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時折書房

時折書房が目指すは定常開放系。コメント&TB大歓迎。

27 2月

堂場瞬一『独走』

独走
堂場 瞬一
実業之日本社
2013-10-26


祝祭は自分の体の中から溢れてきて、周囲をその色に染める。
内容(「BOOK」データベースより)
五輪柔道金メダリストの沢居弘人は、スポーツ省から、国の特別強化指定選手「SA」の陸上選手・仲島雄平のサポートを命じられる。仲島は実力はあるもののメンタルが弱いという致命的な弱点があった。「金メダル倍増計画」を掲げ莫大な予算でアスリートを管理育成する国で、選手は何を目的に戦うのか。オリンピック、ドーピング問題、引退後の人生設計…現代スポーツ界が抱える様々なテーマを内包して物語は疾走する!!
堂場瞬一さんの長距離ランナー小説、まだ残っていました。長距離走そのものというより、オリンピック至上主義的思想に焦点をあてているようなところがありましたが、十分楽しめる一冊でした。スポーツ行政というものの実際がどんな感じなのか、ネットでいろいろ調べてみたりしましたが、当然のことながら、この小説に描かれているような内実に迫る情報は探せませんでした。いずれにせよ、一流アスリートのメンタリティーというものに興味を掻き立てられながらの読書でした。 
一流アスリートの人生って、なかなか難しいものなんでしょうね。
実際に一流アスリートであるさ中において、一流と認められるがゆえのアイデンティファイを余儀なくされるということが起こるんでしょう。自分という人間が単なる個人としてどうにかできる存在ではなくなっていく中で、そういう環境でうまく処世していくことができる別な人格を用意する必要が出てくることは想像に難くありません。そこに、プライドをうまく育てていければそれはそれでいいのかもしれませんが(仲島くんの場合は、沢居さんとは異なり、そこに一つの折り合いを見出せなかったわけではありますが)。
かといって、一流とはあくまでアスリートとしての価値づけであり、アスリートはいつまでもアスリートでいられるわけではない。アスリートとは別の何者かにならざるを得なくなったときに、そのかつての一流アスリートが、引き続き何かの一流でいられる保証などどこにもないわけで、一流というプライドをもってアイデンティファイしてきた自画像を別な次元に設定しなおすというのもなかなか簡単なことではないんでしょう。とはいえ、一流アスリートの中でも超一流クラスとなると、人間そのものが磨かれていて、人間として一流になっているみたいに感じるケースも多々あります。先日読んだ高校部活動の指導者の本に伏流していた思想とも通じることですね。
それにしても、仲島くんの日本国への造反劇はうるわしいひとつの覚醒劇へと変化していきました。
 祝祭だ。
 オリンピックのように派手に演出され、何万人もの目が見守る中で走ることこそ、祝祭−−お祭り騒ぎなのだと思っていたのだが。
 違う。
 祝祭は、自分の体の中から溢れてきて、周囲をその色に染めるのだ。
 行こう。誰もいないこの道を。四百メートルのトラックを淡々と二十五周回るだけなのに、今、仲島は果てしなく真っ直ぐ続く道を走っているような気分になっていた。行き着く先がどこかは分からないが、ゴールした時に絶対に後悔しないことだけは、確信できた。(p.370)
千葉すずを思い出しました。
藤原新や川内優輝も浮かんできました。
一流アスリートとは、選ばれた特別な人たち。その人生のかたちも、平凡な者たちのそれとは異なる、振り幅の大きなものにならざるを得ないんでしょう。
23 2月

