henry_mania

時折書房

時折書房が目指すは定常開放系。コメント&TB大歓迎。

12 6月

村上春樹『1Q84 BOOK1後篇』



切なさが少しじんじんしてくる…。
内容(「BOOK」データベースより)
ふかえりはきっと特別な存在なんだ、と天吾はあらためて思った。ほかの少女たちと比べることなんてできない。彼女は間違いなくおれにとって、何らかの意味を持っている。それなのにどうしてもそのメッセージを読み解くことができない。…『空気さなぎ』、宗教集団さきがけ、リトル・ピープル、そして夜空に浮かぶ月。謎に満ちた「1Q84年の世界」を生きる天吾と青豆の運命は―。
BOOK1を読み終えました。
ただおもしろいですね。
この「ただ」という、一見意味不明なワーディングがみそです。
メタファー解読や謎解きを楽しませるのも村上春樹ワールドですが、それと相反するようですが、意味も思想も関係なく、その物語世界に浸っていること自体が楽しい、というのも村上春樹作品ワールドでしょう。私は、どちらかというと、面倒くさがりなところがあるので(ある面においては面倒こそを趣味にしてしまうようなところもあるのですが、それはごく限られた部分です)、後者派です。
ただ(笑)、意味解読を全く抜きにして楽しめないようなところもあり、備忘のために、こんな一節だけ抜き出しておきます。
「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられない。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」(p.324)
婦警のあゆみによる言葉です。
ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘い?
そういえば、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』には、パラレルワールドという形で二つの世界が表れていたっけなあ。次はこれだな。
5 6月

村上春樹『1Q84 BOOK1前篇』



作品の1/6を読み進めている段階。
内容(「BOOK」データベースより)
1Q84年―私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう。青豆はそう決めた。Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。…ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に導かれて、主人公・青豆と天吾の不思議な物語がはじまる。
というわけで、『1Q84』を読んでいます。
私の最近の読書は、通勤の朝晩のみに限定されていて、土日はランに心身没頭するためお休みになるのが常だったのですが、現在左ふくらはぎの肉離れが快癒しておらず、ぷすぷす、時間が余る、楽天戦も見れば、読書も引き続きする、という感じで、昨日、一気にBOOK1前編を読み終え、今朝から快調に後篇に突入しています。
8年も経てば、記憶もすっかりゆるゆるになっていて、実に楽しいですね。ああ、そうだったそうだったと、ええ、そうだけっけが織り交ぜられた、実に味わい深い再読になっています。
『騎士団長殺し』から『ねじまき鳥クロニクル』とリバースさせていったときは、もう、あの折り重なるところの多い世界観の奇妙なリアリティが、読まずにいる私の時間にも侵食してきて、何だかいつも精神的井戸に縛り付けられているような感じだったのですが、この作品の場合は、その感じとは明らかに違う滑走感のようなものを覚えつつも、でも、何かふと気が付くと前二作を思い返しているようなところもあり、ああ、どんな楽しい読者体験に育っていくことやらと、わくわくしてきます。
まだ具体的な感想を差し挟む段階ではありませんが、今回もこのために文庫を6冊購入して読んでいますので、1冊読み終えるごとにここに近況報告(笑)をすることにします。
さあ、今日は飲み会だっ。
31 5月

