henry_mania

時折書房

時折書房が目指すは定常開放系。コメント&TB大歓迎。

22 7月

森絵都『できない相談』

できない相談 (単行本)
森 絵都
筑摩書房
2019-12-10


なかなか抵抗を試みたくても抵抗できないでいる、という日々の中で。
内容(「BOOK」データベースより)
ひとがなんと言おうと、わたしはそれを我慢しない。日常の小さな抵抗の物語。人生って、こんなものから成り立っている。そんな気分になる極上の小説集。
38の「日常の小さな抵抗」のドラマが集められ、素敵な小説集になりました。
その中に「満場一致が多すぎる」という小編がありました。会社の会議において「満場一致」がいつも繰り返されることに対する抵抗のドラマでした(見事に落ちてます)。いやあ、確かに「人生って、こんな『小さな抵抗』から成り立っている」と思わせられるところがある反面、いやいや、その実なかなか抵抗を試みたくても抵抗できないでいる、という側面も強いのじゃないでしょうか。そして、だからこそ、こんな「日常の小さな抵抗」がいくつもいくつも集められたこの一冊が、意外にも胸のすくドラマとして立ち現れてくるのかもしれません。
短編の名手であり、独特な世界観の持ち主でもある森絵都さんならではの珠玉の一冊です。
11 7月

村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』



「父親について語るとき」ということ。
内容(「BOOK」データベースより)
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。―村上文学のあるルーツ。
この春、出てすぐに買い求めて読んでおりました。
ちらちら目にする書評や感想等ではあまり芳しくないコメントもありましたが、私には私なりのポイントで刺激された面がありましたね。
というか、私、村上春樹ファンの一人ではあるのですが、ある程度年齢的に上の主人公の物語を読みたいなあと常々思っていたのですが、今回は、物語ではないにしても、そんなイメージした「ある程度年齢的に上」という以上の、すでに亡くなられた父親について語る、ということで、興味がありました。
まず、この書物に与えられた副題について、です。
「父親について語るとき」です。
今が「父親について語るとき」なのか、、、素朴にまずそんなことを感じました。
この作品の冒頭を引いてみます。
 父親に関して覚えていること。
 もちろん父に関して覚えていることはたくさんある。なにしろこの世に生を受けてから、十八歳になって家を離れるまで親子として、それほど広くもない家の中で、ひとつ屋根の下で、当然のこととして毎日起居を共にしていたのだから。僕と父の間には−おそらく世の中のたいていの親子関係がそうであるように−楽しいこともあれば、それほど愉快ではないこともあった。でも今でもいちじんありありと僕の脳裏に蘇ってくるのは、なぜかそのどちらでもない、とても平凡な日常のありふれた光景だ。(p.9)
これを読んだとき、自分の中で何か引っかかるものがありました。
そして、それから数か月たった今、この冒頭の数行を改めて噛みしめてみたとき、二つのことに、今さらながらに気づかされて、ちょっと愕然としました。
ひとつは、私、これまで、「子」と「父」とは、ある意味互いに生きてさえいればその間ずっと「父子」という関係性が持続するものと安易に思っていたのですが、いや待てよ、「子」にとってその男がなまなましく「父」である時間というものは、「成人するまで」とか「同居している間」とか(このあたりは場合や関係性によってざっくりとした差はあるものでしょうが)に限定されるものなのか、ということ。
これ、今の私からすると、すごく腑に落ちることなのです。
今、私は、二人の娘の父親なんですが、「父」としての積極的な機能は何も持ち合わせていません。ただ、身分として父であるだけ、です。むしろ、そのことに愕然として、「父」業というものから、知らず知らずのうちに実質的に撤退してしまっていたということに、切なさというか、情けなさのようなものを痛く感じていたのです。
そして、もうひとつ、そんなふうに若くして遠景に遠ざかる「父」の存在というものを「語るとき」が、父が亡くなった後、自分自身が齢七十になってからであるということに、心打たれるというか、曖昧な衝撃を覚えます。
父という存在。私に父がいることとともに、私も二人の娘の父であること、二つの事実とこの二つの今さらながらの発見を照らし合わせてみたとき、やはり、ずどんと井戸の底に着き落されたような衝撃を受けました。
もう少し考えます。
7 7月

