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時折書房

時折書房が目指すは定常開放系。コメント&TB大歓迎。

ヨ-吉田修一

27 1月

吉田修一『怒り』上下

怒り(上)
吉田 修一
中央公論新社
2014-01-24

怒り(下)
吉田 修一
中央公論新社
2014-01-24


『悪人』から7年・・・。
内容紹介
殺人現場には、血文字「怒」が残されていた。事件から1年後の夏、物語は始まる。逃亡を続ける犯人・山神一也はどこにいるのか?
この土日、『怒り』上下巻を一気に駆け抜けました。
犯罪をめぐる群像劇。
『悪人』で吉田修一の格(自分のなかでの「格」です)が三つくらい上がった読者としては、読んでいくにつれて、期待感がじわじわせりあがっていきました。帯裏にも、「『悪人』から7年、吉田修一の新たなる代表作。」とあります。
でも、ちょっと待って。
吉田修一さん、その7年間にも佳作を次々に世に出しているじゃないですか。『静かな爆弾』『さよなら渓谷』『キャンセルされた街の案内』『横道世之介』『路』等々(さりげなく『平成猿蟹合戦図』や『太陽は動かない』『愛に乱暴』を外しておきました)。とはいえ、『悪人』以降、私にとって、吉田修一さんは、新刊が出たら即座にハードカバーで買作家さん入りしていましたが、正直、大きな期待の器をみずさわ屋の中華そばのようにたっぷり満たしてくれことはありませんでした。みんな、それぞれ佳作なんです。でも。空白の7年というつもりはありませんが、『悪人』に匹敵するテンションを、他の作品群に感じることができないでいたことを正直に申しあげなければなりません。
だからこその、期待感のせり上がりだったんだと思います。

それで、
『怒り』は
どうだった
というのか?
う〜ん、そうでもなかったなあ。
うまく収まりすぎたというか、あの、魂の根っこをつかまれてぐるぐる引きずり回されるような緊張感とは無縁のドラマとして仕上がっていたように感じました。最終的に、わかりやすいフォルムに収斂したというか。
ミステリーという手法と仕上がりに対する距離感というのか、吉田修一さんは、『悪人』でふと到達してしまった高みを、方法論的にまだつかんでいらっしゃらないのかな。当然そこでいう方法論の「方法」とは、一回限りの体験に後付けで認め取られるようなものでしょうが。
すみません、よくわかりません。
3 7月

吉田修一『愛に乱暴』

愛に乱暴愛に乱暴 [単行本]
著者:吉田 修一
出版:新潮社
(2013-05-22)

愛に乱暴、ですか。
内容紹介
妻も、読者も、騙される! 『悪人』の作家が踏み込んだ、〈夫婦〉の闇の果て。これは私の、私たちの愛のはずだった――。夫の不実を疑い、姑の視線に耐えられなくなった時、桃子は誰にも言えぬ激しい衝動に身を委ねるのだが……。夫婦とは何か、愛人とは何か、〈家〉とは何か、妻が欲した言葉とは何か。『悪人』『横道世之介』の作家がかつてない強度で描破した、狂乱の純愛。本当に騙したのは、どちらなのだろう?
確かこの本を購入したのが3週間ほど前で、いつもだったら、吉田修一の新刊など手に入れようものなら、すぐさまベッドに直行して数時間読みに入るところなのですが、今回は、いろいろいろなことが重なって本を読むどころじゃなく、先週の土曜日によえやく本に入るタイミングを得て、一気読みさせていただきました。
で、次のような感想を、今朝「読書メーター」に書き込んだのでした。
「因果応報」というのも「騙された」というのも、どっちもピンとこないな。というよりは、愛の構造というか、もっと言えば世界の構造みたいなものを描かれてしまった(笑)という印象かな。いずれにしても、「吉田修一らしさ」の範囲内にみえてでもそれはうまく拡張できているのは間違いない。瞬間ハッとしつつ痺れました。
「因果応報」「騙された」というのは、「読書メーター」でつらつらとながめてみたときに目についた世の読者さんの感想のキーワードでした。私は、へー、そんな感じかな?自分はちょっと違うかなと感じたのでした。
で、「愛の構造」とか「世界の構造」なんていうものが、その代わりにふっと浮かんだのです。
ただ、これ、今はうまく言えないんですが、早い段階に再読したいんです。「愛の構造」「世界の構造」というイメージについて、確認したいことがあるんです。また、そのとき。続きを読む »
24 12月

