えないけど、明らかに葬儀式のあの感じとは違う空気が観客側にあったと思う。これは、RC時代から清志郎とCHABOをずっと見続けている人ならきっとわかってもらえる感覚なんじゃないだろうか。

もうひとつ思ったことがある。できることなら、明日からはもう清志郎のことで泣かないようにしようと思った。少なくともCHABOのライブでは、CHABOの見えるところでは、オレは絶対に涙を見せないようにしようと強く思う。
清志郎がこの世にいないのは寂しい。白状すると、僕は今でも家族が寝静まった後、独り酔い潰れてめそめそしたりする夜があるのだ。清志郎がこの世にいないという現実は、僕が思っていた以上に僕自身をを打ちのめし続けている。
でも、このライブを観ていて、当たり前の話だけど近しい人たちの悲しさはそれ以上なんだと気が付いたのだ。CHABOの悲しみの大きさは僕らの想像を絶するものがある。それは決してCHABOと「共有」することはできない。だったら、本当に辛いと思っている人に辛く悲しい顔を見せるのは、ただ悲しみを増幅させるだけなのではないだろうか。

僕らができる、忌野清志郎への最大の供養は、あまりにも月並みな結論かもしれないけど、やっぱり彼が残した作品をずっと聴き続けることだと思う。だって、僕らと清志郎との関係はあくまでミュージシャン対リスナーなのだから…。この関係は100年経っても変わらない。
ならば、僕は今までどおりに、死ぬまで清志郎の曲を聴き続けよう。当たり前のことかもしれないけど、そんなことを今更ながらに思った。

だからCHABO、今はまだ辛いだろうけど、これからもずーっとRCの歌を、清志郎の作った歌の数々を歌い続けてくれよ。
大丈夫。きっといつかは僕らも笑って聴けるようになるから。ゆっくりと、ゆっくりとでいいから、いつかのあの夏へ帰ろうぜ…。ねえ、CHABO…。

2009年05月18日

“Swing Swang Swingin Fujisawa 2009 〜 What's Love Rikuo” / 5月6日(水・休)神奈川県藤沢市 太陽ぬ荘(てぃーだぬそう)スタジオロビー

5月6日(水・休)神奈川県藤沢市 太陽ぬ荘(てぃーだぬそう)スタジオロビー
“Swing Swang Swingin Fujisawa 2009 〜 What's Love Rikuo”
ゲスト:eli(ex.ラブ・タンバリンズ)
前\2000(1drink) 開場18:30 開演19:00


GWライブの2本目はリクオだ。
奇しくも2日続けて東海道線に乗ることになった。清志郎の訃報に天も涙しているのか、相変わらず雨は止まない。でも、昨日のバンバンバザールと吾妻光良、それにLeyonaのハッピーな音楽を聴いて、僕はだいぶ元気を取り戻していた。くよくよしててもダメなんだ。憂鬱な気持ちなんてリクオのピアノでぶっ飛ばしちまおう!こんな時こそ音楽じゃねえか!そう気持ちを奮い立たせて藤沢まで乗り込んだ。

普段、都内でライブを見ることの多い僕にとって、藤沢は完全にアウエーである。それでも、どうしても藤沢でリクオを見たかったのだ。何故なら、藤沢はリクオのホームタウンだから。「海さくら」などのイベントを通してこの町の魅力に目覚めたというリクオは、昨年都内から藤沢に引っ越した。今ではすっかり地元に溶け込み、これからは地元に根ざしたライブも定期的にやっていきたいと考えているという。リクオのサイトでの日記を読む限り、地元でのライブはかなり盛り上がるらしい。BYGやラ・カーニャで見るリクオもいいけど、これはぜひ地元でハジけるリクオが見てみたい…。そう思っていたのだ。

会場となったのは、なんと地元の音楽スタジオだった。ここはリクオ自身も時々リハで使っているらしい。ロビーは思いの他広くイベントにも充分使える広さがあった。ご機嫌なのはアルコールもオーダーできるバーカウンターがあること。要するにライブハウスとなんら変わりない環境なのだ。いや、穴倉のようなライブハウスよりもっと開放的で音響もばっちしだから、むしろちょっとしたホールコンサートに近かったかもしれない。
集まった観衆は3,40人といったところか。やはり地元の人が多かった。リクオは前の日にも地元のバーでカバー曲を中心としたライブをやったらしく、この日の観客には前日から続けて参加した人もいたみたいだ。

定刻から10分ほど遅れてリクオが登場してきた。タイトなジーンズにバッシューみたいな靴を履き、上はジャケット、60年代のボブ・ディランみたいな帽子を被っている。
この日のリクオは最初からかなりご機嫌だった。オレ、リクオがノっている時の目安を一つ知ってるぞ。それは、MCがやたら長くなること(笑)。この日のリクオはビールを片手にかなりリラックスしてたくさん観客に話しかけていた。
僕はリクオの正面2列目に座ってたんだけど、客席とステージとの距離が近く、フラットな空間なので、嫌でもオープンマインドな心理状態になってくる。僕でさえそうなんだから、地元のファン達は言わずもがな。ビンビンに盛り上がっていた。リクオのMCに飛ぶ歓声。愛ある茶々(笑)。それにリクオが絶妙の切り返しで答える。ここは大阪か(笑)。まるで掛け合い漫才…いやいや、ゴスペルチックというべきかな、ここは(笑)。
人によっては、こういう状況を内輪受けと感じるかもしれない。でも、僕は全くそうは思わなかった。もともとこういうアウエー状態が気にならない性格でもあるんだけど、東京のちょっとすました観客層とは違った、ある種猥雑なノリに新鮮なタッチを感じていた。気が付くと、僕もここがアウエーであることを忘れ、すっかり場のノリに同化。実際、かなりお酒飲んじゃったんだよなあ、この日は…(苦笑)。
ステージのリクオもかなり飲んでたはずだ。少なくとも、アサヒ・スーパードライを3本は軽く飲んでたよ(笑)。

演奏された曲は、目下のレイテストアルバム「What's Love」収録のものを中心に、最近のライブで演奏される定番曲が多かったが、「夜は自由」とか「明日へ行く」とか、かなり珍しいものもあった。
カバーも多かった。特に僕が心打たれたのはジョン・レノンの「Oh My Love」。これはCHABOもソロライブの時によくギターでメロディーを爪弾くことがある美しいバラードだが、その日本語詞をリクオが歌ったのだ。リクオの歌うジョンのカバーだと、依然「ジェラス・ガイ」を聴いたことがあったけど、これはそれに勝るとも劣らないぐらいの素晴らしい解釈だった。

ゲストのeliが出てきたのは2部から。僕はラブ・タンバリンズ時代の彼女をよく知らないのだけれど、強烈な個性を感じたなあ。リクオも日記で言っていたけれど、この人はある種の決意を持って歌と立ち向かっているような気がする。
歌うことで何かを振り切るように、まるで自身を音楽に捧げるかのようにエキセントリックなパフォーマンスを見せるeli。圧倒的なボーカルに力強さを感じる反面、崩れ落ちそうな繊細さが時々顔を出し、崖っぷちで歌っているようなひりひりしたものを感じた。

eliとリクオの共演は4曲。意外なところでまずは「竹田の子守唄」。二曲目はなんと原田真二の「OUR SONG」だった。世代がわかちゃうけど、僕も原田真二はけっこう好き。リクオは彼をピアノを弾きながら歌うシンガーソングライターとして、自身の原型を見ているようだ。曲に入る前にちょろっと「キャンディ」のイントロを弾いたりもしていた。3曲目はなんと「Time After Time」。これも世代が分かっちゃうけど大好きな曲。80年代のチャートを席巻していたシンディ・ローパーの名曲だ。これ、ミュージシャンにも好きな人が多いんだよね。なにしろ、あのマイルス・デイビスがカバーしたぐらいなんだから…。僕はeliがこの曲をカバーした理由がなんとなく分かる。彼女の歌は、ちょっと感情が入りすぎてしまっていたが、曲が解体してしまう寸でのところでこっち側に留まっていたと思う。
キャロル・キングのカバー「君の友だち」が終わるとeliはステージを降りたが、リクオとのセッションはかなり刺激的だったらしく、ステージを降りた後も客席からリクオのライブを観ていて、曲によってはお客さんと一緒にコーラスを歌ったりしていた。

