2009年07月01日

ブログ、引っ越します

突然ですが、今月からブログを引っ越します。

新しいURLはこちら。
http://cafe-hendrix.air-nifty.com/downtown_diary/

「DOWNTOWN DIARY」という名前は変わりません。
今まで以上にビンビンに更新していきたいと思います。
お気に入りに登録、リンクしていただいている方は、お手数ですがURLの変更をお願いします。

どうぞこれからも「DOWNTOWN DIARY」をよろしくお願いします。

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2009年06月24日

【映画】 ターミネーター4 / マックG監督作品

ta-mine-ta-4

面白かった!オレはターミネーターの熱心なマニアでもなんでもないけど、新作が公開されるとついつい見ちゃうんだなあ(笑)。
シリーズ化されてるとはいえ、純血のターミネーターものは「T2」で終わっちゃってるとオレは思ってる。で、最高傑作が「T2」だという確信もいまだ揺るがないんだけど、そういうこだわりはヌキにして、これもなかなかの出来だと思う。純粋に楽しめた。今回は子供も一緒に見たんだけど、やっぱり面白いって言ってたなあ。「T4」は人間ドラマ的な要素ほとんどないから、子供には逆にわかり易く感じられたんだろう。

一応シリーズ化されてる前提条件として、「T1」からの最低限の整合性は保たれている。サラ・コナーやシュワちゃんがちらっと出る演出も心憎い(サラは声だけの出演だったけど)。
ターミネーター・シリーズって、前作まではタイムスリップが必ずストーリーに絡んでたんだけど、今回はそれもなし。完全に未来に舞台を固定し、シンプルに「人間」対「機械」の大アクション映画にしたのが良かったんじゃないかな。とにかくわかりやすい。豪快なアクションにハラハラドキドキ。2時間思いっきり楽しんだ。

ターミネーターも、人間型のヤツだけじゃなくて、オートバイ型とか、ウミヘビ型とか、乗り込んでる空母とか、いろんな種類が出てくる。CGをふんだんに使ったアクションシーンも派手派手。これまでのターミネーター・シリーズにスターウォーズの味を加えたような気さえするなあ…。
前作までとは全然別モノになっちゃったけど、これはこれでいい。オレは好きだ。

なんでも、あと3つは続編が決まってるらしい。いいね、いいね。どんどんやってよ、釣りバカ日誌みたいにさ(笑)。
でも、どうせ続くんだったら、この映画で出てきたサム・ワーシントン演じるマーカス・ライトはぜひ復活してほしいな。彼の存在感は、主役のジョン・コナー以上。あんな魅力的なキャラは一回で終わっちゃもったいないぞ。

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2009年06月23日

【映画】 ハゲタカ / 大友啓史監督作品

ハゲタカ

普段の自分ならまず見ない類の映画。にもかかわらず映画館に足を運んだのは、少し前に柴田恭平がこの映画について熱く語っているのを見たからだ。柴田恭平は、この映画で役者人生の中で一生に一度あるかないかというぐらいの重いセリフに出会えたと言っていた。
オレ、この役者さんけっこう好きなんだ。癌を患い命を削りながら現場にこだわる恭平。だったら自分も、その入魂の演技を映画館の大きなスクリーンで観ておきたいと思ったのである。

日本の基幹産業である自動車業界の老舗が、ある日突然外資系ファンドに買収を仕掛けられる。それを防ごうとする天才日本人ファンドマネージャーとの攻防がこの映画の大筋だ。
自分はこういう世界はまったく知らない。だけど、村上ファンドやホリエモンが何をやっていたかはなんとなく知ってるし、ブルドックソースやアデランスが外資から買収を仕掛けられたのも記憶に残っている。映画はまるでその現場を実写してるみたいだと思った。
更に映画では、外資ファンドが実は中国政府のヒモ付きだったり、トップを張る若いトレーダーが残留日本人孤児3世だったりと、今の日本と中国との微妙な関係も浮き彫りにしている。

要するに、これは「衰退する日本の製造業」と「力を付けてきたアジアの大国」という図式を白日の下に曝け出した映画なのだ。
日本の製造業の衰退ぶりってのは、特に地方に行くとひしひしと感じる。自分の故郷近くの町がそうなんだけど、上場企業の製造拠点がある町は、町の暮らしがそっくりその企業中心に回っていることが多い。高度成長期から現在までの長い期間で、そういうシステムが自然とできあがってしまったのだ。だから、工場が閉鎖したりすると町はいきなり沈没する。従業員の再雇用を受け入れる余地はほとんどなく、商店街はシャッターが下りた店ばかり。若者たちは町を出ようとあがき、残った者は日々の葛藤を食い潰すかのようにコンビニの前でキツイ目つきでたむろう奴らばかりだ。
かつて若者たちは“工場で奴隷みたいにこき使われるのはゴメンだ。こんな町からは早く逃げ出したい”と叫んだ。だが、今思えば、当時はこき使われる余地があるだけまだマシだったのだ。今の若者は奴隷ですらない。映画で描かれている派遣の若者のように、今や彼らを処遇するのは人事課ではなく資材課なのだ。若者はパーツとしてモノ扱いされ、遣い捨てられる。

誰もがうすうす気がついている。日本が製造業で世界のトップを張れる時代は終わったのかもしれない。SONYやPanasonicのネームも地に堕ちた。こんな名前、もはやアジアですら誰も見向きもしない。
にもかかわらず、俺たちはその再生を信じたい。日本が守り続けてきた誇り高き職人性と技術力が、利益追求型の経済に打ち勝つことを願いたいのだ。

柴田恭平のセリフはこんな時代だからこそ輝く。

「日本は、まだまだ捨てたもんじゃない。」

ガツン!ときた。
これが正しい認識なのかどうかはわからない。でも、絶望的な状況でも捨ててはいけない誇りがある。
ホンダがF1から撤退したのはショックだった。採算ベースを考えれば仕方のないことなのかもしれない。だが、F1参入が日本の誇る自動車技術のひとつの頂点だったとすれば、夢の象徴を失った企業に夢を持った若者は集まらないのではないか。どんな状況でも守っていかなければならないものはある。魂のない企業に人は育たない。
そんなものは幻想だと笑われるかもしれないが、たとえ90%撤退を余儀なくされても、そういう幻想を持ち続けなければ明日は見えないんじゃないか。映画を観て強くそう思ったなあ、オレは。

hendrix69 at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!映画 

2009年06月19日

Leyona 10th Anniversary MUSIC IS MAGIC / 2009年6月19日(金) SHIBUYA AX

Leyona 10th Anniversary MUSIC IS MAGIC
開場:18:00  開演:19:00
出演:Leyona
[SPECIAL GUEST]
Keison、斉藤和義、佐藤タイジ、Spinna B-ILL、仲井戸"CHABO"麗市、HIFANA、東田トモヒロ、BLACK BOTTOM BRASS BAND、blues.the-butcher-590213(永井"ホトケ"隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ)、三宅伸治
[SPECIAL BAND MEMBER]
會田茂一、エマーソン北村、大儀見元、笠原敏幸、椎野恭一、鈴木正人、TOKIE、Dr.kyOn、沼澤尚、山本タカシ、Latyr Sy


いやあ〜正にパーティー!素晴らしく楽しい一夜だった。デビュー10周年といえど、若い女性ボーカリスト一人のために、これだけのメンツが集まったことが過去あっただろうか?
上にこの日のゲストを書いたけど、Leyonaがこの10年でコラボした人はまだまだいるのだ。もはや準メンバーといってもいいような吾妻光良&スィンギン・バッパーズやバンバンバザール、G.LOVE、土屋公平、リクオ、元憂歌団の木村さんや石やん、初期のLeyonaバンドのキーボードだったSFUの奥野真哉。それから、それから…。きりがないんでもう止めるけど(苦笑)、わずか10年でこれだけ多くの人と仕事したってのは、それだけ彼女に人を惹き付ける魅力があるってことなんだろう。

Leyonaは最近10周年を記念して初のカバーアルバム「MUSICISMAGIC」をリリースした。このライブもそれと同じタイトル。だから、セットリストは基本的にはこのアルバムの曲になるのかと思ってたんだ、オレは。
大ハズレでした!(笑)もちろん新譜からも何曲かやったけど、セットリストは10年のキャリアの集大成的なもので、それをバッキングメンバーや共演者を変えながらLeyonaが歌いこんでいく内容だった。いやあ〜これはこれで大満足だよ、もちろん!
自分は前から3列目、ステージに向かって右手側の席。結果的にはこれも良かったなあ。AXはステージが高いから、最前列だとバンドの時は奥が見えなくなってしまうのだ。今回の席は沼澤さんや椎野さんのスティックさばきまではっきりと見えてゴキゲンだった。

ライブは定刻から10分ほど遅れてスタート。
最初に登場してきたバッキングは、會田茂一、エマーソン北村、鈴木正人、沼澤尚という現在のLeyonaバンドのメンツ。そこにBLACK BOTTOM BRASS BANDの賑やかなホーンの音色と一緒にLeyonaが踊るように登場してきた。スペシャルな夜の幕開けに相応しい華やかさだ。曲は「Town to Town」。オリジナルはkyOnのソウルっぽいキーボードが印象的なのだが、この日はまるで行進曲のような楽しいアレンジ。Leyonaに促されて早くも客席は総立ちになった。
続けて間髪入れず「The Beat Goes On」。すごいノリだ!沼澤さんの跳ねるようなドラミングにパープルのチューブトップを着たLeyonaが踊りまくる。オレもこの辺から完全にスイッチ入っちゃったなあ。

3曲目からは山本タカシもバンドに加わった。タカシはデビュー以来ずっとLeyonaの隣でギターを弾いていた人だ。今のバンドのギター、アイゴンももちろんいいんだけど、タカシがバンドを抜けちゃったのはちょっと寂しく思ってたんで、この客演はすごく嬉しかった。願わくば、タカシにはこれからも何らかの形でLeyonaのキャリアに関わっていって欲しい。個人的には、傑作アルバム「niji」なんかは、Leyonaとタカシの共作といってもいいぐらいに思っているんで。

前半は「風をあつめて」や「ナツメロ」等、初期のレパートリーを中心にしたセット。タカシのアコギだけをバックにした「500マイル」は胸に沁みた。「Fatou Yo」はいつものようにラティールのボーカルも加わり、このあたりは2代前のLeyonaバンドの感じだった。

中盤からは1曲ごとにゲストが登場してくる贅沢な流れ。
まずは佐藤タイジとTOKIEを迎えての「ありったけの愛」。久々に見るタイジはやっぱ熱い!あのワシャワシャかき鳴らす御馴染みのギターワークで客席を煽りまくる。
TOKIEも久々だなあ、見るのは。彼女はパーマネントなメンバーとしてLeyonaと関わったことはないはずだけど、イベントやツアーで何度か一緒のステージを踏んでいる。その美貌は相変わらずで、ビートに身を委ね揺れるようにアップライトベースを弾きまくる姿はほんとステージ映えする。
TOKIEはこの一曲だけじゃなく、スペシャルバンドのメンツとしては最も多くの曲で演奏していた。

Keisonや東田トモヒロのようなサーフ系、Spinna B-ILLのようなソウル系の同年代ミュージシャンとの共演はLeyonaの音楽性の幅広さを十分にアピールしていたと思うが、一番ユニークだったのはHIFANAの2人との共演だろう。
この組み合わせ、オレは観るのは実は2度目なのだ。Leyonaがデビューして間もない頃、ラフォーレ原宿であったイベントでこの2組の共演を見た。あの時は会場で土屋公平さんにもあったし、グルーヴァーズやSUPER BUTTER DOGのライブもあったっけ。あれから10年かあ。早いなあ…。
演奏されたのは「GOFUNKE〜ごふぁんけ〜」。人力テクノっつうのかな?こういうの。自分は世代的にテクノポップ全盛期を経験してきてるけど、近い世代のはぶっ飛びすぎててどうも馴染めない。だけど、こういうわざとローテクでやってるようなのはすごく面白いと思う。Leyonaもサンプラーと自分の声とを合わせたりして楽しんでいた。いやあ〜こういうのを見ると時代が一回りした感じがしますね。

ここで短いインターミッション。ステージは大勢のスタッフがセッティングを始め、なにやら次はデカイ編成のバンドが出てくるぞ、ってなムード。
登場してきたのは4人の男たち。永井"ホトケ"隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ。blues.the-butcher-590213だ!普段JIROKICHIでラフな格好で演奏してるのとは違い、全員がタキシードを着込んでいる。そこにブルーのミニのワンピースにチェンジしたLeyonaが飛び込んできた。
曲はMama He Treats Your Daughter MeanとThe Blues Is Alrightをメドレーで。カッコよかったぜ〜これは!沼澤さんの叩くビートは普段とはちょっと違ってスイングっぽいタッチ。ホトケさんのギターとKOTEZのハープは実にブルージーだった。この日は清志郎・CHABOの流れで足を運んだような人も多かったみたいだけど、シカゴブルース・マナーの豪快な演奏には相当びびったんじゃないかな?Leyonaのドスの利いたボーカルも最高だった。んー、ジャンルレスなLeyonaだけど、やっぱこのスタイルがオレは一番好きかもなあ。
メンバー紹介の時にはブッチャーこと故浅野祥之さんの名前もちゃんと言っていた。こういう心配りが素敵だよなあ、彼女は。

場内の興奮冷めやらぬ間に登場してきた次のゲストは斉藤和義。「せっちゃんのためにミニにチェンジしてきた」と言うLeyonaに、「その下は当然ノーパンだよね?」と返すせっちゃん。相変わらずエロエロモード全開だ(笑)。
曲は「五秒の再会」。2人ともギターを持ち、せっちゃんはジョン・レノンが登場する歌詞を意識してか、「NEW YORK TIMES」のロゴがあるTシャツを着ていた。
そうそう、このデュエットが実現したのは、ちょうどLeyonaがスパイスマーケットをやってた頃だ。このカップリングをLeyonaから聞かされた泉谷と清志郎は、「俺たちを差し置いてなんて奴だっ!斉藤ここに連れて来いっ!」とまるで娘に恋人を紹介された男親みたいな反応をしたそうな(笑)。

次はいよいよ三宅伸治の登場。2人の関係は会場の誰もが知っている。会場からは大きな大きな拍手が起こった。その中をギターケースを提げて現れた伸ちゃん。おもむろにケースを開けるとそこには大きな花束が…。場内はやんやの大喝采。「これはヤラレちゃいますよねえ…」とLeyonaも嬉しそう。
2人だけでの「デイドリーム・ビリーバー」は最高だった。今、この歌詞をじっくり聴いてると涙が出そうになっちゃうんだけど、この日はそういうことは考えないようにしながら聴いてたんだ、オレ。だって、これは洋楽ばかり聴いて育ったLeyonaが、初めて日本語の歌詞の素晴らしさに目覚めた曲。“あの人”が歌ってたってことだけじゃなくても、重要な歌なんだ。

後半は現Leyonaバンドに、山本タカシ、ラティール・シー、TOKIE、kyOnを加えたゴージャスなスペシャルバンドが実現。「NITE CLUB」や「travellin' man」などダンサブルな曲を連発して会場を興奮の渦に叩き込んだ。
最高に気持ちよかったのは「Sweet Baby Love」。南部テイストの入ったミディアムなアメリカンロック。タカシ+アイゴンのツインギターでのリフがすごく気持ち良かった。
会場との合唱が聞かれた「LOVE」、そして「FREE YOUR SOUL」でバンドはいったん袖へ引っ込む。

ステージはいよいよ最後のゲストの登場を残すのみとなった。
照明が落とされ、Leyonaとゲストが座る椅子を囲むように大きなキャンドルがいくつも用意された。そしてキャンドルに灯が点る中、一人の男がすっとステージへ…。仲井戸“CHABO”麗市だ。
LeoynaはCHABOがステージに現れただけで、もううるうるしていた。CHABOは「三宅は花束だったけど、オレは量より質で…」と一本のバラをLeyonaに差し出す。笑顔で受け取るLeyonaはCHABOとしっかりとハグ。頭をなでなでするCHABOは、なんか父親みたいに見えたなあ…(笑)。因みに、この日彼が被っていた帽子は、去年の誕生日にLeyonaがあげた物らしい。
Leyonaはデビューの際、「CHABOさんのプロデュースじゃなきゃ嫌だ」となんとも大胆なことを言ったらしい。それに応えたCHABOは、自身のバンドCHABO BANDを引き連れてレコーディングに臨んだのだ。この日、CHABOは「Leyonaを始めて聴いた時、その声とリズム感、音感にとにかく驚いた。日本でもこんなすげえシンガーが出てくるようになったんだと思った」という風なことを言っていた。これは最高の、これ以上ないぐらいの褒め言葉だよなあ…。
デビューシングル「オレンジ」は、CHABOの伸びやかなスライドギターが聴けるバンドバージョンと、アコギによるLeynaと2人だけの演奏の2つが収録されている。この日演奏されたのは、2つ目のアコギバージョンの方だった。素晴らしかったなあ…。歌詞の通りに、キャンドルの灯火の中、オレンジ色のスポットライトが2人を包む。
エンディング、CHABOがモニター前を何やら指差してLeyonaに微笑みかける。それは一枚の写真だった。小さな一枚の写真をLeyonaが客席に向かって掲げながら2人は袖に引っ込んだ。
清志郎その時の写真がこれだった。当然、この日いるべきだった人。でも、盟友と愛弟子との共演を、絶対見ていたと思うな、清志郎は。もしかしたら、せっちゃんとのデュエットの時と同じように、天国で地団駄踏んで悔しがってたかもなあ…(笑)。

アンコールはまたまた衣装チェンジ。Tシャツにジーンズというラフな格好で髪をアップにして出てきたLeyona。バックはまたまたスペシャルなバンドで「STARS」と「ダンスミュージック☆あいつ」を。
「ダンス…」は凄かった。アルバムよりもテンポを上げ、クラビネットっぽい音色のキーボードと、ツインギターが絡みまくる、やや暴走気味とも思えるような強力なアレンジだった。
更に、CHABOを除いたこの日の出演者全員による「Monkey Man」。サビに入るカウントを観客全員にコールさせたりしての超ロングバージョン。実は、僕のところからは舞台袖が見えたんだけど、CHABOも最初の方はそこにいたんだよね。てっきり出てくるのかと思ってたんだけどなあ…。

この日の出演者を一人ひとりていねいに紹介した後、ステージはLeyona一人に。
ここでLeyonaはふるさとの広島県三原市の話をした。小さな街の一軒しかなかった楽器屋で、半年に一度ぐらいライブをやらせてくれるコンテストがあり、当時まだバンドのなかったLeyonaは独唱で出たという話だ。
その時歌った、彼女が最も好きな女性ボーカリスト、ジャニス・ジョプリンの曲が最後の最後の曲となった。
「メルセデスベンツ」。名盤「パール」に入ってる名曲だ。照明の落とされたステージで、Leyona独りだけにピンライトが当たり、切々と歌いあげる。素晴らしかったなあ…。歌う前、Leyonaがふーっと息を吸い込んだのが、客席にもはっきりと聴こえた。それだけ気持ちをこめたってことなんだろう。

すべてが終わった時、時計は10時半を回っていた。
3時間半超えの長尺ライブ。その間、Leyonaは出ずっぱりだった。一曲一曲に心をこめて歌い切り、たくさんのゲストを迎えるステージの進行も一人でやり遂げたのだ。堂々たるステージング。気丈に見えた彼女だったが、永井ホトケさんの公式サイトによれば、楽屋に戻ったLeyonaはただただ涙だったという。あれだけのゲストを迎えてのスペシャルライブ、やっぱり相当のプレッシャーがあったんだろう。
でも、この経験は絶対にこれから生きてくるはずだ。20周年、30周年の際には、またこんなゴージャスな夜が迎えられることを、オレは楽しみに待ちたいと思う。
Leyona、ほんとにデカイ存在になった。忌野清志郎亡き後、これだけ世代を超えたミュージシャンを集められる人ってのは、Leyonaぐらいのもんなんじゃないだろうか、ほんとに。