吉田修一『路(ルウ)』

路(ルウ)路(ルウ)
著者:吉田 修一
販売元:文藝春秋
(2012-11-21)
販売元:Amazon.co.jp

吉田修一さん的。
内容(「BOOK」データベースより)
ホテルの前でエリックからメモを渡された。彼の電話番号だった。「国番号も書いてあるから」とエリックは言った。すぐに春香も自分の電話番号を渡そうと思った。しかしエリックが、「電話、待ってる」と言う。「電話を待っている」と言われたはずなのに、春香の耳には「信じてる」と聞こえた。春香は自分の番号を渡さなかった。信じている、あなたを、運命を、思いを、力を―。商社員、湾生の老人、建築家、車輛工場員…台湾新幹線をめぐる日台の人々のあたたかな絆を描いた渾身の感動長篇。
久しぶりに一気に駆け抜けるようにして長編を読みました(実は、大島真寿美さんの新作長編を読んでいたのですが、二週間かけて2/3くらいまでしか進まず、図書館から督促の電話までいただき、1/3を断念して返却してしまうような状態だったのです)。
吉田修一。
やっぱり、この人、気になる作家さんですね。
今回の作品、私がそこに彼の天才を感じた『悪人』からすると、そうでもありません。『悪人』以来、涎を垂らして新作にかぶりつく(比喩)ことを重ねて、それで、程度の差こそあれ裏切られつづけ、たまたまツボにはまったまぐれ当たりだっのかなとか思わないでもないのですが、いや、でも、『悪人』を基準にせずに、彼の一連の作品をながめてみると、う〜ん、「吉田修一さん的」とでも呼ぶしかないようなリアリティの系列が浮かびあがってくるような気がします。
というか、これ、結構楽しめました。
シンプルに言うと、ものすごく台湾に行きたくなりました。
たとえば、序盤に、台湾そのものに苦しんでいた安西の、こんな言葉がありました。
 台湾には古き良き時代の日本がそのまま残っている。だから日本人はこの街を訪れると懐かしさを感じるのです。
 いくつかの本に、そんなことが書かれていた。一般常識があれば、それがどのような状況で残されたのかは分かる。安西も最初はそう理解した。しかし初めて訪れた台湾で感じた郷愁は、そう簡単に説明のつくようなものではなかった。本では理解できることが、感覚として自分のものにできない。たとえば子供の頃、生まれて初めて宇宙というもののを知った時と同じような感覚だった。どこか空恐ろしく、とつぜん自分の足元が揺らぐような感覚だ。(p.93)
これ、安西のその後を予感させたりひとつの結末へと導いていったりするひとつのラインというだけでなく、この作品全体の磁場のようなものを予告しているような言葉といっていいでしょう。
私も、ここで安西がいうようなレベルにおいて、台湾に痺れつづけていました。その痺れとは、なんというか、結構多義的な痺れです。
読んでいる最中、高1の次女に「大学は台湾にしないか?英語と中国語をマスターしてすごい世界がひらけるぞ」とつっこんだり、妻に「今度台湾に行こう」と振ってみたり、また、週明けに台湾通のW先生にこの小説の話をしてみようと勝手にワクワクしてみたり、していました。
台湾の地熱。胸の奥で凝り固まっているなにものかを解きほぐす力、心の深層に埋め込んで忘れたふりをしているなにものかを顕在化させる力。それは確かに「どこか空恐ろしく、とつぜん自分の足元が揺らぐような感覚」をともなうものに違いないでしょうが、でも、心とか体の奥底で切実に希求するような衝動のようにも思えます。
台湾、行きたい。
3 5月

