2011年08月12日
明日へのみち
テントの中に朝の光があふれてきて、犬も外に出たそうだったのでごそごそとテントから這い出した。
よく寝たので体調は良くなって、もう一度ゆっくりと大窪寺の境内を散歩した。
香川県と徳島県の境に位置する第八十八番札所、大窪寺。
女体山を背に、山々に囲まれた静かな札所。
一つの目的が達成されて、すっとした気持ちだった。心ゆくまで境内でのんびりしてから日が高くなり始めた夏の舗装路をゆっくりと下った。
いままで遥か彼方にあった地図上の88の数字。ここから伸びる赤鉛筆の道しるべはあと15kmほどで徳島自動車道を横切り、第10番札所の切幡寺の近くで大きな円になる。
思えば、本当に長い道のりを歩いて来た。
その事にどれほどの意味があるのだろうか、と言うより、なんだか人生そのもののように思えて来た。
今日も、そして明日も人生は続いている。
お遍路を終わる。終わってしまうと言うのはそれこそ不自然に思えた。
徳島から歩き始めた頃が、なんだか懐かしい気持ちがする。あれから室戸岬、青龍寺、仁淀川、四万十川、足摺岬、宇和島、久万高原…。
一本の道は果てしなく続いて今この場所に続いて来た。
消してしまいたい事実もあった。今でも足摺岬から久万高原の辺りの頃は思い出したくない気持ちでいっぱいになる。消しがたい事実。
遍路犬、マリンは高知県で身体の中に寄生虫バベシア=ギブソニーが入り込んで、瀕死の重症になった。
宿毛の町をぬけて、愛媛県の県境にあたる松尾峠の大師堂で泊まらせて頂いたとき。日が傾いて、掃除と納経を済ませて久しぶりにゆっくりと夕暮れをたのしんでいると、犬の背中にコーヒー豆が乗っていた。よく見るともそもそ動くそれはダニのようでもあった。フロントラインを欠かした事が無かったので、それは初めて見る物体だったのだ。
それから数日経って、久万高原で降るような星空を眺めていたとき、母親が息を引き取った。
その事実をもってして、お遍路は中断せざるを得なかった。すったもんだの挙げ句、名古屋までの高速バスと新幹線を乗り継いで、犬とともに藤沢市の家に帰って来た。
そして、葬儀が終わってしばらくすると、友人が弔問に来てくれたのだ。そして犬を見るなり状態のおかしいことを指摘した。犬は旅の疲れか、ここの所わりとおとなしくしているのだ。
かかりつけが休みのため、紹介してもらった動物病院では白血球の値が異常に高いと言われ、次に見てもらった主治医の所では貧血が強いと指摘されるもののその原因が特定できず、近くの日本大学動物病院を紹介してもらい、A4の紙にこれまでのレポートをまとめて犬と一緒に差し出した。
教授は、レポートのなかの四国を歩いたという一文を抜き出して、これはフタトゲチマダニを媒介とするバベシア症だとにらんだ。開かれた分厚い百科事典のような医学書には顕微鏡写真と日本地図が載っていて、高知県と愛媛県は最頻出地域の赤色で塗られていた。そして遺伝子検査の結果、陽性反応が出て、すみやかな輸血と抗原虫薬の治療により、犬は一命をとりとめた。
この事で、犬は早く向こうの世界に帰るかもしれない、と思った。
四国なんかに連れて行かなければと、随分と思った。
しかし、何があったとしても人生を巻き戻す事は出来ない。よい事もわるい事もいっぱい経験して、いつかはあちらの世界に帰って行く。犬も飼い主も遅かれ早かれ同じ場所に帰って行くのだろう。
そんな事を考えながら真夏のアスファルトの上をなかばウンザリしながら歩いていると、少し谷あいが開けて来て、犬墓という所に来た。
犬連れなのでどんな所かと興味があったんだけれど、その昔、弘法大師の修行中に連れていた和犬が大師を守るために猪と戦って亡くなって、たいそう悲しんだお大師さんがここにお墓を建て弔った、とあった。
なんだかここに来てお大師さんも犬連れていたのか…、と思うとおかしく思えて来た。きっと地元の方達に大切にされているだろうと思わせるような、立派な大師堂にお邪魔して、犬に扇風機をあてておき、掃除して納経させて頂いた。
まだ日も高く、茹だるように暑いのでゆっくりしてから3kmほど歩くと、かなり高い位置に徳島自動車道が走っていて、町の様を呈して来た住宅街を抜けるうちに、左の小高い山の中腹に切幡寺であろう寺の伽藍が見えた。
右手の景色も見覚えがあった。吉野川の向こうにあるはずの焼山寺山はあのあたりかな、と思う。それから天然温泉御所の里までがんばって歩き、こんなに遠くだったっけと思った。確かあの日は四国を直撃した台風のせいで土砂降りの中を歩いていた。四国に来て初めて入った温泉は嵐のおかげで極楽だった事を思い出す。あれから1200kmをぐるっと歩いて来て、今日の御所の里は風が止まり、夕暮れになっても汗が止まらない位蒸し暑かった。