病の床は寝たきり遍路

2008年07月03日

病の床は寝たきり遍路(結願・・・癒しの国へ)

会社を休み一週間が過ぎ、父の容態も思わしくなく
自分の中で覚悟を決めているのを感じていました。
十分過ぎるほど苦行を強いられてきた父のその黄色い顔を
じっと見つめながら、「長い間苦労してきたね・・・」と
心の中で話し掛けていました。

つい、1か月前までは、一般病棟の部屋で父の若い頃の
話を聞いていたのに、もう、何年も、長い時間が過ぎたかの
ような不思議な感覚が私を取り巻いていました。
今までの出来事が遠い、遠い昔の事のように霞んでいくのを
感じていたのです。

全く反応の無い黄色い父に「また来るよ」と
一旦自宅へ睡眠をとりに帰りました。

プルルルル・・・プルルルル
「血圧がかなり下がってきてます。来院して頂けますか?」
深夜2時過ぎに病院からの連絡が入りました。
父の容態に動きがあったのです。急いで病院へ駆けつけると
集中治療室では既に父へ延命治療を施している最中でした。

ピー、ピー、と心電計のアラームとドスッ、ドスッ、と
電気ショックを与える音が交互に聞こえてきました。
父の体がショックで波打つようにくねるのが見えています。
「もうこれが限界です、心拍が回復しません。ご臨終です」
父の最期でした。

私は不思議に落ち着いていました。
それは、覚悟を決めていた事もあるのですが、それより
父が、過酷な三重苦から開放される事への安堵感のようなもの
を感じていたからかもしれません。
「親父、長い間ご苦労様」
そっとなでた父の頬はまだほんのりと温かく
まるで眠っているような安らかな表情をしていました。

父が倒れてからの十数年間の数々の思い出が走馬灯の様に
脳裏を駆け巡りました。父の頭をなでながら
それは一瞬のうちに私の頭の中で映像を映し出しました。

父との二人三脚の闘病生活はやっと終わったのです。


父は長い遍路の旅を終えて晴れて結願しました。


「ありがとう」


henro108 at 23:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月28日

病の床は寝たきり遍路(最後の一週間)

仕事を休んで朝から晩まで父のベッドの傍らに
座ってその様子を見守りもう数日がたっていました。
点滴は24時間打ちっぱなしでしたが、違う薬剤が
投与されると黄色かった父の顔が普通にもどったり
また、真黄色に染まったりと顔の色合いだけがめまぐるしく
変わって見えました。

意識は全く無いようで表情を変えることは無くなっていました。
音の無い静かな部屋で父と2人居るとまるで時間が止まっている
ような錯覚に陥るほど何も変化のない状態の中、看護士さんが
血圧を測る手元を見ると父の腕が水が溜まったように
プヨプヨに腫れているのに気が付きました。
また新しい症状でしたが、私は以前にこの腕の感じを見たことが
あったのです。

3年前に亡くなった母がその臨終の一週間前辺りからこのプヨプヨの
腕をしていたのをハッキリと覚えていました。
母の場合は透析を受けていたので腎臓の関係の症状だと思っていたのですが
この父の腕は何か良くないことを私に予感させているのでした。

院長先生の説明では
「肝臓の機能低下からくる黄疸もひどくて予断を許さない状況です」
との事でした。いよいよ覚悟が必要な時期に差し掛かってきている
状況にも、ただ父の横で座って見守るしかない私でした。

henro108 at 23:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月27日

病の床は寝たきり遍路(引き潮)

流動食の逆流、発熱・・・様々な症状が次々と父を襲いました
容態は悪くなったり、回復したりとまるで潮の干満のように
やってきました。

そして、父の表情は無くなり、反応することも
かなり少なくなって来ていました。
明らかに弱ってきている父にもう一つ重い症状がやってきました。
ある日父のもとへやって来て部屋へ入ると
異常なくらいのその顔色が目に入りました
みかんの皮のような黄色い色をした父がそこにいたのでした。