吉田修一『太陽は動かない』

太陽は動かない太陽は動かない
著者:吉田 修一
販売元:幻冬舎
(2012-04-25)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

でも、吉田修一さん。
内容紹介
新油田開発利権争いの渦中で起きた射殺事件。AN通信の鷹野一彦は、部下の田岡と共に、その背後関係を探っていた。産業スパイ――目的は、いち早く機密情報を手に入れ高値で売り飛ばすこと。商売敵のデイビッド・キムと、謎の美女AYAKOが暗躍し、ウイグルの反政府組織による爆破計画の噂もあるなか、田岡が何者かに拉致された……。いったい何が起きているのか。陰で糸引く黒幕の正体は?
暗闇の中を、本能のままに猛スピードで疾走するスパイ、謎の女、政治家、大学教授、電機メーカー取締役、銀行頭取……。それぞれの思惑が水面下で絡み合う、目に見えない攻防戦。謀略、誘惑、疑念、野心、裏切り、そして迫るタイムリミット――。
未来を牛耳り、巨万の富を得るのは、誰なのか? そして物語は、さらにノンストップ・アクション急展開!!
この世で最も価値あるものは情報だ。
情報は、宝――。
宝探しに秀でた者だけが、世界を制する。
金、性愛、名誉、幸福……狂おしいまでの「生命の欲求」に喘ぐ、しなやかで艶やかな男女たちを描いた、超弩級のエンターテイメント長篇!
生きてます。
吉田修一さんの新作、それも、何だかそわそわさせられるような惹句、ああ、読む時間もないのに、ついつい買ってしまったのが、先週末でしたか。でも、なんとかかんとか毎夜1時間くらいを捻出して、ようやく昨日読み終わりました。終盤は、朝起きると産経新聞よりも先にこっちに手が伸びるほどでしたから、まあまあの滑走感ではありました。
でも、でも、吉田修一さん。
読んでいる途中、ひょっとしたらこの本の作家、「吉田修一」でなく、「吉田修二」だったりしたのか?!と表紙を確認したりしました(「一」でした)。
また、終盤に及ぶと、「ストーリー上の」というのでない、何かとんでもない仕掛けが施してあるのかと逆に落ち着かない気分になってきたりもしました。
でも、正直に言うと、えっ、こんなんで終わっちゃうの?みたいに、最終ページはとじられました。
『平成猿蟹合戦図』から、手痛い連続大敗(すみません)。

いや、ひょっとしたら、本の世界から遠ざかりつつある私に、何か不健全な魔でもとりついているんでしょうか(でも、ちょうど今読み終わった椰月美智子さんの『どんまいっ!』はとことん楽しめましたから、そうでもないのかも)。