井上荒野『その話は今日はやめておきましょう』

その話は今日はやめておきましょう
井上 荒野
毎日新聞出版
2018-05-18


この話は今日はやめておきたい、かも。
内容(「BOOK」データベースより)
定年後の誤算。一人の青年の出現で揺らぎはじめる夫婦の日常―。
井上荒野さん読んじゃったー、ってい感じですね。
ひりひりするようなリアリティーに、思わず呼吸困難になりそうになったり、思わずパタンと本を閉じちゃったりしながら、読み進めました。
七十歳前後の老夫婦、、とか言っても、私と妻の関係と非常に近いものを感じたり、いや、全然違うと感じたり、でも、同じでも違っても、ひりひりするのには変わりない。
しかしながら、リハビリ最終盤の昌平とゆり子さんが自転車に乗って公園を十周する、ラストに置かれたシーンは、よかったですね。
・・・昌平はゆっくり漕ぎながら、ゆり子の背中を眺める。すみれ色のギンガムチェックのシャツを羽織った、まるみのある背中。その体型とは無関係に、結婚以来ずっと、自分より小さい、弱いものだと認識していた妻の背中が、今日は存外にしっかりと、たくましく見える。
 昌平は思い出す−じつのところ、毎日のように思い返しているのだが−あの日、ゆり子が一樹に投げつけた言葉を。奇妙なことに、それは今では自分とって愉快と言っていい記憶になっているらしかった。一樹の訪れを待つ間、頭痛がするほどの緊張や不安に苛まれてたことも、もちろんはっきり覚えているにもかかわらず。
 惚れ直したよ。
 ゆり子の背中に向かって、声に出さず呟く。(pp.237-238)
私も、妻と同じ趣味のようなものを育てるべきだったなと、最近痛く後悔もしています。ランニングしてくれたら一番よかったのになあ、とか。
いや、共通の趣味以上に必要なのは、外部というか他者、「一樹」なるもの、かもしれません。
「一樹」というどうでもいい存在が、この二人には必要だったのかも。
じゃあ、私たちにとっての「一樹」とはいったい何なんだ?!
6 7月

鷲田清一『二枚腰のすすめ 鷲田清一の人生案内』



アングルを手前に退く、ということ。
内容(「BOOK」データベースより)
弱さを強さへ裏返す!読売新聞の人気連載「人生案内」から名問答を厳選。回答を裏打ちする人生作法を「二枚腰のすすめ」として新たに書き下ろし。さらに付録として、自身の二枚腰の人生を描いた、写真満載の自筆年譜と、全著書リストを収載。
いわゆる人生相談、です。
読売新聞に連載されていた本物の人生相談です。
若い人から年配の人まで、いろいろな相談が寄せられ、それに対して、鷲田清一氏は、それこそ"言葉の力"でもって、真摯に必要なメッセージを送られていました。
ただ、なんというか、臨床哲学の達人の人生案内も、現に目の前に困りきっている人がいるとなると、さすがに目の前の困り切った状態を何とかさせられる言葉を探しにいかざるを得ないというか、ある意味、「人生案内のディスクール」のようなものに拘禁されている、ような感じもしましたね。
私、「朝日新聞」の土曜版にある「人生相談」をたまに読みます。同じ関西エリアの大学人、上野千鶴子さんが「人生案内」をなさっているのを、多少スリリングな気持ちで拝見することがあるのですが、とはいえ、一般的な著作の切れ味とは全然違いますものね。
ところで。
世の中のみなさんの悩み、そのほとんどは、人間関係的なもの、そこから発したもの、という感じで拝見しました。
私の通勤路にちょっと立派な寺社があって、その寺社の表の掲示板にちょっとした言葉が掲げられけているのですが、先々月あたりには「自分が正しい、これがすべての争いのもと」といったものが掲げられていました。
そう思おうとしていなくても、人ってついつい自分を中心に置いてものをとらえてしまうんでしょう。
鷲田氏も、どん底に落ちたときは「ちよっとでいいから、アングルを手前に退く」(p.169)ことを勧めていらっしゃいます、そのイメージから、タイトルにもなっている「二枚腰のすすめ」が説かれてもいくのです。
しかしながら、「アングルを手前に退く」にしても「二枚腰」にしても、そういうことができる人を、世間では「大人」と呼ぶんでしょうね。
自立している、
つまり大人であるというのは、
自分に自信をもっているということでもありません。
自立というのは、
自分の今がどれほど多くの人に支えられているかを
熟知しているということです。
そしてだれかが困窮していれば、
自分のことは後回しにしても、
まずはその人の支えになろうとして動く、
そんな用意があるということです。(p.125)
内田樹センセイも同じようなことをおっしゃっていました。
自分が中心にあるという布置をずらしてみる、やはり、そのためには視座を変えなきゃならない、アングルを手前に退かなきゃならない。
人生の勉強に終わりはありません。
3 7月