そしてアンコール。ここでリクオは“あの人”の話をした。誰あろう、忌野清志郎のこと…。リクオの語る清志郎の話は、同世代の僕にはすごく共感できるものだった。
リクオはこんなことを言っていたのだ。

「オレの思う清志郎さんってのは、世間一般が言う“GOD”とか“KING”とか“ボス”とかじゃなくて…。なんていうか、もっと近い存在だったんです。高校時代の多感な時にRCサクセションの曲を聴いて、“ああ、この人は本当のことを歌っている。日本で初めて少数派のことを歌う人が出てきたんだ”と思いました。」

そして、自分もミュージシャンへの道を進み、いつか清志郎と仕事することを夢見ていたわけだが、意外に早くその機会は訪れた(リクオは短期間ではあったが、23'Sでキーボードを弾いていた)。その時、清志郎からこんな言葉をかけられたという。

「君の曲を聴いていると、なんだか自分のことを言われてるみたいだ。」

リクオはそっくりその言葉を清志郎に返したかったという。
清志郎は、自分のような駆け出しの若者にも決して道を閉ざすようなことはせず、いいところを見つけて褒めてくれる、そんなセンパイだったとリクオはそう語ったのだ。

そして、17年前に清志郎と共作した曲を、リクオは感謝の気持ちをこめて歌った。「胸が痛いよ」だ。

オレ、これはもう…。必死に涙を堪えたんだけどダメだった…。ぽろぽろ涙をこぼしちゃったよ。リクオは清志郎への感謝の気持ちをこめて歌ってるわけで、悲しみを観客と共有したくてうたってるわけではない。それはわかってる。わかってるからここは泣くところじゃない。そう思ったんだけど、ダメだった…。もう、堰を切るように涙があふれちゃって…。
前日の福島君の「空がまた暗くなる」も良かったけど、それよりもさらに深いところにある心の奥の琴線が、静かに、激しく揺さぶられ続けた。
オレ、思わず上を向いちゃったんだ。涙がこぼれないように(こぼれちゃったけどね)…。ああ、これってRCのあの歌と同じじゃねえか…。そう思ったらまた泣けてきて…。ライブを観てて、こんなに感情がコントロールできなくなったのは久々だった。

こうして僕のGWは終わった。
今年のGWは最悪な知らせに悲しんだけど、後半にリクオやバンバンのライブを入れておいて本当に良かったと思う。音楽によって僕は救われたのだ。本当、吾妻さんの陽気な演奏や、リクオのブルースがなければ、僕は今でも家に帰ることができずにいたかもしれない。

清志郎のことがなかったとしても、この日のリクオのライブは、僕にとってベスト5に確実に入るぐらいの素晴らしいものだったと思う。そして、「胸が痛いよ」は僕にとって特別な意味を持つ曲になった。
リクオがまた藤沢でライブをやる情報をキャッチしたら、ぜひまた乗り込みたい。リクオが藤沢に惹かれる理由、僕もなんとなくわかったような気がするなあ。

藤沢市民の皆さ〜ん!オレ、また行きますんで。仲良くしてやってくださ〜い!今度はアフターライブの呑みにも行きま〜す!(笑)

hendrix69 at 19:03|PermalinkComments(8)TrackBack(1)clip!リクオ 

2009年05月16日

tue BAN BANとJiveな仲間たち / 5月5日(祝・火) 横浜サムズアップ

Thumbs Up Anniversary Special Live
5/5 tue BAN BANとJiveな仲間たち
Ban Ban Bazar/吾妻光良/Leyona
OPEN18:00/START19:00/ADV¥3500/DOOR¥4000


ちょっと遡って、GW中に観たライブの話を…。

今年のGWは一生忘れられない年になりそうだ。理由は書かなくてもわかってもらえると思うけど…。
僕はGW中に2本のライブの予定を前もって入れてあった。その一本がこれ。もう一つは翌6日のリクオのライブ。奇しくも二つとも出演者に忌野清志郎と深い繋がりのあるミュージシャンが含まれているものになってしまった。それだけに、最初はどんな顔してライブに行こうか考えてしまったんだ。だって、訃報からたった3日しか経ってないし、観る方も演る方も清志郎さんのことをまったく思わずにいるなんて絶対無理。かといってそんなことを思い込み過ぎてライブに接するのは、プロのミュージシャンたちに失礼というものだ。自分自身だって、こんな状態でライブを心から楽しめるか…。そんな考えが頭の中をぐるぐる回ってしまっていた。
でも、沈んだ気持ちを救えるのはやっぱり音楽しかないだろう。最後はそう思ったんだ。東海道線の電車に揺られ、梅雨時みたいなじめっとした雨に打たれ、沈みがちな気持ちを奮い立たせるようにして、僕は横浜へ向かった。

でも、ライブが始まってしまうと、のっけからバンバンバザールは底抜けに楽しい演奏で客席を包み込んでくれたのだ。なんか、ここ数日の沈んだ気持ちがすーっと晴れていってしまうような陽気な音楽。すーっと気持ちが楽になるのを感じた。
この夜のバンバンは、レギュラーメンバー3人+トランペットの下田卓さんという編成。最初はバンバン+下田さんで3曲ぐらい演奏してから吾妻光良さんとパーカッションの湯川さんが登場してきた。変な柄のアロハシャツを着込んで3万8千円のギター(笑)を楽しそうに鳴らす吾妻さん。あー、なんてチャーミングなおじさんなんだろう(笑)。
バンバンバザールは、もともと路上で演奏してた頃、吾妻さんに見初められてデビューしたという経緯があるバンドだけに、両者の相性は抜群。沈んだ気持ちでいたのがバカバカしくなっちゃうぐらい、ほんとうに楽しい演奏を繰り広げてくれた。

吾妻さんとバンバンの福島くんのMCはほんと面白い。MCというより掛け合い漫才みたいで、もう笑った、笑った(笑)。吾妻さんの隣だと、福島くんが優等生のお兄さんみたいに見えてくるのがなんとも可笑しかった。

吾妻さんの曲では、新曲「福田さんはかっこいい」ってのが良かったなあ。俺なんか、タイトル書いてるだけで笑っちゃうんだけど(笑)。歌詞は、最近の首相の中では麻生さんよりも阿部さんよりも小泉さんよりも、福田さんが絶対にカッコいいってことを歌ったもの。曲調はカリプソ。実際のカリプソってのも、社会風刺みたいな歌詞を陽気に歌ってるのが多いっていうから、これは笑えるけど吾妻さん流の正統派カリプソってことなんでしょうね。

吾妻さんは2部も頭から出っ放し。ギターアンプの上に置いた赤ワインをグビグビ飲みながらゴキゲンなギターを弾きまくる。いやあ〜こんなに思うままにギターが弾けたらほんとに楽しいだろうなあ…。

そして、2部の途中からLeyona嬢登場。Leyonaが入っての1曲目は、吾妻さん作曲でLeyonaのアルバム“Clappin'”収録曲の「ワンちゃんのようにね」。んー、いい声。ソウルフル&ハートウォーム。やっぱ僕にとっては最高のディーバだなあ、彼女は。
彼女が敬愛する清志郎兄イの訃報に気落ちしていないわけがないと思う。でも、そんなことはステージのLeyonaからは微塵も感じられなかった。いつものように朗らかに、コケティッシュに、セクシーに、何よりもソウルフルにブルージーに歌い踊る。素晴らしいと思ったよ。なんつうか、プロだなあと…。
衣装もまたホールならともかく、ライブハウスのような狭い空間だと目のやり場に困ってしまうようなスバラシイもの(笑)。心なしかバンバンのメンツも吾妻さんも1部以上に張り切っちゃっていた。

僕はこの3者の組み合わせを初めて観たんだけど、それぞれに何度も共演したことのある者同士だから息はぴったり。出たとこ勝負的な演奏もタイミングはばっちしだった。
MCも面白かった。Leyona嬢は70年代ロックとか、上の世代の会話にもちゃんと着いていけるところが素晴らしい。このあたりがジジ転がしと呼ばれる所以だ(笑)。この日も、なんかの流れでレッド・ツェッペリンの話題が出てきて、吾妻さんが「胸いっぱいの愛を」のイントロを爪弾いたら、いきなりLeyonaがロバート・プラントばりに出だ出しの歌詞をシャウトし出し、一同大ウケという一コマがあった。これ、何気ない一瞬だったけど、僕も強烈に印象に残ったなあ。Leyona、ハードロックもいけるんじゃん!ちょっとこういうのも聞いてみたくなっちゃったなあ。毎回は無理にしても時々カバーでこういうのもアリなんじゃないかと思った。