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 』



諸悪の根源に立ち向かうという所作。
内容紹介
僕の考えていることが本当に正しいかどうか、わからない。でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。「僕は君を連れて帰る」僕はグラスを下に置き、毛糸の帽子を頭にかぶり、脚にはさんでいたバットを手に取った。そしてゆっくりとドアに向かった。(本文より)
昨日読み終えました。
いやあ、読み始めてからどれくらい時間を要したのでしょうか。ほとんど通勤の時間にしか読んでいなかったのですから、相当の日数が経過してしまいました。その間、私自身、何だかかび臭い井戸の底に身を置き続けているような気分でした。優れた小説は読む者をある必然的な運動に駆り立てる、といったことを、かつて蓮實重彦氏があるところで語っておいででした(大江健三郎を揶揄するような筆致でした)が、そういった意味では、私を井戸に運んでくれた上嗅覚もなまなましく刺激してくれたこの小説が優れたものであったことは間違いなさそうです。
なお、私、〈第3部〉を読んだ記憶が全く欠落していました。〈第2部〉までは「ああ、そうだった」といった感じが多かれ少なかれあり続けていたのですが、〈第3部〉にはそれがまるでありませんでした。私自身はっきりしたことは覚えていないのですが、私は、きっと〈第2部〉を読んでその後を放棄してしまっていたんでしょう。今回は、あえて通勤で読むために文庫本を買いましたが、当時購入した単行本は書庫に確かにありましたから、買って読まずにいたようです。
調べてみると、〈第1部〉と〈第2部〉が同時に出た1年数か月後に〈第3部〉が出ているようですから、その間に、私は〈第3部〉に向かうだけのエネルギーを失っていたんでしょうね。
何が私を放棄に導いたのか。
よくわかりません。
ただ、あらためて読みつなぐのに相当な精神的エネルギーを要したはずです。それを持続できなかったんでしょうね。
その当時、私は、32歳。まだまだいろいろな意味でエネルギーを充満させていたころのようにも思うのですが。
しかしながら、『騎士団長殺し』の世界は、ここから始まっていたということを、ひりひりしながら実感した体験でした。私、『騎士団長殺し』の読後感をとりとめもなく綴ったのですが、これを本当の意味で読んでいない私だから、ああいう感想に落ちたんだということを今ならよく理解できます。
ただ、どういったらいいんでしょう。村上春樹さんのこの時期以降の小説の方法論の問題にも深くかかわってくると思うのですが、大がかりな仕掛けの楽しみ方ということ、について。例えば、この壮大なドラマから主旋律だけを取り出して、そう、例えば、大陸における微妙に絡み合ったエピソードを取り除いてしまったとしたら、そのドラマはやけにファンタジー色の強い奇妙なものになってしまうんでしょう。成立はしなくはないでしょうが、まるで魅力に乏しい説得力のないものに成り果ててしまうんでしょう。じゃあ、この大陸のドラマが、岡田亨=「僕」のドラマに何を与えているのかというと、それは、ドラマの普遍性というか神話性、または、ドラマのもつ喚起力の強度。
う〜む。すっきりとしたドラマのフォルムを感知しえた感覚がありながら、私は、まだ言いようのない混沌の中にあります。メタフォリカルに井戸と呼んでいいいような混沌に。こうなったら、村上春樹をひたすら読み続けるしかありません・・・ということで、すでに『1Q84』を読み始めている私です。
25 5月

「ランナーズ2017 JULY 7」



途中1km刺激入れラン、採用。
内容紹介
91歳でもフルマラソン完走!
IMG_2932今号は「マラソンランキング」が付録冊子になっていて、最初の特集もそれに関係したものでした。91歳でのマラソン完走というのは、すごいですね。それだけじゃなく、私より上の世代の100傑のタイムをみては、出るのは、賛嘆の念というか、嘆息というか。とにかく、マラソンの世界における地上の星たちのきらめきにくらくらっとくるのでした。
さて、もう一つの特集として、「フルマラソン特集 敢えて夏に鍛える=夏こそ、スピードで遊ぼう=」というものがあり、そこで、二つのステップとして「全てのランナーに提案したい ジョギング中の"ちょいスピードアップ"」と「誰もができる"1kmスピード走"」という提案がありました。
実は、私、この雑誌を読む直前の先週火曜日、帰宅ランで、その途中2ヶ所(1km地点と7km地点あたりから)で1kmをそれまでよりかなりペースを上げて走るということをやっていました。その時感じたのは、1km走り終えて元のペースに戻した後のジョグがものすごくキツイということでした。そのときは、4:24/kmで1kmを走った後の1kmを、自分の感覚では6:00/kmくらいになっているように感じたのですが、実際は5:18/kmだと知って、何だこの感覚?!と不思議な気分になったのを思い出します。たぶん、それだけ想像以上の負荷がかかっていたということなんでしょうか。
本日の帰宅ランは疲労取りを目的としたものだったので取り入れませんでしたが、今後は、少なくとも帰宅ラン11kmの中に2〜3ヶ所の1kmスピードアップ走を取り入れることとします。ウイークデイのランの充実に向けて、貴重な一歩を踏み出せそうです。
なお、最近、読書は停滞気味です。まもなく『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』読み終わりますので、そのとき更新します。
17 5月