畠山重篤『牡蠣養殖100年 汽水の匂いに包まれて』

牡蠣養殖100年 汽水の匂いに包まれて
畠山 重篤
マガジンランド
2020-05-25


畠山重篤、Forever(=_=)
著者について
畠山/重篤 1943年生まれ。養殖漁業家。京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。
「牡蠣の森を慕う会(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)」代表。
著書に『森は海の恋人』『リアスの海辺から』『日本<汽水>紀行』(日本エッセイストクラブ賞)など。
先月初め頃だったでしょうか、書店で見つけて思わず購入して読んでいました。
私、畠山重篤氏の大ファンです。
実は、昨年11月、自分が主催者側に名を連ねるある研究大会に、畠山重篤氏を講師としてお招きする機会があり、私には、そのとき、講演後に謝辞を申し上げるという大役が回ってきたのでした。
畠山氏の講演は、私、それまでにも三度ほどうかがう機会があったのですが、毎回違う相手なんですが、毎回違う切り口から話が展開していって、初めてうかがうような楽しいエピソードが微妙に絡み合って繰り出されて、いつのまにか"畠山重篤ワールド"としか言えないような幸福感に満たされているのでした。
彼が希代のエッセーストであることの意味が分かります。
彼は、この本でも紹介されてありましたが、講演などをなさるときは、はっきりとした原稿などは用意されず、聴衆の反応や、講師としての自身の手応えや勘のようなものをよりどころにして、話す内容と展開をチョイスされている、そうです。
まさに汽水のような豊饒さ( ^)o(^ )
川の水と海の水とが混ざり合ったところに豊かさが生起するように、思ってもみないような何かと何かが不思議で魅力的なつながりを見せる、そんなわくわく感をおもむろに刺激してくれる、そんな楽しさがあふれています。
この本は、私にとっては、"畠山重篤ワールド"のゴージャスな復習となりました。
私にとっての畠山重篤氏の偉大さとは、次の三点に集約されます。
○平成の宮沢賢治〜骨太のインテリジェンス
○運命的な出会いを自身が手繰り寄せる達人
○「人の心に木を植える」という生き方
まずもって、畠山氏には、理想的な知性の在り方というものを毎回教わります。知性=インテリジェンスとは、決して干からびた知識の集積としてあるようなものではなく、生活に根ざしたレベルから湧き起る知であるべきであり、生身を突き動かすようなムーブメントを活性化させる知の波動のようなものであるべきである。それを生き様を語ることによって示してくれる、こんな骨太のインテリジェンスになかなか巡り合えるものではありません。
そして、この一冊にもさまざまな出会いが綴られてたいましたが、畠山氏と言えば、探究心が新たな出会いや新たな探究心を掘り起こしていきます。地球環境をめぐる畠山さんの視点・視野などが恰好の例で、理科とか社会とか漁業とか鉄鋼業とか研究とか行政とか日本とかアメリカとかオーストラリアとか、あらゆる垣根を越えていろいろな次元のものを縦横無尽につなぎあわせていかれるのです。まさに畠山先生ご自身が変幻自在な鉄のような方であり、出会うべくして出会うべき人・ものと出会う、出会うべきものを自分自身の探究心・興味・情熱が引き寄せる、まさに人生の達人と呼ぶしかありません。
最後に、超一流の教育者としての貌。「漁師が森に木を植えるということは、人の心に木を植えることでもありました。」(『人の心に木を植える−「森は海の恋人」30年』より)1万人以上の児童・生徒・学生を対象にした体験学習は、本当の生きた学びを提供し続け来られました。牡蠣は「海のミルク」と呼ばれますが、よりよく生きるための学び、生きるための最高の栄養が、そこにはあるのです。
まだまだ勉強させてください。
2 7月