「ランナーズ 2017 APRIL 4」



練習見直しの重要なポイントをいただいたのかもしれない。
内容紹介
脳をご機嫌にしてフルマラソン快走!
「ランナーズ」という雑誌を定期購読しています。
4月号が月曜日に届きました。届くやいなや熟読スタート、一度読み終えた雑誌は、勤務先に持ち込んで昼休憩時間に各種ストレッチ&トレーニングをしながらの復習三昧になります。
さて、そうは言っても、今号はいつもよりは低いモチベーションのままページを繰っていました。というのも、正月ランの際に発症した梨状筋症候群による坐骨神経痛がなかなかなおらず、つい先日、3月にエントリー済みのフルマラソンのDNSを決めたところだったのです
と、ところが、そんな私はある特集ページに釘付けになりました。「キロ8分のジョギングで自己ベストはらくらく達成!?」と題された記事です。「ゆっくり走れば速くなる」というやつかなと読み進めてみると、Takeアスリート鍼灸院長の田中猛雄さんの次のようなコメントが紹介されていました。
「サブフォーを狙うから、普段からキロ5分30秒〜6分で走ったり、サブスリーを狙うからキロ4分〜5分でジョギングをしている。こうしたランナーって意外と多いんです。それが自分にとって心地よいリズムになっているということもありますし、ランナーは真面目な人が多いから毎回『今日は頑張った』と感じたいのだと思います。でも、それって本当は身体に疲労を溜めているのかもしれません。多くの人が普段はもっとゆっくり走れば速くなるんですよ」(p.19)
どきりとしました。まさに私に宛てられたアドバイスのように感じられたのです。
私、最近始めたランニングブログにこんなふうに書いておりました
・・・私、今年の1月3日に坐骨神経痛を発症するまで・・・いたって順調だったのです。特に自分としていい感触をつかめているなと思えていたのは、このくらいのペースならどこまでもいけそうという自分としてのペースがつかめそう、この感触が確実に自分のもになったらその先にはいろいろな花が咲きそうだな・・・・・という予感があったのです。だいたい5:15/km前後。具体的に言うと・・・
12/25(日) 26km ペース5:13/km 12/30(金) 20km ペース5:09/km
そして、30kmジョグを予定していた、結果的に坐骨神経痛を発症してしまった1/3(火)も、13kmまでは、5:13/kmで快調に走れていたのでした。正直、このペースを体に刻みこんでいって、そこからイメージするレースペースにレベルアップさせるのは、自分としてはかなり現実的に思えていたのです。
私の坐骨神経痛発症は、きっとなるべくしてなったものだったんだろうと、今は感じます。本当の意味で体ができていない段階なのに調子に乗って夢のような成長曲線を思い描いていたということなんでしょう。ランニングの師匠からもご指摘をいただいたばかりでした。
さて、ここでは、ゆっくりジョグの効能についても具体的に説かれます。
 ゆっくりジョギングでは、全身へリンパや血液をじっくりと送り込むことができます。これが身体の内側にたまっている疲労物質や炎症物質、老廃物を外側へ押し出すことにつながり、身体の細胞を元気にすることができます。さらに、のんびりしたペースで走ることでリラックスでき、心(脳)も活性化するので、前向きな気持ちになっていきます。(p.20)
ここには引きませんが、ゆっくり走ることで、速く走ったときには見過ごされるようなレベルの身体の点検ができるということにも触れられていました。むむむっ。
そして、具体的に「どのくらいの速度で走るか」「どのくらいの距離を走るか」についてのレクチャーが続きます。
・・・どのくらいゆっくり走るのかという具体的な方法を説明します。ペースはいたってシンプル。現在の自分が「全力で1km走ったタイムの2倍」を目安にジョギングするようにしてください。・・・どのくらいの距離を走るかですが、これは頑張る練習をどのくらい行うかによって変わってきます。目安としては、ポイント練習やレースなど、頑張った練習の2倍以上がよいのではないかと思います。つまり、日曜日に10kmペース走をした場合、次のポイント練習もしくはレースまでに20km疲労抜きゆっくりジョギングをするべきです。(p.21)
これまで自分がやっていたトレーニング感覚からするとちょっと驚きです。へーっ、ほんとかな、という感じなのですが、ただ、かなり深刻な坐骨神経痛に悩まされているということが厳然たる事実である以上、この着眼点を大事にしないわけにはいきませんよね。

今は痛みが完全に消えていないので走らないでいますが、痛みが完全に消えてゆるゆると走り始める際の大事なポイントとさせていただきたいと思います。
なお、今日の記事は、内容から考えて、ランニングブログにも載せておきたいと思います。
22 2月