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2009年06月18日

【映画】レスラー

レスラー

この映画の主役は、ランディ“ザ・ラム”という初老のプロレスラーである。80年代には会場に満員の観衆を集める人気レスラーだったのだが、年齢とともに凋落。今は衰えた身体をステロイドとクスリで騙しながら、場末のリングで細々と試合をしている。生活も荒み、家族とは別離。昼間はスーパーマーケットで働いているが、トレーラーハウスの家賃にも困るような暮らしぶりだ。
ある日、ランディは試合後の控え室で心臓発作を起こしてしまう。一命は取り留めたもののリングからは引退せざるを得ない。だが、プロレスラーからただの男に成り下がったランディには何も残っていない。失ってしまった人生を、ランディはスーパーの仕事と、疎遠になっていた娘との関係を修復すること、そして同世代のストリッパーとの淡い恋とで取り戻そうとする。
それは少しずつ形になりそうだったのだが、一夜の過ちからその芽を自ら摘み取ってしまった。すべてを失ったランディは、ドクターストップがかかっているにもかかわらず、プロモーターから持ちかけられた20年前の名勝負の再戦のため、再びリングへ…。

ストーリーを書くと陳腐に聞こえるかもしれない。日本人なら「明日のジョー」の二番煎じじゃねえかと思うかもしれない。でも、ランディ役を務めた一人の俳優が、そんなありふれたストーリーをものすごくリアルなものにしてしまったのだ。

ランディを演じたのは、あのミッキー・ローク!80年代、二枚目俳優として一世を風靡するも、近年は人気が急落。俳優と並行して行っていたボクシングの影響で端正な顔面は崩壊し、その整形手術にも失敗。加えて酒とクスリに溺れた生活が彼の容姿を著しく変貌させ、今や二枚目俳優の面影はほとんどない。オレなんて、最初スクリーンに出てきたロークを見て、一瞬誰だかわからなかったぐらいだ。
そんな彼が、一世一代の大勝負を賭けて臨んだのが、このランディ“ザ・ラム”役だったわけ。この映画の何が切ないって、主人子ランディの生き様がそのままミッキー・ロークの半生そのものに見えるところだろう。

ロークの不自然にビルドアップされた身体は明らかにステロイドの使用が伺える。隠し持ったカミソリで出血するギミックは本当に自らの額をカットしたらしい。危険なプロレスシーンも、かなりの部分は吹き替えなしだったという。この映画、ミッキー・ロークは並々ならぬ熱意を持ってのぞみ、本物のプロレスラーになりきったのだ。
ロークの入れ込みぶりは監督のダーレン・アロノフスキーにも伝わった。製作会社は、落ち目のロークを降ろし、数字の取れるニコラス・ケイジで撮り直せと圧力をかけたらしいが、アロノフスキーはがんとして首を縦に振らなかった。その結果、制作費を大幅に削られることになったというが、それでも彼はロークに賭けたのだ。

もうあとは何の説明もいらない。オレは客席で固まってしまった。まるでドキュメンタリーだぜ、これは…。
老いとの絶望的な闘い。全てを失ってもなお這い上がろうとする凄まじさ。夢と現実との狭間でもがき続ける孤独な魂…。ここまでさらけ出したミッキー・ロークの男気を、オレは心の底からリスペクトする。

それから、ランディと熟女ストリッパー、キャシディとの関係も強く心に残った。
老いたレスラーと年増のストリッパー。老いへの不安を隠しつつ、それぞれの仕事にプライドを持つ2人は実は似た者同士なのだ。心の奥ではキャシディも孤独でランディに好意を持っているんだけど、プロの踊り子としての誇りが店外での付き合いを許さないのだ。それが切ない。
そんなキャシディも、最後の最後は会場へ走ってリングに上がろうとするランディを止めるんだけど、それを振り切ってランディは観衆の待つリングへと向かう。自分が輝いていた頃のテーマ曲、ガンズ・アンド・ローゼスのスイート・チャイルド・オブ・マインにのって…。このシーン、オレは泣けて泣けてしょうがなかった。
リングに上がる前のミッキー・ロークの顔と言ったら、もう…。悲しみと、諦めと、精一杯のプライドと、キャシディへの愛情とが入り混じった、なんともいえない表情で彼は振り向くのよ…。

試合前のマイクアピールで彼は観客に語りかける。自分はもうボロボロだと…。だが、引退を決めるのは医者でも自分でもなく、ファンだと。ファンこそが家族だと力強く宣言するのだ。
試合が始まり、やはり彼の心臓は異変をきたす。それでも彼はトップロープから飛んだ。自らの身体を張った大技“ラム・ジャム”をやり遂げるために…。映画はランディが飛んだ瞬間に暗転し、ブルース・スプリングスティーンによるテーマ曲が静かに流れて終わる。

エンドロールが終わった後も、オレはしばらく席を立てなかった。長い長い余韻が残った。いろんなことを考えた。

プロレスとは虚構の芸術である。現実には恨みも何もない相手と本気で殴り合い、時には凶器を使って身体を傷付けてまで観客の興奮を煽る。リアルファイトではないが、流す汗と血は紛れもなく本物。そして、試合から得られるレスラー・観客双方のエクスタシーも紛れもなく本物なのだ。
そのリアルなエクスタシーを作り出すために、プロレスラーは無茶な技を繰り出し、時にはステロイドやドラッグを使ってまで自分の肉体を極める。健常な身体や平穏な暮らしを犠牲にしてもだ…。
そんなことに命を賭ける生き方を理解できない人もきっと多いだろう。でも、たとえ虚構であれ、非日常的な興奮に魅せられ、そこに身を捧げてしまう生き方に共感してしまう人だって同じくらい多いはずだ。

少年時代、自分は熱烈なプロレスファンだった。そして、今でも自分はプロレスラーの武骨な生き方にどこか憧れを持っているのだ。かつて、すべての格闘技の中で一番強いと信じていたプロレスラーが、実はギミックだらけだったことを知ってしまってもその気持ちはいささかも変わらない。
そこには三沢光晴の死という事実も多少影響していたかもしれないし、更に言うなら、ランディが死を覚悟してまでリングに上がり続けたその理由は、忌野清志郎が咽喉癌の宣告を受けても喉にメスを入れることを拒否し、最後までボーカリストであろうとし続けた理由と共通しているとオレは思った。

場末のストリッパーを演じたマリサ・トメイもあっぱれ。
なにしろ、上も下もさらけ出してポールダンスまで披露しているのだ。その脱ぎっぷりは豪快と言ってもいいぐらい。実際、彼女のカラダはとても44歳のものとは思えない。素晴らしくエロチックだった。女優魂だよ、正に。日頃そうとう鍛錬してるんだと思う。ある意味、ミッキー・ローク以上に闘ってたな、彼女は。

切なく、誇り高い映画。見終わった今もまだ胸がじんじんしている…。

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2009年06月13日

Monthly CHABO vol.12 「南青山夜会」 仲井戸“CHABO”麗市 with 梅津和時 and たつのすけ / 2009年6月13日(土)南青山MANDALA

CHABOT小

いきなり物販の話から始まるのもなんだけど(笑)、オレ、このライブから発売されることになったNEW Tシャツ、すごくいいと思うんです。“元気になる”というコンセプトで作られているらしいんだけど、これは間違いなく“あの出来事”から元気になろうということでしょう。そういう願いをこめてグッズを作ったスタッフの気持ちがまず素晴らしいと思ったし、周りもそうなんだから、CHABO自身も今きっとそういう風に自分を奮い立たせているんだろうと思った。
この日のライブ、心ならずも清志郎への追悼ライブとなってしまった先月からまだ20日しか経っていない。だけど大丈夫。きっとCHABOはCHABOらしい元気なステージをやって、マンスリー・ライブの有終の美を飾ってくれるだろう。オレはそう確信していた。そして、その期待にCHABOは十分すぎるほど応えてくれたのだ。それが何より嬉しかった。

因みに、このTシャツをデザインしたのは、久原大河さんという人。梅津さんや新井田さんのフライヤーでもお馴染みのイラストレーターだ。オレ、この人のことは前から注目していて、絵のタッチとか、絶対CHABOに合うと思っていたから、ついに大河さんデザインのグッズが実現したのはすごく嬉しい。どういう経緯でCHABOのチームに関わることになったのかはわからないが、おそらく大河さんも“あの出来事”の後、かなり思うところがあったんだと思う。イラストもかなり凝っていて、たとえばギターのネックの「GIBSON」のロゴが「CHABOSAN」になっていたりしている。CHABOも、MCで“夜中にじっくり見て確かめてくれぃ!”とか言ってたな…(笑)。
はっきりしたコンセプトがあるし、これは今までのCHABOグッズの中でも群を抜いて素敵な逸品なんじゃないだろうか。オレなんか、2種類とも買っちゃったもんね(笑)。願わくば恵美社長、大河さんとのコラボは一回こっきりじゃなく、是非これからも続けてください。で、今度は是非CHABOの顔を描いてもらってくださいよ!やっぱし、大河さんの魅力は人物画だと思いますんで。

しまった、物販の話が長くなっちまった(苦笑)。
ライブは予定の18時から10分遅れでスタート。今回は仕事帰りで会場への到着が遅れてしまったため、席はずーっと後ろ。来賓席のすぐ前で見ることになった。なんとか席を確保してほっと一息。ジン・トニックをひっかけてると、開演直前に竹中直人さんと三宅伸ちゃんがすーっと入ってきた。そんでオレのすぐ斜め後ろの席へ…。うーん、後ろは後ろで緊張するなあ(苦笑)。

オープニングはCHABO独りによる「ねぇ HISAKO」。CHABOが6月にだけやる曲だ。ギブソン・ナイロン弦の柔らかい音色が優しく響く。今この時にこの曲を聴けて、なんかほっとした。
それが終わると、CHABOは一年かけてやってきたMANDALAマンスリー・ライブを改めて振り返り、来てくれたゲストの事などを丁寧に紹介する。いつも思うんだけど、CHABOってこういうところがすごくきちんとしてるよね。つくづく真面目な人なんだなあって思う。

梅津さんは2曲目から登場。プリントシャツの襟をスーツの上に出してサックスを手にした梅津さん、粋だなあ〜。今年還暦を迎えるってCHABOにさんざんからかわれてたけど、とてもそんな歳には見えない。早くこんな小粋なおじさんになりたいぞ、オレも(笑)。
ドブロを手にしたCHABOは「You Gotta Move」を弾き出す。これは先月もアンコールで歌われた曲だけど、印象が全然違って聴こえた。5月は落ち込む気持ちをなんとかアップさせようとしているCHABOの葛藤が見えような感じだったが、この日は堂々とした前向きなタッチ。梅津さんのブライトなサックスもずいぶんと助けになっていたと思う。
続けてもう1曲ブルースを。いきなりの「Everyday I Have The Blues」だ。たつのすけも登場してきてピアノを弾き出すとブルースが勢いよく転がり出した。最近はアンコールでよく演奏される盛り上げ曲なんだけど、あえて序盤に持ってきたところにCHABOの前向きな意思を感じる。
続けて課題曲「BLUE MOON」を挟み、このマンスリー・ライブから生まれた「ねえ神様」。歌われている内容は盗難にあったギター達を思う気持ちが溢れ、切ないものではあるんだけど、軽いレゲエ・タッチのアレンジが悲しみに沈むだけではないCHABOの意思を反映していたと思う。

いつもと同じようにカバーもたくさん演奏された。
特筆すべきはビートルズのカバーが2曲演奏されたこと。まず、これは初めてのお披露目だと思うんだけど「Honey Pie」。曲の頭ではイントロのSEを真似してみせたんだけど、いまいちお客さんには伝わんなかったみたい(苦笑)。CHABOは苦笑しながら“ホワイト・アルバム、聞いてくれ〜ぃ”と一言。
もう一曲はなんと「All My Loving」。ど真ん中のカバーですね、これは。フライングキッズの浜崎貴司のライブにゲスト出演した時に生まれたものらしいが、よかったぞ〜。
そのほか、カーティス・メイフィールドや、ポーグスの「フィエスタ」、キンクスの「アルコール」等が演奏された。特にポーグスのカバーは、梅津さんのサックスの音色がケルト音楽っぽい雰囲気を十分に醸し出していて素晴らしかった。

中盤のポエトリー・リーディングは、いつもより長めで構成もよく考えられた見応えのあるものだった。
まずは梅津さんとCHABOの2人だけで「慕情」。オレ、これを持ってきた理由がなんとなくわかるような気がする。いなくなってしまった誰かを偲びつつ、これからの日々に踏み出そうとする想いを、この詩にこめたかったんだろうな、CHABOは。そして「はぐれた遠い子供達へ」。この2編がポエトリー・リーディングでセレクトされたのはあまり記憶にない。やっぱり“想い”だろう、CHABOの。
「ヒッチハイク」は梅津さんがピアノでバッキング。たつのすけも加わっての「HUSTLE」と続き、悲しみに暮れた日々から表へ飛び出そうぜ、そんなCHABOの明確な決意が表明された。
「64年型タイプライター」はステージが赤い照明に照らされ、CHABOの言葉と梅津さんのフリーキーなサックスが絡み合う。いいぞ、CHABO!サイケでロックなCHABOが戻ってきたんだ。普段はへヴィな詩に席で固まうオレだけど、この日ばかりはなんだか嬉しくなってしまったなあ(笑)。
昨年、梅津さんが演歌のカバーを集めて出したというアルバムにちなんで、「りんご」という詩も読まれた。梅津さんの吹く「リンゴの唄」は強く心に余韻を残した。誰でも知ってる曲だけど、なんかブルースみたいだなあと改めて思ったりして。
珍しいところで、ナイジェリアのアサという女性ボーカリストのカバーもあった。曲名は忘れちゃったけど、後半CHABOは叫んでたぜ。“悲しみをぶっ飛ばせ!”って…。

そして、間髪いれずにリズムマシーンが鳴り出すと、「ハイウェイのお月様」が。
オレ、マンスリー・ライブの最終回ゲストが梅津さんでほんとに良かったと思う。やっぱりこの2人はツーと言えばカーなんです(笑)。コンビネーション抜群で、純粋に音楽の力だけでぐいぐい観客の集中力を引き揚げてしまう。それに加えて、たつのすけのキーボードがいっそう色彩のある空間を生みだしていた。
そうそう、なんと梅津さんがボーカルをとった曲も披露された。これはカバーだったんだろうか。「ベトナミーズ・ゴスペル」と紹介され、梅津さんの朴訥なボーカルがとても素敵で、深く心に染みた。

ちょっとしんみりしてきたかな、と思ったら、ここでまたリズムマシーンが鳴り出し、マーサ&バンデラスの「Dancing in the street」が勢いよく始まる。これまでのマンスリーでも何度か演奏された曲だが、この日はこれまでで一番のノリの良さ。CHABOと梅津さんによる客席乱入も飛び出した。これは嬉しかったなあ!、自分はもちろん、後ろのほうの席のお客さんは立ち上がってCHABOに声援を送っていた。みんな笑顔、笑顔、笑顔。
ほんと、先月とは全然違う。CHABOがこんなに元気なステージをやってくれている!オレはただただ嬉しかった。当たり前だが、まだ全然悲しみが癒えたわけじゃないだろう。それはCHABOだけじゃなく、ここに集まったみんなだってそう。だけど、とにかく、とにかく前へ進もうじゃないか。悲しみを明日への活力に変えようじゃないか。あの乱入は、そんなCHABOの強く確固な意思だったのだ。もう一度言うけど、ほんと嬉しかった、あの乱入は。

嬉しさはまだ終わらなかった。次に飛び出したのは、なんと「キモちE」!!!
いつものように立ち上がって踊る人もいたりして、すごい盛り上がり。最後はタオルを頭に巻き、なぜかそこにライトをつけた(笑)ギターテックの鈴木マチャミが3人のプレイを止めに入るという流れでエンディング。うーん、最高!元気なCHABOが見られると確信してはいたけど、ここまでやってくれるとは!

後半はじっくりと清志郎に捧げたカバーを。
前回のライブでも演奏されたグラハム・ナッシュのカバー「Southbound Train」はやっぱり効いたなあ〜。オレ、白状するとこの時だけはぽろっと涙をこぼしてしまった。もうCHABOのライブでは絶対めそめそしないと決めてたんだけど、畜生、ダメだった…(苦笑)。
この曲は、あの輝いていたバンドでの日々が歌い込まれている。そして、ポケットいっぱいの“アイデア”だの“世間知らず”だの、わかる人にはわかる清志郎ワードがさりげなく散りばめられているのがたまらない。やっぱこれはなあ…。クるよなあ…。くぅ〜っ…。

本編最後は「ガルシアの風」。今この時期に歌うことに葛藤があったとCHABOは言っていた。おそらく“どうにもならぬことなど何もない”みたいな達観したフレーズを、今歌う気持ちにはとてもなれないってことなんだろう。でも、せめて歌ぐらいはポジティブにと“あえて”歌うことにしたとCHABOは言っていた。
たつのすけはアコーディオンを手にし、梅津さんのサックスとともに優しくCHABOを包む。曲の後半で梅津さんはステージを降り、ゆっくりと客席を歩きながら楽屋へ消えていった。それを追うようにたつのすけも楽屋に消え、なおもサックスとアコーディオンが山びこのように聴こえてくるという、なんともドラマチックなエンディングであった。

アンコールではRCサクセションの曲が立て続けに演奏された。
まずは「いい事ばかりはありゃしない」。やっぱり、RCナンバーを奏でる梅津さんのサックスは最高だ。
そして、驚きの「国立市中区3-1(返事をおくれよ)」!ビビった!清志郎も最近はやってなかった最初期のRCナンバー。オレなんか歌詞も思い出せないぐらいご無沙汰(苦笑)。そうそう、聴いていて、高校時代のダチが“国立市中区3-1 忌野清志郎様”でファンレターを出したことを突然思い出した。その手紙はなぜか返送されて来なかったんだ。だから、清志郎のもとに届いてると信じてたんだよ、そいつは。どうしてんのかなあ、今頃。どっかの空の下、オレと同じように訃報を悲しんだのかなあ…。

そしてそして、驚きの「スローバラード」!
泉谷やエレカシと共演したライブでもさわりの部分を歌ったことはあったけど、フルで歌ったのは初めてだと思う。たつのすけの生ピアノも素晴らしかった。梅津さんのサックスは言わずもがな。うん、これは梅津さんがそばにいたからこそ歌えたナンバーだったのかもしれない。歌う前、“オレはボーカリストじゃないから…”なんて謙遜してたけど、これはもう歌の上手い下手じゃない。想いの大きさがひしひしと伝わってきた。
曲が終わると、いつまでもいつまでも、本当にいつまでも鳴り止まない大きな拍手が起こった。オレ、この日は観客も本当に素晴らしかったと思う。こんなにあったかいライブをCHABOと一緒に作り上げたこの日の観客の一員でいられたことを誇りに思ってしまうぐらいだ。梅津さんも感激したのか、CHABOの後ろに下がってそっと涙をぬぐう。その姿に思わずこっちもほろり…。

そして、今のCHABOの心境を最も色濃く反映しているような「After The Storm(嵐のあとで)」。“友だちが奪われて寂しい、君の笑顔が曲がり角から表れてくるような気がする”と切々と歌うCHABOの姿は胸に迫った。

最後が近付き、CHABOは一年間世話になった南青山MANDALAのスタッフ、自身のスタッフの面々を一人ひとり紹介した。
思えば、この一年はほんとうにいろんな事があった。オレなんかどうしてこうも神様はCHABOに試練を与えるのか、と怒りにも似た気持ちを覚えたぐらいだ。そんな激動の一年を、CHABOはここMANDALAでマンスリー・ライブを行いながら、淡々とやり過ごしてきたのだ。
たぶん、CHABOはMANDALAでの一年をずっと忘れないだろう。オレもここで折々のCHABOを感じられたことをずっと憶えていると思う。いいハコだったなあ、南青山MANDALA。願わくば、CHABOにはぜひまたここでライブをやって欲しいものだ。

