■日本と中国のマスコミが報じない「何故、中国の反日は“南”から来るのか」~「アヘン戦争」から「日本軍三光作戦」まで

 

 先日、日本在住の中国人と話しているとき、面白い指摘をしてくれた。テーマは「反日」である。その中国人は東北三省の一つ吉林省の出身である。現在80近くの高齢であるがまだ矍鑠としている。

 

「あなたがた日本人は反日というと何か中国全体がそうでるかのように思っているみたいですけど、中国人の反日は一様ではありませんよ」

 

 と彼は言う。中国の反日はもはや常識だが、その反日にも中国の地域差があるというのである。

 

「今言われている反日のほとんどは西南部のものですよ。東北部には反日などほとんどないです」と彼は言う。「いや、遼寧省の瀋陽や、大連でも反日デモをやっているじゃないですか」と反論すると、「あれはほとんどが政府関係者が組織したものですよ。中国政府にとって、というより東北部各省の幹部にとって東北部で反日デモがひとつもないというのはまずいでしょう」という。

 

 なるほどそういうこともあるんだなと感じ入った。しかし何故東北部に反日がないのかがよく判らない。そこで「なぜ東北部には反日がないのですか。だって東北部といえば旧満州でしょう。日本人にいじめられたのではないですか」と聞いてみた。

 

「私は16歳で解放(日本の敗戦のこと)を迎えましたが、16歳までは満州国の公民でした。確かに日本人の警官や関東軍は威張ってはいましたが、傷つけられるとか殺されるというようなことはありませんでした。パルチザンに参加した人は別でしょうが、一般の庶民は普通に暮らしていました。生活は楽ではありませんでしたが、大躍進時代や、今の北朝鮮のように飢え死にするというものでもありませんでした。それよりも、なによりも学校へ行けたんです。それが何よりも嬉しかった」

 

 日本では満州国は現地の中国人を徹底的に虐げたと教えられてきたが、現地の中国人の受け取り方は少し違うようである。彼に兵隊の悪行のことについて聞くと日本兵のことにはそうした思い出は一つもないという。

 

「兵隊で覚えていることは満州に入ってきたロシア兵(ソ連兵)のことだけです。彼らは酷かった。あいつらのすることは人間のすることではありませんよ。士官が兵隊を射殺するのをよく見ました。街頭でロシアの士官が兵隊を拳銃で撃ち殺すのです。でも彼らは殺されても仕方のないような酷いことをしてました。私は今でもロシア人を見ると怒りで腹が煮えたぎります。何回も誘われましたがロシアには一回も足を踏み入れたことはありません」

 

 では何で中国の南西部はなんで反日なんだろう。その疑問を彼にぶつけてみた。

 

「中国西南部、とりわけ沿岸地域は清朝末外国人からの侵略を受けました。アヘン戦争がその典型です。アヘン戦争とそれに続く西欧列強の侵略は中国人の自尊心を大きく傷つけました。特にアヘン戦争の現場となった広州はそうです。そして多くの租界が設けられた上海もそうです。中国人の屈辱の歴史はここから始まるのです。それを日本軍が上塗りしました。その代表が『三光作戦』です。広東省などに住む人々は祖父母からその話を聞いて育ってきたのです。だから反日というより『反外国、反西欧」という方が正しいと思います。そういう思いが今では全部反日に集約されているのです」

 

 つまり中国製南部のおける反日というのは清朝末期からの外国人に踏みにじられた中国人の屈辱の歴史の総体が反映されたものというわけだ。

 

「解放されてもずっと中国は貧しかったでしょう。そういう時代には豊かになることだけに一生懸命でした。しかし今は豊かになったじゃないですか。そうすると自尊心が芽生え、昔のことが悔しくなるじゃないですか。それが反日という形で出ているんですよ」。でも、と彼は続ける。「私自身で言えばアヘン戦争とそれ以後のことは中国人として悔しい思いがいっぱいですよ。でも私には日本が憎いという思いはない。何故なら子供時代そうした体験をしていないからです。そりゃ、日本人に満州国という形で国を奪われたのは悔しいですよ。でも生活はできていたんです。教育も受けられました。だから実感としては激しい反日という感覚はないのです」

 

 なるほど、中国人の反日と言っても色々なんだ。温度差があるんだ、ということである。考えてみれば当たり前のことだのだが、「中国の反日」と言ってもそれが一律であるはずもなかった。我々日本人は、と言うより私は、いつの間にか「中国の反日」を一律に見るような”クセ”がついてしまったようである。

 

■文・浪城暁紀 ライター