聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

B&V,L&R,S&Z&TH,etc.


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『ELLE』の日本公開がいよいよ近づいてきました。
ポール・バーホーベン監督のことを考えるといつも頭に浮かぶ疑問というか文句があります。

いま私は「ポール・バーホーベン」と書きましたが、綴りはVerhoevenなので、「ヴァーホーヴェン」と書く人がいます。

何でも「BとVは違う発音だから」というのがその理由のようです。

百歩譲って良しとしましょう。

しかし、「ヴァーホーベン」や「バーホーヴェン」という表記は許せません。どちらもVなんだから、「ヴァーホーヴェン」では? それならまだ許せます。

とはいえ、やっぱり私たちは日本人なんだから「なぜBとVの発音を区別しないといけないんだろう?」と思うのです。だって発音するときに区別してないでしょ。なら表記するときも区別なしでいいのでは?

発音が違う、ということでいえば、LとRだって海の向こうではぜんぜん違う発音ですよね。

でも、ここ日本では二つは同じ発音です。だから、コメもシラミも「ライス」ですよね? 区別する表記は存在しません。

SとTH、あるいはZとTHだって、日本語カタカナ表記するときは同じサシスセソ、あるいはザジズゼゾです。

なぜBとVだけ区別するんでしょう?


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確かにこの人の名前は「ビム・ベンダース」と書くよりは「ヴィム・ヴェンダース」のほうが字面がかっこいい。それはわかります。でも、何でもかんでもVだからヴと表記しなきゃいけないなんておかしいですよ。

ちょっと前の映画で邦題が『オーバードライヴ』なる珍妙なものがありました。『オーヴァードライヴ』か『オーバードライブ』かどっちかにしてよ! というか私は断然後者派ですが。


蓮實重彦なんかテレビのことを「テレヴィ」と書いたりします。

何だかな~~という感じです。




「50人の偉大な黒人選手」に物申す!

白人至上主義の暴動に対してトランプが「どっちもどっち」的発言をして非難され、一方でオバマが誰でも言えるようなツイートをしてツイッター史上最多のいいねを獲得したとか。

そういう国内事情を踏まえてなのか、アメリカで「50人の偉大な黒人スポーツ選手」なるものが載ったウェブサイトが公開されたそうです。

上位3人はこの人たち

1位 マイケル・ジョーダン

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2位 ジャッキー・ロビンソン

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3位 モハメド・アリ

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人種の壁に立ち向かったロビンソンやアリよりもジョーダンが上というのに納得がいかない人が多いとか。

また、50人の中にはタイガー・ウッズが入っていないらしく、いくらいろいろ問題を起こしたとはいえ、歴史的な選手なのだから入っていないのはおかしい、という意見もあるそうです。

まぁ、こういうのは映画のベストテンと同じで人それぞれ意見が違って当たり前なので、私は何とも思いません。

思うのは、こういう黒人に特化したランキングは「差別」だということです。

黒人を称揚しようと思ってのことなのは重々承知していますが、でもやはり、「黒人」と十把一絡げにするのは差別でしょう。

「女」とか「ユダヤ人」とか「障碍者」とか、一人一人または全体を見ずにカテゴライズすることが差別の本質なのだから。

こういう記事に対して「いや、あの選手が入っていないのはおかしい」と反論するほうが「筋違い」だと思うんです。





『ゾンビ』(「妊婦」のコードを破ってみせたロメロ)

ジョージ・A・ロメロ監督追悼第2弾としてリビングデッド・シリーズ第2弾の『ゾンビ』を再見しました。(当然のことながらダリオ・アルジェント監修版です)

追悼第1弾記事
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(『サイコ』を超える「主人公の入れ替わり」)



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この『ゾンビ』も何度見ても面白い映画ですが、新しい発見がありました。

いままで、カッティングがあまりにうまいとか、動きはのろいのに大量に襲ってくると異常なまでに恐ろしいゾンビの動きを発明したのはやはり天才だとか、そういうところしか見ていませんでした。

いままで知っていたはずなのにスルーしていたことがあったんですね。



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このヒロインが「妊娠」していることです。

最後のほうでゾンビになってしまう男の恋人で、中盤あたりで妊娠していることが明かされます。

しかも、ショッピングモールに強盗団が侵入してくる直前にはかなりお腹が大きくなっている。いままでまったく気づきませんでした。

私はこれまでずっと映画やテレビドラマを見ていて不満というほどではないですが、自分ならこうする、という実力を棚に上げた野心を抱いたことがありました。

それは、「妊婦に出産も流産もさせない」ということなんです。

フィクションに出てくる妊婦って必ずクライマックス近辺で出産か流産をしますよね。映画において妊婦というのは、クライシスを喚起したり、愁嘆場を盛り上げるための存在なわけです。

ところが、この『ゾンビ』の妊婦は出産も流産もしない。

もう40年前の映画が私の野心を先取りしていたのでした。

妊婦として登場し妊婦として幕切れを迎える、というのは何とも斬新です。

しかも彼女は子どもの父親がゾンビとして射殺される場面を目撃しているというのに、お腹の中の子どものために絶対に逃げ延びるとかそのような決意もしないし、「ゾンビが支配したこんな世の中に子供を産んでもかわいそうなだけだ」と堕ろすことを考えもしない。
妊婦だから動きが悪く足手まといになって仲間たちに迷惑をかけることもありません。それどころか結構な戦力として活躍します。

つまり、ロメロは、「映画における妊婦のコード」を破って見せたのですね。妊婦は出産なり流産なりしてクライマックスを盛り上げるコードを背負ってきました。クライマックス以外でも、つわりのような肉体的な反応や、マタニティ・ブルーなど精神的な反応によって意外性をもたせたり、物語を新しい方向へ転回させたりするコード。

つまりすべての映画において妊婦は「役割」でしかなかった。

ロメロは、妊婦のコードを破ることで、妊婦を「役割」から解放し、一人の「人格」として扱いました。

これを言葉の真の意味で「フェミニズム」というのだと思います。

『ゾンビ』以外に妊婦のコードを破った作品を私は知らない。







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ジョージ・A・ロメロ。
やはりスゴイ男です。




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