吾妻さんは2部でも絶好調で、「あ、こんなところにワインが!」なんて白々しく言ってグビグビ。そんで「あ、こんなところにLeyonaのハモニカが!」なんて言って白々しく…、あ、これはさすがにすんでのところで福島さんに止められたけど(笑)。Leyonaも「小学生じゃないんですから…(笑)」って笑い転げていた(笑)。
バンバンバザールの持ち歌、「ボウルにゼリー」は正にLeyonaのために書かれたような曲。ここでも吾妻さんは曲調を無視してバリバリギターを弾いちゃって、福島くんは「うるさい!」と一喝。これがもう、可笑しくて可笑しくて…。涙が出るぐらい笑っちゃったよ、俺(笑)。

アンコール。まずはLeyona+バンバン。ここでLeyonaは清志郎への想いを語り、「500マイル」を福島くんと2人で歌った。MCで彼女は「5月2日、私の尊敬する忌野清志郎さんがブルースの旅に出ました」って言ったんだよな。彼女の目は潤んでいたけど、涙は見せなかった。そして歌もほんとうに、ほんとうに素晴らしかった。
そのあと、福島くんも「じゃあ、僕も大好きだった清志郎さんの曲をやります」と…。演奏されたのは「空がまた暗くなる」だった。これはかなりキた。正直言うと、Leyonaが清志郎に関係する曲をやることは十分予想できたんだけど、福島くんはまったく想定外だった。しかも、このタイミングでこの曲…。ああ、やっぱり同世代。福島くんも僕と同じことを感じているんだなあ、と思うともう胸が張り裂けそうだった。

涙がこぼれそうになるのを、僕は歯を食いしばってこらえた。Leyonaと福島くんの清志郎のカバーを聴いて、なんとなくここで泣くのは“違う”と思ったのだ。だって、清志郎と近しい間柄であった2人のミュージシャンが、ほんとは僕以上に悲しみを感じているであろう2人が、そんなことを微塵も感じさせずに、全力で音楽をプレイしているんだ。それに、彼らの音楽は聞き手に悲しみの「共有」を求めるものではなく、清志郎への感謝の気持ちを捧げる演奏だ感じたのだ。
すごく心打たれたな、福島くんの「おとなだろ〜」には…。音楽というものの持ってる強さ、優しさに改めて目の覚める思いがした。

最後は吾妻さんも出てきて、またまたハッピーなJIVEを一発。
悲しみなんかぶっ飛ばしてしまうような、明るく陽気な一夜になった。
俺、思ったよ。この日にこのライブを予定に入れておいてほんとに良かったって…。

2009年05月12日

ある晴れたありふれた日曜日


清志郎さんへ

どうですか、そちらは少しは落ち着きましたか?
いやあ〜それにしても9日は凄い人でしたねえ。なんと、4万3千人ですって!きっと清志郎さんは“なんだかなあ〜。それだったらオレが生きてるうちにライブに来やがれ!”って言って苦笑いしてるんでしょうけど…(笑)。

お葬式から一夜明けた日曜日、僕は家族と一緒にお台場に遊びに行きました。
10日は母の日だったんで、日ごろお世話になってるうちの奥さんに何か買ってあげようと思って…。ほんとは子供たちがそういうこと考えるもんだと思うんだけど、うちのせがれ2人は誰に似たのか、そういうことほんと鈍感で…(苦笑)。
実は、9日のショーが予想以上に長かったので、夕方予定のあったうちの奥さんにちょっと無理を言っちゃったんです。その罪滅ぼしも兼ねてたんですけどね。ほら、女の人って口で言うよりモノで示さないと説得力なかったりするでしょ?
こう見えていろいろ苦労してるんですよ、僕も(笑)。

でも、すごく楽しかったなあ…。
ゆりかもめに乗って。きらきらの陽光を浴びて。爽やかな海風に吹かれて。
じゃれあう若い恋人たち。にぎやかな家族連れ。雑踏にまぎれて楽しげな人たちの顔を見てると、なんだか僕の気持ちも癒されました。
そして、すぐ傍には愛する家族の笑顔、笑顔、笑顔…。
オレ、なんだかちょっと泣けてきちゃったんです。なんでなのかよくわかんないんですけどね…。

清志郎さんのいない世界がもう始まっています。
何かが変わったような気もするし、何も変わってないような気もするし…。
でもね、清志郎さんの58年間の生き様を見てて、結局僕らは僕らの生きるそれぞれのステージで、自分が今できることを精一杯やって生きていくしかないんだなって思いました。

今はあんまりいい時代じゃないのかもしれないし、これから先もあんまりいいことは起こらないのかもしれません。でも、幸せか不幸せかって言ったら、僕は幸せなんだと思います、間違いなく。だって、こんなにいい顔で笑い合える家族がいるんですから。生きてるだけで丸儲け…ですよね(笑)。

清志郎さんがいつ頃からか言い出した「Love&Peace」って言葉、正直に言うと、最初は僕、“ずいぶんでかく出たなあ…”って思ってたんです(苦笑)。
でも、これって実は簡単なことだったんだって、やっとわかりましたよ。冷蔵庫の中の野菜が傷んでないか見てみたり、風呂場の浴槽の新しい栓がちゃんと合ってるか気にするのとおんなじぐらい簡単で大切なこと。
半径5メートルの大切な人たちの幸せがこれからもずーっと続くようにしていくこと、それがあなたの言う「Love&Peace」なんじゃないかって、今はそんなことを思ってます。
なーんて言うと、きっと清志郎さんはタバコを吹かしながら、あの困ったような笑顔で“いやあ〜どうっすかねぇ〜”とか言うんでしょうけど…(笑)。

清志郎さん、オレ、もう少しこっちの世界で頑張ってみますわ。
そちらもいいミュージシャンが揃ってきて、案外暮らしやすそうですけど、焦んなくたって何時か必ずそっちに行けますからね(笑)。
もうオーティスとは会いました?ジョンとはセッションしました?僕らがそっちに行くまで、いい歌、いっぱい書いといてくださいよ。

また手紙書きます。お休みなさい。
チャオ!

hendrix69 at 22:45|PermalinkComments(8)TrackBack(0)clip!忌野清志郎 

2009年05月09日

忌野清志郎 「葬儀式」

「葬儀式」に行って来た。
正直に言うと、行くべきか迷ったんだ、俺…。もちろん、気持ちとしては清志郎に最後のお別れと感謝の気持ちを伝えたい。だけど、たぶんこれは僕が望んでいるような別れの場にはならないだろうという気がしていた。お葬式の常識を覆す“最後のライブ”で盛り上がるのもアリだとは思う。でも、僕は自分にとって大切な人であるからこそ、ありふれたお葬式でかまわないから淡々と故人を送りたいと思っていた。
人それぞれに追悼の仕方がある。熱心なファンでもあえて式には足を運ばないという人もいると聞いた。亡くなった、逝っちまったと大騒ぎするのはかえって清志郎に申し訳ないと考える人も多いらしい。その気持ちも僕には痛いほどよくわかる。

でも、それでも僕は行くことにしたんだ。
だってどんなカタチであれ、一ファンが清志郎に何がしかの気持ちを伝えられる最後の場はこれしかないわけだ。行っておかなければ、後々後悔するのは目に見えているから…。
その代わり、ロック葬と銘打たれていようが何だろうが、僕は僕にとって相応しいと思うやり方を通そうと決めた。周りがどうであれ、俺は清志郎にきちんと最後の礼を尽くそう…。そう思って、きちっと喪服を着込み、黒ネクタイを締め、お香典を持って参列した。

乃木坂の駅に着いたのは11時半。初夏のような日差しの中、僕は一度たりともネクタイを緩めず、何も口にせず(水も飲まずに)、4時間半並んだ。
誓って言うけど、全然長いとは思わなかったしお腹も空かなかった。これが自分の人生の中でも大事な場面だと言うことが分かっていたからだろう。

無事、献花が終わったのは夕方の4時頃。
思ったとおり「葬儀式」は僕の望んでいたようなスタイルのものではなかった。イベントに来たみたいに歯を見せて笑ってる人たちや、缶ビール片手に撮影禁止の献花台でバチバチ写真を撮る人たちにげんなりしてしまったのも事実。
でも、清志郎が生前信頼していたスタッフが、こういうカタチが忌野清志郎を送りだすのに相応しいと考えたんだろうから、これはこれでいいんだろう、きっと。