最後は、3月のPIT INNでの梅津さんとのライブ「新宿夜会」で生まれたという「祈り」。清廉なムードの流れる中、何度も天を指差すCHABO。
いつものように「What a Wonderful World」が流れる中、3時間20分の長いライブは終わった。
3人がステージを去った後には、グラハム・ナッシュのオリジナル「Southbound Train」が流れ、お客さんもほとんどの人が席を立たずにじっと聴き入っている。そして曲が終わるとまた大きな大きな拍手が…。
ああ、なんと言ったらいいんだろうか、この余韻を…。Leyonaがよく言うMUSIC IS MAGIC、それはこういうことを言うんじゃないだろうか。素晴らしかった。本当に素晴らしい夜だった。いつまでもいつまでも余韻が残った。マンスルー・ライブの有終の美を飾るに相応しい、本当に素晴らしいライブだったと思う。

この夜は、CHABOだけでなく、観客もとりあえずは前に進み始めたってことを実感できた時間だったと思う。自分にとっては、ある意味先月の追悼ライブ以上に重要な夜となった。そう、この日のライブの余韻は“あんなこと”からそれぞれが日常に帰っていく過程を、CHABOの歌を通して観客一人ひとりが確認していた時間だったのではないかと思うのだ。
大河さんがシャツに描いたメッセージで言うならば“CHABO JUMPS AGAIN, AND YOU?”ってこと。生きることは悲鳴とイコールなのかもしれない。生きることとは日々何かを失っていく事とイコールなのかもしれない。でも、でも、とりあえずは生き続けようじゃないか。歌い続けようじゃないか。一時の強がりであっても笑い続けようじゃないか。ステージのCHABOを観ていて、そういうことって人生にはとても大事なことなんだと気付かされた。

もうすぐ夏が来る。いなくなってしまった人たちのためにも、残されたオレたちは精一杯の日々を生きていかなきゃな…。

そうですよね? Dear 忌野清志郎…。

2009年06月10日

HEATWAVE 30th ANNIVERSARY TOUR vol.1 "solo! duo!! trio!!!" / 6月10日(水)横浜サムズアップ

"trio!!!" (山口洋+池畑潤二+渡辺圭一)
6月10日 (水) 横浜・Thumbs Up
開場/開演=18時30分/19時30分


HEATWAVEの30周年を祝う短いツアーの千秋楽。
この日は開演前に個人的に嬉しいサプライズがあったんだ。横浜サムズアップは、メール予約した場合には開場の30分前にチケットを予め店で引き換えておくシステムになっている。で、そのタイミングで行ったら、店の前にTシャツ姿の男の後姿が…。“誰かに似てるなあ…”と思った矢先にふっと振り向いたその人は…。なんとヒロシ・ヤマグチ本人だった!オレ、不意を突かれちゃってさあ、思わず「うぉ!びっくり!」なんて言ってしまったんだよ、本人の前で(笑)。アニキはくすりと笑って右手を差出し、「ありがとう…」と。くー、最高だぜ!この予期せぬハプニングに、オレは開演前から気持ちがハイになってしまったのであった(笑)。

サムズアップはテーブル席メインの会場。基本的には食事をとりながらライブを観るというスタイル。一人で行くと誰かと相席になっちゃうからちょっと苦手という人もいるらしいが、オレはこの店、大好きだ。基本的にアウェー状態が気にならない性格ってのもあるんだけど、見知らずの人と顔付き合わせてメシ食いながら音楽を楽しめる場所ってのもなかなか貴重だと思うんですよ。だって、ロンドンのパブとかアメリカ南部のジュークジョイントなんかはこんな感じなわけでしょ?もともと音楽ってのはこんな風に楽しむもんだと思うんだよね。ロック観に来て恥ずかしがってる場合じゃねえっての。食いもんも旨いし、サムズはほんと大好き。

ドラムセットの後ろには、4本の羽根が象られたイラストが。今回のツアーはキーボードの細身魚がいないけれど、それでも常に4人でステージに立っているというHEATWAVEとしての意志の表明なのかもしれない。バンドとしての絆を感じた。

1曲目は「I HAVE NO TIME」。これは千葉と同じだったんだけど、これ以上ないぐらいカッコいいオープニングだと思う。決意表明のような熱い歌詞に輪郭のはっきりしたリフ。それが池畑さんのドラムでぐんぐん加速していく。奮い立つような興奮を覚えた。
山口洋は曲のほとんどをアコギでやるんだけど、あたり前だがアコースティックな感じはほとんどない。池畑さんのドラムと渡辺圭一のベースによるリズム隊もものすごく骨太。ルースターズ直系の池畑ビートのぶっとさは言わずもがななんだけど、オレは圭一のベースもすごく好き。この人のプレイはすごくイマジネーション豊かなんだよね。ボトムのキープだけじゃなく、時としてベースでリードギターのソロみたいなメロディックなフレーズを弾いたりする。この曲の時も後半ソロを挟んでたけど、これがとても効果的で、とても3人でやってるとは思えないような奥行きのある演奏になっていた。

2曲目が「ガールフレンド」。一転して静けさの漂うナンバー。光と影。喧騒と孤独。興奮と静寂。HEATWAVEの音楽性の幅広さを物語るような展開だと思う。オレはこの2曲ですっかりステージに心を持ってかれちゃったな。

オレ、まだHEATWAVEのライブを観るのは3回目なんだけど、このバンドの音には80年代のイギリスのビートバンドの影響を強く感じる。
山口洋はオレと数歳しか違わないから、たぶんティーンエイジャーの頃に聴いてた音楽はかなりカブってると思うんだ。自分が高校時代から大学生ぐらいまでの欧米のロックシーンってのは、表面的にはちょっと停滞期だった。MTVに代表されるようなビジュアルで売る音楽が主流で、荒々しいロックは表舞台から一歩下がったような感じ。ただ、イギリスからはパンクロックの影響を受けつつも、そこにニューウェイブ的な味付けを加えたような新しいビートが生まれつつあった。
HEATWAVEの音には、あの頃のそんな洗練されたテイストを感じるんだ。パンクの影響を受けたバンドは日本でも数多いけど、ライフ・アフター・パンクの空気を正しくキャッチ&リリースしてる人たちは意外に少ない。HEATWAVEは、R&Bやアイリッシュトラッドなどの伝統的な音をベースにしつつ、パンクの荒々しいビートや洗練されたニューウェイブのフレーバーを加味したサウンドを聴かせてくれる。そこがイイんだ。
プラス、男・山口洋の閉塞した世界を切り裂くような、熱く男臭い歌詞の世界。この組み合わせは唯一無二なんじゃないのかなあ。

なんとなくだけど、オレ、今の山口洋は何か重い荷物を抱え込んでいるような気がする。実際、ツアー中はブログの更新を止め、直前の書き込みでも何か個人的な問題があることを匂わせるようなことを言っていた。
実を言うと、この日のライブも出だしはちょっと自分の内面と葛藤しながら音を出しているようなタッチを感じた。これは、サムズアップが着席の会場であることも微妙に影響していたのかな。2週間前の千葉ANGAの時は、最初からフロアがヒートアップしていて、そのまま最後まで突っ走れたようなところがあったが、この日はなかなか客席があったまらなかったからなあ…。

ただ、それも2部になると空気が一変した。スタートの「KIFE GOES ON」から気合入りまくりの演奏。これは千葉のそれを何倍も上回っていたと思う。とにかくすごかった!激しくアコギをかき鳴らす洋に池畑+圭一のビートが激しくぶつかり、ものすごい波となって客席を覆い尽くす。
そう、驚いたことに、わずか2週間しかない短いツアーだってのに、バンドはまた前に進んでたんだよな。「BORN TO DIE」「それでも世界は美しい」「PRAYER ON THE HILL」「フリージア」…。どれも千葉でもやった曲なのに、違った展開が感じられた。
30年だよ、HEATWAVE。それなのにまだ進歩してる。こんな短い時間なのに…。柔軟性のあるミュージシャンってのはこういうもんなんだなあ、ってしみじみ思った。

圧巻だったのは一回目のアンコール。
“ツアー最終日だから、ちょっと楽しいことやろうか?”と言い出した洋は、おもむろにカントリー・ジェントルマンを手に…。来た来たっ!と思っていると、池畑さんがものすごいイントロを叩き出す。ルースターズの、というよりすべての福岡出身のビートバンドのDNAに組み込まれたナンバー、「TEQUILA」だ!これを間髪いれずに「WIPE OUT」へ繋げるという怒涛の展開。更に「Do The Boogie」も飛び出すという大R&R大会!これは店中が大興奮だった。オレなんか、もう頭の中が真っ白になったもん。
千葉ではなかった「新しい風」なんかも聴けたし、ツアー初日と千秋楽を観る事ができて本当にラッキーだったと思う。

洋は「今回はトリオだったけど、今年中に4人でまた絶対にやるから!」と言っていた。うん、やっぱ観たいよ、フルメンバーで。3人でもこれだけ濃いんだから、魚が入ったらどうなっちゃうんだろうなあ、ほんと。

hendrix69 at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音楽 

2009年06月09日

5月2日が過ぎて変わったこと

5月2日が過ぎて、オレは人生観が変わったような気がする。
なんつうか、死ぬのが怖くなくなったんだよな。生きてる上で、先のことを考えて計画することってあるじゃん。ウン十年ローンで家を建てるとか、足腰立たなくなった時の事を考えて身体を鍛えるとか…。なんか、そういうことも含めて、未来のために今何かを我慢するのは馬鹿らしくなった。

忌野清志郎って人のスゴイところは、批判を受けようが、行動に一貫性がなかろうが、今やんなきゃダメだって思ったことは即やったことだと思う。はっきり言って、オレなんか清志郎のやってたことで未だにわかんねぇことがいっぱいある。ひょっしたら本人だってわかってなかったことがいっぱいあるかもしれない(苦笑)。
でも、人生それでもいいんだって思うのよ。だって、理屈で語れる人生になんの意味がある?明日オレは家を出たらトラックにひかれて死んでしまうかもしれない。医者に行ったら癌の宣告を受けてしまうかもしれない。そんな時に後悔したって遅いのだ。死んじまったらみんな灰になって、両手で抱えられるぐらいの小さな箱に入るしかないんだから…。

考えてみると、オレ、自分の人生の務めの半分ぐらいはもう果たしてると思うんだ。
家のローンはまだいっぱい残ってるけど、それは死んでも保険が下りるから平気。いちおう家庭を持って子供も作った。下の子も来年は小学生。オレが死んだら多少はしんどくなるだろうけど、女房は強い女だからなんとかするだろう。仕事だって一応は形になったものをいくつか残してる。
そう考えると、オレなんかほとんど暇つぶしで生きてるようなもんですよ、今(笑)。

明日死んじゃったってそれはそれでしょうがないわ。そういう運命ならばね。
別にその辺でのたれ死んだっていいけど、まあどうせ死ぬなら大事な人のために死にたいわな。それが今ならそれでもいい。たった今、大事な人が死にそうな状態にあって、オレの命なり身体なりを差し出せば助かるって言うんなら、喜んでオレは差し出しますよ、自分の身を。どうぞ自由に切り刻んでくださいな(笑)。

人生ってのはほんとに短いんだな…。思い知ったよ、今回の件で。短い人生で一番大事なのは“自由”ってキヨシはシャウトしてたっけ。ほんとにその通りだとしみじみ思う。
決めたぞ、オレは。これからはやりたいことをやって、言いたいことを言う。
実際はなかなかそうはいかないかもしれないけど、男43にしてオレは開き直ったぞっ(笑)。

で、思ったんです。オレみたいなハンパな奴ですら人生観変えるぐらいなんだから、今回の一件で、同業のミュージシャンなんて余計そう感じているんじゃないかと。
たとえば、解散したバンドのメンバーで、今更再結成なんてカッコ悪いことできるか!って考えてたミュージシャンは多いと思うんだ。そういう人たちにこの件はかなりショックだったのではないか。
リスナーの立場のオレだってそうだ。これまでは、よっぽどのことがない限り再結成なんてのはバンドの美学に反すると思ってた。だけど、少しでも解散を惜しむ気持ちがあるのなら、それは万難を排してやるべきなんじゃないかと考えが変わった。
だって、死んじまったら何にもなんないんだよ。みんな灰になって、両手で抱えられるぐらいの小さな箱に入るしかないんだよ。後悔しても遅いんだよ。人間生きてるうちが華なんだよ。

5月2日が過ぎて、オレは考えが変わった。
HARRYが、蘭丸が、気持ちの奥の1%でも再結成をしたい気持ちがあるのなら、Street Slidersは再結成すべきだ。それはカッコ悪いことでもなんでもない。

2009年06月08日

『ROCKIN'ON JAPAN 特別号 忌野清志郎1951-2009』

忌野清志郎 ロッキングオンジャパン特別号―1951-2009

オレは初期のRCにかぶれた、ただのへそ曲がりなだけなのかもしれないけれど、このところの忌野清志郎の持ち上げられ方にはどうにも違和感があった。はっきり言うとすごく気持ち悪かった。いったい、みんなはこの男のどこに惹かれていたんだ?誰にもマネできない唯一無二のボーカリストだったから?家庭を愛し、「愛と平和」を訴える“イイ人”だったから?葬式に4万3千人も集める“キング・オブ・ロック”だから?清志郎を通じていろんな知り合いができたから?

オレは違う。

そりゃあ、忌野清志郎という人間が極悪人よりはイイ人の方が素敵に決まってる。だけど、仮に清志郎が牢屋に入るような人物だったとしても、オレは今と変わらず彼を愛しているだろう。だって、清志郎が作った歌がどうしようもなく好きだから。自分が忌野清志郎という人間を愛して止まないのは、まるで日記に書くような言葉で、オレをにこりとさせたり、ほろりとさせたりする「表現者」だからなんだ。

特別号には、かつて清志郎が行った4本のインタビューが収められた。そのどれもが、彼が「表現者」として自身の作品を語ったものであることを、何より嬉しく思う。
嬉しいというより、なんだかほっとした。このままだと、忌野清志郎という人物像がどんどんどんどん膨らんでいってしまうようで心配だったのだが、ここに収められたのは等身大のミュージシャン忌野清志郎。うん、渋谷陽一、いい仕事しました(笑)。

だから言っただろ?清志郎は「反骨のロッカー」なんかじゃないんだよ。ただ自然に、目に見えるもの、感じたことをバカ正直に歌ってただけなんだ。

学生時代、痩せた女につきまとわれた彼は、「痩せこけた女」というひどい歌を作った。
思い込みの激しい女たちからどうでもいいような贈り物をもらった彼は、「ファンからのおくりもの」という歌を作って、そんなくだらねえものは棄ててしまうと告白した。
生き方を変えてしまうほどの大失恋にあった彼は、「お墓」という大衆歌にはあるまじきタイトルの歌を作って過去を葬った。
極貧状態で石井さんと出会った彼は、「ラプソディ」という歌を作って、ともに人生を歩むことを決意した。
ロックが日本でも巨大な“業界”となりつつあった時、彼は反核・反戦を歌って“あえて”物議を醸し出した。
「忌野旅日記」のあとがきで、彼は“ゴーストライターありがとう”と掟破りの謝辞を述べた。

キャリアの折々での清志郎の肉声をきちんと受け止めれば、彼が決して“ロックの王様”となるようなミュージシャンではなく、むしろ異端といっていいぐらいの独特の感性を持った正直な「表現者」であったことがわかる。
歌ってることや、やっていることはその時々で違っていても、清志郎の態度は常に同じ。世間に自分がどう見られるかなんてことはまるで考えず、思ったことはすぐに歌い、実行し、やってしまう。しかも、いつ何時も自己陶酔に陥ることなく、苦しみながらも決してユーモアを忘れなかった。

「カバーズ」での反戦・反核のメッセージからか、清志郎を“中核派”なんて言った奴がいる。バカじゃねえかと思う。いったい歌の何を聴いてんのかって思う。あんなメッセージなんかどうでもいいんだよ。だって、清志郎は“歌ったが勝ち”としか思ってないんだから。そこに賛成やら反対やらがあるのは当然だ。そうやって遊んでくれよ、たかがロックなんだからさ…。清志郎はそう思っていたに違いない。
清志郎にとっては、「反核」も「失恋」も「愛と平和」も全部同じなのだ。歌は、歌ってしまえばあとは勝手に世界へ旅立っていく。その無責任さとパワーを清志郎はよく知っていた。だからこそ、どんなに大きな存在になろうと清志郎にタブーはなかったのだ。どんなテーマでも歌うことを躊躇わず、周りの騒ぎをよそに涼しい顔できわどい歌や変てこな歌を歌い続けた。そんな生き方をオレは「真摯」だと思う。

『ROCKIN'ON JAPAN 特別号 忌野清志郎1951-2009』には、「真摯」な「表現者」であった忌野清志郎という人間がきちんと据えられている。決して“いい人”なだけではない、エキセントリックな表現者としての彼の資質もきちんと据えられている。そこが素晴らしいと思うのだ。
限られた時間の中で、稀代の表現者・忌野清志郎の資質をきちんと引き出したインタビューをセレクトするのは、大変な作業であったことだろう。

CHABOのインタビューに関しては…。いろんなことを思ったし、胸が詰まった。だけど、オレは今ここでは何も語りたくない。
インタビューの中でCHABOの言った一言が頭に残って離れないのだ。“一番つらくて悔しいのはキヨシや奥さんの景子や子供達…”。親友のCHABOだって悲しいはずなのに、この期に及んでそんな気遣いをしてるんだよ、この男は。オレ、何よりもこの一言が一番胸に刺さったな。
そうだよな、CHABO。オレもたかが一ファンの分際でわかったようなことを言うのは止すよ。“あえて”沈黙する。それが「真摯」な態度なのでは、とは思ったんだ。だって、オレなんて、ただどうしようもなく悲しいだけなんだからさ…。

hendrix69 at 21:18|PermalinkComments(9)TrackBack(1)clip!忌野清志郎 

2009年06月07日

ボスと社長

「ROCKIN'ON JAPAN特別号 忌野清志郎」、素晴らしいと思う。
“過去のインタビューを集めただけじゃねえか…”なんて意地の悪い見方をする人もいるみたいだけど、とんでもないぞ!こんな短い期間で追悼に相応しいインタビューをチョイスするだけでも大変な作業なんじゃないだろうか。

内容の感想はもう少し後にしたいんだけど、今はひとつだけ書かせて欲しい。
オレはこの中の一枚の写真に釘付けになったんだ。それはページ中ごろの見開きで、清志郎とミック・ジャガーが肩を組んで笑っているという強力な2ショット。
ローリング・ストーンズ関係に詳しい人なら、誰がこの写真を撮ったのか、すぐに予想が付いたと思う。ミッキーこと有賀幹夫だ。
ストーンズは、公式カメラマンの採用や写真の使用許諾について、ものすごく厳しい制約を設けている。来日公演の写真とかがスポーツ紙によく載るけど、実はあれだって撮ってるのはすべてストーンズ・サイドが認めたオフィシャル・フォトグラファーなのだ。ストーンズの写真なんてのは、誰もが手軽に撮れるシロモノではないのである。
有賀さんは日本人で唯一ストーンズ・サイドからツアーの撮影を認められた人物。そして、かつてはRCサクセションや清志郎のライブ写真も撮っているカメラマンなのだ。RCとストーンズ両方を撮ったことのあるカメラマンなんて、おそらく日本ではこの人以外いないと思う。だから、清志郎とミックの2ショットは間違いなくミッキーの撮った写真。そう確信した。

それから、オレはこの写真がこの時期に載っている事自体が非常な驚きだったんですよ。
だってね、ストーンズの写真使用許可ってものすごく厳しいはずなんだよ。たった一枚の写真でも、その使用許諾においては何重にもわたる厳重なチェックを行うという噂。雑誌といえど、掲載が決まるまでには膨大な手間と時間がかかるはず。
この追悼号の場合、5月の始めに訃報が届き、追悼号を出すことが決まって、写真をチョイスして、ストーンズ側に使用許可をとって…。たぶん、その期間はおそらく2週間ぐらいしかなかったんじゃないだろうか。それが今手元にある。こうして日本中のロックファンがミックと清志郎という奇跡の2ショットを目の当たりにできている…。考えられない。普通じゃ絶対に考えられないことなんだよ、これは。

気になって、有賀さんのブログを見たところ、案の定。そこには、奇跡のようなエピソードが書かれてあったのだ。

オレ、感動しちゃったよ。これ、間違いなくミック・ジャガーが心を動かしたんだと思う。
20年前の清志郎との対面をミックが憶えているとは思えないけど、有賀さんの情熱が届いたか、天から清志郎の力が働いたか…。

見せてもらったぜ、「夢」が現実になった瞬間を。ほんと、追悼号にこの写真が載ったってのは奇跡みたいなことなんだ。清志郎はここでも見せてくれたんだな、「夢」の続きを!

