henry_mania

時折書房

時折書房が目指すは定常開放系。コメント&TB大歓迎。

23 3月

「ランナーズ 2017 MAY 5」



私の真っすぐも真っすぐではないかも。
内容紹介
フルマラソン3時間30分切りを達成
今号は大変染みわたってくるような内容でした。
まずは「3時間30分を切る秘訣は?」という特集。フルマラソンデビューを5月に控えている私としては、一発目でのサブ3.5は到底無理ですが、何とか二度目に走る秋にはチャレンジしたいと思っています。ですから、ピンポイントでサブ3.5にしぼった特集、ついつい凝視してしまいました。
そしてもう一つ自然と引き込まれてしまったのが、「50歳過ぎると『痛み』は突然やってくる!」という特集でした。この中で、鍼灸師として多くのランナーを治療されてきて、本誌において「あなたの真っすぐ、曲がってます」と提唱されていた小松秀人先生は、「私の真っすぐも曲がっていました」という衝撃の大見出しのもとこんなふうに寄稿されています。
 私は「脚の痛みの最大の原因は身体のバランスの乱れ」という論のもと、治療と身体メンテナンスの指導をしています。2009年にランナーズで「あなたの真っすぐ、曲がってます」という連載を担当したほどです。にもかかわらず、私自身がバランス改善のための「筋トレ」や「ケア」を怠っていたのです……。(略)
 一連の経験を通して痛感させられました。「50歳過ぎて筋トレやケアを怠ると身体は確実に曲がっていく。その結果、痛みは突然やってくる」といういことを。(p.31)
今年の正月、ランニングの最中にハムと臀部に痛み、梨状筋症候群による坐骨神経痛を突然発症した記憶もなまなましい私にしてみれば、確かに走ることに熱中している割には筋トレとケアにしっかり時間を取っていなかったなと思い当たりましたし、また、その根本原因として「身体の真っすぐが曲がっていること」と言い当てられると、あまりそういう視点で自分の故障を考えていなかったとはっとした次第です。
なお、この後には次のようなコンテンツが続いていきました。
 ・まずはバランスチェックを!
 ・日常生活では常に"真っすぐ"意識
 ・タイプ別「バランス改善法」
 ・小松先生が「理論」を解説
 ・胸をケアして、ひざ痛が消えた(岡部カメラマン・59歳)
 ・筋トレ始めて、50歳過ぎてから記録を更新(鈴木彰コーチ・54歳)
早速「バランスチェック」を試してみましたが、確かに私の真っすぐも真っすぐではないように感じました。坐骨神経痛というものじたい、片側に出るのが通例、私の場合は左側でしたが、それこそ、バランスの悪さが生み出していたと言われたら、まさに納得するしかありません。私の場合、今回の坐骨神経痛のみならず、それまでに起こっていた腸脛靭帯炎もふくらはぎやハムの軽い肉離れも、すべて左側に発症していたことを、今更ながらに気づきました。
さあ、日常生活から変えていくことにしよう。そして、筋トレ&ケアの習慣は、故障してからかなり重視してきているところでしたが、そこに「バランス改善」という視点を入れて、あらためていい習慣をつくっていこうと思いました。
22 3月

新津きよみ『神様からの手紙 喫茶ポスト』

神様からの手紙 喫茶ポスト (ハルキ文庫)
新津 きよみ
角川春樹事務所
2016-10


世の中にはいろいろな小説があるんだな。
内容(「BOOK」データベースより)
珈琲が自慢の喫茶店「喫茶ポスト」には、店内に郵便ポストがある。そこには、亡くなった人宛てなど、届くはずのない手紙を投函できることになっていた。このことを雑誌で知った片岡絵真は、早速「喫茶ポスト」に出向き、亡き父への手紙を投函した。ところがその折、間違えて祖母から自分宛に届いた手紙も一緒に入れてしまう。すると後日、信じられないような出来事が起こって…。もう会えないあの人に、伝えられなかった想い―行き場のなくなってしまった言葉が起こした奇跡の物語。
ちょっと前に『夫以外』というタイトルに興味をひかれて初めて手に取ってみた新津きよみさん。ちょっと期待外れの感じではあったものの、一冊でサヨナラするのも大人としていかがかと勝手に思って、もう一冊読んでみることにしました。
何とか読み進めました。ゴールにたどり着きました。
でも、途中、何度もくじけそうになりました。
どうして?
私が小説というものをどうして読むのかということについての思索を促されるような読書体験となりました。それが何か、うまくは言えませんけど。
16 3月