畑喜美夫『子どもが自ら考えて行動する力を引き出す 魔法のサッカーコーチング』



"教えない"指導が子供の自立を育む。
内容紹介
“教えない"指導が子どもを変える! 自主性を促す組織づくりで絶対につぶれない「人間力」を磨く! 『個』と『組織力』をともに底上げする新理論。本書はスポーツの育成現場に立つ指導者や教師、また子育てに悩むお父さん、お母さんにも参考となる一冊であり、畑先生が、子どもの自立や人間力を育む教育を余すことなく、具体的に解説、そして提言していきます。
著者について
畑 喜美夫(はた・きみお) 1965年11月27日生まれ。広島県出身。広島県立安芸南高校教諭。小学生時代から地元・広島の広島大河フットボールクラブでサッカーをはじめ、東海大一高校(現・東海大翔洋高校)、順天堂大学でプレー。全日本ユース代表を経験、大学では総理大臣杯、全日本インカレ、関東選手権の3冠をとった。大学卒業後は、広島に戻って教鞭をとる一方で、広島大河フットボールクラブの小・中学生をサッカー指導。1996年に県立広島観音高等学校へ赴任し、同校サッカー部監督として指導。選手の自主性を促すコーチング術を取り入れ、2006年に広島観音高校サッカー部を全国優勝に導く。日本サッカー協会A級ライセンス、元U-16日本代表コーチ。
すぐれた教育実践に魔法など存在しません。それが魔法であるかのように見えてしまうのは、そのすぐれた教育実践の何がすぐれているのかが理解されないから、に他なりません。
先日世羅高校陸上部の指導者による本を取り上げましたが、今回も、高校の部活動指導者による実践と提言の書です。高校の部活動では、体罰がなかなかなくなりません。私が勤めている県においてもつい先日体罰による懲戒処分が複数発表されたばかりでした。アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)の促進が急務と叫ばれる(ここ数年いろいろと迷走も生んできた「アクティブ・ラーニング」ですが、小中の学習指導要領案も出て、いろいろな面ですっきりしてきた感があります。「アクティブ・ラーニング」という語をあえて用いないという決着となりました。)中、旧態依然の、生徒を徹底した受身にまわらせる指導がなくならないという現実があるのです。
この方の「教えない指導」、前述した世羅高校の岩本真弥先生のそれとは雰囲気こそ違え、感動的な徹底ぶりでした。両者に共通するのは、その指導によって生徒をどう育てたいかというゴールの設定にブレが微塵もないことです。二人とも、本気で生徒たちに自ら力強く未来を生き抜く力こそを身に付けさせたいと考えていて、その強く熱い思いにブレがない分「教えない指導」は徹底されるということなのでしょう。その覚悟を、こんなところから引いてみます。
・・・たとえば、暴力をふるう指導者がいるとしたとします。確かに子どもたちに強烈なインパクトを残せるかもしれませんが、それが伝染していくことがよいでしょうか。いまひとつ、指導や教育に何が大切か考えてもらいます。
 子どもたちがみんなプロのサッカー選手になることができるのであれば、それが一番です。しかし、そう簡単に人生はうまくいくものではありません。
 でも私は、「自主自立」のコーチングで人間力を磨くことによって、個々がうまくなると感じていますし、チームもしっかりまとまりをもつことができると信じています。子どもの可能性をいつ信頼しながら、創造性あふれる子を育てていきたいと思います。
 ”サッカーはサッカーだけでうまくなるのではなく、サッカーはすべてでうまくなるのです”
 それが私の魔法のサッカーコーチングです。(p.174)
「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」という思想を思い出しましたが、それとこれとは次元が違うか。むしろ、私もかつて高校で野球部を指導していた時に「生活が野球に出る」という言葉を部活動のメインテーマに掲げていたことなどを懐かしく振り返りました(でも、私の場合本当の意味で強いチームは作れませんでした。徹底性の問題でしょう)。とにかく、急がば回れ。やっていることの真の目標をベースに指導ということを考えれば、そこに行きつくしかない、ということなんです。
しかしながら、この本には、畑先生が積み上げてこられたボトムアップ理論が詳細に解説されていました。世羅高校の岩本先生もおっしゃっていたことですが、生徒を(に)「信じる」「認める」「任せる」ために指導者がやらなければならない一番大事なこと、言い換えれば、身に付けていなければならない一番大事なことは、生徒を適切に見ること、生徒を適切に把握していること、です。畑先生は、「子どもたちの変化をどう気づけばよいか、悩む方もいるかもしれません。子どもたちの変化に気づくポイントとしては、ゝ離感、角度、タイミングが重要です。」(p.120)とおっしゃって、それぞれのポイントについてこう解説されます。
「距離感」というのは、子どもたちが考えているときは、少し距離をとって自分たちで話し合わせて、子どもたちで解決できるようであれば、そのまま距離を取って遠くから見ています。でもどういう状況になっているかは、聞こえてくる距離に立ち、耳を傾けています。そして子どもたちだけでうまくいかないときは、近づいてヒントを与えたりするということです。
「角度」というのは、いいところも、悪いところもあるというところをトータルで見てあげるということです。
「タイミング」は、子どもたちが何か発想して動き出した瞬間を待つということです。動き出す前にいってしまうと、子どもたちの成長という視点では、発想をするチャンスを奪ってしまいます。そこは注意深く見守ります。(pp.120-121)
ある方がある研修会でおっしゃっていた言葉を思い出しました。「子どもたちをよく見ていれば間違うことはない。ただ、工夫していなければよくは見えない」と。また、そうおっしゃった方は「教員は技術者である」ともおっしゃっていました。生徒をよくみるためのスキル、そして、そのスキルを身に付けるための前提としての覚悟の重要性。「教えない」ことが豊かな学びを生む回路を作り出すためには、それこそ相当の覚悟と準備が必要なんだと思います。でも、もう、それは、一部のカリスマにだけ開かれるようなものであってはならないのです。
また、畑先生が指導されるサッカー部においては、選手の起用や練習メニューの作成は選手の手に委ねられています。興味深かったのは、その前提としての共通理解のあり方でした。
 子どもたちに選手起用の全権を預けているわけですが、監督である私と子どもたち、それからスタッフで共通認識、基準は当然必要となります。その優先順位は次のとおりです。
 ー匆饑  賢さ  上手さ  ざさ  ヂさ
 普通はの「上手さ」が優先順位の一番というのが多いでしょう。けれども、私は,痢崋匆饑」を最大に重要視しています。将来、大人の社会でも自分をもって立ち向かっていってほしいですし、そのためにも人間力を磨いてもらいたいからです。これは、広島観音高校で指導を始めた頃、選手たちと相談して決めました。(p.107)
うるわしすぎます。
´△最上位をしめるうるわしさもさることながら、きイ僚膂棉佞韻砲發Δ襪錣靴ぅ瓮奪察璽犬ふくまれていますね〜。あああああ、部活動指導したくなったな〜。ホントか?!
21 2月

