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2012年08月

 今秋、中国は指導者の交替を迎える。次期最高指導者はすでに習近平に決まっており、彼は今後の10年間中国共産党と中国の13億国民を率いることになる。

 減速気配の経済、日本、ベトナム、フイリピンとの領海問題を始めとするアジア諸国との関係、ウイグル、チベット、内モンゴル等の民族問題、国内の格差是正と多くの問題を抱える中国を次期習近平政権はどのように舵取りしていくのか。

 その習近平が最も重視している事柄がある。それは上記の諸問題ではない。意外なことに彼が最も注目しているのは“90后”と呼ばれる1990年代生まれの青年達であるいうのである。確かに彼らは今後の10年間、習近平政権と歩みを同じくする青年層の中心となる世代である。その意味で彼らへの対応を誤ると中国社会は大きな混乱が生じるかもしれない。

 だが習近平とその周辺が最も“危惧”しているのは“90后”の持つ“民主化”ポテンシャルであるというのだ。幼少期よりコンピューターとケイタイに接してきた彼らにとって、ネットは生活の重要な一部である。また彼らは中国的ゆとり教育の中で育ってきた世代であり、多種多彩な能力を身につけてきた。彼らのネット力と自由力は、中国社会を変化させる力を秘めているのである。

 しかしその力がもし“民主化”に向かったらそうなるのか。それは中国版ジャスミン革命に進まないとも限らないのである。そしてそのパワーは中国共産党の屋台骨を揺るがす可能性を秘めている。

 習近平、そして中国共産党指導部が恐れているのはこの点にある。そしてその気配はすでに出始めている。
 
“90后”とは如何なる世代か

 ほんの少し前まで中国の新世代として1980年代生まれの“80后”が大きな話題になっていた。90后はこの80后ともかぶる世代ではあるが、しかし大きな差異もある。それは中国の成長と軌を一にしている。

 80后は中国が改革開放に舵を切った最初の10年間に生まれた世代である。彼らは中国の経済成長の恩恵を受けはしたが、それは90后ほど徹底したものではなかった。90后は中国の経済成長が軌道に乗った2000年代に幼少期を過ごした。彼らの親はひたすら働き“富”を手にし、それを子供のために使った。彼らは子供の頃からゲームはもちろん、ケイタイやPCを与えられそれが生活の一部となっていた。彼らの中で幼少期より海外旅行を体験したものも少なくはない。TVで中国の日本への買い物ツアーがよく報じられるが、そのグループの中に小学生や中学生が混じっているのを目にした人も多いと思われる。

 80后世代は現在親になりつつあり、子育てもありこれまでのように自由に活動することは困難となるであろう。そこで彼らに代わり中国の若者をリードするのが90后というわけなのである。

 それはそれとして現在“90后”として論じられているのは広東省、上海、北京、天津などの経済発展を成し遂げた中国沿岸部で育った比較的裕福な親を持つ青年を指すと思われる。彼らは幼い時よりゲームはもちろんPC,ケイタイに当たり前のように親しんできたし、中には幼い頃から海外旅行を経験したものも少なくない。しかし、海外旅行の経験はともかくケイタイ、PCに関しては沿岸部だけでなく中国全土のかなり広い地域までカバーされているようで、その意味では90后という把握は普遍性を持っていると思われる。

 現在この90后は辛抱がない、すぐ切れる、iPhoneのために強盗したり、自分の臓器を売るなど否定的に論じられることが多い。それは一昔前の日本の“新人類”に近い受け取られ方である。彼らは教室でもケイタイをいじり気ままに振舞う。そのため学級崩壊の危機に瀕している小中学校も少なくないと言われている。

 彼らのこうした振る舞いの背景に中国の一人っ子政策があるのは事実であろう。しかしそれは事実のごくごく一部に過ぎない。彼らの行動を知る上で中国の少年教育政策とりわけ義務教育の変遷を見逃してならない。

 2002年に総書記に就任した胡錦濤政権は先の江沢民政権が推進した極端な反日教育の是正に努めたが、同時に義務教育の改革に乗り出た。それは「減負」「素質教育」という標語に端的に表されている。

