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カテゴリ : ●日本の暴力団と「半グレ」集団(準暴力団) その歴史的考察

●暴対法がもたらした暴力団秩序の“変貌”が「半グレ」集団を生んだ

 いわゆるヤクザを中心として成り立っていた日本の闇社会が変貌を遂げるきっかけとなったのは、平成三年5月15日に国会を通過し成立した暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(法律第77号)をきっかけとしている。この法律が実際に施行されたのは翌年平成四年の3月1日であった。

 法律制定当時、暴力団による民事介入暴力が頻発していたことが挙げられる。また、一方では拳銃など銃器を使用した対立抗争事件が続発し、一般市民が巻き添えで死傷する事件が発生していた。そうした暴力団の組織活動に対し、刑法等これまでの取締り法規では対応が困難になっていた。そのため、取締強化のため新たな法律の制定が求められていたのである。

 暴対法の正式名「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」という名前の中にその特徴がよく示されているように、暴対法は、暴力団員などによる暴力的要求行為を禁ずることが主な内容としている。つまりこの法律を用いて警察が暴力団を取り締まることが容易になることを意図したものである。そのために、この法律ではまず特定のヤクザ組織を指定暴力団に指定することが必要であった。暴力団に指定されると、その組員の不法行為に対し使用者責任で組長を検挙することが可能となった。これは、暴力団という組織がいわゆる親分子分の関係を基礎においていることに着目したものである。子である組員が暴力団の名を名乗って利益供与を強要すると親である組長にも使用責任が及ぶというもので、これにより組員の不法行為を抑制する効果を狙ったものであった。山口組などの広域化した暴力団に対し「指定広域暴力団」として指定しその取締を可能にした。そうやって山口組の他に稲川会、住吉会などの広域暴力団を含む22の暴力団が、指定暴力団に指定された。

 暴対法は何度も改正され、それは徐々に厳格適用されていった。その間にあった抗争事件で一般市民社会に強烈な衝撃を与えたのものの一つが、前橋で起こった銃撃事件である。

 前橋事件とは、2003年に起きた前橋市内のスナックで暴力団同士の抗争による発砲で一般市民3人が射殺され一人が重傷を負った事件である。この事件の概要を記しておこう。事件に至る過程には次のような伏線があった。

 2001年8月、東京都葛飾区で行われた住吉会系の葬儀で、住吉会幹部2人が稲川会系大前田一家組員に射殺されるという「四ツ木斎場事件」が発生した。
 
 その後の2002年2月、今度は前橋市朝倉町の大前田一家総長宅近くの民家に銃弾が撃ち込まれる発砲事件が発したが、それは葛飾区の事件に対する住吉会の報復とみられた。

 さらに2002年3月には、同総長宅に数人組の男が火炎瓶を投げ、さらにガソリン噴射器でガソリンらしき液体を噴射した。しかし総長宅にいた組関係者に邪魔され、男たちは逃走し放火は未遂に終わるという事件が発生した。
 
 同年10月には白沢村高平付近で大前田一家幹部、後藤邦雄元組長がゴルフ場からの帰路、数人組の男に銃撃され重傷を負った。


 そして明けて2003年1月、先述した重大事件が発生することになる。前橋市三俣町のスナックにフルフェースのヘルメットをかぶった2人組の男が店の前で護衛の組員を射殺した後、店内に乱入。酒を飲んでいた元組長ら2人に向かって銃を乱射した。当時店には客が8名と、女性経営者がいたが、この銃撃で客の3人が射殺され、元組長と客の調理師の2人に重傷を負わせた。

 この事件での被害者は死者4人、重傷2人、そのうち死亡した3人、重傷を負った一人は一般市民であった。

 後に判明したところでは、犯行に及んだ二人は住吉会系の暴力団員で住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治の指示を受け犯行に及んだということであった。

 この事件の重大さは、暴力団同士の抗争で一般市民が巻き添えになり4人も死傷したというところにあった。犯行を指示したとされる矢野治会長に対し、東京地裁で開かれた判決で朝山芳史裁判長は、矢野被告が一連の事件の首謀者だったことを認めた上で「責任は実行犯を上回る」として、無罪を主張する矢野被告に対し求刑通り死刑判決を言い渡したのであった。

 この判決は、極めて重大な意味を持つことになる。
(続く)

 

■文 小野登志郎 ノンフィクションライター

 

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【暴力団と「半グレ」集団(準暴力団) その史的考察①】

 今年一年、このテーマをじっくりと考えてみたいと思う。

 しかしである。そもそも暴力団とはいったい何なのか? まずは警察の資料からその定義を見てみよう。

 平成元年に発行された警察白書「第2節 暴力団の構造と活動」において「警察においては、暴力団を『博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織』と定義しており、暴力団は、その高い犯罪性、特有の組織原理、縄張の設定、暴力を背景としての経済目的の追求等を特徴として持っている」と書かれている。また「2 暴力団の組織」で「ア 擬制的血縁関係による結合 暴力団は、一般に首領を頂点とした封建的家父長制を模した擬制的血縁関係により構成されている。団体の名称が○〇一家となっていたり、首領が親分、輩下が子分、一家 内の先輩が兄貴、後輩が舎弟、親分の兄弟分が伯(叔)父などと呼ばれることは、その表れといえる。また、暴力団の各首領が互いに擬制的血縁関係を結び、下部団体の首領が上部団体の首領の子分となることによって、図1-5(原文ママ)のような重層的な大規模団体を構成することが多い」とその組織の特徴を述している。