すみません、楽しい読み方、ご紹介ください。
 
5 10月

吉田修一『平成猿蟹合戦図』1

平成猿蟹合戦図平成猿蟹合戦図
著者:吉田修一
販売元:朝日新聞出版
(2011-09-07)
販売元:Amazon.co.jp
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『悪人』の作家・吉田修一。
内容(「BOOK」データベースより
新宿で起きた轢き逃げ事件。平凡な暮らしを踏みにじった者たちへの復讐が、すべての始まりだった。長崎から上京した子連れのホステス、事件現場を目撃するバーテン、冴えないホスト、政治家の秘書を志す女、世界的なチェロ奏者、韓国クラブのママ、無実の罪をかぶる元教員の娘、秋田県大館に一人住む老婆…心優しき八人の主人公が、少しの勇気と信じる力で、この国の未来を変える“戦い”に挑んでゆく。希望の見えない現在に一条の光をあてる傑作長編小説。
 巨匠の作品です。
 そうですね・・・(誤解(どんな誤解?)をおそれず敢えて言うんですが)具体的に言ってしまうと・・・『悪人』は、私がここ4年半に読んだ小説の中でナンバーワンなんです。け、け、傑作だとまで思ったんです。吉田修一が描く「交差点文学」(勝手に吉田作品の特徴を命名しています(ちなみに重松清には「カウンセリング文学」と名付けました、テキトーなんです))の一つの究極形を見い出したつもりになっていたんですよ。
 それから月日は流れて。
 『さよなら渓谷』『キャンセルされた街の案内』『横道世之介』と、すべて単行本を買って読むほどの熱が湧き上がっていたのですが、『悪人』の痺れ方には遠く及ばないまでも、まあ、それなりにいろいろな貌の吉田修一を楽しむことはできていた、ように思います。
 ところが、今回の現代の寓話、とりどころがない。
 スタートの頃は、おおっ、いかにも!な感じの群像劇で、最近桐野夏生さんの作品でいわゆる群像劇っほい作品に接して、吉田修一を懐かしく思い出していたりもしていたものですから、期待がじわじわと膨らんでいくようなところもあったのです。
 でも。本当にとりどころがなかった。これをどうして書いたんだろう?
 さようなら、平成猿蟹合戦図。
19 8月

吉田修一『あの空の下で』3

あの空の下であの空の下で
著者:吉田 修一
木楽舎(2008-10-09)
おすすめ度:4.0
販売元:Amazon.co.jp
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吉田修一的。
内容紹介
ANA機内誌『翼の王国』に掲載された短編を書籍化。数々の文学賞を軒並み受賞した吉田修一、初の読みきり連載小説&エッセー集となる。1編ごとに異なる主人公の些細な日常を、胸が詰まるほどリアルに表現した12の短編小説と、世界の旅エッセイ6編を収録。
 ANA機内誌『翼の王国』に掲載された短編集、いかにもそういう短編集ではありました。
 まっ、簡単に言ってしまうと、ドラマ未満。それでいて、そのドラマ未満なドラマは、何か大きなドラマを呼び起こす起爆剤であるわけでもなく、まさにドラマ未満という独自のあり方&サイズで結晶化しているのです。
 だから、ドラマ未満といえどもすぐそれで物足りないともならないあたりは、やはり吉田修一さんの独特の個性のなせるわざだというのか、企画上手というか、人選上手というか、まっ、そんなところです。
29 4月

吉田修一『女たちは二度遊ぶ』3

女たちは二度遊ぶ (角川文庫)女たちは二度遊ぶ (角川文庫)
著者:吉田 修一
販売元:角川グループパブリッシング
発売日:2009-02-25
おすすめ度:4.0
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スナップ写真の堆積としての、日常。
内容(「BOOK」データベースより)
電車で遭遇した目を見張るように美しい女。電話ボックスで見かけた甘い香りを残した女。職場で一緒に働く世間に馴染めない女。友人の紹介でなんとなく付き合った怠惰な女。嬉しくても悲しくてもよく泣く女。居酒屋から連れ帰った泥酔する女。バイト先で知り合った芸能界志望の女。そして、中学の時に初めて淡い恋心を抱いた女…。人生の中で繰り返す、出会いと別れ。ときに苦く、哀しい現代の男女をリアルに描く短編集。
 読み残していた吉田修一本があることに気づいたときは、ちょっといい気分でした。読み進めてみて、でも、あれっ、これは今の自分が欲しているような小説ではないのかなと思うようになりつつ、でも、たんたんと読んでいくうちに、ああっ、そうか!みたいなすーっとした感じが身内に広がりました。宣伝文句には「人生の中で繰り返す、出会いと別れ。」とありますが、むしろ、出会い未満、別れ未満のような切れ切れの追憶、妙にひっかかるひとコマをささやかなフレームの物語に仕立てて可視化して、自分の人生のひとコマにそっとくみこむ挙措、その中にある人生のリアリティ、ああっ、そうだね。
 ある意味、男にとってのリアリティなんでしょうか。
 特に最後の「最初の妻」は、そういうテイストというか思想というか輪郭というか、それをうまく際立たせて、11本の「出会い未満、別れ未満」のお話の群れをうまく束ねてくれていたと思います。13歳の男の子にとっての何ということもない同級生とのデートのようなものをした奇妙なひとコマが、鮮烈な印象として残り、男にとっては「最初の妻」として心の奥深くに沈潜する。そんな取るに足らないというかとりとめもないというか、そんな切れ切れの物語のパッチワークとして今の自分がある、といった感じ。
 私も調子に乗って、自分の「出会い未満、別れ未満」物語を思い浮かべていました。「冷凍みかんの女」「泥酔二人乗りの女」「理髪店の女」「東京タワーの女」、、、うーん、あまり続かないものですね。私の文学的感受性の問題というよりは私のもっと個人的な資質の問題でしょう、きっと。私なんてそんなものなんだ、というリアリティをひしひしと実感してたとろので、さあ、今日はどうやって過ごそうかなっと。
4 12月