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07『枕草子 酒井順子訳 方丈記 高橋源一郎訳 徒然草 内田樹訳』



キャスティングの妙。
内容(「BOOK」データベースより)
「春はあけぼの…」一条天皇の中宮定子に仕えた宮中での生活を英知とユーモアの筆致で綴った平安の清少納言「枕草子」。「ゆく河の流れは絶えずして…」波瀾に満ちた人生を送り、鎌倉前期の大火や地震などの自然災害や人災に見舞われた体験を綴った最初の災害文学・鴨長明「方丈記」。「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて…」鎌倉末期の無常観に基づいた随想や人生訓を鋭い洞察で記した兼好「徒然草」。現代の名手による新訳・全訳で収録。
この日本文学全集については、角田光代さんによる「源氏物語」が気になっていて、買おうとかどうしようか、迷っていたのです。残念ながら「源氏物語」は、いろいろと気になる作品ではあるのですが、原文も翻訳も通して読んだことがない、この際だから大好きな角田光代さん訳でチャレンジしてみようかなという気になっていたのです。
そんなとき、目に飛び込んできたのが、これ( ^)o(^ )
ええええっ、内田樹センセイが「徒然草」を( ^)o(^ ) 酒井順子さんが「枕草子」を( ^)o(^ ) 、以下同分。
あまりにびっくりして図書館で借りて読んでしまいました。
タイトルにした「キャスティングの妙」とは、この巻の付録に寄稿された上野千鶴子さんの解説に付されたタイトルから借用したものです。
確かに。
んんんっ!と唸りたくなるような、意外性に満ちていて、でも、あああ、なるほど!と思わせる「キャスティングの妙」がここにはあると思われるのですが、、、、「徒然草」と「枕草子」をかなりの部分、読んでみたのですが、、、どこに「内田樹」と「酒井順子」はいるのかしら、、、いや、そもそも「翻訳」というものにそんなに役者の影が色濃く映りだしたりするものでもないか、、かつて橋本治の「桃尻語訳 枕草子」というものに接して衝撃を受けたことを今でもしつこく記憶している私にとっては、いやいや、「翻訳」というものも明らかにひとつの「創作」であることに違いはないんだと改めて思いつつも、でも、兼好や清少納言を千年後の世界に生き生きと再登場させることを前提にした作業が、そうそう個性的な創作として映るようなものにはならないんだろうな、そう落ち着きました。
しかしながら。
特に「徒然草」ですが、内田樹センセイも「あとがき」でおっしゃっていましたが、どうでもいいような雑文が意外なほどに多かった。すみません、「源氏物語」のみならず「徒然草」だって「枕草子」だって通して読んだことのないような私(大学の演習で「枕草子」や「平家物語」などは結構しっかり読ませられましたけどね、懐かしい( 一一))は、教科書に載るような作品をもって「徒然草」を「徒然草」とイメージしていたんですね。己の浅薄さを思い知るとともに、作品というものの全貌って、そう簡単につかめるものではないんだな、と。
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

誰もが知っている「徒然草」の冒頭ですが、実は本当に兼好さんって「あやしうこそものぐるほしけれ」な方だったようです。もう一回本気で読みたくなってきたぞ。今度は買うか( 一一)
1 7月