僕は自分のやり方を通した。自分なりに清志郎に最後の礼を尽くした。持参したお香典も、関係者の方はとても丁寧に対応してくれて嬉しく思った。一枚も写真を撮らなかったけど、お葬式だからカメラを出す気になんかとてもなれなかっただけの話だ。全く後悔はしていない。むしろ、粛々と故人を送れたことを誇りに思っている。

ただ、祭壇に清志郎のお骨が置かれてあったのにはまいったなあ…。あんなに大きく力強かった清志郎が、両手で包み込んでしまえるほど小さくなっちゃった…。この時だけは、清志郎がほんとうに天国に逝ってしまったことが実感として迫ってきて、涙がこぼれて止まらなかった。
でも、本人を前に、きちんと最後のお別れが出来たんだから悔いはない。やっぱり来て良かったと思う。

今日はある意味、自分の人生でひとつのケジメが付けられた日かもしれない。明日からは、清志郎のいなくなった世界を、きっと前を向いて歩いていけるだろう。
僕は今日、本当の意味でおとなになったんだと思う。

ありがとう、忌野清志郎。
さようなら、忌野清志郎。
天国でゆっくり休んでください。
またいつか会いましょう。それまで僕は、もう少しこっちで頑張ってみますよ。

2009年05月07日

おとなだろ 勇気をだせよ

この2、3日、僕の頭の中は「空がまた暗くなる」がずっと流れ続けている。
仕事をしている時も、家にいる時も、ずっと…。

おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 知ってるはずさ
悲しいときも 涙なんか
誰にも 見せられない


5日、横浜サムズアップで、バンバンバザールの福島くんはアンコールでこの曲を歌った。それは、今の僕の気持ちにこれ以上ないくらい、ぴたりとはまったんだ。

もともと大好きな歌だから、僕のipodにはこの曲の別バージョンが幾つか入っている。特に僕が好きなのは、YouTubeから落とした23Sでのライブバージョン。若き清志郎がシンプルな歌詞をしなやかに歌っている。なんかもう、たまんないよなあ…。ブリッジで耳に残る素晴らしいキーボードを聴かせているのは、誰あろうリクオだ。



ああ、なんて素晴らしい曲なんだろう…。今、改めてそう思う。
沈み込んでしまいそうな気持ちをそっと掬いあげるような歌詞に、これまで僕は何度救われてきたことか。

そして今も。きっとこれからも…。

あの日以来、清志郎の歌をどうしても聴くことができない自分がいる。実を言うと、今もこの曲以外は清志郎の曲を聴くことができないでいるのだ。
でも、大丈夫。この曲が橋渡しとなって、僕はいつかきっと自分の家にたどりつけるだろう。

清志郎がこの世にいないのは辛いけど、彼が作った歌の数々はこれからも僕の暮らしの傍で鳴り続けるのだ。

Life Goes On
Beat Goes On

またしても清志郎にヤラれちゃったなあ…。いなくなったことに涙して、本人の作った歌にまた励まされて…。なんか、笑ってしまうよね。

悲しいときも 涙だけじゃ
空がまた 暗くなる
空がまた 暗くなる
この
空がまた 暗くなる

おとなだろ…


かつて、23Sで清志郎と演ったリクオは、6日の藤沢のライブで最後の最後に清志郎と共作した「胸が痛いよ」を歌った。それは、言葉にできないほどの激しい波となって僕の心を打った。

涙がこぼれないように、思わず上を向いてしまったよ。
おとなだからね…。
あ、これってまるで、RCの歌ったあの歌そのまんまじゃないか…。

hendrix69 at 21:59|PermalinkComments(6)TrackBack(0)clip!忌野清志郎 

2009年05月05日

男たちの別れ

出棺の前にかかったのは「雨あがりの夜空に」だった。

  OK、チャボ!

掛け声に続いて歌声が流れた瞬間、それまで沈んでいた仲井戸が棺の前に飛び出した。言葉にならない声とともに両手を上げ、一心不乱に跳びはね続けた。
清志郎さんの往年のステージパフォーマンスが乗り移ったかのような仲井戸の姿に、参列者は涙声で大合唱した。

家族以外では仲井戸だけが清志郎さんの最期をみとっていた。共通の友人伊藤明夫氏は「ぎりぎり間に合ったチャボは、必死に清志郎を揺すって『おい、起きろよ!!』って声をかけていた。


(日刊スポーツの記事から抜粋)
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CHABO…。

訃報を聞いても泣かなかった僕だけど、これはダメでした。CHABOの悲しみの深さを思うと、涙があふれて止まらない。

もしかしたら清志郎は、CHABOが清志郎を好きでいる以上にCHABOのことを大好きだったのかもしれない。ふとそんなことを思った。
一度袂を分かった時にも、清志郎の本心はずっとCHABOとやりたいと思ってたんじゃないのかなあ。レザーシャープもタイマーズもラフィータフィーも、ほんとはCHABOとやりたかった。そう思ってたんじゃないか…。ふとそんなことを思ったんだ。
清志郎はそんなことを一度も言わなかったけど、それは、soloで、麗蘭で歩き始めたCHABOを気遣ってのことだったんじゃないのかな。

「NICE MIDDLE+仲井戸“CHABO”麗市・新井田耕造」というスタイルは、長い時間かかって2人が見つけた、自然に笑い合える最も理想的なフォーマットだったんでしょう。
そんな矢先の癌発覚。これからが始まりだって時に…。そう思うと悔しくて悔しくて仕方がない。
僕ですらそう思うんだから、当のCHABOの胸中を思うと…。

告別式には、“リンコ”ワッショーも、破廉ケンチも参列したそうだ。
一心不乱に跳び跳ねたCHABOには、きっと清志郎が憑依していたんだろう。この日の「雨あがりの夜空に」は、RCサクセションとしての最後の演奏だったのだ。
なんて不器用で、なんて純粋な男たちなんだろうか。みんなほんとはいつかはまた集まって一緒に演奏したいと思っていたに違いないのに…。

そう思うと、やっぱり涙があふれて止まらない。

2009年05月03日

彼方の忌野清志郎へ

人生とは何と残酷なものなのか…。
あの全てがきらきらと輝いて見えた80年代、こんな日がやってくるなんてことを想像した人は、ただの一人もいなかったに違いない。
僕も。そしてもちろん忌野清志郎当人も…。

喪ったもののあまりの大きさに、僕は今なんと言葉をつづっていけばいいのかわからないでいる。

昔、僕は少し上の世代が象徴とも言うべき存在を失った瞬間を目撃した。1980年12月8日。ジョン・レノンの死だ。
子供だった僕は、当時その意味がよくわからなかった。ほどなくしてロックに目覚め、ビートルズやジョンの音楽に接してはじめて上の世代が失ったものの大きさを知った。

いや、正確に言うと知った“つもり”になっていただけだったのだと思う。
それはこんなにも悲しく、辛く、大きな痛みを伴うものだったのか…。
忌野清志郎の死を通し、僕は自分世代の大きな象徴を喪うという生まれて初めての経験をしていることに気が付いた。

きっと僕は58までのうのうと生き続けるだろう。
うんざりするほど退屈な毎日をやり過ごし、時間をだらだらと無駄に垂れ流し、きっと僕は、清志郎とは比べものにならないぐらい汚れきった58のオヤジになるだろう。
そして、58になった時の気持ちは、ジョンが亡くなった40歳に自分がなった時のあの気持ちよりも、更に大きな孤独となって僕を襲うだろう。
清志郎が駆け抜けた58年という歳月を通り越した自分の姿を、今の僕は全く想像することができない。
屋根に昇って遠くを見てたら、梯子をいきなりぱっと外されちゃった気分だ。どうしていいかわからない…。ただただ呆然としている。

この憂鬱な時代をやり過ごす一筋の光として、僕はもう少し清志郎の背中を見ていたかった。“あんなセンパイが上の世代にいるんだから”と、安心して歳をとっていきたかった。
人生とは何と残酷なものなのか…。

清志郎は絶対まだ生きたかったと思う。まだまだやり尽くしてなんかいなかったと思う。
だから清志郎、安らかに眠ったりなんかしないでくれ。
どんなカタチでもいい。生まれ変わってでも、化けて出てくれてでもいい。このクソったれな世の中と、そこに生き残ったクソったれな僕らを、ずっと笑い飛ばしてやってくれよ。

それにしても、清志郎が、あの忌野清志郎が、ミック・ジャガーよりもボブ・ディランよりもポール・マッカートニーよりも、ましてやチャック・ベリーよりも先に僕らの前からいなくなってしまうなんて。そんなことは、そんなことは夢にも思わなかったんだよ、神様。

人生とは何と残酷なものなのか…。

2009年04月24日

大トラは罪なんだな…。

知らなかった。
誰もいないような時間や、ふくろうしか見えないような真っ暗闇でも、素っ裸になると逮捕されちゃうんだなあ。
ただ酒飲んだだけでも、挙動不審だったらヤクまで疑われちゃうんだなあ。

そりゃあ、草くんのやったことは決して褒められたものじゃあない。騒がれた近所の人はさぞ迷惑もしたんだろう。
でも、公然わいせつ罪まで適用するか、普通?警察への知らせだって、被害届けじゃなくてあくまでも「通報」でしょう?普通だったら半日説教くらって無罪放免ってケースじゃないの?
逮捕ってのはちょっと…。おまけに尿検査で何も出てないのに家宅捜査?