良かったなあ、有賀さん!おめでとう!
この素敵な写真が日の目を見たことを、オレは素直に喜びたい。

hendrix69 at 17:46|PermalinkComments(8)TrackBack(0)clip!忌野清志郎 

「500マイル」を歌い続けると彼女は言った

Leyona

「Metro Music Oasis Vol.26」出演:Leyona / 6月5日(金)東京メトロ銀座駅構内
1stステージ 17時00分〜17時30分
2ndステージ 18時30分〜19時00分


自分が毎日乗っている地下鉄の運営会社・東京メトロはなかなか面白い所だと思う。情報誌顔負けの気合の入ったフリーペーパーをいくつも出していたり、東京の名所を紹介する番組のスポンサーをやったりと、ただの交通機関に留まらず、自分達が意識的に東京という都市の文化発信をしようとしているところが見受けられる。
このメトロ・ミュージック・オアシスってのもそんな試みのひとつ。丸の内線・銀座線・日比谷線と三つの地下鉄が交差し、多くの乗降客が集まる銀座駅の一角を使って、無料で良質の音楽を聴かせるという、音楽好きにはたまらない企画なのだ。何年か前にはバンバンバザールもこれに出たことがあった。

今回は待望のLeyonaの登場。やったね!雑踏の中で聴くLeyonaってなんかすごくハマるような気がする。オレ、この日の午後は仕事サボって駆けつけましたよ。何しろタダだし(笑)。
自分にとって、この日のライブのポイントは2つあった。ひとつは久々にパーカッションのラティール・シーとの共演が見られること。もうひとつは、おそらく終了後にはLeyonaと直接話す機会が持てるだろうということ。前にこのイベントを見たとき、終了後にバンバンバザールが即席のサイン会を開いていた。このイベントは、なんとなくそういうことをやりやすそうな雰囲気があるんだよなあ…。もともと、Leyonaはイベントの時などは、自分の出番が終わると普通に物販に立ったりする人なので、きっとこの日もそうするだろうという確信があったのだ。

自分が観たのは17時からの1stステージ。
予定より少し遅れて、銀座駅の駅長さんのお話の後にLeyonaが登場してきた。ラティールとは久々のデュオだったにもかかわらず、息はぴったり。今年の春に出たミニアルバム「MELODY」からの曲を中心に、ラティールもボーカルをとる「Fatou Yo」や「Love」なんかも含めた約40分のステージ。時間は短かったけど、ギターを抱えて汗びっしょりの熱演だった。
普段と違い、買い物帰りのおばさんや営業の時間調整のサラリーマンみたいな人も含めた幅広い客層に最初緊張気味に見えたLeyonaだけど、そこは百戦錬磨の彼女、最後は観客も参加した「Love」のコーラスもで、客席がひとつになる気持ちのいいグルーブを作ってくれた。
オレは、今月19日に彼女のデビュー10周年を祝うイベントライブに行くことになっているんで、この日はその前哨戦でもあった。相変わらず自然体のLeyonaのプレイを目のあたりにして、19日もいいライブになることを確信したな。

終了後は、予想通り2ndステージまでのインターバルを使ってCDの即売と即席のサイン会が行われた。
自分も彼女の新譜「MUSICISMAGIC」を買って、彼女と話をする機会が持てた。オレは、そこでLeyonaに10周年のお祝いを直接伝えることができた。いやあ〜ファン冥利に尽きます!(笑)
それと、オレはLeyonaにひとつお礼が言いたかったんだ。それは、清志郎があんなことになってショックが癒えぬ中、5月5日に横浜サムズアップであった彼女とバンバンバザール、吾妻光良さんとのライブに行った時のことだ。Leyonaはアンコールでかつて自分を可愛がってくれた忌野清志郎と共演した「500マイル」を歌ってくれたのだ。これはすごく沁みた。落ち込んでいた僕の心に、この歌はものすごく沁みた。ものすごく気持ちが癒された。
Leyonaは、常々音楽は人の気持ちを温かくするMAGICがあると言っている。オレにとって、あの時ほどそれを強く感じた瞬間はなかった。それをLeyonaに直接伝えたかったのだ。
短い時間だったからそんなに深い話はできなかったけど、気持ちは十分に伝えられたと思う。そして、彼女があの日、特別な思いで「500マイル」を歌ったこともよくわかったよ…。
最後にオレが「これからもずっと500マイル、歌ってください」と言うと、Leyonaはまっすぐにオレの目を見て、「はい!」と言ってくれたんだ。

なんかね、来て良かったと思ったよ。すごく。
忌野清志郎のいない世界で、清志郎のスピリットを受け取った人たちは、彼の意思を継ぎながらそれぞれの道を歩き出そうとしている。それがはっきりと伝わってきた。
19日に行われる「Leyona 10th Anniversary MUSIC IS MAGIC」には、CHABOも三宅伸ちゃんも出演が決まっている。きっと、どうしたって本来ならその場に当然いるべき人の不在を感じずにはいられないだろう。だけど、めそめそしてたって何もはじまらない。そう思った。19日、がっつり楽しんでこようと思います!

ありがとう、Leyona。オレも負けちゃいられないと思ったよ。

hendrix69 at 17:09|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!Leyona 

2009年06月03日

トランジスタ・ラジオ

ソロでバンドでたくさんのアルバムを残した忌野清志郎だけど、自分にとってはやっぱり「RHAPSODY」「PLEASE」「EPLP」の3枚は別格。一番多感な時期に出会うべきして出会ったアルバムだからだろうなあ。実際、今の自分を形成しているかなりの部分は、この3枚に収録された歌で形成されたんだと思っている。
その中でも、「PLEASE」「EPLP」の2枚ともに入っている「トランジスタ・ラジオ」、この歌こそがオレにとっての清志郎の原点だ。
もし、明日から無人島に流されることになって、何か一つだけ清志郎の作った曲を持って行ってもいいってことになれば、オレは「雨上がり…」でも「スローバラード」でもなく、迷わず「トランジスタ・ラジオ」を持っていくだろう。そのぐらい大切な曲。

この歌は、それまで聴いてきたフォークやニューミュージックやYMOなんかとは、決定的に違う何かがあった。まず感じたのは“まるでオレ自身のことが歌われてるみたいだ”ということ。それと“これは本当に学生時代の清志郎が感じていたことなんだろうなあ”とも思った。
前にも書いたけど、オレはその頃、行きたくもなかったバカ高校でなんとも冴えない高校生活を送っていた。はっきり言って、オレが音楽に向かったのは現実からの逃避だったんだ。音楽で知らない扉を開け、自分だけの世界を必死で作ろうとしていたあの頃。
何をやっても、ずっと寂しさがつきまとってたなあ…。落ちこぼれるってのはこういうことかと思い知った。楽しかった中学1年の頃の仲間はみんな遠くに…。人も物事もだんだん変わっていくんだなあ。変わんねえのはオレだけじゃねえか…。なんてね。

車や女の子がロックの常套句であるように、ラジオをテーマにした曲も世の中にはいっぱいある。清志郎の今度のシングルだってそうだし、あの頃だって佐野元春の「悲しきレイディオ」だの、モッズの「ごきげんRadio」だの、ラジオを歌った曲はたくさんあった。
でも、「トランジスタ・ラジオ」の世界は、そんな歌より二歩も三歩もこっち側に近づいてきてると思ったんだ。ラジオから飛び出す未知の音楽でぐわーんと広がる新しい世界…。そんなことを歌ったロックは星の数ほどある。だけど、「トランジスタ・ラジオ」には、それだけじゃない気持ち、あの頃自分が感じていたのと同じような、ある種の悲しみがあるのを感じたんだ。
海の向こうの音楽が届ける新しい世界に夢はどんどん膨らむ。だけど、夜が明ければ自分の居場所は今日と何も変わっていないという苛立ち。そして、教科書を広げてる彼女が属してるようなあの穏やかな世界にはもう二度と戻れないという悲しみ。それは、今にして思えば少年が大人になる時に何かを失ってゆく、思春期特有の悲しみとイコールだったんだと思う。

どうしてそんな流れになったのかはもう忘れちゃったんだけど、オレは当時ちょっと好意を持ってた女の子に「トランジスタ・ラジオ」を聞かせたことがあった。その時、彼女は“悲しい曲だね、これ”って言ったんだよ。彼女のつるっとした温かい声を、オレはあれから30年経った今でもはっきり憶えてる。
でも、彼女の意見にちょっと付け足すと、オレは悲しい曲だとは思ったけど、同時にすごく励まされもしたんだよな。それと、彼女の言う悲しさとオレが感じている悲しさとは少し種類が違うような気がした。“悲しい”という気持ちを共有できたことは嬉しかったけど、やっぱり男と女は違うんだなあ、なんてことを思ってがっかりしたり…。あー、思春期ってのはややこしかったなあ、色々と…(苦笑)。

今ならわかる。RCサクセションの曲は、誰が聞いてもいいと思えるような不特定多数に向けて作られた歌ではなかったのだ。優等生とか不良とかになりきれない少数派に向けて作られた歌。それは当時の忌野清志郎という人自身が少数派だったからこそ作り得たんだと思う。
もちろん、そんな理屈はニキビ面の高校生にわかるべくもなかったけど、世代も住む場所も違う人物が自分と同じような気持ちを歌っているという事実は、鬱屈した田舎の高校生にはものすごく大きな救いとなった。
「トランジスタ・ラジオ」こそが、自分と清志郎との関係性を、いや、もっと大きく出れば自分とロックとの関係性をも決定的なものにしたんだと思う。少年のような声で少数派のために自分自身の歌を歌ってる忌野清志郎という人物の存在に、ちっぽけだったオレは、本当に強く強く励まされたんだよ。

「トランジスタ・ラジオ」は、夢見る頃をとうに過ぎた今でも、時として激しくオレの心を振るわせる。
忘れもしない2003年の8月17日日比谷野音。伸ちゃんがあのイントロを“ガーン!”と弾き出し、一転して梅津さんがメロディアスなサックスを奏でた時、不意に涙がこみ上げてきて止まらなくなった。毎回そうなっちゃうわけじゃないから不思議なんだ、これ(苦笑)。でも、ほんとに力のある音楽ってのはそういうもんなんじゃない?理屈じゃないんだよね。心の奥に仕舞い込まれた何かが、不意に揺さぶられて元気付けられたり感動させられたりする…。これからも、僕は一生「トランジスタ・ラジオ」を聴き続け、不意打ちの涙に驚いたりするんだろうなあ。

不来方の お城の草に寝ころびて
空に吸われし 十五の心


突然何を言い出すんだと思った?(笑)
言わずと知れた、石川啄木の詩。これ、中学時代に現国の教科書で出会って以来、ずっと好きなんです。「トランジスタ・ラジオ」をはじめて聴いた時、これって「十五の心」そのものじゃん、って思ったんだ。
石川啄木の詩が今も多くの人たちを惹きつけるように、「トランジスタ・ラジオ」はこれからも時代を超えてはぐれた子供たちの心を打ち続けるんだろう。それは泣きたくなるぐらい素敵なことだとオレは思う。

2009年04月24日

大トラは罪なんだな…。

知らなかった。
誰もいないような時間や、ふくろうしか見えないような真っ暗闇でも、素っ裸になると逮捕されちゃうんだなあ。
ただ酒飲んだだけでも、挙動不審だったらヤクまで疑われちゃうんだなあ。

そりゃあ、草くんのやったことは決して褒められたものじゃあない。騒がれた近所の人はさぞ迷惑もしたんだろう。
でも、公然わいせつ罪まで適用するか、普通?警察への知らせだって、被害届けじゃなくてあくまでも「通報」でしょう?普通だったら半日説教くらって無罪放免ってケースじゃないの?
逮捕ってのはちょっと…。おまけに尿検査で何も出てないのに家宅捜査?

自慢じゃないけど、俺なんて若い頃は酔っ払って裸で池に飛び込んだりなんて散々やりました。数年前も酒では大失敗してます。この時なんて傷害罪や器物損壊、無賃乗車に問われてたって文句言えない。はっきり言って草くんよりよっぽど周りに迷惑かけてます(苦笑)。
彼は駆けつけた警察官に激しく抵抗したり暴言吐いたりしたっていうけど、大トラ状態だったら、俺だって職質されてもジタバタしたり暴言吐いたりするよ。
これからはそんなことすると逮捕されちゃうってことですね。酔っ払って千鳥足で公道を歩き、手をぶん回して叫んだりしてたら、ヤク中扱いされて家宅捜査までされちゃうってことですね。

ぞっとした。ほんと、おっかねえ〜。
もっと恐ろしいと思うのは、今回の捜査をやりすぎだと思ってる人はけっこういるはずなのに、メディアでは誰もそれを言わないこと。何が怖い?誰の顔色を気にしてる?
古館一朗とみのもんたは“反省して早く戻ってきてください”ってなことを言った。これは警察にもジャニーズにも配慮したどうでもいいコメントだ。警察の対応が行き過ぎだとはっきり言ったのは、僕の知る限り鳥越俊太郎だけ。筑紫さんが生きてたらなんて言っただろう…。
怖い。今やマスコミはこれほどまでに統制されているってことなんだろうか…。

通信傍受法ができたり、町中に監視カメラができたり、このところ警察による管理がますます厳しくなってるような気がする。8年後には東京でオリンピックをすることになるかもしれないけど、その時は危機管理っていう名目で、もっと管理がキツい社会が待っているのかもしれないなあ…。

hendrix69 at 16:16|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!日記 

2009年04月22日

矛盾を抱えたやじろべえ

「大学で学んだことなんて実社会では何の役にも立たない」−−そんなことを言う人はけっこう多い。でも、僕は全然そうは思わないなあ。
もちろん、学術の世界にも流行り廃りがあるから、知り得た知識が今や古くて使い物にならないなんてことは有り得る。でも、考え方の方法論は時代が変わってもそんなに変わらないんじゃないだろうか。そして大学って所は、知識を得ることよりもむしろそっちの方が大事なんじゃないかという気がする。
学生時代に講義や刺激的な人たちとの出会いを通し、自らの思考を纏める訓練とそのための回路を頭の中に構築していくことは、その後の人生において出会うことになる様々な事象を考察する上で、とても大切なことだと僕は思うのだ。

こういったことは大学のレベル云々の話ではない。大学の授業ってのは、実際のところ、その大学の専任教員と非常勤教員とが混在して成立している。偏差値が低いと見なされている大学でも、非常勤として1人ぐらいはその分野で著名な講師が来てるはずなのだ。また、学問領域の導入教育は、実際どの大学でもそんなに差はないはず。概論的な知識をしっかり身につければ、他大学に出向いて知識の幅を広げる事だって可能なのだ。
要は、どんな環境にあろうと、大学で何かを学ぼうとする意欲があるか、自分の知的好奇心にどれだけ忠実であろうとするかなんだよね。

僕は社会科学系の学部出身。厳密には専門分野ではないんだけど、社会学や比較文化論、国際政治学なんかの講義の幾つかは今でもはっきり憶えてるなあ…。
決して出来のいい学生ではなかったけど、親から出してもらってる(そして幾らかは自分で出してる)安くはない授業料を考えれば、それに見合うだけのものは得ようと頑張った。
それと、あの頃学習を通して幾つかのクールな思考方法に出会えたことも大きかったと思う。その二つの要素が混ざり合って、今の僕という人間が出来上がっているんだと思う。

たとえば、ポストモダンという考え方に僕はかなり大きな影響を受けたと思う。
社会学的な意味でのポストモダンってのは、全体を二元論的な発想で考えるのではなく、今起こっている経験的・実践的事象の客観的な事実の分析を積み重ねることによって全体を把握しようとする思考方法のこと(違ってたらゴメン。出来のいい学生じゃなかったんで…(苦笑))。
恐らく、僕と同世代で真面目に大学の講義を聴いてた人なら、この考え方に触れた経験のある人は多いと思うんだ。

にもかかわらず、今、この国ではどうしてこうも極論で物事を考える人が多いんだろう?時事問題や他国との関係性を考える時、「右寄り」とか「左寄り」という振り分けを前提にしないと語れない人があまりにも多すぎる。
今や大学への進学率は50パーセント近いらしいじゃん。2人に1人は大卒の学士様。なのに、なんで世論が成熟しない?

