承前(①号泣の理由は…



このところ仕事が自分に向いてないということにばかり目が行っていて近視眼的になっていたから忘れていましたが、いまこの時代のこの国では「食べ物を捨てる」ことが当たり前になっているんですよね。それ以上に「客は何をしても何を言ってもいい」という風潮が蔓延しすぎている。

先週の水曜日、帰り道でコンビニ弁当を買いました。その弁当はあと30分で賞味期限が切れるから新しいのと交換したいが1個しかないので他の商品と替えてもらえないかと言われました。「でもそれ僕が買わなかったら捨てるんでしょ? どうせすぐ食べるから買いますよ」と言って買いました。すると3人の店員がそろって「申し訳ありません!」と謝罪する。

でもそれって絶対おかしいと思うんです。
私はもらったわけではなく買ったんですよ。なぜ謝罪するんですか。おそらく、そういうクレーマーがいるんでしょう。最初から賞味期限が切れそうで、かつ1個しかない商品をレジにもって行って店員が謝罪しなかったらここぞとばかりに文句をつける不届き者がいるのでしょう。だからそういうときは謝罪すべしというマニュアルが存在している。

そんなマニュアルが存在する社会は絶対におかしい。
ちょっと前にクローズアップ現代で「お客様は本当に神様なのか」という特集がありました。少しはこの社会のあり方を疑問視する人が増えてきているようですが、ほとんどの人はおかしいと思いながら流されている。

そういえば、火曜日に職場で言われた言葉を思い出しました。
職場ではお客さんの言うことが千差万別でいろんなことを言われますが判断に困ることがあります。いまは個人情報漏洩にめちゃうるさい時代ですから「言っていい情報」と「何があっても言ってはいけない情報」があるんですね。他にも、わかってはいても絶対に手を挙げて指示を仰がないといけないことも結構あります。

火曜日に手を挙げた際、指示がどう考えてもおかしいと思ったので自分の意見を言うと、
「自分の意見は言わずに指示通りにしてください。こちらの指示を疑わないように」と。

別に疑ったわけではないと言いましたけど、それ以上の違和感を拭えませんでした。

つまり、イエスマンになれ、ということなんですね。人間の言うことを忠実に遂行するロボットになれと。


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去年の6月くらいだと思いますが、「ロボット化する社会」と題する日記を連載しました。どこもかしこも働くロボットがほしいのかと愕然としました。
直近の会社が最低最悪の会社だったので、いまの会社はごく普通の会社だけれども「天国みたい」と思ってました。でも化けの皮が剥がれてきたというか、裏切られたわけじゃないけど、どうしても裏切られたような気分に陥ってしまうのです。

だからといって、それがいやだと言っていては、いまはどこもかしこもそういう職場ばかりなので生きていけません。だけど、そうは言っても、やっぱりいやなのです。

ロボットになんかなりたくない。イエスマンにもなりたくない。
そう思って電話を待ってスタンバイしているときに周りを見渡すと、他のオペレーターがみんなロボットに見えるのです。ブロイラーの鶏になった気分なのです。

だから水曜日の帰り道では仕事がどうのこうのということは少しも頭になく、あと30年か40年の人生がどう転んでもこのトチ狂った社会で生きている以上、幸せにはなれないのではないかという絶望感に襲われました。

そして自分の家まで来ると、隣の隣のお爺さんが洗濯物を干していました。

「こんばんは」
「あ、こんばんは。寒いね」
「寒いですね」

交わした言葉はたったそれだけです。
でもそれがとにかく温かかった。うれしいとかそういうことではなくただ温かかった。

自分の部屋に入りドアを閉めると途端に滝のように涙があふれてきて号泣しました。
布団に入ってもほとんど眠れず、木曜の朝も号泣してばかりなので、こんな状態では出勤したほうが会社に迷惑がかかると思い、休みました。

そして主治医の先生にすべてを話しました。

「死にたいとは思いません。むしろ死にたくないです。幸せになりたい。でもいまの自分にとって幸せになる道はこの狂った社会から隔絶されたところで引きこもるしか方法がない気がするんです」

すると先生は目から鱗が落ちる言葉を言い放ちました。

(つづく)

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③濁流の中の枯れ枝になれ