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編』



「〈第3部〉鳥刺し男編」を楽しく読むための備忘録。
内容(「BOOK」データベースより)
致命的な記憶の死角とは?失踪したクミコの真の声を聴くため、僕は井戸を降りていく。
もうすでに「〈第3部〉鳥刺し男編」を読み進めているのですが、行き帰りの電車の中だけでしか読んでいないこともあり、時間がかかってしょうがなく、ちょっと時間が空くと、〈第1部〉や〈第2部〉の重要な記憶がうまく維持できません。そこで、「〈第2部〉予言する鳥編 から、印をつけていた部分を厳選数カ所備忘のために引用しておくことにしました。
正直、この本を読んだ二十数年前の細かな、どころかおおつかみの記憶すらありませんから。
「ねじまき鳥は実在する鳥なんだ。どんな恰好をしているかは、僕も知らない。僕も実際にその姿を見たことはないからね。声だけしか聞いたことがない。ねじまき鳥はその辺の木の枝にとまってちょっとずつ世界のねじを巻くんだ。ぎりぎりという音を立ててねじを巻くんだよ。ねじまき鳥がねじを巻かないと、世界が動かないんだ。でも誰もそんなことは知らない。世の中の人々はみんなもっと立派で複雑で巨大な装置がしっかりと世界を動かしていると思っている。でもそんなことはない。本当はねじまき鳥がいろんな場所に行って、行く先々でちょっとずつ小さなねじを巻いて世界を動かしているんたよ。それはぜんまい式のおもちゃについているような、簡単なねじなんだ。ただそのねじを巻けばいい。でもそのねじはねじまき鳥にしか見えない」(p.265)
叔父は微笑んだ。「・・・・・何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。・・・・・」(p.312)
「表面的に見れば、これは馬鹿みたいに単純な話なんだ。・・・でも実際には、これは見かけほど単純な話じゃない−−僕にはそれがわかっている。君にもそれはわかっている。そうだろう? 加納マルタにもそれはわかっている。たぶん綿谷ノボルにもそれはわかっている。そこには僕の知らない何かが隠されている。僕はなんとかしてそれを明るいところに引きずり出してみたい」
 僕はコーヒーを作るのをあきらめ、薬缶の火を消してテーブルの向かいに戻り、加納マルタの妹の顔を見た。
「そしてもしできるものなら、僕はクミコを取り戻したいと思う。僕の手で、この世界に引き戻すんだよ。そうしないことには、僕という人間もまた、このまま失われ続けることになるんじゃないかと思う。そのことが少しずつわかってきた。まだぼんやりとではあるけれどね」(p.336)
 そう、僕には何か致命的な死角がある。
 僕は何かを見逃している。
 彼女は僕がよく知っているはずの誰かなのだ。
 それから何かがさっと裏返るみたいに、僕はすべてを理解する。何もかもが一瞬のうちに白日のもとにさらけ出される。その光の下ではものごとはあまりにも鮮明であり、簡潔だった。僕は短く息をのみ、ゆっくりとそれを吐き出す。吐き出す息はまるで焼けた石のように固く、熱い。間違いない。あの女はクミコだったのだ。どうしてこれまでそれに気がつかなかったのだろう。僕は水の中で激しく頭を振った。考えればわかりきったことじゃないか。まったくわかりきったことだ。クミコはあの奇妙な部屋の中から僕に向けて、死に物狂いでそのたったひとつのメッセージを送りつづけていたのだ。「私の名前をみつけてちょうだい」と。(p.358)
1 5月