金哲彦他『正しいマラソン』

正しいマラソン (サイエンス・アイ新書)
金 哲彦
SBクリエイティブ
2017-01-17


マラソンについての体系的なとらえなおし。
内容紹介
走るしくみを知って、さらに速く、よりラクに
「決められた距離をいかに走るか」というシンプルな競技、マラソン。気軽にも挑戦できて恩恵はさまざま、しかし、理論は意外に奥深い…。本書では、なぜ息が苦しくなるのか、脚が重くなるのかといった基本から、トレーニングの数々、実践的な技術までを、事例や図を示しながら解説します。走ることをはじめたい人、体系的にとらえなおしたい人、記録達成を目指している人におすすめの1 冊です。
金哲彦さんに加えて、山下佐知子さんやその他の専門家の方々で分担執筆されている、マラソンについて幅広く体系的に解説してくれる一冊でした。
最近、勉強と言えば、ランニング/マラソンに偏りすぎている私にとっては、特に新しい内容はほとんどありませんでしたが、確かに、マラソンについて体系的にとらえなおすのに好適の一冊でした。勉強になりました。
たとえば「レースでのウォーミングアップ」という項目がありました。
マラソンのウォーミングアップは、ランナーの走力によって考え方をかえたほうがいい。ゴール時間が比較的早いランナーは、少しでもジョギングなどをしたほうがいい。その一方、ゴールまで時間のかかるランナーは、事前の会場までの移動もウォーミングアップとなるので、ストレッチや体操をする程度でよい。判断の境界は、ゴール記録にすると3時間30分〜4時間くらいであろう。(p.130)
なるほど。確かに、そんなところなんてだしょうね。
実際、私も、ハーフなら、最初から4:30/kmくらいでスタートすることを考えれば、そこにスムースにつなげるためのジョグ⇒スパートを1km程度やっていました。が、フルであれば、そんなに体をあたためなておかなくてもいいくらいのテンションでスタートするわけでしょうからね。5月に持ち越しになったフルマラソンでは、走り系のアップはなしでいこうと思います。オーバーペースのスタートを抑止することにもつながりそうですし。
15 3月

宮下奈都『静かな雨』

静かな雨
宮下 奈都
文藝春秋
2016-12-12


宮下奈都さんのデビュー作。
内容(「BOOK」データベースより)
忘れても忘れても、ふたりの世界は失われない。新しい記憶を留めておけないこよみと、彼女の存在がすべてだった行助。『羊と鋼の森』と対をなす、著者の原点にして本屋大賞受賞第一作。
読み終えて、初出2004年6月とあり、ぎょっとして、ちょっと調べてみて実質的デビュー作であることを知り、またまたぎょっとした次第です。「本屋大賞受賞第一作」はないでしょう、別にその文句に誘われて読んだわけじゃないですけど。どんないきさつでこの本が世に出ることになったのでしょうか。「『羊と鋼の森』と対をなす、著者の原点」か、、、、、ふーむ。
正直な感想としては、んんんっ、着想といい完成度といい、やはり現時点の宮下奈都さんと比較するとちょっとあまいかな、というところ。
ただ、いたるところに宮下奈都さんらしさというか、宮下奈都さんらしさ一歩手前、その萌芽のようなものは感じられました。特においしいたい焼きのリアリティーには目を見張るものがありました。その特別においしいたい焼きのリアリティーが、こよみさんの存在感をいいかたちで浮き彫りにしていたと思いますし、ドラマの奥行きを形作っていたとも思います。本当の「本屋大賞受賞第一作」を楽しみにしております。
13 3月