自慢じゃないけど、俺なんて若い頃は酔っ払って裸で池に飛び込んだりなんて散々やりました。数年前も酒では大失敗してます。この時なんて傷害罪や器物損壊、無賃乗車に問われてたって文句言えない。はっきり言って草くんよりよっぽど周りに迷惑かけてます(苦笑)。
彼は駆けつけた警察官に激しく抵抗したり暴言吐いたりしたっていうけど、大トラ状態だったら、俺だって職質されてもジタバタしたり暴言吐いたりするよ。
これからはそんなことすると逮捕されちゃうってことですね。酔っ払って千鳥足で公道を歩き、手をぶん回して叫んだりしてたら、ヤク中扱いされて家宅捜査までされちゃうってことですね。

ぞっとした。ほんと、おっかねえ〜。
もっと恐ろしいと思うのは、今回の捜査をやりすぎだと思ってる人はけっこういるはずなのに、メディアでは誰もそれを言わないこと。何が怖い?誰の顔色を気にしてる?
古館一朗とみのもんたは“反省して早く戻ってきてください”ってなことを言った。これは警察にもジャニーズにも配慮したどうでもいいコメントだ。警察の対応が行き過ぎだとはっきり言ったのは、僕の知る限り鳥越俊太郎だけ。筑紫さんが生きてたらなんて言っただろう…。
怖い。今やマスコミはこれほどまでに統制されているってことなんだろうか…。

通信傍受法ができたり、町中に監視カメラができたり、このところ警察による管理がますます厳しくなってるような気がする。8年後には東京でオリンピックをすることになるかもしれないけど、その時は危機管理っていう名目で、もっと管理がキツい社会が待っているのかもしれないなあ…。

hendrix69 at 16:16|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!日記 

2009年04月22日

矛盾を抱えたやじろべえ

「大学で学んだことなんて実社会では何の役にも立たない」−−そんなことを言う人はけっこう多い。でも、僕は全然そうは思わないなあ。
もちろん、学術の世界にも流行り廃りがあるから、知り得た知識が今や古くて使い物にならないなんてことは有り得る。でも、考え方の方法論は時代が変わってもそんなに変わらないんじゃないだろうか。そして大学って所は、知識を得ることよりもむしろそっちの方が大事なんじゃないかという気がする。
学生時代に講義や刺激的な人たちとの出会いを通し、自らの思考を纏める訓練とそのための回路を頭の中に構築していくことは、その後の人生において出会うことになる様々な事象を考察する上で、とても大切なことだと僕は思うのだ。

こういったことは大学のレベル云々の話ではない。大学の授業ってのは、実際のところ、その大学の専任教員と非常勤教員とが混在して成立している。偏差値が低いと見なされている大学でも、非常勤として1人ぐらいはその分野で著名な講師が来てるはずなのだ。また、学問領域の導入教育は、実際どの大学でもそんなに差はないはず。概論的な知識をしっかり身につければ、他大学に出向いて知識の幅を広げる事だって可能なのだ。
要は、どんな環境にあろうと、大学で何かを学ぼうとする意欲があるか、自分の知的好奇心にどれだけ忠実であろうとするかなんだよね。

僕は社会科学系の学部出身。厳密には専門分野ではないんだけど、社会学や比較文化論、国際政治学なんかの講義の幾つかは今でもはっきり憶えてるなあ…。
決して出来のいい学生ではなかったけど、親から出してもらってる(そして幾らかは自分で出してる)安くはない授業料を考えれば、それに見合うだけのものは得ようと頑張った。
それと、あの頃学習を通して幾つかのクールな思考方法に出会えたことも大きかったと思う。その二つの要素が混ざり合って、今の僕という人間が出来上がっているんだと思う。

たとえば、ポストモダンという考え方に僕はかなり大きな影響を受けたと思う。
社会学的な意味でのポストモダンってのは、全体を二元論的な発想で考えるのではなく、今起こっている経験的・実践的事象の客観的な事実の分析を積み重ねることによって全体を把握しようとする思考方法のこと(違ってたらゴメン。出来のいい学生じゃなかったんで…(苦笑))。
恐らく、僕と同世代で真面目に大学の講義を聴いてた人なら、この考え方に触れた経験のある人は多いと思うんだ。

にもかかわらず、今、この国ではどうしてこうも極論で物事を考える人が多いんだろう?時事問題や他国との関係性を考える時、「右寄り」とか「左寄り」という振り分けを前提にしないと語れない人があまりにも多すぎる。
今や大学への進学率は50パーセント近いらしいじゃん。2人に1人は大卒の学士様。なのに、なんで世論が成熟しない?

僕は古くて新しい。僕は保守であり革新である。僕は愛国者でありニヒリスト。それは詭弁じゃなくて現実なんだ。現実世界がこれだけ複雑である以上、そこにいる僕らも矛盾を抱えたやじろべえとして生きていくしかないじゃないか。

もしかしたら、僕の頭ももはや古いのかもしれない。
大学で学んだことなんて、やっぱり実社会では何の役にも立たないのかもしれない。
でも、少なくとも今の世論は、80年代初頭より明らかに二元論的発想が台頭してきていると思うのだ。あ、もしかしたら時代がぐるっと一回転しちゃったのかな?(笑)。

いったい、知の現場の最先端って今の時代どうなっているんだろうか?
俺、もう一回大学で講義受けてみようかなあ…。

hendrix69 at 06:07|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!日記 

2009年04月16日

LIFE WORK '09 山口洋ライブ / 4月16日(木) 吉祥寺Star Pine's Cafe

cafe MILTON

自分が音楽を聴き続ける理由、カタチではない「ロックンロール」というコトバの意味、ライフ・アフター・パンクのあるべき姿、この夜の山口洋からはそんなものをすべて教えてもらったような気がする。なんか、心がじわじわと震えてくるような、素晴らしいライブだった。

オレはまだ山口洋という稀代のミュージシャンと出会って間もない。でも、彼の音楽とは、今、出会うべくして出会ったような気がしている。恐らく、二十歳の頃に彼と出会っても、こんなに強く気持ちを揺さぶられることはなかっただろう。山口洋の作る武骨な歌たちは、それなりに歳月を積み重ね、人生の澱が出始めた時期に聴いてこそぐっとくるものだと思うからだ。
ステージに立つ山口洋を見ていて、オレは思春期に出会ってから人の親となった今でも聴き続けているロックンロールという音楽と自分との歴史が、目の前を一瞬のうちに通り過ぎていくのを感じた。

この夜の吉祥寺には、満員電車の中で自分と周囲とを隔てるため無理矢理耳から音楽を流し込んでるような人じゃなく、今日を生きる糧として、日々の暮らしになくてはならない「音」として、音楽を心から愛し慈しんでいる連中が集まっていた。
なんというか、山口洋のファンは温かいのだ、すごく。洋の朴訥なMCに機敏に反応して絶妙の掛け声をかける。それに対して洋が愛を込めたぶっきらぼうな言葉で応える。このやり取りがなんともいえず心地良い。
洋は“地方のライブハウスには老若男女いろんな人が集まってくる。中には客席の片隅で宿題してる中学生なんかもいる。で、意外にそういう連中がちゃんと音楽を聴いてくれてんだよ”って言ってたけど、そういう場をたくさん経験していることは、この日のステージングからもよくわかった。
43歳の元ロック少年と45歳の元パンクロッカー、オレは山口洋と自分との関係性をそんな風に捉えている。たぶん、山口洋のライブに足を運ぶファンは、オレのように彼と自分との関係性を確かめながら聴いている人が多いんじゃないかと思う。