僕は古くて新しい。僕は保守であり革新である。僕は愛国者でありニヒリスト。それは詭弁じゃなくて現実なんだ。現実世界がこれだけ複雑である以上、そこにいる僕らも矛盾を抱えたやじろべえとして生きていくしかないじゃないか。

もしかしたら、僕の頭ももはや古いのかもしれない。
大学で学んだことなんて、やっぱり実社会では何の役にも立たないのかもしれない。
でも、少なくとも今の世論は、80年代初頭より明らかに二元論的発想が台頭してきていると思うのだ。あ、もしかしたら時代がぐるっと一回転しちゃったのかな?(笑)。

いったい、知の現場の最先端って今の時代どうなっているんだろうか?
俺、もう一回大学で講義受けてみようかなあ…。

hendrix69 at 06:07|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!日記 

2009年04月16日

LIFE WORK '09 山口洋ライブ / 4月16日(木) 吉祥寺Star Pine's Cafe

cafe MILTON

自分が音楽を聴き続ける理由、カタチではない「ロックンロール」というコトバの意味、ライフ・アフター・パンクのあるべき姿、この夜の山口洋からはそんなものをすべて教えてもらったような気がする。なんか、心がじわじわと震えてくるような、素晴らしいライブだった。

オレはまだ山口洋という稀代のミュージシャンと出会って間もない。でも、彼の音楽とは、今、出会うべくして出会ったような気がしている。恐らく、二十歳の頃に彼と出会っても、こんなに強く気持ちを揺さぶられることはなかっただろう。山口洋の作る武骨な歌たちは、それなりに歳月を積み重ね、人生の澱が出始めた時期に聴いてこそぐっとくるものだと思うからだ。
ステージに立つ山口洋を見ていて、オレは思春期に出会ってから人の親となった今でも聴き続けているロックンロールという音楽と自分との歴史が、目の前を一瞬のうちに通り過ぎていくのを感じた。

この夜の吉祥寺には、満員電車の中で自分と周囲とを隔てるため無理矢理耳から音楽を流し込んでるような人じゃなく、今日を生きる糧として、日々の暮らしになくてはならない「音」として、音楽を心から愛し慈しんでいる連中が集まっていた。
なんというか、山口洋のファンは温かいのだ、すごく。洋の朴訥なMCに機敏に反応して絶妙の掛け声をかける。それに対して洋が愛を込めたぶっきらぼうな言葉で応える。このやり取りがなんともいえず心地良い。
洋は“地方のライブハウスには老若男女いろんな人が集まってくる。中には客席の片隅で宿題してる中学生なんかもいる。で、意外にそういう連中がちゃんと音楽を聴いてくれてんだよ”って言ってたけど、そういう場をたくさん経験していることは、この日のステージングからもよくわかった。
43歳の元ロック少年と45歳の元パンクロッカー、オレは山口洋と自分との関係性をそんな風に捉えている。たぶん、山口洋のライブに足を運ぶファンは、オレのように彼と自分との関係性を確かめながら聴いている人が多いんじゃないかと思う。

この夜は、新しいライブアルバムのお披露目で久々のソロライブ。
オレはまだ駆け出しのファンだから知らない曲も多かったんだけど、それでも心の琴線を震わすには十分。
ヤイリのアコースティックギター、イイ音してたなあ。深いエコーをかけたり、ピッキングの強弱で情景が目の前に広がるかのような色彩豊かな音色。いわゆる巧いギタリストっていうのとはちょっと違うかもしれないけど、オレは彼のギターが大好きだ。

洋はこの日、長年不摂生していた歯を治療中で前歯4本が仮歯だとのこと。そのせいで抜けるはずの息が抜けなくて違和感アリアリだって言ってた(笑)。たけど歌い始めたらなんのその。曲が進むにつれてぐんぐん調子を上げ、魂を震わせるようなシャウトを聴かせてくれた。

山口洋ってほんと詩人だと思う。それも、生活に根ざした言葉を紡ぎだす詩人。ある種宮沢賢治にも通じるところがあるんじゃないかな。
海の向こうには、ブルース・スプリングスティーンとかルー・リードとか、病めるアメリカを憂う優れた詩人がいる。山口洋もこういった人たちと同じ系統にいるんじゃないか。現代日本の世情を映し出す吟遊詩人。オレはそう思ってます。
そうそう、この日披露された新曲は「愛と希望と忍耐」ってタイトル。これ、洋は“恥ずかしいんだけど、今はこんな言葉しか浮かんでこないんだ”って言ってた。だけど、この夜この曲に耳を傾けた人たちは、誰もこれが陳腐だとかダサいだとか思ったりしてなかったと思うよ。“こんなはずじゃなかった21世紀”の今、日々を生きる上で大事なことって正にこの3つじゃないかと、オレなんかそう思うもん。

2時間半があっという間。本当に濃厚な夜だった。その間にオレはグラス2杯のジントニックとギネスの小瓶一本を空けた。でも、全然酔わなかったんだな。酒に酔う前に、山口洋の歌の世界に酔ってたから(笑)。

ライブ後には、この日発売になったライブ盤へのシリアルナンバー入りのサイン会が行われた。オレのアルバムのシリアルナンバーはちょうど20。山口洋はサインを入れる前に正面からオレの目を見てくれて握手してくれた。書いた後には「ありがとう。また来てね」と言ってくれてまた握手。
山口洋は思ったとおりの、男気あふれる人だった。うーん、惚れたぜ、山口洋。ライブ、また行くぞ、当たり前じゃん!

hendrix69 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音楽 

2009年04月14日

男子のための人生のルール / 玉袋 筋太郎 (著)

男子のための人生のルール

俺ねえ、浅草キッドって大好きなんです。芸人として面白いのはもちろんだけど、この2人は同世代の男としてとても気になる存在。格闘技に関するマニアックな執着とか、筋トレ、マラソン、エッチ関係(笑)、彼らのこだわり一つ一つが僕にはすごく納得できるものがあるんですよ。カッコいいと思うもん、マジで。水道橋博士がやってるから、俺も一丁マラソンやるかあ〜って気になってるぐらいですから(笑)。
あのねえ、俺らぐらいの歳になると頭も身体もスポンジみたいになったヤツがけっこう増えてくるんです。いつ会っても同じような話しかしてこない奴、弛み切った身体で“若い時はよ〜”なんて生臭い息吐く奴。浅草キッドにはそういう匂いをいっさい感じません。若い時と同じように、真剣にバカをやってます…。いいよなあ〜、そういうの。

これはその浅草キッドの片割れ、玉袋筋太郎の初エッセイ本。自身も中学生の男の子の親である筋太郎が、男子が「本物の漢」になるために必要な何カ条かを、力いっぱいまとめたものです。
人は生まれながらに男ではない。男に「なる」のだ!コンプレックスと向き合え!銭湯で前を隠すな!心の皮をズル剥けにしろ!いやあ〜玉ちゃん、思った以上に骨太です。熱っいんだなあ、これが!シモネタもバリバリだけど(苦笑)。
でもねえ、すごく心に沁みました。っていうか、俺、ちょっと自分を省みてしまいましたね。玉ちゃんの言ってることって、実は至極当たり前のことだと思うんです。礼を尽くすこと、友達との付き合い方、お金の使い方。これは、大人の男が当然持っていなくてはならない最低限の世の中に対するマナーとルール。でも、こういうことちゃんとできてるかなあ、俺…。

この本は14歳ぐらいの子たちに向けて書かれたようになってますけど、むしろ人の親になってるような、僕らぐらいの年代の人が読むと、もっとぐっとくるかもです。楽しく読めるんだけど、思わず涙ぐんじゃうようなところもあるんだよね。

俺ねえ、一番泣けたのは、亡くなったお父さんとの話のとこ。
玉ちゃんの家は夫婦で水商売をやってたそうなんだけど、玉ちゃんが中学生ぐらいの時にお店が潰れちゃったんだって。そのあと、お父さんは一家を養うためにもう一度お店を起こしたんだけど、それはなんとゲイバー。ある日、何も知らずに玉ちゃんがお店に行ったら、お父さんはゲイバーの“ママ”をやっていたんだって。思春期の玉ちゃんはそうとうなショックを受けました。
それから何十年も経って、芸人になってから飲み屋であったオカマの人が、玉ちゃんを見てわっと泣きだしたんだって。そのオカマさん曰く、若い頃、玉ちゃんのお父さんにはすごくお世話になったと。そして、お父さんは少年玉ちゃんと家族を支えるために、一生懸命ゲイバーのママをやっていたと、涙ながらに教えてくれたんだって。
お父さんが亡くなってから気付いた愛情の深さと、それに気付けなかった玉ちゃんの無念さを思うと、なんか泣けて泣けて…。

俺、小5の長男がもう少し大きくなったらこの本を読ませようと思います。
別に“偉い人”とか“立派な人”なんかになって欲しくはないけれど、玉ちゃんみたいに、人から“アニキ”って呼ばれるような漢になってくれたら、そりゃあ最高だろうなあ…。
いやあ〜不覚でした。まさか玉袋筋太郎の書いたエッセイに涙するとはなあ…。できることなら、浅草キッドの2人とは一回夜通しお酒を飲んでみたいですね。それも、小洒落たバーなんかじゃなく、歌舞伎町の寂れたオカマバーみたいなところで(笑)。

hendrix69 at 22:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip! 

2009年04月12日

Monthly CHABO vol.10 仲井戸“CHABO”麗市 with 村上"ポンタ"秀一 「You've got a friend.」

この日のマンスリーは開場時間が30分以上も押しました。これは最近のCHABOのライブでは久しくなかったこと。久しぶりのポンタとのライブってことで、かなり細かくリハをやったんでしょうか?待ち時間には俳優の中尾彬・池波志乃ご夫妻が来場する場面に遭遇したりなんかして。うーん、CHABOと中尾彬、全然イメージ合いません(苦笑)。ポンタさん目当てだったのかなあ?中尾さん。

予定開演時間を20分ほど過ぎた頃、場内にジェームス・テイラー版の“君の友だち”が流れてCHABOが登場。この曲は7年前に青山円形劇場でポンタのライブにCHABOがゲスト出演した時にエンディングで流れた曲。なので、なんだか僕はあの時の続きみたいな錯覚に襲われました。

オープニングは久しぶりな感のある「幻想の旅人の唄」。この曲だけCHABO一人の演奏で、2曲目以降はすべてポンタを交えての共演となりました。
デュオの一曲目はむちゃくちゃ久しぶりの「HIMAWARI」。これをライブでやるのはHEART of SOUL BAND以来じゃないか?あの時はクラプトンを意識して派手にストラトを弾きまくっていたCHABOだけど、この日はぐっとテンポを落とし、アコギでポイントだけを爪弾くようなシンプルなアレンジを聴かせてくれました。この曲のアレンジに象徴されるように、ポンタも派手に叩きまくるというよりも、多彩な音色を使ってじっくりとCHABOの楽曲を盛り立てるようなドラミングに終始してました。

ポンタさん、かな〜り痩せたんじゃない?風の噂ではまた病気したなんて事も聞くし、ちょっと心配。青山円形劇場の時も直前に肺炎を患った話しをしてて、その時は煙草をスパッと止めたって言ってたのに、この日はステージで葉巻スパスパなんだもん(苦笑)。まあ、表情は明るくてCHABOとのやり取りも軽妙で元気そうではあったけど。

僕がこの日のセットで印象に残ったのは、やっぱ歌詞が立ってて映像が目の前に浮かんでくるような楽曲ですね。
具体的にいうと「さまざまな自由」とか「セントルイス・ブルース」、それから「ジャングル」とかかな。「さまざまな自由」は雨音のSEがイントロに続いてポンタさんのドラムが入ってくるのがなかなかスリリングだったな。「セントルイス・ブルース」、これは前にやったときのも今だに印象に残ってるんだけど、2人がやるとなんか明治の画家が描く洋画の中の世界みたいな映像が浮かぶんだよね。日本でもセントルイスでもない、正に幻想の港町みたいな…。
そんな感じだから、ポエトリーリーディングもいつもとはちょっと違うタッチがありました。びっくりしたのは、「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」をここでやったことです。CHABOの楽曲の中でも最もソウルっぽいノリを持つこの曲を、まさか朗読でやるなんて…。でも、これがよかったんですよ。あらためてこの曲の歌詞の強さっていうか、シュールさが際立って耳に残りました。

それと、本編ラストの「ガルシアの風」も印象に残ったなあ。CHABOは「BLUE MOON」をマンスリーライブの課題曲と称して、その時のゲストといろんなアレンジで演奏しますが、実は「ガルシアの風」も裏課題曲で、ゲストによって大幅にアレンジが変わる曲のひとつなんです。この日は1番の歌詞をポエトリー調でやって、ポンタが様々な音色でバックアップしたんだけど、とても良かったです。なんか演劇的な要素を感じました。

あと、この日はカバーが異常に多かったように感じました。それも、同世代であることを意識してか60年代後半から70年代にかけてのものがほとんど。ちょっと挙げてみてもピーター&ゴードンの「愛なき世界」、ドアーズの「ハートに火をつけて」、アレサ・フランクリンの「小さな願い」、サイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」、それにエルトン・ジョンの「ユア・ソング」、マーサ&バンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、アンコールではライブのタイトルにもなっていた「君の友だち」。
誤解を恐れずに言うと、今回演奏されたカバーは僕的にはどれもイマイチでした。はっきり言うと「愛なき世界」以外はどれも苦しかったです。
あのねえ、ちょっと最近CHABOの取り上げるカバーは直球すぎます。で、楽曲が直球であればあるほどそこから脱するのは大変だと思うんですよ。キーボードのリフとジム・モリソンのクールな低音が耳に残る「ハートに火をつけて」、アレサの圧倒的な絶唱に心打たれる「小さな願い」、こんなのをアコギで弾き語ること自体無茶ですって。他のカバーにしても、もう少し歌い込んでからやって欲しかったなあ。
こんなもんじゃないでしょ、ほんとのCHABOって。あまりにもフラットな歌い方で悲しくなりましたよ、ワタシは。「君の友だち」なんて俺が歌った方がイイんじゃないかとすら思ったぐらい(苦笑)。
うーん、厳しいことを書きましたが、これはこの日のカバーが最近になくキツイと感じたから(オリジナルを聴いたことがない人はまた違った感想を持ったかもしれませんが…)。来月のマンスリーはCHABOのソロで全曲カバーのライブですよね。これは相当気合入れて演って欲しいと思います。

中盤では突然ポンタのドラム教室が始まったり(これ、別料金だそうです(笑))、「DREAMS TO REMEMBER」ではギターテックのマチャミさんもサイドギターを弾いたりと、終始リラックスした中でのライブでした。
最後の最後は、青山円形劇場で共演した時と同じで、ポンタがヴォーカルを取る「おやすみ」。
その後、2人で肩を組みながら客席の声援に応え、サッチモの「この素晴らしき世界」が流れて深々とお辞儀。2人が顔を上げると客席はスタンディングオベーション…ってのがいつものマンスリーのお約束なんですが、この日はなぜか2人が肩を組むと立ち上がっちゃう人が何人もいて、結局お辞儀前にスタンディングオベーションという珍しい風景が展開されました(笑)。

ところで、CHABOとポンタといえば、LOSERやHEART of SOUL BANDなどバンド形態での共演が多いので、この日もエレキでバリバリ…みたいなノリを期待してた人がけっこう多かったみたい。でも、僕は最初からそうはならないと読んでました。円形劇場の時も、ドラムのフルセットを3つも持ち込んでたポンタに対し、CHABOは最初から最後までチェット・アトキンス一本だったからね。僕も、あの時は“1曲ぐらいエレキで絡んで欲しかった…”と思ったりもしたんだけど、今考えてみるとあれはわざとそういう絡みでやったんだと思うんです。つまり、2人は最初からバンド的なノリは想定していないと思うわけ。
ポンタはCHABOの資質の中の“言葉”の部分を高く評価しているわけでしょ。だから、それを引き立てるドラミングをやりたいんだろうし、CHABOもポンタのそういうところを気に入ってるんだと思うんだ。実際、ポンタは歌い手のバックで叩くことでは定評のある人ですからね。
久々に再会した2人が、お互いの良いところをリスペクトしつつ音を出すのを楽しんでいる…。この日のライブはそんな場になっていたと思います。

2009年04月11日

ローリング・ストーンズ×マーティン・スコセッシ「シャイン・ア・ライト」

ローリング・ストーンズ×マーティン・スコセッシ「シャイン・ア・ライト」オリジナル・サウンドトラック

今年になってから一番聴いてるアルバムは、ダントツでローリング・ストーンズの映画「シャイン・ア・ライト」のサウンドトラックだと思います。3日に一度ぐらいは絶対聴くもん、これ(笑)。サントラと言ったって、ライブをそっくりそのまま収録したものだから、これはストーンズの最新のライブ盤と言ってもOKだと思います。

でも、こいつはこれまでのストーンズのライブ盤とは明らかに違う点がひとつあるんですよ。それは音の良さ!抜群に良い音なんだ、これが!もしかしたら巷に出回ってるすべてのロックのライブ盤の中でも、これは最高の音質かもしれません。少なくとも僕がこれまで聴いてきた中では間違いなくNo.1です。
一つ一つのパートの音がくっきり分離して耳に届き、も〜気持ちいいったらありゃしない!なんか、これまでのライブ盤はPAとこちらとの間に薄いカーテンがひいてあったんじゃないか…。そんな錯覚さえ受けてしまうぐらいの迫力です。

そんな最高のサウンドで、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」 だの「オール・ダウン・ザ・ライン」だの、王道路線の曲がプレイされるんですから、これは燃えますって!燃えずにいられないって!
改めて思った。俺はストーンズが好きなんだなあ…。つくづく好きなんだなあ!

画像なしで聴いてみると、映画では気付かなかったことも改めていろいろわかって、面白いことこの上ないっす。
たとえばですね、選曲。JJFから「シャッタード」、「シー・ワズ・ホット」に続く流れは、この夜の会場がニューヨークだったことを明確に意識したものだったんですね。両方ともそんな歌詞が出てくるからなあ。「ジャスト・マイ・イマジネーション」や「ファー・アウェイ・アイズ」にもNYが出てくるし、さすがミック・ジャガー、ライブの盛り上げ方をよく知ってます。

それにしても「シー・ワズ・ホット」のカッコよさといったら…。もう、鳥肌。俺、アルバム買ってからもう100回以上この曲聴いてると思うんだけど、それでも全然飽きません。「シー・ワズ・ホット」って、もちろん僕はイイ曲だと思ってるんだけど、ストーンズのレパートリーの中でははっきりいって二軍扱いでしょ。ところが、このライブ盤の中では1,2を争うベストテイクになってるんですよ。スタジオ盤の美味しいところだけを何十倍にも増幅したようなとてつもなくカッコいい演奏。サビんとこのリフなんて、頭が真っ白になりそうなぐらい。なんなんだろうなあ、このマジックは!

思えば、ストーンズは身も蓋もないR&Rをとてつもなくカッコいいライブ・ヴァージョンで演奏するのが昔から得意でしたよね。この前の最新ライブ盤での「ネイバース」がそうだったし、古くは「Love You Live」の「Star Star」だってそうかも。
うーん、僕が思うストーンズの真骨頂は意外にこういうところかもしれません。つくづく凄いバンドだと思うよ…。

あとねえ、僕がおや?と思ったのはキースのパート。キースは映画では「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」と「コネクション」の2曲をやってますが、演奏自体はサントラには入ってるけど映画では使われなかった「リトルT&A」の方が明らかにテンション高いんだよね。
たぶん、キースは最初は映画でもこっちを使いたかったんじゃないかな。だけど、この曲はけっこう卑猥な歌詞じゃん(笑)。そんでスコセッシがビビっちゃったんで急遽「コネクション」をやったと。なーんかそんな楽しい想像もできちゃうんだなあ(笑)。
その他にもバディ・ガイが出てくると、いきなり演奏に気合が入っちゃったりとか、クリスティーナ・アギレラとのデュエットでは、ミックがいきなりダレたりとか、いろいろ映画では気が付かなかったところが見えてきて、ほんと面白い(笑)。

しっかし頭の4曲、ハイテンションなナンバーの4連発はもう最強だな。誰もできねえよ、こんなこと。
最近の俺は、これをインナーイヤー型のヘッドフォンで爆音で流しながらランニングしてるんですよ。これがもう最高に気持ちイイ!だいたい頭の4曲やると15分。そこでアドレナリン上げとくとがっつり走れちゃうんですよね。ナチュラル・ハイってのはこういうことをいうのではないかと。

いいなあ〜、やっぱいいなあ〜、ストーンズ。そろそろツアーやんないでしょうか。これまでも来日したら必ずライブ行ってましたが、今は近年になくストーンズが観たくて観たくてたまんなくなってます。

hendrix69 at 17:45|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!ROLLING STONES 

2009年04月10日

釣りキチ三平 / 滝田洋二郎監督作品

三平三平

これは、僕ら世代の男子なら誰もが一度はハマったことがあるであろう、矢口高雄の漫画「釣りキチ三平」を映画化したものです。撮ったのは「おくりびと」でアカデミー賞をとったばかりの滝田洋二郎監督。今、旬の人ですね。

こういう原作がある作品に接する時、どうしても“原作をどれだけ忠実に映像化しているか”という視点で見てしまいがちですよね。でも、俺、最初からそういう風には見ないと決めてたんだ、コレに関しては。だって、テレビCMのスポットで出てた三平役の須賀健太くん、全然漫画に似てねえんだもん(苦笑)。三平のお爺さん役も渡瀬恒彦じゃあ若すぎると思うし、魚紳さんにいたっては塚本高史!これはいくらなんでもちょっと軽すぎるべ〜(笑)。だから、この映画は「釣りキチ三平」をモチーフとした別作品と考えることにしたんです、僕は。

でも、最初からそういうもんだと思って見ると、なかなか面白い映画だったんですよ、これが。
幻の大イワナや釣り上げられる魚の水中でのシーンなど、漫画では映像化が難しいと思われたものもうまくCGで処理されてましたし、伏線として描かれている家族や故郷の絆の大切さも無理なくストーリーに盛り込まれていました。

ロケ地は東北の山村だったようですが、美しい自然がたっぷり盛り込まれた映像には気持ちが和んだなあ〜。久しく味わってなかった瑞々しい若葉の香りや森の中の空気の美味しさを思い出しました。なんつったって俺は東北でせ生まれ育ってるからね。やっぱ俺は生粋の田舎育ちなんだってことを再認識(笑)。
三平とお爺ちゃんが住んでる家は、ちょっと整いすぎて都会もんを相手にした民宿みたいな感じだったけど(苦笑)、まあ雰囲気は出てたから良しとしましょう。