村上春樹『騎士団長殺し』第2部 遷ろうメタファー編



「何かすっきりしない感じ」の正体について。
内容紹介
物語はここからどこに進んでいこうとしているのか?
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
読み終わって数日たつのですが、なかなかここにくる気分になれないでいました。
どうして?
・・・・よくわかりません。自分でもよくわからないのですが、すっきりしない感じが体に残っているというか、でも、それは、第3部に正当に引き継がれて解消されるようなすっきりしなさでもないというか、いずれにせよ、何かすっきりしない感じがあって、ここにきたところで、こんなふうなどうでもいいようなことしか書けないなと思うのでした。
しかしながら。何もしないままでいたとしても「何かすっきりしない感じ」から脱することができるわけでもなく、時間の経過とともにこの小説が私の体から自由になってしまうというのも、それは何だか納得できないという気がして、「何かすっきりしない感じ」の正体をつかもうとしてみた次第です。
第1部 顕れるイデア編を読み終えたとき、私は、次のようなところを引用しました。
 うまく説明のつかない様々なものたちが、この家の中で私をじわじわととらえようとしていた。屋根裏で見つかった雨田具彦の絵画『騎士団長殺し』、雑木林に口を開けた石室に残されていた奇妙な鈴、騎士団長の姿を借りて私の前に現れるイデア、そして白いスバル・フォレスターの中年男。またそれに加えて、谷間の向かい側に住む不思議な白髪の人物。免色はどうやらこの私を、彼の頭の中にある何かしらの計画の中に引き込もうとしているようだった。
 私のまわりで渦の流れが徐々に勢いを増しているようだった。そして私はもうあとに引き返すことができなくなっていた。もう遅すぎる。そしてその渦はどこまでも無音だった。その異様なまでの静けさが私を怯えさせた。(p.444)
まさに、村上春樹お決まりの「シーク・アンド・ファインド」フォルムを強く実感させられる序盤でした。そして、実際にこれまでの作品で用いられたモチーフが重奏され、村上春樹総集編のような雰囲気が濃厚に立ち込めていったわけです。
第2部において、「私」は免色さんとこんな会話を交わします。
 私は言った。「結婚生活について悔やんでいることはなくはありません。しかしもしある時点に戻ってひとつの間違いを修正できたとしても、やはり同じような結果を迎えていたんじゃないかな」
「あなたの中に何か変更のきかない傾向みたいなものがあって、それが結婚生活の障害となったということですか?」
「あるいはぼくの中に変更のきかない傾向みたいなものがあって、それが結婚生活の障害になったのかもしれません」
「でもあなたには絵を描こうという意欲がある。それは生きる意欲と強く結びついているもののはずです」
「でもぼくはその前に乗り越えるべきものをまだきちんと乗り越えていないのかもしれない。そういう気がするんです」
「試練はいつか必ず訪れます」と免色は言った。「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、それはあとになって役に立ちます」
「負けて、心が挫けてしまわなければ」
 免色は微笑んだ。それ以上、子供のことにも離婚のことにも触れなかった。(pp.140-141)
この物語における主人公たる「私」の「シーク・アンド・ファインド」とは、ここでの言葉を借りれば、「乗り越えるべきものをまだきちんと乗り越えていない」「私」が「結婚生活の障害になった」「変更のきかない傾向みたいなもの」を克服すべく「人生の仕切り直し」のための「試練」に立ち向かうことによって果たされる、と言っていいでしょうか。
そして、その「試練」とは次のような場面において物語られていくことになります。
「心をしっかりと繋ぎ止めなさい」とドンナ・アンナは言った。「心を勝手に動かさせてはだめ。心をふらふらさせたら、二重メタファーの餌食になってしまう」
「二重メタファーとは何なんだ?」と私は尋ねた。
「あなたは既にそれを知っているはずよ」
「ぼくがそれを知っている?」
「それはあなたの中にいるものだから」とドンナ・アンナが言った。「あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの、そのようにして肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」
 白いスバル・フォレスターの男だ、と私は直観的に悟った。そうであってほしくはなかった。しかしそう思わないわけにはいかなかった。おそらくあの男が私を導いて、女の首を絞めさせたのだ。そうやって私に、私自身の心の暗い深淵を覗き見させたのだ。そして私の行く先々に姿を見せ、私にその暗闇の存在を思い起こさせた。おそらくはそれが真実なのだ。
 おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ、彼は私にそう告げていた。もちろん彼には何でもわかっている。なぜなら彼は私自身の中に存在しているのだから。(pp.375-376)
「試練」の正体が物語られます、あくまでメタフォリカルにではありますが。
それは、いうなれば、内なる「二重メタファー=白いスバル・フォレスターの男」の克服という「試練」。ああ、なんてメロドラマなの。
そして、「私」は、その試練に堂々と挑むのです。
 私はあらゆる理性を捨て、渾身の力を込めて身体をより狭い空間に向けて突き出した。私の身体が苦痛に激しい悲鳴をあげた。しかし何があろうと前に進まなくてはならない。たとえ身体中の関節をそっくり外さなくてはならなかったとしても。そこにどれほどの痛みがあろうと。だってこの場所にあるすべては関連性の産物なのだ。絶対的なものなど何ひとつない。痛みだって何かのメタファーだ。すべては相対的なものなのだ。光は影であり、影は光なのだ。そのことを信じるしかない。そうじゃないか?(p.382)
挑んで、勝利するのです。
その後の展開もあわせてとらえたとき、この物語は、見事にうまく環がとじているように思うのです。ここに引いた場面など、「私」が母胎から苦しみながら生まれてくる、うるわしい再生を語っているかのようです。
ところが、それなのに、私は「何かすっきりしない感じ」から自由になれませんでした。村上春樹の小説について「構造しかない」という評言が、ある意味両義的に語られてきた歴史があります。私は、そのことを思い出しました。
構造としては、環はうまい具合にとじた、かに見えます。
でも、細部にちりばめられたエピソード群が何だかその環の中に肉づけされていないようなもどかしさが、読み終えてなお残っているの、と言ったらいいのか。「私」が克服すべくき最大の対象が「二重メタファー=白いスバル・フォレスターの男」だったとして、その男が、最終盤に置かれた東日本大震災の絡んだエピソードとの関連でいうと、まさに被災地の男であるということをどう折り合いをつければいいのか。また、ウイーン=南京事件=東日本大震災と連なる大量死事件をどう受けとめたらいいのか。さらに、タイトルに選ばれた「騎士団長殺し」というモチーフにしても、免色と「私」に連なる「父になる」というモチーフにしても、解釈ゲームをむしろ宙吊りにして終えている、という感触がありました。最初は、ゲーム嫌いの私の解釈力があまりに脆弱なせいでいろいろなことを拾い損ねているような気になってもいたのですが、数日たつうちにもやもやが増大してきて「何かすっきりしない感じ」にも新たな表情が生起してきて、いや、ひょっとすると、これは、村上春樹お得意の「第3部」突入かなと邪推するに至るのでした。
ただ、すでに語られてしまった物語について、その「構造」に肉づけをするような第3部は想像できませんし、読みたくもありません。「構造」と「モチーフ」の葛藤劇、ある意味「構造」と「モチーフ」たちが拮抗して、新たな「構造」を生み出していくような物語こそを、希求します。
やれやれ。
7 3月