この夜は、新しいライブアルバムのお披露目で久々のソロライブ。
オレはまだ駆け出しのファンだから知らない曲も多かったんだけど、それでも心の琴線を震わすには十分。
ヤイリのアコースティックギター、イイ音してたなあ。深いエコーをかけたり、ピッキングの強弱で情景が目の前に広がるかのような色彩豊かな音色。いわゆる巧いギタリストっていうのとはちょっと違うかもしれないけど、オレは彼のギターが大好きだ。

洋はこの日、長年不摂生していた歯を治療中で前歯4本が仮歯だとのこと。そのせいで抜けるはずの息が抜けなくて違和感アリアリだって言ってた(笑)。たけど歌い始めたらなんのその。曲が進むにつれてぐんぐん調子を上げ、魂を震わせるようなシャウトを聴かせてくれた。

山口洋ってほんと詩人だと思う。それも、生活に根ざした言葉を紡ぎだす詩人。ある種宮沢賢治にも通じるところがあるんじゃないかな。
海の向こうには、ブルース・スプリングスティーンとかルー・リードとか、病めるアメリカを憂う優れた詩人がいる。山口洋もこういった人たちと同じ系統にいるんじゃないか。現代日本の世情を映し出す吟遊詩人。オレはそう思ってます。
そうそう、この日披露された新曲は「愛と希望と忍耐」ってタイトル。これ、洋は“恥ずかしいんだけど、今はこんな言葉しか浮かんでこないんだ”って言ってた。だけど、この夜この曲に耳を傾けた人たちは、誰もこれが陳腐だとかダサいだとか思ったりしてなかったと思うよ。“こんなはずじゃなかった21世紀”の今、日々を生きる上で大事なことって正にこの3つじゃないかと、オレなんかそう思うもん。

2時間半があっという間。本当に濃厚な夜だった。その間にオレはグラス2杯のジントニックとギネスの小瓶一本を空けた。でも、全然酔わなかったんだな。酒に酔う前に、山口洋の歌の世界に酔ってたから(笑)。

ライブ後には、この日発売になったライブ盤へのシリアルナンバー入りのサイン会が行われた。オレのアルバムのシリアルナンバーはちょうど20。山口洋はサインを入れる前に正面からオレの目を見てくれて握手してくれた。書いた後には「ありがとう。また来てね」と言ってくれてまた握手。
山口洋は思ったとおりの、男気あふれる人だった。うーん、惚れたぜ、山口洋。ライブ、また行くぞ、当たり前じゃん!

hendrix69 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音楽 

2009年04月14日

男子のための人生のルール / 玉袋 筋太郎 (著)

男子のための人生のルール

俺ねえ、浅草キッドって大好きなんです。芸人として面白いのはもちろんだけど、この2人は同世代の男としてとても気になる存在。格闘技に関するマニアックな執着とか、筋トレ、マラソン、エッチ関係(笑)、彼らのこだわり一つ一つが僕にはすごく納得できるものがあるんですよ。カッコいいと思うもん、マジで。水道橋博士がやってるから、俺も一丁マラソンやるかあ〜って気になってるぐらいですから(笑)。
あのねえ、俺らぐらいの歳になると頭も身体もスポンジみたいになったヤツがけっこう増えてくるんです。いつ会っても同じような話しかしてこない奴、弛み切った身体で“若い時はよ〜”なんて生臭い息吐く奴。浅草キッドにはそういう匂いをいっさい感じません。若い時と同じように、真剣にバカをやってます…。いいよなあ〜、そういうの。

これはその浅草キッドの片割れ、玉袋筋太郎の初エッセイ本。自身も中学生の男の子の親である筋太郎が、男子が「本物の漢」になるために必要な何カ条かを、力いっぱいまとめたものです。
人は生まれながらに男ではない。男に「なる」のだ!コンプレックスと向き合え!銭湯で前を隠すな!心の皮をズル剥けにしろ!いやあ〜玉ちゃん、思った以上に骨太です。熱っいんだなあ、これが!シモネタもバリバリだけど(苦笑)。
でもねえ、すごく心に沁みました。っていうか、俺、ちょっと自分を省みてしまいましたね。玉ちゃんの言ってることって、実は至極当たり前のことだと思うんです。礼を尽くすこと、友達との付き合い方、お金の使い方。これは、大人の男が当然持っていなくてはならない最低限の世の中に対するマナーとルール。でも、こういうことちゃんとできてるかなあ、俺…。

この本は14歳ぐらいの子たちに向けて書かれたようになってますけど、むしろ人の親になってるような、僕らぐらいの年代の人が読むと、もっとぐっとくるかもです。楽しく読めるんだけど、思わず涙ぐんじゃうようなところもあるんだよね。

俺ねえ、一番泣けたのは、亡くなったお父さんとの話のとこ。
玉ちゃんの家は夫婦で水商売をやってたそうなんだけど、玉ちゃんが中学生ぐらいの時にお店が潰れちゃったんだって。そのあと、お父さんは一家を養うためにもう一度お店を起こしたんだけど、それはなんとゲイバー。ある日、何も知らずに玉ちゃんがお店に行ったら、お父さんはゲイバーの“ママ”をやっていたんだって。思春期の玉ちゃんはそうとうなショックを受けました。
それから何十年も経って、芸人になってから飲み屋であったオカマの人が、玉ちゃんを見てわっと泣きだしたんだって。そのオカマさん曰く、若い頃、玉ちゃんのお父さんにはすごくお世話になったと。そして、お父さんは少年玉ちゃんと家族を支えるために、一生懸命ゲイバーのママをやっていたと、涙ながらに教えてくれたんだって。
お父さんが亡くなってから気付いた愛情の深さと、それに気付けなかった玉ちゃんの無念さを思うと、なんか泣けて泣けて…。

俺、小5の長男がもう少し大きくなったらこの本を読ませようと思います。
別に“偉い人”とか“立派な人”なんかになって欲しくはないけれど、玉ちゃんみたいに、人から“アニキ”って呼ばれるような漢になってくれたら、そりゃあ最高だろうなあ…。
いやあ〜不覚でした。まさか玉袋筋太郎の書いたエッセイに涙するとはなあ…。できることなら、浅草キッドの2人とは一回夜通しお酒を飲んでみたいですね。それも、小洒落たバーなんかじゃなく、歌舞伎町の寂れたオカマバーみたいなところで(笑)。

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2009年04月12日

Monthly CHABO vol.10 仲井戸“CHABO”麗市 with 村上"ポンタ"秀一 「You've got a friend.」

この日のマンスリーは開場時間が30分以上も押しました。これは最近のCHABOのライブでは久しくなかったこと。久しぶりのポンタとのライブってことで、かなり細かくリハをやったんでしょうか?待ち時間には俳優の中尾彬・池波志乃ご夫妻が来場する場面に遭遇したりなんかして。うーん、CHABOと中尾彬、全然イメージ合いません(苦笑)。ポンタさん目当てだったのかなあ?中尾さん。

予定開演時間を20分ほど過ぎた頃、場内にジェームス・テイラー版の“君の友だち”が流れてCHABOが登場。この曲は7年前に青山円形劇場でポンタのライブにCHABOがゲスト出演した時にエンディングで流れた曲。なので、なんだか僕はあの時の続きみたいな錯覚に襲われました。

オープニングは久しぶりな感のある「幻想の旅人の唄」。この曲だけCHABO一人の演奏で、2曲目以降はすべてポンタを交えての共演となりました。
デュオの一曲目はむちゃくちゃ久しぶりの「HIMAWARI」。これをライブでやるのはHEART of SOUL BAND以来じゃないか?あの時はクラプトンを意識して派手にストラトを弾きまくっていたCHABOだけど、この日はぐっとテンポを落とし、アコギでポイントだけを爪弾くようなシンプルなアレンジを聴かせてくれました。この曲のアレンジに象徴されるように、ポンタも派手に叩きまくるというよりも、多彩な音色を使ってじっくりとCHABOの楽曲を盛り立てるようなドラミングに終始してました。