池井戸潤『陸王』again

陸王
池井戸 潤
集英社
2016-07-08


複数のビルドゥングスロマンの交錯劇。
内容(「BOOK」データベースより)
勝利を、信じろ。足袋作り百年の老舗が、ランニングシューズに挑む。このシューズは、私たちの魂そのものだ!埼玉県行田市にある老舗足袋業者「こはぜ屋」。日々、資金操りに頭を抱える四代目社長の宮沢紘一は、会社存続のためにある新規事業を思い立つ。これまで培った足袋製造の技術を生かして、「裸足感覚」を追求したランニングシューズの開発はできないだろうか?世界的スポーツブランドとの熾烈な競争、資金難、素材探し、開発力不足―。従業員20名の地方零細企業が、伝統と情熱、そして仲間との強い結びつきで一世一代の大勝負に打って出る!
先週の金曜日、退勤しようとした時、あっ、通勤の途中に読んでいた新書を読了してしまったんだっけ、帰りの電車&地下鉄で読む本がないと気づいたほ私は、デスクの脇に積み重ねていた本の中からこれを抜き取ったのでした。再読です。
すると、、、いきなり、おもしろい。というか、前に読んだ時の記憶が結構飛んでいる?! 調べてみると、最初に読んだのが8月中旬、ちょうど半年ほど前だったのですから、そんなものでしょうか。というわけで、土日かけて今朝ようやく読了しましたが、ああ、おもしろかった。最初に読んだとき以上におもしろく読めた気がします。
何と言っても、池井戸潤作品的爽快感。正義は勝つ!勧善懲悪といっていいほどのシンプルで明快な構図と、溜飲の下がり方の痛快なダイナミズム。アトランティスの小原部長と佐山、埼玉中央銀行の家永支店長と大橋。確かに池井戸ドラマに欠かすことのできない悪役でした。
それに加えて、今回は、ビルドゥングスロマンともいえる成長物語の綾が、いつもの痛快劇をより味わい深いものにしていたように感じました。ビルドゥングスロマン?と言っても、メタフォリカルなレベルも含みます。というのも、茂木の成長物語であり、大地の成長物語であるだけでなく、こはぜ屋と宮沢のメタモルフォーゼ譚でもあった、のではないでしょうか。単にもともとそういう資質を持っていた者が正義の力を見せつけるというのではなしに、チームとして覚醒と挑戦を続けていく中で、それまでのり自分を脱皮していく、そのドラマの交錯劇にこそ、この小説の真骨頂があったのだと思います。
 宮沢はいった。「ビジネスというのは、ひとりでやるもんじゃないんだな。理解してくれる協力者がいて、技術があって情熱がある。ひとつの製品を作ること自体が、チームでマラソンを走るようなものなんだ」(p.337)
さて、『陸王』はTBSで今年の10月にドラマ化が決まっています。「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」「下町ロケット」と展開してきた日曜劇場で、ほぼ同じスタッフによるドラマ化、宮沢社長を役所広司、こりゃあ、間違いないですね。できれば、茂木役をしっかり走れる俳優を起用してほしいところですね。
17 2月

