聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

自作脚本が映画化!



前にも書きましたが、自作脚本『牙と爪』が本当に映画化されるようです。もちろん自主製作の学生映画ですけど、コンクール受賞作ですら月刊シナリオに載っただけで映像化はされてませんから、いよいよ5月に撮影が迫ってきたと聞き、興奮しまくってます。


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 (↑こういうモノクロ調の活劇を目指したんですけど…)


いまだいぶ体調が思わしくなく、それを友人もわかってくれているので、私が直すのではなく、彼が自分で書き直して共同脚本ということになるようです。

3年前の私なら「そんなのヤだよ。自分で書き直す」と言ってたでしょうが、もう都落ちしたあとだし、そんな些末なことはどうでもいいです。

そんなことより自分が書いたものが映画になって上映されるというだけで幸せいっぱい胸いっぱいなのです。(もちろんお金をもらって上映するわけじゃなくほとんど仲間内での上映でしょうが)

しかしそんなこともどうでもいいのです。

私が書いたト書きやセリフがどれぐらい残るのかはわかりません。でも、どしどしアイデアは出してほしいと言ってもらっているので、自分なりに書き直してみようかな、と思っている今日この頃です。

ただ、いまはほんと体調が崩れがちなのでね。ほどほどにしないと生活に事欠くほど給料減っちゃう。

食うにも困るのは友人にとっても本意ではないはず。だから我を押し通すことだけはやめておこうと思います。

書き直したものはもちろん読ませてもらいます。どしどし意見を言わせてもらいます。

まぁでも、我を押し通すことだけはやめておこうと。そのためにいままで何人の友人を失ったかわかりませんから。


 

生涯最高の飯はこれだ!



もう何か仕事でへばってばかりでヘロヘロ状態ですが、こんなときこそブログでも書いてストレス発散しましょう。

今日は、これまでの40年以上の生涯で最高にうまかった料理の紹介です。


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え、おまえの生涯最高の飯ってこれ??? と笑われそうですが、本当にこれなんです。シチリアの州都パレルモで食べた「イカとセロリをオリーブオイルで炒めて塩コショウしただけの料理」。

これはもちろん前菜で、このあとにパスタが来て、魚料理が続いたんですが、この最初のイカとセロリが抜群にうまかったんですよ。

これにはいろいろと伏線があってですね、まず、ミラノの兄貴の家から一人飛行機でシチリアに行き、そのときはいまほどシチリア旅行がポピュラーじゃなかったから、兄貴は会社の人に「何でシチリアなんかに行きたいのか」とさんざん聞かれたそうです。「『ゴッドファーザー』で見た風景を見たいと本人は言っている」というと、「その筋の人なのか⁉」と本気で驚いた北イタリア人たち。何しろ彼らにとってローマより南はすべてアフリカなんだそうです。(ついでにいうと、ドイツ人にとってはアルプス山脈より南はすべてアフリカなんですって)

でですね、その日は一人でパレルモを観光してたんですが、東洋人そのものが珍しいのかジロジロ見られてばかりでした。でも、みんなとても親切でした。(ミラノでは「あっち行け、シッシ!」なんてやられたもんですがね)

しかしいくら周りが親切でも地球の反対側まで来て本当に帰れるんだろうか、と途方に暮れていたんですよ。何とかホテルは英語が通じたからよかったですが、そのホテルで地図をもらってレストランの場所を教えてもらったらアーラびっくり! ぜんぜん違うではないですか。

あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ただでさえ腹が減ってるのに歩き疲れてやっとこさ辿り着いたらば、マフィアの準構成員みたいな顔をしたウェイター(シチリアではみんなそういう顔に見えるのです)が「ほんの少しだけ英語しゃべれる」というからお互い片言の英語でやり取りしたんです。

そこから二人でアーデモナイコーデモナイと、さんざん20分くらいしゃべくった末に「日替わり定食」を頼むことに成功しまして、そこからさらに15分くらい待って、やっとこさイカとセロリの前菜が運ばれてきたわけなんです。だから最高にうまくないわけがないんです!

何を言いたいかというと、「空腹は最高のソース」と言ってしまうと何か格調高いですが、もっとはっきり言ってしまえば、













「食べログで検索する奴は全員アホ!!!」

腹すかして食えば何でもごちそうよ


 

人間は考える葦である③(濁流の中の枯れ枝になれ)

(承前)
①号泣の理由は…
②ロボットになれといわれても…



以前、日本年金機構で働いていたとき、クレーマーが来ました。

「クレーマー」というのはちょっと違うかもしれません。その人に非があるとは思えないからです。
躁鬱病でそのとき躁状態だった彼女は1時間半ほど喚き散らして帰って行きましたが、その内容は次のようなものです。

「鬱のときは仕事ができない。だから障碍年金を申請した。そしたら『診断書をもらってきてくれ」と言われた。普通そう言われたら診断書さえもらってくれば年金が認められると思うでしょ? なのに5000円も出して診断書書いてもらったのに結局障碍年金は認められないという。いったいどういうことか!!!」

お説ごもっとも。確かに私でも誰でも診断書さえもらえば認められるような言い方ですね。でも、年金機構の職員は「診断書をもらってくれば年金は払える」とは一言も言っていない。

だからでしょう。1時間半の間、課長クラスの人が相槌だけ打って話を聞いていましたが、「申し訳ございませんでした。少し言葉が足らなかったようで、あいすみません」というような謝罪の言葉はただの一度も出てきませんでした。

おそらくは、謝罪をしてしまうと裁判を起こされたとき負ける可能性があるから、「謝ってはいけない」というマニュアルが存在するのでしょう。

でも、そういうマニュアルが必要な社会ってやっぱり狂っていると思うんです。

上記のことは主治医には言いませんでした。前回の日記で書いたことを喋っているうちにまた号泣してしまったのでね。言うに言えなくなりました。

先生も私と同じ気持ちのようで、「確かに君の言うとおりだ。しかしね」と断ったうえで、次のような驚くべき言葉を発しました。


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「ここに川が流れているとするね。それもものすごく汚い濁流。本流はものすごい勢いで流れている。だけどその端に枯れ枝が立っていて、じっとそこに留まっている。その枯れ枝のようになりなさい。流れの中に身を置いたまま流されることなく留まるように。いくら勢いが激しくても決して陸に上がってしまってはダメ。干上がってしまうから」

もうあの先生と知り合ってから27年たつんですが、ここまで胸に迫る言葉はいままでなかったかもしれません。

だからいまの仕事を辞めようとは思わなくなりました。もともと「辞めたい」のではないのです。向いてないから「辞めるべきではないか」と考えていただけ。それなら川の流れに身を置きながら留まり続ける枯れ枝になろうと。

とはいえ、どう考えても「向いてない」んですけどね。今日なんか最悪で少しも舌がうまく回ってくれず、うまく喋ろうとすればするほど自分で自分が何を言っているのかわからない状態。案内すべきこと案内しているし、後処理はほぼ完ぺきなんですが。

やれやれ、どうなることやら。でもまぁボチボチと。ね。

(おわり)

 
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