ポンタさん、かな〜り痩せたんじゃない?風の噂ではまた病気したなんて事も聞くし、ちょっと心配。青山円形劇場の時も直前に肺炎を患った話しをしてて、その時は煙草をスパッと止めたって言ってたのに、この日はステージで葉巻スパスパなんだもん(苦笑)。まあ、表情は明るくてCHABOとのやり取りも軽妙で元気そうではあったけど。

僕がこの日のセットで印象に残ったのは、やっぱ歌詞が立ってて映像が目の前に浮かんでくるような楽曲ですね。
具体的にいうと「さまざまな自由」とか「セントルイス・ブルース」、それから「ジャングル」とかかな。「さまざまな自由」は雨音のSEがイントロに続いてポンタさんのドラムが入ってくるのがなかなかスリリングだったな。「セントルイス・ブルース」、これは前にやったときのも今だに印象に残ってるんだけど、2人がやるとなんか明治の画家が描く洋画の中の世界みたいな映像が浮かぶんだよね。日本でもセントルイスでもない、正に幻想の港町みたいな…。
そんな感じだから、ポエトリーリーディングもいつもとはちょっと違うタッチがありました。びっくりしたのは、「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」をここでやったことです。CHABOの楽曲の中でも最もソウルっぽいノリを持つこの曲を、まさか朗読でやるなんて…。でも、これがよかったんですよ。あらためてこの曲の歌詞の強さっていうか、シュールさが際立って耳に残りました。

それと、本編ラストの「ガルシアの風」も印象に残ったなあ。CHABOは「BLUE MOON」をマンスリーライブの課題曲と称して、その時のゲストといろんなアレンジで演奏しますが、実は「ガルシアの風」も裏課題曲で、ゲストによって大幅にアレンジが変わる曲のひとつなんです。この日は1番の歌詞をポエトリー調でやって、ポンタが様々な音色でバックアップしたんだけど、とても良かったです。なんか演劇的な要素を感じました。

あと、この日はカバーが異常に多かったように感じました。それも、同世代であることを意識してか60年代後半から70年代にかけてのものがほとんど。ちょっと挙げてみてもピーター&ゴードンの「愛なき世界」、ドアーズの「ハートに火をつけて」、アレサ・フランクリンの「小さな願い」、サイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」、それにエルトン・ジョンの「ユア・ソング」、マーサ&バンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、アンコールではライブのタイトルにもなっていた「君の友だち」。
誤解を恐れずに言うと、今回演奏されたカバーは僕的にはどれもイマイチでした。はっきり言うと「愛なき世界」以外はどれも苦しかったです。
あのねえ、ちょっと最近CHABOの取り上げるカバーは直球すぎます。で、楽曲が直球であればあるほどそこから脱するのは大変だと思うんですよ。キーボードのリフとジム・モリソンのクールな低音が耳に残る「ハートに火をつけて」、アレサの圧倒的な絶唱に心打たれる「小さな願い」、こんなのをアコギで弾き語ること自体無茶ですって。他のカバーにしても、もう少し歌い込んでからやって欲しかったなあ。
こんなもんじゃないでしょ、ほんとのCHABOって。あまりにもフラットな歌い方で悲しくなりましたよ、ワタシは。「君の友だち」なんて俺が歌った方がイイんじゃないかとすら思ったぐらい(苦笑)。
うーん、厳しいことを書きましたが、これはこの日のカバーが最近になくキツイと感じたから(オリジナルを聴いたことがない人はまた違った感想を持ったかもしれませんが…)。来月のマンスリーはCHABOのソロで全曲カバーのライブですよね。これは相当気合入れて演って欲しいと思います。

中盤では突然ポンタのドラム教室が始まったり(これ、別料金だそうです(笑))、「DREAMS TO REMEMBER」ではギターテックのマチャミさんもサイドギターを弾いたりと、終始リラックスした中でのライブでした。
最後の最後は、青山円形劇場で共演した時と同じで、ポンタがヴォーカルを取る「おやすみ」。
その後、2人で肩を組みながら客席の声援に応え、サッチモの「この素晴らしき世界」が流れて深々とお辞儀。2人が顔を上げると客席はスタンディングオベーション…ってのがいつものマンスリーのお約束なんですが、この日はなぜか2人が肩を組むと立ち上がっちゃう人が何人もいて、結局お辞儀前にスタンディングオベーションという珍しい風景が展開されました(笑)。

ところで、CHABOとポンタといえば、LOSERやHEART of SOUL BANDなどバンド形態での共演が多いので、この日もエレキでバリバリ…みたいなノリを期待してた人がけっこう多かったみたい。でも、僕は最初からそうはならないと読んでました。円形劇場の時も、ドラムのフルセットを3つも持ち込んでたポンタに対し、CHABOは最初から最後までチェット・アトキンス一本だったからね。僕も、あの時は“1曲ぐらいエレキで絡んで欲しかった…”と思ったりもしたんだけど、今考えてみるとあれはわざとそういう絡みでやったんだと思うんです。つまり、2人は最初からバンド的なノリは想定していないと思うわけ。
ポンタはCHABOの資質の中の“言葉”の部分を高く評価しているわけでしょ。だから、それを引き立てるドラミングをやりたいんだろうし、CHABOもポンタのそういうところを気に入ってるんだと思うんだ。実際、ポンタは歌い手のバックで叩くことでは定評のある人ですからね。
久々に再会した2人が、お互いの良いところをリスペクトしつつ音を出すのを楽しんでいる…。この日のライブはそんな場になっていたと思います。

2009年04月11日

ローリング・ストーンズ×マーティン・スコセッシ「シャイン・ア・ライト」

ローリング・ストーンズ×マーティン・スコセッシ「シャイン・ア・ライト」オリジナル・サウンドトラック

今年になってから一番聴いてるアルバムは、ダントツでローリング・ストーンズの映画「シャイン・ア・ライト」のサウンドトラックだと思います。3日に一度ぐらいは絶対聴くもん、これ(笑)。サントラと言ったって、ライブをそっくりそのまま収録したものだから、これはストーンズの最新のライブ盤と言ってもOKだと思います。

でも、こいつはこれまでのストーンズのライブ盤とは明らかに違う点がひとつあるんですよ。それは音の良さ!抜群に良い音なんだ、これが!もしかしたら巷に出回ってるすべてのロックのライブ盤の中でも、これは最高の音質かもしれません。少なくとも僕がこれまで聴いてきた中では間違いなくNo.1です。
一つ一つのパートの音がくっきり分離して耳に届き、も〜気持ちいいったらありゃしない!なんか、これまでのライブ盤はPAとこちらとの間に薄いカーテンがひいてあったんじゃないか…。そんな錯覚さえ受けてしまうぐらいの迫力です。

そんな最高のサウンドで、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」 だの「オール・ダウン・ザ・ライン」だの、王道路線の曲がプレイされるんですから、これは燃えますって!燃えずにいられないって!
改めて思った。俺はストーンズが好きなんだなあ…。つくづく好きなんだなあ!

画像なしで聴いてみると、映画では気付かなかったことも改めていろいろわかって、面白いことこの上ないっす。
たとえばですね、選曲。JJFから「シャッタード」、「シー・ワズ・ホット」に続く流れは、この夜の会場がニューヨークだったことを明確に意識したものだったんですね。両方ともそんな歌詞が出てくるからなあ。「ジャスト・マイ・イマジネーション」や「ファー・アウェイ・アイズ」にもNYが出てくるし、さすがミック・ジャガー、ライブの盛り上げ方をよく知ってます。

それにしても「シー・ワズ・ホット」のカッコよさといったら…。もう、鳥肌。俺、アルバム買ってからもう100回以上この曲聴いてると思うんだけど、それでも全然飽きません。「シー・ワズ・ホット」って、もちろん僕はイイ曲だと思ってるんだけど、ストーンズのレパートリーの中でははっきりいって二軍扱いでしょ。ところが、このライブ盤の中では1,2を争うベストテイクになってるんですよ。スタジオ盤の美味しいところだけを何十倍にも増幅したようなとてつもなくカッコいい演奏。サビんとこのリフなんて、頭が真っ白になりそうなぐらい。なんなんだろうなあ、このマジックは!