岩本真弥『駅伝日本一、世羅高校に学ぶ 「脱管理」のチームづくり』



世羅の底知れなさ。
内容(「BOOK」データベースより)
全国高校駅伝大会で最多9回の優勝を誇る広島県立世羅高校。人口わずか1万7千人の田舎町の学校は、なぜこんなに勝ち続けられるのか?最強チームを率いる指揮官が、独自の指導論から学校を取り巻く環境、街の文化や魅力などあらゆる角度から、日本一の秘密を明かす。同校OBで、箱根駅伝2連覇を果たした青山学院大学陸上競技部・原晋監督との特別対談つき。
ランニングにはまってきて、実際に走るだけじゃなく、雑誌を定期購読して読み耽ったり、また、それまで以上にマラソンや駅伝の中継を興味深く観たりしていたのですが、高校駅伝まではその範囲に入っていませんでした。ですから、世羅高校というのは、駅伝で聞いたことがあるな、程度の認識しかありませんでしたから、その内容は非常に新鮮でかつ興味深いものでした。
ランナーに対する褒め言葉は「速い」より「強い」−−三浦しをんさんの『風が強く吹いている』を読んだときに印象に残った思想のかたちでした。世羅高校を常勝軍団につくりあげた岩本先生も、「正直なところ、私はたた"速い選手"を求めているわけではない。・・・私は生徒たちに"強い選手"になることを望んでいる。」(p.56)とおっしゃる指導者でした。そして、岩本先生は「強さ」についてこうおっしゃいます。
 では強さというのは何だろう? 私は心がブレないことだと思う。どんな状況にもあわてないこと。想像してない事態にぶつかっても、あきらめず、腐らず、自分の頭で考えて冷静に対処できること。私が言う強さとは、つまり"心の強さ""メンタルの安定"であり、そういう選手が最終的には結果を残せると思っている。(p.57)
『デッドヒート』の走水剛や『風が強く吹いている』のハイジが眼前に蘇ってくるようでした。それだけ、長距離走という競技がある意味特殊な競技性を有するということなんでしょう。確かに、私もかけだしの市民ランナーとして、何となくわかるところがあります。走り続けているということが、長距離走者としての資質能力とは何かという問いと向き合うこと、のように思うところがありますもの。
しかしながら、この方の指導にはびっくりしました。言い方がダメですね、この方、ほとんど指導らしい指導をしないということが指導上の最大の特徴なんです。練習中ほとんど何も言わない、ミーティングなどほとんどやらない。それも、走った距離は嘘をつかない的な価値観が支配的なこの世界において、毎日の練習時間は一時間半までと決めている!と。まるで魔法です。マジシャン・岩本、そんな境地に至った経緯について、こう語られます。
・・・私は決めたのだ。指導方針の中心に"自主自律"というテーマを置くことを。言われたことをただやるのではなく、自分の頭で考え、自分で行動できる生徒を作っていこう、と。
 そこからである。私がグラウンドの中で選手たちに何も"言わない"ようになったのは。
 当時もうひとつ考えたことがある。私はそのとき、自分が関わるすべてのことに対して「それは選手のためなのか? それとも監督の自己満足のためなのか?」ということを洗い直してみた。
 そうすると管理型の教育というのはしょせん教師の自己満足じゃないかというふうに思えてきた。生徒全員が同じ格好をして、同じように声を出して、一糸乱れず行動する。それを見た周囲の人たちは「すごいですねぇ。先生の指導が行き届いてますねぇ」と称賛の声をあげる。美しい統制。見事なまでの従順−−。
 しかしそれは本当に生徒のためになっているのか? 卒業後、世の中に出たときそこで学んだことは通用するのか? "真の"強さ"とは一体何なのか……。
 そこから私は生徒を管理することをやめた。マナーなど最低限のルールは必要だが、世の中で通用しない余計な縛りはすべて排除して、その上で生徒たちに何をしてやれるのかということを考えるようになった。(pp.114-115)
本当の意味で将来の生徒のためになることを行うことこそ、本当の指導、本当の教育。当たり前のようなことなんですが、その理解から、こんなところに誰もたどり着かないのはどうして?
15 2月