「減負」とは極度の受験重視など子供への負担を減らすこと、「素質教育」とは個性や人間性を重んじる教育と言うことで日本の「ゆとり教育」を連想させる教育であった。先行する江沢民時代からの丸暗記期教育から自ら考えると先進国式の教育の徹底であった。こうした教育の中で豊かな個性が育ったのも事実である。90后が自らを評す時「多才、自由」という言葉を使うのはその現われに他ならない。
 
 しかしその反面、子供達の親は出世争いなど過酷な生存競争に曝されていた。親達は果たしてこうした学校教育だけで子供達は受験競争に勝ち抜けるかの危惧し、子供達に塾や家庭教師などで勉強を課した。そして、こうした新たな受験教競争で落ちこぼれる者も少なくなかった。彼らはその中で挫折感、焦燥感などに曝された。その結果、切れやすい、打たれ弱い、利己的、過度のネット依存というような子供を生み出し、それが時として学級崩壊へと進むなどの現象も見られている。

 最近、钟道然という北京の人民大学経済学院に通学する90后の学生が自らの義務教育体験を元に、そうした中国の青少年に対する教育システムを批判的に分析した「我不原諒」という本出版し注目を集めている。この本には著者が自己の体験を踏まえながら中国式教育に対する批判や反省が綴られている。しかし、中国の義務教育に対する批判的な見方で書かれたとしても、中国の「ゆとり教育」に対するこうした考察が出来る青年
を産み出したこともまた事実である。

 こうした中国式義務教育を体験した90后を代表する人物がいる。広東省深圳の深圳信息学院に通学する21歳の学生丁仕源君がその人である。彼は90后で最初に学生経営者となった人物である。

 丁君は18歳で広告業などを手掛ける文化産業発展有限公司という会社を創立。さらに翌年には早くも「中国大学生起業富豪ランキング」に90后でただ一人選ばれるという快挙を成し遂げた。彼の会社には現在、アーティストやモデル千人以上が所属するまでに成長している。彼はこれを武器にファッション業界に殴り込みをかけている。

 彼の経歴を見ると中国義務教育下で過ごした少年の典型的姿が浮かび上がる。
 
 丁君は広東省のとある町の裕福な家に生まれたが、中国式義務教育に嫌気がさし、小学生から酒タバコと親しむなど荒れた生活を送っていた。しかし、兄の厳しい叱責を期に、立ち直るや夜間学校に通い、マーケティングや広告戦略などを学び始める。14歳のとき、「中国服飾」というファッション雑誌の記者募集に応募、見事採用され、以後学業と並立させファッション業界に地歩を築いていった。彼の目標は、「自分自身がブランド価値
となるようなエンタメ界の大物になること」なのだそうだ。

 丁君の経歴からは、中国式義務教育の中で居場所が見つけられず荒れていく子供と、多才な才能を自在に駆使し時流に乗り成功する青年という90后の二つの性格が同時に見て取れる。丁君のような青年は恐らくかなりの数おり、その活力が社会を変える力を持つことは間違いない。

 と同時に犯罪に走り、またはニート化していく青少年もかなりの数に登っていくであろう。こうした二面性を産み出した中国式義務教育は90后を解くキーワードの一つであることは間違いない。

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▼第09号
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                       2012/08/30
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  ノンフィクション・ライター小野登志郎のメールマガジン
    ~牡羊座が見たディープな出来事とスターたち~