原晋・中野ジェームズ修一『青トレ 青学駅伝チームのスーパーストレッチ&バランスボールトレーニング 』



リカバリー必勝法!
内容(「BOOK」データベースより)
疲労回復を早める33のリカバリーメソッド!原晋監督直伝!夢をかなえる目標管理シート活用法。
琵琶湖の一色君にはちょっと期待をかけすぎてましたね。マスメディアのあおりがちょっと激しすぎるなと思っていました。また、報道で知る限りにおいて、一色君も箱根後ちょっと無理しすぎていたんじゃないかとも感じていました。マラソンという競技が、心技体頭の総合力が問われる競技なんだと、あらためて感じさせられました。
さて、一色君もたくさん登場する新青トレ、前巻にひきつづき読んでみました。前巻はkindle版で購入し、iPadで見ながら活用していましたが、今回はとりあえず図書館本で味見をしてみました。さて、この本について「メインテーマは疲労回復です」(p.010)と書かれます。ああ、まさに私こそ読むべき本だったんじゃないか!中野ジェームズ修一先生の言葉を引いておきます。
−−そもそも長距離種目でパフォーマンスを発揮するのに、ケアはどの程度、大事なのでしょうか?
中野 よく選手に話をするのは、どんなに良い練習をしても、また、それでパフォーマンスが上がったとしても、疲労が残っていたら、試合で力を発揮できないよ、ということです。むしろ、疲労があることによって、パフォーマンスが前よりも下がってしまうことだってあります。パフォーマンスを出せる状況を作らなければいけません。そのためには疲労を抜くことが大切なんです。
 練習でだって、疲労が溜まっていると、予定していた練習をこなせないことがあります。それに、疲労が蓄積しているのにもかかわらず、なんとか粘ってその日のメニューをこなそうとして、ケガをしてしまいすます。
 前の日にやった練習の疲労をゼロにして、毎日ゼロの状態でスタートラインに立てれば、自ずと自身のパフォーマンスを毎回出せるような状況ができてきます。一方、疲労をリセットできずマイナスの状態からスタートしていると、日を重ねるごとにマイナス1,2,3・・・・・・と負が積み重なってしまいます。毎日ゼロにするには、時間も労力もかけなければなりませんが、必要なことだと思います。(p.007)
故障する直前の私は、まさに「日を重ねるごとにマイナス1,2,3・・・・・・と負が積み重」なっていたんだと思います。今にして思えば間違いないのですが、肝心の私はと言えば、その頃「日を重ねるごとにプラス1,2,3・・・・・・と正が積み重」なっていると確信していました。恐ろしいことです。疲れた体に更なる負荷をかけつづけることで、何だかだんだん強いランナーになっているという錯覚に陥っていたのです。
この本は「戦略的にリカバリーする」(p.011)ことを提言しています。
私、復活に向けてじわじわ走りはじけてからというもの、とにかくこれまでの倍以上の時間とエネルギーをラン後のケアに注いでいます。特に、臀部とハムは丁寧にマッサージ&ストレッチ&筋膜リリースしていますが、今回の故障で学んでのは、ランニングというものがつくづく全身運動であるということ、その他の部位−上半身から足裏まで−もできるだけ丁寧にケアしています。
6 3月