ちょっとびっくりしたのは、三平の姉・愛子役をやった香椎宙宇ちゃんの田舎くささですね(笑)。
だって、この人ってばりばりの都会っ子なんですよ。千人に一人しかいないといわれる左右対称の顔立ちを持った天性の美女。僕は「リンダリンダリンダ」で出会って以来、たとえ人妻になろうとも(彼女の旦那はあのオダギリジョーです!)好感を持って見てきた女優さんなんです。この役は彼女の新たな魅力を引き出していたと思いましたね。
ストーリーは、夜泣き谷に住む幻の大イワナにチャレンジする三平くんたちの奮闘振りがメインなんですが、伏線として温かな人たちに囲まれて田舎でのびのびと成長する三平くんと、故郷を離れて孤独に耐えながら大都会で生きる姉との絆の再認識ってのもあるんです。この寂しさに耐えながら都会で生きることを選択した田舎育ちの女性っていう役割を、香椎さんは見事に演じ切っておりました。

エンディングは、もう気持ちいいぐらいのハッピーエンド。とても癒されました。
美しい自然。温かい人々。自然の中で遊ぶことの楽しさ、気持ちよさ。なんかスクリーンからマイナスイオンが漂ってくるような映画だったなあ(笑)。
なーんか、この映画は一回こっきりで終わるような気がしないんだよね。漫画が何巻も続いたように、この映画もシリーズ化してずっと続ければいいのに…。

実はこの映画、僕はせがれと観に行ったんです。
うちの長男、なんか最近釣りに凝っちゃってて…。まだ数えるほどしか経験ないくせに、休みのたびごとに“どっか釣りに行こう!”ってうるさい、うるさい(笑)。これは、僕と実家に帰った時に何度か釣りをした経験があることや、クラスに親子で釣り好きの友達がいたりすることなんかが影響してるんだと思うけど、東京の子供にしてはけっこう珍しいと思うんですよね。なにしろ、東京育ちの人は僕と同世代ぐらいでも魚釣りなんか一度も経験したことがない、って人がけっこういますから…。
でも、彼が釣りに興味を持ってくれたってのは、父親としてすっごく嬉しいものがあります。何を隠そう、僕も田舎育ちの人間で、子供の頃は魚釣りを楽しんだ思い出がたくさんありますからね。これから先、せがれといろんなところに釣りに行く事もできると思うんだよ。それはすっごく楽しみです。

とりあえず、映画で釣りの気分を味わいましたが、もう少しあったかくなったらほんとの河や海に釣りに行きたいなあ。

hendrix69 at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!映画 

2009年04月01日

聴く。読む。走る。時々飲む。

わかってはいたんだけど、年明けからここ最近まで怒涛の仕事モード。身も心も仕事のことでいっぱいいっぱいの毎日が続いてましたが、なんとかそれも峠を越えました。今日から新年度。春になるにつれ、徐々に自分のペースが取り戻せるかな…。

聴く。読む。走る。時々飲む。

これがいいペースで生活に組み込めるのが僕の理想なんです。
このところは、これが逆。

飲む。時々聴く、読む、走る。

だったんだなあ、これが(苦笑)。
飲むってのはさ、仕事で帰りが遅くなると頭も神経も昂ぶっててなかなか寝付けないんで、ついついアルコールに手を出しちゃうんです。白状しますと、この2ヶ月あまりは毎晩ワイン一本空けてました(苦笑)。最近のワインは安いでしょ?1000円もしないでフルボトル買えちゃう。で、落花生だのポテチだのツマミにして夜中にがっつり飲んじゃうの(笑)。最近はラッパ飲みだったもんなあ。ほとんどアル中だ(苦笑)。

夏から身体作ってた蓄積があったせいか、こんだけ無茶しても意外に太ったりしなかったんですよ。でもねえ、アルコールって怖いなって思ったのは、だんだん耐性ができちゃうんですよね。最近はワイン一本空けたぐらいじゃ全然酔わないんで、+チューハイロング缶とかやってたら、さすがに体重が増えてきました(苦笑)。

もうそろそろ酒びたりの生活を脱しようと思います。
春になるし、イイ音楽聴いて、いっぱい本を読んで。
仕事が忙しいと、音楽はともかく本を読むような気持ちの余裕がなかなか持てなくなっちゃうんですよね。やっと時間が取れるようになってきた最近は、反動からか貪るように活字を目に入れてます。

それから、走るほうも。忙しい時でも最低週一回はジムに行ってましたが、できれば週3回は行きたい!
筋トレ+ランニング。今、67キロですが、王道トレーニングでGWまでには、あと2キロ落としたいっすね。

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2009年03月31日

この世でいちばん大事な「カネ」の話 / 西原理恵子(著)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

俺、最近の西原さんの漫画は、正直言ってちょっと読むのがしんどくなってきちゃってたんだよね。このところ、豪快お下品無頼派ネタは控えめで、家庭内小ネタ+しんみり読ませる方向にシフトしてきちゃったような気がして。そんで、ご主人を亡くしてからはなんだか読む方も辛くてねえ…。
でも、この本はエッセイじゃん。しかもおカネの話。これならあんまりしんみりしないで読めるかな?って思ったんです。

結論。やっぱりしんみりしちゃいました(泣笑)。でも、それは違った意味で。
だってさあ、これはもうカネの話じゃないんだもん。自伝ですよ、自伝。西原さんがおカネをキーにこれまでの生き様を語ってるんですけど、これがもう壮絶で…。今までも漫画の断片でなんとなくそれは感じられたけど、ここまで凄まじいとは…。愕然としました。

“無頼派”と呼ばれる西原さんだけど、俺、正直に言うとそれってどこまでほんとの事なのかって思ったりもしてたんだよね。漫画だからある程度脚色してる部分もあるのかと。
とんでもなかったわ!この人の生い立ちは想像以上に凄まじいものでした。貧しい猟師町に生まれ、両親は幼い頃離婚。母親が再婚した2番目の父はアル中の上やがて自殺。西原さんはこの境遇から逃れようと思って東京の美大に入り、自分の手一つで漫画家への道を切り拓いてきたんです。そんな人の語るおカネの話ですから、もうこれは説得力バリバリ。お金、働くこと。これはイコール“生きること”なんです。

俺、思った。「何のために働いてるのか」とか「自分に合った仕事をしたい」なんて言ってるうちは全然甘ちゃんですね。何のために働いてるのかっていったら、メシ食うため、大事な人を守るために決まってるんです。働くことは生きるための手段なんだし、それは苦しくて当たり前。とりあえず仕事をすること。そこから楽しみを見つけるなんてのは次の次元の話なんだなあ。

とりあえず、今、働く場所があって、愛する人がいて、その人を養っている。
で、苦しくともとりあえずおカネで辛い思いはしていない。

これだけで十分幸せなんだよね。社会人20年目でようやく気が付いたバカな俺(苦笑)。
おカネってやっぱり重要。奇麗事なんて言ってられないもん、ほんと。西原さんの育った環境がそうだったように、おカネがないことは気持ちの余裕を奪うし、人間関係も家庭も壊していくんだよね。

最近の西原さんって、アジア地域に生きる貧しい子供たちのことを漫画に描いたりもします。でも、絶対に「この子たちには日本人の失った豊かな心がある」なんて歯の浮くようなことは言いません。それは、それどころではない彼らの事情をよく知ってるからだと思うんだ。彼らは過酷な受験戦争とは縁がないかもしれないけど、高等教育を受けられる道を絶たれ、有毒ガスを吸い込みながらおカネにならないごみ拾いを続け、えっ!と驚くような若さで亡くなってしまうんだもん…。
俺、昔「素晴らしい世界旅行」みたいな番組見てて、アジアのどっかの国の村かなんかの暮らしを見て、“こういうのもいいなあ〜”って親に言ったらものすごく怒られたんだ。今になれば怒られた理由がよくわかります。ウチの親の小さかった頃は、まだ日本が貧しかった時代でしょ?テレビに映ったアジアの村は、ウチの親からは昔の日本の姿に見えたんだと思うんですよね。そこから必死の思いで僕らを育ててきたのに、ある一面しか見せていないテレビを見たぐらいでくだらないこと言ってんじゃねえっ!ってなことだったんだろうなあ…。

あとね、僕が妙に納得しちゃったのは「ヤリマン」の話(笑)。まあさ、僕の育ったところもあんまり品のいいところじゃなかったからこういう子たちもいたりしたんだけど、要するに、自己評価の低い、安い女は「ヤリマン」になり易いんです。“ここでない何処か”を目指して頑張ろうとする志がないから、どうでもいいような男でも少し優しくされるところっといっちゃう。そんで、男もそういうことわかってるから平気で歯の浮くような台詞で誘うんだよな。後はお決まりのコースですよ。子供孕んで若くして家庭持って、あっという間にぶくぶく太って、旦那と些細なことで喧嘩するようなおばさんになっちゃう…。
俺、そういう負のスパイラルみたいなのってすごく嫌だったんだ。どんなに落ちぶれても絶対あんな風にはならない!って思ってたもん。東京の大学に進学しようと思ったのは、そういうことも理由の一つだったかも。

男も女も、自分の足で立つためにはおカネを稼ぐってすごく大事なことですよね。うちは僕も奥さんも両方仕事持ってますから、正確には僕が家族を養ってるわけじゃないんです。でも、だからこそ妻とは真剣に向き合えてる側面もあると思ってるんですよね。だって、彼女はたとえ僕と別れても一人で子供を養っていけるだけの経済力を持っているわけで(実際はそうとう切り詰めた生活をしなければならないでしょうが…)、こっちもそうとう気張って暮らさないと愛想尽かされちゃうからね(苦笑)。
仕事を持ってる女の人が“スゲエなあ…”って思っちゃうのは、「プライドでメシは食えない」ってことをよく知ってること。それこそ、子供のため、家族のためならどんな汚れ仕事でもやっちゃうような凄みを妻にも感じることがあります。男だと、つい“責任”とか“立場”とか考えてしまって、そこまで思い切れないことってあるんだよなあ、やっぱ。

わずか2時間で読めちゃう中高生向けの本だけど、全然軽くないです。まあ〜いろいろ考えちゃいましたね。ちょっと仕事に疲れた大人はぜひ読むべき。いつまでも心に残る言葉がたくさん詰まった凄い本です。

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2009年03月30日

マジョガリガリ / 森達也(著)

マジョガリガリ
マジョガリガリ

森達也という映画監督がいます。97年にオウム心理教のドキュメンタリーを制作して一躍有名になったんだけど、それは大手マスコミの報道する視点とはちょっと違ってたんですよね。その当時のマスコミが描くオウムは、“暴走するテロリスト集団”的なものだったんですけど、森さんは荒木浩広報部長を中心とした、信者からの視点で実態を撮りました。そこには組織人として苦悩する広報部長の立場なんかも捕り上がられており、大手マスコミが一元化したオウム像とはかなり異なるものとなっていました。
もともとはテレビ畑出身の森さんだけど、この人のとり上げるテーマはこんな風に、オウムだったり、放送禁止歌だったり、小人プロレスだったり、既存の電波にはのせ難い“アブない”話が多いため、最近は活字媒体に活躍の場を移してきています。

僕はこの人の書く本が以前からとても好きなんですよ。
どんな媒体であれ、この人の目線は常に一環しています。何が真実かを考え、とにかく一人ひとりが自分自身で考えてみること、マスコミが常識としていることを一度疑ってみることを繰り返し言ってるんだよね。
そういう目線は、時として体制側の常識も疑ってしまうことになるうから、左翼と呼ばれちゃうこともあるみたいです。だけど、森さんの言ってるのはそういうことじゃないんだよな。そもそも、特定のレッテルを貼られてしまうことは彼の最も嫌うところで、右だろうと左だろうと、全体主義的な考え方にとらわれず事実をありのままに知ろうとする目線をキープすること。それが外目には左寄りに見えたり右寄りに見えたりするだけだと思うんだ。

全然知らなかったんですが、森さんってラジオで番組を持ってたんですね。この本は、その番組での20人のゲストとの対話を納めたものです。
「環境を考える」とか「食育を考える」とか、それぞれのゲストに相応しい話題に沿って語られた会話が収録され、章の最後には森さんのコメントが付くという形式になっています。

僕が興味を惹かれたのは、ゲストの中にLeyonaの名前があったから。ソウルシンガーLeyonaとドキュメンタリー作家の森達也。一見、縁のないように思える二人のお題は「放送禁止歌」でした。ははーん、なるほど!と思ったよ、俺は。Leyonaは数年前からライブで時々憂歌団の「おそうじオバチャン」をカバーしていましたからね。

「おそうじオバチャン」の歌詞をちょっと抜粋すると…

わたしゃビルのおそうじオバチャン
モップ使って仕事する
朝・昼・晩と便所をみがく

こんなわたしにもユメはある
かわいいパンティはいてみたい
きれいなフリルのついたやつ
イチゴの模様のついたやつ
アソコの部分のスケたやつ


みたいな感じです(笑)。これを軽快なブルース仕立てで演るわけです。当然、ライブでは大盛り上がり。最後のフレーズの時なんてすごいんだから、ほんと(笑)。
でも、これってテレビじゃ歌えない歌なんですよね。それは、「掃除婦に対して差別的な歌である」ってことで、民放連が放送禁止にしちゃったから。そんなこと、Leyonaは思ってもいなかったらしくてすごくびっくりしたんだって。それで、なんとなくモヤモヤしてた時に偶然森さんの本を見つけて読んだんだと。

俺、これを読んでなんだかとても嬉しくなっちゃったんですよね。それは、Leyonaのスタイルフリーなタッチと、森さんの何処にも属さない考え方とがしっくり重なったような気がしたからです。わずか数ページだったけど、短い会話の中に僕らがモノを考える時に大事にしなければならない視点が凝縮されてるように感じました。

そう感じたるのはLeyonaの部分だけじゃありません。辛酸なめ子さん、南こうせつさん、桐野夏生さん、宇梶剛士さん、糸井重里さん…。言ってることはそれぞれで、その中には共感できる考えも、ちょっとクエスチョンなものも両方あるけれど、みーんな読んでて気持ちよかったんです。なんつうか、とてもニュートラルな気分にさせられました。

この会話集から感じるのは、自分で考えることの大切さ、一元化された(あるいはしようとする)情報の胡散臭さです。
あのねえ、“大勢の意見”とか“空気を読む”ってのは、時として自分の足元が見えなくなる危険があると僕は思うんですよ。いろんな考えや立場があることをお互いが認め合える社会こそ健全と言えるんじゃないのかなあ…。
ちなみに、「マジョガリガリ」っていうのは糸井さんの考えたタイトル。そんで表紙のイラストはしまおまほさん。とてもポップでカジュアルです。でも、カジュアルといっても決して軽くはないんですよ。だって、タイトルは“魔女狩りを「狩る」”っていう意味なんだからね。僕も、常に“王様は裸だ!”って言える気持ちでいたいもんだと思いました。

ここでちょっと話題を変えますよ。藤原紀香と陣内智則の話です(笑)。
あれって、マスコミの報道を信じれば、“ぜーんぶ陣内の浮気が悪い!”ってことになりますよね。でもさあ、あんないいオンナ嫁にもらっといてすぐに浮気になんか走るかなあ、普通?むしろ、夫婦間を良好に保つために、逆に今まで以上に身辺を綺麗にしようと思うのが普通じゃないかと思うんだけど。少なくとも俺が陣内だったらそうするぞ(笑)。どんなに甘いこと言われたって、そいつがノリカ以上にイイ女じゃなかったら相手にしねえけどなあ…(笑)。
それでももし陣内が浮気してたっていうのなら、それは単なる女好きの範疇を越えたもの、何かウラがあったんじゃないかって思うんだけどなあ…。

すいません、思いっきり下世話な話題でした(苦笑)。


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2009年03月26日

パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ

パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ
パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ

これは近年出版されたビートルズ関連本の中でも、かな〜り面白い部類に入ると思います。著者のパティ・ボイドは60年代に活躍したイギリス人のモデルで、元ジョージ・ハリスンの奥さん。それでジョージと結婚してる時にエリック・クラプトンから猛烈なアタックを受け、ジョージと離婚してクラプトンと再婚しちゃったという女性です(現在は離婚)。
当時、親友の人妻に恋してしまったクラプトンの悶々たる想いが、名曲「愛しのレイラ」を書かせたっていうのは、ロックファンには有名な話。ちなみに、ジョージ作の「サムシング」も、2人がうまくいってた頃にパティからインスパイアされて書いた曲だといいますから、ロックファンにとっては正にミューズ的な存在なんですよね、この人。

パティ1

パティ・ボイドうーん、やっぱし可愛いぞ、パティ!これはジョージもクラプトンもころっとイっちゃうな(笑)。今見ても現代風の顔立ちなんだから、60年代はさぞかし目立ってたんでしょうねえ…。
二大スターの身近にいた女性の自伝なんですから、内容はどうしたってジョージとクラプトンとの三角関係が実際どんな感じだったのかとか、暴露話的なことを期待しちゃいますよね(苦笑)。でも、そんな下世話な好奇心を満たすようなエピソードばかりじゃなく、スィンギン・ロンドンといわれた60年代当時のロンドンの様子なんかも詳しく書かれていて、とても興味深く読めました。

当時のロンドンは、芸術家とかミュージシャンとかカメラマンとかモデルとか、最先端の文化に携わる人たちがたくさん集まってる街だったんだよね。そういう人たちが、パーティーや最先端のギャラリー、コンサートの楽屋なんかで、お互いに紹介したりされたりすることでより大きなムーブメントが起こり、やがては世界中の人たちの価値観さえ変えてしまうようなポップカルチャーが生まれていったことが、これを読むとよくわかります。

やっぱり、実際に何か行動したり、人と人とが出会うことで何かが起こるってのは、昔も今も変わりないんだなあ、なんてことを思いますね。今はネットという仮想世界でコミュニティが成立し、そこからなんでもできちゃうような錯覚にとらわれがちですけど、やっぱし実際に会って話をしたりお酒を飲んだり、人間臭いやりとりを交わさないと時代を作るぐらいに大きな化学反応は起きないと思うんですよね。
町に出てお酒を飲んだり、先鋭的な人が集まるスポットに足を運ぶってのは、いくつになっても大事なことなのかも。自分を省みても、ネットで音楽聴くのと、ライブハウスに足を運んで知り合いとわいわいお酒飲んで音楽聴くのとでは全然違いますからね(笑)。

しっかし、ミュージシャンと暮らすってのは大変なことなんだなあ(苦笑)。芸術家であるが故のわがままさってあるじゃないですか。創作に入ると自分の世界にぐぐーっと引きこもっちゃうし、ツアーになれば、毎晩大勢の観衆を前にする恍惚感とプレッシャーとで、酒だ、ドラッグだ、女だ、ってイクところまでイっちゃう。そういったこと全部を余裕を持って受け止められる度量がなければ、ロックスターの奥さんなんて務まらないんでしょう、きっと。

ワタシはですねえ、これを読んでクラプトンがますます嫌いになりました(苦笑)。単なるいじけたオヤジじゃん!なんでこの人が世間的には“渋くてカッコいいミュージシャン”になるのか全くわかりませんな。まあ、そういう負の部分をさらけ出すのがブルースなんだ!って言われりゃそうかもしれませんが、俺、昔からこの人のブルースには、なんか女々しさとか“逃げ”的なニュアンスを感じてしまうんです。この本を読んでその理由がなんだかわかったような気がしました。

反対に、ジョージ・ハリスンに関しては暴露的なエピソードを読んでも、全然不快な感じはしません。むしろ、彼の控えめな優しさが偲ばれ、ますます好きになったくらいです。
思うんだけど(そして本人も認めてるんだけど)、パティはずっとジョージの奥さんでいた方が幸せだったのかもしれませんね。そもそも、ジョージとパティが破局したのだって、ジョージ自身の問題というより、マネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなってビートルズの何もかもがうまくいかなくなり、それが私生活にまで影響を及ぼした事の方が大きいと思うんだ。
でも、もしパティがずっとジョージのそばにいれば、名曲「愛しのレイラ」は生まれなかったわけで…。うーん、つくづく因果な商売ですね、ロックスターってのは。クラプトンなんか、ジジイになっても、人妻に恋した若い日の過ちを毎晩歌ってんだからなあ。「♪Lay〜la〜!」って…。普通の神経じゃできねえよ、ああいうことは(笑)。

ジェーン・アッシャーそれにしても、ビートルズとかストーンズの周辺にいた女性たちって、イイ女が多いっすね(笑)。
ちなみに、僕が60年代ブリティッシュロック周辺の女性で好きなのは、パティ・ボイドとポール・マッカートニーの元恋人ジェーン・アッシャーです。
パティは人形のように可愛らしいお顔とグラマーなプロポーションのアンバランスが魅力だけど、この本を読むと、外見だけじゃなく内面もなかなか芯の通った女性だったことがわかります。
ジェーン・アッシャーは、当時人気の女優さんでお兄さんはピーター&ゴードンのピーター。名家のお嬢さんなんだけど、お高くとまってない気さくな感じがイイよね。個人的には目じりの垂れ具合がもう絶妙(笑)。ポールと一緒にいると、彼も垂れ目だからまるで兄妹みたい(笑)。性格的にも陽気なポールとは気が合ってたみたいですね。やっぱお似合いだよなあ〜。

ジェーン&ポール

でも、両方とも最後は破局。いつの世でも、初めての恋は上手くいかないことになっているのですなあ(笑)。
その後、ジョージはインド系の女性と再婚し、それなりに幸せな人生を送りました。ポールもかのリンダ・マッカートニーと楽しげな日々を送ってたわけだけど、何をとち狂ったか、リンダの死後は自分の娘ぐらいの歳の若い女性と結婚してあっという間に離婚。そんでもって莫大な慰謝料をもぎ取られたり、そっち関係ではあんまりいいことないみたいです。
現在のジェーン・アッシャー現在、ジェーン・アッシャーは女優だけじゃなくて小説を書いたり、事業家としてもバリバリやってるみたい。で、今も美人なんだよなあ〜。彼女も今は独りみたいだし、いっそのことポールとよりを戻しちゃえ!な〜んて外野が勝手なこと言うのは野暮か…(笑)。

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2009年03月25日

WBC優勝!