Vol.09

毎週木曜日発行
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【今週の目次】

1. アジア最大の親日国インドネシアでの日系企業の現状
  インドネシア経済を牽引する自動車産業と日本の存在感
  インドネアシア青年の日本ブランド愛好力
  インドネシアの親日に大きな功績を残した日本人イスラム兵士
2.『北米からの手紙 王子様の童貞ごっこ-ファンガールに愛の花束を』(内藤茗)
  アメリカンアイドルたちの「処女幻想」と「童貞幻想」
  ディズニー戦略が生みだす「永遠の若さ」というひずみ
3. 『韓流爺やの韓国エンターテイメント散歩』(浪城暁紀)
4. 『わたしが出会った北朝鮮人』
  逞しき脱北サバイバルおやじ
 「ミエ、スズカ……」「俺の妻は日本からの帰国者だった」
5. 『ジャニーズの今と未来』(KAZMA)
  「舞台、ミュージカル事務所としてのジャニーズ。その突出性」
6. 『中国・台湾の芸能最新事情――日本に「華流」「台流」ブームは来るのか』(松野幸志)
  会いにいけるアイドル「ウェザーガールズ」
  長澤まさみ台湾ドラマ主演の意味するところとは?
7. 『世界を動かしているのは腐女子である!』Journal retriever(浜本菜織・岸友里)
  第一回「世界を動かす腐女子の繋がり」
8. 小説『名をば捨てよ――武田信玄暗殺計画』(横山茂彦)
9. 『あわいの小骨』(伊藤螺子)
  オムニバス小説『樹木葬』
10. 『松田健嗣の建築よもやま話』(松田健嗣)
  「想起の問題、感情の問題」と「透明性」2
11. 『東方神起とJYJについて』 
12. 『続・龍宮城 果てしなき日中闇のオセロゲーム』
  中国人強盗団の最後
13. 編集後記 「理解しがたい存在」との邂逅と理解

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 今、日本の官民双方からベトナムに熱い視線が送られている。ベトナムは現在、ドイモイ政策の進展で目覚しい経済発展を遂げているが、その原動力の一つが人口増で、特に若年労働者が多いことがその特徴だ。

 中国の景気減速と労働賃金の沸騰で撤退が相次いでいるが、その穴を埋めているのが安価で優秀な若年労働力を抱えるベトナムなのである。

 ここ10年間でベトナムに進出した日本企業は約2倍にまでなった。加工業がその大半を占めるが、最近ではイオンの進出などサービス業もベトナムを狙っている。

 ベトナムの魅力は安価で優秀な労働力にあることは間違いないが、その他でも魅力は多い。たとえば水産関係は豊富な資源を持つも、まだ充分に開発はされておらずそのポテンシャルは高い。

 そして最近ではチタンなどのレアメタルやレアアースが注目を集めている。中国が世界の埋蔵量の大半を占めているレアメタル、レアアースだが中国大陸と陸続きのベトナムでも有望視されているのだ。

 ベトナム北部の紅河流域は中国の雲南省や広西チアン族自治区とそのジェオグラフイック上の特徴を同じくしている。この地は隆起サンゴ礁のカルスト台地であり、それはベトナム北部から中国西南部に延々と続いているのである。ベトナム北部といえは世界遺産ハロン湾が有名だが、このハロン湾は「海の桂林」と呼ばれており、それももっともな話で、桂林と全く同じ構造を持っているのである。この地のレアメタル、レアアースが有望なのは、中国が有望であるのと同じ地理的理由によっているのである。

 日本は外交ルートを通してベトナム北部のレアメタル開発にすでに手を染めてはいる。しかし、この地のレアメタルには中国もその手を伸ばしているのである。日本の戦略的な対応が望まれるところである。

 こうした状況にあるベトナムで事業を成功させるには如何なることが必要か。それについて何点か述べてみたい。

 日本人メンタリテイに近いベトナム人

 ベトナムに行かれた方なら経験済みだと思うが、一般的にベトナム人の性質は温厚で人懐こい。日本人にとっては中国などに比べると遥かに親しみが湧く国民である。彼らがあの世界の超大国アメリカを負かしたことが不思議に思われるくらいだ。

 ベトナムは有史以来、ずっと中国の南下政策に苦しめられてきた歴史を持つ。しかし、どの場合でもベトナム人は中国を退け独立を守り続けたのであった。こうした伝統から、ベトナム人の国を愛する気持ちは非常に強く、一度国の独立が脅かされる事態がくれば命を架けてこれに対抗するようである。1980年代の中国との戦争にも勝ち抜いた。現在南沙諸島を巡って中国と係争中であるが、ベトナムが中国に屈することはまず無いであろう。こうした民族の誇りを傷つけない限り、日本人がベトナム人と友好的関係を築くのは比較的容易だ。そして、一般的にベトナム人は日本人に好感を持っているようである。その背景には歴史上の事実があるようだ。