新津きよみ『夫以外』

夫以外 (実業之日本社文庫)
新津きよみ
実業之日本社
2016-04-06


「夫以外」に誘われて・・・。
内容(「BOOK」データベースより)
夫が急死した40代女性。子もなく、未亡人となった彼女は、遺産相続人となった亡夫の甥に心ときめいてしまい…(「夢の中」)。共通の趣味をもった男友達がきっかけで離婚された女性が、子連れで実家へ戻ると、父の再婚話が待っていた(「セカンドパートナー」)など、大人の女たちの日常が舞台となるミステリー。驚きのラストが読ませる全6編。
初新津きよみさん。タイトルからの興味、でした。
で、う〜ん。「ミステリー」という枠組みが前提としてあるからでしょうか、登場人物の深み、陰影の描かれ具合は何となく中途半端な感じで、タイトルから想像させられた興味からすると、ちょっと淡白な味わいかな。特に男がどいつもこいつもステロタイプ。ミステリーはやはりミステリーなんですね。
10 2月

金哲彦『マラソンの練習法がわかる本』



マラソンの練習はわかってきたんだけどなあ。
内容(「BOOK」データベースより)
マラソンは、ただ距離を走っても、単調な練習をくり返しても、タイムを伸ばすことができない!闇雲な練習はケガの原因にもなり、なにより効率が悪い。そこで必要になるのが、もっと楽に、ケガも少なく、効果的な練習メニューだ。本書は、超人気コーチ金哲彦が、「完走」「サブ4」「サブ3」をめざすランナーに、目標達成するための「100日練習メニュー」を教える本である。練習メニューの意味を理解して実践すれば、着実に変わっていく走力を体感するはず!時間がない人のための最短1カ月メニューも特別掲載。自己記録更新に、必ず役立つ一冊だ。
金哲彦さんの本は4冊目かな。
もう似通った本は何冊も読んでいて、目新しいことは特にないのです。ないんだろうな、とは思っていても、何となく手にしてしまうのは、何ででしょう。
あとがきが熱く気合の入った言葉でまとめられていました。
「マラソントレーニングとは、自分自身の身体を自らの見識とイマジネーションでつくり上げる、アート制作のようなもの」
 そんな風に考えると、1日1日のトレーニングもより充実し、かつ楽しくなるだろう。丹精込めてつくり上げた世界にひとつだけの作品は、レースという発表会で多くの人の目に触れ、感動を生むことができる。(pp.230-231)
・・・・・・・・。
アート制作とはずいぶんきましたね。ただ、その前の「マラソントレーニングとは、自分自身の身体を自らの見識とイマジネーションでつくり上げる」もの、というのは、ふむふむ、なるほどその通りだなと思いました。
  身体=トレーニング×(見識+イマジネーション)
ちょっと違うかな?
でも、私が感じるのはこの大人の部活の楽しさ。最大のポイントは、トレーニングによって身体を強くし成長していくアスリートと、その成長をもくろむためのトレーニングをプランニングしたり、鼓舞したりするコーチとが、同一人物であるというところなんでしょう。そこでは、イマジネーションという要素も確かに大事です。イマジネーション、想像力とは、私が察するに、見えないものを把握しようとする力。イマジネートされるべき対象は、わくわくする未来やなまなましい身体、それに、ランラニングが自分にもたらすいろいろな恩恵や犠牲。

さて、最近、故障して走れない時間が増えるにつれ、私にとってのランニングがより大きなものになってきている感じがあります。そこで、こちらの読書ブログはそのままに、ランニングブログの開設を考えてみます。日々のランや走れないことをずらずら綴っていこうかなと思います。右側にリンクをはりつけました。もしよければ覘いてみてください。
8 2月