村上春樹『騎士団長殺し』第1部 顕れるイデア編



村上春樹ドラマの総集編。
内容紹介
『1Q84』から7年――、待ちかねた書き下ろし本格長編
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
村上春樹さんの新作長編、ようやく昨日に第1部を読み終えました。土曜日に購入して月曜日から読み始めて、ちょうど1週間かけました。若いころの自分なら、すべてをそっちのけで2冊を1〜2日で読み終えていたのでしょうが、今はさすがにそうはいきませんでした。ただ、1週間という時間は「かかりました」じゃありません、「かけました」なんです。朝晩の通勤という一定した時間を心地よくしてくれる、その感触がだんだん愛おしくなっていったことと、読まないでいる時間にその本の内容や味わいを反芻するのがまた楽しくなってきたこと、あえてウイークディは朝晩だけ読むことにしてみたところがありました。土日は残りの半分をがーっと読んでしまいましたが。
さてさて、1ページ1ページ、めくるほどに村上春樹があふれていました。ある意味、あふれすぎ?
途中ではっとしましたが、主人公は自分のことを「私」と呼んでいましたね。ただ「僕」が「私」に変わろうと、村上春樹さんに設えられた主人公は相変わらずの人物でした(36歳だったし)し、ぼんやりした「私」をさまざまな刺激が襲い、「私」が覚醒のドラマに連れられていくのです。
 うまく説明のつかない様々なものたちが、この家の中で私をじわじわととらえようとしていた。屋根裏で見つかった雨田具彦の絵画『騎士団長殺し』、雑木林に口を開けた石室に残されていた奇妙な鈴、騎士団長の姿を借りて私の前に現れるイデア、そして白いスバル・フォレスターの中年男。またそれに加えて、谷間の向かい側に住む不思議な白髪の人物。免色はどうやらこの私を、彼の頭の中にある何かしらの計画の中に引き込もうとしているようだった。
 私のまわりで渦の流れが徐々に勢いを増しているようだった。そして私はもうあとに引き返すことができなくなっていた。もう遅すぎる。そしてその渦はどこまでも無音だった。その異様なまでの静けさが私を怯えさせた。(p.444)
もう何度つきあってきたフォルム=モチーフでしょう!正直、村上春樹さんが二十代後半から三十代の男性しか主人公に設えられない偏執性に、ある意味興味を抱いてもおりましたが、今回の作品は、これまでのそういったドラマの総集編のようにもみえるものですから、そのことについて何かしら自分の中に落ちてくるものもあるかもしれません。
まずは、肝心な感想は宙に吊ったまま第2部に移行します。
27 2月