 古くは阿倍仲麻呂の時代から日本とベトナムは深く関わってきた。遣唐使船で日本帰還を目指した阿倍仲麻呂は、嵐で乗船した船が難破しベトナムまで流された。そこで陸地にたどり着き救助されたのである。時のベトナム王朝は仲麻呂を丁重に遇し中国に送り返した。船の準備が出来るまで仲麻呂は何ヶ月かベトナムで過ごした。時代が下がって、安土桃山時代の朱印船貿易の時代には中部のホイアンや北部のハノイ近郊に日本人町があった。日本から来たサムライの中にはそのままベトナムに定住したものも少なくないようである。

 第二次大戦中は、日本軍が当時仏領インドシナと呼ばれていたベトナムに進駐しフランスの植民地支配を中断させた。これは戦後のベトナムの独立運動に大きな影響を与えた。そして仏軍が降服しベトナムの独立を決定付けたデイエンビエンフーの戦いでも、旧日本軍の兵士が重要な役割を果たしている。

 こうした事実をベトナム国民はよく知っており、それが日本人への親しみの源泉となっているようだ。また日本のODAの力も無視できない。ODAを通した円借款は2011年には2700億円に達した。つまり日本はベトナムの最大の援助国なのである。これもまた日本人に好感情をもたらす大きな要因であろう。

 しかし懸念がないわけではない。ベトナム政府は日本からの原子炉の導入を決め、原発建設を推進している。福島原発事故との関連で今後大きな反対運動が起こる可能性がある。これにより日本に対する好感度が低下しないか心配とな点である。

 ところで、ベトナムにいるとここが社会主義国であるという事実を忘れさせるくらい人々は“自由”に暮らしている。しかし、社会主義体制の下にあることもまた確かであり、無用なトラブルを避けるため、ベトナムは依然として社会主義国であることもしっかりと認識しておく必要があるだろう。特に警官などとも、無用ないさかいは避けるようにしたいものである。

 ベトナムにはまだパイは残っているか?

 先に記したように、2010年の統計ではベトナムには約860の日系企業が進出している。2000年が327社だったことを見ると、この10年間で約2.5倍の伸びである。この日本企業の進出の勢いは当面衰えることはないであろう。

 ハノイやハイフオン郊外には工業団地が造成されているが、そのほとんどが日系企業で埋まっている。トヨタ、ホンダはもちろんパナソニック、ソニー、キャノンなどの工場はすでにかなりの実績を上げているようだ。

 それではベトナムにはまだパイが残っているのだろうか。はっきり言ってそれはイエスである。最近ではとある中小企業が手をつけたホーチミン近郊でのLED工場が成功を収めた。また、建築ラッシュが続くホーチミンではベトナムの青年実業家がTOTOの代理店として成功している。

 ベトナムで今一番可能性を秘めているのは水産業ではないだろうか。これまで日本企業が展開してきた水産業はマングローブ林を利用したえびの養殖であった。このエビ養殖に関してはマングローブ林の破壊や汚染が問題となっており、これ以上の開発は許可されないであろう。

 しかし他の水産物はかなり有力である。例えばだが、筆者の知人の筋で、ここ数年ベトナム近海でのマグロ事業に関わってきた人物がいる。彼の経験をもとに、日本人のベトナム水産業への参入について述べてみよう。

 ベトナムは日本と同じく東西に細長いことから長い海岸線を持ち、沿岸漁業は昔から盛んであった。しかしそのほとんどは零細である。しかし最近は日本人の観光客が増えたこと、そしてかなりの日本料理屋が出来たことで、需要が増している。

 獲れる魚は、アジ、サバ、タイなど。この地は温帯から亜熱帯の水域で、こうした海を好むカンパチ、シマアジなどの回遊魚が豊富である。また長い海岸線を持つことからハマグリなどの貝類も豊富である。

 さきのマグロの合弁事業もそうだが、ベトナム側の思惑は、日本との合弁によるベトナム水産業の近代化である。つまりベトナムはソフトを欲しがっているのである。ここには中小の水産加工業者や日本各地の漁協の入り込む余地は充分にある。

 しかし、これまでの大手の水産業者が展開してきたような、まき網による一網打尽方式は無理である。獲るだけとってハイさようなら、と言うような方式はベトナムでは通用しないのである。

