下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち
著者:内田 樹
販売元:講談社
発売日:2007-01-31
おすすめ度:3.5
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「時間的」というターム。
内容(「BOOK」データベースより)
なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか?「格差」の正体とは何か?目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。
 明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
 さて、パソコン1号が足掛け二年の入院中なもので、現在2号がファームから呼び出されているんですが、こいつ、往時の切れ味はもはや消え失せていて、いうなればポンコツ同然、新年早々何だかテンション下がりっぱなしです。
 さて、そんな私が2011年のスタートに選んだ一冊は、内田樹センセイの『下流志向』、テーマにしてもお正月気分台無しなのですか、それに加えて、再読本です。
 特に選んだ理由があるわけでもないのですが、ただ、今年の読書のリニューアルのイメージではあったのです。
 というのは、これぞという本の再三読。昨日の記事の中にも書いたのですが、そろそろ一本調子の読書のリフォーム時期だと感じているんです。
 ではいきます。
 実は、この本、私にとっては大変印象深い一冊、はじめて読んだ内田センセイ本なんです。衝撃的でしたね。このブログでもすぐに三回にわたって感想を書き連ねたほどでしたもの。
 ところが、今それらを振り返ってみると、どうやら「わかることしかわかっていない」感じがありありなんです。作品の中心をごそっと取り逃していたように思えてきたのでした。
 『先生はえらい』と『街場の教育論』を再読して、そこに伏流する確信に満ちた骨太の教育哲学に接して、あらためて内田センセイに私淑する決意を新たにするとともに、でも、内田センセイは「おじさん」枠で私淑しようなどと、相変わらずわけのわからない私でした。
(話が全然前に進みません)
 そしてそんな私は、粗雑に読み流していた『下流志向』もきっとかの二冊とあわせて、内田教育哲学三部作を構成するものだったに違いないとひらめいて、大掃除の合間を縫ってねっとり凝視しましたよ。
「学び」は等価交換の空間モデルによって表象することができません。それは時間的な現象です。そして、時間的でないような「学び」は存在しません。(p.73)
 今回は敢えてここだけにしておきます。この理路で「労働からの逃走」も解けますし、何より「時間的」というタームを鮮やかに保存しておくことによって、教育論を超えた内田哲学の中心により接近できそうにも思えます。
 しかしながら、この理解をもって(実際に目から鱗なのですが)、 実際に行われている学校教育の諸相を再点検してみることは、ズキズキするほどに刺激的でかつ恐ろしいことのように感じます。「おじさん」枠というのが、一つの逃げであってはいけませんけどね。