院長先生によると肝臓障害からの黄疸ということでした。
半身不随でずっと入院生活をしてきた父ですが
内臓だけは丈夫で異常は出たことがなかったのですが
長い投薬治療のせいでしょうか、ここに来て
重い症状が出てしまったのです。

病室は集中治療室の一番奥の部屋へと移されました
何か深い意味のある引越しなのかと覚悟を決めながら
引越しの作業を終えて、ソファーに掛けながら
最後まで父のそばで見守ってあげることを決意したのです。

表情を変えることの無い黄色い父の顔を見ながら
長い長い、そして、長い毎日がはじまりました

henro108 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月26日

病の床は寝たきり遍路(病院への帰宅)

2週間に渡るリハビリを受けて、元居た病院へ帰ることに
なりました。一応の治療は全て完了して、また
以前の生活へと戻るためです。
しかし、以前とは比べ物にならない位の障害が残って
しまいました。全身不随と失語症・・・自由になるのは
眼と顔の表情だけでした。

元居た病院へ帰ると顔なじみの看護士さんが出迎えてくれました
「おかえり!お部屋へ帰るよ」
身動きもせず、何もしゃべれない父に以前と同じように
話し掛けてくれる看護士さんたちに感謝しました。

部屋は以前の部屋ではなく集中治療室でした。
ナースルームのすぐ横で何があっても安心できる
ベストな部屋でした。

口から食事が出来ない父は
腹から直接、胃に管を通してそこから流動食を入れることになりました。
病院に入院していると食べることだけが楽しみと言いますから
その、楽しみさえ父は奪われてしまったのかと悲しくなりました。

私が直接父にしてあげる事は点滴が終わったのを看護士さんに
知らせるのと、話し掛けてあげることくらいで
以前のように父の昔話を聞いてあげたり、食堂へ車椅子に乗せて
連れて行ってあげたり、リハビリ室へ治療に行ったり・・・・。
何もしてあげる事が無くなってしまいました。

父は、日増しに表情が無くなり、だんだんと枯れていくように
弱って行くのを私は感じていました。
何の変化も無い真っ白な時間が過ぎて行くだけでした。

henro108 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月25日

病の床は寝たきり遍路(遍路再び・・・)

脳外科の集中治療室で、父の新しい生活が始まりました
生活と言うよりやはり試練と言わなければなりません。
父に残された自己表現法は自由に動く眼と表情だけでした。
そして、全身麻痺の重い障害と戦うにはあまりにか細い手足が
痛々しく悲しかった。

新しい病院では設備も充実してリハビリに至っては
口腔内専門の方や言語専門の方等それぞれ症状ごとに
専門の先生が丁寧に父の治療にあたってくれました。

食事は鼻から入れたチューブで流動食を取る事になり
私が父にしてあげる事といえば話し掛けてあげることと
頭や手をなでてあげることくらいでした。

リハビリの先生が父に話し掛けます
「お父ちゃん、頑張って治らんといけんよ!」
すると、ニヤッ・・・と父が笑いました
発症してから4日にはじめて笑いました。
私の心がほんの少しだけ軽くなったような気がしました。
朝の9時から病院に入って、夕方6時まで毎日父に
付き添っていましたがずっと泣き顔しか見てなくて
私自身も沈んだ気分でいたのです。

父の状態も安定してきたので
孫である私の娘を連れて来ることにしました。
父は孫の顔をみて、また、あの笑顔を見せました。
妹と私には一切見せたことの無いあの笑顔に
みんな微笑んで見つめていました。

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ぷちへんろ樹絵瑠
室戸岬・金剛頂寺にて・・・・お遍路親子

「歩き遍路を夢見て」

相変わらずの気まぐれ遍路を続けている親子遍路ですが 私(父)は最近自転車でのトレーニングを始めました 遠い将来に行こうと決めている歩き遍路の為の 体力作りと思っています! ツールドフランス気分のロードレーサーで 「ケイデンス100!!」(ペダルの回転数です) と気合でペダリングする毎日です このまま自転車でお遍路に行ってたりして・・・ とにかく夢に向って日々精進するのみです!
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