椰月美智子『さしすせその女たち』

さしすせその女たち
椰月 美智子
KADOKAWA
2018-06-22


私の妻の「さしすせそ」(@_@)
内容(「BOOK」データベースより)
39歳の多香実は、5歳の娘と4歳の息子を育てながら、デジタルマーケティング会社の室長として慌ただしい毎日を過ごしていた。仕事と子育ての両立がこんなに大変だとは思っていなかった。ひとつ上の夫・秀介は「仕事が忙しい」と何もしてくれない。不満と怒りが募るなか、息子が夜中に突然けいれんを起こしてしまう。そのときの秀介の言動に多香実は驚愕し、思いも寄らない考えが浮かんでいく―。書き下ろし短編「あいうえおかの夫」収録。
私は、多香実と秀介がそのまま離婚せずに暮らした十数年後を生きている、そんな冷汗を感じながら、この二つの小説を読み進めました。
このドラマで、最初に出てくる「さしすせそ」は、多香実の友人で、銀行員の夫と仲睦まじく暮らしている専業主婦の千恵が「夫婦がうまくいく秘訣」として多香実に語るものです。
「夫婦がうまくいく秘訣を教えてほしいわ」
「秘訣?」
 うん、と真面目にうなずく多香実の表情になにかを感じたのか、「あるわよ」と、いたずらっ子のように千恵がウインクをした。
「魔法の言葉さしすせそ、よ。さしすせそ、を使うの」
「さしすせそ?」
「さすが、知らなかった、すごい、センスある、そのなのね、のさしすせそよ」(p.53)
そういえば、今朝の黒木瞳さんの「あさナビ」でも、そんな傾聴スキルが話題になっていたな。
というか、私も、教育相談関係の業務をしていとき、いわゆる傾聴スキルの演習のようなものに立ち会うことがよくあって、家で試しに妻にいろいろとそんな傾聴スキルを試してみたら、びっくりするくらいいい夫婦のような会話になってしまって、、愕然としたことがありました。
日常的に使っているわけではない?
・・・・・はい。
この小説の秀介という夫、妻である多香実の視点で眺めていると、本当に腹の立つやつとして読めてしまうんですが、「あいうえおかの夫」の、秀介の視点でこの夫婦関係というものをとらえたとき、すべて共感できてしまい、いや、私をモデルにしたのか( ^)o(^ )と思えるくらいに、「私=秀介」なのでした、、、またまた愕然としてしまいます。
で、多香実も、私と同様に、家に帰って秀介相手に「さしすせそ」の多様を試みて大成功します。
 湯船に浸かりながら多香実は、にやけてしまう顔に湯をかけた。なんて単純なんだろう、と思ったのだ。さしすせそ効果てきめんだ。
 けれど実際、さしすせそを言葉にするには勇気がいった。なんで自分の方からおもねるようなことを言わなければならないのかと、くやしく思った。夫の機嫌をとるために、さしすせそを使う自分が、多香実はなんとなく嫌だった。
 それでも、返ってきたものの大きさに比べたら、さしすせそを言うくらい、なんでもないことのような気もした。ポジティブな言葉を口に出すことで、気持ちが穏やかになるのも事実だった。言霊というのは、本当にあるのかもしれない。改めて、千恵はさすがだと思った。(p.57)
しかし、多香実と秀介の日々はネガティブに転がっていきます。
夫に不倫され離婚した、多香実の友人である美帆との会話に、再び「さしすせそ」が登場します。
 多香実は、以前千恵から聞いた、さしすせそ、を美帆に説明した。
「友達のところは、それで家庭円満、夫婦円満よ」
 多香実の言葉に、美帆は恐れ入ったとばかりに、「ははーっ」と大げさに言った。
「わたしだったら、そうね。さようなら、死ね、簀巻きにしてやる、性癖最悪、そばに寄るな、かな」
 多香実は一瞬ぽかんとし、そのあとぶっ、と吹き出した。笑い過ぎて涙が出てきた。(p.110)
そして、多香実も美帆のように自分流の「さしすせそ」を作りだすのでした。
「砂糖切らしたから買ってきて。知らないじゃ済まされないわ。すっとぼけるのはやめて。責任感を持って。そろそろ本気で怒るわよ。かな」(p.111)
だんだん背筋が寒くなってくるのでした。
そして、妻が私に用意しているだろう「さしすせそ」を思い浮かべては、明日あたり、千恵オリジナルの「さしすせそ」でも使ってみようかな、と思うのでした。
しかしながら、効果があるとわかっていても、その魔法を使いたくない相手って、いるよなあ。
29 6月