堂場瞬一『独走』

独走
堂場 瞬一
実業之日本社
2013-10-26


祝祭は自分の体の中から溢れてきて、周囲をその色に染める。
内容(「BOOK」データベースより)
五輪柔道金メダリストの沢居弘人は、スポーツ省から、国の特別強化指定選手「SA」の陸上選手・仲島雄平のサポートを命じられる。仲島は実力はあるもののメンタルが弱いという致命的な弱点があった。「金メダル倍増計画」を掲げ莫大な予算でアスリートを管理育成する国で、選手は何を目的に戦うのか。オリンピック、ドーピング問題、引退後の人生設計…現代スポーツ界が抱える様々なテーマを内包して物語は疾走する!!
堂場瞬一さんの長距離ランナー小説、まだ残っていました。長距離走そのものというより、オリンピック至上主義的思想に焦点をあてているようなところがありましたが、十分楽しめる一冊でした。スポーツ行政というものの実際がどんな感じなのか、ネットでいろいろ調べてみたりしましたが、当然のことながら、この小説に描かれているような内実に迫る情報は探せませんでした。いずれにせよ、一流アスリートのメンタリティーというものに興味を掻き立てられながらの読書でした。 
一流アスリートの人生って、なかなか難しいものなんでしょうね。
実際に一流アスリートであるさ中において、一流と認められるがゆえのアイデンティファイを余儀なくされるということが起こるんでしょう。自分という人間が単なる個人としてどうにかできる存在ではなくなっていく中で、そういう環境でうまく処世していくことができる別な人格を用意する必要が出てくることは想像に難くありません。そこに、プライドをうまく育てていければそれはそれでいいのかもしれませんが(仲島くんの場合は、沢居さんとは異なり、そこに一つの折り合いを見出せなかったわけではありますが)。
かといって、一流とはあくまでアスリートとしての価値づけであり、アスリートはいつまでもアスリートでいられるわけではない。アスリートとは別の何者かにならざるを得なくなったときに、そのかつての一流アスリートが、引き続き何かの一流でいられる保証などどこにもないわけで、一流というプライドをもってアイデンティファイしてきた自画像を別な次元に設定しなおすというのもなかなか簡単なことではないんでしょう。とはいえ、一流アスリートの中でも超一流クラスとなると、人間そのものが磨かれていて、人間として一流になっているみたいに感じるケースも多々あります。先日読んだ高校部活動の指導者の本に伏流していた思想とも通じることですね。
それにしても、仲島くんの日本国への造反劇はうるわしいひとつの覚醒劇へと変化していきました。
 祝祭だ。
 オリンピックのように派手に演出され、何万人もの目が見守る中で走ることこそ、祝祭−−お祭り騒ぎなのだと思っていたのだが。
 違う。
 祝祭は、自分の体の中から溢れてきて、周囲をその色に染めるのだ。
 行こう。誰もいないこの道を。四百メートルのトラックを淡々と二十五周回るだけなのに、今、仲島は果てしなく真っ直ぐ続く道を走っているような気分になっていた。行き着く先がどこかは分からないが、ゴールした時に絶対に後悔しないことだけは、確信できた。(p.370)
千葉すずを思い出しました。
藤原新や川内優輝も浮かんできました。
一流アスリートとは、選ばれた特別な人たち。その人生のかたちも、平凡な者たちのそれとは異なる、振り幅の大きなものにならざるを得ないんでしょう。
23 2月

「ランナーズ 2017 APRIL 4」



練習見直しの重要なポイントをいただいたのかもしれない。
内容紹介
脳をご機嫌にしてフルマラソン快走!
「ランナーズ」という雑誌を定期購読しています。
4月号が月曜日に届きました。届くやいなや熟読スタート、一度読み終えた雑誌は、勤務先に持ち込んで昼休憩時間に各種ストレッチ&トレーニングをしながらの復習三昧になります。