思えば、ストーンズは身も蓋もないR&Rをとてつもなくカッコいいライブ・ヴァージョンで演奏するのが昔から得意でしたよね。この前の最新ライブ盤での「ネイバース」がそうだったし、古くは「Love You Live」の「Star Star」だってそうかも。
うーん、僕が思うストーンズの真骨頂は意外にこういうところかもしれません。つくづく凄いバンドだと思うよ…。

あとねえ、僕がおや?と思ったのはキースのパート。キースは映画では「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」と「コネクション」の2曲をやってますが、演奏自体はサントラには入ってるけど映画では使われなかった「リトルT&A」の方が明らかにテンション高いんだよね。
たぶん、キースは最初は映画でもこっちを使いたかったんじゃないかな。だけど、この曲はけっこう卑猥な歌詞じゃん(笑)。そんでスコセッシがビビっちゃったんで急遽「コネクション」をやったと。なーんかそんな楽しい想像もできちゃうんだなあ(笑)。
その他にもバディ・ガイが出てくると、いきなり演奏に気合が入っちゃったりとか、クリスティーナ・アギレラとのデュエットでは、ミックがいきなりダレたりとか、いろいろ映画では気が付かなかったところが見えてきて、ほんと面白い(笑)。

しっかし頭の4曲、ハイテンションなナンバーの4連発はもう最強だな。誰もできねえよ、こんなこと。
最近の俺は、これをインナーイヤー型のヘッドフォンで爆音で流しながらランニングしてるんですよ。これがもう最高に気持ちイイ!だいたい頭の4曲やると15分。そこでアドレナリン上げとくとがっつり走れちゃうんですよね。ナチュラル・ハイってのはこういうことをいうのではないかと。

いいなあ〜、やっぱいいなあ〜、ストーンズ。そろそろツアーやんないでしょうか。これまでも来日したら必ずライブ行ってましたが、今は近年になくストーンズが観たくて観たくてたまんなくなってます。

hendrix69 at 17:45|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!ROLLING STONES 

2009年04月10日

釣りキチ三平 / 滝田洋二郎監督作品

三平三平

これは、僕ら世代の男子なら誰もが一度はハマったことがあるであろう、矢口高雄の漫画「釣りキチ三平」を映画化したものです。撮ったのは「おくりびと」でアカデミー賞をとったばかりの滝田洋二郎監督。今、旬の人ですね。

こういう原作がある作品に接する時、どうしても“原作をどれだけ忠実に映像化しているか”という視点で見てしまいがちですよね。でも、俺、最初からそういう風には見ないと決めてたんだ、コレに関しては。だって、テレビCMのスポットで出てた三平役の須賀健太くん、全然漫画に似てねえんだもん(苦笑)。三平のお爺さん役も渡瀬恒彦じゃあ若すぎると思うし、魚紳さんにいたっては塚本高史!これはいくらなんでもちょっと軽すぎるべ〜(笑)。だから、この映画は「釣りキチ三平」をモチーフとした別作品と考えることにしたんです、僕は。

でも、最初からそういうもんだと思って見ると、なかなか面白い映画だったんですよ、これが。
幻の大イワナや釣り上げられる魚の水中でのシーンなど、漫画では映像化が難しいと思われたものもうまくCGで処理されてましたし、伏線として描かれている家族や故郷の絆の大切さも無理なくストーリーに盛り込まれていました。

ロケ地は東北の山村だったようですが、美しい自然がたっぷり盛り込まれた映像には気持ちが和んだなあ〜。久しく味わってなかった瑞々しい若葉の香りや森の中の空気の美味しさを思い出しました。なんつったって俺は東北でせ生まれ育ってるからね。やっぱ俺は生粋の田舎育ちなんだってことを再認識(笑)。
三平とお爺ちゃんが住んでる家は、ちょっと整いすぎて都会もんを相手にした民宿みたいな感じだったけど(苦笑)、まあ雰囲気は出てたから良しとしましょう。

ちょっとびっくりしたのは、三平の姉・愛子役をやった香椎宙宇ちゃんの田舎くささですね(笑)。
だって、この人ってばりばりの都会っ子なんですよ。千人に一人しかいないといわれる左右対称の顔立ちを持った天性の美女。僕は「リンダリンダリンダ」で出会って以来、たとえ人妻になろうとも(彼女の旦那はあのオダギリジョーです!)好感を持って見てきた女優さんなんです。この役は彼女の新たな魅力を引き出していたと思いましたね。
ストーリーは、夜泣き谷に住む幻の大イワナにチャレンジする三平くんたちの奮闘振りがメインなんですが、伏線として温かな人たちに囲まれて田舎でのびのびと成長する三平くんと、故郷を離れて孤独に耐えながら大都会で生きる姉との絆の再認識ってのもあるんです。この寂しさに耐えながら都会で生きることを選択した田舎育ちの女性っていう役割を、香椎さんは見事に演じ切っておりました。

エンディングは、もう気持ちいいぐらいのハッピーエンド。とても癒されました。
美しい自然。温かい人々。自然の中で遊ぶことの楽しさ、気持ちよさ。なんかスクリーンからマイナスイオンが漂ってくるような映画だったなあ(笑)。
なーんか、この映画は一回こっきりで終わるような気がしないんだよね。漫画が何巻も続いたように、この映画もシリーズ化してずっと続ければいいのに…。

実はこの映画、僕はせがれと観に行ったんです。
うちの長男、なんか最近釣りに凝っちゃってて…。まだ数えるほどしか経験ないくせに、休みのたびごとに“どっか釣りに行こう!”ってうるさい、うるさい(笑)。これは、僕と実家に帰った時に何度か釣りをした経験があることや、クラスに親子で釣り好きの友達がいたりすることなんかが影響してるんだと思うけど、東京の子供にしてはけっこう珍しいと思うんですよね。なにしろ、東京育ちの人は僕と同世代ぐらいでも魚釣りなんか一度も経験したことがない、って人がけっこういますから…。
でも、彼が釣りに興味を持ってくれたってのは、父親としてすっごく嬉しいものがあります。何を隠そう、僕も田舎育ちの人間で、子供の頃は魚釣りを楽しんだ思い出がたくさんありますからね。これから先、せがれといろんなところに釣りに行く事もできると思うんだよ。それはすっごく楽しみです。

とりあえず、映画で釣りの気分を味わいましたが、もう少しあったかくなったらほんとの河や海に釣りに行きたいなあ。

hendrix69 at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!映画 

2009年04月01日

聴く。読む。走る。時々飲む。

わかってはいたんだけど、年明けからここ最近まで怒涛の仕事モード。身も心も仕事のことでいっぱいいっぱいの毎日が続いてましたが、なんとかそれも峠を越えました。今日から新年度。春になるにつれ、徐々に自分のペースが取り戻せるかな…。

聴く。読む。走る。時々飲む。

これがいいペースで生活に組み込めるのが僕の理想なんです。
このところは、これが逆。

飲む。時々聴く、読む、走る。

だったんだなあ、これが(苦笑)。
飲むってのはさ、仕事で帰りが遅くなると頭も神経も昂ぶっててなかなか寝付けないんで、ついついアルコールに手を出しちゃうんです。白状しますと、この2ヶ月あまりは毎晩ワイン一本空けてました(苦笑)。最近のワインは安いでしょ?1000円もしないでフルボトル買えちゃう。で、落花生だのポテチだのツマミにして夜中にがっつり飲んじゃうの(笑)。最近はラッパ飲みだったもんなあ。ほとんどアル中だ(苦笑)。

夏から身体作ってた蓄積があったせいか、こんだけ無茶しても意外に太ったりしなかったんですよ。でもねえ、アルコールって怖いなって思ったのは、だんだん耐性ができちゃうんですよね。最近はワイン一本空けたぐらいじゃ全然酔わないんで、+チューハイロング缶とかやってたら、さすがに体重が増えてきました(苦笑)。

もうそろそろ酒びたりの生活を脱しようと思います。
春になるし、イイ音楽聴いて、いっぱい本を読んで。
仕事が忙しいと、音楽はともかく本を読むような気持ちの余裕がなかなか持てなくなっちゃうんですよね。やっと時間が取れるようになってきた最近は、反動からか貪るように活字を目に入れてます。

それから、走るほうも。忙しい時でも最低週一回はジムに行ってましたが、できれば週3回は行きたい!
筋トレ+ランニング。今、67キロですが、王道トレーニングでGWまでには、あと2キロ落としたいっすね。

hendrix69 at 22:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!日記 
プロフィール
Y.HAGA
1965年生まれ。高校時代にROCKに目覚めて以来、いまだに思春期が終わらない。相も変わらずライブハウスに通い続ける日々。妻1子2。仲井戸“CHABO”麗市ファンサイトcafe HENDRIXの管理人。
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