2連覇!

どうでしたか、昨日の皆さんの職場は?
ウチなんかもう大変だったよ。みんな揃いも揃って野球好きなんで、朝からみんなそわそわ。試合が始まると、最初はこそこそネットで経過見たりして仕事してるフリをしてましたが、試合が白熱するにつれて、もうイライラしてきて立ったり座ったりため息ついたり。あーもう、仕事になんねえよ!(苦笑)。

今日は会議もアポもないし、
とうとう課長が

「こんなこと滅多にないんだから、テレビつけろ、テレビ!」

と叫びました。

やったー!待ってました、とばかりに仕事を中断してみんなでガヤガヤ野球観戦。いやあ、いい上司だ!肩揉みます、お酒もお注ぎします(笑)。

決勝戦、客観的に見ても面白い試合でしたよねえ…。最後の最後に一番美味しいとこをもってっちゃったイチローには笑いました。も〜う、あんたって人は!…好きだけど(笑)。
しっかし、いいチームでしたねえ、侍ジャパン。個人的には4年前より今回のほうが好きかも。巷では“ピッチャーは良かったけど打撃が…”な〜んてことを言ってる人もいたらしいですが、逆に、コツコツ適時打を繋いで点を取るという日本らしいスタイルを見せ付ける形で非常に良かったんではないかと。
緊迫した国際試合では、ホームランバッターに頼る大味なチームより、堅く守って着実に点を取るカテナチオ式のほうが勝率は高いってことを証明できたんじゃないでしょうかね。

僕的には、大会を通してのMVPに青木を挙げたいです。恥ずかしながら、ワタシこの選手、大会前まで知りませんでした。しばらく野球中継見てなかったからなあ…。やっぱ中継ってのは大事ですね。ヤクルトにこんないい一番バッターがいたとは…。前の大会の西岡を髣髴とさせる活躍ぶりでした。

それにしてもアメリカ〜!お前らしっかりしろよ(苦笑)。MLB主催の大会なんだから、もう少し本腰入れてかかれと言いたい。はっきし言って、2大会とも決勝にすら出れなかったってのは情けなさすぎだぞ!こっちはスモール・ベースボールっていうスタイルを確立してんだから、おたくは強打者揃えたブンブン・ベースボールでかかってきなさいよ。
サッカーのイタリア×スペインの黄金カードみたいに、スタイルの違うもの同志がやったらすごく面白いじゃん。そういうのが国際試合の醍醐味なんですから。

こういう大会ができて日本はばっちり連覇したんですから、これからはWBCが将来はサッカーのワールドカップみたいに、未来永劫に続くしっかりしたものになって欲しいです。
そのためには、次の大会からは日本も運営にどんどん口出しすべき。なんつったて、こっちは2連覇してるチャンプなんだからアメリカだって無視できないでしょう。将来は、MLBと日本のプロ野球協会の共同開催にしたっていいじゃん。
ワールドカップだって開催して間もない頃はいろんな問題があり、それを乗り越えて今があるんですからね。

いやあ〜、それにしても良かった、良かった!ほんと、良かったなあ〜。とかく暗いニュースばかりの昨今だけど、昨日は心の底から笑った人がいっぱいいたと思うんだ。(涙目)。
ウチは昨夜、新年度に異動する人の歓送会をやったんですけど、侍ジャパンの祝勝会みたいになっちゃいました(笑)。聞くところによると、昨夜の都内の居酒屋は久々に盛況だったとか。そうそう、これがスポーツの素晴らしさなんです!こういうところから社会が活気付くんですよ!

P.S. TBSの中継、ひっきりなしに「セパレートウェイズ」をかけまくってたのには参ったなあ。あの大袈裟なイントロが耳にこびりついちゃって…。誰だ?あんなダサい曲選んだの?カンベンしてくれ〜っ!(苦笑)

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2009年03月21日

人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白 / 美達大和(著)

人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白
人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白

うーん、これは世紀の奇書と言うべきか…。読んだ後、何ともいえない気持ちに襲われました。

この本は、今現在、実際に刑務所に入っている犯罪者が、共に塀の中で暮らしている重犯罪を犯した服役囚の実態を赤裸々に描いたものなんです。もちろん、ノンフィクションですよ。
著者の「美達大和」は、過去2件の殺人を犯し、現在は無期懲役になっているという人物。今は長期LB級刑務所に収容されていて、この手記は自身の身元引受人になっている弁護士を通じて世に出たものだそうです。
ちなみに長期刑務所というのは、刑期が8年以上ある者が服役する刑務所のこと。その中でも罪が重い者が収容されるのがB級刑務所だそうです。更に、B級の中で刑期が長期にわたる者を収容するのが、全国に5か所しかないLB級刑務所です(Lはロングのこと)。つまり、著者は筋金入りの大極悪人ってことですね。

ところが、ちょっと文章を読むとわかるんだけど、著者は僕らが思い描く殺人者のイメージとはかなり異なっています。一言でいってしまうと、常人には理解しがたいぐらいの並外れた知性の持ち主。何事にも左右されない屈強な自制心を持ち、ものすごい量の書物を読む勉強家です。常に自分の行動に信念を持ち、娑婆にいた時には金融業で大成功を収めていたにもかかわらず、ヤクザ組織と関わりを持ち、2人も人を殺めてしまう…。
これだけの人物がなんで?と思ってしまうんだけど、本人は「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動が主因になりました」と至って冷静なんですよ。殺人を起こすまでの時点では、彼自身の中で生き方に論理の破綻は一切なかったわけ。

まあ、後に著者は180度考えが変わって、自分の仕出かした事を深く自省するようになるのですが、ネットでこの本を読んだ人の感想を検索してみると、“嫌悪感を抱いた”とか“途中で読むのを止めてしまった”という感想に多く出会います。それは著者の特異な性格に不快感を抱かざるを得ないからだと思うんだ。ほんと、気持ち悪いぐらい冷静に自分のやったことと、その後の心理的変遷を分析してて、読んでてなんか腹が立ってきます(苦笑)。“お前、ナニサマなんだ!”ってな…。

実際、この本の出版を担当した編集者は、殺人を犯した無期懲役囚の手記を世に出すということに相当の逡巡があったことを認めています。でも、殺人を犯した男が反省を見出すまでの経緯が描かれてあるという点で、これも更生の一つのレアケースだと見なされるのではないかと思ったこと、そして、これまで日本において長期LB級刑務所の実態を扱ったものは殆どなく、それを知らせることは社会的に大きな意義があるのではないかと思ったことが出版を決意させたといいます。
最初にこの本を読んだ時は、僕も著者にある種の不快さを感じました。でも、この本の読むべきところはそこじゃないと思ってもう一度読み直したんです。

僕は、この本は受刑者自らが隣人として無期懲役受刑者を仔細に観察し、その実態を内部告発したものと据えるべきだと思うんです。そして、犯罪者の常識を覆すような冷静で知的な分析ができる人物がたまたまそんな場所にいて、凶悪事件を引き起こした受刑者を間近で観察する機会を得られたという点においては、世界でも類をみないレポートなんじゃないかと点。冒頭の“世紀の奇書”ってのはそういう意味で言ってます。

それにしても、この本に描かれた受刑者の実態には本当に唖然としました。
だって、自分の行いを悔い、被害者や遺族に慎みの気持ちを持って生きようとしているような人なんて殆どいないんですよ!大半の者は、自分のやったことをまったく反省しておらず、それどころか、命に対する畏敬の念や未来への希望など全く持っていない。生涯、犯罪者として社会に寄生していくことばかり考えているというのです。
著者いわく、受刑者は他者に対する共感性がない人が大半だといいます。倫理観が見事なほどに欠落しており、矯正教育を受け入れる余地自体、全くない人が殆どだと言い切っています。
日本の刑務所は、懲罰という意義を全くなしておらず、むしろ犯罪行為について雑多な情報が交換される悪党ランドと化しているとまで書いているんですから、背筋が寒くなります。

たとえば、こんな記述があります。

「一緒にテレビのニュースを見ていると、事件報道がありますが、その際に自分達の犯行を面白おかしく披露するのは、よくあることでした」
「向かってくるから刺しちゃったよ」
「黙って言う通りにしてりゃ殺されなくてすんだのに」
「あんな所に居やがって、お陰でこっちはこんな所だ、チクショーめ!」
「人としての誇りや夢、目標を捨て去ることができた人には、刑務所の暮らしはそんなに悪くないものだ」


この著書だけで結論づけるのはかなり早計ですが、僕はこれを読んで死刑廃止に対する考え方や加害者の人権配慮に対する考え方がかなり変わりました。同時に、死刑と無期懲役との間には月と地球の距離ぐらいの大きな隔たりがあることも改めて認識しました。

僕は大学で法学を学びました。別に法律で飯を食おうとは思いませんでしたけど、法律を学んでおくことは世の中に起こる事象を理解するうえでかなり役に立つ知識が得られるんじゃないかと思ったんですよね。なんとなくですけど…。だから、最近話題になる裁判員制度や死刑廃止論、少年法の適用上限年齢の引き下げなどにも個人的にとても関心を持っています。
今後の日本は誰もが裁判員になる可能性のある社会となっていくわけでしょ?その直前の今、法廷で被告人の言葉をどこまで信じることができるかという問題に、この本はある程度の示唆を与えてくれます。

うーーーん。俺、深く溜息をついちゃいますよ…。これでいいのかな、日本の司法は…。読んでると、ほんと暗澹たる気持ちに苛まれます。でも、裁判員制度はもう5月から始まっちゃうんですよね。それをふまえると、できるだけ多くの人が読んでおくべき本でもあると僕は思ったな。

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2009年03月16日

Leyona「MELODY」リリースパーティー / 3月16日(月)渋谷duo music exchange

MELODY
MELODY

Leyonaももうデビュー10周年になるのかあ…。
そう言えば、彼女がデビューしたての頃、99 1/2が主催するイベントに出たことがあったっけ。後でストリート・スライダーズの会報に、当日観に行っていたHARRYが、印象に残った出演者を聞かれてLeyonaの名前を挙げたのが載ったんだよね。HARRYが他の歌手を、まして女性ボーカリストを褒めるのはとても珍しいこと。思い起こせば、僕がLeyonaを意識し出したのは、この話がきっかけの一つでもあるんだよね。あれから10年。スライダーズは解散しました。Leyonaは大人の女になりました。僕はおっさんになりました(苦笑)。10年も経つといろんなものが変わるよね、確実に…。

10年目の今年、Leyonaはレコード会社を変わりました。新しい所属はカッティング・エッジ。なんとエイベックス系のレーベルです。エイベックスって言うと、すぐにコムロ系のサウンドを思い浮かべる人が多いんだろうけど、実は三宅伸ちゃんとか金子マリさんとか、実力派と呼ばれる人たちも最近はエイベックスからアルバムを出してるんだよね。まして、カッティング・エッジはその中でも、アーティスティックな人が多く所属してるレーベル。これはいいところに移ったなあって思うよ、オレは。

「MELODY」は新レーベルから初めてのリリースされるミニアルバムです。これがなかなかイイんですよ!
最大のポイントは、プロデューサにー初期の「Niji」とかを手掛けてた藤本和則氏が復帰したことじゃないかなあ。サウンドがすごく安定した感じがします。楽曲的には、作詞を外部の作詞家に委託したりと幾つか新しい試みが見られ、新しいレーベルに移った彼女のやる気が感じられます。相変わらずクオリティの高い作品を出してきて嬉しい限り。
そんなわけで、リリースパーティーと銘打たれたこの日のライブも、すごく楽しみにしてたんです。

行った事ある人は良く知ってると思うけど、会場のduoは、フロアの左右に建てられた柱がライブを観る時すごく邪魔。なので、僕は最初から右手の柱のすぐ前に立ち位置をキープしました。これが正解!角度的に、ステージ中央で歌ってるLeyonaがよく見え、ステージからもちょうど見やすい距離だったのか、歌ってるLeyonaと何度も視線が合っちゃうんです。歳甲斐もなく嬉しくなっちゃったね、俺(笑)。

オープニングはミニ・アルバムから「Never can say good bye 」。ジャジーな感じの滑り出しで、こういうパターンはこれまでのライブにはあまりなかっただけに意表を付かれました。
バンドもLeyona以外はみんなスーツを着込んでて、これまで以上にアダルトな印象でした。実は今回からバンドメンバーに変更があって、ベースがリトル・クリーチャーズの鈴木正人、ドラムが沼澤尚、ギターが會田茂一、キーボードが金子雄太という4人編成になりました。
前のバンドからリズム隊だけ残し、ギターとキーボードを入れ替えた形です。パーカッションのラティールもいないし、デビュー以来ずっとギターを弾いていた山本タカシも抜け、これで10年前から一緒にやってるメンバーは一人もいなくなりました。ちょっと寂しい気もしますが、クリエイターにとって、前に進むために新しい血を入れるのは必要なことなんでしょう。
感心しちゃうのは、Leyonaのバンドはチェンジを繰り返すたびに腕利きのミュージシャンが集まってきて強固になっていくこと。これは、そういった人たちが集まるLeyonaの魅力もさることながら、スタッフもかな〜り優秀なんだろうなあ、と思わずにはいられません。
僕は今のバンド、かなり好きです。キーマンは沼澤さんと會田茂一ことアイゴンの2人。沼澤さんは言わずと知れた日本を代表するドラマーの一人で、その叩き出すビートは万華鏡のように多彩な人。アイゴンはオーソドックスなリフをゴリゴリ弾くのもカッコいいんだけど、ちょっとヘビーでサイケ調の音処理をするのが巧くて、バンドに今までになかった空気感を持ち込んできました。この2人のおかげで以前より音に厚みが出てきたし、メンバーの力量を見越してか、定番曲もかなり複雑なアレンジが施されるようになってきました。

ほんと「Travellin' man」なんか、イントロだけではなんの曲かわからなかったぐらい。「Baby Why?」では、サビでアイゴンがボコーダーを使ったコーラスをやったりしててその奇抜さにびっくりしました。そうかと思うと、1stアルバムに入ってた「Lover's soul」が突然飛び出したり、もうなんか自由自在な感じ。

俺、このバンドにはすごく可能性を感じます。
Leyonaと沼澤さんはこのバンド以外に、永井“ホトケ”さんがやってるBLUES THE BUTCHARSでも一緒にツアーを回ってて、一緒にステージをやる機会が多いし、アイゴンとはデビュー間もない頃、週一で音楽番組の司会を一緒にやってた間柄。普段からLeyonaのことをよく知ってる仲間達が集まった感じで、これは合宿でもしてアルバム一枚がっちり作れば、そうとう濃いものができるんじゃないかと。

ライブは、フロアから見てても、曲が進むにつれてバンドがどんどん調子を上げていくのが感じられました。Leyonaが、しきりに「朝まで演りたい!」と繰り返してたのもうなずけましたね。今回のリリースライブは大阪と東京の2回だけなのが本当にもったいないです。これでツアーでも一本回れば、ものすごいことになりそうなんだけどなあ…。

アンコールではSadeの「Kiss of Life」なんつう渋い曲をカバー。それも最近手に入れたという、ガットギターを手にしてLeyonaが独りで弾き語りです。いやいや、腕を上げてますねえ、彼女。デビュー直後から観てますが、ボーカルだけじゃなく、ミュージシャンとして着実に力をつけてます。

あっという間の2時間半でした。お客さんも若い人からベテランの音楽ファンまで多彩な人たちが集まっていて、じっくり聴く人もいれば、ビートにのって身体を動かす人もいたりで思い思いにLeyonaの音楽を楽しんでました。
Leyonaのライブは、“こうやって聴きなさい”的な空気がいっさいなく、どういう楽しみ方をしてもかまわない、自由なフィーリングがあるのが何とも気持ちいいです。

デビュー10周年の今年は、6月にはカバー・アルバムを出すっていうし(なんとCHABOの「ガルシアの風」も収録されるそうなっ!)、そのリリースライブもあるとのことです。
今日のライブは10周年の区切りというより、むしろここからまた新しいことが始まるような、ワクワク感を強く感じるものでした。

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3月16日(月)「MELODY」リリースパーティー 渋谷duo music exchange
【セットリスト】
1. Never can say good bye
2. Sunshine on me
3. Lover's soul
4. Melody
5. Rainy Blue
6. MISS
7. travellin'man
8. Baby why
9. NITE CLUB
10. The Beat Goes On
11. ひかりのうた
12. レヨナのバナナ・ボート
13. Fairyland
14. Steppin' Stones (G. Love & Special Sauceのカバー)
15. Love
16. Deep Blue

En1. Kiss of Life (Sadeのカバー)
En2. STARS (新曲)


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2009年03月12日

【映画】 少年メリケンサック / 宮藤官九郎 脚本・監督作品

メリケンうーーーん。僕的にはこの映画、イマイチでした。だって宮藤官九郎がパンクを撮るんだよ。そりゃあ期待膨らむじゃん。にしては「舞妓Haaaan!!!」みたいな先の読めないハジケぶりはなかったな、と。単に宮崎あおいと佐藤浩一を出してドタバタやらせりゃいいってもんじゃないよな。