朝井リョウ『スペードの3』

スペードの3 (講談社文庫)
朝井 リョウ
講談社
2017-04-14


常に私の実相を見透かしているXに怯える。
内容(「BOOK」データベースより)
有名劇団のかつてのスター“つかさ様”のファンクラブ「ファミリア」を束ねる美知代。ところがある時、ファミリアの均衡を乱す者が現れる。つかさ様似の華やかな彼女は昔の同級生。なぜ。過去が呼び出され、思いがけない現実が押し寄せる。息詰まる今を乗り越える切り札はどこに。屈折と希望を描いた連作集。
コンプレックス、劣等感、優越感、欠落感・・・他人に対して抱くネガティブな感情に囚われて生きるということ。三者三様ではあるものの、すべて、リアルだなあ。五十代の私が二十代の作家の小説を読むということに、最初は違和感を覚えていたのですが、実際につづけて読んでみると、この作家が紡ぎだす痛々しさには世代を超えて響くリアリティがあるように思います。
私自身、特に第1章の美知代の崩壊劇は、ぞくぞくきてました。ある自分の中の暗部を抉り出されるようななまなましい感じすら漂いました。他人に対して抱くネガティブな感情の処理というものは、生きてきた年数だけうまくなっていくものだけれど、そういうことに全くストレスを感じなくなるものでもない。ただ、若いころに比べれば随分遠景化していくこんなテーマを、あらためてこんなふうに提示されてしまうと、何だか少年の頃と地続きにある今が浮き彫りになるような、そんな感じがあります。
他人に対して抱くネガティブな感情は、意識するしないにかかわらず自分の前に立ち現われるとして、その穏便な対処法を、人は、いろいろと試行錯誤しながら創り出していくわけでしょう。だから、そこから抜け出すということは、ある意味、自分の生きてきたそれまでのすべての時間を否定することで、さらに言えば自分を自分でなくするということ。重いですね。
『ねじまき鳥クロニクル』を後回しにして、今日から『世界地図の下書き』という作品を読み始めています。
27 4月

原晋『勝ち続ける理由』



勝ち続ける組織の秘密。
内容(「BOOK」データベースより)
2016年正月の箱根駅伝で、青学は前年の優勝に続き連覇を達成した。さらに、箱根駅伝史上39年ぶりの完全優勝を成し遂げたのである。青学を連覇に導いたのは、元伝説の営業マン・原晋監督である。なぜ、驚異の連覇を果たせたのか?本書では、初優勝から連覇までの道のりを振り返り、勝ち続ける理由や勝ち続ける組織の秘密について、明らかにした。また、チームの組織運営だけでなく、個人を指導する秘訣についても、タイプ別・シチュエーション別にくわしく掘り下げた。駅伝ファン、あらゆる組織のリーダーにお薦めの一冊。
原監督、熱い。
そして、これまで読んだどの本よりも、主張が確信に満ちていて、その断定調が強くなっていますね。結局箱根三連覇と駅伝三冠は達成したわけですが、この本を出す段階ではまだ箱根を二年続けて勝っただけだったのに、「勝ち続ける理由」とやったのはちょっとやりすぎだった(出版社の思惑でしょうが)ようにも思いますが、三連覇&三冠で、むしろその賭けに勝ったとも言えるんですよね。
内容的には、私も、青学ファンとして、いろいろな選手にまつわる知識も増えてきているものですから、選手を具体的にイメージしながら、本当に楽しく読むことができるものでしたし、確信に満ちた指導法等についてもなるほど感がありました。ただ、最後に置かれた陸上界における提言については、う〜ん、そんなものか・・・という印象です。陸上界に革命を巻き起こすようなムーブメントって、そんな感じのものなの?と。
新しい東京オリンピックのマラソン選考方式が発表されました。設楽悠太が東京でハイペース展開を見せつつある程度タイムメークしたり、また、大迫傑がボストンで東アフリカやアメリカの一流選手との戦いの中で3位に入ってみせたりしている状況で、服部勇馬や神野大地、一色恭志、下田裕太の青学勢も黙っていないだろうと思うと、何だか長距離界の近未来が楽しみに見えてきます。こんな磁界だからこそ、「出る杭」としての原監督には、もっともっとインパクトがあり、実効的な提言を期待したいですね。
もっともっと勝ち続けて、もっともっといい気になってください。
26 4月