さて、そうは言っても、今号はいつもよりは低いモチベーションのままページを繰っていました。というのも、正月ランの際に発症した梨状筋症候群による坐骨神経痛がなかなかなおらず、つい先日、3月にエントリー済みのフルマラソンのDNSを決めたところだったのです
と、ところが、そんな私はある特集ページに釘付けになりました。「キロ8分のジョギングで自己ベストはらくらく達成!?」と題された記事です。「ゆっくり走れば速くなる」というやつかなと読み進めてみると、Takeアスリート鍼灸院長の田中猛雄さんの次のようなコメントが紹介されていました。
「サブフォーを狙うから、普段からキロ5分30秒〜6分で走ったり、サブスリーを狙うからキロ4分〜5分でジョギングをしている。こうしたランナーって意外と多いんです。それが自分にとって心地よいリズムになっているということもありますし、ランナーは真面目な人が多いから毎回『今日は頑張った』と感じたいのだと思います。でも、それって本当は身体に疲労を溜めているのかもしれません。多くの人が普段はもっとゆっくり走れば速くなるんですよ」(p.19)
どきりとしました。まさに私に宛てられたアドバイスのように感じられたのです。
私、最近始めたランニングブログにこんなふうに書いておりました
・・・私、今年の1月3日に坐骨神経痛を発症するまで・・・いたって順調だったのです。特に自分としていい感触をつかめているなと思えていたのは、このくらいのペースならどこまでもいけそうという自分としてのペースがつかめそう、この感触が確実に自分のもになったらその先にはいろいろな花が咲きそうだな・・・・・という予感があったのです。だいたい5:15/km前後。具体的に言うと・・・
12/25(日) 26km ペース5:13/km 12/30(金) 20km ペース5:09/km
そして、30kmジョグを予定していた、結果的に坐骨神経痛を発症してしまった1/3(火)も、13kmまでは、5:13/kmで快調に走れていたのでした。正直、このペースを体に刻みこんでいって、そこからイメージするレースペースにレベルアップさせるのは、自分としてはかなり現実的に思えていたのです。
私の坐骨神経痛発症は、きっとなるべくしてなったものだったんだろうと、今は感じます。本当の意味で体ができていない段階なのに調子に乗って夢のような成長曲線を思い描いていたということなんでしょう。ランニングの師匠からもご指摘をいただいたばかりでした。
さて、ここでは、ゆっくりジョグの効能についても具体的に説かれます。
 ゆっくりジョギングでは、全身へリンパや血液をじっくりと送り込むことができます。これが身体の内側にたまっている疲労物質や炎症物質、老廃物を外側へ押し出すことにつながり、身体の細胞を元気にすることができます。さらに、のんびりしたペースで走ることでリラックスでき、心(脳)も活性化するので、前向きな気持ちになっていきます。(p.20)
ここには引きませんが、ゆっくり走ることで、速く走ったときには見過ごされるようなレベルの身体の点検ができるということにも触れられていました。むむむっ。
そして、具体的に「どのくらいの速度で走るか」「どのくらいの距離を走るか」についてのレクチャーが続きます。
・・・どのくらいゆっくり走るのかという具体的な方法を説明します。ペースはいたってシンプル。現在の自分が「全力で1km走ったタイムの2倍」を目安にジョギングするようにしてください。・・・どのくらいの距離を走るかですが、これは頑張る練習をどのくらい行うかによって変わってきます。目安としては、ポイント練習やレースなど、頑張った練習の2倍以上がよいのではないかと思います。つまり、日曜日に10kmペース走をした場合、次のポイント練習もしくはレースまでに20km疲労抜きゆっくりジョギングをするべきです。(p.21)
これまで自分がやっていたトレーニング感覚からするとちょっと驚きです。へーっ、ほんとかな、という感じなのですが、ただ、かなり深刻な坐骨神経痛に悩まされているということが厳然たる事実である以上、この着眼点を大事にしないわけにはいきませんよね。

