●日本に激しい敵意をぶつける北朝鮮


 韓米軍事演習でアメリカがB2ステルス爆撃機を朝鮮半島に飛来させたことに北朝鮮が激しく反発した。韓国には戦時体制突入だと脅し、アメリカには本土への核を含むミサイル攻撃を公言するなど、その対決姿勢を極限までに強めている。日本も例外ではない。北朝鮮は米軍基地のある横須賀、沖縄、三沢へのミサイル攻撃を発表するに至っている。


 北朝鮮は1948年9月の建国以来一貫して日本を南朝鮮すなわち韓国と同等の第一の敵国としてきた。それは北朝鮮の指導者となった金日成を中心とするパルチザン派が、戦前一貫して日本と激しい戦いを展開してきたことに由来する。いや、彼らは、日本帝国と対決してきたことをもってその正当性の根拠としてきたのである。つまり日本は不倶戴天の敵であり、許すべからず存在なのであった。と同時に、日本帝国と対峙し続けたことは、戦後の日朝関係に深いしこりを残した。日本海を隔てて対峙しながら未だに国交がないことにそれは端的に示されている。北朝鮮は日本にとって近くて、最も遠い国となった。

 もちろん、戦後の過程の中で日本と北朝鮮の国交樹立の機会は何度かあった。1990年9月の金丸信訪朝は、日朝国交樹立の寸前まで行っていたのも事実だ。しかし、それらを木っ端微塵に砕いたのは大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫が、彼女の日本語教師をしてきた金恩恵と呼ばれた女性が田口さんである可能性を示唆したことにある。1991年5月埼玉県警は記者会見し「李恩恵」は埼玉県出身の田口八重子さんと判明したと発表した・このことにより、いわゆる北朝鮮による日本人拉致疑惑が全面的に浮上した。これで日本と北朝鮮の国交樹立は消し飛んでしまった。以来、北朝鮮と日本の関係は冷え切ったままである。


●日本帝国と北朝鮮の悪縁


 思えば、日本と北朝鮮は負の因縁で深く結びついている。あまり知られていないことだが、金日成率いるパルチザン派は日本軍に散々苦しめられた経験を持つ。日本軍は彼らにとっては恐ろしい敵であった。彼らは日本軍との戦いの中で日本軍というか日本の民衆支配のシステムを徹底的に学んだ。そして、彼らにとって忌むべきはずの日本の住民支配システムをいつしか自分立ちの中に取り込んでしまったのである。

 具体的には戦前の日本の隣組などに示さられる相互監視体制がそれである。それに朝鮮王朝から受けついだ、連座制などが加わり世界に例のない国民支配体制を作り出して行ったのである。北朝鮮の住民支配の装置である保衛部は明らかに日本の特高警察の模倣である。そして極めつけは金日成を頭として、国民をその血肉とする有機体国家論であり、金日成を神のごとく敬う首領制である。首領とは日本語のニュアンスだと山賊の親分のように受け取られているが、最も近い姿は天皇制であると筆者は考える。

 首領制を導入したのは、金日成に次ぐ北朝鮮のNO2とされていた金策という男だという説がある。金策は金日成より10歳ぐらい年上で、日本軍との戦闘経験も金日成に比べて遥かに豊富であった。その体験から金策などの古参パルチザンが住民支配のシステムとして天皇制とそれに基づく隣組や特高警察などを模倣したというのもありえないことではないのである。北朝鮮指導者の日本嫌いは、その戦争体験にあるのは確かだが、それ以上にシステムを同じくすることに対する近親憎悪のようなものがあるのではないだろうか。


●北朝鮮のインフラを支える戦前日本の進出企業


 それだけではない、日本と北朝鮮は他の面でも日本と深く結びついている。第一はインフラだ。戦後朝鮮半島が南北に分裂した特、北朝鮮は工業力で韓国をはるかに凌駕していた。その理由は朝鮮半島の北半分は植民地時代に日本により工業化されていいたことにある。北朝鮮北部には豊富な鉱物資源に恵まれていた。そこに目をつけた日本は大々的に資本を投下しその開発に邁進した。三菱鉱山、日本鉱業などの鉱山関連企業は相次いで半島北部に進出した。

 しかし、朝鮮半島北部の工業化に決定的な影響を与えたのは野口財閥の半島北部への進出である。日本窒素を一代で築いた野口財閥の当主である野口遵(のぐちしたがう)は、威興という町に本拠を置く朝鮮窒素を設立し、威興近くの興南に一大化学コンビナートを建設した。それは戦後北朝鮮に接収されたが、今も北朝鮮の化学工業をさせているのである。

 それだけではない。野口遵は興南の一大化学コンビナートに電力を供給するために赴戦ダムを建設した。このダムは今でも北朝鮮中部の電力を支えているのである。このように、北朝鮮は様々な面で日本と深く結びついた国なのである。


 日本と北朝鮮は両国の歴史の黎明期から深い関わりを持っている。それは倭国と呼ばれた時代の日本と高句麗と呼ばれた今の北朝鮮の地にあった古代王国との関係である。


●好太王碑が語る日本と北朝鮮の先祖・高句麗との因縁


 歴史に興味のある方なら、高句麗の好太王と呼ばれた広開土王の業績を記した好太王碑に刻まれた碑文のことを耳に挟んだことがあるだろう。好太王、つまり広開土王は韓国ドラマ「大王四神記」でヨン様ことペ・ヨンジュンが演じた高句麗王高談徳のことで、日本でドラマを通して馴染みの存在である。この碑文には好太王が海を越えて朝鮮半島に攻め込んだ倭と戦ったことが記されているのである。

 しかし、高句麗と倭、すなわち日本は戦っていたばかりではない。両国は文化交流も盛んに行った。日本に仏教を伝えたのは高句麗の僧侶である。また高句麗が唐と新羅によって滅ぼされたとき、その遺民は日本に渡った。彼らは武蔵野に土地を与えられそこに移り住んだ。埼玉県高麗郡には彼らの先祖を祀った高麗神社が今も存続している。さらに高句麗滅亡後、満洲、今の中国東北部に逃れた高句麗の遺民は渤海国を建国する。この渤海国は奈良時代から平安時代にかけて日本と盛んに交流した。


 今でも北朝鮮から木造の小さな漁船に乗った北朝鮮人が日本海側に漂着することがよくある。この様に日本海を回る海流は朝鮮半島北部と日本を結び付けていた。


 このように、日本と北朝鮮は古墳時代の昔から日本海を通して深く結びついていたのである。

(続く)

■文 浪城暁紀 ライター