「ランナーズ2017 JUNE 6」



ぴょんびょん飛び跳ね始めました。
内容紹介
2017年版これがトレーニング新常識
IMG_2788 (1)4月9日に発症した右脹脛痛から慎重に回復している途上です。
4月15日にエントリーしていたハーフマラソンを棄権して、5月21日予定の初フルマラソンも相当微妙になってきました。ただ、焦りはコントロールしつつも、気持ちは切らさずに、回復プログラムも恐る恐る実行しています。
回復プログラムの基本は、痛みがなくなっていくにつれて、とにかく少しずつ負荷をかけていくこと。今は日常生活では痛みがなくなっているものですから、ウォーキングは意識的に多めに行い、短い距離の緩ジョグから少しずつ取り入れようかという段階に入っています。
そして、『ランナーズ』今号の「2017年版 これが『トレーニング新常識』」特集冒頭の「ジャンプで効率のいい走りを手に入れる」という提言をしっかり受け止め、私、早速毎日ぴょんびょん飛び跳ね始めました。
実際、「効率のいい走り」というのは、私の現実的な目標です。
冬から故障続きの私にしてみれば、まさに効率の悪い走りになっているからこそ、トレーニングを持続できないでいるんだと自覚しています。『ランナーズ』からのトレーニング吸収ということにおいては、何といっても、腸脛靭帯炎克服のための「片脚立ち」があります。毎日、昼休みに両方の片脚立ちを2〜3分2セットを欠かさずやりはじめて、膝痛の不安はまったくと言っていいほどなくなりました。ということで、今度は、ぴょんびょんその場ジャンプを1分間2セットから開始している次第です。
この特集には、「キツイだけじゃない スピード走はお得な練習法」という記事もあって、あああ、早く試してみたい!と打ち震えながら熟読しましたが、はい、焦りは禁物、治ってからの楽しみにしようねと、自分で自分を諭しました。
さあ、故障は成長の一過程。故障するたびに、強いランナーに成長する自分を、大事にしたいと思います。
24 4月

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編』



『騎士団長殺し』を読み終えて読む『ねじまき鳥クロニクル』
内容紹介
「人が死ぬのって、素敵よね」彼女は僕のすぐ耳もとでしゃべっていたので、その言葉はあたたかい湿った息と一緒に僕の体内にそっともぐりこんできた。「どうして?」と僕は訊いた。娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。「質問はしないで」と彼女は言った。「それから目も開けないでね。わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。(本文より)
先々週あたりに読む本が手もとになくなるという事態が生じました。図書館から借りてきた本が数冊あったので、大丈夫だろうと思っていたのですが、その数冊どれもがちょっと読んでみてまるで面白くない本だと気づいてしまい、あらら、読む本がない!という非常事態に。
こういうこと、普通はない。だって、面白そうな本しか買ったり借りたりしないわけだから。よほど選書勘が狂っていたということなんでしょう。
そこで、とりあえず、ブックオフに行って、また数冊まとめて購入したんですが、その中に紛れ込ませておいたのが、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の文庫三冊。これなら相当日数「読むものがない」事態にならずに済む。それに、『騎士団長殺し』を読んで、この小説をもう一度読みたくなってきていたのです。
さて。
まずは「〈第1部〉泥棒かささぎ編」を一週間かけて読み終わりました。
感想? 特にまとまったものはないです。
最終盤に置かれるグロテスクなシーンに、、何だか全体をもっていかれてしまった感があります。ただ、井戸をめぐるエピソードはやはり強烈なものがありますね。深い穴に沈潜するというモチーフについては、いろいろと仮説などをイメージしながら、その強い喚起力の何たるかを感じたいなと思います。
ちょっと読み疲れ感があるので、今は軽いものを読みはさんでいます。そのうち〈第2部〉〈第3部〉についてご報告します。
17 4月

朝井リョウ『何者』

何者 (新潮文庫)
朝井 リョウ
新潮社
2015-06-26


何者かであるということ。
内容紹介
就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから――。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて……。直木賞受賞作。
意外なほどに面白かったです。
話題の直木賞受賞作とはいえ、若いおにいさんの書く就活ものとあっては、さすがに気が向かずにいたのですが、最近、読む本が手もとになくなってきていたものですから、ブックOフに行って10冊ほどまとめ買いしてきた中の一冊がこれだったのです。
何者。
確かにするどい切り口でしたね。
SNS時代における「何者」観のあやうさ、足元の決まらなさとでもいうものを、ひりひりするような痛みとともに、感じることができました。
私が十代から二十代のころに感じられていたアイデンティティ観とはまったく異なるものでしょう。エリクソン好きの私は、学生時代にアイデンティティに係る心理学の本をよく読んでいたのですが、アイデンティティの相補的側面などを、なるほどなるほど、自分という概念は自分一人で成立するのじゃないな、確かに、とか思っていたものです。
ところが、今や、他人との距離感や関係性というものは、相補的などというレベルではなく、自分が何者であるかの最も重要な要素となり、そこにおいては、圧倒的なまでのストレスや苛立ちや落ち着かなさが発生している。あああ。
ちょっとうまい作家さんですね。興味がでてきました。また何か読んでみたいと思います。
この本に帰ろう。
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