吉田修一 文 佐内正史 写真 『うりずん』3

うりずんうりずん
著者:吉田 修一
販売元:光文社
発売日:2007-02
おすすめ度:3.5
クチコミを見る

うりずん、ねえ。
内容(「BOOK」データベースより)
さあ、始動のとき!走れ。走れ!小説家と写真家がスポーツのある風景をテーマにした初めてのコラボレーション作品集。
 吉田修一作品で読まずにいたものがありました。
 というか、これ、ちょっとどういう企画本なの? みたいな気持ちもあって、その存在を知りつつ読まずにいたのですが、でも、気になってきて、ぱらぱらめくってみることにしました。
 その前に、うりずん。
 「はてなキーワード」から引いてみます。
沖縄で、旧暦の二・三月、春分から梅雨入り前までの、初夏を指す言葉。「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされる。「うるじん」とも。温かくなると同時に、降雨で植物が潤い花が開く季節であり、最も美しく過ごしやすい時期とされる。
 すべてを読み終えてからこれを見て、ああ、そういえばそうだっけ、どこかで聞いたことあったなと、そんなふうな鈍い頭に広がったのは、今更ながらの”なるほど感”でした。
 この掌編ともいうべきささいなドラマたちには、何か固有の季節感がこびりついていたように思い返されたのでした。そして、初夏というと、爽やかなイメージが強いにしても、とはいえ、そんな単色に収まりきらない、毒々しさをも含む特有の臭いのようなものが感じられてくるとともに、スタートを飾った小さなドラマが蘇ってくるのでした。
 タイトルは「部活」。
 やりきれない思いを引きずりつつ惨めなサラリーマンをしている「俺」が、あるとき、高校の同級生で現在は一流商社マンの佐久間という男と出会い、ちょっと焼き鳥屋で飲もうかとなった話です。佐久間が語ります。
「あん時、おまえ、俺に言ったよな。『練習がきついからって、ここで辞めたら逃げるのと同じだぞ』って。『たかが高校の部活に、歯を食いしばって耐えるなんて馬鹿みてぇだ』って笑ってた俺に、おまえ、偉そうにそう言ったんだよ。覚えてるだろ? あん時は俺も、ちょっと自分が情けねぇかなって思ったけど、今となってみれば、やっぱ、あんなことに時間をとられないでよかったって心から思うよ。歯を食いしばって練習に耐えて、たかが〇・一秒タイムが縮まって喜んで……。なぁ、あれが今、何の役に立ってるよ?」(「部活」)
 (今気づきました。この本にはページが打たれていない。)
 初夏の風景・・・と言われて、例えば高校3年生、高校野球最後の年の、夏の大会目前の、そろそろ総決算のときだけどもなかなか調子も上向かず監督の信頼も完全に勝ち得られないような気分でじりじりしつつ残り少ない練習試合に意気込んでいるのに空転ばかりしている、そんな自分を、そこに、見出したりします。そのときの自分にとっては、そのときに、自分の人生すべてがかかっているような感覚で、でも、そんなふうに思えば思うほど、果敢に立ち向かう気持ちが萎えていって、もう、自己嫌悪のスパイラルに陥っていく、ような。
 そのころも、それ以後も、私の中に「佐久間」は生まれませんでした。
 そして、私は、今でも、この小品の中の「俺」に、自分自身に対して、という思いをこめて、エールを送りたい気持ちでいます。
 うりずん、初夏。
 「部活」の他に並ぶタイトルは、解雇、声援、夜食、限界、告白、形相、息子、無音、失恋、後輩、応援、刺青、野心、記念、失敗、上空、将来、独立、水底。
 なんだか、こんな言葉を並べただけで、一編の詩が奏でられたような気になってくる、とかとか、ちょっと吉田修一マジックにかかってしまったかも、いや、意外に、ここまで一切触れてこなかった、佐内正史の写真に無意識をきりきり刺激されていたのか。いずれにせよ、ちょっとしたいい本でした。
26 10月