 そして、この国が社会主義の国であることを忘れてはならないだろう。つまり水産業に限らないが、この国で事業を展開するには何につけても政府との合意が不可欠なのである。漁業開発をしようとしている省の大半は、まだあまりドイモイの恩恵を受けていない省である。この省では格差問題を抱えており、水産業はこの格差解消の点からも重点的に考えているようである。つまりはウイン・ウイン関係でなければベトナムの水産業への参入は難しいと考えなければならないだろう。その辺りの事情は、アジア各国どこでも同じだと言える。

 最近の大きな変化の一つであるが、水産業における合弁事業は地方政府の主導で行われるようになったようである。つまりベトナムで水産業の合弁事業を展開するためには地方省政府とのネゴが不可欠となってくるのである。

 水産業に力を入れようとしているベトナム地方政府が日本に最も期待しているのは、技術もさることだが、販路である。つまり取れた魚を日本で売りたいということだ。

 これには初期投資にいささか資金投入が必要となるが、日本での販路を確保できれば資金回収はそれほど困難ではないだろう。それに、最近ではホーチミン、ハノイなどの空路が充実してきたことから、冷蔵で日本に直送することも出来るようになった。

 魚種ではアオリイカが最も有望だと思っている。ベトナムの海岸線を形成する南シナ海はフイリピン、ボルネオなどに囲まれていることから内海の状態にあり、外界より塩分濃度が1度ほど高い。これがイカ類の繁殖に好条件を与えているのである。実は南シナ海でマグロ漁が有望なのも、マグロのエサとなるイカ類が豊富なことがその理由の一つだ。なかでもアオリイカは数が多い。日本では高級食材であるアオリイカはかなり有望だろう。

 南方薬という名の漢方薬種

 また、
あまりしられていないがベトナムは漢方薬の宝庫である。ベトナムでは漢方薬とは言わず「南方薬」と呼ばれている。薬種の数は数え切れないほどあるが、その大半はベトナムに存在する少数民族が民族文化として育んできたものである。

 ベトナム・エステが若い女性の間で人気となって久しいが、その人気の中心はアロマにある。ベトナムにはアロマに使われる薬草が多いのである。ベトナム女性が東南アジアにしては色白で綺麗なのは、アロマに限らず南方薬を使った化粧品にあるという人もいる。ベトナムではこれらは家庭の医学として母から娘へ伝えられて生きたのである。この南方薬種もまた、じつに有望であると言わざるを得ない。

 その一方でベトナムは、アメリカとの戦争で枯れ葉剤を大量に撒かれて土壌は深刻な汚染をこうむったのも事実である。その点では、南方薬種の汚染が心配されるであろう。しかし米軍の枯葉剤散布はメコンのデルタ地域がその主なる場所であった。南方薬種を産する中部山岳地帯は、その影響をほとんど受けていないのである。
ベトナムは亜熱帯から温帯までの幅広い気候帯を持ち、それが植生の豊かさを生んでいる。中部から北部の山岳地帯は今でも深い森に覆われており、そこは貴重な動植物の宝庫であると共に薬種の宝庫でもあるのだ。

 漢方薬種の主要産地であった中国が、乱獲や環境汚染で伸び悩んでいる現在、ベトナムは新たな漢方薬(南方薬)の薬種の供給地として大きな可能性を持っていると言えるだろう。
(つづく)

(有料メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001552211.html に掲載した記事です)


極東の輸送を劇的に変える“黄金水道” 中国東北部吉林省にシフトしたトヨタ

 トヨタは今、その生産と販売の主要拠点を、北米から中国へとシフトを変えつつある。このトヨタ中国戦略の扇の要にあたるのが、吉林省長春における「第一汽車」との合弁事業だ。

 トヨタはこれまでの中国自動車産業の中心であった上海、広州、天津などではなく、なぜ“辺境”である東北部の吉林省を選んだのか。

 実はここにはトヨタの深い思惑が見て取れる。
 
 現在、経済の減速が懸念され、同時に大規模な労働争議が頻発する中国から撤退する日系企業が増えつつある。だが、その中で東北部は違う様相を見せている。東北地方はかつての満州国の故地である。終戦当時この地には満鉄などかなりの資産が残されていた。特に遼寧省はそうであった。遼寧省は旧満州国の工場施設を活用し中国の軍事産業の拠点となっていた。中国の軍事産業の雄ノンリコなどは、ここに本拠を置いている。