今は痛みが完全に消えていないので走らないでいますが、痛みが完全に消えてゆるゆると走り始める際の大事なポイントとさせていただきたいと思います。
なお、今日の記事は、内容から考えて、ランニングブログにも載せておきたいと思います。
22 2月

畑喜美夫『子どもが自ら考えて行動する力を引き出す 魔法のサッカーコーチング』



"教えない"指導が子供の自立を育む。
内容紹介
“教えない"指導が子どもを変える! 自主性を促す組織づくりで絶対につぶれない「人間力」を磨く! 『個』と『組織力』をともに底上げする新理論。本書はスポーツの育成現場に立つ指導者や教師、また子育てに悩むお父さん、お母さんにも参考となる一冊であり、畑先生が、子どもの自立や人間力を育む教育を余すことなく、具体的に解説、そして提言していきます。
著者について
畑 喜美夫(はた・きみお) 1965年11月27日生まれ。広島県出身。広島県立安芸南高校教諭。小学生時代から地元・広島の広島大河フットボールクラブでサッカーをはじめ、東海大一高校(現・東海大翔洋高校)、順天堂大学でプレー。全日本ユース代表を経験、大学では総理大臣杯、全日本インカレ、関東選手権の3冠をとった。大学卒業後は、広島に戻って教鞭をとる一方で、広島大河フットボールクラブの小・中学生をサッカー指導。1996年に県立広島観音高等学校へ赴任し、同校サッカー部監督として指導。選手の自主性を促すコーチング術を取り入れ、2006年に広島観音高校サッカー部を全国優勝に導く。日本サッカー協会A級ライセンス、元U-16日本代表コーチ。
すぐれた教育実践に魔法など存在しません。それが魔法であるかのように見えてしまうのは、そのすぐれた教育実践の何がすぐれているのかが理解されないから、に他なりません。
先日世羅高校陸上部の指導者による本を取り上げましたが、今回も、高校の部活動指導者による実践と提言の書です。高校の部活動では、体罰がなかなかなくなりません。私が勤めている県においてもつい先日体罰による懲戒処分が複数発表されたばかりでした。アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)の促進が急務と叫ばれる(ここ数年いろいろと迷走も生んできた「アクティブ・ラーニング」ですが、小中の学習指導要領案も出て、いろいろな面ですっきりしてきた感があります。「アクティブ・ラーニング」という語をあえて用いないという決着となりました。)中、旧態依然の、生徒を徹底した受身にまわらせる指導がなくならないという現実があるのです。
この方の「教えない指導」、前述した世羅高校の岩本真弥先生のそれとは雰囲気こそ違え、感動的な徹底ぶりでした。両者に共通するのは、その指導によって生徒をどう育てたいかというゴールの設定にブレが微塵もないことです。二人とも、本気で生徒たちに自ら力強く未来を生き抜く力こそを身に付けさせたいと考えていて、その強く熱い思いにブレがない分「教えない指導」は徹底されるということなのでしょう。その覚悟を、こんなところから引いてみます。
・・・たとえば、暴力をふるう指導者がいるとしたとします。確かに子どもたちに強烈なインパクトを残せるかもしれませんが、それが伝染していくことがよいでしょうか。いまひとつ、指導や教育に何が大切か考えてもらいます。
 子どもたちがみんなプロのサッカー選手になることができるのであれば、それが一番です。しかし、そう簡単に人生はうまくいくものではありません。
 でも私は、「自主自立」のコーチングで人間力を磨くことによって、個々がうまくなると感じていますし、チームもしっかりまとまりをもつことができると信じています。子どもの可能性をいつ信頼しながら、創造性あふれる子を育てていきたいと思います。
 ”サッカーはサッカーだけでうまくなるのではなく、サッカーはすべてでうまくなるのです”
 それが私の魔法のサッカーコーチングです。(p.174)
「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」という思想を思い出しましたが、それとこれとは次元が違うか。むしろ、私もかつて高校で野球部を指導していた時に「生活が野球に出る」という言葉を部活動のメインテーマに掲げていたことなどを懐かしく振り返りました(でも、私の場合本当の意味で強いチームは作れませんでした。徹底性の問題でしょう)。とにかく、急がば回れ。やっていることの真の目標をベースに指導ということを考えれば、そこに行きつくしかない、ということなんです。
しかしながら、この本には、畑先生が積み上げてこられたボトムアップ理論が詳細に解説されていました。世羅高校の岩本先生もおっしゃっていたことですが、生徒を(に)「信じる」「認める」「任せる」ために指導者がやらなければならない一番大事なこと、言い換えれば、身に付けていなければならない一番大事なことは、生徒を適切に見ること、生徒を適切に把握していること、です。畑先生は、「子どもたちの変化をどう気づけばよいか、悩む方もいるかもしれません。子どもたちの変化に気づくポイントとしては、ゝ離感、角度、タイミングが重要です。」(p.120)とおっしゃって、それぞれのポイントについてこう解説されます。
「距離感」というのは、子どもたちが考えているときは、少し距離をとって自分たちで話し合わせて、子どもたちで解決できるようであれば、そのまま距離を取って遠くから見ています。でもどういう状況になっているかは、聞こえてくる距離に立ち、耳を傾けています。そして子どもたちだけでうまくいかないときは、近づいてヒントを与えたりするということです。
「角度」というのは、いいところも、悪いところもあるというところをトータルで見てあげるということです。
「タイミング」は、子どもたちが何か発想して動き出した瞬間を待つということです。動き出す前にいってしまうと、子どもたちの成長という視点では、発想をするチャンスを奪ってしまいます。そこは注意深く見守ります。(pp.120-121)
ある方がある研修会でおっしゃっていた言葉を思い出しました。「子どもたちをよく見ていれば間違うことはない。ただ、工夫していなければよくは見えない」と。また、そうおっしゃった方は「教員は技術者である」ともおっしゃっていました。生徒をよくみるためのスキル、そして、そのスキルを身に付けるための前提としての覚悟の重要性。「教えない」ことが豊かな学びを生む回路を作り出すためには、それこそ相当の覚悟と準備が必要なんだと思います。でも、もう、それは、一部のカリスマにだけ開かれるようなものであってはならないのです。
また、畑先生が指導されるサッカー部においては、選手の起用や練習メニューの作成は選手の手に委ねられています。興味深かったのは、その前提としての共通理解のあり方でした。
 子どもたちに選手起用の全権を預けているわけですが、監督である私と子どもたち、それからスタッフで共通認識、基準は当然必要となります。その優先順位は次のとおりです。
 ー匆饑  賢さ  上手さ  ざさ  ヂさ
 普通はの「上手さ」が優先順位の一番というのが多いでしょう。けれども、私は,痢崋匆饑」を最大に重要視しています。将来、大人の社会でも自分をもって立ち向かっていってほしいですし、そのためにも人間力を磨いてもらいたいからです。これは、広島観音高校で指導を始めた頃、選手たちと相談して決めました。(p.107)
うるわしすぎます。
´△最上位をしめるうるわしさもさることながら、きイ僚膂棉佞韻砲發Δ襪錣靴ぅ瓮奪察璽犬ふくまれていますね〜。あああああ、部活動指導したくなったな〜。ホントか?!
この本に帰ろう。
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