西郷孝彦『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』



確かに学校のほとんどは惰性&慣性で動いている、かも。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1954年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立の養護学校(現:特別支援学校)をはじめ、大田区や品川区、世田谷区で数学と理科の教員、教頭を歴任。2010年、世田谷区立桜丘中学校長に就任し、生徒の発達特性に応じたインクルーシブ教育を取り入れ、校則や定期テスト等の廃止、個性を伸ばす教育を推進している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
前に工藤勇一さんの『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社 2018/12)という本を読んだことがありました。それなりにインパクトがありましたね。
というわけで、ここで取り上げるのは、昨年11月に出たもの、ただ、どちらも「学校の『当たり前』やめ」やめるという学校経営で一世を風靡した実践リポートのようなものでした。
西郷校長もいろいろと「学校の『当たり前』やめた」ようです。「桜丘中学校の際立った特徴」として次のようなことが列挙されています。
々斬Гない。
⊆業開始と終了のチャイムがない。
C羇屬箚末などの定期テストがない。
そ病蠅ない。
ド装・髪型の自由。
Ε好泪曄Ε織屮譽奪箸了ち込み自由。
登校時間の自由。
┝業中に廊下で学習する自由。
授業中に寝る自由。
授業を「つまらない」と批判する自由。(p.38)
ふむふむ。
実際、この春以来のコロナ禍は、現在の学校教育に対していろいろな課題を投げかけていて、「そもそも教育とは何なのか」「学校の本質はどこにあるのか」といったレベルから、多岐にわたる詳細な方法論まで、あるべき「ポスト コロナ of education」について問題提起が噴出しているところです。
実は、私も、現在、かなり普通とは違う高校に勤務しています。
そして、これまで長い時間勤務してきたいわゆる普通っぽい高校の「当たり前」が、はたして本当に尊重すべきものなのかと疑問に思うようなところが多々ある、そんな日常を過ごしています。
この著者がタイトルにも示されている「たったひとつの校長ルール」とありますが、西郷さんは「桜丘中学校の545人の子どもたちが、幸せな3年間を送ることができたら−−それが私の唯一の願いであり、そうすることが私にとっての唯一のルールです」(p.36)と言います。
先述した工藤勇一さんにしたって「達成すべき上位目標があって、それを実現させるための手立てとして考えたとき、それらが必ずしも必要なわけではないという発想から、『当たり前』に行っているものを見直していった」と語っておいででした。
しみじみと共感します。
現在の日本、いろいろな意味で化けの皮が剥がされつつあるような情況にありますが、教育だって、いろいろなレベルで制度疲労を起こしている、そして、教育改革と呼ばれるものが、少なくともそれを健全化させうるようなものにはなっていない、いろいろなところで、「当たり前」を擲って、文部科学省や教育委員会からのお咎めのない理想の学校教育を追求している、というところでしょうか。
20年後の学校教育は、どうなっているんでしょうね。
例えばN高校のような実践が日本の硬直した学校教育の在り方に大きな風穴を開けてでもくれたら面白いんですけどね。
さあ、今週もまじめに仕事しよう。
28 6月