■第一章 六本木事件と「関東連合」

 昨年9月に発生した東京・六本木の殺人事件。警視庁は防犯カメラの映像分析から実行犯が元暴走族の集団である「関東連合」のメンバーであることを割り出し、彼らを凶器準備集合罪の容疑で全国に指名手配し、その後出頭してきた二人を逮捕、そして何かと有名な石元太一に逮捕状を出した。また、本日の報道によれば、海外に逃亡していた男ら八人を逮捕したとある。この六本木事件の実行犯は17名(これ以上の人間が関わっている可能性がある)。海外逃亡し、旅券返納命令が出ていた7人の名前は見立真一、百井茂、栗原克一、岡崎修一、藤原悠平、後藤亮二、金城勇志。いずれも関東連合関係者であると同時に、このうちの何人かは警視庁により「暴力団の周辺者」認定されてもいる。

 現時点での捜査一課による捜査の焦点は、彼らを殺人罪で起訴することで間違いないだろうが、その判決を得られるかどうかの証拠集め、となるだろう。誰が致命傷を与えたのか分らない集団による暴行殺人行為。それは過去にあった新左翼過激派の殺人行為と酷似する。結果、実は殺人罪での有罪判決を得ることは難しい。続々と出頭している容疑者たちの狙いは、そこにあるだろう。 

 警視庁の幹部は昨年末、「来年(の狙い)は、関東連合だ」と明言したと聞く。今回の事件解決だけでなくその資金源の摘発など、実態が少しづつ明らかになる可能性は高いだろう。

 逮捕前、石元太一はエイベックスグループからの芸能界入りを考えていたとも聞く。自殺した上原美優との交際など、彼やそのグループと芸能界との関係は決して浅くない。

「関東連合」とは、都内の暴走族の元メンバーが結成したとされる“グループ”で、「半グレ」と呼ばれる不良集団であるとされている。わたしの知るところでは、その構成員は都内各地の中流以上の家庭、環境からドロップアウトした者、もしくはアジア系の親を持ち恵まれない環境に居た者もいる。「関東連合」は強固な組織のように受け取られているが、その実態は、個人個人の人的コネクションの元に、ある程度シノギを分業しており、既存の暴力団とは違うが、「組織」として警視庁に認知されるだけの実態がある。

 しかし「関東連合」というふうに表現されると、なにか確たる実態があるもののように捉えられてしまうが、やはり「関東連合」には山口組などヤクザ組織と同等に語られるべき組織ではない。彼らは例えば年代ごとの元総長の下につるむ集団であり、そのメンバーも常に変動している。彼らは便宜上「関東連合」と総称して呼ばれているが、「関東連合」をもって「半グレ」を語れるかというと、そう単純なものでもない。

「半グレ」とは、暴力団に詳しいジャーナリスト・溝口敦氏の造語とされている。溝口氏は新潮新書から出版された『暴力団』の「第六章 代替勢力半グレ集団」とは?」にて次のように「半グレ」を定義している。

「暴力団の代わりに『関東連合』のような半グレ集団が台頭してきた。若い構成員が多い半グレ集団は、暴力団よりもITなどを使った新しいシノギに詳しく、振り込め詐欺、出会い系サイト、偽造クレジットカード、ネットカジノ、ドラッグ、ペニーオークションなどの収入源を獲得してきた」

 また、そう書いた上で彼らとヤクザとの違いを「警察がまだ本格的に対応しておらず、暴力団対策法や組織犯罪処罰法の対象となっていない。暴力団は組事務所を設け代紋を見せびらかして自分たちの存在を誇示することで金を得てきた。一方、半グレ集団はやっているビジネスの秘匿性、メンバーの匿名性が特徴」とその特性を2点にまとめている。これが溝口氏の半グレの定義と見て、とりあえず間違いはないであろう。

「半グレ」というからには「本グレ」があるわけで、それはヤクザ、暴力団のことを指している。ヤクザでも堅気でもないグレーゾーンにいることから溝口氏はそうした不良集団を「半グレ」と呼んだようだ。つまり「半グレ」とは、あくまでもヤクザ、暴力団に対応している相対的な言葉、定義なのである。

 ちなみに警察では、昭和の時代から「半グレ」という言葉は警察特有の用語、隠語として存在していたという。この時代の半グレとは、文字通りの意味で「半端な不良」という意味であり、組織やグループに属している段階で、半グレという言葉は使われない。しかし、今の「半グレ」とは、このような警察用語では説明することができない要素が多分に含まれている。

 結局のところ、現在言われている「半グレ」には確たる定義はないということになる。強引に言い換えればヤクザ、暴力団組員以外のアウトロー集団はすべてが「半グレ」とも言えるだろう。とはいえ暴対法下の現在では、ヤクザの成員もまたファジーなものとなっているし、組織を抜けた元組員も大勢いる。こうした者たちもまた「半グレ」に含んで良いのかどうか、難しいところである。

 とにかく、この「半グレ」という存在は、平成三年の暴対法施行以後20数年の間に起こった日本の闇社会の“地殻変動”を見ないことには理解できないとわたしは考える。「半グレ」台頭の呼び水となったのは暴対法であり、また、その後に制定された地方自治体の暴排条例といえよう。そこで、やや遠回りになるが暴対法がもたらした効果と”反作用”についてみていく必要がある。
(続く)

 

■文 小野登志郎 ノンフィクションライター

 

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