吉田修一『横道世之介』4

横道世之介横道世之介
著者:吉田 修一
販売元:毎日新聞社
(2009-09-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

横道世之介とは、やがて見出される特別な他者。
内容紹介
楽しい。涙があふれる。本年最高の傑作感動長編!「王様のブランチ」「朝日新聞」ほか多数メディアで激賞。
横道世之介。長崎の港町生まれ。その由来は『好色一代男』と思い切ってはみたものの、限りなく埼玉な東京に住む上京したての18歳。嫌みのない図々しさが人を呼び、呼ばれた人の頼みは断れないお人好し。とりたててなんにもないけれど、なんだかいろいろあったような気がしている「ザ・大学生」。どこにでもいそうで、でもサンバを踊るからなかなかいないかもしれない。なんだか、いい奴。――世之介が呼び覚ます、愛しい日々の、記憶のかけら。名手・吉田修一が放つ、究極の青春小説!
 究極の青春小説、か。
 うむむ、ある意味、逆説的な究極さがある感じがしますね。
 横道世之介。
 うむむ、普通、本のタイトルに冠せられもした主人公のこの名前に、特異なキャラクターを予想してしまいますよね、読者としては。ところが、この男、いたって普通、いたって中途半端。上京した日に初めて会話した相手でもある、同じマンションの隣人である京子さんと、上京から十か月ほどしたころの会話です。
「う〜んと……、上京したばっかりの頃より……」
「頃より?」
「……隙がなくなった?」
「隙?」
「そう、隙」
「あの、自分で言うのもあれだけど、俺、みんなから『お前は隙だらけだ』って言われますよ」
「いや、もちろんそうなのよ。世之介くんと言えば、隙だらけなんだけど、それでもだんだんそれが埋まってきたのかなぁ……」
「なんか中途半端だなぁ」
「これで中途半端じゃなくなったら、ほんとに世之介くんじゃなくなっちゃうって。そこはちゃんとキープしとかなきゃ」(pp.338-339)
 ほんとにこれといった特徴のない主人公・横道世之介くんでした。いや、特徴は、京子さんのいう「隙」なり「中途半端」なりをキーワードにしてうまく表現することはできるのでしょうが、とはいえ、それを変にうまく造形しすぎないのが、吉田修一が重松清じゃない所以なのでしょうか。
 この小説、風邪気味のやや朦朧とした頭で、やわらかな土曜日のベッドの中で読み続けていたのですが、時折、大学一年生・横道世之介の小説の世界と自分の大学一年生の頃とが緩やかに交差するような気分になっていました。四月…入学、科目選択、サークル、五月…軽井沢のゴルフ場、六月…河口湖、七月…三宅島、八月…里帰り、祖父の死、九月…アルタ前、晴海、十月…野球観戦、十二月…志賀高原、一月…新年会・・・と、ふだんなら自分から思い返そうとは決してしない自分の大学一年生の頃を具体的な映像として振り返っていて、そして、その記憶の中で、微妙に忘れ難い人々が、去来するというか浮上するのでした。
 えっ? 忘れ難い人々が浮上する?
 忘れ難い人って、記憶の中枢にずどんと居座っていて、常に当人な意識されているという人ばかりではないんですね。いつしか、ふとした契機に、立ち現れてくる、大切な他者。
 ここで、自分の中で、腑に落ちるものがありました。
 横道世之介って、人が時間の経過の中で見出す忘れ難い人物のことなのかな、と。特に自分に強い影響力を行使したわけじゃない、はっきりとした何物かを自分に残した、というよりは、そう、京子さんが言っていたように、何か足りないところがあった自分の何かをそっと埋めた、その感じ。新たなものを付け加えたわけではないから目立ちはしないものの、そこが欠け続けていたら何か重大な欠損になったかもしれないところをさりげなく埋めることで救ってくれた、かけがえのない他者。
 横道世之介って、つまり、誰でもが横道世之介であり、誰でもが誰かに対する横道世之介だっていうところでしょうか。そして、そんなドラマが鮮やかに決まるための恰好の舞台として、地方から上京して過ごす大学一年生の一年間が慎重かつ適切に切り取られたっていうところでしょうか。
 しかしながら、最後に。横道世之介は、四十歳のとき、代々木駅で線路に転落した女性を助けようとして韓国人留学生と一緒にはねられ死亡する・・・という事実がpp.271-272に挿入されます。そして、この小説のラストシーンにも韓国人留学生と電車のホームでの不思議な場面が選択されます。うむむむ、個人的には、これ余計かな、と感じました。でも、妙に残るんですね。そこを中心軸にしてもう一度読み返してみたら、ひよっとしてここで書いたものを全部ひっくり返すような読み方が浮き出るような気もしなくもありません。
26 9月