まあ、そう言いつつも最後まで見切れたのは、宮崎あおいが気持ちいいぐらいに思いっきりぶっ壊れてたからです。言っときますが、これはクドカンの演出が良かったからではありませんよ。あくまでもあおいちゃんが頑張ったから。
もしかしたら彼女、真性のMなんじゃね?(笑)そう思えてしまうほどに、この映画での宮崎あおいは壊れまくってました。『篤姫』の優等生ぶりが嘘のよう。眉間に皺を寄せて変顔連発するわ、中指立ててFUCK!ポーズやるわ、ドスの利いた台詞で客を引かせるわ、もうやりたい放題。あげくの果ては牛の●ンチを投げつけられてましたもん(苦笑)。
でもねえ、彼女はきっと嬉々としてこの役をやってたんだと思うんだ。『篤姫』の次にこんなハジける映画が来たのは、いいリハビリになったんじゃないかなあ。
この女優さんの凄いのは、その振り幅の広さだと思うんです。純情可憐な少女から酸いも甘いも知り尽くした大人の女性まで、何にでもなり切ってしまえるところ。それが世間的にあまりにも篤姫的なイメージが広まってしまうと、自分の役柄を狭めてしまいかねないですよね。だから、固まりつつあった優等生的イメージに反するように、思い切った壊れっぷりを披露できたのは、彼女の今後のためにもすごく良かったと思うんですよ。で、そういうことを彼女自身もなんとなくわかってるように思うんだよね、俺は。そこがこの娘の並みじゃないとこ。
僕も見てて、最初は“え、ここまでやるの?”なんてちょっと引き気味でしたが、だんだん見てるうちに“もっとやれ!もっと壊れろ!”みたいな気分になってきました(笑)。なんか、自分の中のSの部分に気付かされてしまったなあ…(苦笑)。

反対に、もう一人の主演、佐藤浩一のハジケぶりは、ちょっと物足りなかったです。だってこの人、三谷幸喜さんの「ザ・マジックアワー」では、あれだけコメディの才能があるところを見せつけてたじゃないですか。なのに、なーんかこじんまりとしちゃって…。ゲロの飛沫をくちびるの端につけるぐらいじゃ物足りませんからね、オレは。なにしろ、あおいちゃんは●ンチですよ、●ンチ(笑)。

汚い話になりましたが、そもそもパンクってのは汚い音楽なんですよね。80年代当時、雨後の筍みたいに続々出てきた日本のパンクも、その大多数は汚くていい加減でバカっぽかったじゃないですか。
ライブなんかに行くと、もう唾やら汗やらでびちょびちょになっちゃう。全身獣臭くなる(苦笑)。でも、その刹那の安っぽさにシビれたんだよね、当時は。そういう若さゆえパンクゆえの“汚カッコいい”感じが「少年メリケンサック」にはあんまりなかったんじゃないかと僕は感じました。
ひょっとしたら、クドカンってパンクの現場をちゃんと通過してないのかもしれません。彼は1970年生まれ。日本のパンクが全盛期だった頃はまだ宮城の田舎でくすぶってたはずなんだよね。後追いの知識と90年代以降の洗練された(?)パンクしか経験してなければ、こうなっちゃうのは仕方ないのかも。なーんてこともちょっと思いました。

それにしても、こういう映画に出てくるような元パンクスのおっさんたちって、実際どうなってるんでしょうね。遠藤ミチロウや中野茂がチョイ役で出てきますけど、みんな歳とったなあ…。現場にいる人がこれだけふけこんじまってるんだから、一般人なんかもっと凄いんだろうなあ(苦笑)。

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2009年03月11日

ROD STEWART -ROCKS HIS GREATEST HITS JAPAN TOUR 2009- /3月11日(水)日本武道館

実はオレ、クラプトン&ベックの共演よりもこっちのほうがずっと楽しみだったんです。ロッド・スチュワート13年ぶりの来日公演。
大方のロックファンにとってはロッドなんてどうでもいい存在なんだろうなあ…。でも僕にとって、ロッドはミック・ジャガーやロバート・プラントと同じぐらいの重要人物。実際ソロになってからのポップ路線には賛否両論あっても、ボーカリストとしての実力は誰もが認めるところでしょ?それこそ、フレディー・マーキュリーみたいに、もし今亡くなりでもしたら世間の評価は180℃変わるミュージシャンだと思うんですよ。

僕は、ロッドが70年代にやってたフェイセズってバンドが大好きです。
80年代後半、フェイセズのアルバムは軒並み廃盤で、僕は東京中の中古盤屋を回ってアルバムを集めた記憶があります。「Coast to Coast」っていう彼らのライブ盤がCDで復刻された時は飛び上がって喜んだっけなあ。ストーンズからブルース色を薄くして、ダークな色合いを抜いたらこうなりますよ、みたいな感じで最高のR&Rバンドだと思うんだ。
そのフェイセズの看板ボーカリストがロッド・スチュワートだったんですよ。フェイセズは数枚しかアルバムを出してないんだけど、ロッドはバンド在籍時からソロ活動を始めてて、初期のアルバムなんかバックがまんまフェイセズの曲なんかもあったりするんだよね。だから、初期のソロとフェイセズはほとんど同じだと思って僕は聴いてるんです。

しかしまあ、世間的にはロッド・スチュワートなんて完全に過去の人。チケットもけっこう高いし、果たして武道館の席は埋まるのか?なんて思ってたら、これがなかなかどうして。2階席まで満員でした。年配のファンが多いものの、ロック小僧みたいな連中もちらほらいて、むしろクラプトン&ベックの時よりも年齢層は低いように感じました。

開演前のBGMはスタックス系のR&B一色。ステージは真っ白に統一され、中央にはロッドが応援しているスコットランドのサッカークラブ、セルティックのクラブロゴが描いてあったのが微笑ましかったです。

ほぼ定刻どおりに場内が暗転。ステージ後方のスクリーンには、昔のボードビルショーの映像が流され、フレンチカンカンが終わると同時に、ロッドとメンバーが登場するという仕掛け。
ワタシはもう、このオープニングだけで完全にヤラれてしまいましたね。ああ、この人はどんなに大スターになっても、昔ながらの芸人テイストを持ち続けてるんだなあって感じたんです。振り返ってみれば、フェイセズや亡くなったロニー・レインなんかにもそんなタッチを感じました。生前のロニーなんか、大道芸人やサーカス団と一緒にツアーしたこともあるって言いますから。

オープニングは懐かしい「Some Guys Have All the Luck」。80年代にニューウェーブ路線に走ってたロッドが、やっと本来の歌モノに戻った時期の傑作です。曲間にチョロチョロ挟み込まれるシンセはいかにも80年代してるけど、今聴くと妙に新鮮に聞こえるから不思議。序盤は「It's a Heartache」、「This Old Heart of Mine」と立て続けにメロのしっかりした僕好みの曲をやってくれて、完全にハートをぐっと持ってかれてしまったのでした。

ワインレッドのジャケットを着たロッドは、ちょっと恰幅が良くなったけど、声はよく出てるし、終始ご機嫌でした。客席にひらひらと手を振りながら気持ちよさそうに歌う様は、やっぱり華がありましたね。
バンドもなかなか良かったと思います。ドラムのデビッド・パーマー(元ABC!)以外、名前も知らないメンツでしたが、とてもタイトなサウンドでロッドを盛り立ててました。特にものすごく脚の綺麗なブロンドのサックス奏者と、これまたセクシーな美人マンドリン奏者の2人には目を奪われましたね。

いやあ〜それにしても、改めて聴くとしみじみイイ曲ばかり。この人は、スイートなソウルミュージックが心底好きなんだってことがひしひしと伝わってきます。どんなに時代に色目を使ってても、自分のルーツは隠しようがないってな感じ。うん、ロッドに重たいブルースは似合わないよ。
序盤で飛び出したサム・クックのカバー「Having a Party」は、ほんと最高でした!この日は後半に「Twistin' the Night Away」もやったから、サム・クックのカバーを2曲もやったことになりますね。

昔から思ってたんだけど、ロッドはカバー曲をピックアップするセンスが抜群です。この日も、トム・ウェイツの「Downtown Train 」、カーティス・メンフィールドの「People Get Ready」、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「Have You Ever Seen the Rain 」、チャック・ベリーの「Sweet Little Rock'n Roller」とたくさんカバーをやってくれました。バンドメンバーに「Proud Mary」を歌わせたりもしてたから、振り返ってみたらセットの3分の1くらいはカバーだったんじゃないかな?(笑)
特に僕がぐっときたのは、クレイジー・ホースのダニー・ウィットン作詞作曲「I don't Wanna Talk about It」。これは“もう話したくない”っていう邦題が付いてる、知る人ぞ知る名曲です。CHABOも10年ぐらい前のソロライブでこの曲に日本語詞を付けたものを歌ってたことがありましたが、哀愁を帯びたメロを、ロッドのハスキーボイスで切々と歌われると、ぐっと迫ってくるものがありますね。

この日はお客さんも素晴らしかった!名曲「Tonight's The Night」が演奏された時は、ロッドがお客さんにもサビを歌うよう促したんですけど、これが大合唱になって、ロッドも嬉しそうでした。
「You're In My Heart」の時も大合唱だったなあ。この曲のサビ、“You're in my heart, you're in my soul”の時には、セルティックの過去のゴールシーンとかのハイライト映像が映し出されたのも感動的でしたね。ニクイことに、この日は最前列中央にセルティックのユニフォームを着たグループがいたんです。ほんとにセルティックのサポーターだったのか、単にロッドを喜ばせようと思ってやった演出なのかはわかりませんが、明らかにロッドは嬉しそうでした。そんで、歌い終わった後は「ナカムゥラ〜!」だってさ(笑)。どうせだったら、ハイライト映像に3年前のCLで俊輔の決めた、マンUを沈めたあのFKも入れてくれれば良かったのに…(笑)。
その他にも、1部・2部の間の10分間の休憩時間は、スクリーンに試合中のセルティックの試合経過を知らせるサイトの画像を映したり、「Hot Legs」では、ソデから投げ込まれるサッカーボールをガンガン客席に蹴りまくったり(たぶん、30個ぐらいは軽く蹴ってたと思うなあ)、随所でサッカー好きの片鱗を見せていたお茶目なロッドでありました。

そして、終盤になって遂に僕のフェバリット「Maggie May」が歌われました。俺、この歌ほんっとに大好きなんだ。歳上の女の人に夢中になって、何もかも忘れて入れ上げたけど、朝日の当たる彼女の横顔を見てふと我に返り、自分が遠くまで来てしまったことを思い知ってしまうというような歌…。男だったらわかると思うけど、どんなに悪ぶってるような奴でも、こういう心境になった経験って一度や二度は絶対あると思うんですよ。少年が大人へと目覚めていく瞬間のふとした悲しみを、こんなに巧く切り取った歌ってそうそうないと思うんです。
そして、エンディングに奏でられる長い長いマンドリンのリフレイン。白状しましょう。客席で思わず涙をこぼしてしまいましたよ、ワタシは。僕は、この曲のベストテイクは、かつてMTVアンプラグドで演奏されたバージョンだと思ってますが、この日の演奏はそれに勝るとも劣らぬ美しさでした。

あっという間の2時間。途中、休憩やロッドの娘さんに歌わせるパートなんかもあったから、実質1時間40分ぐらいしかやってないんじゃないか(苦笑)。
もう少しR&Rっぽいのもやって欲しかった気がするけど(特にフェイセズ時代の「Stay With Me」とか「Cut Across The Shorty」なんかをやらなかったのは残念!)、まあセットリストは現時点でほぼベストに近いものだったんじゃないかと思いますね。

いやあ〜しみじみイイです、ロッド。改めて惚れ直してしまいました。
オレ、生で見てみてこの人はミック・ジャガーなんかとはタイプの違うボーカリストなんだな、って強く思いましたね。ミックのルーツはやっぱりブルース。重たくどろっとした情念をR&Rで転がしてる感じですが、ロッドのルーツはソウル。それもサム・クックやアーサー・コンレイみたいな洗練されたスイート・ソウルなんですよ。そこに自身の生まれたスコットランドやケルト音楽のテイストをプラスしてR&Rに乗せてる感じです。

やっぱり素晴らしいボーカリストだなあ、ロッド・スチュワート。これが最後の来日公演になるんじゃないか、なんて噂があるそうですが、そんなの絶対信じないからな、オレは!できることなら毎年でも来て欲しいぐらい。また見たいなあ、ロッドのステージ。
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ROD STEWART -ROCKS HIS GREATEST HITS JAPAN TOUR 2009-
3月11日(水)日本武道館セットリスト

1.Some Guys Have All the Luck
2.It's a Heartache
3.This Old Heart of Mine
4.Infatuation
5.Having a Party
6.Rhythm of My Heart
7.Downtown Train
8.The First Cut Is the Deepest
9.Tonight's The Night
10.People Get Ready
-Ruby Stewart(ロッドのお嬢さん)の歌2曲
11.Have You Ever Seen the Rain

休憩

11.Sweet Little Rock'n Roller
12.Twistin' the Night Away
13.Yong Turks
14.You're in My Heart
15.Have I Told You Lately
16.I Don't Wanna Talk about It
-バンドメンバーによるProud Mary-
17.Hot Legs
18.Maggie May
19.Da Ya Think I'm Sexy?

En.Sailing


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2009年02月22日

2009年2月22日 (日) Eric Clapton&Jeff Beck / さいたまスーパーアリーナ

えーと、だいぶ時間が経っちゃったんだけど、クラプトンとベックのジョイントライブのレポを書こうと思います。
最初に断っておきますが、僕はこの2人に思い入れはほとんどありませんでした。特に最近のクラプトンには不満たらたら(苦笑)。別に嫌いなわけじゃないんだけど、いやいや、やってる音楽のジャンルからすれば積極的に好きな“はず”なんだけど、今のクラプトンはどうもダメなんだなあ…。最近のクラプトンが漂わせてる“まったり臭”がたまらなく嫌!ジェフ・ベックに関しては、まともにアルバム一枚聴いたことありませんので、コメントできる立場にないし(苦笑)。
そんな僕でも観に行こうと思ったのは、やっぱり元ロック少年に刷り込まれた“3大ギタリスト”っていう必殺のフレーズがあるからですよ。彼らがロックの数々の名盤に残した名演は数知れません。たとえ今がピンとこなくても、こんな世紀の共演を見逃したらやっぱし後々後悔するじゃないですか。

そんなわけで、ファンでもないのにけっこう期待に胸膨らませてさいたままで行きました、ワタクシ。
始まる前に会場を見渡したんだけど、見事におっさんばっかり(笑)。たぶんこの日の観客の平近年齢は45歳を上回ってたんじゃないかなあ(苦笑)。いや〜この国にはこんなにたくさんの隠れロックファンがいたんですね。世紀の共演とはいえ、17,000円というチケット代は決して安くはありません。それなのにこれだけの客が集まってしまう…。CDが売れない時代とかなんとか言いますが、これだけのロックおやぢ層を掘り起こせば低迷する洋楽市場もなんとかなるんじゃね?なんて思ってしまいました。あ、このライブもウドーの一種のシカケか…。

BGMでレッドツェッペリンやボブ・ディランがやたらかかる中、開演時刻の17時を少し過ぎてジェフ・ベック登場。お、なんかカッコいい!上腕がむき出しになった衣装で思ったよりずっと若々しいベックさん。
バンドは4人編成で、ドラムが名セッションマンのビニー・コライータ、キーボードがこれまた名手デヴィッド・サンシャスでした。この2人は僕、昔スティングと一緒に日本に来たのを見たことがあります。ベースはタル・ウィルケンフェルドっていうベックから見れば自分の子供と同じぐらいの若い娘。ところがこのベーシスト、やたら巧い!もともとベックの曲はフュージョンっぽい複雑な編成や変拍子が多いんだけど、そういうのもまったく苦にせず弾きこなしてました。
それにもましてびっくりしたのはジェフ・ベックご当人!いやあ〜スゲエわ!僕はギターのテク的なことはほとんど知りませんが、涼しい顔してとんでもないことをやっちゃってるのは遠くからもよ〜くわかりました。しかも、それが単なるテクニック披露大会じゃないんですよ。ちゃんと濃密な音楽としてこっちに伝わってくるんです。いやはやとんでもないものを観てるなあ、って思いました。
白いストラトを一回もチェンジせず、右手には白い粉を付けて(すべり止めなのかなあ…)黙々とギターを弾きまくるベックからは、求道者みたいな崇高ささえ感じました。
中盤ではベックがベースのネックを押さえて低音をキープし、ボディの方でタルがソロを弾くなんつうアクロバチックなプレイも飛び出ました。ビートルズの「A DAY IN THE LIFE」のカバーなんかも織り交ぜ、あっという間の1時間。もう、ベックりした〜(笑)。

そのあと、30分の休憩を挟んで第2部。エリック・クラプトンのステージ。
最初にクラプトンがアコギを抱えて一人で登場。ブルースナンバーを弾き語りました。うーん、まあイイんだけど。周りも盛り上がってんだけど。んーなんか入り込めないぞ、オレ。なんでこうも白けているんだ…(苦笑)。
2曲目からバンドのメンバーが登場。ドラム、ベース、キーボードにサイドギター、それにコーラス2人という大編成。ちなみにドラムは何年か前にポール・マッカートニーのバックバンドにいた人。黒人のドカドカ系で僕はかなり好きなタイプだし、ベースが名手ウイリー・ウィークスなので、リズム隊としてはかなり強力な布陣だったと思います。でも、せっかくいいメンツそろえてるのに、アコースティックセットが長くて…。特に「レイラ」がアコ・バージョンだったのはがっかりだったなあ。
はっきり言いましょう。クラプトンのセットの途中でワタクシ、

寝てしまいました!(苦笑)

エレクトリックセットになると「コカイン」とか「クロスロード」とかやってくれて、それはそれでよかったんだけどね。

で、クラプトンは40分ぐらいやってから、いったん袖に引っ込み、アンコールなしでクラプトンのセットにそのままジェフ・ベックが加わる形になりました。いよいよ待ってましたの共演です。これまでいろんなことのあった2人だけど、今は肩を並べ、ニコニコ笑いあって実にいい雰囲気でギターを弾いてました。やっぱこれは、ベックが丸くなったのとクラプトンに余裕が出てきたからなんだろうなあ。で、そんな風になれた最大の理由は、やっぱり「時間」と「年齢」ってことになるんでしょうね。こういうのを見てると歳をとるのも悪くないなあ、なんて思ったりして。

まあ、2人の共演は思ったとおりブルースのセッション大会みたいな感じで、そんなに刺激的なものではなかったです。これで「レイラ」のリフをベックが弾いたり、「悲しみの恋人たち」をクラプトンがやったりしたらもっと興奮したりしたかもしれないけど、まあこんなもんでしょう。
それでも白いストラトと青いストラトが重なり合って曲を奏でる様は壮観でした。これはフェンダー社、2人にコマーシャル料払ってもいいぐらいじゃないか?(笑)
アンコールで、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲をやったりして、正味3時間。なんか、むちゃくちゃお得感のあるコンサートでした。

見てて、僕はこんなコンサートができたのは2人が日本の観客を信頼してくれてるからなんじゃないかなって思いましたね。何度も来日してて、実は日本に住んでるんじゃねえか?って噂のある(笑)クラプトンはもちろん、ジェフ・ベックもただ騒ぐだけじゃなく、プレイをじっくりと聴いてくれる日本の観客の態度が気に入ってるんだと思います。
それと、こういうコンサートはやっぱPAの良し悪しでずいぶん印象が変わるんだろうなあとも思いましたね。この日のPAは百点満点。ジェフ・ベックの時なんか、“いやあ〜ストラトキャスターってこんなにいい音で鳴るんだあ…”って改めて思ってしまうほど。大音量で会場に鳴り響くクリアーなトーンはほんと気持ちよかったです。
そして、今更ながらにジェフ・ベックの凄さを思い知った夜でもありました。ジェフ・ベック。正に孤高のギタリスト。機会があったら、ぜひ単独ライブにも足を運ぼうと思ってます。とにかく、こんな凄いギターは生まれて初めて聴きました。これは伝統芸能どころじゃないです。芸術品ですね、もはや。

hendrix69 at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音楽 

2009年02月17日

壁と卵

村上春樹さんのイスラエル講演をハルキ風に和訳したブログエントリーを発見。

http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.html

重い仕事に終われる日々にふと目にした文章。なんだか涙が出そうになりました。
村上春樹の崇高な魂を、僕は心から尊敬します。

さ、仕事、仕事…。

hendrix69 at 18:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!日記 
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