朝倉かすみ『平場の月』

平場の月
朝倉かすみ
光文社
2018-12-13


「大人の恋愛小説」って、切ないな。
内容(「BOOK」データベースより)
朝霞、新座、志木―。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる―。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。
そういえば、朝倉かすみさんの『たそがれどきに見つけたもの』を読む前に、これを読んでいたのでした。
これを読んで、朝倉かすみさん再発見のような心持ちになって、読書熱が冷めて後読まずにいた本を探し出してあの短編集を見つけて読んだんでした。
朝倉さんのあのテイスト、いいですね。
簡単に言うと、登場人物それぞれが何だかリアルなんです。
つまるところ、小説の醍醐味って、そこじゃないのかな、という感じにさせせられます。
登場人物が嘘っぽいというのは、何も人物造形の筆致の力だけの問題じゃないんですよね。ある意味、その人たちが生きている時代、雰囲気、世相、その他さまざまなもので構成されている背景とどう折り合いをつけて生きているか、それをどう表すことができるかという力なんだと思います。
そういう意味で、朝倉さんが描いた「大人の恋愛小説」としてのこれ、何だか人物がという以上に、その関係性もドラマそのものも、湿り気たっぷりのリアリティが全面に流れていましたね。
湿り気たっぷりのリアリティを担保する時空としての、平場。
ある意味、内田樹センセイが棲息する「待場」のように、小説家としての朝倉さんが棲息するリアルの住処に名付けられたものこそ「平場」なのかな、そんな感覚になりました。
でも、須藤、ああ去るのか。
切ないなあ。

なお、一度久しぶりにアップした後今回続けてみましたが、過去に読んだものを思い出しながらアップさせていくつもりはありません。今回は朝倉さんつながりのスペシャル編。今後は、新たに読んで、それでここに来れるメンタリティがあるときに、来たいと思います。
26 6月

朝倉かすみ『たそがれどきに見つけたもの』

たそがれどきに見つけたもの
朝倉 かすみ
講談社
2016-02-23


コロナ禍に見つけたもの。
内容(「BOOK」データベースより)
人生の「秋」をむかえたおとなたちは、家族、恋愛、仕事のあれこれに、日々惑わされている。ほろ苦く、そして甘やかな、彼らの6編の物語。吉川英治文学新人賞作家の珠玉短編集。

超久しぶりに別宅にやってきてみました、二年以上のご無沙汰でした。
最初のスタイルをどうやってつくるのか、忘れていました。
どうして?
本を読むことはブログ閉鎖中も続けていました。
週に2〜3冊くらいは読んでいるんじゃないでしょうか。
でも、読めるのとブログまで到達できるのとではまるで違ってました、ランニングに対してかけるエネルギーが質量的に大きい、ということがまずは大きいんでしょうか。
で、どうしてここに戻ってきたのか?
それは、シンプルな理由です、朝倉かすみさんの『たそがれどきに見つけたもの』を読んで、私自身も「人生の秋=たそがれどき」を生きている一人だということが今さらながらに自覚させられ、というか、ランニングを軸に生きていると、これからますます自分が成長していくようなイメージの世界に生きていると、自分の「人生の秋=たそがれどき」を正しく把握することなく生きてしまうような気がして、そして、そんないい加減な永遠サマー野郎のような私には、とんでもないしっぺ返しが来るんじゃないかという寒々とした恐怖感が襲ってくるような気がして、とりあえず、ここに、朝倉さんのこの小説を読んだ痕跡だけは残しておきたいと思った次第です。
六つの短編、それぞれの主人公は主に五十代の女性、最後に置かれたものだけ主人公は五十代の男性、タイトルは「さようなら、妻」。
 妻が家を出て行ってから、利一郎がもっともよく思い出すのが、出会ったころの妻だった。
「まあ、こんなもんですよ」
 利一郎は店主の妻に言い、ビールを飲んだ。店主の妻がビールとともに運んできた肉豆腐も食べた。全部食べて、店を出た。深い海のようなところに潜りつづけている。潜っても潜っても底に着かない。真っ暗にもならない。そしてときどき風が吹く。(pp.196-197)
突然妻に出て行かれた林田利一郎が初めて一人で訪れてみた居酒屋をでるシーン、何だかとても強く響いてくるものがありました。
この本に帰ろう。
記事検索
Categories
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
日めくりカレンダー
Profile
お気に入りは・・・
ランニング&日本酒
ありがとう、コメント
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
新刊.net
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