 トヨタが合弁した第一汽車もそうした国営企業の一つであり、既得権に胡坐をかく傾向がなきにしもあらずである。第一汽車が本拠を置く長春はこれまで上海、広州、武漢、重慶と並ぶ中国自動車産業の拠点とされながらも、いまいち知名度のなかったのは、東北地方で独占的な地位をむさぼる国営自動車企業であるが故の弱点がもろに露呈していたからだろう。

 ところで、第一汽車もまた満州国の遺産の継承者(社)の一つである。満州に自動車産業を育てたのは鮎川義介率いる日産であった。第一汽車は日産の遺産を元に出発したのである。それから60
余年たった今、その第一汽車が日産のライバルであるトヨタと合弁するのも何か因縁めいたものを感じざるをえない。

 ところで東北三省は豊かな天然資源に恵まれていると同時に、労働力の面でもまだポテンシャルを有している。それにも関わらず東北三省が沿岸地域に比べ改革開放に乗り遅れた観が強かったことの第一の要因は、先に述べた軍需産業に代表される国営企業の既得権が強く民間企業の進出が遅れたことが挙げられる。彼らの“抵抗”は頑強で、新規の企業の進出は困難だった。これまで東北三省が沿岸地域からやや取り残されたきらいがあったのは、そうした理由からである。

 その一方で、新たな動きを誘発したのは日系企業の合弁事業展開だったといえなくもない。東北地方の経済を牽引するのは大連であるが、大連の工業力はその大半を日系の合弁企業が占めている。大連の成功は東北に新しい息吹を吹き込んだのである。そして東北地方の経済はまだまだ伸びる要素があるのである。

 ところで余談だが、東北地方は冬の寒さの厳しい地方である。それもあってこの地では、トヨタのランクルが絶大なる信頼を得ている。ランクルだけではないが、東北地方には車産業が伸びる可能性がまだまだ残されているのである。トヨタはホンダ・アコード、「上海第二汽車」が展開するアウデイの対抗車種として、カムリを前面に立てているが、今後はランクルの売り上げ上昇も期待されるところであろう。今回のトヨタの進出で長春が中国自動車産業の一大拠点として再び注目されるのは間違いない。

 しかし課題がないわけではない。先に述べたように第一汽車の国営企業的体質をトヨタが果たして変えられるか。その正否が今後を決定していくかもしれない。トヨタ方式が第一汽車の国営企業体質を吹き払うことができるのだろうか。

 トヨタの長春進出の動きは、中国を巡る自動車関連産業の新たな動きをも誘発している。トヨタの子会社であるデンソーは約16億円をつぎ込んで長春にカーエアコンの工場を開設した。NECエレクトロニクスは2008年7月に、100%子会社である日電電子(中国)が、車載半導体の拡販活動強化の一環として、吉林省長春市に支店を開設し、技術支援をはじめとした営業活動を展開してきた。これらは長春での活動は第一汽車向けの事業展開で、第一汽車の持ち株子会社である啓明情報技術への技術サポートが大きな地位を占めていた。

 NECに限らず、長春には第一汽車関連で多くの自動車関連メーカーが進出しているが、トヨタとの合弁で事業展開に拍車がかかることは間違いない。

 そうした動きは日系企業に限らない。2011年7月、ドイツの自動車部品メーカー、ハフ(Huf)は、長春に中国で4番目となる「長春ハフ・オートモーティブ・ロック社」の工場開設を発表した。この工場ではプラスチック成型、塗装の設備のほか、キー、ロッキングシステム、ドアハンドル、ステアリングコラムロックなど様々な生産ラインを備え、製品は周辺地域の自動車メーカーを中心に供給を目指している。その中にトヨタと第一汽車との合弁会社が入っていることは間違いない。

 日本と中朝露をダイレクトに結ぶ“黄金水路”がロジステイックを変えるその東北部で今、最も注目されているのが極東金三角と呼ばれる「中」「露」「朝」国境地帯だ。そしてこの地は吉林省に属する延辺朝鮮族自治州にある。延辺朝鮮族自治州は中国と極東ロシア、北朝鮮を結ぶハブなのである。

 すでにこの地は、極東ロシアの物資の仕入先として着々と実績を挙げつつある。
(つづく)

