(承前)
①号泣の理由は…
②ロボットになれといわれても…



以前、日本年金機構で働いていたとき、クレーマーが来ました。

「クレーマー」というのはちょっと違うかもしれません。その人に非があるとは思えないからです。
躁鬱病でそのとき躁状態だった彼女は1時間半ほど喚き散らして帰って行きましたが、その内容は次のようなものです。

「鬱のときは仕事ができない。だから障碍年金を申請した。そしたら『診断書をもらってきてくれ」と言われた。普通そう言われたら診断書さえもらってくれば年金が認められると思うでしょ? なのに5000円も出して診断書書いてもらったのに結局障碍年金は認められないという。いったいどういうことか!!!」

お説ごもっとも。確かに私でも誰でも診断書さえもらえば認められるような言い方ですね。でも、年金機構の職員は「診断書をもらってくれば年金は払える」とは一言も言っていない。

だからでしょう。1時間半の間、課長クラスの人が相槌だけ打って話を聞いていましたが、「申し訳ございませんでした。少し言葉が足らなかったようで、あいすみません」というような謝罪の言葉はただの一度も出てきませんでした。

おそらくは、謝罪をしてしまうと裁判を起こされたとき負ける可能性があるから、「謝ってはいけない」というマニュアルが存在するのでしょう。

でも、そういうマニュアルが必要な社会ってやっぱり狂っていると思うんです。

上記のことは主治医には言いませんでした。前回の日記で書いたことを喋っているうちにまた号泣してしまったのでね。言うに言えなくなりました。

先生も私と同じ気持ちのようで、「確かに君の言うとおりだ。しかしね」と断ったうえで、次のような驚くべき言葉を発しました。


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「ここに川が流れているとするね。それもものすごく汚い濁流。本流はものすごい勢いで流れている。だけどその端に枯れ枝が立っていて、じっとそこに留まっている。その枯れ枝のようになりなさい。流れの中に身を置いたまま流されることなく留まるように。いくら勢いが激しくても決して陸に上がってしまってはダメ。干上がってしまうから」

もうあの先生と知り合ってから27年たつんですが、ここまで胸に迫る言葉はいままでなかったかもしれません。

だからいまの仕事を辞めようとは思わなくなりました。もともと「辞めたい」のではないのです。向いてないから「辞めるべきではないか」と考えていただけ。それなら川の流れに身を置きながら留まり続ける枯れ枝になろうと。

とはいえ、どう考えても「向いてない」んですけどね。今日なんか最悪で少しも舌がうまく回ってくれず、うまく喋ろうとすればするほど自分で自分が何を言っているのかわからない状態。案内すべきこと案内しているし、後処理はほぼ完ぺきなんですが。

やれやれ、どうなることやら。でもまぁボチボチと。ね。

(おわり)