中島たい子『がっかり行進曲』



「がっかり」は成長の一過程。
内容(「BOOK」データベースより)
運動会、合唱祭、学芸会、遠足、大切な日に限って発作が。おかげで学校にちょっと馴染めない。勉強も運動も不得意だ。こんな私でもおとなになれるかな?悩める中高生におくる青春小説。
これは読むべき小説では?と嗅覚が反応して、手に取ってみました。久しぶりの中島たい子さん、です。
最近不登校やら学校不適応やらに関心があります(笑)。
不登校をテーマにしたある講演会で、精神科医をされている講師の先生は「まずは『楽しいひきこもり、楽しい不登校』を目指しましょう」と語っておられました。また、ある不登校研究の論文の中に「不登校は成長の一過程である」という言葉を目にしました。
不登校の子供の身になって大人がその子供に接することの大切さ、むずかしさ。家族にしろ教員にしろ、大人側の都合、大人の論理をまずはひっこめて、今目の前の子供がどうなっているか理解しようと努め、その心に寄り添い、受け容れること。むずかしいけど、それしかないんでしょう。
この小説の主人公は、まさに学校不適応の症状に悩み苦しむ女の子です。ただ、小学6年生のとき、ふとしたことでビートルズの「Let It Be」との衝撃的な出会いによって、「そのままにしときなさい」「なにもするな」・・・という神様のご宣託に新しい光を見出します。その後、音楽を聴くことに自分らしさの感触を得ていくのですが、中学生になった頃に母親と衝突します。
「毎日を元気に暮らす方が大切でしょ。なんで、もっとふつうにできないの?」
 ため息をついてママは言った。わかってないな、と思った。
「ふつうになれないから、こまってるんじゃん。わたしにどうなってほしいの?」
「どうなってほしいとかじゃなくて、ただ、あなたのためを思って、こうしたら? って言ってるだけ」
「そのままでいいよ、ってなんで言ってくれないの?」(p.121)
母親の苦しさはよくわかります。そういう言葉を選択せずはにおれない感覚、痛いほどよくわかるのですが、それが、本当の意味で子供が欲している言葉じゃないんだということも、このドラマに身を浸していると、よ−くわかるのです。母親の言葉には「子供のため」と言い切れない、どこか「自分のため」という思いが溶け込んでいるのです。そして、母親が最終的に何を望んでいるのかを考えれば、採られるべきは間違いなく子供の感覚の方である、んです。
さて、このドラマ、主人公が小学生から高校生までが主に描かれます(「主に」の意味するところはあえて言及しません)。その高校時代、主人公の女の子は、小学時代から中学時代までを同じ学校で微妙な距離感をもってともに過ごしたある男の子が、突然異国の地で亡くなってしまうという事態に遭遇することになります。そのショックもあり女の子は高校に登校することがむずかしくなっていました。そのお別れの会に参列した女の子、その会で出会った小学校時代の恩師と帰り道に言葉を交わします。ひどく長い引用になるのですが、ずっと記憶していたい大事なものがつまったくだりなので、備忘録的に引いておきます。
「佐野さん、あまり学校に来てないみたいだね、体調悪いの?」
 駅に向かって歩く道で、先生から聞いてきた。
「いえ、体は元気です。・・・・ぜんそくのせいにしてたけど、もしかしたら昔から、わたし登校拒否児だったのかもしれない」
 わたしが冗談ぼく言うと、先生も、そうかぁ、と笑った。
「学校が、面白くないのかな?」
「っていうか、なにをしていいか、わからないんです。ただ勉強しろと言われても・・・・」
 そうか、と先生はずり落ちてくるショルダーバッグを肩にかけなおした。
「夢はないの、と親に言われるけど、わからない」
 そうか、と先生はくり返した。
「得意なこともないし。・・・・わたしが得意なことって、がっかりすることぐらい」
 そう言うと、先生は急に、目を大きく開いて、
「ふーん、『がっかり』ね!」
 ぱちぱちと面白そうに瞬きをした。わたしは笑って続けた。
「がっかりするのが仕事になるなら、プロになれるくらいですけど。それでお金を稼げる職業なんてないから」
 二宮先生は笑わないで、首をかしげた。
「そうかな。がっかりする、ってことはとても大事なことだよ。たくさんがっかりして、人は成長していくんだから」
 顔のシワは増えたけど、先生の声は変わらずはっきりしていた。
「何かになるばかりがゴールじゃないんじゃないかな。たくさんがっさかりしたってことは、お金より、職業よりも、その人を支えてくれるかもしれないよ」
 今度はわたしがぱちぱちと瞬きをした。先生は、また大きく息をついた。
「・・・・大島光樹くんが亡くなったことは、本当に悲しい。どうしてこんなことになっちゃったのか・・・って思う。本当にがっかりだ」
 でも、と先生は言った。
「このがっかりは、大切にしなきゃいけない。彼の思い出や、作品や、楽しいこともすべてが、がっかりには入ってるからね」
 胸がつかまれたように苦しくなった。ぜんそくの発作ではないのに、のどがつまって声が出なかった。二宮先生は、笑顔になって、わたしに告げた。
「佐野さん。もっと、自信を持ちなさい。たくさんがっかりしたんだから、きみは無敵だよ。もっと堂々としてなさい」
・・・・はい。小学校の卒業式のときと同じようにわたしは小さく返した。でも上を見上げていた。堂々としろと言われたからだ。久しぶりに雲がない空を見た気がした。うすい青色だった。
 光樹くんが死んじゃって、悲しい。
 わたしは心の底からそう思った。そしたら、とても気持ちがらくになった。がっかりしながら、歩いて行けばいい。行き先がわからなくてもいい、そのままでもいい。でも、堂々と行こう。(pp.145-148)
がっかりは成長の一過程。LET IT BE。何であれ堂々としておればよし。周囲の大人が子供をその子供なりに堂々とさせてやれ。
合掌。
7 2月