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 ところでここで北朝鮮の労働力のポテンシャルに早くから目を着け、近い将来の活用を射程に入れて中朝国境で生産活動を展開している(だろう)日本企業のことも紹介しておきたい。


 岐阜に本拠を持つ衣料品製造会社であり小島衣料(株)がそれである。小島衣料は2006年に北朝鮮に隣接する吉林省延辺朝鮮族自治州暉春市に進出し、市当局が運営する経済合作地区に大きな成果を上げてきた。早くから上海に進出した小島衣料であったが、高騰する労働賃金の圧迫で収益低下に直面していた。この時当時の社長である小島氏が採ったのは、中国からの撤退、東南アジアへの転換ではなく中国東北部への進出であった。確かに2006年当時は中国東北部、しかも中朝国境地帯は働労力のフロンテイアであった。そしてそこには朝鮮族という優秀な労働力があったのも事実である。


 しかし、あくまで推測に過ぎないが、小島社長(当時)の頭の中には来るべき北朝鮮の改革開放と、それによる労働力の活用のパースペクテイブがあったのではなかろうか。それどころか北朝鮮国内への工場進出のプランもあったはずである。小島社長(当時)の“先見の明”は今、証明されつつあるのかもしれない。


 北朝鮮と隣接する暉春市は、紛れもなくフロンテイアである。それは北朝鮮進出のフロントとして、来るべき北朝鮮工場運営解禁の際には、おそらく一番乗りをするであろう。その暉春市で成功を収め,市政府とも深いパイプを築き上げた小島衣料は、北朝鮮進出のフロントランナーとなる可能性は高い。

                         

侮れない北朝鮮IT、それを統括するのはあの金正男


 ところで北朝鮮進出のもう一つの鍵はITにある。インターネットも自由に使えない北朝鮮にITなど本当にあるのかと思われる諸氏も多いと思われるが、それがあるのである。しかも相当に優秀だという。


 その北朝鮮ITを率いていたのがかの金正男である。現在はどうなっているのか今一はっきりしたことが判らないきらいはあるのだが、彼が北朝鮮のITに先駆的な働きをしたことはおそらく間違いはない。


 北朝鮮のITを注視し続けてきた「ノースコリアトゥデイ」のウラジミール氏は、金正男は父金正日から北朝鮮IT建設の密命を受け日本潜入を繰り返していた、と指摘している。ウラジミール氏によると金正男の日本潜入と同時に万景峰号で来日した北朝鮮IT要員が、金正男の指示に基づき日本各地に散り、そこでIT技術マスターに励んだと言う。彼らは金日成総合大学や金策工業大学を卒業したエリートであり優秀な人材であったらしい。そうした成果を元に北朝鮮は2000年に朝鮮コンピューターセンターを完成させた。それを主導したのは金正男と日本での協力者である総連関係者であったという。そして、彼らが使うPCは秋葉原で仕入れた日本の中古品であった。当時秋葉原にはPCを扱う北朝鮮の専門商社があったとウラジミール氏は述べている。


 元々、金正日がIT開発を進めたのは軍事的要因からであった。実は当時北朝鮮でインターネットを使え、それを北朝鮮社会で「活用」できるのは、金正日と金正男だけであった。つまり金正日はITの価値を実体験から充分に認識していたようである。当時金正日の肝いりで北朝鮮軍の中にハッカー部隊養成のための「自動化大学」という組織が作られた。現在韓国の国防省のNETやアメリカ・ペンタゴンシステムに潜入しかく乱しているのはこの養成大学の卒業者であろう。


 ところで軍事利用が様々な副産物を生むのは歴史が証明していることであるが、北朝鮮でもハッカー養成の必要性から始まったITの専門家は、今では各方面で成果を挙げているようである。韓国のCG製作会社、アニメ製作会社の中にはすでに北朝鮮に下請けさせるところが出てきているようである。


 何しろ北朝鮮のITが日本のシステムを手本にしていること、そしてその統括者が日本通の金正男であるからには、日本は今後の北朝鮮のIT展開にかなり有利な地歩を潜在的に持っていると言っても良いのかもしれない。


 ともかく、今後の金正男の動向をIT関連業の視点で見続けて行きたいところである。

(終わり)


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