吉田修一『キャンセルされた街の案内』3

キャンセルされた街の案内
物語以前の風景たち。
内容(「BOOK」データベースより)
東京、大阪、ソウル、そして記憶の中にしか存在しない街―戸惑い、憂い、懼れ、怒り、それでもどこかにある希望と安らぎ。あらゆる予感が息づく「街」へと誘う全十篇。
 なるほどね。
 久しぶりに読んだ吉田修一なんだけど、私は、今でも『悪人』を書いた吉田修一っていうイメージにからめとられているところがあって、それだけあれが印象に残っているようなところがあって、だから、あの『悪人』を基準にして他の吉田修一作品をながめるような感覚がいつしかできていて、それはそれで無理があるような場合もあるのですが、とにかく、久しぶりの吉田修一作品も、また、そんな感じでながめていました、いつしか。
 で。
 物語と呼べるような明快な枠組みに収まる前の、とはいっても、間違いなく何かしらの強い印象を残した、そんな風景たちが、ただひたすらそこに無造作に並べられてありました。
 断片の強さ、切れ切れであることの説得力。
 素敵な短編でデビューした吉田修一のもともともっている資質が現れた、というよりは、『悪人』で確信をもって表すことができた断片の切れ切れの風景が折り重なっていく巨大な現代的風景の前景たちが、無脈絡的に、だからこそスリリングに配置されていた、という印象です。
 そして、最後に、表題作「キャンセルされた街の案内」で締めくくられるのですが、これで、この本のトータルな印象が不動のものとなった気がします。三つの位相−−「現実の兄とのゆりとり」と「小説内の中途半端なラヴアフェア」と「過去の廃墟案内」−−が緩くしかも執拗につながれ、絶対的な現実がそれとともに相対化され、一つの雰囲気に溶け込んでいきます。はっ。これが、約10年前の作品なのですか。なるほど。『悪人』を、私は、吉田修一はもちょっとしたまぐれで書き上げてしまったのでは?と思うことがあったのですが、いや、一つの紛れもない必然だったように、この微妙な短編集を読んで、そう感じた次第です。
この本に帰ろう。
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