宮下奈都『たった、それだけ』

たった、それだけ (双葉文庫)
宮下 奈都
双葉社
2017-01-12


何だか中心がずれ続けるような、妙な感じ。
内容(「BOOK」データベースより)
「逃げ切って」。贈賄の罪が発覚する前に、望月正幸を浮気相手の女性社員が逃がす。告発するのは自分だというのに―。正幸が失踪して、残された妻、ひとり娘、姉にたちまち試練の奔流が押し寄せる。正幸はどういう人間だったのか。私は何ができたか…。それぞれの視点で語られる彼女たちの内省と一歩前に踏み出そうとする“変化”。本屋大賞受賞作家が、人の心が織りなす人生の機微や不確かさを、精緻にすくいあげる。正幸のその後とともに、予想外の展開が待つ連作形式の感動作。
不思議なドラマでしたね。
ペースがなかなかつかめませんでした、というより、最後までつかめなかった、と言ってもいいかもしれません。私からすると、宮下さんはあくまで反=感動作を書こうとされたんじゃないでしよぅか。というのも、最初、「ペースがつかめなかった」と言いましたが、「ペース」というより「中心」と言った方が適切だったかもしれません。
しかしながら、だからといって、この作品がおもしろくなかったというわけでもないのです。それぞれのドラマにおける「たった、それだけ」が駆動していくささやかなドラマ、でも、そのささやかなドラマが連なっていくうちに、確かにドラマは微妙な軌跡を描いていくのでしてた。
そういえば、宮下さんには『誰かが足りない』という味わいのある群像劇がありましたね、何となく通い合うところを感じました。
5 2月

白方健一『マラソンは3つのステップで3時間を切れる!』



トレーニングとレースの三つのステップ。
内容紹介
◎藤原新選手推薦! 「サブ3を達成できた」「30劼諒匹鮃酩できた」「練習が効率的になった」――など、早速、大反響!
大変てて勉強をさせていただきました。ありがとうございます。
トレーニングの三つのステップ。「準備期」(一か月)、有酸素能力と筋持久力アップをねらう「走り込み期」(一か月)、そして、「仕上げ期」(一か月)というもの。なるほどなるほど、です。不整地コース、クロカン、トレランの勧めあたりが新鮮でした。
次に、レースの三つのステップ。1回目は、レースの全長を3分割して、〆能蕕10kmをレースペースプラス30秒で走り、10-40kmの30kmをレースペースで走り、最後の2.195kmはレースペースマイナス10〜15秒で走りきる、というもの。2回目は、レースペースでひたすら押していく。そして、3回目は、スタートとラストの5kmをレースペースマイナス5秒程度で走り、その間をレースペースで走る、というものでした。なるほどなるほど、その三つのレースを経れば何がどういいのか、あまり明快な根拠はなかったのですが、いやいや、なかなかおもしろいかも。
3月中旬にフルマラソンデビューを控えている私は、12月から2月中旬くらいまでたっぷり距離を踏み、2月中旬くらいからそこにほんの少しスピードも意識して、フルの走りをつくろううと漠然と考えていたのですが、正月に坐骨神経痛を患ったことで、すべては白紙となってしまっています。ここからは体との相談をしながらですので、現時点でこれらの教えをどう生かせるかは全くの未知数ではありますが、健やかな心身を取り戻せたときは、大いに参考にさせてもらいたいと思います。
また、興味深く感じた内容を目次の項目から拾っておきます。
○脚筋力と有酸素能力の成長には時間差がある
○ジョグの終わりにウインドスプリント
○お風呂はランナーの"プチ治療院"
○入浴と睡眠をつなげてコンディショニング
○硬くなった筋肉の柔軟性を回復
○"アミノ酸ローディング"も忘れずに
○レースはジェルを3つ携行
以上です。早く思う存分走れるようになって、いろいろ試してみたいいもんです。
この本に帰ろう。
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